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お寺版お宮参り?初参式をやってもらいました!@桑名市善西寺

そろそろ七五三のこの季節。

うちの長女、
7歳の年は、いろいろ予定が重なり七五三できず、
8歳の年は、私がつわりでそれどころじゃなく、
9歳の今年まで引っ張ることに。

次女は6歳なので、数えで7歳のお祝いタイミング。

三女は生後3ヶ月、暑くてお宮参り引き延ばしてやってない。

ということで、三姉妹まとめてお祝いをしましょうか!

ということになり、
こども食堂などでお世話になっているお寺で、【初参式】をしてもらうことにしました!!

【初参式】とは、初めてお寺にお参りすることを祝う式。

神社でお宮参りをしますが、そのお寺版なわけですね。

ちなみに、七五三は神事というわけではないので、お寺でも受け付けてくださっているところもあるそうです。

極論、節目節目にお祝いする気持ちがあれば、なんでもいいのかもしれませんね。

そして信仰心がほぼない私はにとって、正直、お宮参りや七五三にこだわりはなく、お祝いの写真を残す!ということができれば良し!!

そんな失礼な私のお願いをすんなり聞いてくださった住職、三姉妹まとめて初参式をとり行なってくださいました!

そして写真はフォトグラファーの横山優美子さんにお願いしました!

 

 

カンカンカーンとはじまりの鐘

キンキラの本堂でお経を唱え、

久しぶりの初参式に気合入っているごえんさんに向かって、「ツルピカやね」という娘達。(失礼!🤣)
「あんたらのためにキレイに剃ってくださったのよ!ツルピカにしてくださったのよ!」という母。(めっちゃ失礼😂)

お焼香をし、

お歌を歌い、

お土産をいただきました❤️

難しいことはなーんにもなく、
全部住職が指示してくださいます。
お経もあげるし、歌も歌うんですけど、なんとなーくでなんとかなります。(たぶん)

そして我が家、ひと家族貸し切りでやっていただいたので、赤ちゃんが泣いても、姉妹が喧嘩しても、私がそれを怒鳴り注意しても許されます🤣

ソーシャルディスタンスも保たれます!
(こども達も口紅塗ってもらってるし、マスクなんてしたら、えらいことになります😂)

あと、仏様は写真撮り放題です。

神社の場合、基本的に式中は写真撮れないんですよね。
七五三シーズンは境内も人が多いし、フォトスポットを探すのが大変なんです!!

その点今回は、知らない人が写り込むかもしれないと心配したのは、外で、お墓参りの方が帰られるタイミングくらいでした🤣

今回は、初参式の最中、前後と1時間程度、
いつも撮ってもらっている横山優美子さんにロケーション撮影をお願いしたんですが、

まぁ〜スムーズだこと🤣

「あ、適当にお願いします」みたいなお願いで、素晴らしい写真を撮ってくださいます。

ほら!この写真!お宮参りみたい!!

産着、持っていったけど、どうやってかけるんだったかしら?もうなくてもいいかな〜なんて思っていたら、しっかりとかけてくださいました!!
写真撮影のみならず、スタイリストまで!

素晴らしい‼️
こういう写真ってなかなか残せないのですよ〜
わーいわーい!住職もご一緒してもらったぁ〜😆

あとはお土産もご紹介しますね!

不二家のお菓子と〜
ん?ん?レトロなこれは??

初参式用の記念アルバムですって!

親からこどもにメッセージを書くページなんかもありましたよ!
写真入れたらちゃんと書こうかな☺️

小雨がパラつくも、なんとかお天気ももって、とても良い思い出ができました☺️

子ども達のお支度をお願いさせてもらった南川早苗さん、
写真を撮ってくださった横山優美子さん、
初参式をしてくださった走井山善西寺住職、
お手伝いいただいたおくりさん、長男くん、
着物の肩揚げなど準備を手伝ってくださったお義母さん、

ありがとうございました!!

 

 

初参式のお願いは善西寺のページ

 

ロケーション撮影のお願いは横山優美子さんのぺージ

 

度会県×OTONAMIE「おんらいん♨︎さろん」はじまるよっ!コロナ禍でもつながって、度会県で度々会おぅー!

皆さま、「度会県」を知っていますか?

現在、私たちが暮らす三重県は「安濃津県」と「度会県」が合併してできました。

「度会県」は明治4年(1871年)の廃藩置県に伴って、現在の三重県南部に誕生。明治9年(1876年)に「三重県」(安濃津県)と統合されるまでの約5年間だけ存在した幻の県。

当時の度会県に当たる伊勢市以南の三重県南部には伊勢神宮をはじめ、熊野古道などの歴史的資源があり、自然豊かな海や山が残る「日本人の心の古里」とも呼ばれています。
その反面、進学や就職などで地域外に転出してしまう若者が多く、人口減少、高齢化により地域づくりの担い手不足の問題に直面しています。

「度会県地域の魅力をもっと多くの人に知ってもらいたい」「これからの地域づくりに参加してもらいたい」との思いで、140年もの時空を超えて、三重県が平成30年に「度会県民プロジェクト」としてWEBバーチャルの世界に復活させました。
地域との関わり方は人それぞれ。度会県に関わりのある人、これから関わってみたい人が度会県民として1300人以上が県民登録し、地域と様々な取り組みを行ってきました。

▼取り組みの詳細は度会県のホームページをご覧ください。
https://wataraiken.com/

しかしコロナ禍の今年は、なかなかリアルな場での交流が難しくなりました。 そこでオンラインを活用した、新しい活動の場として、この度「度会県民オンラインサロン」が開設されることになりました。

たくさんの人々の協力のもと、三重県内のふざけた情報から真面目な情報までを発信してきた(自称)地域創生メディアOTONAMIEとして、「度会県」の更なる魅力を知ってもらうために「度会県プロジェクト」と連携しオンラインサロンの運営に参加させていただくことになりました。

その名も「度会県 × OTONAMIE おんらいん♨︎さろん」。。。

OTONAMIEも開設してはや6年。これまで培ったありとあらゆるコネを駆使し、度会県地域で活躍する地域イノベーターを中心にゲストとしてお招きし、トークイベントやワークショップの開催を予定しています。
地域の魅力は勿論、暮らし方や働き方、これからの地域の可能性をみんなで考え、交流できる場所になればと考えます。

オンラインサロンは全8回。
トークイベント4回と、ワークショップ2回×2です。
では、ゲストをご紹介!

 

第1回 トークイベント
日時決定!2020.10.27
「漁業界の風雲児」浅尾大輔さん(孝志丸)

テーマ:漁村をバズらせる
先進的漁業者。大阪から漁村に移住したらかこそ見えた可能性に突き進み、牡蠣小屋やあかもくの商品開発など新たな展開を行う。最近では静岡から移住して民泊施設を行う若手移住者と組み、漁村のテーマパーク化に取り組んでいる。「客がこなければオレらがオモロないということ」という浅尾氏にオモロい地域づくりについてお話いただきます。

浅尾さんに関する記事はこちら

 


 

第2回 ワークショップ前編(日時未定)
「遊ぶように働くデザイナー」坂本大祐さん(オフィスキャンプ東吉野)

テーマ:「地域と人を変える場づくり」前編!
東吉野村で古民家をスタイリッシュに改装してコワーキングスペース「オフィスキャンプ東吉野」を立ち上げ、移住者は2年で20人を超える。坂本さんはその中心的人物で奈良を代表する地域イノベーター。実は次回のワークショップ後編の舞台となる鳥羽市のコワーキングスペースKUBOKURIの立ち上げに関わるなど、三重との繋がりがあります。場があると地域や人はどのように変わっていくのかなど実例を交えお話いただきます。

坂本さんに関する記事はこちら

オフィスキャンプ東吉野のホームページはこちら

 


 

第3回 ワークショップ後編(日時未定)
「昭和な鳥羽の台所」鳥羽なかまち

テーマ:「地域と人を変える場づくり」後編!
コワーキングスペース「KUBOKURI」という場ができたことで、展開が進む鳥羽なかまち。理容院をリノベーションして新たな事業をはじめた元鳥羽市地域おこし協力隊の佐藤さんに事例を交えお話いただきます。
鳥羽なかまちにある他の空き家で何ができるのか?「イケてる空き家で移住妄想ワークショップ」を行います。

鳥羽なかまちに関する記事はこちら

鳥羽なかまちのホームページはこちら

 


 

第4回 トークイベント(日時未定)
「河崎のまちづくりディレクター」はしもとゆきさん(中谷武司協会)

テーマ:伊勢のアートなまちづくりプロデュース
伊勢に因んだサトナカクッキーなどオシャレなプロダクトを伊勢市河崎のショップで販売。またショップの近くでは、外国人客を中心としたアート感の強い民泊施設も運営されている。伊勢河崎のまちづくりを行ってきた一人として、どのような実感や可能性があるのか、また農業にも取り組む暮らしへの想いについてお話いただきます。

はしもとさんに関する記事はこちら

中谷武司協会のホームページはこちら

 


 

第5回 トークイベント(日時未定)
「尾鷲のニュースメーカー」伊東将司さん(夢古道おわせ支配人)

「地域資源の料理人」東城さん(ディーグリーン)

テーマ:たのしい港町のつくり方
全国的にも有名な地域プレイヤーの伊東さん。過去に度会県民参加型プロジェクト「九鬼かいぞく学校」を主催した豊田宙也さんも、この人に魅力を感じ移住をした。たのしいまちづくりを事例を交えながらお話いただきます。
モグックなどで地域の産品を商品化し、ブランディングやネット販売を行うディーグリーンの城さん。地域に埋もれている資源を活用すると、どのような商品ができ、人手不足で悩む地域はどう変われるのかなどを語っていただく。

伊東さんに関する記事はこちら

夢古道おわせのホームページはこちら

東さんに関する記事はこちら

ディーグリーンのホームページはこちら

豊田宙也さんと「九鬼かいぞく学校」の記事はこちら

 


 

第6回 ワークショップ前編(日時未定)
「世界目線のぶっ飛び漁師」橋本純さん(友栄水産)

「これが本当の海好き女子」田中りみさん(株式会社ゲイト)

テーマ:「みらいの漁村」前編!
橋本さんはヨーロッパ、ハワイなどで暮らし、南伊勢にUターンして家業の漁師兼水産会社を経営。10年以上前から始めた漁師体験には海外からも客が訪れる。最近では漁村ワーケーションも企画中。コロナ禍で行き場を無くした養殖真鯛をネットで一匹まるごと販売する5670(コロナゼロ)プロジェクトを成功させるなどメディアや各方面から注目されている。インターンも積極的に受け入れている。
田中りみさんは熊野で女性漁師として活躍。漁師を志した理由や実際になってみて感じている可能性などのお話をいただきます。

橋本さんに関する記事はこちら

友栄水産のホームページはこちら

田中さんに関する記事はこちら

 


 

第7回 ワークショップ後編(日時未定)
「世界目線のぶっ飛び漁師」橋本純さん(友栄水産)

テーマ:「みらいの漁村」後編!
橋本さんが暮らす南伊勢町の漁村「阿曽浦」には、湾内に小さな真珠の加工小屋や点在していて、カラフルで小屋がある湾は所謂「映える」風景です。しかし高齢化などで実際に使われなくなった小屋も多くあり、そのような小屋をサンプルに「船でいく週末カフェにリノベション!」など、皆さんで自由にアイデアを発想して発表できるWSを開催予定。例えば「船で行くカフェ」ができると、小さな漁村のみらいはどのように変わるのかなど、自由な発想で意見交換していただきます。

阿曽浦の小屋についての記事はこちら

友栄水産のホームページはこちら

 


 

第8回 トークイベント(日時未定)
「里山を愛するアクティブ女子」西口まみさん

テーマ:たのしい里山に増えた関係人口
清流宮川や大台ヶ原など、山や川という自然の資源に恵まれている大台町。体験型アクティビティーやゲストハウス、空き屋のオシャレな利活用などで関係人口や移住者も増加傾向にある。タレント活動を行う傍ら、山好きが高じて山好きが高じて大台に関わるようになった西口さんに地方創生や観光に携わる経験を通じて、関係人口として楽しむコツや魅力をお話いただきます。

西口さんに関する記事はこちら

奥伊勢テラスのホームページはこちら

 


 

そしてこのオンラインサロンの司会・ファシリテータを務めるのは、
「ミスターOTONAMIE」村山祐介(代表)OTONAMIEの裏番」福田ミキ(副代表)

三重県に関する知識やリレーションをもつこの二人が、この9名のゲストとどんな本音トークを繰り広げるのかも期待できます。

コロナ禍だからこそオンラインでみんなが繋がり、地域の為に今できること、離れててもできることをみんなで考え、新しい地域づくりのカタチを創造できればと思います。

ぜひこの機会に、三重県南勢地域で実際に活躍する人々と交流し、三重県南部地域への思いを深めてみませんか?

 

お申込み(無料)はこちらから

▼facebookイベントページ

https://www.facebook.com/otonamie/events

 

 


 

度会県公式サイト:https://wataraiken.com/

度会県公式Facebook:https://www.facebook.com/wataraiken

OTONAMIE公式Facebook:https://www.facebook.com/otonamie

オンラインサロンのゲストや内容は、都合により変更する場合がございます。
開催日等の詳細は「OTONAMIE」「度会県」の公式HP及びSNSにてお知らせ致します。
開催はオンラインツールZOOMを使用致します。

 

「祈り」をテーマに字を書く人・伊藤潤一のこれまでとこれから。

ことごとくライブやイベントが中止になっている今年。

芸術の秋、みなさま音楽やアートに飢えてませんか?

 

今日は三重県の端っこで、三密を避けて開催されている書の個展を紹介します。

期間は11月8日(日)まで。

 

書家・アーティスト 伊藤潤一

わかりやすくするためにそう名乗ってはいるが、職業なんですか?と聞かれると「筆と墨を使って字を書いてます」本人はそう答えるそうだ。

2016年に一度OTONAMIEの記事になっているので、見たことある人もいるかもしれません。→https://otonamie.jp/?p=21567

なぜ書を始めたのか、書への思いなどを知りたい方は、彼のホームページをじっくりご覧いただくとして。→https://itojunichi.com

ホームページ内の経歴を見ると海外での様々な活躍が並ぶ中、前回のオトナミエの取材後2017年頃から「〇〇神社 作品奉納」などそれまでと明らかに活動のフィールドに変化が見られます。

なぜそうなったのか、また今回の個展への想いなども聞いてきました。

 

 

去年の10月、彼は伊勢の外宮参道にて個展「祈り」を開催。

2019年10月、伊勢市外宮参道ギャラリーにて。

終了後、彼のおばあちゃんがその個展を見てみたかった。と言っていた事を知ります。

紀北町に住む高齢のおばあちゃんにとって、伊勢までの道のりは少し遠かったのだろう。

その直後に熊野古道センターから、来年個展やりませんか?のオファー。

紀北町から尾鷲市までは車で30分程度、この機会を逃さない手はありません。

 

2020年になり新型コロナウイルスが猛威をふるい、予定していた全国各地でのイベントや「祈りの旅」は延期や中止せざる得ない状況に。

熊野古道センターでの個展も直前まで開催決定しないまま・・しかし、自分の中では心の準備を整えていたと言います。

 

こちらは今年4月、コロナウイルス鎮静祈願祭にて書かれた作品。

個展開催が正式決定したのはなんと開始の約1ヶ月前。

そこから作品制作と会場内で流す映像や音楽、チラシ、打ち合わせ・・・いろんな人を巻き込み急ピッチでの準備が始まりました。

 

 

8月中旬のまだ暑い日。熊野古道・馬越峠。

鼻歌を歌いながら歩くには少々難しい山道を登り、辿りついたそこは、爽やかな空気と流れる川の音がとても気持ちいい場所。

スタッフと和やかに談笑しながらのぼり始める、はじめはみんな笑顔。

 

その土地に流れる空気や自然の豊かさを感じ、流れる川の水で墨をすり、祈りを捧げる。

集中力を高め、一気に筆を振りおろす。

その瞬間、彼は無になり新たな作品が産声をあげる。

 

この時に書いた文字は「祈」と「道」

「人と道 ここで ここに ここから生き続ける「道」の文化を伝えたい」という熊野古道センターのコンセプトにからこの2文字に決めていたそう。

その時の空気感、作品が出来上がる過程、温度感を伝えたいと、会場内にはこの日の映像が流れ、川の音も再現されている。

 

ミッション完了!

 

 

時は少し遡り、2016年9月有松ミチアカリというイベントでパフォーマンスした時のこと。

「夢」という一文字を書いたところまでは覚えている、その後もう一文字を書いた時の記憶はない。

しかし、その時に彼の中に降りてきたコンセプトがある。

 

「その土地の歴史や文化と結びつく事で作品が生み出される。」

 

「長い歴史と伊藤潤一の歴史の接点を墨が結びつけてくれる。」

 

「神事(しんじ)」とも言うべき、自分の役割が明確になった瞬間。

 

転機が訪れた作品。同じ「夢」という字でも印象はここまで変わる。

 

それまでは美しいものが創りたくて、ひたすら書き込み書きこみ、集中の境地に辿り着いた時に書き上がったものを作品として完成させていた。

鍛錬ともいうべき書の道。

しかし、その有松でのパフォーマンス以後は、その土地の自然や空気に触れ、その地に流れる水を使い、歴史と繋がる一瞬に集中力を極限まで高めて一発で書く。

それは、まさに書の道からの脱却。

でもそれこそが、自分にしかできない役割だと感じた。という。

 

今回の個展に飾られているものは、書の展示会では異例ともいうべき一発で書かれたものばかり。

作品の空気感をぜひ生で感じてほしい。

 

こちらは雨が降ると龍が姿を表すと言われる「姿見池」にて奉納した作品。

 

 

そんな話を聞きながら、私は素朴な疑問をいくつかぶつけてみることにした。

−−伊藤潤一にとってパフォーマンスと作品展の違いは?

神社仏閣・自然の中でのパフォーマンスはその場所に観客がいたとしても観客を意識していない。よく見せようとした時点で負け。

パフォーマンスの時の対象は人ではなく、神様や自然、その場所に失礼がないように書くだけ。

逆に個展は来てくれた人に喜んでもらいたい。が1番にある。

だからみっちり図面を書いて会場演出を考えBGMにもこだわる。書く人から離れてプロデューサー的目線でその作品が一番ふさわしい場所に配置したりもする。

 

聞きながら気づいたことがある。

書家としての伊藤潤一にもプロデューサーとしての伊藤潤一にも共通して、よく見られたいという「欲」がない。

ありのまま。

映像や写真にパフォーマンスを残す中で、

カメラマンに「あるタイミングから、目が変わるよね」と言われる。

また、別の人にはこう言われたこともあるという。

「潤くんが書く前に集中力を高めだすと周りの空気が変わる。書き始めると、息が苦しくなるようなピンと張り詰めた空気になり、終了間近、落款が紙から離れると ふわっ とまた空気が軽くなる。」

この瞬間、空気の流れが変わる。

 

続いて、ちょっと聞きにくいオカネの話もぶつけてみた。

−−伊藤潤一の個展を入場料無料で開催する理由は?

(今まで伊賀、有松、伊勢での個展、そして今回も全て入場無料で開催。)

単純に、今はたくさんの人にみてほしいから。かな。

入場料をfreeにすることで、作品に価値を感じていない人もいっぱいくるかもしれんし、今までも「入場料、ちゃんととったほうがいいよ」ってたくさんの人に言われた。

でもその100円や500円を払えない人も、払いたくない人もおるかもしれん。

そうすると、こちらが作品を見られる人を選んでしまう事になる。それが嫌で・・。

会場に来て、初めて作品に価値を見出してくれたり、書道のおもしろさに気づく人もおるかもしれん。

お金という価値観で自分の世界から誰かを排除したくないし、お金がないと何かができないというのは嫌。

世の中は大きくて難しいことも多くて、1人で簡単に変える事はできやんけど、せめて自分の周りだけはNO BORDER がいい。

 

今はそう思っているそう。

そこには彼自身が書道を始めるきっかけとなった出逢いや、ストリート時代に触れた人の温かさ、東日本大震災の後、東北の地で出逢った人々と過ごしたの経験から感じるようになったのだという。

 

−−最後に、これから会場に来る人にメッセージなどありますか?

活動のテーマが「祈り」なので、ぜひ会場でそれを感じてほしい。

今までは伝えたいことが多くて言葉や文章をたくさん綴る作品もあったけど、今のスタイルになってからは漢字一文字が多い。

それは言葉や文章で伝えることは簡単やけど、それだけでは足りなかったり、変に安っぽくなってしまう時もあるから。

作品にする漢字一文字というは、一見その場所と関係ないかもしれない。

けど、その一文字と土地の歴史と伊藤潤一が繋がることで生まれるメッセージがある。

そんな作品の背景にあるメッセージを、ぜひあなた自身で感じてほしいと思う。

 

期間中、在廊日は未定。 もしかしたら、本人後ろにいるかもしれません。笑

 

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伊藤潤一書作展

2020年9月12日(土)〜11月8日(日)

午前10時〜午後5時 会期中無休

三重県立熊野古道センター

三重県尾鷲市向井12−4

※会場へお越しのお客様はマスクの着用にご協力ください。

 

 

松阪市飯高町 「珍布峠ウォーキングコース」大きく息を吸い込んで、エネルギーを満タンに

海も、川も、山もある。
県外から移住した私は、それが三重県の誇りだと思っている。

6月中旬、私はとっても疲れていた。
くだんの疫病による自粛が解けて、もっと解放感で満たされるかと思ったのに、やってきたのはとてつもない疲労感だった。
自粛生活ですっかりスローライフに慣れてしまった身体は、簡単にせわしない暮らしに戻ることができない。
久しぶりの早起きも、子どもの送り出しも、習い事の送迎も、何もかもが慌ただしくて、身も心も疲れ果てていた。

そんななか、お誘いを頂いたのが、飯高地域、香肌峡にある珍布峠(めずらしとうげ)のウォーキングだった。

まだまだ、人混みを避けたい状況が続く中、閉塞感はつきまとう。

大きな場所に出て、深呼吸できたらどんなに気持ちが晴れるだろう。
期待で胸が高鳴った。

 

道の駅「飯高駅」

松阪市の山間部、飯高町。現在の松阪市飯高町。

見渡す限り茶畑の緑が目に眩しく、思わずため息がこぼれる。
三重県が、お茶の一大産地だということは、全国的にはあまり知られていない。
車を路肩に停めてもらって、茶畑を見上げると、全身の緊張が緩んでいくような気がした。

茶畑を眺めながら国道166号線をすすんでいくと、見えてくるのは、道の駅「飯高駅」。
のんびりとした山間の町に、ひょっこり現れる。

野菜の直売所、たい焼き屋さん、パン屋さん、公園、温泉まである。充実。

こちらのテナントに入っている、八十八屋さんで出発の前に、おにぎりを買うことに。

 

八十八屋というおにぎりやさん

 

今回の目的は、和歌山街道のウォーキングコース。
運動不足の主婦ライターが歩くので、腹ごしらえは念入りにしたいところ。
遠足にはおにぎりと相場が決まっているのだもの。

ひとつ残らず、おいしそうで選べない。

有限会社 長井米生活農場の長井昭社長

どれにしようか悩んでいたら、ちょうど八十八屋の長井社長が来られたので、おにぎりについて、お話を聞いてみることに。

「最初は農家やで、お米を売ろうかな、と思ってたんやけど、周りから『せっかくやから食べてもらったらどうか』と言われて。ほんならおにぎりやな、と思って」

丹精込めて作ったお米を、おいしく食べてほしい、そんな思いが顔を出して、こだわりのおにぎりが生まれた。
おにぎりに使うお米は、長井さんの田んぼで獲れた約10種類のお米をブレンドして炊いている。

「単品種はお米の癖が出過ぎる。お茶碗によそって食べるんやったらいいんやけど、おにぎりはブレンドがいちばん」

とっとき焼きねぎ地みそ、と、松阪牛しぐれをチョイス

とっとき味噌というのは、飯高の特産品。
おにぎりに使われるとっとき味噌は、長井さんの田んぼで獲れたお米を使って作られている、というこだわり。

松阪牛しぐれも、松阪牛の元祖である飯南(飯高町の隣町)の牛をふんだんに使って炊き上げているのだとか。

「お時間はいただくけど、注文を受けてから手で握ります。これはこだわり!」

いずれは包みを紙製にしたいと考えている。長井さんの挑戦は続く。

こだわりのおにぎりを、隣接する芝生広場でいただく。

とっとき味噌は、ピリ辛でおにぎりにぴったりだ。牛しぐれは、お肉の存在感がしっかりとあって贅沢だった。言わずもがな、お米はとってもおいしかった。
お腹の底から、めきめき元気が湧いてくる。

いざ、ハイキングコースの珍布峠(めずらしとうげ)を目指す。

 

暮らしをみる

昔はパン工場だった「トミヤパン」さん。のどかな景色にしっくりなじんでいる

道の駅から山側の道に入ると、レトロなロゴがかわいい「トミヤパン」。
ここを左に。

ぶどうの木がある民家
えんとつみっけ

これなんて言うんだろう。昔のインターフォンかな。

静かな住宅の間をまっすぐ進むと、ウォーキングコースにつながっている。

場所が変われば暮らしが変わる、暮らしが変われば景色が変わる。
その場所、その場所の営みを見るのが好きだ。

「珍布峠(めずらしとうげ)に行くんですか?」と声をかけてくれたおばあちゃん。
じゃがいもを収穫していた。
「写真を撮ってもいいですか?」と尋ねると、「こんなじゃがいも撮ってどうするの?」と照れくさそうに笑った。
「一輪車の青がとってもきれいだから」と話すと、また笑っていた。

「行ってらっしゃい」
柔らかな声を背中にかけてもらって、どんどん先へ進む。

 

いざ、ウォーキングコース

車はほとんど通らないので、安心して歩くことができる。

聞こえるのは、鳥の声と、葉っぱがこすれる音だけ。

ウォーキングコースに入ると、人家がなくなった。
視界に入るほとんどが、緑。

見上げると、木漏れ日がきれい

湿度が高く、空気がしっとりとしているのだけれど、いやな感じがひとつもない。
むしろ、水分を含んだ風がやさしく身体を包むようで心地いい。

この日は夏日だったにもかかわらず、不快感はちっともなかった。
冷たいミストの中を歩いているような、清々しささえあった。

360度、全部がフォトジェニック。
右を見ても、左を見ても、上も下も全部が絵画みたいだった。
瞼に焼き付けたくなるような瞬間が、毎分毎秒訪れるので、カメラを持参するのがおすすめ。

杉林の中の一本道をどんどん進む。
ただただ静かで、静けさの中に時おり鳥の声が響く。鳥の声が過ぎるとまた静けさが訪れる。足元カサカサと音を立てたトカゲがほんの一瞬尻尾を見せて、枯葉の奥へと埋もれていった。

使い古された言葉だけれど、「自然の造形美」ってこういうことを言うのだ、と思った。コンクリートにびっしりと鮮やかな苔が生えていた。思わず触れてみたくなって手を添えると、手のひらにひんやりと冷気が伝わってくる。

 

珍布峠(めずらしとうげ)に足を踏み入れる

その昔、天照大神(あまてらすおおみかみ)と天児屋根命(あまのこやねのみこと)が、ここで出会ったとされている。
江戸時代には、伊勢神宮への参詣道としても使われた道だとか。

切り立った岩が猛々しい。少し畏怖(いふ)を感じて、ひるんでしまう。

珍布峠(めずらしとうげ)

ところが、一歩足を踏み入れると、その印象はがらりと変わった。
岩と岩に挟まれたその場所は、さっきよりさらに深い静けさをたたえて、静謐(せいひつ)で柔らかな空気がすうっと抜けていく。

岩肌に触れると、その見た目の荒々しさとは裏腹に、しっとりと手のひらが吸い付くようだった。

外側から見た雄々しい雰囲気とは違う、穏やかで包み込むような場所がそこにあった。

「何時間でも居られそう」

思わず口に出た。

 

櫛田川の上流

珍布峠(めずらしとうげ)に後ろ髪をひかれながら先へ進む。
お地蔵さんにご挨拶をして、二股に分かれた道を左へ。

舗装がなくなって獣道になっていく。
道幅がどんどん狭くなって、雑草だらけになったあたりで「道を間違えたのかもしれない」と本気で思った瞬間。まるで見透かされていたみたいに、景色が拓けた。

突然視界が明るくなったと思ったら、楽園かと思うような景色が広がっていて、思わず立ちすくむ。

櫛田川の上流だ。水の色が青い。
川のない町で育ったせいか、大きな川を見るといつも圧倒されてしまう。
緑の中を割くように流れる櫛田川の青がとってもきれい。

櫛田川を右手に臨みながら、復路につく。

親切な案内板があちこちにあるので安心。ショートコースをチョイス。

一級河川、清流櫛田川をお供にさらにてくてく。
櫛田川に見惚れながら歩いた。
ずっとおなじ川を見ていても飽きることがないのはなぜなんだろう。

まるで、おいしい水を飲んだみたいに

道の駅に戻って、ひと息ついて、飯高名物の「でんがら」というお菓子を頂いた。もっちりとした皮に、やさしい甘さのあんこが入っている。

ベンチに腰掛けて、でんがらをひとくち。
「ああ、疲れた」と、思わず口に出しそうになって、気がついた。
疲れていない。なんだか、すごく元気だ。

6月に入ってから、ずっと身体も頭も重たくて、息苦しかった。
疲れた体を引きずって、家事に仕事に息切れするような日々だった。
なのに、2時間歩いたあとの身体は、すっきりと軽く、頭の中も振ればカラカラと音が鳴るんじゃないかと思うほどさっぱりしていた。昨日まで、頭の中にぎゅうぎゅうに詰まっていると思っていたものは、なんだったんだろう。

おいしいおにぎりと、珍布峠(めずらしとうげ)、大きな櫛田川と、その周りに息づく人々の小さな暮らし。この日触れたすべてが、身体の真ん中を通って余計なものを洗い流してくれたみたいだった。

自分に足りないのは休息だと信じて疑わなかったけれど、思いもよらないかたちでエネルギーを取り戻せることを知った。

気を緩めることが難しいこの頃。
ほっとひと息つくのも、たっぷり寝るのももちろんいいけれど、大きな場所に出て、深呼吸してみるのもいいかもしれない。
枯れた体に水をもらうような、すくすくとした元気をきっともらえるから。

 


 

ウォーキングコースには車もなく、道も歩きやすいので小学校低学年くらいから一緒に歩けそうでした。
近隣には、キャンプ場や宿泊施設もあるので、家族レジャーにもぴったり!
以下、飯南地域振興局の情報サイトより。
https://kahadakyo.com

 

つつじの里 荒滝キャンプ場
(本館での宿泊のほかに、コテージやテント泊も選べます)

所在地:三重県松阪市飯高町赤桶 1076-3
電話:0598-46-0166
HP:http://www.ma.mctv.ne.jp/~arataki/

 

わんわんパラダイス 森のホテルスメール
(わんちゃんと一緒に泊まれるホテルです。ドッグランもあります)

所在地:三重県松阪市飯高町森 2296-1
電話:0598-45-0003
HP:https://www.wanpara.jp/matsusaka/

 

グリーンライフ山林舎
(魚のつかみ取りや、陶芸教室や木工教室など、様々なアクティビティが楽しめます)

所在地:三重県松阪市飯高町波瀬 811
電話:0598-47-0326
HP:https://greenlife-sanrinsha.com/shukuhaku.htm

 

リバーサイド茶倉
(清流櫛田川沿いの宿泊施設。コテージ、バンガローキャンプサイトなどお好きな宿泊を選べます。)

所在地:三重県松阪市飯南町粥見 1084-1
電話:0598-32-3223
HP: https://chakra-village.jp/

 

高光館 ( こうみつかん )
(料理が自慢の、昔ながらの旅館です。鮎、猪肉料理が人気)

所在地:三重県松阪市飯南町粥見 3761-3
電話:0598-32-2240

 

i sierra(アイシエラ)
(清流櫛田川での、初心者ファミリー向けのカヌー体験です)
定 員:2名~8名、毎回一組限定
場 所:開始10分前に道の駅「飯高駅」に集合
三重県松阪市飯高町宮前177
料 金:6,800円/おひとり様 小学生4,800円
幼児(要、保護者と同乗)2,000円
連絡先:080‐3630‐4396
URL:http://i-sierra.com/

飯南地域振興局hp https://kahadakyo.com

 


 

【タイアップ】
松阪市 観光交流課
松阪市殿町1340番地1
tel 0598-53-4196
松阪市hp https://www.city.matsusaka.mie.jp
松阪市観光hp https://www.city.matsusaka.mie.jp/site/kanko/
松阪市観光インフォメーションサイト https://matsusaka-info.jp/

 

「複式学級」という答えにたどり着いた日

 

松阪市西部に位置する香肌峡は、道沿いをエメラルドグリーンの櫛田川が流れ、香肌峡県立自然公園にも指定されており、神秘的な山々や渓谷の秘境巡りも魅力のひとつです。

奈良県境の近く、山々に囲まれた飯高町波瀬地区は、県の重要文化財に指定されている「泰運寺の八角銅鐘」や、一人の陶芸家が35年かけて制作した「虹の泉」があります。

泰運寺の八角銅鐘
虹の泉

飯高町の山深い場所というのはもちろんですが、人がとても魅力的で、包容力というのか、受容性というのか、「何かが違う」と、隣町に住む私は、その魅力に惹かれてきました。

現在は休校中の波瀬小学校

先日、現在は休校となっている波瀬小学校で、ワンデイカフェという心おどるイベントがあったので行ってみました。波瀬小学校の中に入るのが初めてだったので、ワクワクしながら中へ。

素敵すぎる!注文を済ませ、出来上がるのを待っている間に、校内散策。

スペインのバスク地方をイメージした造りなのだそう
地元の杉・桧がふんだんに使用されている。
楽器も残されたまま。
図書館で本を読んで待つ。
まっすぐな木の廊下。つい走りたくなる。

複式学級であった為、校内はとてもコンパクト。「考える子、働く子、やさしい子、丈夫な子」が教育モットーだったそう。

この地の人々の魅力。もしかすると、2つ以上の学年をひとつの学級に編成した「複式学級」で学んだというのも関係があるのでしょうか。上級生は下級生を思いやり助ける責任感を、下級生は上級生らが学ぶものや学ぶ姿勢を吸収し、それぞれが自主性をもって学校生活を送っていたのだろうと、そんな光景が目に浮かびます。

校内散策し、そんなことを思っているうち、注文したものが出来上がり、テイクアウトをして岐路につきました。

自宅で、波瀬のきれいな水で育ったクレソンがたっぷり入ったピタパンと、チーズが濃厚でもちもちがたまらないポンデケージョをほおばりました。

おいしくて楽しくて、なんだか答えのひとつらしきものまで見つかったワンデイカフェ、次の開催も検討中だそうです。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

牛飼い人生71年。松阪牛の神様と呼ばれる88歳のレジェンドを訪ねた。

当時の給与は1日50円。自分には車がないもんで牛一頭か二頭ひいて、県の庁舎のはたにぽつんとあった屠殺場まで歩いて行ったんです。5時間半かかってな

柔らかな風、鳥の声、緑の香り、空気の味。

ここは松阪牛発祥の地といわれている松阪市飯南町深野。

私は17歳から牛飼いをしている88歳の栃木治郎さんを訪ねた。

 

71年間松阪牛を育て続けるレジェンド

牛舎らしき小屋をのぞき込むと、栃木さんが笑顔で迎えてくれた。地元では「松阪牛の神様」と呼ばれる肥育界のレジェンドである。

凛とした背中には、匠の誇りが感じられる。

その後ろから、にゅっと顔を出す牛たち。

好奇心が強く客が来ると喜んで挨拶するのが日常らしい。

牛舎は清潔感に溢れ、匂いもほぼない。むしろちょっと香る藁の匂いが懐かしい。

松阪牛の発祥の地である深野は標高約250m。さらっと乾燥した気候風土で、澄んだ空気と美味しい水に恵まれ、牛を育てるには最適な場所とされている。

かつて牛は農耕用(役牛)として飼われており、肉食の習慣が始まったのは明治に入ってから。

明治中期になると、廃用牛を用いた牛鍋やすき焼などの肉食が一般にも広がりはじめ、政府も食肉生産を振興。また輸入穀物が家畜飼料に使用されるようになったと共に耕運機の普及も始まり、牛肉消費は拡大。肥育に取り組む農家が増えていったという歴史がある。

今回は「特産松阪牛」にこだわり続けた肥育歴71年のレジェンド栃木さんに、牛飼い人生についてうかがった。

 

初めて食べた牛肉の記憶

時代は遡って第二次世界大戦後の昭和24年。

17歳だった栃木さんは同じ地区に住む家畜商の田上さん宅に奉公に出ることになった。牛が大好きで一生懸命に働いた。公務員の初月給が約4000円、米60㎏が初任給以上の価格だった時代である。

栃木さん:「昭和24年までは肉は食うたことなかったし知らんわな。田上さんとこにおいてもろて初めて肉よばれたけどさ、それまでは田舎の人らはうさぎとか鳥、猪以外はない。牛肉100%食うたことある家はほぼなかったやろな」

――人生で初めて牛肉を食べた時のこと憶えていますか?

栃木さん:「もちろん。そりゃもう美味しいわな(笑)。仕入れ先に行った時、”兄ちゃんようきてくれたな”って鍋で肉を炊いたのよばれて…。ありゃぁ美味しかったな…。当時はステーキや網焼きみたいなのはなかったで、すき焼きな。ホルモン屋は終戦後、駅裏で、コンロで、ええ匂いしとったな。あの匂いはいいな」

カカカッと思い出し笑いをしながら話す様子から、脳裏に焼き付いた美味しさが伝わってきた。

 

松阪牛全体の約4%。希少な特産松阪牛

松阪地方では、昔から役牛として小柄だが力持ちな但馬(兵庫県)生まれで、紀州(和歌山県)育ちの雌牛を導入していた。そしてその役牛を肉質の優れた松阪牛にする肥育技術が培われていた。

松阪牛の定義は、黒毛和種、未経産の雌牛で、松阪牛個体識別管理システムに登録され、生後12ヵ月齢までに松阪牛生産区域で肥育を開始し、肥育期間が最長・最終であること。

更に栃木さんがこだわって育てるのは、松阪牛全体の約4%しか存在しない特産松阪牛。

松阪牛の中でも生後約8ヶ月の選び抜いた兵庫県産の子牛を導入し、松阪牛生産区域で900日以上肥育した牛のことである。

栃木さんが牛飼いになった当時、育て上げた牛を1~2頭ひき、5時間半歩いて市場まで連れて行っていた。道中は砂利道で牛の爪が傷んでしまうため、足には手作りの草鞋を履かせていた。靴などはなかった時代だ。市場で牛が売れなかった場合はまた連れて5時間半の道を引き返す。売れた時には電車に乗って帰ることができた。

秘密のお愉しみについてもこっそり教えてくださった。

栃木さん:「あの頃、市場の横にはびっくりうどんっていうのがあって、大きな丼で1杯40円でしたわ。日給50円だったのにな。それを1杯食べて、今度は甘党の店寄ってぜんざい食べて、それから時代劇専門の映画館松阪劇場へ行って観て帰ってきよった。帰りは松阪駅の近くのガソリンスタンドでトラックきますやん。呼び止めて乗しとってもらってな。うち帰ってくると夕方やろ、親方は怒るわけや、何しとたんや!って。やけども親方に電車55円だったてもろて、そんな楽しみもあったん(笑)もう昔と今の生活は全然違うでな」

昭和28年に入り、奉公先で買ってもらったのがマツダの自動三輪。雨が降ったら牛に合羽を着せて移動した。4年後にはトヨタの自動車へと切り替わった。田上さんのところで15年間お世話になった末、昭和38年、栃木さんは32歳で家畜家として独立することになる。

 

肉の美味しさはとにかく脂の質の良さ

過去3度にわたり牛の品評会「松阪肉牛共進会」で最高賞を獲得し、他の肥育農家にとっても生き字引的存在である栃木さん。

過去70年間にわたって最高賞を獲得した生産者名と落札価格をすらすらと書き出す栃木さん。すごい記憶力!

当時は牛は家族の一員として家の中で暮らし、カマドで炊いた藁や麦などの煮えたものを与えていた。牛は臆病で気が小さい。だから優しく話しかけ静かに触る。

 

昭和38年から日記をつけ、牛の様子についても細かく記録されている。

時折ビールを飲ませて食欲を増進させたり、均一なサシをつくるために焼酎を体に吹き付けてマッサージをすることもある。牛は自分で掻くことができないため、ブラッシングやシャンプーもとても喜ぶ。ストレスを緩和して肉質を良くするのも技術のひとつ。

1頭1頭愛情をかけて世話をすることで、名前を呼ぶと嬉しそうに寄ってくるほどになつくのだそう。

牛の気持ちになって綴ったという栃木さんの作品

熟練の肥育農家が技を駆使して牛を育てる。仕入れ先も本当に良い肉しか扱わない。それが肥育農家の励みにもなり、松阪牛の質が保たれたとも仰る。

栃木さん:「肉の美味しさは柔らかさではなく、脂の質の良さ。牛の体温は38℃ありますんさ、人間の体温より高い。だけども40ヶ月以上育てた牛の38℃の脂を掌に乗せると溶けてくるんですわ。雪みたいにな。これは30ヶ月じゃ溶けてこない」

特産松阪牛は融点が低く、脂が人間の体温で溶け出すほど柔らかくしっとりしている。さしはキメが細かく、深い甘みと上品な香り、滑らかな舌触りが味わえる。つまり肉のうまみが凝縮されているのだ。

 

背中を魅せるということ

外は快晴!そこで3歳になる牛さゆりとお散歩に出ることに。

格子を開けて栃木さんが声をかけると嬉しそうに出てくる牛。

子牛の頃から触っているから、呼ぶとどこにいてもついてくるのだそう。

広がる棚田をお散歩しながら、栃木さんは牛に温かな眼差しを向ける。牛は栃木さんに身体を密着させ甘える。信頼関係が築かれているのがよくわかる。

散歩の途中、体格の良いお兄さんたちが「撫でさせてもらってもいいですか」と駆け寄ってきた。快諾する栃木さん。腰が引けた状態で手を伸ばすお兄さんたち。

栃木さん:「怖い?怖いことない。それをゆうたら人間が一番怖いわ(笑)。でも人間でもな、話したらええさな。話しをせなあかん、若い子らでもな」

人間に対しても牛に対しても大切にされているのはコミュニケーション。

丹念に愛情を注いでいる分、食肉として出荷されることをどう受け止められているのだろうか。

栃木さん:「そん時は見にいかんわな。肉になったらな、見られるけど。初めて牛を屠殺場に連れて行った時はな、3日間ごはん食べられんかったね。でも人間に食べてもらうためにな、この背中を、美味しいところを見せとるわけや。育てている人間に食べてもらうことが供養やな」

愛おしそうに牛の背中をさすりながら仰り、帰っていくお兄さんたちに「また遊びにきてな」と笑顔を向けた。

近年、食肉をめぐる情勢は大きく変化している。世界の需給変動や2001年のBSE問題、2010年の口蹄疫、そして2020年の新型コロナウイルス。今、和牛相場は急落し大打撃を受けている。

その中でも栃木さんは、毎朝5時に起きて、神様と仏様にお茶とごはんを供え、牛にご飯を食べさせて、近所の子供たちが学校へ行く姿を見送る。65歳で習ったという達筆な文字で日々の細かな出来事まで記録に残す。命に敬意を持ち、牛にも仕事にも真摯に向き合い、着実に、丁寧に暮らす。そうやって牛飼い人生を紡いできた。

栃木さん:「うちは牛のおかげで今日あるわけやで」

牛飼い人生71年。ひとつの仕事を貫き、今も牛と共に人生を歩む栃木さん。

松阪牛発祥の地で魅せられたプロ中のプロの背中。

「命を、いただきます」

 

photo / y_imura
取材日/2020.6.23


※今回取材させて頂いた栃木氏の牛舎は個人の牛舎のため一般公開はされておりません
※家畜伝染病予防法により、海外から入国される方は帰国前後1週間以内で家畜に触れることは禁じられております(https://www.maff.go.jp/aqs/hou/36.html

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思い出を辿る旅 ー三岐線に乗って聖宝寺へー

心と言動が「合っていないなあ」と感じることがある。

常にどこか我慢や無理をしているような。

そんな時はひとり旅をすると良いのだけど(だって、どこへ行くかも何をするかも、100%自分の気持ちひとつだ)、このご時世それもなかなか難しい。

じゃあ県内で日帰り旅行なんかどうだろう?

いろいろと考えていたら、「ひとり旅」とも言えないような、あることを思いついた。

 

三岐線に乗ってみよう。

 

桑名市といなべ市を結ぶ三岐鉄道北勢線は、通勤でいつも乗っている。でも、四日市市といなべ市を結ぶ三岐線のほうは久しく乗っていない。

ほんと、いつから乗っていないんだろう?

昔は父に連れられ三岐線に乗って、藤原町の聖宝寺に何度か行ったものだけど。

 

というわけで、大安駅から終点の西藤原駅までを、あの黄色い電車に乗ってみることにした。

そして、また聖宝寺に行ってみよう。

 

図書館がある駅・大安

 

窓口で「西藤原まで」

 

昔懐かしい厚紙ふうの切符に鋏を入れてもらう

 

味のある駅名板

 

あ、きたきた

 

あれ・・・?

 

黄色じゃない!!!

 

乗るのが久しぶりなだけで電車自体はよく見ていたのに、黄色じゃない車両は初めて見た。

 

ほぉ~

 

北勢線ユーザーの私にはかなり広く感じる車内(お見苦しい太ももすみません)

 

三岐線といえばコレよね、のセメント貨物列車

 

着いた~

 

待合室でお昼寝中の猫を起こしてしまった。ごめん

 

さて、ここから聖宝寺への道をまったく覚えていないのだけど、確かひたすらまっすぐ行けばよかったはず。

とはいうものの「ひたすらまっすぐ」の方向がわからないので(←方向音痴)、ここはもうGoogle頼り。

何せ昔に来た時のことで憶えているのは、

 

1.西藤原小学校の前を通った

2.長い階段を上った

3.滝があった

4.池に丸い橋があった

 

という断片的なことだけなんだから。

 

こんなに歩いたっけ・・・?とちょっと心配になるくらいには歩いて見つけた西藤原小学校(跡)

 

 

聖宝寺のふもと(?)にある鳴谷神社

 

 

狛犬ならぬ狛猿

 

で、ここから階段を・・・

 

閉まってる・・・?!

 

ここで少し個人的な話になるけれど(唐突に)、実は私の父は今、わけあって入院している。

特にここ数年の言動には困らされていて、今の私にとっての父はそのイメージのほうが強くなってしまっている。

ただ、なんというか・・・、それだけを自分の中にストックしてしまうことは父に対してフェアじゃない気もして、「そうじゃない部分」もちゃんと溜めておかないといけない気もして、そんな意味もあって思いついた今回の旅だった。はずだった。

 

階段を閉ざされた私が歩いた道は、どうやら車で来る人のための山道だったようで・・・。

 

 

 

ゼェハァゼェハァ・・・

 

でも歩く人もいるにはいるのか・・・

 

もうこの時点で、思い出に対する郷愁もオトナミエ記者としての使命感(?)も、どこかへ行ってしまっている。

まあとにかく暑いわ鼓動がバスドラみたいだわふくらはぎがパンパンだわ、でも進まなきゃしょうがないので進む。

 

そして。

 

ようやくたどり着いた鳴谷の滝

 

こんなのあったあった、の長寿水

 

聖宝寺

 

 

まるい橋

 

 

蒼いもみじも綺麗

 

ちょっと生き返った気持ちになった。

 

 

ちなみに、来た道を(またゼェハァいいながら)引き返して、「閉まってる」と思った階段をもう一度よく見てみたら、実は通れたことが判明・・・。

 

 

うそ・・・

 

300段近くあるそうで、でも私が歩いた道よりははるかに早いはずなので(泣)、皆さんはこちらからどうぞ。

私もまた改めて思い出を拾いに行こうと思います。階段で。

 

駅に戻ったらさっきの子がまた寝てた

 

 

 

本居宣長の「もののあはれ」は「エモい」に近い!?日本固有の美的理念の発見は松阪発だった。

趣のある町並みには、雨がよく似合う。
ここは江戸時代に国学を学問として興し、契沖(けいちゅう)、賀茂 真淵(かものまぶち)と合わせて三哲と呼ばれる本居 宣長(もとおりのりなが)が生まれ育った町、松阪。そして宣長は商家の生まれ。松阪といえば、江戸で松阪もめんの大ブームを起こした豪商たちが暮らした町。以上、教科書で習った内容・・。

(本居宣長記念館)

歴史に疎い私は最近まであまり宣長に興味がなく、持っている知識はその程度だった。しかしコロナ禍で時代が急変し、何かと物事を判断することが増えて迷うことも多くなった矢先、宣長が生み出した「本と末(もととすえ)」という考え方を知り、甚く感動した。
「本と末」は、本末転倒のそれで、簡単に書くと、「なぜこの問題があるのか」という迷いに対し物事に優先順位を付ける際の価値判断基準だ。

では「本」とは何か。
私は人間。日本人。生きるために食べる。これは揺らがぬ大前提なので「本」である。
好きな清涼飲料水はコーラ。これは変わる可能性があり、周囲の人にも重要なことではないので「末」。宣長は「本」の中にも「本」と「末」があると説く。
そのように必要性や重要度によって物事を格付けするので、宣長は判断に迷いがなかったという。
一人の人間として本質を追究した宣長の面影を追いながら、松阪の町並みを散策した。

 

松阪豪商のセンス

宣長が暮らしたのは松阪市魚町。宣長も商家の次男として生まれた。早くに兄を亡くした宣長は、跡継ぎになるはずだった。商売の修行を行ったが、その才能がないと判断した母は学者の道をすすめた。
宣長の母は親戚のおじさんや、実家の前にあった紀州藩御目見得医師 小泉見卓の家に相談に行き、宣長は23歳で京都に渡り医学と儒教を学ぶことになった。28歳で帰郷し開業。町医者として生計を立てながら、研究が未開発だった古事記や源氏物語の研究を行う国学者として72歳で生涯を閉じた。

そんな宣長が過ごした当時の雰囲気を感じたい。
魚町には豪商 長谷川家の旧宅(旧長谷川治郎兵衛家)があり昨年4月から一般公開をしている。館長の松本 吉弘さんにナビゲートしていただいた。

屋敷に入ると大きなお竈さん。
江戸時代、お伊勢参りの参拝者で賑わった松阪。宿から溢れ、近くの河原で野宿をする旅人に豪商たちは食事を振る舞ったそうだ。

台所と蔵を抜けると大きな飛石と、雨に濡れて映える苔。飛石には、お寺の基礎石として使われていたものもあり見応えがある。

広々とした庭園には社(やしろ)があり、夏は池に睡蓮が咲き誇り、秋には紅葉に染まる。

皇室もお招きした大正座敷広間には、松阪商人の粋を感じる匠の技。

寸分の狂いなく細い竹に木が通されている、夏仕様の簾戸(すど)。

欄間は一見すると違う色の木の組み合わせに見えるが、実は同じ色。削る角度を微細に調整し、光の反射角まで計算して異なる色味を愉しませる。

豪華絢爛を求めず、質素倹約ながらも遊び心ある松阪豪商のセンスは、粋が誇りの江戸っ子に愛された松阪もめんの縦縞模様のような削ぎ落とされた美的感覚がある。

帰りに玄関へ向かいながら、美しい中庭を眺めた。
茶道のわびさびの世界に欠かせない、錆び色が美しい鞍馬石と奥には苔むした灯籠。
松本館長が、これは織部灯籠(キリシタン灯籠)だと教えてくれた。

キリシタンと言えば松阪という町の礎を築いた戦国武将、蒲生氏郷(がもううじさと)もキリシタン大名のひとり。氏郷は織田信長に気に入られ、その娘を嫁にもらい近江日野城主、伊勢松坂城主、陸奥黒川城主となった。
ところで私は以前から松阪の城下町の小路を車で走ると、運転しづらいと感じていた。これは氏郷が松坂城へ敵を攻め入りにくくするために、意図的にギザギザの区画を作った名残だという。

旧長谷川治郎兵衛家を出ると屋根にはうだつが上がり、江戸時代からある立派な松の木が目に入った。
豪商が過ごしたこの界隈を散策してみた。

 

情報が動けば・・

松坂城跡に移築された宣長の旧宅「鈴屋」。隣には本居宣長記念館がある。

旧長谷川治郎兵衛家の斜め前に宣長宅跡があり、建物は松坂城跡に移築されている。

そして歩いていると時折、こんなオブジェ(駅鈴童子)がある。
作者は奈良のせんとくんを作った彫刻家 籔内 佐斗司(やぶうち さとし)さんで、このアート活動を支援したのは、松阪を代表する老舗牛銀。

魚町筋から一本東の通りは参宮街道で、旧小津清左衛門家、三井家発祥地などがある。

ぐるりと一周、たった徒歩15分圏内に豪商たちが暮らし、伊勢へ向かう参拝者で賑わう町に宣長は生きた。人を介して全国から多くの情報がこの町に届き、江戸の発展とともに松阪もめんでこの町は栄えた。情報が動けば、経済が動くことをこの町の人は知っていた。本質を追求する宣長にとっても、生きた情報を得るには絶好の町だ。
ある時、宣長は万葉集などの古典研究で知られた憧れの賀茂真淵(かものまぶち)が松阪に滞在していることを耳にし、急ぎ宿へかけつけ、後に「松阪の一夜」と呼ばれる運命の出会いを果たすことになる。情報と出会いが行き交う場所、それが松阪。

旧長谷川治郎兵衛家から徒歩1分のところには豪商のまち松阪観光交流センターがある。
町の成り立ちを学べる展示があるので、松阪ビギナーにもおすすめ。
その隣にある松阪もめん手織りセンターに立ち寄った。

 

マツサカを着る

粋な縦縞模様は江戸の歌舞伎役者から「マツサカを着る」と表現されるほど親しまれていた。
昔ながらの藍染め製法で作られる松阪もめんは、おとなり明和町に残る御糸織り(みいとおり)の一業者のみが糸から一環製造。
本来の自然素材にこだわり、伝統も受け継ぐ松阪木綿振興会は、一度途絶えてしまった松阪もめんの文化を復興しようと約40年前から活動を行ってきた。その技術や作品を多くの人に知ってもらおうという思いのもと、松阪もめん手織りセンターが誕生した。江戸では庶民が贅沢品とされた絹などの着物を着ることが禁じられ、そこで人気になったのが松阪もめんの着物。
丈夫なもめんで作られ、日常使いとしても扱いやすく、例えるならジーンズに近い存在だ。

ここでは御糸織りの松阪もめんを使ったアイテムが約800点が揃う。

織姫体験(手織り体験)も行っているので、松阪もめんの世界に触れたい人におすすめ。

松坂城跡から眺める御城番屋敷(武家屋敷)

ここで少し、松阪の特長について触れておきたい。
松阪は紀州徳川家が納める紀州藩の飛び地だった。一般的な城下町は武家が多いが松阪は商人の割合が高く、武家屋敷と豪商の町ができた。第二次世界大戦で大きな被害がなかった松阪の町には、今でも当時の町並みが残る。そんな情緒ある町に、明治期からの建物をリノベーションした呉服屋がある。

 

江戸時代のユニクロ

場所は毎年3月の始めに県下最大の初午大祭を行い、厄払いや参拝者で賑わう岡寺山継松寺(おかでらさん けいしょうじ)の斜め前。

松阪駅から歩いて約5分のところにある「うつくしや東村呉服店」。

カフェ&スペース、まちかど博物館、蔵を改装した民泊施設、そして呉服屋からなる。

店に立つのは東村佳子さん。
うつくしやでは、松阪もめんの着物の着付けや、着たまま町歩き、松阪牛を松阪流すき焼きで食べるワークショップなど様々なイベントを手がけている。

うつくしやのHPより

2018年にはニューヨークのジャパンフェスにも出店したり、伊勢神宮に訪れる外国人が民泊施設を利用するなど、着物を軸に日本の文化を発信する。

東村さん:当時江戸の人口が100万人。松阪もめんは年間50万反以上売り上げていたそうです。江戸時代のユニクロですね。

そう明るく話す東村さんは、宣長ファンの一人でもある。

東村さん:宣長が賀茂真淵と人生で1度だけ出逢って、その後の生き方の方向性に影響した宿の名前は新上屋(しんじょうや)という旅館でした。いまはカリヨンビルという場所になっていますが、「松阪の一夜」にちなんだ、新上屋という和フレンチのお店もあり、人気ですよ。

まるで松阪のナビゲーターのような東村さんなので、松阪ビギナーも気軽に立ち寄りたい。

ちなみに夏のおすすめは、自家製フルーツソースのかき氷やシソやウメのドリンク。こだわりの氷を使ったかき氷は、セルフで削れば器にお好きなだけ盛れるというユニークな仕組み。冬はお手製のぜんざいも人気がある。そもそもカフェやイベントを始めるきっかけは何だったのだろう。

東村さん:以前は店に着物がずらりと並んでいました。だけどお客様が来ない日も。そんなとき「着物を着て町を歩きたい」というお客様が来たんです。着物について呉服屋と皆さんの概念が違うことに気付きました。まず「着物を着てみたい」。そう思ってもらうことが大事なんだと思いました。

そう思い至った東村さんは、多くの人と繋がることを考えカフェの構想を練り始めた。ある日、娘さんの進学で京都を訪れた東村さんは、割れた食器の金接ぎを見て美しいと思った。

民泊施設に繋がる廊下には、昔から使われている石でできたレトロな洗い場。

東村さん:古いものに関心がなかったのですが、それがきっかけで蔵の中に昔からあるものが宝の山に感じたんです。

うつくしやに散りばめられているレトロなアイテムや什器など、スタイリッシュな店のアクセントになっている。

リノベーション時に壁を剥がしたら出てきた、当時の大工の計算式はあえて消さずにそのまま使う。

最初は知り合いづてに口コミで広がっていったカフェ・スペース。今ではカフェを通じて、地域内外から幅広い年齢の客が訪れている。

東村さん:いろんな出会いがあり、ここは会うべき人に会える場所。そんな感覚になります。

いま地域の場づくりが注目されている。
カフェ、コワーキングスペース、シェアオフィス。形態は違うが、そこに価値観が合う人が集まることで、本来の目的外の楽しみが増えることが多い。宣長も当時の社交場だった寺や歌会に積極的に参加していた。そして上も下もなく輪になって座り、それぞれが持つ情報を交換する円居(まどい)を大切にしていた。
人と人が出会い繋がることで、何かが生まれる。

 

もののあはれは、エモいに近い

今回、宣長を輩出した松阪の町を巡った。偉人、宣長は地域の人にも愛され続けている。国学を築いた宣長は、何を想い古事記に向き合い、何を想像しながら源氏物語を紐解いたのだろうか。その美的感覚についても最後に触れておきたい。

宣長は、源氏物語の本質を「もののあはれ(物の哀れ)を知る」と表現した。世の中のあらゆることに触れ、目にし、耳にして、心で本質に触れたとき、驚き、喜び、悲しみなどが沸き立つ。それが「もののあはれ」であり、心の底から人に伝えたくなり、気持ちが通じたときの喜びは増し、悲しみは癒されていく。

当時は源氏物語や古事記などの、美的価値が説かれていない時代。宣長は「もののあはれ」という日本固有の情緒こそ、日本文化の美的理念であり、文学の本質であると唱えた。宣長は現代で例えるならキュレーターであり、アートディレクターでもあり、コピーライターでもあるように思える。いや、唯一無二の宣長は、そのような枠に収まることなく、現代人が想像もできない世界を頭の中で描いていたのだろう。

宣長が描いた「天地図」(国指定重要文化財・本居宣長記念館)

偉人が暮らした地を巡れば、教科書には載っていない新鮮な魅力が見つかる。時空を越えた偉人との出会いもまた、新しい何かを生むきっかけになるのかも知れない。

ところで、宣長の「もののあはれ」という概念は、若者が使う「エモい」という言葉に似ていると思う。感情が高まり、誰かに何かを伝えたくなる心の動きは「もののあはれ」を体験しているみたいだ。

 


 

取材協力

特定非営利活動法人 松阪歴史文化舎
旧長谷川治郎兵衛家

松阪市魚町1653番地 旧長谷川治郎兵衛家内
tel 0598-21-8600(代表)
hp https://matsusaka-rekibun.com
fb https://www.facebook.com/mrekibun/
in https://www.instagram.com/m_rekibun/

松阪もめん手織りセンター
松阪市本町2176 松阪市産業振興センター1階
tel 0598-26-6355
hp http://matsusakamomen.com
fb https://www.facebook.com/matsusakamomen/
tw https://twitter.com/matsusakamomen

うつくしや東村呉服店
松阪市中町1940
tel 0598-21-0220
hp https://www.utsukushiya.com
fb https://www.facebook.com/kurayado.utsukushiya/
tw https://twitter.com/rionrion1988
in https://www.instagram.com/utsukushiya/

公益財団法人鈴屋遺蹟保存会
本居宣長記念館
松阪市殿町1536-7
tel 0598-21-0312
hp http://www.norinagakinenkan.com

松阪もめんで街歩き
・松阪もめんきものレンタルセンター
・うつくしや 東村呉服店
街歩きやグルメ巡りを楽しむなら、粋な松阪もめんがオシャレなひとときを演出。
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「キャンプとかテントとかファンタジーとか」 連載エッセイ【ハロー三重県】第18回

ここ最近どころか、もうかれこれ数年において、キャンプが気になっている。
屋外でお泊りしたり、炊飯したり、遊んだりする、あのキャンプ。
周囲にもテントを所有しているご家庭が多く、春や秋になれば「キャンプへ行ってきた」というお話をたびたび耳にする。

ただ、極度の面倒くさがりの私は、みんながなぜよい寝心地の寝床があって、使い勝手のいい台所がある自宅を飛び出して、わざわざ野外で食事を用意したり、寝床を設置して眠ったりするのか、とんと理解ができないでいた。
外なら虫もいるし、風も吹くだろう。
虫も風も別に嫌いだとは思わないけれど、食事をするときや寝るときにはできればないほうがいい。
風が吹けばものが飛んで困るし、虫がうろうろして食事に混入したら気分が悪い。
それにテント。
あの中で眠るというのが、どうにも想像ができないのだ。
だって、あれってつまりは布だ。
たった一度だけ子どもの頃にテントで眠った経験があるけれど、それ以外のすべての日、この世に生まれた日から今日まで、壁に囲まれて夜を明かしたのだ。
それを急に、布張りの中で就寝すると言われてもにわかには信じがたい感じがある。ただでさえ寝床が変わると眠れない性分なのに、布切れ一枚隔てた屋外で果たしてきちんと眠ることができるんだろうか。

*

実は、9月の4連休に、「キャンプに行きませんか」とお誘いを頂いたのだ。しかも2回も。
これまで、キャンプってつまり何を求めるための娯楽なのか、答えが出ない問いを抱えていたわけだけれど、これはいよいよ向き合うべき時が来たのかもしれない、そう思ったのだった。
だって、我々が暮らしているこの地は海も川も山もある、レジャー天国だ。この世に存在しうるほとんどすべてのアウトドアレジャーは、自家用車に1時間も乗れば確実にアクセスできると思っている。
そして、来年には、いなべ市にノルディクスというアウトドアブランドがプロデュースした、とんでもなくファンタジーなキャンプ場(公式サイトの言葉を借りるとアウトドアフィールド。おしゃれ)ができると話題にもなっている。気にならないはずがない。ファンタジーなんて3歳の頃から大好物だ。

ここはひとつ、柔らかな心を持って、キャンプと対峙するときが来たんだろう。

*

キャンプが好きな知人に、「キャンプとはいったいなにを楽しむものなんだろう」と訊ねてみた。
すると「不便なところ」と返ってきたので、とりあえず驚いた。
だって、不便を便利に変えてきたのが人間の知恵であり、それが文明だというのに。つまり、わざわざそれに抗うのがキャンプだというんだろうか。

「不便さを感じることで、日常にありがたみを感じるんだよ」

と、知人。

「つまり、日常にありがたみを感じて生きている人はキャンプの楽しさが分からないかもしれないということ?」

なにを隠そう私は、毎日、感謝を忘れずに暮らしている。

「そうなんじゃない?」

それでは困る。
日常に感謝を忘れない私も、キャンプの世界に足を踏み入れてみたいのだ。そのためには、その見えない楽しさを具現化して、期待値をあげる必要がある。でなければ面倒くさがりの私の重すぎる腰は上がらない。
そして、なにより、キャンプというのは初期投資がかかる。そしてそれは、そこそこの大枚であることを忘れてはいけない。
大枚をはたくための、燃え上がる欲求を手に入れたいのに。
そして、あわよくば、いなべ市のファンタジーなキャンプ場を利用してみたいのに。

*

そんなある日、ショッピングモールへ行ったときにふと閃いた。
モール内にある、アウトドアのお店へ行って、キャンプ用品を見てみたらいいのでは、と思ったのだ。購買意欲を掻き立てることが大事な気がしたのだ。消費行動を自ら操作する作戦。
ほしくてたまらなくなれば、我慢弱い私のことだからうっかり買ってしまうということもあるかもしれないし、買ってしまえばあとはキャンプに行くしかないのだ。

目論見通り、お店の中にはテントが設営してあって、テントの中にはエアマットや寝袋もあった。
ご自由に入ってよいらしく、お靴を脱いで、いざ入テント。

寝袋は思ったよりも厚みがあって、悪くない。エアマットもふかふかしていて気持ちがいい。なんだかこれって、寝られるかもしれない。
心をぎゅっと凝縮させて、想像する。
ここは、川のそばで森の中。木々のさざめき、葉がこすれる音、遠くでかすかに聞こえる獣の遠吠え、そして、それらと布一枚を隔ててここにいる私。
悪くない。

ただ、悪くはないけど、良くもない。
木々のさざめきも、葉がこすれる音も、遠くで聞こえる獣の遠吠えも、自宅ですべて手に入る。そう、私は田舎に住んでいる。
だったら私は、自宅の慣れたお布団でいいよ、とまたふりだしに戻ってしまうのだった。
私が寝転がっているテントの足元あたりで、末っ子がコップやお皿を使っておままごとを始めていた。ものすごくかわいいけれど、これも自宅で手に入る景色。
これではいけない、私は、キャンプ用品へ、キャンプ場へ心を寄せるためにここにいるのであって、そして近い未来でキャンプ用品を買うために大きなお金を使う決心を煽るためにここにいるのであって、キャンプと縁のない暮らしに身を固めるためにここにいるのではないのに。
テントから這い出て、思うようにいかないな、と思った。

翻ってお値段を見れば、覚悟はしていたのに、やはり驚くものだし、キャンプって始める前から大儀が過ぎる。
みんなどうやってキャンプを始めたのか心底教えてほしいし、その魅力も知りたい。

ファンタジーを手に入れる理由がなくて困っている。

二見のアットホームなカフェ 2KOTI(ツーコティ)でコーヒーとスイーツの新しい美味しさ発見!

その日、二見方面をドライブしていた私たち夫婦。

「ここ、もうやってないけど・・。よくライブさせてもらったり、お茶しにきてたり、お世話になった場所なんさ〜」と、旦那さんが、お家のような可愛い外観の建物の前を走りながら説明してくれた。

こんな場所にカフェがあったのか〜と、思ったのが、3年ほど前のことである。

 

”KOTI”はフィンランド語で「おうち」

第2のお家のように、ゆったりくつろいで過ごして欲しい。

その前につけた2には”コーヒーとお菓子”のペアリング。

”2人ではじめるお店”そんな決意をこめて2をつけた。

お店の名前は「2KOTI(ツーコティ)」

 

2人は、rinaさんとnonさん。

出会いは高校の時。出席番号は1番違い。

一緒にカフェを開くくらいの仲だから、最初から意気投合したのかと思いきや、班はいつも別々で一緒お菓子を作ったのは最後の卒業制作の時。

卒業後は同じ専門学校へ進学し、

休みの日にカフェめぐりをする中で「好き」が似ていると感じた2人。

 

その後、2人は別々の場所で別々の某大手コーヒー会社で働き始める。

nonさんは関東を転々としながら、いくつかの店舗の立ち上げに関わり、三重に帰ってきてからは、知人の紹介で鈴鹿にある”coffee uno”さんで働きつつ実家の喫茶店も手伝いはじめる。

rinaさんは三重で、レストランとの掛け持ちをしながらサービスや店舗運営について学びつつ経験を重ねる。nonさんが帰ってくるタイミングで知り合いのカフェに転職し、再びお菓子作りをはじめる。

再び2人が三重に揃い、コーヒーとお菓子、それぞれの準備が整ってきた。

目を引く、可愛らしい白くまのロゴはrinaさんの手描き。

 

実は記事を書いている私、以前rinaさんと一緒に働いていた事がある。

いつも人にやさしくて、一生懸命。夢のためにバイトもかけもちし、季節の変わり目にはよく風邪をひきそうになりながらも働く頑張り屋さん。

夢と現実と間でもがいたり迷ったりしている姿を近くで見ていたし、nonさんが帰ってくる!という過程も途中で聞いたりしていたから、2人の行く末を勝手に心配していたのだ。

椅子や雑貨も可愛い、ナチュラルな雰囲気の店内。

 

そんなある日、私達夫婦は知人から二見のあの場所が違う形で再開するかも!と聞く。

何やら若い女の子が2人でお店を始めるかもしれない。と。

 

・・・あ!

 

2人が始めようとしていた場所は、旦那さんがお世話になったあのお店だったのだ。

大人になると、こんな嬉しい偶然もありますよね。

世間は狭い。

 

 

2人が店舗オープンに向けて本格始動したのは今年3月。5月のオープンに向けて準備を進めるも、コロナウイルスの影響によりオープン延期を余儀なくされる。

その期間、どう過ごしてましたか?と尋ねると

意外にも「お店やるの、今じゃないのかもね!」と、ちょっと開き直っていたそう。

でも2人で過ごす時間が増えたことで、お店の名前やメニュー、やりたい方向性についてしっかり話す事ができた。また、それまでは休日が合わずに、週1程度しかお菓子の試作ができていなかったのがこの期間にたくさんできたんです。と。

その時間があったから、お店をオープンしてからのトラブルやいざこざ。「こんなはずじゃなかった!」を少なくできたんじゃないかと思います。

すべての時間は、きっと2人にとって必然。

全てのタイミングがうまくいったから、今ここにいる。

 

美濃焼のマグは縁の厚みや大きめの持ち手など、nonさんのこだわりが随所に。

社会的な状況が落ち着いたら、

お家でコーヒーを楽しめるようなセミナーや、少し夜遅い時間の営業も視野にいれている様子。

楽しみにしています。

 

ここからは2KOTIのコーヒーとお菓子についてご紹介。

テイクアウトも可能なドリンクには、季節のフルーツを使ったクリームソーダや、さっぱり飲める2種類のエード(グレープフルーツとキウイ/レモネード)

エスプレッソを使用したドリンクは、アメリカーノやチョコバナナエスプレッソシェーク(気になる・・!)

店内で暖かいカフェラテを注文すると、可愛いラテアートも描いてくれます。

ラテアートができるとこ、ついつい見ちゃいます。

 

そしてドリップコーヒーは

・浅煎りのフルーツブレンド

・中煎りのミルクバターブレンド

・深煎りのチョコレートブレンド

なんとも美味しそうな名前のブレンドコーヒー3種は、coffee unoさんで焙煎してもらっている。

もちろん、販売もしてます。

 

そんなそれぞれのコーヒーにはよく合うスイーツがある。

爽やかなレモンソース香るレアチーズケーキにはフルーツブレンドが

バターをたっぷり使ったタルトにはミルクバターブレンドが

濃厚なチョコレートケーキにはチョコレートブレンドが

それぞれ単品で味わうよりも、ペアリングコーヒーと味わう事で口の中の風味の広がり方が変わる。

2KOTIのスイーツはすべて、どれかのコーヒーに合うように作られている。迷ったらぜひ、2人に聞いてみて。

季節のフルーツタルト、この日は無花果。

 

その中から、2人が口を揃えておすすめのミルクバターブレンドとザクザクシュークリームをいただきました。

シュー生地には発酵バターをたっぷり使い、その上にクッキー生地をのせて焼き、オーダーが入ってから再び生地を空焼きし、中にたっぷりのカスタードクリームを詰めるというこだわり。

お家で食べるシュークリームは、どうしてもクリームの水分で皮がしっとりしがち…お店で食べるからこその、ザクっとろっと感を堪能して。

それに合わせるはバランスのとれたミルクバターブレンド。

穏やかな酸味と、後味にまろやかなコクが残る味わいがシュークリームのバター感とカスタードのなめらかさとひとつになる心地よさ。

個人的に、このぷりぷりなカスタードとぼてっとしたフォルムがたまりません。

 

フレンチとワイン、和食と日本酒など

ドリンクとフードのマリアージュにはいろんな組み合わせがありますよね。

でも、知識がないとハードルが高くなりがち・・

2人は「2KOTIのコーヒーとスイーツを通して、ドリンクとフードの新しい楽しみ方や可能性を、色んな人に気軽に楽しんでいただきたい」と語ります。

左がrinaさん、右がnonさん。こだわりを語りだすと止まりません。

今日買った深煎りのコーヒーにはどっしりしたチーズケーキを。

頂きもののフルーツケーキにはこっちの浅煎りコーヒーを。と、組み合わせを考えて選ぶことができると、きっと楽しいですよね。

自宅でのコーヒータイムをより豊かにするため、

まずは2KOTIで至福のペアリング体験、いかがですか?

 

【 2KOTI  coffee&cake 】

伊勢市二見町茶屋572−3

0596−43−3489

11:00ー17:00(16:30LO)

10月から日・月曜日CLOSE

来店前にinstagram(@2koti_)をチェック!

 

上位 2 %の IQを持つメンサ。ハリウッド女優 水原碧衣さんにアメリカ映画「フェアウェル」ご出演の経緯を聞いてきた。

『2歳で1度読んでもらった絵本を丸暗記、4歳で中国語の新聞を読んでいた』

驚きのエピソードを持つハリウッド女優が今、三重県にいる。

10/2公開のアメリカ映画「フェアウェル」ご出演の水原碧衣(みずはらあおい)さんである。

ゴールデングローブ賞に受賞している映画「フェアウェル」

物語はアメリカで暮らす主人公と家族が、末期がんを患った中国の祖母に病状を悟られないよう、ウソの結婚式を口実に帰郷するというヒューマンドラマ。

公式サイトより

監督のルル・ワン氏が経験した実話に基づくお話で、4館限定公開後に人気を博し、全米891館まで規模が拡大。興行収入20億円を突破した話題作。オバマ前米大統領もツイッターで、2019年のお気に入り映画として紹介している。

本作品の中で水原さんは「言葉がまったく通じない日本人花嫁」をコミカルに演じ、話題となった。

そんな水原さんが三重にいる理由は?

水原:幼い頃から色んなところを転々としているのですが、高校を卒業した後、親が仕事の関係で桑名に移住しました。なので世界中どこで仕事をしても帰ってくる場所は桑名なんです。

幼い頃から女優になる夢を抱き、俳優としてのキャリアを積まれている水原さん。

京都大学法学部卒業後に早稲田大学法科大学院へ進学。世界有数の映画関係専門大学である北京電影学院の演劇科に留学後、史上初留学生でありながら首席卒業という快挙を果たした異色な経歴の持ち主でもある。

水原:小さい頃から映画が大好きで、同じを映画を何回も何回も観ては、表情や台詞を数え切れないくらい真似をしていました。自分も憧れのあの世界に入れたらどんなにいいだろうと、夢を抱いていました。ただ厳格な家だったので、京都大学へ進学する道を選びました。大学に進んでからも諦め切れず、劇団に入ったり、映画鑑賞や映画製作、社交ダンスやテコンドーなどのサークルを10個ほど掛け持ちしていました。

大学院に進んでからは東京で芸能事務所を探したが、高学歴タレントとしての依頼が多く、思い切って休学した上、超名門である中国の北京電影学院 演劇科の留学を決めた。

水原:中国へ渡った時はけじめをつける気持ちでした。全力で演技と向き合って、悔いを残すことなく次に進もうって。朝は誰よりも早く教室へ行って発声や発音の練習、夜は誰よりも遅くまでいて演技の研究に没頭していました。とにかく半年間は大学の門を一度も出たことないくらいに演技のことしか頭になかったです。

その甲斐あって、演劇科に所属する100名のうち留学生は4名という環境下、首席で卒業。その後、中国のテレビドラマやCMに出演し、2016年公開の映画「海を越えた愛」では主役に抜擢された。ネイティブ中国人よりも正しい中国語を使える稀有な存在として、中国語吹き替えのオファーも多い。

実は水原さんは、世界人口の上位2%のIQを持つ人だけが加入できる国際組織「メンサ」の会員でもある。冒頭のエピソードに加え、小学4年生の頃に友人たちと雪だるまを作っていて、なぜか彼女だけがロダンの考える人を造形していたという非凡な資質を感じさせる逸話も飛び出すから面白い。

――ところで、今回の映画フェアウェルに出演することになった経緯は?

水原:北京に滞在していた時、エージェントを始めたばかりという男性から連絡があったんです。『26歳・日本人』この条件に合う役のオーディションがあるから来てくれと。怪し過ぎるし、帰国する日だったので断ったのですが、もう最寄り駅にいるからと押し切られてしまって、訳も分からずにオーディション会場へと連れていかれ、結婚式のスピーチをさせられました。そうしたら、キャスティングディレクターが「見たか!これが演技だ!」と飛び上がって絶賛してくれました。正直私はその反応に唖然としていました。なぜならば今までのオーディションの中で一番、ただ素の自分を出しただけなんです(笑)結局何の作品かわからずに、そのまま日本へ帰国しました。

――怪しすぎる…そのエージェントは何が目的だったのでしょうね

水原:単純に”日本人というものを見てみたかった”という理由だったみたいです。「生まれてこの方日本人というものを見たことないから一目見たかった」と仰っていました(笑)

――その後の展開は?

水原:はい。後日新宿で友人と食事をしている時、エージェントから「今から監督がfacetimeで最終オーディションをしたいと言っている」と連絡が入りました。急すぎて今は無理と伝えたのですが、「無理な理由を映像で撮って送ってくれ」と言われました。仕方ないのでお手洗いに籠り、自撮り棒で映像を撮って送りました。それでなぜか合格をもらいました。どんな作品なのか知ったのはずっと先でした。

――すごい。それがハリウッド映画とは(笑)

因みにだが、世界を拠点に活動している水原さんが、桑名で唯一長くお付き合いがあるのは歯医者。実はその繋がりで存在が市長へと伝わり、三重テレビの出演が決まった。そして番組をきっかけにイオンシネマ桑名でのフェアウェル公開も決まった。

水原:いつも丁寧に対処してくださるのに、虫歯作って申し訳ないという気持ちがあって、治療の時にパンフレットを持って行ったんです。先生に治してもらった歯で出ましたって(笑)

メンサ・高学歴・ハリウッド女優と面食らってしまうキャリアが並ぶ水原さんだが、とてもチャーミングで、なんというか、いつの間にかペースにハマってしまう魅力のある不思議な女性なのだ。

10月2日から全国公開されるフェアウェル。そして水原碧衣さんの今後の活躍が楽しみで仕方ない。

取材日 2020.8.14

◆映画「フェアウェル」公式サイト
hp http://farewell-movie.com/

猫カフェねこ屋を応援しよう!

お久しぶりです。皆様お元気ですか?

なんと、今週で学生生活が終わるっという日がついにやってきました。

そして、卒業まえに是非書いておきたい記事があります。それは2020年6月末にオープンしたねこ屋江戸橋店です。もう一つのお店は高茶屋にあります。以前他の猫カフェについて記事を書いたことがありますが、今回は少し内容が変わります。

猫カフェっていうものは猫と触れ合いながら、居心地の良い時間を過ごせる場所であります。

雨上がりのねこ屋

藤田さんが店長しているねこ屋江戸橋店は、
レスキューされた猫たちがいます。親がいない生後2週間の猫から、産まれて若い1年もない猫たちが主にいます。
店長さんに聞いたところ、ねこ屋は保護猫を中心にして、やっているお店です。
三重大学の周辺のねこや、白塚とか。コールがあれば、ボランティア活動している人たちとねこのケアをしながら、飼ってくれる家族を探すことまでやっています。ですので、よく見てみると、兄弟ねこがたくさんいます。

ねこ屋ねこ可愛い、逃げていた茶色い子。
黒い仔猫だよ。
父親がわりねこ。おなかがたれているぞ。
肩こりにならないみたい。うらやましい。

そこで、私達ができることはねこと遊ぶことです。私は2、3回くらい行きました。

初めは子猫たちは近寄らなく、逃げてばかりいました。なでてあげようと思うと、嫌がることもありました。その子たちは人間が怖いのです。ですので、ねこ屋にいって、その子たちと遊ぶことは「人間も優しいよ。怖くないよ。」と教えてあげて、将来暖かい家に行ける状態にしてあげるのです。

ねこ屋では「人だけが癒されるより、猫を救いながら癒しを感じる」っていうところだと思って、猫たちのためになりたいから、私は通い始めました。

今は本当に猫たちは自分から寄ってくるようになって、ひざに座ってくれる。この店の魅力は猫たちがやまほどひざに座ってくれることなのだ!

キャットタワー
高い、高い。

しかし、今年は異例のコロナウイルス。8月に入って、ねこ屋に客は一人も来ていないみたいです。それはとても危険な状態で、猫たちのケアができなくなってきています。つぶれてもおかしくない。今までやっていけているのは全国から突然パッケージが届いていたり、ミルクやえさ、砂など(最近砂不足らしいです)。

エサやりできた
ガラガラ様子

ねこ屋はスペースがたくさんある。猫たちもたくさんいる。スタッフ猫や、保護猫。そして、9月23日からようやくエサを食べれるようになった親がいなかった仔猫たちがデビューらしいです。ボランティアたちが一生懸命ミルク、体のケア(仔猫は猫ママがお尻とかなめないと、トイレできないんです)してくれたおかげですね。残念ながら、私はそのときはもう三重にいませんので、皆様、よろしくお願いします。

足がしびれても、猫は神。友達になれた茶色い子。
ガラガラだったから、猫の山。

保護猫かつどうしているからこそ、通いたいねこ屋。どうか応援してあげて下さい。

詳しくはねこ屋江戸橋店のツイーターなどをみてください。

ねこ屋江戸橋店
5140001
三重県津市江戸橋1-106-1
11:00から19:00 定休日:水曜日
車2台くらい置けるようになったみたい。

わたし、死のうと思った、、、

津市生まれの児童文学作家、村上しいこさんをご存知でしょうか?

中日新聞の記事を読んでご存知の方もいらっしゃると思います。

村上しいこさんは、いじめや虐待を受け続けました。それはどんな過去だったのでしょうか。そして、それらを乗り越え、今を生きる村上さんの中に、どう生き続けているのでしょうか。zoomで行ったインタビューで、村上さんに迫ります。

 

ー すさまじかった過去とは? ー

物心ついた頃から、継母から殴る蹴るの暴行、言葉の暴力を容赦なく受けました。生傷が絶えず、顔も変形してました。

この生活が20年続きました。

笑ってはいけないと言われ、私が幸せになることを継母は許しませんでした。人権を奪われた生活、、。

これが、村上さんにとっての日常だった。

中学生の頃、死のうと思った。自殺しようと思いました。

ー 何に支えられた? ー

本と人のぬくもりに救われました。

そして、生きようと思った。私は、生きることを選びました。

ー 本のぬくもり ー

学校の図書館で本を夢中で読みました。明るくて、未来を感じられるような、希望の持てる物語を好んで読みました。

本は、いつも私の一番身近にいてくれました。本の中で、私は笑うことが出来たんです。私は、間違いなく本に救われました。

ー 人のぬくもり ー

近所の方から声をかけていただきました。

でも、一番大きかったのは、先生が私を抱きしめてくれたことです。人のぬくもりを深く感じた瞬間でした。

実は、その先生と再会する機会があり、今もたまにお会いしています。

ー 継母への恨み辛みはありますか? ー

もちろん、忘れてはいません。

私の心に、今も生き続けています。今も、フラッシュバックもありますし、過呼吸もあります。

でも、恨みはないんです。

私の人生に関わって欲しくないから。恨み続け、そこに執着したら、人生がもったいないでしょ。

私は、私の人生を生きたい。

(村上さんのお話を聞いて、ある人の言葉を思い出しました。「他人を押さえつけている限り、自分もそこから動くことはできない。」ジョージ・ワシントン、米国初代大統領 / 1732~1799)

ー 生きることを選んだ後は? ー

誰かにそばにいてもらったり、周りに支えてもらったりしながらも、自分の足で立つことです。自分で、自分の道を切り拓いていくことだと思います。

ー タイムマシーンで、当時の村上しいこに会うとしたら、どう声をかけますか? ー

ひとりぼっちじゃないよ。今がずっと続くわけじゃないよ。誰かが手を差し伸べてくれるよ、と言ってあげたい。

でも、一番のメッセージは、「村上しいこは、幸せをつかんだよ」ということ。

ー今の世の中は村上さんにどう見えますか?ー

情報がありすぎていると思います。

忙しすぎるんです。

だから、親も子も、みんな時間に追われています。話を聞いてもらえないと嘆く子供たちがいる。みんな、ゆとりがないように見えます。

1日の中で、自分と向き合う時間はほとんどないのでは?

ー どうしたらいいのでしょうか? ー

自分の時間を持つといいと思います。

自分と向き合うためには、例えば、毎日10分でも本を読んでみるといい。今は、コロナでstay homeですからオススメですね。

もう一つは、想像力を養うこともとても大切だと思います。

自分の思いや気持ちを、自分の言葉で、相手に伝えること。また、相手を理解すること。

ー 作家になったきっかけは? ー

たまたまです。

偶然が重なり、ある方からスカウトしてもらいました。偶然でしたが、作家になったことは、私にとって、とても幸せなことです。

不幸のどん底と幸せのどちらもわかるようになったことを、作品を通して伝える喜びを感じています。

今の子供たちに寄り添っていきたい。そんな想いから、地域見守り隊にも登録していて、下校時間などに子供の話を聞いたりするのもいい機会になっています。

私は、本に救われました。

今度は、私が届ける番かなって。

ー オススメの本を教えてください ー

「赤毛のアン」、「おおきなかぶ」、「アルプスの少女ハイジ」は、希望のもてる話なので、私の幼少期の心の支えでした。

自著からも一冊。「イーブン」、村上しいこ著、小学館。

ー 読者へのメッセージ ー

コロナで、自由に人に会えなかったり、遊べないことが日常になり、息苦しさやストレスを感じていらっしゃる方が多いと思います。

ぜひ、上手に気分転換を図って下さい。私は、散歩していますよ。

読んだことのないジャンルの本を読むのもオススメですよ。

ー ご経歴の紹介 ー

1969年、津市生まれ。

結婚後に創作活動を始め、2001年、毎日新聞《小さな童話大賞》『とっておきの「し」』で俵万智賞受賞。

 2003年、「かめきちのおまかせ自由研究」(岩崎書店)でデビュー、日本児童文学者協会新人賞を受賞。「れいぞうこのなつやすみ」(PHP研究所)で第17回ひろすけ童話賞を受賞。

2015年、長編小説「うたうとは小さないのちひろいあげ」(講談社)、第53回野間児童文芸賞(※)を受賞。

(※)野間児童文芸賞: 優れた児童文学に向けて贈られる賞。1963年創設。過去に、詩人で絵本作家の谷川俊太郎さんや、「魔女の宅急便」原作者の角野栄子さん、「バッテリー」シリーズで知られるあさのあつこさんらが受賞している。

これまで世に出した著書は累計97冊、年内に100冊に達する予定。執筆の他、講演活動(図書館や小中学校など)も精力的に行っています。(※)現在はコロナ禍のため講演活動は中止しています。

 

アーティスト応援イベント 『これが私』展-This is me.- 〜運命の分岐点〜

このコロナ禍で、影響を受けているアーティスト応援しようというイベントが開催されるとSNSに上がっていて気になったので、早速主催者の方に連絡し、どんなイベントなのか話を伺ってきました。

『これが私』展ーThis is me.ー ~運命の分岐点~。通称『Tim.』(ティムテン)

私のイメージとしては、オンラインイベントは、なんだか難しそうなイメージです。作品を手にとる事も出来ませんし、実際の色なども微妙だったり。(あくまでオンラインサイトでお買い物する時の個人的な感想です。)マルシェなどは、出店者さんとのやり取りもまた楽しい時間じゃないですか?
そんな疑問をいだきつつ、不安な部分に関しても伺ってみました。

なぜオンラインイベントを開催しようと思ったのですか?

新型コロナウイルスの影響で、アーティストもアートを楽しむ方達を取り巻く環境も変わりました。沢山のリアルでの個展、イベント、販売会が延期、そして中止となりました。そんな中、アーティスト達を応援したい。という思いが発端となり、家にいながらショーを観るようなアーティストの個展へ行くようなそれでいて、お気に入りをお買い上げ頂く事も可能なイベントを企画しました。

見どころを教えて下さい!

ショーのような、という拘りから「上質」なものをお届けしたいというキーワードの元、各アーティスト紹介用となる画像をアートディレクション 久保昌美 ハル さんに制作して頂き、各アーティスト紹介用の15秒ムービーをビデオクリエイター Namiko Tatsunokuchi さんに依頼。全30アーティストの紹介シーンも見所の一つとなっています。
イベント当日は、オンラインスペース Remo上で
アーティスト達と会話を楽しんで頂き、その後、SNS上で繋がって頂いたり、今後リアルでお客様と繋がる事が出来るきっかけになり、お客様がお気に入りのアーティスト、作品を見つけて貰いアーティストを応援する。アーティストは自分を応援してくれる人が見つかる、お客様との会話から新しく作品のアイデアやヒントを頂くといった、双方の世界の広がりとなると嬉しく思います。出展者それぞれのテーブルにて作品、こだわり、ストーリーを楽しんで頂き、お気に入りを見つけて下さいね。
(おっ‼︎出店者さんとのやり取りも楽しめるようですね!)

アート作品や服飾系作品展示するだけなく、アーティスト達の「これが私」を感じる作品をたくさんの方に知って、見て、感じて、楽しんで頂く。実際に購入もでき、展示会・販売会・個展・ショー等の要素を取りいれた新しい形のオンライン展示販売会ですので、興味ある方は覗いてみてはいかがですか。

withコロナ時代に入りつつありますが、こういったオンラインのイベントが増えて、身近になれば三重から全国で活躍するアーティストの方が増えていくかも知れませんね。


〈出展者〉
絵、グラスアート、写真、書、花、紋様色彩画、イラスト、服飾雑貨、一閑張り、ファブリックステンシル、糸掛け曼陀羅、アクセサリー、オリジナルキャラクター、編みぐるみ、キャンドル他

【日時】2020.10.10(土) 12:00~16:00
【場所】オンラインツールRemo

【参加方法】
下記URLから無料チケットを
ご入手ください。
https://tim-1010.peatix.com/

【Facebookページ】
https://m.facebook.com/events/612313096375109/

【主催】
ウーマンズフリーパレット東海支部長
COSture デザイナー兼代表 谷脇 節子

ウーマンズフリーパレット副代表 籾山智香

大人のガラス工芸教室 合同会社アトリエKako代表 竹島愛佳

事務局:石井恵理子

旧倭村役場が競売に!?白山町が舞台の一大プロジェクトにご注目。

昭和、平成、そして令和。

僕たちは歳を重ね、時代の変化を感じながら、そして今を過ごしています。

「おばけ屋敷みたい!」
「トトロの世界に出てきそうだよね!」

小学校の頃から前を通るたびに胸を高まらせて友達と笑い合った思い出の場所「旧倭村役場」。津市白山町に暮らす倉田麻里さん(以下、倉田さん)の記憶に刻まれている歴石的建造物は、今も当時と同じ場所に在り続けていました。

迷いと決断 競売にかけられた旧倭村役場

倭村(やまとむら)は、三重県一志郡にあった村。現在の津市白山町の北部にあたります。山々に囲まれた土地には、見渡す限りの田園が広がります。そこにひときわ目立つ木造2階建てのレトロな建物、それが旧倭村役場です。

yamatomura_4戦前の昭和11年、村人たちが力を合わせて建てられたという建物は、昭和平成の市町村合併によって役場としての機能も失い、時の流れとともに老朽化が進み続けました。そして、2020年4月にYahoo!オークションで売り出されることに。

公売期間中には続々と県外ナンバーの車が建物を訪れ、その様子を眺め続けた倉田さん。約3ヶ月間の迷い続け・・・そして、決断します。

「この素敵な建物は、地域住民の宝物。地域の力で何とか守っていきたい。」

出資協力者も得て自らオークションに参加し、運良く旧倭村役場を落札します。倉田さんを筆頭にした地元住民の思いによって、旧倭村役場は地域に残りました。

ひとまず安堵したものの、これから購入費用を数年かけて返済をしながら、修繕や運営体制をどうするのかなど、課題は山積み。

令和の時代、昭和から引き継がれた建物はこれから一体どのように活用されていくのか、倉田さんにお聞きしました。

「全世代に学びと交流の場」旧倭村役場の未来の姿を思い描く

yamatomura_3旧倭村役場活用プロジェクト発起人 倉田麻里(くらたまり)さん
NPO法人イカオ・アコ理事
ゲストハウスイロンゴ代表
Landing in HAKUSAN代表

津市白山町(倭地区)で生まれ育ち、大学院を卒業後、2008年から環境NGOイカオ・アコの現地駐在員として、フィリピンのネグロス島に9年間駐在。現地の住民と共に、みんなの生活と環境を守るマングローブの植林活動に取り組む。2017年に地元津市白山町に家族と共にUターンし、2019年にゲストハウスイロンゴをオープン。同年Landing in HAKUSANを立ち上げ、代表として活動。Think Global, Act Localの精神で、国際的な視点を持ちながら、地域で人と環境が調和する持続的社会の実現ために活動している。


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「少子高齢化する地域を何とか守っていきたい。そのためには、都会に住む若者や都会に出ていこうとする地元の子供たちに、この地域の素晴らしさを発信するための拠点が必要です。」

yamatomura_5建物からは老若男女の幅広い世代の笑い声が漏れ聞こえてくる、倉田さんはそんな旧倭村役場を思い描きます。

倉田さんご夫妻が運営するゲストハウスイロンゴでは、草木染や干し芋づくり、堆肥づくりなど様々なワークショップを開催してきました。もともと、アイデアマンな倉田さん。環境NGOイカオ・アコでも奇抜なアイデアで国内外の地域社会に関わる問題を解決するプロジェクトを率先してきました。

yamatomura_6木造二階建てのレトロな建物は、さまざまな作家さんの創作意欲を掻き立てる素敵な空間。作家さんのシェアアトリエ設置を予定されています。

他にも

  • おすすめの本をシェアできる図書館
  • 村の歴史を伝える展示スペース
  • ご近所さんが自然に集まるセルフカフェ

などなど。旧倭村役場の活用のアイデアは溢れています。来年(令和3年)の4月の開設を目指しています。

クラファン支援受付中。旧倭村役場の取り組みを自分ごとにする。

ここからは筆者の言葉として、書かせていただきます。僕は三重県鳥羽市の鳥羽なかまちのクボクリを拠点に活動しています。

町で暮らす住民と一緒にまち歩き 鳥羽市中之郷 濱口和美さん

明治や大正といった建物が残る町。レンタルオフィスをお借りして約1年半を過ごす中だけでも、そんな時代を越えて現存する建造物が解体され更地となった光景に出会いました。とても複雑で様々な事情も絡み合う空家の問題。そんな町の変化に触れた時、驚きと一抹の寂しさやもどかしさを感じてしまうのは僕だけではないはずです。

もし、倉田さんが落札されていなかったら旧倭村役場はどうなっていたのでしょう?

今回の旧倭村役場の購入のお話を知った際、身近に目の当たりにしてきた町の変化と重なる部分が僕の中にありました。

地域に根づき、暮らし、思いの元に旧倭村役場を購入する決断をされた倉田さん。そして、NPOでの活動やゲストハウス運営、そして小学校へこれから通う2児の母でもある倉田さんを応援したい。少額ではありますが僕も支援をさせていただきました。

鳥羽なかまちからは車で約1時間30分の場所で今まさに進んでいるプロジェクトに少しでも関わり、自分ごとのように思えること。それはとても光栄なことであり、それがクラウドファンディングの良さだと思っています。

旧倭村役場のこれからの未来が気になる方は、9月27日まで実施されているクラウドファンディングページもチェックしてみてください。そして、ぜひご支援を。

支援ページは下記の画像をクリック👇

倉田さんからのメッセージ「フィリピンからUターン、二児のママが旧村役場を買った本当の理由」動画

【連載:第2回】三重県のお茶農家の今 コロナの影響を受けて @鈴鹿市 住田製茶 住田正樹さん

(第1回より続く)

 

お茶業界の古い仕組み

引用:静岡茶市場
引用:静岡茶市場

安:僕もお茶屋を長年やってきて思うけど、三重県と静岡県やその他京都の宇治とかの古い産地は実は相対相場・相対取引の古い仕組みなんですよ。九州の鹿児島とか大分は市場取引。鹿児島は100%市場取引、入札です。

住:鹿児島市場に一回行かせてもらったけど、すごいですよ。1件1件厳しくチェックされてます。

安:九州はそういう意味では先進的で、静岡や三重、宇治の取引は相対取引で遅れている。さらにいうと、取引するときに書類がないんですよ。

た:書類を交わさないんですか?

安:他の農産物も契約書がないのは多いですよ。いちいち1回ごとの売り買いに契約書は書かないと思います。だけども先進的な地域では万が一のことを考えて保険をかけるとか生産者も卸売も加工業者もお互いが生き残っていくために協議会で相談し合うんですが、それが三重県では遅れているんですよ。

茶業会議所も組合も役員のなり手がなかなかなくて、仕組みを変えたり建設的に勉強会をして業界を良くしていこうという動きが鈍いんです。自分たちの利益優先、そんな雰囲気になっているけども、農協もその原因の大きな1つなんです。農協のいうとおりにやっていかないといかんしという農家さんが大半なんですわ。

た:住田さんが実際にお茶を納める売り先は農協ですか?三重県経済連の市場ですか?直販ですか?

住:お茶農家さんによってバラバラなんですけど、三重県の市場に出す人、僕らみたいに問屋さんに100%出荷する人、直接伊藤園みたいな飲料メーカーさんと契約を結んで買ってもらう人、甜茶という高級品を育てて売る人、県外に持っていって売る人、いろんなやり方でやっているんです。

市場や売り先が1つじゃないからこそ最低価格の保証もしにくいんじゃないでしょうか?得意先も納め先もバラバラだとそれらを相互に確認して最低いくらで線引きするなんて出来ないですよね。

 


国際基準というハードル

認証制度 ASIAGAP
認証制度 ASIAGAP

た:市場の最低価格の取り決めが難しいというのはわかりました。それでもなんとかしないといけない中で、例えば三重県もお菓子メーカーが三重県の抹茶・粉茶を使うというような動きってないのかなと思いましたが、いかがですか?

住:三重県のお茶業者で、抹茶まで加工できるところというのが意外とないんですよ。抹茶は西尾か京都の抹茶メーカーで加工するというのが一般的ですね。茶葉のままそういったところに卸して、最終的にお菓子メーカーさんはそういうところから粉末になった抹茶を買う。

そもそも三重県内では抹茶を使ったお菓子もそれほど多くはないですよね。昔でいう荒茶という状態にするしかうちでは出来ませんし、建て替えて新しい設備導入するにも今は難しいですよね。

海外へ日本のお茶が出にくいっていうのは、US仕様にしなさい、EU仕様にしなさい、台湾仕様にしなさいとか色んな枠・基準がバラバラなんですね。日本ではここまでの農薬が使えるけどこの国はではダメとかあるんですね。

だから、今年からその農薬辞めましたといっても、何年前から使ってないとかじゃないとダメなんです。

さらに検査してお茶から検出されてもダメで、原因を調べると実は土や木自体に残っていて、それがあるとEUとかから受け入れてもらえない。

うちでもASIAGAPってHASSAPのような認証受けてるけど、これ自体も厳しい基準をクリアしてるものです。

安:これはなかなか簡単には取れないでしょ?

住:いや、そんなことないですよ笑 規約があって基準を満たしてそれを証明する書類を用意して。当たり前のことだと思うんですけど、昔からの考えで農家をやっていると難しかったりしますし。

でも、これのような基準がないと、大手メーカーさんも買ってくれないし、海外にも出ていけない。

た:製造業でいうISO9000とかと同じようなものですよね?

住:そうです、それらと同じ部類です。でも、今回のコロナ騒動で、あの基準を持っていないから買わないと言われた農家さんはたくさんいたみたいです。卸売も農家が認証を持っていないと、最終の売り先に流すことができないから、買えないと。

やれることやっていても、コロナでこんな状況だから、、、

 


「お茶バカ爺さん」の草の根活動

※写真はコロナウィルス発生前に開催されたお茶の淹れ方講座です。

お茶の淹れ方教室
お茶の淹れ方教室

た:安田さんは以前から「お茶バカ爺さん」として、お茶の淹れ方教室や「抹茶ごっこ」というお茶碗と茶せんと抹茶が1セットになった新商品の開発などをやられていますよね。

安:我々がお茶の消費運動をしていくしか道がないなと思ってやっているんですよ。急須の無い家庭が今は多いですけど、それを無くさなあかん。それには僕はまずは子供だと思うんですよ。

私は幼稚園から小学校、10歳までの子供を集めて、淹れ方講座の中でいろんなお茶を飲んでもらってどれが美味しい?っていうのをやってみたんですよ。

結局、子供には香りの強い玄米茶が一番美味しいって言われた。あと、麦茶も美味しいと。子供の発想はお茶屋では想像できんよね笑

でも、そのお子さんの親御さんは「お茶ってこんなおいしかったんか」って言われて。急須が無いから美味しいお茶の淹れ方って知らないんですよ。

だから、僕はそれを根っこから、子供から教育せなあかんと思って淹れ方教室をやってるんです。

お茶の淹れ方教室
お茶の淹れ方教室
お茶の淹れ方教室
お茶の淹れ方教室

安:僕はこの教室をやるのに、北は北海道から南は九州まで全国に530件メールを送った。で、函館で1件、仙台で1件、いわき市で1件、栃木で1件やってほしいって依頼がきた。

だからお茶屋さんがちゃんとした淹れ方教室やれば人は来るよ。本来はそれは農協とか会議所とかがせなあかん。金儲けのことばっかりで実際やらへんやろ?

そんなね、生産農家を潰してしもたら問屋もないわけやし、問屋を潰してしもたら小売もなくなる。みんな一体なんやからそこらをもっと考えなあかん。僕みたいな80過ぎた爺さんが言うててもあかん話やけどね笑

そやけど私は今でも私のやれることは小さなことやけど、今抹茶ごっことか使ってもらって、まずはお茶に気軽に触れてもらうことが大事なんやろなと思う。

自分は力も何も無いけども、資産突っ込んでお金かけて、印刷物作って触れ回ってやっとるんですね。

 


鈴鹿の茶畑を上空から

住田正樹さんに許可をいただいて、住田製茶の茶畑をドローンで撮影させていただきました。

綺麗に整備されているのがよくわかります。鈴鹿山脈の麓で長年お茶製造に携わってきた農家の方の努力の結晶ですね。

 


無農薬のお茶は栽培出来ないのか

 

た:素人考えで申し訳ないんですが、EUなど規制が厳しい国向けに、例えば無農薬栽培や農薬を薄めて散布して撒いて育てることはできないんでしょうか?

住:それはオーガニックって言ってやってるところはあるんやろうけど、まず収量がとれなくなります。あと価格もそれほど高くもできないし、それで経営がやれればいいんですけど。

安:あと無農薬やるとね、味がね、苦くて飲めたもんやない。

た:無農薬だと苦くて飲めなくなるというのは意外だったんですけど、それはなぜですか?

安:お茶の新芽というのは非常に繊細で、その水分や養分を吸ったり葉っぱを撒いたりするいろんな虫がおります。だからそんな虫がつかないように冬から春にかけて一生懸命生産農家は努力してるわけです。

た:私自身は農薬=生産効率アップ、無農薬=味がよくなるみたいな思い込みがあって、今のお話を聞いてそれは全然違うんだなと感じました。一般の方で、今のお話の内容を知っている方って、ほとんどいないんじゃ無いかと思います。

安:お茶だけでなく野菜や畜産など食品に対していろんな考え方はあると思います。まず一番大事なことは、美味しいこと。それがまず一番。それがなければいくら無農薬や減農薬とか理屈言っても相手が買ってくれやん。

消費につなげようと思ったら、まず美味しさ。もちろん農薬とかも基準・安全を守って生産しているというのは大前提やけどね。

 


この記事を見ていただいた方への期待

引用:BANKO LINE
引用:BANKO LINE

た:この記事が一般の方や業界の方、誰かに届いて何かしら購買や現状を知っていただくことにつながれば嬉しいんですが、記事を見ていただいた方に何かこうしてほしい、こうなってほしいという期待はありますか?

住:みんな急須で入れるお茶ってあまり知らないと思うんですよ。手軽に飲みたい、湯を沸かすのもめんどくさい、水出しの方がいい、コンビニのペットボトルでいい。というのが大半やと思うんです。僕らは急須で飲むお茶を生産してるんですよ。ただ、僕らのやり方を変えていかなあかんのもわかってるんです。

コロナでこんだけ景気が落ちた時に投資も出来へんし、急須のお茶もみんなに飲んでもらえればいいんやろうけど、急にそれが変わるということも想像できへんし、僕らの生産する荒茶というのを、その形を変えても皆の口に届くように発信したいかなと思います。

た:四日市って萬古焼が特産品ですよね?例えば急須がないご家庭も多いのであれば、萬古焼をされている方とお茶農家さんが一緒になって急須もお茶も広めていく普及活動っていうのは何かないでしょうか?

住:僕らも茶業組合の取組で1年の冬の時期に鈴鹿市中の学校や公民館をまわってお茶淹れ教室みたいな感じでやるんですよ。いろんな淹れ方を比べてどれが美味しいか?って感じで。急須で入れたのを見て「こんなん初めて見た」っていう子供さんも多いし、あったかいのと冷たいのどっちが美味しい?って聞いたら「冷たい方」って返されるし笑

僕らそれら学校にお茶を無料配布するんですよ。インフルエンザが流行る時期に。何でかって言うと、お茶でうがいしてもらうためなんですよ。うがい運動って。お茶うがいをやらなかったらインフルエンザにかかったという声も聞こえてくるんですけど、全部の学校に配ってやってるわけなので、お茶うがいしてないところとしてるところの比較は出来ないですよね。

これだけ売れないようなら、全部小学校に配ってもよかったのかなって思いますけどね。

 


あとがき

お茶生産にかける皆様
お茶生産にかける皆様

お茶の生産とそれを我々消費者に届けるため日夜努力している方々の生の声をお伺いする機会を持てたことは非常にありがたかったです。

コロナの影響で打撃を受けている事業者の方はたくさんおられますが、声を上げる、その声を届けるということが難しい方が大半なのが現状だと思います。

何か現状を打破するきっかけとなれば嬉しいですし、この記事が拡散されて何かしら購買運動につながればと思います。

 

★住田製茶のお茶に関するお問い合わせ、ご購入は以下まで。

*****************************************************

丸源 住田製茶  住田正樹さん

〒519-0315 三重県鈴鹿市山本町1551

TEL・FAX:059-371-2695

MAIL:masakisumita19761129@gmail.com

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ご協力いただきました皆様、ありがとうございました。

(第3回 「お茶バカ爺さん」安田賢二さんの取り組み に続く)

#わたしのご近所 おとなの線香花火@大石屋

大人も子どももたのしめる夏。
コロナの影響で今年は家でたのしむ花火が人気だそうです。
花火といえば・・な、わたしのご近所を紹介します。

大石屋玩具店。
ありそうでないおもちゃ屋です。
今は中勢バイパス付近にありますが、私が小さいときは海の近くにありました。

駄菓子屋で売っているお菓子やおもちゃの問屋みたいなイメージでした。
まとめ買いができるお店です。
スーパーマーケットで例えると、業務用スーパーみたいな感じ。

シブいおもちゃも有り

今年は花火大会などのイベントが中止だったので、花火を買いにきました。

充実した打ち上げ花火のラインナップ
国産

こんな花火も・・、

ニョロニョロとヘビみたいに黒い煙が出てくるだけの花火
なつかしい、シュワシュワーと出てくる花火。
昼間専用の打ち上げ花火もありました

あんな花火も・・。

本格的なスーパーボールすくいも家でできます。
お店のご来店キャンペーンなどにも使えるのではないでしょうか。

今回のお気に入りはこれ。

ちょっと大人な線香花火。
持つところがワラでできているそうです。

大人も愉しめる線香花火。
花火に火をつけると、火薬のにおいや懐かしい夏の音。

ジリジリ。

 


 

大石屋
津市神戸862
tel 059-228-0597

 

移住体験談@三重県南伊勢町

「新卒漁師 大志抱いて船出」

2018年4月。ぼくは神奈川県から三重県南伊勢町へ移住し、漁師になった。伊勢新聞、中日新聞、そして朝日新聞に取材され、不格好な漁師姿で船に乗るぼくの写真が紙面に載った。来て早々、想像以上に注目を浴びて戸惑った顔をしている。

「食べ物の生産現場に興味があったんです」

漁師になった理由を聞かれるたび、ぼくは綺麗事を言った。都会で生まれ育った自分には、自然が身近ではなかったこと。だからこそ、海の上で働く漁師の仕事、自然との関わりをダイレクトに感じられる生活がしたいと願った。

でもこれは表面的な理由で、ぼくが南伊勢町に来ることになったのは、実はもっとネガティブな感情がベースにある。それは、社会に対する強烈な不信感だ。

当時のぼくには、この社会で生きていくことを肯定できなかった。

資本主義原理のもと、経済発展を余儀なくされる社会。競争が目的化して、発展する意味を見失う人々。それでも社会を維持するために、必要以上のモノを生産し、大量に消費する現代のライフスタイル。

新幹線がいくら早くなっても、ちっとも生活は豊かにならないと思った。

「自分は何のために働けばいいのだろう」

大学生だったぼくは、周りの友達と同じように就職活動ができなかった。この社会で働くことの意味すら掴めていなかったからだ。

そんな時、たまたま田舎で見つけた働き方。

食べ物の生産現場で働いている人々は、キラキラと輝いていた。当時のぼくにとっては世の中の大半の仕事が意味のないものに見えたけれど、食べ物を作るという行為の価値は誰も否定できないと思った。それは生きることに直結した仕事だった。

汗を流して働いて、人間のお腹を満たすために食べ物を作る。複雑化した社会の中で、そんなわかりやすい方程式で働くことに意味を感じた。

大学生のうちに全国の生産現場を巡り、その中でご縁のあった南伊勢町へ来て、漁師として働くことを決めた。

生きていく自信がついた

生産現場で働くようになって、ぼくの生活は豊かになった。

食べ物の背景を深く知ることの意義は計り知れない。日々の食卓を前にして、それらがどのように作られているかを想像できるからだ。寿司や刺身を食べるときにも、名前を聞いただけで魚の姿や味をイメージすることができる。

スーパーで買い物をするときも、美味しい食材を選んで買うことができる。できるだけ身近な地域やこだわりのある食材を見つけて、カゴに入れる。

そしてこのことは、安心に繋がった。

自分は着る服も、住む家も、食べる物も作れない。衣食住という、人間が生きることの根幹を知らない状態が不安だった。それは生きている実感が乏しくて、どちらかいうと生かされているような気がした。

自分が生きるために必要な食べ物を自分で作る経験。漁師として働く時間を通して、自分の胸にポッカリと空いた穴は自然と塞がっていった。

自分が仕掛けた網にも、魚がかかった。

自分もこの社会で生きていけるかもしれないと思った。

 


もう一つぼくの穴を埋めてくれたのは、物々交換のしきたりだ。

食べきれない量のマイワシをお裾分けしたら、トマトが返ってきた。ブリをお裾分けしたら、パンが3つ返ってきた。ネギは松坂牛になった。

生きていくハードルが下がって、フッと肩の荷が降りた。

おびただしい人に囲まれて孤独を感じていたぼくは、この町に来て、人との繋がりを強く感じた。この社会は一人で生きていくにはとても厳しいけれど、助け合うことができるなら、何とかやっていけそうだと思った。

 

一人ひとりに役割がある

この町に住んでいる人には、役割がある。人が少ないからこそ、誰しも頼りにされる。そして、互いに持ちつ持たれつの関係を築いている。

ぼくは大学を卒業してすぐ、この町にやってきた。スキルも取り立ててないにもかかわらず、応援してくれる人がいた。カメラを持って祭りや行事へ行くと、暖かく迎えてもらえた。写真を文章に添えて公開すると、喜んでもらえた。

それがぼくの「役割」になった。

町内にある三つの小学校と、一つの中学校で授業をした。老人会や青少年育成町民会議などに登壇した。「自分がなぜ南伊勢町に来たのか」という話が、町民が自分たちの住む町の魅力を再認識する機会になった。

それもぼくの「役割」になった。

何よりも、海の上の仕事ができるようになった。物覚えの悪いぼくは、先輩方を怒らせて、悩ませたけれど、辛抱強く教えていただいたおかげで、一つずつできることが増えていった。現場の仕事は、自分の成長をわかりやすく実感できた。船の運転、フォークリフト 、活魚運搬車の運転、魚捌き、ロープ結び……。

それがぼくの自信となった。

ぼくは自分が何もできないと思っていた。都会の消費的な暮らしに辟易としていて、だからこそ自分の手で生み出す生産現場の仕事に憧れた。

自分は何もできないわけじゃないんだと、自分を褒めてあげられるようになった。この町では「役割」が与えられて、一人ひとりが活躍することができる

 

生きる。精一杯。

この町に来たときは、将来どうなるかなんて分からなかった。それは実際にこの町で暮らしてみて、将来の自分が決めてくれるだろうと思っていた。

2年半が経った。2020年9月。

ぼくは漁師をやめて、この町を離れることにした。

ぼくはようやく「就職活動」をする決心がついた。この社会を受け入れ、自分自身を認めることができたから。自分がやりたいことを考えられるようになったから。

この社会は実際に働いてみると、机の上で勉強してきたものより人間味があって、生きがいがあった。この社会の中で、ぼくは自分にも果たせる役割を見つけていけると思う。

自分なりにもがき苦しんだ2年半。もしかしたらぼくは、この町へ逃げてきただけかもしれない。綺麗事を言って、その事実を包み隠して。

でも、良い場所に逃げてこれた。この町で得た「優しくて辛い経験」があれば、ぼくはどこでだって生きていける気がする。

「また戻ってくれば良いよ」って、言ってくれる人がいるから。

 

三重県南伊勢町。

 

38の農山漁村が紡ぐ海沿いの町に、ちょびっと移住した若者の話。

大杉谷⇄大台ケ原⇄大蛇ぐら 日帰りピストン

今年は全くレースがないから三重県内のいろんなところに行ってみようと企画。そこで三重県に住んでながら行ったことのない大台ケ原に初挑戦。
どうやって行こうかと調べたら大杉谷から大台ケ原へのピストンで行けるのかなーと。

大杉谷

場所は三重県の下の方で奈良との県境。

大杉谷

今回のルートはこんな感じ。全く人が住んでいるところは周りに見当たりません。もちろんケータイの電波も届かない自然がいっぱいの場所。

 

予定では往復32kmで15時間の工程。日没までには到着したいのでタイムリミットを日没18時として予定を組む。

前日夜の仕事が終わってからそのまま出発。紀勢自動車道が繋がってだいぶ便利になりましたね〜。大昔に串本まで遊びに行った時は本当に遠かった!

登山口の駐車場には既に数台クルマが止まってて一番奥のところに止めて仮眠。予定ではAM3時出発でしたが、朝のトイレにヘッデン付けて暗闇を歩いて行ったり準備に手間がかかり3時30分にスタート。

登山口

登山口

登山口

 

登山口の案内。記念品のお土産も自販機で対応。

橋

周りは真っ暗でヘッデンの明かりを頼りに前を進む。予報では午前中雨でしたが、夜小雨が降っただけで雨に降られることはなく良かった。でも木でできた吊り橋は慎重に歩かないと苔で滑ってしまうのでゆっくりわたる。

夜明け前 夜明け前

だんだん周りも明るくなって周りの景色が楽しめるようになってきてこんなところを歩いてたんだと気がつく。

千尋滝 千尋滝

千尋滝到着。ここのルートは滝のある場所は東屋が建っており休憩して滝を楽しめるようになってます。

シシ淵 シシ淵 シシ淵 シシ淵

大台町の情報で必ず出て来るシシ淵にもちゃんと寄れた。素晴らしい景色!

平等嵓(びょうどうぐら) 2020-07-23 06.02.48平等嵓(びょうどうぐら) 平等嵓(びょうどうぐら) 平等嵓(びょうどうぐら)

平等嵓(びょうどうぐら)

中国のような景色。

大杉谷 大杉谷

大きな岩が転がり落ちないように小さな枝でつっかえ棒をしていました。これで安心!

桃の木小屋 桃の木小屋 桃の木小屋 桃の木小屋

やっと到着!桃の木小屋

テレビで見て山奥にこんな山小屋があるんだーと思って楽しみにしてた場所。

出発から7kmで3時間でやっとここまで到着。疲れたのでここでドーピングのために甘酒を1杯いただく(三百円)。ちょっとこれで復活。ふと足元を確認すると今回1匹目のヒルが登場!吸われずにセーフでした。ジョニーをしっかり振りかけておいたのでこれ以上登って来れなかったのか?

先の地図を確認するとまだ今回の工程の半分の距離も進んでいない。本当に行けるのか心配になる。

七ツ釜滝 七ツ釜滝 七ツ釜滝 七ツ釜滝

多くの釜を有する段瀑であり、落差は120m以上。「日本の滝百選」に選ばれている名瀑である七ツ釜滝

段々宮川と登山道が近い位置になってきてクサリが岸壁に設置してあり非常に危険なルートになってきた。岩は苔が生えていてツルツルに滑るので大丈夫だと思っても絶対クサリを握りながら通らないと危険。ここのルートはしっかり整備されているのですが少しの気の緩みで滑って谷底に落ちてしまうから事故が多いんだろうなー。

 

何やらこの葉の影に動く物体がと思ったらミミズ。それも巨大すぎてびびる。噛み付いて毒でも吐きそうな気がしてさわれないから足で。友達らかこれはシーボルトミミズだと教わる。調べたら3年に1回大量発生するみたい。ちょっと前にもこのでかいのをみたので今年はその3年目みたい。

崩壊地 崩壊地 崩壊地

崩壊地を通過。ここは大きな岩が崩れ落ちたままの状態のところを渡る。不安定な岩に乗るので崩れ落ちないか心配になる。

大杉谷 大杉谷 大杉谷 大杉谷

さらに先を進む。

堂倉滝 2020-07-23 08.22.37

堂倉滝到着。これで長い宮川とはしばしお別れ。コケコケルートから外れるので

腰が引けた状態で歩かなくって済むのはありがたい。

ここまでで10kmで6時間かかりました。ここから向かうのが三重県の最高峰の山である大台ヶ原山(日出ヶ岳)標高1695.1mに本当に登れるのか?とびびり始める。

大台ヶ原(日出ヶ岳) 大台ヶ原(日出ヶ岳) 大台ヶ原(日出ヶ岳)

大台ヶ原山はあまり人が入っていないのか自然がそのまま残っている風景。大きな木が多く圧倒される。

大台ヶ原山 大台ヶ原山 大台ヶ原山 大台ヶ原山 大台ヶ原山 大台ヶ原山

大台ヶ原山(日出ヶ岳)やっと到着!100名山2座目(ちなみに1座目は定番の富士山)。曇りで景色が望めないと思ったけどまずまず見渡せて良かった。ここは年間最多雨量4500mmを越える本州の最多雨地なので雨が当たり前の場所なのでラッキー。

ここで7時間半で16km。予定では8時間で行けるところまでと思ったのでさらに先に進むことに。

「正木峠」や「正木ヶ原」 「正木峠」や「正木ヶ原」 「正木峠」や「正木ヶ原」

2020-07-23 12.28.15「正木峠」や「正木ヶ原」 「正木峠」や「正木ヶ原」 「正木峠」や「正木ヶ原」

大台ヶ原といえばこの風景だよね!

「正木峠」や「正木ヶ原」のこの景色がやっとリアルに見れた。でも説明を読むと鹿のせいでこんな景色に変わり果てたとは。

牛石ヶ原の神武天皇像

牛石ヶ原の神武天皇像

大蛇嵓(オオダイジャグラ) 大蛇嵓(オオダイジャグラ) 大蛇嵓(オオダイジャグラ)

そして今回の最終目的地である大蛇嵓(オオダイジャグラ)に到着!

皆さん撮影に順番待ちなのかと思ったら怖くってこれ以上行けないからどうぞどうぞと。実際行ってみるとそんなに怖くなくって足元ふらふらなのにいつもの片足上げポーズを。

大蛇嵓まで18kmで8時間掛かりました。予定通り到着できたのでそのままピストンで帰るぞ!

帰りぐち

さてまたあの険しい道を辿っていくかと思って大台ヶ原山を下りようとしたらこんな表示が。気軽に大台ヶ原を散策しているハイカーが間違ってここを下って行ったらえらいことになりますからね。

おまけ おまけ おまけ おまけ

ちなみに行き道で真っ暗でよく分からなかった場所を帰り道明るい状態で見て撮影しておいた場所。暗かったからよく分からなかったけどすごい場所だな〜。

結局今回の工程は40kmで15時間でした。なかなかのハードな山行でしたが感動もすごかった。

通常この行程を登山の方は片道で1泊2日でこなすようです。往復だと2泊3日が普通のみたい。標高で見ると御在所の中道ルートの往復を2回登って更に沢ルートで表現すると赤目四十八滝のルートをさらにツルツルにしたコースを3往復したのを一度に登るレベルで考えてもらえると大変さがよくわかるかも?とにかく今までの山行で一番ヘビーでした。

ちなみにここはトレラン禁止コースですので走ることなく早歩きで休憩もほとんどとらず歩きずめで何とかこなせました。

動画で今回の旅をご覧いただくのはこちらになります。

【連載:第1回】三重県のお茶農家の今 コロナの影響を受けて @鈴鹿市 住田製茶

今回は四日市市水沢町のお茶加工・販売会社「株式会社アンティ」安田社長に鈴鹿市のお茶農家住田さんをご紹介いただき、取材させていただきました。

「お茶バカ爺さん」として緑茶の普及活動を続ける安田さんと、鈴鹿市の老舗お茶農家である住田製茶の住田正樹さんの対談をもとに、コロナウィルスの影響を大きく受けているお茶農家の現状と今後の展望について取材させていただきました。


取材先:住田製茶 住田正樹さん(以下、

ご紹介者:株式会社アンティ 代表取締役 安田賢治さん(以下、

記者:たいぽん(以下、


 

緑茶の市場と茶葉の用途

 

た:早速ですが、今回安田さんからご紹介をいただきまして、コロナウィルスで大きな影響を受けている三重のお茶農家の方の現状をお伺いさせていただけますか?

株式会社アンティ 代表取締役 安田賢二さん
株式会社アンティ 代表取締役 安田賢二さん

安:住田さん、僕は抹茶メーカーのI社に今年の2月ごろに電話した時に「今年はお茶が余っとるから、2〜3割減らしてくれ」っていう話があって、実はコロナが本格化する前からそんな話をちらほら聞いとった。

その時は、はーそうかくらいにしか思ってなかったんやけど、3月からコロナが本格的に広がって、政府の指示で貿易がピタッと止まった。そしたら輸出ができないからI社は鹿児島や取引先にストップをかけたんや。

もちろんI社が悪いわけではないし他の会社さんも一緒なんやけど、コロナをきっかけに連鎖反応が起きてお茶市場の相場が底抜けたってことなんですわ。

四日市の水沢町から鈴鹿のこの辺のお茶農家さんも、抹茶用の茶葉を育てていて、大業務用の抹茶と茶道の抹茶、大きく分けてこの2つを栽培してます。そのうち茶道の抹茶は全体の2%くらいしか生産してなくて、業務用つまりお菓子やアイスクリームに使う抹茶なんです。

特に冷菓、アイスやジェラートに入れる抹茶は、日本だけじゃなく世界、例えばイタリアのジェラート用にもたくさん輸出してるんです。

引用:壽々喜園浅草本店
引用:壽々喜園浅草本店

最近ではそのジェラート用の市場を中国が狙っているんですわ。

中国のことはさておいたとして、要はお茶は煎れて飲むお茶や茶道の抹茶よりも、ほとんどが加工食品の原材料として取引されているということなんです。

今回のコロナの影響は、加工用抹茶の輸出が止まって大手加工卸の企業がお茶農家さんからの仕入れをストップかけたっていうのが、一番大きな原因なんですわ。

結果的に今年は去年の半値くらいになって大変な状況になってしもてる。

た:半値ですか!?

 

住田製茶 住田正樹さん
住田製茶 住田正樹さん

住:そうですね、そのくらいの値段ですね。

安:農産物で半値って、1割2割値段が落ちても大変やのに、経営にめちゃくちゃ響いてるわけですよ。普通やったら立ち上がれないくらいに生産農家はなってるということなんです。

住:例えば一番茶の話をすると、売る時に相場が底値になってたというのはもちろんあるけども、売る前から、新茶が始まりますって前の時期から取引先に「この量やと買えるけども、それ以上やとうちは買い取れません」って言われて、それは初めてのことやったんです。

うちはお茶の木に黒いネットをかけて「かぶせ茶」っていうのをメインでやってて、例年ならそれも煎茶用の茶葉も全量作ったら作っただけ買い取ってもらえたんやけど、かぶせ茶もいりません、煎茶もいりません、って。

いろんな経費かけたりしてきたんで、ここまで相場が落ち込むことも、全量買い取ってもらえないことも誰も予想してなかったことで。

お茶を育てるのに経費はかけたけど、売る前にいらんって言われたり、それで売る時も半値って言われて、うちとこだけでなく他のお茶農家さんもみんな困ってしまってる状態なんです。

 


世界の中の緑茶=日本茶

引用:Beautiful Tea Life
引用:Beautiful Tea Life

た:単価が下がっている原因は、お茶市場が伸びてないからなのか、中国を始めとした他国の生産量が増えて価格競争力で負けているからなのか、その辺はどうでしょうか?

安:日本ではお茶農家が生産するお茶はどんな形であれ全て市場に流通していた。止まったことがなかったんですよ。

鹿児島は一番南であったかいから出荷も鹿児島から始まるとお茶屋さんはよく言うわけやけど、国内シェアとしては静岡が50%以上、鹿児島が22%くらい、三重が7-8%、この三県で国内市場の8割くらいを占めてる。その他は京都や福岡かな。全国で16県ほどで生産しとる。

残念ながら緑茶の場合は、マーケットがほとんど日本しかないんですわ。

緑茶の輸出統計見てもらってもわかるように、中国が75%、ベトナムやインドネシアがそれに続いて、日本は2千トンと全体の1%もないんですね。

引用:京都府_緑茶の輸出量_2012
引用:京都府_緑茶の輸出量_2012

安:なぜ輸出量が少ないかと言うと、やはり農薬を使用している影響なんです。

キャベツなどの野菜と同じくお茶も葉物野菜で、農薬自体も改良されているし栽培方法もよくなったから取れ高も向上してきた。

昔から寒暖差がある土地のお茶はおいしいお茶で珍重されてきたし、こちらんお山本町の土地は水捌けが良くて良いお茶が取れる。すなわち高級品として取引されてきた。

日本の茶畑で言うと、静岡の牧之原市が標高約80m。水沢町や鈴鹿のあたりも同じくらい。鈴鹿市の山本町で100mくらい。

それでも害虫の幼虫が冬に土中で死んでしまうような高冷地と違って、美味しいお茶を生産するためには、どうしても害虫を防ぐための農薬が必要なんですわ。

お茶の輸出は、特にヨーロッパは食品の安全を強く求める国が多くて、フランスなんかはシャンゼリゼ通りを消費者がデモ行進するような国。

ヨーロッパはオランダを中心に農業が発展している国だから、環境・食に関しては非常に先進国。日本はGMO作物を大量生産するようなアメリカを見て動いているから、ヨーロッパの動きについていけてない。

そういったところが輸出がなかなか伸びない原因なんですね。

今までお茶農家さんは畑にもの凄く投資して、畑にお金をかけて肥料も買って、お茶が病気にならないよう薬を使い、害虫を防ぎ、そうやって丹精込めて一生懸命作ってきた。

今回のコロナ問題で、そうして作ったお茶が買取りできないという状況になっているのが今のお茶農家さんの現状なんですよ。今までは生産した分全てが流通業者の冷蔵庫に100%行き渡っていたのが、今年はそれがいよいよ崩れてしまった。

お茶農家さんの悲痛な思いというのは、一言で言えるようなもんではない。それはこちらの住田さんや他のお茶農家さんから伝わってくるんです。

 


茶業組合などの動きは?

伊勢茶_三重県茶業会議所
伊勢茶_三重県茶業会議所

た:生産農家さんと小売・卸売業者さんの力関係から、野菜の買取保証がされなかったり直前でキャンセルされてしまった事例は、他の農家さんから聞いたことがあります。例えば、お茶農家は茶業組合や業界団体を通じて小売・卸売業者の方との話し合いをされる予定などはあるんでしょうか?

住:例えばこの地域の山本町の「山本茶研究会」があります。父の代だと60人以上いたのが今では10数名です。共同工場のことを考えると、それがさらに3軒か4軒になります。その上位には鈴鹿市が管轄している鈴鹿市茶業組合があり、その上に三重県茶業会議所があって、ここが県全体をまとめています。

以前鈴鹿の茶業組合の会議に参加した時の話なんですが、そもそも三重県は県内の需要が少なくて県内だけでは市場として成立しないんですよ。そこに出しても引き合いがなく買い手がないから売れない。

三重県はまた入札形式というわけでもなく、市場で値段がつかないから結局市場外で業者同士の相対取引になってしまう。

最終的に残ったお茶だけが公開されている市場での取引になってしまう。

そうしないと売れない構図になっている。

取り合いするような商品なら市場で値段がつくんですけど、今回のコロナの影響でお茶が売れなくなっているというのは、おそらくですけどお茶問屋さんじゃなくて、最終お茶を使ってくれるコカコーラやサントリー、伊藤園みたいな大手飲料メーカーが買ってくれない、買えないという状況になっているんじゃないかなと思うんですね。

 

引用:コカコーラ_綾鷹 オリンピック記念デザインボトル
引用:コカコーラ_綾鷹 オリンピック記念デザインボトル

 

住:大手飲料メーカーは、2020年にオリンピックが開催されるという予定で、去年原料のお茶を多く仕入れているんですよ。

でもオリンピックが延期になってしまって、さらにコロナで海外への輸出も国内の物流も崩れた。ニュースなどでご存知の方は多いと思いますけども、京都なんかは海外の観光客がいなくなってしまったので、その方々向けのお土産品、お菓子やお茶加工品なども売れなくなってしまった。

だから原料のお茶の在庫が余っているから、保管する冷蔵庫もいっぱいで新茶が売れないという図式になっている。

だけど僕らはそんなことは予想してなかったから、作った分はなんとか市場外でも売る努力しますが、市場しか売り先がない農家さんはどうしようってなったと思います。

安:売れなかった分は結構廃棄してしまったん?2番茶はやっぱり捨ててしまった?

住:今回は梅雨も長かったからそもそも刈り捨てして生産調整しないといけないのもあったけど、それでも2番茶は3くらいは捨てました。

茶畑の比較
茶畑の比較

住:ドローンの写真で見るとわかりやすいですけど、畑の色が違いますよね。

この写真の手前左側の黒っぽい色の畑が2番茶の刈り取りをして出荷した畑、真ん中の薄い緑色の畑は左の畑より少し早く2番茶の刈り取りをした畑。

右側の鮮やかな緑色の畑は2番茶が出る前に葉先を刈り捨てしてしまって、出荷したくても出来なかった畑です。

 

2番茶を刈り捨てした畑
2番茶を刈り捨てした畑
2番茶を刈り捨てして出荷できなかった畑
2番茶を刈り捨てして出荷できなかった畑
ご自身の畑で解説いただく住田さん
ご自身の畑で解説いただく住田さん

住:そもそも大手の飲料メーカーさんは、年間の売り上げとか需要とかを計算して原料のお茶を仕入れてますし、オリンピックでキャンペーン品とかの増産分も見越して昨年は仕入れているわけですから、3月にオリンピックが延期になって、需要が減る、だから去年のお茶の在庫があるから仕入れられない。それらが一気に来たのが今回のコロナです。

誰が悪いとかでは全然ないんやけど、、、

 

(第2回に続く)

「パンダが18」で味わうアオハルはカレー味。

パンダが18。

地元の人からちょこちょこと聞く「パンダが18」という店が気になっていた。

パンダが18は、鳥羽市にある1978年開業の「鳥羽ショッピングプラザ ハロー」の中に入っているカレー屋さん。

正式名称はパンダが18

店頭にある食品サンプルのショーケースを覗いてみた。

充実のスパ系。

一方カレー系は、想像力が試されるディスプレイ。

カラフルな扉にぐいぐいと引き込まれます。

ビンテージなカウンターチェアに腰をおろす。なんだか落ち着く。

メニューは至ってシンプル…と見せかけて、ちょっぴり難しい。

エビフライが入っているのはメキシカンカレーで、ハンバーグが入るとダブルカレー。カツカレーはカツカレー

そしてビーフカレーの少し辛いのがパンダカレーで、次いでパンダメキシカンパンダダブルパンダカツというパンダ展開もあるから要チェック!

ちょっぴり難しい注文を終え、ホッと一息。

気になる元カガミ。

時代を感じるプリクラ

そうこうしていると、友人のカツスパが、佳境を迎えようとしていた。

ライブ感満載で出てきたカツスパ!

私はパンダメキシカン。このボリューム伝わるかな。

しっかり煮込まれていて、野菜もお肉も溶けこんだ濃厚なルー。

パンダなのでほんのり辛めね。そしてエビフライにメキシカンの要素が詰まっている(気がする)。

懐かしいというか、ひと口目から馴染むお味だ。

創業42年のパンダが18。気になる店名の由来を店主にお伺いすると、「特に意味はない」というご回答。

元々この店をスタートさせたのは別のオーナーさんで、その半年後に現店主が引き継ぎ、名前を変えずに「パンダが18」をコンティニューしたのだそう。
(そもそもパンダは可愛いというのと、前オーナー夫婦の名前に因んだ由来らしい)

昔からお客さんは野球部など部活帰りの高校生が多いゆえ、ご飯の量もたっぷりサービス。今でも数十年ぶりのOBたちが食べに来て、想い出話をすることもあるのだそう。

この日もちょうど、高校1年生の頃から約40年間通っている常連さんがいらしていた。当時、部活帰りや土曜日の午後に来ることが多かったそう。

――パンダが18での思い出はありますか?

常連さん:当時ここは何故か少年ジャンプが二日早く読めたんですよ。だから回し読みの取り合いでしたね。だって本来は月曜日発売なのに、不思議と土曜日にあったんですよ?おかげで僕はドラゴンボールのギニュー特戦隊の動向を先取りできましたね。

――懐かしい!ギニュー特戦隊のあのポーズよく真似したものです!

カウンターで弾む会話。店主は耳を傾け微笑みながらも、手は休めずにスピーディーに動く。

きっとこんな感じで40年前も、高校生たちが集い、出会い、アオハルしていたんだろうな。

 

photo / y_imura
取材日/2020.6.24

くわな村正史跡めぐりスタンプラリーで、桑名と村正の歴史を知る

お盆期間中に桑名宗社(春日さん)で行われた、宝刀村正の特別公開。

桑名の村正、特別公開とスタンプラリー

室町時代から数代続いた刀鍛冶の名跡「村正」ゆかりの史跡は、桑名市内に数多く残されています。
8月末まで、村正にゆかりのあるスポットをめぐるスタンプラリーが行われているということで、2歳の息子と回ってみました。

チェックポイントは全部で8カ所あります。


①桑名宗社
まずは桑名市本町にある、桑名宗社で台紙をいただきます。

台紙はうちわタイプの優れものです。
神社やお寺に行ったらお参りをしてからスタンプをいただきましょう。
桑名宗社の近くのスポットは他にもありますので、一気に集めます。


②仏眼院
桑名市南魚町にある仏眼院、こちらもまずはお参りから。
村正の一族と思われる千子宗入禅定門のお墓があります。

スタンプは本堂の前にあります。

このお寺は江戸時代には三崎春日明神(現桑名宗社)の別当となり、神宮寺を兼帯しました。


③本多忠勝公像
村正一門が手掛けたとされる槍・蜻蛉切を愛用した、徳川四天王のひとりの戦国武将・本多忠勝。

忠勝公は「慶長の町割り」という、それまで「十楽の津」として栄えた町人自治の港町を、近世城下町へとつくり変えました。

スタンプは像から約100m離れた、吉之丸の柿安コミュニティパーク駐車場にあります。 


④浄土寺
清水町の浄土寺には本多忠勝公の本廟があります。
こちらもまずはお参りから。

毎年8月23・24日の地蔵盆には、ゆうれい飴(幽霊飴)が販売されます。
↓ゆうれい飴についはこちら↓

【ゆうれい飴】は怖い話ではなく母の愛情がこもったお話

スタンプは庫裏の玄関前にあります。

スタンプラリーを徒歩で走破される方を発見!
※私は車と自転車を使っています


⑤七里の渡し
東海道五十三次の唯一の海路・七里の渡し。
川口町にある伊勢国側の渡し場跡には「伊勢国一の鳥居」が建てられています。
スタンプはこの鳥居のところではなく、「宿場の茶店 一(ハジメ)」にあります。

ハジメについては以前に取り上げましたが、大幅にリニューアルされました。

ここでちょっと小休止し、伊勢茶で喉を潤したり、たがね餅や桑名コロッケなどで小腹を満たせます。

詳しくはハジメのWebページに。
https://kuwanajuku.com/hajime/#about


⑥走井山勧学寺
ここからは少し郊外に離れます。
北勢線の馬道駅の北側の走井山周辺には、村正の屋敷があったと言われています。

走井山の勧学寺でも、お参りを忘れずに。


⑦玉川軒
相川町にある和菓子屋・玉川軒。

こちらでは、村正にちなんだ和菓子を購入できます。

この村正は、博物館などで村正の展示がある場合には必ず店頭で販売されるものです。
季節ごとに中身が入れ替わりますが、オンラインショップでの通販も可能とのことです。
https://tamagawaken.base.shop

スタンプを押す際は、何か商品を購入しましょう。


⑧天武天皇社
最後は東鍋屋町にある、天武天皇をお祀りする唯一の神社である天武天皇社です。

全て回れたお礼も込めて、お参りをします。


とても暑かったですが、何とか春日さんに戻ってきました。

スタンプを全部揃えましたので、社務所で記念ピンバッチをいただきました。

このピンバッジは桑名宗社所蔵の村正のつばを模したもので、先着1,000人限定です。
ウォークラリーは31日までです。
まだの方はお早目に!!

【お問合わせ】
名称:桑名宗社(俗称:春日神社)
住所:三重県桑名市本町46番地
電話番号:0594-22-1913
HP:http://www.kuwanasousha.org
駐車場:あり

 

「あこがれのイルカ島」連載エッセイ【ハロー三重県】第17回

8月のある日、鳥羽にあるイルカ島へ行ってきた。
その体験があまりにもよかったので、後世に語り継ぎたい。

三重県に移住してほどなく、私はイルカ島の存在を知った。
あれはもう10年も前のこと。
その夢とメルヘンがぱんぱんに詰まったネーミングに私の心は奪われた。
だって、イルカと島、だ。「イルカ」にも「島」にも、きっちり同じ分量でワクワクが詰まっている。
つまり、イルカがいる島なんでしょう?とリーフレットを持って夫に行きたいとせがんだ。
だけれど、夫の返事は非常に歯切れが悪く、何度せがんでも最終的には「またいつか」というふうにごまかされてしまう。
いったい何があると言うの、イルカ島。そこまでされると思いは募るいっぽうだった。

粘り続けて早10年の今年の夏、ようやく夫は「イルカ島に行ってみようか」と重い腰を上げ、思いはついに実を結んだ。憧れのイルカ島へ、いざ。

*

イルカ島はその名の通り、島なので上陸するには船に乗る必要がある。
それがもう最高。
三重に越してくるまでボート以外の船に乗ったことがなかったので、船で移動するなんてそれだけで高揚してしまう。
海の上を移動するって、発想が原始的でとてもいいよね。

子どもたちも船にはほとんど乗ったことがないので、それはもう喜んで、乗船した。しかもやってきたお船は、まさかの竜宮城を模したもの。
度肝を抜かれるってまさにこのことだ。ビビッドなカラーリングと大胆な装飾。船内では亀が小僧どもにいじめられており、船頭には浦島太郎がいた。異空間のイミテーションこそが、異空間だった。ナンセンスすぎて永遠に推せる。

鳥羽の海はとてもきれいで、あちこちに島が点在してある。それらを見ながらイルカ島まで15分ほどだったろうか。あっという間の時間だった。
ずっとカモメがエサを求めてついてきていて、愉快だった。

*

夫はあんなに言葉を濁していたのに、なんだこの集客力は、と驚いてしまう。
イルカ島に到着すると、想像以上の人だった。お盆の時期に重なったこともあったのかもしれない。
令和のウィルスの影響で、オープンエアな場所に人が集まりやすいのかもしれない。
いずれにせよ、とても賑わっていた。

ロープウェイに乗ったり、アシカショーを見たり、イルカショーの時間までを有意義に過ごす。
小さな島なので、どこにいても海が見えて、とてもきれいだった。
生憎、期待していた、イルカにお魚をあげることができる「おやつタイム」の券はあっという間に売り切れてしまったらしく、断念した。次回はもう少し早く来て、ぜひイルカにお魚をあげたい。

さあ、お時間だよ、と満を持してイルカショーの会場に向かったのだけど、私はイルカショーの常識を覆されることになる。
そこにいたのは少し、ゆとりの風を感じさせる、なんていうか、無理をしないスタイルのイルカだった。
昨今のイルカショーのクオリティはすさまじいと言っていいものばっかりだ。どこの水族館で見ても、まさか……哺乳類にこんなことが……と思わされる。いったいどんな訓練をしたらあんな立派なイルカになるんだろう、と我が身を振り返って後ろめたくすらある。賢明なイルカの姿に心を打たれ、心を洗われる、壮大なショーを何度見てきただろう。
ところが、イルカ島のイルカの、ありのままの姿。
できることしかやらないスタイル。彼らの等身大の姿を見た。

本来イルカは、自然界で空高く飛ぶ必要はないのだ。軽いジャンプをする程度でいい。イルカはざんぶらこ、だ。そう、本来のイルカの姿はこういうものだったよ、と目が覚める。
高く飛ぶ必要もないし、2匹同時に息を合わせたスピンをする必要もない。尾びれを使って、水面を器用に歩かなくたっていいのだ。
全力のイルカショーももちろん素晴らしく感動するのだけど、この、軽くしか飛ばない、派手なことをやらないイルカショーは、そうだよ生き物って本来そうあるべきだよ。と思わされた。

ちょっとみんな頑張るほうにバイアスかけすぎてるし、ストイックになりすぎているよ、いったん落ち着こうか、と声をかけられている心地だった。
そして、それを笑顔で見守るトレーナーの方たちの寛容な眼差しもとてもよかった。

*

イルカタッチといって、イルカのおでこにタッチができるというイベントもあって、おやつが叶わなかった我々は嬉々として列に並んだ。
イルカを触るなんて初めてのことだから、とってもわくわくした。
んだけど、列に並んでいると拡声器で信じられない言説が聞こえてきた。

「なるべく早く進んでください」

の後に

「イルカのやる気がありません!」

という声。

耳を疑っていると、「イルカにやる気がありません」と係員さんは再び繰り返した。
さらには「いやいやモードです!!早く進んでください!!」と声は続く。

そう、イルカだって生きているんだから、やる気がない日があるのは当たり前であり、それは尊重されるべきなのだ。
私だってやる気がない日は早く寝たいし、なんならお風呂にだって入りたくない。イルカだってそうだろう。きっと今日は何もやりたくな日なんだ。
エンタメに慣れ過ぎた私たちは、列に並べばそれ相応の対価が受けとれると信じていて、サービスはいつだって裏切らないと思い込んでいた。
エンターテイメントの上に今まで胡坐をかいて生きてきたのだと思い知らされる。

「イルカがやる気をなくしたらそこで終了となりますので、早く進んでください!」

その声を聞きながら、そうだよ。すべてはイルカ次第なんだから。我々は恩恵を受けているだけなんだから、と悟りのような安らかな気持になった。

なんとか我々はイルカのご機嫌を損ねることなく、おでこにタッチをさせてもらうことができ、イルカに感謝をしながら水槽を後にした。
イルカのおでこは思ったよりもざらっとしていて、思ったよりも乾いていた。

*

島だけあって、歩けばすぐそこにビーチもあり、遊泳こそできないけれど、ちょっとした水遊びはできる。ビーチグラスを拾ったり、水切りをしたりして、水をかけあっていたらあっという間に時間が経った。

さて、帰路ももちろん船に乗る。
船には種類があるようだったけれど、帰りもまた竜宮城に乗船した。
ありがとうイルカ島、ありがとう夢の国、そんな思いを乗せて、船はまた海の上を進んでいく。
とても暑い日だったけれど、子どもたちは終始ご機嫌でよく笑っていた。

我が家にとってはとっても充実した、いい一日だった。
竜宮城に乗ったことも愉快だったし、イルカたちはとてもかわいかった。暑い中で食べる大盛りのかき氷は飛び切り美味しかったし、今年初めての海に子どもたちは大興奮だった。

*

イルカ島は、なんだかノスタルジックで、不思議な島だった。
夫が言葉をつぐんだのはきっと、この、ある時期から時が止まったみたいな島は、直球のエンターテイメントを想定したら満足できないよ、という意味だったんだろう。
それは大いに理解できてしまうけれど、どうしてなかなか、イルカ島の魅力はそんな小さな枠には収まらない、とも思う。
こればっかりは見てみないと分からない、ナンセンスとノスタルジーと我儘なイルカの融合。つまりイルカ島にしかない魅力だった。

#私のご近所 香肌峡ルート166をゆく ~松阪市飯高町後編~

松阪市を通る国道166号線。道沿いをエメラルドグリーンの櫛田川が流れ、香肌峡県立自然公園にも指定されており、バイカーやサイクリストに人気の国道です。

その国道からローカルな道に入ると、地元住民により大切にされている日本の原風景や、ディープなお店が点在しています。又、およそ70もの橋が架かっているそうで、中には歴史を感じるこんな橋まで。お気に入りの橋を探すのも楽しいかもしれません。

櫛田川流域は、全国屈指の優良な木材の生産地であり、古くから製材品の生産が盛んな地域です。香肌峡には、多くの製材工場がありますが、私が子供だった頃に比べると製材工場の廃業が目立つようになりました。長期化する木材価格の下落や、安価な外国産材との競合、木材需要の減少が主な原因のようです。

それで、少しまじめに、身近にある「木」のことを考えてみました。私たちの身近にある「木」の一つとして、割り箸があります。

皆さんは、日本の割箸事情をご存知ですか。

割り箸の木目を、じっくり見たことがありますか。

三重の県堺で職人達が作る「三重県産割箸」に心を奪われてしまい、一気に西へ進み過ぎて、いよいよ県堺まで来てしまいました。

松阪市飯高町栃谷にある波瀬割箸さんにお邪魔しました。事業主の水谷さんに、現在の割箸事情や、国産割箸と日本の森林保全の関係について等、色々教えて頂きました。

<波瀬割箸さんについて>

昭和38年、個人商店水谷木工を開業され、平成16年に休業。原因は、林業不振による原材料入手難、過疎高齢化での人手不足、安価な外国産材に押されたことでした。しかし、平成26年に当時の事業主の息子(現在の事業主)が中心となり事業を再開。省力化を図り、より高品質な製品で市場開拓を行ってきました。そして、令和2年の現在、飲食店からの注文は激減し、先の見えない新型コロナウイルス感染症の大流行という逆境のさなかですが、常に新たなアイデアを求め、前向きに三重県産割箸の生産に励まれています。

我が国で利用される割り箸の約98%が輸入であり、そのほとんどが中国産となっています。価格の低い輸入割り箸に押されて、国産割り箸製造業者の多くは撤退・縮小を余儀なくされました。

波瀬割箸さんで生産されている割り箸は、全て、端材を有効利用したものです。木材を加工した際にできる端材を、町内の製材工場などから仕入れ、無駄の無いよう一つ一つ丁寧に作られています。又、私たち一人ひとりが意識して間伐材を利用することが日本の森林保全に繋がり、間伐材や木材加工時の端材から作られる割箸を利用することは、エコな行動であるということを教えて頂きました。

お話をうかがった事業主の水谷さん。

熟練の技を持つ職人さん。

 

箸は口に直接触れるもの。なにより、小さい子供を持つ母親としては、三重県産の木材を使った安心・安全な割り箸は、とてもありがたいものです。

ところで皆さんは、割り箸の木目をじっくり見たことありますか。

波瀬割箸さんの割箸は、木目がとても綺麗なのです。「柾引き」という、木の木目に沿って切る工程に、熟練の技が詰まっています。きれいにまっすぐ木目が出ていることで、割り箸を割る際に、気持ち良いほどきれいにスパッと割れるのです。是非、体感して頂きたいです。

波瀬割箸

三重県松阪市飯高町栃谷103番地

0598-47-0755

※ふるさと納税返礼品にも登録されています。

https://www.furusato-tax.jp/product/detail/24204/340803

 

最後に、波瀬割箸さんの近くで食べるなら、「県境のブラジル」、グリーンライフ山林舎さんがお勧め。(※要予約)本格ブラジル料理が味わえます。波瀬割箸さんの割り箸もこちらで購入できます。食後は、すぐ近くの川に降り、清流に親しんではいかがでしょうか。

とてもお肉の柔らかな鳥の丸焼きでした!

フェイジョンという、国民的な豆料理。

食後は涼を求めて川へ。

 

グリーンライフ山林舎

0598-47-0326

https://greenlife-sanrinsha.com/

 

まだまだ紹介しきれていないスポットがたくさんあり、今回は絞るのに苦戦しました。また少しづつ記事にしていければど思います。最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

熊野古道 中辺路(熊野本宮大社~熊野那智大社)

ずっと前から行ってみたかった世界遺産である熊野古道。最終目的地である熊野本宮大社って熊野って名乗ってるのだから三重県にあるんだとてっきり思ってたらギリギリ和歌山だったんですね。

熊野古道

 

いろいろ調べると熊野古道といっても6ルートがあるみたい。

  • 紀伊路(渡辺津 – 田辺)
  • 小辺路(高野山 – 熊野三山、約70km)
  • 中辺路(田辺 – 熊野三山)
  • 大辺路(田辺 – 串本 – 熊野三山、約120km)
  • 伊勢路(伊勢神宮 – 熊野三山、約160km)
  • 大峯奥駈道 (吉野 – 熊野三山)

 

そして熊野古道は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道の総称だとか。

今回初めていくことだし熊野三山全て回ってみたいと計画。中辺路(田辺 – 熊野三山)で行こう!いろいろ調べると熊野本宮大社と熊野速玉大社の区間は熊野川で川下りで通るみたい。今も予約制で船でいけるみたいですが1日で回るには時間もかかりすぎるので新宮駅スタートでバスに乗って熊野川沿いを1時間登って熊野本宮大社に向かう。

熊野川

バスからずっと見える熊野川の景色。

熊野本宮大社 熊野本宮大社 熊野本宮大社 熊野本宮大社 熊野本宮大社

熊野本宮大社に到着。狛犬もマスクをしてお出迎え。ここのシンボルが3本足のカラス。JFA(日本サッカー協会)のマークも同じ八咫烏。

御朱印 カラス

 

せっかくなので御朱印とお守りをいただいてきました。郵便ポストまでカラス色で真っ黒。そしてマスクをちゃんとしてます。

このマークって子供の時見覚えがあるなーと思ったら仮面ライダーの敵のショッカーのマーク?

熊野古道出発

前置きが長くなりましたがこれから熊野那智大社に向けての熊野古道出発。スタートから石畳で足元ツルツル。

熊野本宮大社大鳥居

熊野本宮大社大鳥居

田んぼの中を通って熊野本宮大社大鳥居を通過。素晴らしい景色に感動。

熊野川 熊野川 熊野川

熊野川沿いのルートを通り山の中を進む。

百間ぐら

百間ぐら到着。ここに来るまで全く外の風景が見れなかったけど周りは山ばかりで素晴らしい。途中で嫌になってもエスケープできそうにない孤独なルート。

東屋

途中にあった休憩できる東屋。ここは水も補給できてありがたい。

小和瀬

今回のルートで唯一下界に降りれる場所。ここ以外全て山のルートで文明に戻れてほっとする。ここで自販機を見つけてコーラと水を補充して後半に臨む。トイレもあって助かる。

休憩

ここでしばし休憩できて生き返る。それにしても下界は暑い。やっぱり涼しい山に行きたい。

熊野古道 熊野古道 熊野古道 熊野古道

また後半の熊野古道出発。似たような風景の連続であまり感動がなくなってきた。

迂回ルート 迂回ルート

途中崖崩れで迂回ルートで大回りすることに。ここからしばらく林道ルートで熊野古道っぽくなくなりますが石畳ではないので走って早く進める場所でした。この頃ゴールの御朱印をもらえる受付タイムリミットが近づいてきてたので焦っていてあまり休憩を取らずに走る。

大雲取地蔵茶屋休憩所 大雲取地蔵茶屋休憩所

大雲取地蔵茶屋休憩所で自販機もありここでも助かる。この辺から雨がぽつぽつ。そしてながーーイ登り坂の舗装道路。熊野古道なのに舗装道路って?

霧 霧

だんだん霧が立ち込めて幻想的な風景になってきた。ただでさえ湿気でツルツルに滑るのに霧でさらに滑りやすい石畳になって足腰がヘロヘロに。

熊野古道

長い下りの先にやっと見つけた熊野古道の石碑。那智高原公園でまだゴールは先みたい。

那智滝

そしてやっと到着、那智滝と那智山 青岸渡寺の塔。この写真が撮りたくってここまで頑張ってこれた。

熊野那智大社

熊野那智大社に到着。ギリギリ間に合ってお参り完了

 

 

 

 

御朱印

 

御朱印を並べてみた。

本当は熊野速玉大社まで行って3社巡りと計画してたのですが、時間的に間に合わず入り口まで行って拝んで帰ってきました。

 

これで死ぬまでにやっておきたかったことがまた一つクリアー!

ほとんどが石畳でこれが曲者。昔は人が頻繁に通ってたからコケも生えなかったからよかったかもしれませんが、今は滅多に人が通らないからこれがコケコケで何度もコケそうに。熊野古道って名前は今となっては間違いで、熊野苔道にしないといけないと思う。

今回のルートはこんな森の中でした。

リアスフェチと餃子愛

きっと人は、それぞれ生まれ育った土地で見ていた風景に、心を落ち着かせるのだと思う。

伊勢湾の浜がある海を見て育った。小学生のときの学校行事も浜であった。店や会社が建ち並ぶ国道23号線から少し入ると穏やかな海がある、そんな町で育った。
そして逆に非日常だからこそ、心躍る風景がある。

私はリアス海岸を眺めるのが好きだ。リアス海岸は山からいきなり海になる。山と海という自然がギュッと詰まっている。とっても地球だなと見るたびに思い感動する。

自分で書くのもおこがましいが、私はリアスフェチだと思う。
県内のリアス海岸しか知らないのにフェチと書いていいのかわからないが、利尻島のリアスも死ぬまでに見てみたい(オススメのリアス海岸があれば教えてください)。以前に鳥羽から熊野まで、リアス海岸に沿って車で走ったことがある。志摩辺りのリアスは山が低い。モコモコとした小島がたくさんあり可愛らしい風景。南伊勢まで行くと山は高くなる。内瀬の小島は映える(萌える)。阿曽浦の橋から見る小島の夕景も萌える。紀北の古里の海からも美しい小島が眺められる。

尾鷲市三木浦

小さな漁村が点在する尾鷲に入り、国道311号から見るリアスは少し固いイメージがある。固く黒く男性的なイメージ。しかし熊野に近づくにつれ、柔らかい白い女性的なイメージになる。
そんななか、砂浜が少ない熊野灘に三木里海水浴場がある。砂浜から青い海が広がり、奥には深い緑と青空。

ずっと見ていられる(怪しい人)。

店主は尾鷲市地域おこし協力隊の藤井さん

三木里には海の家はないが、訪れるとキッチンカーが営業していた(海での営業はお盆まで。詳しくはこちら)。

尾鷲ICを下りて主婦の店でしこたま飲み物を買い込んでいたが、現地でいただくものはテンションが上がる。小さな子どもも連れていったので、アクティブに海を泳ぐことはあまりできなかった。
でも、私はリアスフェチ。

ビールを飲んで眺めているだけでもニコニコ笑顔になれる(怪しい人)。

帰りに尾鷲市内の来々軒という中華料理屋に行った。昔ながらの町の中華屋という感じ。

夏に食べる餃子好きの私にとって魅力的な三種類の餃子があり、それぞれ頼んでみることにした。

個人的に辛口餃子がとても美味しかった(辛旨)。焼き加減も家ではできないお店の味。

そしてマスタードを付けて食べるスタイルは初めて。

リアス海岸と餃子があれば、もうそれだけで私にとっては充実した夏の想い出。いやー喰った喰ったと、美味しいものは心も満たしてくれるのでした。

 

 

あの大人気「よっちゃんキムチ」が株式会社よっちゃんキムチになりました。

口コミだけで全国に広まり、はまる人続出のよっちゃんキムチ。

一度食べたら癖になる、注文殺到のあのよっちゃんキムチが、2020年7月に株式会社よっちゃんキムチになりました。

よっちゃんキムチとは、”よっちゃん”の愛称で親しまれている韓国出身津在住の上出善子さんが作る絶品キムチ。

法人化によって、何か変わることはあるのかな。

近況を伺いに行ってきました。

 

独特なコクと甘み。ヤミツキになるキムチ

待ち合わせ場所は、精肉店 朝日屋が展開する津駅前の「松重」

よっちゃん!!

なぜ松重かというと、よっちゃんキムチの納品先でランチにキムチが付いているのです(一部)。

よっちゃんキムチを知らずに食べたお客さんから、アラカルトでキムチ盛り合わせの追加注文が入ることも多いそう。非常に納得の行動です。

さて久々にいただくよっちゃんキムチをご飯に乗せてひとくち。

あ~これこれ!!!!

口いっぱいに広がる独特のコクと甘み。もう堪りません。ご飯何杯でもいけちゃうやつです。

 

逢いに行きたくなる

あまりの人気にここ数年間は休みなく働き、お客さんに喜んでもらえるように地道にキムチを作り続けているよっちゃん。腰を落ち着かせて昼食をとる事すら「ほんと久しぶりやー!」と明るく笑い飛ばす。

キムチと同様、一度会うと虜になるお人柄に目的が、「キムチを買いに行く」ことから「よっちゃんに逢う」ことへチェンジすることも日常茶飯事なのだ。

よっちゃんキムチを販売し始めたのは約18年前。原点は他界されたお母様から受け継いだ伝統の味で、日本人の好みに合わせて、辛味や酸味を控えるアレンジを加えた。今の味になるまでの約10年間の試行錯誤があったそう。

よっちゃん:おいしなーこれ。こういう場所で食べると違うなぁ。おいしいー!!

よっちゃんキムチを食べながら、よっちゃんのよっちゃんによるよっちゃんキムチの自画自賛も、マジで美味しいから突っ込みどころではないのです。

みてみてー!とキムチを見せてくれるよっちゃん

 

改めまして、株式会社よっちゃんキムチおめでとうございます。

よっちゃん:「ありがとう。胸がいっぱいやー。手続きがすごい大変だったんよ。でも税理士さんやお友達やお客さんたちに支えられて、なんとかできたよ。自分自身には何も自慢することないけど、周りの人を自慢したいなー」

――相変わらずの美味しさ。ファンはどんどん増えていますか?

よっちゃん:おかげさまで今は半年くらい待ってもらうお客さんがいるよ。私自身はなんも変わらずに地道にやってきただけ。最初の頃は自信がなかったけどな、よっちゃんキムチ好きな人に食べてもらって、美味しいと言ってくれるからまた頑張るという想いが、信念に変わって、これで良かったんだって今思える。それがありがたくて嬉しくて。そういう気持ちをお客さんたちもちゃんとわかってくれとるんよ。

――お裾分けしたくなるキムチ。よっちゃんの人柄も浸み浸みですよね。

よっちゃん:苦労して一生懸命作ったものだから、やっと買えた!とか、美味しい!とか喜んでもらえるととても嬉しいね。”よっちゃんキムチはな、皆を幸せにしてくれるんだよ、だから頑張れ”って言ってくれる方がいたりして、私っていい仕事しているんだなーって(笑)

――法人になって何か変わることはありますか?

よっちゃん:なんも変わらないよー。変わらず美味しいよっちゃんキムチを作るよ。

変わらぬ美味しさを提供し続けてくれるよっちゃんのよっちゃんキムチ。「出会う人たちとの縁や繋がりが一番大切なもの」と仰るよっちゃん。体調だけはどうか気を付けてほしいと願うばかり。

色んな面で味わい浸み浸みなよっちゃんキムチを、機会があればぜひご賞味ください。ご飯はジャーごと用意することをおすすめします。

 

松重
住所:三重県津市羽所町381番地 アネックス1F 津三交ビルディング
電話: 059-229-0298

夏休みのお知らせ 2020

いつもOTONAMIEを応援いただき、ありがとうございます!夏季休暇として、8月12日〜16日は新着記事の配信をお休みします。

この時期になると思い出すのが、昭和30年に津市で起こった「中河原海岸水難事故」。36名の女子生徒が犠牲になった事故です。祖母から子どもの時に聞いて以来、最近まで自分で想像した映像が頭の中にあると思っていました。中河原海岸水難事故は子どものころから、よく怪談話しとしてテレビで取り上げられていました。海の底から足を引っぱる防空頭巾を被った亡霊たちの仕業だとか、そういったオカルト話です。

しかし実際はそのようなオカルト現象はなく、人がうわさを作り上げて話が大きくなっていったそうです。私の頭の中にあった映像も、そんなデマをオカルトテレビ番組が作り上げた映像だったと気がつきました。デマがメディアを介して視聴者、特に影響を受けやすい子どもに伝わることの怖さ。コロナ禍ではそんな怖さがあると思います。

せっかくの夏休み。少しメディアと距離を置いて、夏を感じるのもいいなと思います。今年は花火大会が中止になったので、家でいつもよりちょっと贅沢な花火大会をしようと考えています。

どうぞ楽しい夏休みをお過ごしください。

OTONAMIE代表 村山祐介

蓮のある風景。戸惑いの時代、行き詰まる前に「選び捨て」で和やかな日常を。

心がガザガザとするとき、人と話をすると落ち着く。
コロナ禍で正直、現実を直視できないくらい気持ちが疲弊することがある。
それでも人と話をすると、心が和む。

なんでもいい、話そう。そして和もう。
和みほど、日本人にとって大切なことはないのだから。

 

【 す べ て を 委 ね ら れ る 瞬 間 】

桑名市出身の佐藤 敬さんと、ロシア出身のアレクサンドラ・コヴァレヴァさん(以下サーシャさん)。二人は日本を代表する建築家、石上純也氏に師事したあと、建築家ユニットKOVALEVA AND SATO ARCHITECTS、通称KASAを立ち上げ共同主宰をしている。

コロナ禍に入る前の2019年、KASAが発表した「蓮のある風景」という作品が名誉あるSDレビューの最優秀賞である鹿島賞に選ばれた(詳細はこちら)。その功績は建築業界のみならず、Yahooトップニュースになるなど話題になった。

期間限定で善西寺に置いてあった「蓮のある風景」。

「蓮」と聞いてピンとくる人もいるかも知れないが、仏教がテーマになってる作品で、KASAと桑名市にある善西寺とのコラボレーションの取り組みだ。ロシア人のサーシャさんにとって、日本の宗教はどう映るのだろうか?

サーシャさん:日本の神社やお寺はやわらかな光や静かな暗さに身を置くことで、自然と祈りを捧げたくなるような大らかな場所です。そういう雰囲気がとても大切だと感じています。

礼拝の後、目を開ければ風に揺れる緑はより色鮮やかに、注ぎ込む光や風はより心地よく感じることがある。そして気持ちがすっと穏やかになる。そんなリラックスした状態になるのはなぜなのだろう。善西寺の住職、矢田 俊量さんに聞いた。

矢田 俊量さん

矢田さん:人は礼拝する時、心が背負っていた荷物を一旦おろし、すべてを神や仏に委ねているのだと思います。

日本に来るまで仏教に馴染みがなかったというサーシャさん。はじめて出会った仏教。佐藤さんは、そこが良かったという。

佐藤さん:矢田さんからお借りしてきた仏教の雑誌に本願寺内陣の障壁画「蓮池図」が載っており、それを見たサーシャの「これとてもきれい!」という素直な感覚が蓮のモチーフの着想です。「蓮のある風景」は善西寺のお寺ルネサンス(再生)プロジェクトの一環なので、仏教が日常にはない視点で捉えた先入観のないフレッシュな感覚が大事だと思いました。

お寺の境内から見た「蓮のある風景」とMONZEN
©川村恵理

蓮の葉をモチーフにした建築は、善西寺の山門の真向かいにある住宅の駐車スペースに設置を想定。

合掌するかのように寄り添いあった二枚の葉の間から風が流れ、葉に開けられた孔からは雪のようにこぼれた光が地面に蓮池のような風景を映し出す。やわらかなフォルムの葉を見上げれば星空のような美しさ。
子どもたちが葉の上に腰をかけ、お母さんたちは世間話しに花を咲かす。そんな暮らしの風景が思い浮かんだという矢田さん。

矢田さん:仏教感のある暮らしが建築を通じて地域に伝わっていく。KASAの二人は翻訳者のようです。

 

 

【 死 を 見 つ め る こ と で 、 生 き て い く 意 味 を 知 る 】

お寺ルネサンス(再生)プロジェクトを立ち上げた矢田さんは、もともとお寺はいろんな世代の人が集う地域のコミュニティースペースであったと語る。

矢田さん:数年前に若い知り合いから「お寺は入りづらい、気軽に入ってはいけない場所だと思う」と聞いたとき、住職である自分との感覚の違いに驚きました。そこでお寺や仏教が地域にアウトリーチ(積極的に対象者の居る場所に出向くこと)しなければと考えたんです。お寺以外にも地域に場をつくり、そこで人と繋がる。そして仏教感のある暮らしを、受け入れてもらえたらと思っています。

矢田さんは取り組んでいるお寺ルネサンスプロジェクトを「りてらプロジェクト」と名付け、「いつも、ともにあった、お寺を、いまも、ともにある、お寺へ」をコンセプトに、グリーフケア、おてらこども食堂、おてらおやつクラブなど多岐に渡る活動を行っている。

善西寺の門前にできた、Fukumochi vintageという古着屋もその一環としてプロデュースした。
並べられているのは地域のおばあちゃんたちが昔着ていて、ずっと大切にしていた洋服を寄付してもらったもの。定額の会員制で1着借り、それを返せば何着でも借りることができる、いわゆる古着のサブスクリプションだ。丁寧に仕立てられたレトロな洋服は時代を経てなお魅力的で、若者にも人気がある。
地域の高齢者と若者がともに喜びを分かち合う仕組みだ。

今回「蓮のある風景」と関連する門前の住宅は、リノベーションを経て「MONZEN」として再生し、今後、地域のコミュニティスペースとして活用する予定だ。

矢田さん:MONZENは人が自然に集い、いろんな話しができる場所にしたいです。医療や介護はじめ、子育てから終活まで、暮らしの相談が気軽にできるような場作りを目指します。

取り組みの背景には2025年問題があるという。日本は、まもなく世界でも例を見ないスピードで少子高齢化・多死社会の時代に突入する。
このままのスピードで進めば2025年には病床数が不足し、高齢者の最期の居場所が病院になくなる。さらに地域で高齢者をフォローできる介護福祉業界の人材不足も深刻化する。
したがって家族など支える側の人は、介護についてわからないことが多く不安な状態になり、支えられる側の人も心配を掛けてはいけないなど心理的な負担も増える。
つまり、医療や介護福祉の現場だけでは手に負えない時代に、日本はもうすぐ入ろうとしている。

矢田さん:MONZENに子ども、大人、高齢者などいろんな世代やそれぞれの立場、またジャンルを越えたプロフェッショナルがごちゃまぜに寄り合うことで、地域包括の新しい形ができると思います。

イメージしているのは全国に増えている「暮らしの保健室」だという。
「暮らしの保健室」はマギーズ東京の共同代表、秋山正子さんが開設し医療、健康、介護、暮らしの相談が予約なしで無料でできる場で、2017年にグッドデザイン賞を受賞。現在は全国に50箇所以上に増えている。
さらに矢田さんは、MONZENでお寺がプロデュースする通夜・葬式を行い、看取りから安心して葬儀を迎えられるようにしたいと話す。近年、質の低下が著しい会館での葬儀に見切りを付け、MONZENではごく質素に、そして自ら動き、心を込めて家族を送ることができるようにする。そこから遺される家族が葬送の意味を問い直す機縁になると考えているという。

矢田さん:1970年代頃まで、日本人は自宅で家族に看取られて亡くなっていました。そして、葬儀も自宅で執り行われていました。家族や親戚が亡くなった人と夜を過ごすなど、死と向き合う時間がありました。人は死を身近に見つめることで、生きていく意味を知るんです。死と向き合うことが減った現代は、生きていく意味が見つけにくくなっています。MONZENでは、通夜や葬儀に家族や親戚がじっくり大切な方の死と向き合う時間を作ります。

 

 

【 心 の 目 で 選 び 捨 て る 】

話しを聞き「それは昔、地域にあった仏教の習慣にもどすということですか?」と訊ねると、矢田さんは「そうではない」と話した。

矢田さん:時代がもどるということはないです。地域社会の課題に対していま仏教ができることを、現代に形を変えて再生するのです。仏教では諸行無常と言い、この世の森羅万象、すべてはうつり変わるものと説きます。

諸行無常。それは自然の摂理そのものだと思う。
自然界にあるものは、常に一定のリズムで変化を続ける。約1500年前に日本に仏教が伝わり、当時は最新の哲学であり宗教であった。日本仏教は永い歴史のなかで聖人や上人によって教えが深化し、人々の暮らしに欠かせない存在となった。現代は昔ほど教えを語り継ぐことが少なくなったが、核の教えがあるから時代の課題にも対応ができる。時代ごとに再生するもの、それが仏教なのだろう。

コロナ禍で誰も想像しなかった時代に急変した。
今までの価値観を抱えながら、新しい価値観も受け入れなければならない。そんな戸惑いの時代に「選び捨てる」という仏教の考え方を教えてもらった。

矢田さん:自分の状況で抱えきれることを取捨選択して、無理なことや無意味な欲を選んで捨てる。そうすることで、余計な悩みは消えて本質的に大切なことに出会えます。

 

 

【 蓮 の 美 し さ 】

仏教では現世を「生老病死」をはじめとする四苦八苦から逃れられない世界と説く。
有限な肉体という入れ物に生きる人間には、抱えられる容量に限界がある。例えば肉体をガラスビンに例えたなら、選び捨てることをしなければビンはパンパンになる。それでも欲が望むままに詰め込み続けたら、ビンはいつか割れてしまう。ビンにスペースを作るためには、選び捨てる必要がある。そうすれば、大切なことを選び取る余裕ができる。または、見えていなかった底に横たわる “出遇うべきもの” に気づくこともあるかも知れない。人も生もの、諸行無常。

ところで蓮の花は極楽浄土を生きる人の心と仏教では説く。蓮は現世という泥田から凜と茎を伸ばし、花は泥に染まず清らかに咲き誇っている。

蓮のある風景。
暮らしのなかで蓮を通じて仏教感を感じながら、和やかに暮らす。そんな優しい空気に人が寄り合い、和める場が地域にあるのは幸せなことだと思う。

飛鳥時代、日本に仏教を根付かせた厩戸王(聖徳太子)はこんな言葉を残した。
“和をもって尊しとなす”
和を何よりも大切にするという精神は、1500年以上も前から何度も苦難を乗り越えてきた。
和の精神はどんな時代でも、日本人として生きていくための本質なのかも知れない。

 

 


タイアップ

走井山善西寺

add:三重県桑名市西矢田町27-2
tel:0594-22-3372
HP:http://mytera.jp/tera/zensaiji30/monk/
FB:https://www.facebook.com/zensaiji987/

※現在「蓮のある風景」のオブジェは、善西寺で展示していません。


 

善西寺に関するOTONAMIEの記事

pray. 伝えなきゃ。三重の山奥の暮らしで見つけた感謝の連鎖、いのちの記録。
記者 yusuke.murayama

明日、僕が死んだら。
記者 OTONAMIE運営部

自宅で看取るって、大変ですか?
記者 OTONAMIE運営部

ひとりをツナグ場所に行ってみよう。
記者 OTONAMIE運営部

夏の風景 蝉の声とお寺と流しそうめん。
記者 OTONAMIE運営部

住職にお焼香のあれこれを聞きに行ったら、いつのまにか深~いところへ。
記者 福田ミキ

愛着のある街の住み慣れた家で、最期まで暮らし続ける。
記者 福田ミキ

【ミイラ、お寺へ行く。Part.1 】 仏教の世界に触れた1日。そして驚きの入棺体験とは・・・
記者 タナカマユミ

人生を整える。デトックス足りてる?野草茶をつくるおばあちゃん、坂本幸さんの田舎暮らしが素敵すぎる@津市美杉
記者 yusuke.murayama

【 ミイラ、お寺へ行く。Part.2 】なんだこら、こんなお寺ありなのか!?ご住職のお寺&仏教への愛が、もう半端ない。
記者 タナカマユミ

voice. 日本で子どもが餓死。立ち上がった住職と未来をつくる住職@善西寺
記者 yusuke.murayama

地域の人たちに愛される「相棒」二人の、 “服を通して福を与える”取り組みとは
記者 ミカミ ユカリ

“死では終わらない物語について書こうと思う” の著者 釈徹宗先生の話を聞いて “30代女子が思った死についてを書こうと思う”
記者 ミカミ ユカリ

子育てしながら里親に!子育てはいったい誰のもの?くわなアンジープロジェクト@善西寺
記者 ハネサエ.

 

木を飲む!?美杉町発のベンチャー起業家の挑戦

木を飲む!?

美杉町の樹木の幹と天然水で作る飲料の製造販売に取り組む学生起業家がいる。大分県別府市の立命館アジア太平洋大学(APU)の学生、内山浩輝さんだ。爽やかな容姿にベンチャー魂を持った青年。丁寧な受け答えを通じて、本気度が伝わってくる。

きっかけは、共同代表で林業家3代目の三浦さんが、ある日、木を舐めると意外と美味しかったこと。試しに飲み始めしばらくすると、気持ちがリラックスして落ち着き、腸内環境も整いお通じも改善し驚いた。

三浦さんが事業化の可能性を思案していた頃、APU起業部(出口塾)にいた内山さんは、APU学長、出口治明さんの紹介で三浦さんに出会う。三浦さんの話す木や林業への思いにあっという間に吸い込まれる。大切な林業を再生させたい、ここから内山さんの起業への挑戦が始まった。

成分検査段階でポリフェノールの含有が確認された。無添加で、糖質もカロリーもゼロ。試飲調査でも「スッキリしてクセがない」「清々しい木の香りがする」と反応も上々。健康への効果に加え、心や精神への効果も期待出来そうだと意気込む。

これらの効果を科学的検証できっちりと裏付けるため、クラウドファンディングなどの協力を得ながら進めているところだ。木(幹)を「飲む」というのは、海外を含め過去に商品化された事例はないようだ(✳︎)。もしかしたら、実験と検証を繰り返す中で、われわれの想像を超えるような科学的発見やイノベーションがあるかもしれない。内山さんは言う、杉の学名「cryptomeria japonica」は「日本の隠された宝」という意味があると。(✳︎︎)クロモジ茶など、木の「枝」から生成する事例はある。

「一人でも多くの方に商品を手にしてもらいたい。木を「飲む」ことを通じて、木に触れる機会が創出されるといい。そうして、少しずつ木を身近に感じたり、木のファンが増えていったらうれしい。まずは、そこを目指していきます」と、内山さん。

米国シリコンバレーで25年間働いた経験のある今本さんが加わり、現在、3人体制で製品化を目指す。応援したい気持ちはクラウドファンディングなどで形にできるので是非応援していただきたい。クラウドファンディングのURLはこちらです→https://readyfor.jp/projects/konoki

林業への危機感と課題の把握をファクトとデータで冷静に分析されている。木や森に対する愛が根底にあるからだと思う。三浦さんは言う、(クラウドファンディング資料から)「先人たちが植えてくださったり、ずっと丁寧に手入れしてくださった思いやあたたかい気持ちをわたしたち林業家は次の世代に渡す使命がある」、「手を加えて森林を維持保全していくことは、人類、生物にとって重要な仕事です」と。

美杉町発のベンチャーが、人と人の出合いやつながりを通じて、今、世界に羽ばたこうとしている。内山さんたちの取組みは、きっと軌道に乗り、商品konokiや木のファンは増えていくだろう。今回の取材を通じて感じたのは、それよりも、「内山さんたち」を応援したいというファンやファンの輪が大きな広がりとなって、うねりを生んでいくだろうということ。

「すべての真の生とは出合いである」マルティン・ブーバー

桑名の村正、特別公開とスタンプラリー

「村正」のまち・桑名

この一年で、「村正」のまち・桑名  はかなり定着してきたのではないでしょうか。
昨年10月20〜22日に桑名宗社(春日神社)で行われた、御大典記念事業「村正」特別公開には、市内のみならず全国各地から拝観者が訪れました。

妖刀「村正」を間近で見られるチャンス!

桑名の宝・名刀「村正」の真の姿はとても美しかった

また、今年2月7日〜3月22日まで行われたクラウドファンディングは、目標金額400万円のところ、1,144名、1812万円超を達成しました。

これまで節目節目で村正を取り上げてきましたが、宮司さんを始めとした皆さんの桑名を愛する気持ちや、「村正」を守るのだという強い思いは、着実に広がりを見せています。
今回は現在進行中の「宝刀村正写し」奉納プロジェクトの一環の「鍛錬打ち始め式」や、それに合わせて行われる特別公開などについてご紹介します。

宝刀村正特別公開

あの感動が、再び・・・
 

 

宝刀村正特別公開

■なお、新型コロナウイルス感染拡大防止を図るため、施設利用者におかれましては、下記内容のご協力をお願いいたします。

1.微熱(37.5度以上)を含めて発熱以外に咳、呼吸困難、全身倦怠感、鼻汁・鼻閉等、平常とは異なる体調がみられる場合は、ご利用できません。
2.14日以内に感染拡大している地域や国への訪問歴がある方は、ご利用をご遠慮ください。
3.ご利用の際は、手洗い・うがい・咳エチケットにご協力ください。
4.手指・備品等(ドアノブ、電気のスイッチ等)の消毒を実施させていただきます。
※厚生労働省のホームページ内の「新型コロナウイルス対策 身のまわりを清潔にしましょう。」をご参照ください。
5.必ずマスクの着用にご協力ください。
6.屋内施設のご利用の際には、換気のご協力をお願いします。
7.感染が確認された際等、施設を利用された方の把握が必要になる場合があることから、厚生労働省が推奨する新型コロナウイルス接触確認アプリをダウンロードする、もしくは利用者の記録(氏名、住所、連絡先等)の記入が必要となります。
8.他の方との接触を極力避ける配慮をお願いします。
9.屋内施設のご利用の際には、70人以上にならないよう人数制限を致します。
10.入場のため列が形成された際は、整理券を配ります。その整理券をお持ちの方を優先してご案内いたします。

 また、今後の新型コロナウイルス感染状況により、変更が生じた場合は、ホームページにてお知らせをさせていただきますので、重ねてご協力をお願い申し上げます。
(桑名宗社HPより引用:http://www.kuwanasousha.org/archives/2357

コロナ禍のなか、様々な行事や催し物が中止や延期されていますが、この特別公開も当初は桜の咲く3月に行われる予定でした。
その後、開催期間が8月末までに変更されましたが、昨今の情勢を踏まえて4日間に短縮して開催されます。
しっかりとウイルス対策を行なった上で、ご覧いただきたいと思います。

開催日時
 令和2年8月13日(木)~16日(日)
 9時 ~ 16時
 ※1時間70名までの入場制限を行い、混雑回避のため整理券を発行
 ※整理券がない方は入場できない場合があり
展 示 物
 太刀 村正 2振 三重県重要指定文化財
 附 四弁花繋文錦包糸巻太刀拵
 太刀 正重 2振 三重県重要指定文化財
 短刀 村正 1振 桑名市指定文化財
 短刀 村正 1振 とらや饅頭 所蔵
 槍  勝吉 1振
 戦災焼損刀剣 31振
 剣  下原廣重 1振 桑名市博物館所蔵
 掛け軸 (宝刀村正押し型)
 ※展示物は変更する可能性があります。
授 与 品
 本多忠勝公「勝守」・限定御朱印
 ご朱印バンド・ご朱印ブックカバー
 クリアファイル・手ぬぐい・ご朱印帖
 ペーパーナイフ・その他

今回、初代桑名藩主の本多家の旧蔵との伝え(鞘書)がある「笹穂槍」が展示されます。
https://camp-fire.jp/projects/226472/activities/117693

また、桑名宗社のご朱印帖も授与品として加わるそうで、こちらも楽しみです。


②鍛錬打ち始め式

漆を研いだ「村正」は三重県の文化財なので、桑名市博物館に寄託されているため桑名宗社にはありません。
そのため、クラウドファンディングで「写し(レプリカとは言いません)」を作るプロジェクトが行われました。

今回その返礼品として1万円以上の支援者の限定で、境内にて上畠誠刀匠たちによる「鍛錬」に参加できる「鍛錬打ち始め式」があります。
※「鍛錬」とは、鋼を折り返して鍛えることにより、不純物を取り除くことと、炭素量を均一化させることを目的とした作業です。
(【刀剣ワールド】日本刀の作り方(制作方法)|刀剣の基礎知識より引用)

開催日時
 令和2年8月15日(土)・16日(日)
 10時・11時・13時・14時・15時
受付方法
 当日8時30分より受付開始
 ①各時間30~40人枠を用意されていて、
  受付時に希望枠を予約する
 ②予約した時間に指定の場所へ集合し、
  刀匠より向鎚の指導を受ける
 ③順番に鍛錬式を実施
参加対象
 宝刀村正写し奉納プロジェクトのクラウドファンディングに指定の支援(1万円以上)をした方々

刀匠指導のもと、熱した鉄を金槌で打つ「鍛錬打ち始め式」に私も参加する予定です。
自身の打った鋼で作られる「宝刀村正写し」が、神社で末永く守り続けられますように・・・

くわな村正史跡めぐりスタンプラリー


特別公開の期間中、村正にゆかりのあるスポットをめぐるスタンプラリーが行われます。
桑名の宝である「村正」について知識が深まるので、夏休みの自由研究にもぴったりです!

開催日時
 令和2年8月13日(木)~31日(月)
参加方法
 どなたでも予約なしで参加可能(参加費無料)。
 神社受付にてうちわ型スタンプラリー台紙を
 受け取って、市内8か所の村正にゆかりある
 チェックポイントを回る。
参加賞
 すべてを揃えたら村正の鐔(つば)の形をした
 記念ピンバッジがもらえます。
 

スタンプラリーの道中は暑いので、台紙はうちわタイプの優れものなので重宝しそうですね。
火照った身体は、桑名っ子のソウルフードの「アイスまんじゅう(饅頭)」でぜひ冷やしてください。

桑名のアイスまんじゅう、どれを愛す!?

‬桑名市内には
①新栄堂(しんえいどう)
②寿恵広(すえひろ)
③マルマン
の御三家があるので、ぜひ食べ比べてみてください(と、自分の過去記事を宣伝笑)。

【お問合わせ】
名称:桑名宗社(俗称:春日神社)
住所:三重県桑名市本町46番地
電話番号:0594-22-1913
HP:http://www.kuwanasousha.org
駐車場:あり(公共交通機関を推奨)

 

5670(コロナゼロ)ブロジェクトの現場から。真鯛の命がつないだ軌跡を辿る@友栄水産

橋本さん一家

三重県南伊勢町阿曽浦で養殖真鯛を生産する、友栄水産の橋本 純さん(写真右・以下純さん)。年間で21万尾の真鯛を養殖や管理をしている。

今年の3月にコロナ収束の願いも込め、5670(コロナゼロ)プロジェクトを立ち上げ、日本最大級の直販サイト「ポケットマルシェ」で生産している真鯛を販売し、6月19日に目標の5670尾の販売を突破した。

友栄水産の通常の販売形態は、生け簀が付いたトラックで生きたままの真鯛を卸し、旅館やホテルに活魚を届ける。しかし、ネット販売のメインの商品となる真鯛まるごと一尾は、内蔵とウロコだけを処理する鮮魚の扱い。5670の現場では魚を処理して発送するという業務に大忙しとなっていた。

その挑戦は、多くのテレビや新聞などにも取り上げられた。そんな多忙な最中、プロジェクト開始から電話で純さんに何度かお話を聞かせていただいた。

5670の現場では何が起きていたのか。
今回は生産者と消費者の間に生まれた、新たな繋がりをお伝えしたい。

 

—パニック状態の現場に響く、感謝の電話。

発端は、コロナの影響で多くの真鯛の出荷が、次々とストップしたことだった。

“もう笑うしかなかった”

そう話す純さんは、行き場をなくした真鯛をインターネットで直接消費者に販売することを決意。
友栄水産のスタッフ、そして息子さんたちまで一丸となって目標を目指した。

“今までと違うことすると、ホンマ毎日、いろんなことが起こるわ”

出荷を終えた夕方に電話をすると、そう話す純さんはどこか嬉しそうだった。
話を聞くと、最近コロナの影響で帰れない実家に鯛を送りたいと注文が入った。しかし実家の親に発注者から連絡が入っておらず、いきなりクール便でお頭付きの真鯛が丸一尾送られてきた親は驚き、友栄水産にクレームの電話が入ったのだという。「お子さんからのプレゼントですよ」と伝えると親は電話を切った。
そして先程、鯛をさばいて食した親からクレームとは逆の感謝の電話が入ったという。

“一日に500尾の注文が入ることもあって、こっちはパニックに近い状態。でもお客さんから言葉がもらえるのは嬉しい”

購入者からのこんな印象的なエピソードも話してくれた。

とある家族から鯛一尾丸ごとの注文が入った。あとで聞いたら引き籠もり気味のお子さんのいる家庭だったそうだ。普段、家族はバラバラの時間に食事をしていた。しかし家に鯛一尾が届くと、籠もっていたお子さんも興味を持ち一家揃っての食卓に。久々に食卓には会話と笑顔が戻ったという。

“一尾丸ごと。昔はどこの家庭もそうやった。本来の食卓の姿なんやと気づかされました”

 

 

—食べることの歓びは、命への感謝から。

他にも何千通も届いたという購入者のメッセージから、少しだけ抜粋してご紹介したい。

自粛のなかワイワイ楽しく調理できみてるだけでも脂がかなりのっているのがわかりました(*^^*)全て未熟なので出来上がりはアレですがwお刺身、湯引き、昆布じめ、塩焼き、たい茶漬け、あら汁と欲張りましたが鯛ってこんなに美味しかったっけ?と家族で話ながら楽しく美味しく頂きました。明日はあら汁の出汁とすき身を使い鯛めしにして楽しみます(*^^*)大きな鯛を一匹で購入でき存分にたのしめました…まだただこれから大変ですがどうぞ頑張りましょう!美味しかったです!ご馳走様でした(*^^*)

沖縄に住んでいる高齢の両親が外出自粛などで気が滅入ってそうなので、少しでも励みになればと思いこちらを利用させていただきました。お電話にて捌き方や食べ方など丁寧に教えて頂いたようで、とても喜んでおりました。捌きたての中落ちを味見したようなのですが、とても美味しく感動しておりました。久しぶりに明るい声が聞こえて良かったです。また利用させていただきます!

子供達も初めて見る大きさにテンションあがっていました!内臓処理がしてあってお料理が簡単に出来ました!ありがとうございます!こんな時期ですがみんなで出来ることをですね!

北海道の最果てに住む両親へ送りました。鯛を送ったと連絡した日から、元料理人の父が包丁を研いで待っていたそうです笑。母が電話で開口一番「届いたよ~大きいよぉ~!!」脂ものっていて味見が止まらないと言っていました。また「手塩にかけて育てた魚が出荷できないなんて、そんな辛いことはないだろう」とも言っていました。

料理人に憧れる小学生の息子への誕生日プレゼントに真鯛をお願いされました!頑張って捌きました!本当に美味しくて、家族みんな大喜びです。

大好きな鯛の塩釜焼きを、まさか自宅で食べられるとは思いませんでした‼︎母が塩釜に模様を楽しそうに描いてくれました。普段は寡黙な父の、鯛はこんなに美味しい物だったのか、という一言が全てを物語っていると思います。

生まれて初めて鯛を捌きましたが、あまりの重厚感に一苦労、食べる前にお腹一杯になってしまいそうでした(もちろん完食です)。自分で捌いてみて、自然の、命の重みを実感できたような気がします。とても良い機会を頂きました。

生命に感謝していただきました。とても美味しかったです。

生産者は自分が育てた野菜や果実、魚や牛などを「この子」と呼ぶことがある。育てあげてきた命には生産者の想いも詰まっている。
純さんは5670尾の販売突破に際し、購入者へこんなメッセージを送った。

“この度は「人が食すために育て上げた真鯛」をご購入いただきありがとうございます。新型コロナウィルスの影響で行き場を失った21万尾の鯛。一筋の光に希望を乗せて始まった5670プロジェクト。沢山の皆様の応援にささえられ、2020年6月19日に目標に掲げた5670尾をインターネットで販売することが出来ました。本当にありがとうございます”

“皆様が家庭で包丁を持ち、私どもの鯛を捌いて召し上がってくださったこと、「いただきます」「ごちそうさま」と温かなコメントや写真を頂けたこと、嬉しくてたまりません”

“鯛の命のバトンをあなたに。あなたの命を、コロナが収束する未来へ。これからも皆様に鯛をお届けするために前進して参ります”

伊勢志摩国立公園内にあり風光明媚なリアス海岸が広がる阿曽浦

 


 

友栄水産は阿曽浦という漁村をフィールドに、漁師体験や磯体験、ゲストハウスの運営などを手がけている。過去に何度かOTONAMIEでもご紹介しましたが、地方に関心が高まる昨今、次回は改めてそちらの取り組みをご紹介したいと思います。

Photo:y_imura


 

友栄水産
三重県度会郡南伊勢町阿曽浦345
tel 0596-72-1351
友栄水産hp https://yuuei.co.jp
ゲストハウスまるきんまるhp https://marukinmaru.com
fb https://www.facebook.com/yuuei.fish/
in https://www.instagram.com/jun_irukajin/

▼レシピや漁師体験なども発信中
友栄水産Youtubeチャンネル

▼真鯛のご購入
ポケットマルシェ

 


 

この記事はGoogleジャーナリズム緊急救援基金の支援金にて作成しました。

▼Googleジャーナリズム緊急救援基金

https://newsinitiative.withgoogle.com/intl/ja/journalism-emergency-relief-fund/#introduction

 

#わたしのご近所 カラスは逃げぬ、カメ逃げる。

わたしのご近所に、お店や観光スポットはありません。
なので何をご紹介すればいいのか悩んだのですが、読者の皆さまにのどかな風景を見てもらうことで、少しでも目の保養になればと思い、田舎の日常をご案内します。

ぐるりと歩いて約15分。
今日はなにが見つかるでしょうか。

田舎によくある細めの橋を渡ります。

この角を曲がれば・・。

THE 農道!

基本的に軽トラしか走りません。
よく散歩をするのですが、イヤホンで音楽のボリュームMAXで聴きながら、ふと気配を感じると後ろに軽トラがいたことがあります。クラクションを鳴らさないんです(やさしい)。

こういう資材がところどころに置いてあります。

季節になるとメダカがいます。

いまの季節は小麦がさらさらと風に揺れています。

帰り道は、La あぜ道。
川沿いの道をいきます。

豪快に水が落ちる感じは、ずっと見ていられます。

キラキラと輝く水と小麦。

田んぼが始まると水が濁るのですが、それ以外の季節はとてもクリア。
大きなコイやカメがけっこういっぱいいます。

緑のあぜ道。
いろいろと諦めて、ゴロンとしたくなります。

無機質な感じのコンテナ。
錆び具合が好きです。

バイキンマンが落ちていました。
いろんなものが落ちているので、お伝えしていきます。

これはカラスが食べた小麦。
ここらへんのカラスは人が近づいても、ひょんと少し移動するだけで逃げません。

カラスが食べた(多分)ザリガニの残骸。
いたるところにあります。

カメも落ちていました。
いや、落ちいるのではありません。
カメは逃げているのです。
カメ界のカル○ス・ゴーンなのです。
昔ながらのしきたりを押しつけてくる、古狸ならぬ古亀たちに嫌気が差したのでしょうか。

成功ヲ祈ル!

天気がよい日は、散歩しながらスマホでパシャリ。
スマホやカメラもを持ち歩くと被写体を探すので、身近すぎて見えていなかった世界が発見できるかも知れません。

どうぞ、心身ともに健やかに。

 

「卵が敷かれたナポリタン」連載エッセイ【ハロー三重県】第16回

うちの8歳の長女でさえ「わぁ、懐かしい」なんていうんだから、懐かしいって感情はきっとそんなに複雑じゃない。
ノスタルジーは誰にだってさみしさと心地よさを連れてくる。そして、それは少しだけ、快感でもある。

*

私にとっての「懐かしい」が、誰かにとっての懐かしいと重なるだなんて、まったくちっとも思わないのだけど、ときどきうっかり勘違いをしてしまう。
だって、例えば、「懐かしい喫茶店」、「懐かしいジャズ」、「懐かしい昭和の云々」。自分が目撃したわけでもない、どこかのいつかを「懐かしいあれそれ」として差し出されることが度々あって、そして、それはだいたいそんなに的外れでもない。つまり、「懐かしい」はときどき普遍性も連れてくる。
懐かしい喫茶店では髭のよく似合うマスターが美味しい珈琲を洒落たカップで淹れてくれるだろうし、懐かしいジャズはしっとりと聴かせてくれるだろう。懐かしい昭和の風景と言われた日には、私が生まれたのは昭和も後半だというのに、物心がついたのなんてもはや平成だというのに、オート三輪が眼前に浮かぶんだから、なんだかもはや恐ろしい。

個人的なのに、普遍性も醸す、この不思議な単語について私がどうしてこんなにぶつぶつ言っているのかといえば、話は半年ほど前にさかのぼる。

*

とある平日のある日、仕事が休みだった夫と、どこかでランチでもしようかという話になった。
行きついたのは古民家を改装した、隠れ家的なイタリアンレストラン。落ち着いた雰囲気に、いいね、いいね、と小声ではしゃぎながら着席して、メニューに目を落とす。
夫がリゾットを選んだので私はパスタにしましょうね、とパスタを選んでいたら、書いてあった。

「懐かしのナポリタンスパゲティ」

ああ、つまりあれ。ケチャップがたっぷり絡まった、存在感のある玉ねぎやピーマンが入った、あれ。
ペペロンチーノもいいけれど、たまにはこういうのもいいかもしれない、と思った。余談だけれど、今は亡き、私の父の好物はナポリタンスパゲティだった。洋食屋さんに行くと、父はたいてい、ビーフカレーとナポリタンを注文していて、ビーフカレーは父がひとりで、スパゲティは家族みんなでシェアして食べた。スパゲティはテーブルの真ん中にどかんと置かれて、父と母がその大半を食べて、小食だった私たち姉妹はそのおこぼれをもらった。テーブルの真ん中に堂々と鎮座した、湯気が立ちのぼる、赤くつやつやとしたナポリタンスパゲティの存在感は圧倒的で、お子様ランチですぐにお腹がいっぱいになってしまう私にとって、なんだかとっても眩しかった。自分の口にはほとんど入らないとわかっていても、とても魅惑的だった。

大人になってからというもの、お店でケチャップ味のスパゲティを食べることって、なぜだかとんとなくなってしまって、私にとってもナポリタンスパゲティといえば、やっぱり文字通り「懐かしい」のだった。

*

そんな郷愁を胸にほんの少しだけかざしながら運ばれてきたお皿を見て、私は「懐かしい」という言葉について、ぐるんぐるんと思いを巡らせることになる。
赤々としたケチャップをまとったスパゲティの下には、黄色い薄焼き卵が敷かれてあった。メニューにはそんなことはひと言も書いていなくて、ただ、「懐かしいナポリタンスパゲティ」とだけあったのだ。
つまり、これは、説明不要で「懐かしい」が内包する卵ということなんだ、と深く感心してしまう。
愛知県や三重県の一部ではナポリタンスパゲティがこのようなスタイルだということは、とっくのとうに合点していたはずだったのに、「懐かしい」が私を惑わせた。ナポリタンスパゲティに関しては、私の「懐かしい」と、彼らの「懐かしい」が交差しないということをまざまざと見せつけられた。
だって、私にとって、これはちっとも懐かしくないし、なんならいっそ「新しい」、のだもの。
私にとっての新しくて、少し斬新なそのスパゲティはとてもおいしかった。卵とケチャップが合うことはオムライスやスクランブルエッグが証明済みなのだから、その組み合わせに違和感だって全然ない。
ただ、懐かしいかどうかと言われたら、懐かしくない。ただそれだけが小さな小さな、痛くも痒くもないしこりのように、私の中に残った。

*

食事のあと、店を出てから夫に「卵が敷いてあるナポリタンは懐かしい味?」と尋ねると、「もちろん。伊勢の三大B級グルメだからね」と返ってきた。
夫は学生時代、伊勢市の高校に通っていたのだ。
三大グルメの、ひとつは キッチンクックの「ドライ(カツ)カレー」、もうひとつは、まんぷく亭の「からあげ丼」。そして、最後のひとつが、喫茶モリの「モリ特製 イタリアンスパゲッティ」、だと言う。
喫茶モリのそのイタリアンスパゲッティこそが、つまり先に述べた卵が敷かれたケチャップソースのスパゲティなのだ。
ちなみに、当時付き合っていた彼女と行った、とも言っていた。そりゃ懐かしいだろう。そんな青春の一ページを飾ってたら懐かしい以外ないだろう。

*

とは言え、私だってもう三重県に移住して10年と少しが経っているのだ。
こちらに越してきて、最初の頃にこの卵敷きのスパゲティを食べたことだってある。だけれど、久しぶりに食べたこの日に感じたのは、「懐かしい」よりもやっぱり「新しい」だったんだから懐かしいってなんだか難しい。
多分、卵敷きのナポリタンスパゲティは私の人生の中でこの先何十年もずっと「新しい」んだろう。
だって、卵敷きのナポリタンスパゲティよりはるか後ろに、卵と無縁のナポリタンスパゲッティを何度も食べてしまっているんだし。

だけれど、我が家の子どもたち、彼らがいつか巣立ったそのとき、懐かしいのはあの黄色と赤のスパゲティだったりするのかしら、と思う。
都会の片隅で、バイト帰り友達と喫茶店に入って、空っぽのお腹を満たそうとメニューを見て、ふと、「ああ、この町ではナポリタンスパゲッティに卵が敷いてないんだなぁ。あの味が懐かしい…」と思ったりするのかもしれない。
そんな、この先存在するのかしないのかも不明な妄想をしながら、私と君たちはやっぱり別々の生き物で、そして故郷も違えば懐かしさも違うのね、と思うなど。

ヒノキ造りの軽トラキャンピングカー!? 自由人?アーティスト?「徳森和寛」さん

初めまして、たいぽんです。
この度OTONAMIEの記者として記事を書かせていただくことになりました。みなさまどうぞよろしくお願いします。

生まれ育った大紀町をはじめ、三重県南部を中心に素敵な人や企業を取材して少しでも多くの人に届く記事を書いてまいります。
ドローンを扱う仕事をしているので、ドローンを使った空撮動画も使ってご紹介していきます。

 


大紀町錦って?

 

さて記念すべき第1回目の取材、故郷の大紀町錦にやってきました。

大紀町錦は、昔はブリ漁で栄えた自然豊かな漁師町です。

大紀町錦
大紀町錦

塩浜展望台からの眺めは素晴らしく、ドローン空撮の練習でちょくちょくお邪魔してます。

錦塩浜展望台
錦塩浜展望台

ひとしきり素敵な写真を撮影した後、一路目的地であるカホン 工房「KOSHIKARI」さんへ向かいます。

工房にいらっしゃった越仮さんにご挨拶をし、事務所へ。
今回お話を伺う徳森さんは、以前お邪魔した時にドローン体験してもらったり、軽トラキャンピングカー制作のお話を少し伺ったことがきっかけで正式に取材させていただくことになりました。

まだ大学を出たばかりとお伺いしていましたが、その風貌は何だかとても落ち着いている仙人のような、、、(失礼)

 


フリーアーティスト「徳森和寛」さん

フリーアーティスト 徳森和寛
フリーアーティスト 徳森和寛

たいぽん(以下 た) たいぽんです。徳森さん、今日はよろしくお願いします。

徳森さん(以下 徳) よろしくお願いします。

た:月並みですがいくつか質問を交えてお話を伺わせていただきます。大学を卒業してから現在の活動をされているのは、どう言った理由からでしょうか?

大学では共生環境学科を専攻して、環境問題に関心がありました。その原点は「人間がなぜ生きているか?」と言う根本的な問いで、それを突き詰めていくうちに林業や農業に興味が出てきました。あと、手が器用だったので木工をやってみたいと考えてました。ずっと音楽(ドラム)もやっていて、カホンは大学から始めて、大学3年の時にインターンシップ先を探してた時に越仮さんがカホンを作っていると言う情報を聞きました。「これは面白そう!」と直感し、大学3年の時に「インターンシップでお世話になっていいですか?」とDMを送り、10月くらいに1週間インターンシップでお世話になりました。

た:カホンをやってなかったら知り合ってなかったかもしれませんか?

徳:そうですね。高校入る前からドラムをやっていて、兄がギターをやっていたのもきっかけですね。いろんなご縁が重なって。

た:周りの人に「木工」「カホン」の道に行くんだと言った時にどんな反応でしたか?

徳:元々木工専門で行こうとは思っていませんでした。根本的には「半農×半X」と言う生き方をしたいなと考えていて、その生き方に焦点を当てています。なぜ生きるのかと言う問いに対して自給的な暮らし、環境に負荷を与えない暮らしをしたいなと思っていたので、友人に言う時は「ちょっと山篭る」「ちょっと仙人になる」と言うノリで話していました。友人からは「は?何言ってるの?」とは間違いなく言われましたね(笑)でも、普通じゃないことを楽しむ人間なので、そんな反応を言われるのが好きでした。

越仮さん(以下 越) 最初に何になりたいの?って聞いた時に「仙人になりたい」って聞いて俺も「は!?」って思った(笑)

 


ヒノキ製の軽トラキャンピングカー

尾鷲ヒノキ製軽トラキャンピングカー
尾鷲ヒノキ製軽トラキャンピングカー

た:以前軽トラキャンピングカー(以下軽キャン)のことをお聞きして凄いな!って感じましたが、軽キャンを開発した理由と、最終的に誰に届けていきたいと思いましたか?

徳:軽キャンに興味を持ったきっかけはあるYouTuberです。大学4年生の時にYouTubeを見てたらボンゴバンを改造して日本一周するYouTuber2人を見つけて、こんなに自由に生きていいんだと思って。モバイルハウス=動く家ってすごく魅力的だなぁって、それがきっかけでした。自給的な暮らしの中で「衣」「食」「住」を自給すると考えた時に、「住」は軽キャンを自作することかなという考えになったんですよ。僕はこれを今後の短期間の自分の家にしようと考えています。

た:商品じゃなくて自分の家だったんですね!?

徳:そうです、僕ビジネスっ気が全くなくて(笑) 今後、和歌山県那智勝浦町の色川地区に移住して地域の方と関わりながら生活したいと思っているんですけど、移住する時に軽キャンを持っていたら「住」の部分はクリアできるじゃないですか?
だから軽キャンを使って田舎に行く人が増えればいいなって思うんですよ。

越:こないだ炭焼きをやってる人から炭焼き小屋の横にこれがあれば寝泊りできる、欲しい!って言われたから、移住目的以外にもいろんなニーズがありそうやなと思う。すごく興味を持ってた。

徳:これを一人で作るのは難しいと思うので、製材所の方などに協力していただけると嬉しいと思って。

た:徳森さんは木工家じゃなくてアーティストですね。

徳:自分の生き方を追求しています。

た:逆に徳森さんがキャンピングシェルを製品化するために奔走しなくても、俺が製品化する!って人が出てきたらそれはそれでいいですよね?

徳:この記事を通して見てくださった方で連絡いただければ嬉しいです。

越:そんなスタンスで徳さんのPRしてもらう方が嬉しいよな。あんまり木工がとかカテゴリを決めて欲しくないな。いく先々で地域の人を巻き込んでいろんなものを作ったり、そんなことがどんどんあちこちで広がっていったり。

徳:あんまり僕は肩書きが必要じゃないなと思います。何でもない僕個人、僕という一人の人間として自由に生きるというか。

 


木工だけでなく「生き方」のお話へ

徳森さん
徳森さん

た:とても素敵だと思います。誰しも夢見てなかなか踏み切れない生き方だと思います。

徳:逆に何でしないんだろ?って僕は思います。そんなに難しいことじゃないんだからみんなやればいいのにって思う。

た:僕も20年前の大学の卒論が最近で言うところのノマドワーカーみたいな内容だったんで徳森さんの活動にすごく共感するんですが、当時はお金のこととか将来の安定とか弱気なところが出ちゃって結局大手の企業に入社したんですよ。それが僕が人生つまづいたきっかけですね。

徳:一般的にはつまづいてないんじゃないですか?

た:でも自分が本当はそっち(ノマドワーカー)の方がワクワクした生き方じゃないかって思ってたのが、安定、お金を求めてしまって、仕事していて苦しかったら全然意味がないです。

徳:僕もそこはすごく疑問に思っていて、就職活動の時も周りの同期が年間休日とか福利厚生とか給料とかで物事を語ってるじゃないですか?それを馬鹿じゃないの?って思って。それで本当にいいの?っていうのを周りのみんなが着々と就職先を決めていく中で言ったりしてたんですけど、周りの反応は「何言ってんの?」みたいな感じで(笑)

た:僕はどっちの気持ちもわかります(笑)

越:まあ、徳さんもその考えに行き着くまでにはいろんな苦悩や葛藤があったと思うよ。

徳:twitterで先輩が「会社辛い」「世の中どうせこんなもんだ」なんて言ってるのがすごく胸が痛いんですよね。何でこんな楽しい世界があるのに、まだそっちにいるの?みたいな。

越:でも徳さんみたいにいろんなスキルを短期間で(しかも独学で)身につけることができる人はなかなかおらんからさ、結局みんな自信がないわけよ。自分で生きていけるっていう自信が。それを身につけようと思ったら相当時間かかる。普通はな。それを早い段階で身につけられたっていうのは大きいわな。
あちこち行ってうちに来て、なかなかそういう環境に自分から飛び込まな、普通の社会生活では経験できんもんな。早く飛び込んだのは良かったよ。

徳:動いて人と会わないと何も始まらないなって。大学3年から1年くらいかけて生き方とか勉強して歩むスピードが加速していった感じですね。

 


見えないチカラ ご縁の連鎖

 

た:ずっと木工の道を進んでいくのですか?という質問をしたかったんですが、その質問は意味ないですね。半農半Xの中に木工はあるかもしれないけど、変わっていくかもしれませんね。

徳:大学卒業してからすぐに色川に行く予定だったんですよ。でも3月くらいに越仮さんかヘルプに来てって連絡が入って。
僕はその時フリーで軽キャンもすぐ作るつもりではなかったんですけど、色川に行かなくなったら時間もできるし作ろうかなと。いろんなご縁があって今があって、これからどうなるかは正直予測不能ですね。

越:キャンピングシェルの材料の尾鷲ヒノキもそれまでは良い材料は豊富には入ってこなかったんよ。徳さんが来てから、急に仕入れ先(製材屋)が現れて。
俺もおかげで7月からおはらい町に商品を置かせてもらえるようになっていろいろいいタイミングやったな。多気町丹生の金川珈琲さんともつながったし。築130年の古民家を改装した店で、丹生のふるさと屋の隣やな。

た:徳森さんはすごく引き寄せる力の強い人ですね。地域おこし協力隊とか、フリーランスの人を呼ぼうとか、いろいろと仕組みはありますけど、今までのお話を聞くと逆にまどろっこしく感じますね。

越:もともと地域おこし協力隊の制度には乗っかろうとしてたんやよな?

徳:色川地区の地域おこし協力隊を考えていたんですが、仕事内容を聞くと地域の人にインタビューしてこんな文化があるとかこんな伝統があるとか調べて、それを発信するという内容でした。
それはいいんだけど、お金をもらう仕事としてやらなくても別にいいよなって。そこに住んでその人たちと関わっていくうちに自然とわかることじゃんって思うし、わざわざその制度に乗っかってお金もらってやる必要もないかなって思って。

 


お金とは?

 

た:お金も制度も仕組みとして確かに必要な部分もありますが、何でもお金が先に立つのも違う気がするしそれこそお金とは?という大きな話につながりますね。

徳:はい。僕はお金のない世界で生きていきたいって思ってます。お金って時間を加速させるためだけのアイテム。例えば何か生活に必要な物を買うときも頑張って時間かければ最低限は自分で作れます。医療とか自分だけではどうしようもないところは無理でも生きるっていう根本的なところは自給できる。昔の人はそうやって生きてきたわけだし今でもそれは実現できると思います。
人類史のこれまでの大部分はお金なんてない世界で生きているわけじゃないですか?古来からずっと人間の営みとしてやってきたことを大事にしたら、それを考えた時にはお金はいらないかなって。

た:生きる根本的な部分の「衣」「食」「住」のところが無料?

徳:そうです。きっとできると思います。

た:僕も世の中の仕組みとして、商取引の「ビジネス」なのか無料の「ギブネス」かどちらが良いのかって考えることが最近多いです。でも、例えばiPhoneとか個人では作れないテクノロジーが結集した製品を流通させるのは、お金が介在しないギブネスだけでは今はまだ難しいと思います。
原料(鉱石)の採掘からマイクロチップ製造、製品設計、品質テスト、量産、販売などたくさんの人が関わる製品やサービスは無料というわけにはいかないのかなと。

徳:僕はこれからは半農半Xの生活の中で、半農で自分の生活は完結させ半X=木工で現代のシステム・製品・サービスを受けるためにある程度の現金収入を得て生活していく。古いやり方と新しいやり方を合致させるこれからのやり方・生き方を先取りして実践していきたいと思います。

た:でもそれは、決して徳森さんの生き方と対極(?)にあるテクノロジーを追求している人や企業を否定するわけではないと。

徳:はい。太陽光発電は素晴らしいですが、例えば田舎の山を丸裸にしてそこにお金儲けの目的でメガソーラーを立てるのはおかしい。環境破壊につながるのはお金が目的になってるからで、もっといいシステムはないのかなって思います。

た:お金が絡むと、太陽光発電の目的がエネルギーがでなくお金になってしまうとおかしくなる。

徳:手段の目的化ですよね。お金が目的になってしまっている。

 


転換期の今、大切なことを考える必要がある

笑顔が素敵な徳森さん
笑顔が素敵な徳森さん

た:今回はまさかここまで深い話になるとは思っていませんでしたが、お話できてよかったです。

徳:そこが僕の根幹というか活動の出発点というか。

越:単純に「ビジネス」という括りでは語れんよな。

た:コロナ騒動で僕らの年代やもっと上の年代も今まで「ビジネス」中心で生きてきたけど、何のために働いているんだろうとこれからの生き方を迷っていて、迷いながらも今の生き方を切り替えれない人が大多数いると思うんです。徳森さんは20代、今の時点でそれに気づいて行動しているのは凄いなと素直に思いました。

越:俺も徳さんにはすごく影響を受けた。商売しているとどうしてもお金に意識がいくし、お金がないと商売は続けていけない。
だけど、本当に大事なことは何かということは考えていかないといけない。

た:お金は本当はただの道具ですよね。でもあまりに万能すぎて、物の交換手段以外にの価値の尺度や人の社会的地位まで表してしまう「万能の道具」になってしまっている。だから全てお金に紐づいてしまう。

徳:今のビジネスはもう限界に来ています。なんでもお金にしてやろうって。介護や保育はそもそもお金にする必要ないじゃないですか?
僕はサピエンス全史って本にも影響を受けているんですけど、人間の幸福度っていうのは人類が誕生してから今までほとんど変わらないんです。原始人がマンモスを狩って食料にした時の喜びと現代人がスマホでお気に入りの商品を見つけてポチッた時の喜びってほとんど変わらないんですよ。そう考えると、環境を破壊してまでする文明の発展は意味あるのかな?って思います。

た:多分夜中までこのテーマで語り合えると思うんですけど、ごめんなさい。多分インタビューが終わらないんで軽トラキャンピングカーのお話を伺ってもいいですか?(笑)

一同 爆笑

 


OTONAMIEの記者として

た:OTONAMIEのボランティア記者を始めて、取材したことがきっかけで何か会社の仕事やドローン空撮とかに繋がるかもみたいな下心は正直あります。でも下心だけ、ビジネスだけだったらそもそもやってないと思います。自分が関わった素敵な人を記事にして発信して、誰かの目に止まってその人が新しい接点ができたり広がりを見せれば僕はそれで嬉しいんです。
他の記者の方も自分だけのためじゃなく相手や地域のために繋がる、おそらくそんな動機で取材している方が多いんじゃないかなって思います。

徳:自分の中から込み上げる気持ちからの活動はパワーがありますよね?

中:はい。そんな理由で知り合った方はやっぱり素敵な人が多いし、単純に面白い!っていう気持ちなんですよね。

徳:確かに同じ価値観の人と出会った時の喜びって、すごいですよね。

 

 


軽トラキャンピングカー 解説動画

インタビューが長くなってしまいましたが、場所を外に移してようやく軽トラキャンピングカーを徳森さんに解説していただいたので、動画をご覧ください!

 

最後にドローンで軽トラキャンピングカーと手を振る徳森さんを撮影させていただきました。

 

「やりたいことをやる。」という自分に素直でシンプルな生き方を追求している徳森さん。その活動をご自身のYouTubeチャンネルでも発信していて、今後の活動に注目です!

 

■徳森さんのYouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UC_Co0C2Zgnr5ckNtfsaL9vQ

軽トラキャンピングカーの製作過程の映像もアップされていますので、こちらもご覧ください。

 

■撮影協力
KOSHIKARI公式サイト https://koshikari-cajon.com

代表の越仮裕規さん、奥様の亜紀さん、ご協力ありがとうございました!

人間、出口治明さんの魅力

美杉村(現・津市)生まれの賢人、出口治明さんを、みなさん、ご存知でしょうか?

NHKのラジオ深夜便に出演されたことがあるので、ご存知の方もいらっしゃると思います。簡単に出口さんの略歴をご紹介しますね。京都大学法学部を卒業、日本生命保険相互会社入社、ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て退職。ライフネット生命創業者。現在は、立命館アジア太平洋大学(APU)学長をされています。

私と出口治明さんとの最初の出会いは、一年前の2019年の初夏、図書館でした。といっても、対面ではなく、偶然手に取った本でした。「本の使い方」、出口治明著、発行(株)KADOKAWAという本です。

それまで、出口さんのことは全く知りませんでしたので、気楽な気持ちで読み進めていきました。私自身、本をよく読むわけでもなかったので、どんな本を読むとおもしろいかとか、子供にどんな本を読ませたらいいのかが知りたくて、時々、こうした本に目を通すことはありました。でも、出口さんの著書はこれまでの本とまるで違ったのです。

ひとことで言うのは難しいのですが、この本は、とても明晰だと感じました。

シンプルな表現でわかりやすく、それを裏付けるしっかりとした根拠があるからだと思います。

一方で、じーんと、こころの芯の深いところで、あたたかさやぬくもりを感じたのです。もしかしたら、大切なことを教えてくださったことに、私のこころが安心感に包まれたからかもしれません。こんな一節があります。「人間ができることは、実はほんの少ししかありません。自分の置かれた場所で自分にできることを精一杯やっていく。それが難しければ場所を変えるくらいのものです」。こんな一節もありました。「社会には、こんなにひどい人がいる。人間は千差万別であることが十二分にわかっていれば、予期せぬ相手があらわれても、動じることはありません。ああ、あの本に書いてあったことは本当だと軽くやり過ごすこともできるでしょう」。

読み終わると、私は、そんな出口さんに会いたくなりました。

伊賀市にある岡森書店白鳳店での講演会や、伊賀市阿山保健福祉センターホールでの講演会「日本一子どもを育てやすい地域にしよう。私たちにできること」を聞きに行きました。お会いすると、とっても気さくな方でした。著書に直筆のサインもしていただきました。

今度は、もしチャンスがあるなら、生家を訪ね歩いて、人間、出口治明さんをかたち作った幼少期などにも迫っていきたいと思います。ご期待ください!

#私のご近所 40年近所の人に愛され続ける喫茶店シャムロック

三重県鈴鹿市にある喫茶店シャムロック。夫婦でお店を構えて今年で40年!お店の周りは、時代とともに変わってきましたが、お店は今も昔も近所の人の社交場として賑わっています。

大人気卵サンド

フワフワの卵が食欲をそそる卵サンド。周りを見渡してもいつも卵サンド率が高い!この卵サンドをお目当てに来るお客さんも多いんです♪

そして嬉しい事にモーニングにもこの卵サンドメニューがあるんです!

そのモーニングですが、なんと営業時間、1日中モーニングが食べられる喫茶店なんです。これはなんとも嬉しい限り。もちろん卵サンド以外にも、モーニングメニューがあります。

この喫茶店はとにかく卵料理が美味しい。ランチ時には、女性に人気のオムそばもオススメ。

売りはそれだけではありません。ご夫婦の人柄も近所の人が集まってくる魅力の一つ。ゆったりとした時間が流れているような店内の雰囲気は、ご夫婦の雰囲気そのまま。行けば誰かしら知り合いの人がいるといった安心感。だからといって初めてのお客さんが居心地わるいかといえば全くそんな事もなく、お一人様から老若男女だれもが、心地よさに惹かれてリピートする不思議なお店。

決して今風のオシャレな店内ではありませんが、安心感のある店内は、いつもご近所さんの交流の場となっています。

マスターは「もう40年。長いようであっという間。あと何年出来るか…」とおっしゃってました。一度近くまできたら、フワフワ卵サンドを食べに寄ってみて下さい。


シャムロック
三重県鈴鹿市庄野共進1-5-28
0593786887
営業時間:8時〜17時
日曜定休日

仕事あがりの一杯をお家で愉しむアフターファイブ!伊勢角屋麦酒

早めに仕事を切り上げて家に帰ると、家内から「なんか届いとったで冷蔵庫に入れといたよ」。

そうでした!伊勢角屋麦酒のセットをネットでお取り寄せをしていたことを忘れていました!これは嬉しいうっかりです。

ということで、仕事あがりの一杯を充実させるためにクラフトビールセットを購入してみました。
飲食店などではたまにクラフトビールを飲むことはあるのですが、家ではもっぱら安い発泡酒派の私。

せっかくなので、それぞれのビールに合ったシチュエーションで撮影しながら解説していきたいと思います。まずは神都麦酒と熊野古道麦酒ということで、家から見える「熊野古道っぽい」背景で撮影。

調べてみると、神都麦酒は明治時代に伊勢の河崎に一時的に存在した幻の麦酒を再現され、伊勢志摩産の古代米(黒米)を使用とのこと。なんだかロマンを感じます。熊野古道麦酒は、神都麥酒をベースにしたもの。爽やかな柑橘の香りに女性にも人気。

次はLight My Fire IPAと、Starry night Double IPA。ところでIPAとは何なのでしょう?
インディア・ペールエール (英語: India Pale Ale; IPAとも) は、中程度かそれよりもやや高いアルコール度数をもつエール[1]。液色は銅のような明るい琥珀色[1]。ホップの風味が強くて苦味がある[1]。しばしば、麦芽のフレーバーを伴う[1]。IPAは通常ペールエールのカテゴリーに入れられる。21世紀初頭では、アメリカのクラフトビールの醸造所では最も多く醸造されているスタイルである。(Wikipediaより)

なるほど・・。わかったようなわからないようなですが、アメリカのクラフトビールで最も多く醸造されているということなので、我が家で一番アメリカっぽい(と思っている)哀愁ただよう郵便ポストとともに。

続いて缶のクラフトビールです。伊勢志摩限定の神楽麦酒と伊勢ピルスナー。伊勢志摩の魚料理とクラフトビールをたのしみたいところですが、そんなに都合良く冷蔵庫に伊勢志摩の魚は入っておらず、居酒屋などでよく見かける三重の魚カレンダーといっしょに(このカレンダー、毎年なぜか家内がどこからか入手してくる)。

 

さて最後はワタクシ的に気になったネーミングのビール「ねこにひき」。

我が家に猫はいないので、小学1年生の娘の猫のおもちゃといっしょに。
ねこにひきはクラフトビールが盛んなアメリカポートランドのカルミネーション・ブルーイングと伊勢角屋麦酒のコラボレーション品。カルミネーションのトーマス氏も伊勢角屋麦酒の鈴木社長も猫を飼っていることから「ねこにひき」となったそうです。

今回は「ねこにひき」をいただきました。
トロピカルでフルーティーな味わいと、初夏にピッタリの爽やかな香り。まるでポップのジュースのように少しとろみがあり贅沢な味わいです。しかしべたつく感じはなく、のどごしもスムーズ。

自宅でゆっくりクラフトビールをたのしむ時間は、甘党の人がお取り寄せスイーツをたのしむ感覚に似ています。おうち時間で初めて知った贅沢な時間は、これからもクセになりそうです。

 


 

伊勢角屋麦酒
オンラインショップ https://www.biyagura.jp/ec/
tel 0596-63-6515

テントサウナの聖地に僕らはいざなわれる。 大自然の中で特別なサウナを体験。

○○の聖地

ふと気になって耳に残るワンフレーズです。

聖地と呼ばれる場所には、多くの人を引き寄せる特別な魅力を感じます。聖地といってもその場所は様々で、例えば有名な映画の舞台になったロケ地であったり、美味しいグルメが所狭しと立ち並ぶスポットであったりします。

僕たちの暮らす三重県にも、そんな聖地は存在しています。

今回、僕が訪れたのは三重県紀宝町にある飛雪の滝キャンプ場。最近では、大自然の中で特別な体験サービスを提供していることから、こう呼ばれているんです。

テントサウナの聖地と。

フィンランド式 テントサウナを体験してみる。

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テントサウナという言葉を初めて聞いた人は、「テントの中でサウナをするって火事とか大丈夫なの?」と思うかもしれません。

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もちろん、大丈夫です。火事にはなりません。

テントサウナ用のテント素材は耐熱性。フィンランドのsavotta社製と聞けば、わかる人にはピンとくるそうです。もともと、テントサウナの発祥はフィンランド。フィンランドでは日本にとってのお風呂のような位置づけで、サウナはとても身近です。

savotta社のテントサウナ用テントは元々軍隊用で、兵士たちが「サウナに入ってさっぱりしたい」という思いから開発されたもの。フィンランドのサウナ愛、おそるべしです。

テントの中では薪ストーブでパチパチと火が燃えていて、煙は煙突を通じ天井からモクモクと噴き出していました。

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テントの前には圧巻の飛雪の滝があります。

それでは早速、テントサウナを身を持って体験していきましょう。そして、おそらく僕のようなテントサウナ未体験の人が抱く、

テントサウナは普通のサウナと一体何が違うのか?

という素朴な疑問を解決していきます。

テントサウナに入る前に。さて、どれにしようかな?

佐竹さん「では、この中からキャップを開けて好きな香りを選んでください。」

飛雪の滝キャンプ場の名物スタッフ 佐竹さんが取り出したのは、3本の小さな容器。容器の中には、熊野産のヒノキやスギから抽出された特別なアロマオイルが入っていました。

テントサウナにアロマオイル?頭の上にはてなマークを浮かべながら、爽やかで心地よい「ヒノキの葉」のアロマオイルをチョイスします。

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こちらですね、と水の張ったヒノキの桶に「ヒノキの葉のアロマオイル」を数滴垂らします。
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ヒノキの尺で丁寧に掻き回され、完成!

この特別なお水。実はこれから体験するテントサウナにて、最高の癒やしを届けてくれることになります。

テントサウナのセルフロウリュで極上の時間。

アロマオイルの入ったお水の桶を持って、テントサウナの丸太椅子に腰掛けます。着衣のまま入れるので、男性も女性も一緒にサウナを楽しめることは、テントサウナの良さのひとつです。

ストーブの上にはサウナストーン(サウナ用の石)が熱々の状態。サウナストーンの中に、かわいい石も発見。

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トントゥーというフィンランドの妖精らしい。

佐竹さん「では、まずは足元にあるバケツの水でロウリュ(蒸気を出すこと)していただいて、温度の調節をしてみてください。」

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ジュワ~と音を立てて飛散する蒸気が、優しくテント内を温めてくれます。

全身が優しくて温かいミストで包まれます。

ー(あぁ、これは気持ちいい。)

そして、次にサウナストーンにかけるものは・・・もうお気づきでしょう。そう、先ほど選んだ「ヒノキの葉のアロマオイル」が入ったお水。これは絶対に気持ちいいこと間違いなし!とサウナストーンにかける前から断言できます。

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ジュワ~と音と立てて上がる蒸気。そして降り注ぐ癒やしの香り。

ー(・・・・・・はぁぁ、癒やされる。)

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ロウリュ後には、ジワジワっと身体から汗も吹き出てきますよ。

目を閉じると鳥の鳴き声や滝の音、パチパチっと響く焚き火の音と揺らめき。そこに、心地よい香りのミストを浴びて、心身ともにじっくりと温まっていきます。鋭く感覚が研ぎ澄まされていく、そんな体験です。

ちなみに写真を撮るためにテント入り口を開けて、特別にロウリュをしていますが、もちろん本来は閉め切って行います。ロウリュをかけると、一気にテント内温度は上昇するため、気持ちいいからといってロウリュのやりすぎには要注意です。

逆にとらえると、ロウリュをほどほどに調整すれば低い温度でも楽しめるということ。サウナはちょっと苦手・・・という方にも安心です。

身体がポカポカに温まったら。テントサウナを飛び出して目指す先は・・・滝!

−(・・・あぁ、もう限界。)

テントのファスナーをおもむろにつまみ、ガバーっと入り口を開けて外に飛び出します。まずは外気の心地よさを感じて、ふぅーと大きく息を吐いて天を仰ぎました。

そして、自然と誘われるようにゆっくりと、水飛沫の音がする方向へ歩いていきます。

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飛雪の滝キャンプ場がテントサウナの聖地と呼ばれる一番の理由。

それは、テントサウナで温まった身体を滝に飛び込んで冷ますことのできる日本で唯一の場所だから。しかも名前も付いていて、サウナからの滝で通称「サ滝」です。

季節は梅雨前の6月上旬。「冷たいかな?」とそっと足をつけてみたところ、身体がポカポカなだけあって立ち止まることなくスイィーと平泳ぎの体勢に。

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そして何よりも気持ちが良くて最高です。季節を先取りして水遊びをしてしまった幸せを満喫しました。また、飛雪の滝で高さ30mから勢いよく降り注ぐ水を浴びると、気持ちよさに加えて、圧倒的な爽快感も得られます。

サ滝の後は、不思議と身体の体温も上昇。身体がポカポカしてきます。ハンディングチェアでゆったり過ごして、良きタイミングで2回目のテントサウナにトライ。

飛雪の滝キャンプ場のテントサウナは時間制で、2時間で1,000円というリーズナブルなお値段。時間内であれば、何回でもテントサウナとサ滝を楽しめてしまいます。

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この短時間の間に、最高という言葉を何回言っただろう。

テントサウナに魅せられた若者たちの休日

2回目、3回目とテントサウナを繰り返していったら、一体どうなってしまうのか・・・その答えは、たまたま僕と同じ日に居合わせた「サウナ好きの若者たち」の姿にあります。

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彼らはきっと「ととのっている」

3人のうち2人は以前に体験したテントサウナとサ滝の体験者です。あの日の体験が忘れられなくて、奈良県から日帰りで飛雪の滝キャンプ場を訪れたそうです。

そして、やっぱりテントサウナを体験した人は口を揃えてこう言います。

-「テントサウナ・・・最高!」

テントサウナの聖地にあなたもきっといざなわれる

僕のようなサウナ初心者も、サウナ大好きな人もうっとり虜になってしまう飛雪の滝キャンプ場のテントサウナ。テントサウナの聖地と呼ばれる理由を身を持って理解できました。

飛雪の滝キャンプ場のテントサウナが気になってしまった人は・・・もう後戻りはできません。特に三重県で暮らしているなら尚更です。

きっとあなたは飛雪の滝キャンプ場にいざなわれます。

なぜなら、少しだけ足を伸ばすだけで、息を吐くように「最高」をつぶやいてしまうテントサウナの聖地はすぐそこにあるのだから。

飛雪の滝キャンプ場のご紹介

公式URL 飛雪の滝キャンプ場 公式URL
公式SNS 飛雪の滝キャンプ場 公式Facebook

飛雪の滝キャンプ場 公式Instagram

住所 三重県南牟婁郡紀宝町浅里1409-1
電話番号 0735-21-1333(飛雪の滝キャンプ場)

※電話受付は9:00~17:00

営業時間 通年営業
休業日 4~6月、9~11月は火曜日、12~3月は火曜日、水曜日
12月29日~1月3日(GW、7~8月は無休)
※.臨時休業日あり。最新の情報は公式WEBまたはSNSをご確認ください。
アクセス 【車】勢和多気ICから紀勢自動車道経由で約1時間50分

【電車】JR新宮駅から町民バス浅里神社前下車2分

テントサウナの詳細はこちらから

三重の最高峰ランチと日本酒の饗宴♪

皆さんご存知!志摩市賢島にある志摩観光ホテル!!

伊勢志摩サミットの会場にもなったベイスイートです!!

遡って2月15日に贅沢なランチ会に伺ってきました!!

超久々の投稿…

三重の利酒師 S50.TAKEUCHIです!!

ランチに行ってきました!!

・・・と言っても、もちろんお仕事です!!

「NHKプロフェッショナル」でも特集された志摩観光ホテルの樋口総料理長と夢のコラボが実現!!

毎月、三重県の食材にスポットを当て一日だけの特別メニューで開催される

「伊勢志摩ガストロノミーランチ賞味会」と言うイベントです。

一つの食材にスポットを当ててメニューを造られるそうなのですが、
今回は三重総集編としてメニュー構成されました。

テーマ食材は日本酒、料理に使用する日本酒の提案と、
当日のゲストスピーカーとして御指名を頂きました!!

まずはフレンチレストラン「ラ・メール」横にあるゲストラウンジで御参加の皆様に
三重県の日本酒について紹介。

この日は約50名のお客様が参加されていました!

おはなしの後はいよいよランチスタート♪

生憎の雨模様でしたが、英虞湾を一望できるレストラン!

メニューが乗っているプレートは四日市萬古焼。

志摩観光ホテルのために特別に作られた飾り皿なんだそうです!

本日のメニューはこんな感じ!!

↓  ↓  ↓

■伊賀の酒「半蔵」の酒粕と志摩産フレッシュ苺の甘酒

アルコールが飲める方は四日市「タカハシ酒造」さんが醸すスパークリングにごり酒の「伊勢の白酒(しろき)」で乾杯!

ノンアルコールのお客様にはこちらの甘酒が振舞われました。

この甘酒・・・・

はっきり言って、驚愕の旨さ!!!!(ビビりました。笑)

フレンチの料理長が苺を使って作った甘酒。

お隣の御夫婦と「これ買って帰りたいですね!」と盛り上がりました。


■伊勢志摩ジビエと南伊勢の柑橘「はるみ」

四日市「タカハシ酒造」さんの「伊勢の白酒」を使用したジュレソース

臭みを全く感じない鹿肉と柑橘のフレッシュな風味!

そしてなにより、今回のテーマ「日本酒」を使ったジュレで頂きます!


■三重県産さまざまな貝 レモンの香り

鮑やあさり等、旬の会をふんだんに使用!

川越「早川酒造部」の「天慶 純米吟醸」を使った泡のソースで!


 

■コンソメロワイヤル 伊勢海老 地鶏

コンソメのロワイヤル??

洋風の茶わん蒸しの様なお料理なんですが、出汁が濃厚!!

伊勢海老、地鶏の旨味がギュ~っと詰まっています!


■鰆 伊勢志摩備長炭焼き 柚子風味

ジューシーに焼かれた鰆をリゾットの上に。

粕漬けにした鰆は本当に風味豊か♪

淡い色合いに見えてしっかりとした味わいに仕上がっています!


■松阪牛もも肉とサーロイン 日本酒風味

もう、言うまでもないですね。(笑)

名張「瀧自慢酒造」の「瀧自慢 純米酒 神の穂」を

煮詰めて造られたソースも絶品!!


■柑橘と日本酒のサヴァラン

ラストのデザートは爽やかな柑橘の味わい!

ケーキは日本酒が浸み込んだ滑らかな味わいです!


ちなみにお食事と一緒に出されたパンも酒粕入り!

発酵バター、あおさバター、鰹バターの3種のホテルオリジナルバター!

志摩市波切の「かつおの天ぱく」さんの波切節のバターが最高です!


御馳走様でした!(役得役得。)

ペアリングにも日本酒がセレクトされていましたがお酒の画像が全くないのは御愛嬌。(;^_^A

今回のテーマは「三重県の日本酒」と言うことで、フレンチにふんだんに日本酒を取り入れて頂きました。

「三重県の日本酒」と言っても本当に色々あるんですが、シェフとの打ち合わせの中でせっかくなので、より三重県に特化して知って頂ける様に三重県だけの酒米「神の穂」はどうですか?と提案させてもらいました。

三重県の食と酒。

食の宝庫「三重県」を堪能できるランチ会でした!!

鈴鹿セブン・鈴鹿10座・亀山7座の次は 津10山だ!

鈴鹿山脈にはいろんな山シリーズが作られてます。

★鈴鹿セブンマウンテン:藤原岳、竜ヶ岳、釈迦ヶ岳、御在所岳、雨乞岳、鎌ヶ岳、入道ヶ岳の7山

★鈴鹿10座:東近江市が選定した 御池岳、藤原岳、竜ヶ岳、釈迦ヶ岳、御在所岳、雨乞岳、イブネ、銚子ヶ口、日本コバ、天狗堂の10の山

★亀山7座:仙ヶ岳、野登山、臼杵ヶ岳、四方草山、三子山、高畑山、錫杖ヶ岳

もうこれで鈴鹿山脈の山のシリーズは全部登ったと思ったら津10山と言うのを見つけた!

津10山

 

わざわざガイドブックまで発行されているというのでまずは取り寄せて予習をしてから登ることに。

津だからそんなに遠くないだろうしと思って軽い気持ちで計画したら思ったより広範囲。一番南で一番高い倶留尊山(くろそやま)1037.29mなんて桑名からだと車で二時間弱も掛かる。

なるべく行く手間を掛けたくなかったので2座以上まとめて登る計画で。

まずは一番遠い倶留尊山に
倶留尊山 倶留尊山

以前東海自然歩道でここまで三重県側から登ったことがあったので、今回は奈良県側から登ってみた。ここの景色は本当に素晴らしくって最高です。

次に遠い大洞山

三多気の桜 三多気の桜 三多気の桜

三多気の桜で有名な場所からスタート。

真福院

真福院を抜けて

苔

苔

 

きつい傾斜をモクモクと先に進む。

 

大洞山 大洞山

大洞山山頂到着

続いて尼ヶ岳に向かう。

みみず

 

途中突如ヘビの様なのがうねうねうごくなーーとよく見たらミミズ。手のひらサイズもあり指でもかじりついてきそうな大きさにびっくり。

尼ヶ岳 尼ヶ岳 尼ヶ岳

尼ヶ岳山頂到着。マナーのためにバフ装着

髯山

髯山 は登りはじめはあんまり変わったところでは無いなーと思っていたら山頂で驚く。

髯山 髯山 髯山 髯山 髯山

 

ニコンの双眼鏡が設置してあり景色を楽しめる!しっかりした展望台まであり山頂でゆっくり出来るおもてなしが。そして今から登る矢頭山 が見える。

矢頭山 矢頭山

矢頭山 は髭山を清水峠を挟んた位置。山頂には何も目印もなくちょっと残念。

 

高束山

 

高束山は君ヶ野ダムの所から出発。

高束山

 

歴史を感じる風景

高束山 高束山

高束山山頂到着。新緑が綺麗です。

 経ヶ峰

次は経ヶ峰。この山は登山ルートが沢山有り何度も来たくなる山です。

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経ヶ峰山頂の景色は最高の展望。

錫杖ヶ岳

続きまして錫杖ヶ岳

錫杖ヶ岳 錫杖ヶ岳

なかなかの楽しいルート

錫杖ヶ岳 錫杖ヶ岳 錫杖ヶ岳

錫杖ヶ岳山頂到着。出発した錫杖湖が見えます。山頂の岩の上で休憩。

青山高原

10山だけど唯一高原。標高は756m

風力発電の風車がいっぱいある。

青山高原

 

以前ここも東海自然歩道で走っているので今回は自転車で走って高原を楽しもう!

青山高原

そしたら道に鹿の角が落ちていた。

山を何度も走ってますが、鹿の角を見つけたのは初めてでビックリ。

 

そしてそして津10山で一番気になった長谷山

長谷山

標高は320mと飛び抜けて低い山。あえてこの山を選定しているのでどんな山なのか気になる。

長谷山 長谷山

整備された道を進むと山頂まですぐ到着。津の街に近いので夜景を見に来るのにいい場所なのかなと。

 

ふ〜

これで津10山終了。

レースが全て中止になって何か目標を作らないと練習の励みにならないので、県内の近所の山探検をしてモチベーションを保たないとね。

47年間お疲れ様でした!!ドムドムバーガーの閉店最終日を密着レポート。

顔を見ると帰ってきたと思える場所だった。
おじちゃんもおばちゃんもずっと変わらない。

学生やサラリーマンなど常連客に長年愛されてきた「ドムドムハンバーガー桑名FC店」(以下桑名ドムドム)が6月30日、閉店した。

ファーストフードなのだけど、ファーストフードらしからぬ温かさに溢れる店。昭和漂う雰囲気と店主ご夫婦の人柄、懐かしさを感じるその味は幅広い世代の心を掴んでいた。

店主はドムドムのおじちゃん・マスターと親しまれていた太田勲さん(82)。

もともと和菓子屋を営んでいたマスターは、1972年に桑名駅前再開発事業として建設された商業ビル「パル」にて寿がきやを始め、翌年に完成した「桑栄メイト」にてドムドムハンバーガーを始めた。以降25年間にわたって両店を同時並行で営み、ドムドムバーガーは47年間切り盛りすることとなる。

ドムドムハンバーガーは1970年に東京都町田市に出店した国内初のハンバーガーチェーン店。マクドナルドより1年早い。2020年7月現在では、全国に26店舗を残すのみとなった絶滅危惧種。特に桑名ドムドムは東海地区唯一の店舗として聖地にのような存在だった。

半世紀に渡って愛された桑名ドムドムだが、入居するビル「桑栄メイト」が老朽化により閉鎖が確定。歴史に幕を閉じることとなった。

閉店となった6月30日。

ファンが開店前から長蛇の列を作った。慣れ親しんだこの場所で「ようしてくれて感謝しかない」「青春の味でした」「今までお疲れさまです、ありがとう」と別れを惜しんでした。

今回は多くの客の青春を包み込んだ桑名ドムドムの閉店までを追った。

■わたくしごとだが洗礼を受けた2014年
東京から縁もゆかりもない桑名への移住が決まり、初めて桑名駅を降り立ったのが2014年。私の中にある駅ビルのイメージとかけ離れた桑栄メイトを見て泣き崩れた。更に所謂ファーストフードで、ご高齢ご夫婦が働いている姿にも衝撃を受けた。勝手にファーストフード=学生アルバイトというイメージがあったからだ。

■いつでも迎えてくれる存在になった2016年
駅直結フロアということもあり、桑名ドムドムは私にとって当たり前にいてくれる存在になっていた。知り合いがいなかった時も、店先を通る時に会釈をすると笑顔で送り出してくれた。行きがけは「なんやいつも忙しいねー」「気を付けて行ってらっしゃい」、帰りがけは「お疲れ様」「お帰り、暑かったでしょう」。いつでも迎えてくれる場所だった。

不思議と落ち込んでいる時には、店頭から「飲む?」と呼び止めてくれ、珈琲を淹れて下さることもあった。なぜわかるのだろう。

50年近く毎日お客さんを見守っていると、メンタル察知する能力も上がるのだろうか。そう過去に聞いたことがある。マスターは軽く笑って「そんな深くは考えてないよ」と仰っていた。

■存続が危惧された2017年
運営元であったオレンジフードコートが「ドムドムハンバーガー」事業を譲渡。東海最後の砦と言われていた桑名ドムドムの存続にファンがざわついた。

「営業存続する方に入っているから無くなりません。私が生きている間は続けたいと思っています」マスターのお言葉に心底安心した。

■桑栄メイトビルの閉鎖が決まった2019年
秋頃から桑栄メイトビルの閉鎖が本格的に囁かれるようになった。ドムドム桑名がいつまで営業するかは未定とのことだった。

因みに現在ドムドムバーガーではベレー帽がデフォルト。マスターとママが被られているドム紙帽はレア版なのだ。強いこだわりがあるのだろうか?聞くと「だって恥ずかしいやん」とのこと。

■2020年6月1日:今後の営業について取材をさせて頂いた
7月20日まで営業するとのお話だった。あと1ヵ月と20日。何回来れるかな。

ドムドムバーガー。桑名の遺産「桑栄メイト」〜その記憶消えぬよう〜

■2020年6月3日:ママの断捨離食器
フラッと立ち寄ると、これ見て!と幼い頃から知っている子が書いた雑誌だと見せてくれた。ドムドムのことが書かれている。とても嬉しそう。

また最近ママがご自宅の断捨離を始めたらしく、食器を大量にいただいた。何十年以上前の桑名信金の粗品などマニアをくすぐるものも。

■2020年6月9日:定番の甘辛バーガーとちょっと冒険
友人たちと大人買い。「こんなにたくさん?ええの?」と80円値引きしてくれたマスター。定番の甘辛バーガーからちょっと冒険してごぼうスティックを注文。その美味しさに今更ながら気付いた。

■2020年6月中旬:連日の大行列
惜しむファンたちが連日訪れる。ネットニュースでも報じられ、お昼前後は長蛇の列ができるようになった。土日は2時間半の日も。

マスターご夫婦の体調から営業時間が短縮となり、土日はお休みとなり、営業時間は更に短縮へ。

■2020年6月26日:閉店を早める決断
体力の限界を感じたのもあり、閉店日を当初予定していた7月20日から6月30日に変更すると教えてくれた。せっかく来ていただいても提供出来ないお客様が増えると申し訳ないという理由で、閉店についてはまだリリースしない意向。行列対策として店内の席を半分にして対応。この日もママの断捨離器を受け取った。

■2020年6月29日:閉店となる前日
突如の張り紙。ファンがざわついた。

■2020年6月30日:閉店の当日

〇9:00
開店前だが店頭には既に3名が並んでおり、予定より早くオープン。9時半には20名ほどの列。東海エリアのドムドムバーガーの最終日を全店追っている人も訪れていた。そして、マスターまさかのドムゾウ版の紙帽。

いつも被っている紙帽から2段階新しいバージョンだ(ママはいつもの神帽でホッ)。とはいえ紙帽自体が基本レア。

〇10:00
30名ほどの列。メニューは既にビッグドムと照り焼きバーガーのみ。皆さん3つ以上のお纏め注文。

〇10:10
店内に流れる昭和風の歌謡曲。なんだか切ない。30分程の列に並び、てりやきバーガーとビッグドムを注文した。奇跡的に特等席。商品を受け取る際に「今までありがとうございました」「いつまでもお元気で」と挨拶されるお客様たち。

〇10:20
保育園時代から約20年通っていたという30代女性が、娘さんと一緒に訪れていた。三世代通してのドムドムファンである。「もう第二の故郷。雰囲気含めてここでしか味わえない味」と話してくれた。この日は有休を取ってマスターとママにご挨拶にみえたそう。「本当にありがとう」とお二人とハイタッチする姿が寂しかった。

〇10:50
「午前中で商品なくなりそう」とマスターがドムドムの本部へ連絡。続いて電話で幕の内弁当を頼むママ(笑)。

並んでいるお客様でオーダーストップがかかった。もうポテトだけになってしまうとのことで、シャッターが半分閉められた。「頭気をつけてね」とお客様に声をかけるマスター。

〇11:20
並んでいるお客様は全員シャッターの中へおさまった。他店舗に迷惑が掛からぬよう、店内は行列用にテーブルを半分なくしスペースが確保されている。SNSを見て知ったと駆け込みでくるお客様もいた。

〇11:40
物心ついた頃から親と通っていたという姉妹にお話を伺った。習いごとの帰りに寄るのが嬉しかった想い出から高校時代のエピソードまで教えてくれた。その他にも、幼少期から30年以上通っている姉妹が閉店を知り、夜勤明けで駆けつけていた。ドムドムは同じビル内の歯医者に行った帰りにご褒美として連れてきてもらう場所だったそう。

〇12:25
学生時代から通っていたという30代女性に話を伺った。ドムドムは基本番号札制度はなく、注文した後に席で待っていると、顔を覚えて持ってきてくれるのが嬉しかったという。大人になってから足が遠のいた時期もあったけれど、店の前を通ってお二人を見ると安心していた。「あるのが当たり前だったから寂しい」と仰っていた。

また初めてドムドムに来たのは20歳。ご主人とのデートだったと話してくださったのは60代の女性。この日はドムドム大ファンなご主人の為に買いにいらしたのだそう。「無性に食べたいという日があるのよね」と寂しそうに仰っていた。

〇13:00
ミキさん飲むでしょ?と新聞記者さんと私にコーヒーを淹れてくださったマスター。お忙しいのに…、私勝手に張り付いているのに…、いつも優しく気遣ってくださるマスター。

〇13:05
席で泣きながら味わっている女性がいた。子どもの頃から20年程通っているという。電車通勤のお父さんのお見送りやお迎えで、お母さんと一緒にドムドムで帰りを待っていたそう。「家族との思い出が詰まっている。生まれた時からあった当たり前の場所」涙を拭きながら最後の味をかみしめていた。

〇13:10
ハンバーガーは既になく、注文はポテトだけ。それでもまだ行列はできている。とはいえ午前中と比べたら落ち着いてきており、マスターとママもお客さんと会話ができるようになってきた。

〇13:15
‪ラストオーダー15分前。「もう閉店?閉店しますね?‬」とママ。「あと15分あります!‬」という本部の方。「あと15分!‬」とお客さんからも少し笑いが起きる。温かな雰囲気。

〇13:24
ラストオーダー6分前にトラブル発生。マスターが帽子を脱いでお店を出ていく。追いかけて尋ねる。

マスター:入れ忘れたもんでこれから届けに行くわ。大ミスや!こんなこともある!

大急ぎでお客様宅まで届けに行かれたマスター。ラストオーダー6分前の事件。

〇13:45
ドムドムバーガーの他店舗を巡りながら、今日からまたドムドム難民になった方々。次の開拓先はノープランだそう。

〇13:46
マスターはまだ戻らない。そんな時「ちょっとミキさんこれ!!」とママから渡された断捨離食器。このタイミングで(笑)?!思わず突っ込む。ありがとう、店内のお客様にもお裾分け。

〇13:47
最後のお客様へポテトのお渡しが完了。記念にと1本お裾分けくださった。私にとってもこれが本当に最後の桑名ドムドムの味。

〇14:10
閉店。店頭で見守るお客様にマスターが挨拶。

〇14:13
マスター
:だんだん寂しくなるでここらへんで。本当にありがとうございました。

「お疲れ様でした!」お客様たちは拍手で、シャッターが閉まるのを見送る。「やりきりました。悔いはないです」マスターは仰った。

■2020年7月1日:閉店の翌日
一夜経ち、閉店の夜にマスターがママと何を話されたのか聞いてみた。

マスター:いや、疲れてなんにも話さなかったわ。

片付けをされるなか、懐かしのオリジナルグッズが多数出てきていた。私はなぜかベビーカーをもらう流れに(最近出産した友人にお譲り済)。以前からママが仰っていた断捨離ラインナップのひとつだ。

■2020年7月2日:閉店の2日後
片付けと同時に、挨拶にみえる方も多いようで「めちゃくちゃ忙しい」というマスター。浸る余裕もなく、まだ心境の変化もない模様。

マスター:寂しいとかはあるけど忙しいもんでやり切ったという感じかな。最後にみなさんが拍手してくれた時が一番寂しなったね。

本部へコーヒーメーカーを引き取ってもらった為、旧式でアイスコーヒーを作ってくれるマスター。

これ使う?と下さったホチキスの芯。営業は終えても紙帽スタイルは健在。

閉店後もSNSでは別れを惜しむ声が続いている。

「旧ショッピングシティパル内にあった寿がきやと桑栄メイトのドムドム、両店ともご夫婦で経営されてましたが遂に両店とも閉店ですか。時代の終焉を感じます」

「小学生の頃学校でイジメに遭い学校を休みがちの時に母ちゃんに『美味いもん食いに行くぞ』とよく連れてかれたのがココでした」

「35年前友達と初めて行った映画の時も、バイトの相談をした時も、このお店でした。
最後に行きたかったけど、仕事で行けなかった。でも娘が代わりに、あの時の思い出を買って来てくれました。優しい気持ちになれるバーガー。変わらず美味しかった」

「高校生のときの彼女がバイトをしていました。25年前…甘酸っぱいな」

「本当に長い間お疲れ様でした。こんなに馴染み深いファーストフード店は唯一無二でしょう…」

■2020年7月6日:閉店の6日後
まだ片付けでお忙しそう。相変わらず浸る余裕はなさそうだが、「ホッとした」という言葉は出ていた。長年の日課でもあった通り、閉店後も向かいの桔梗屋さんに珈琲を2杯ずつ届けているそう。

この店をずっと見守ってきた黄色いゴミ箱。ここでどれだけの物語を観てきたのかな、想像すると哀愁を感じてならない。

撤去作業の一環でゴミ箱を動かしてみたところ、なんと衝撃の事実!!後ろにthank youという文字が入っているではないか!!いや、これは後ろではなく前だ。

――マ 、マスター大変!今までずっと逆だったみたい!これが哀愁の正体?!

マスター:なにー?ほんとだ!そんなん知らんかったわ(笑)

ドムドムさんお疲れ様でした。

本当に本当にありがとうございました。

 

 


ドムドムさん含め、新味覚・ぱいいち・桔梗屋・カトウ医院・アイドルなど、桑栄メイトの店舗にインタビューさせていただいた記事はこちら。

【保存版】桑栄メイトの閉じ方~桑名の遺産その記憶消えぬよう〜

 

桑栄メイトと共に47年。桑名とお菓子の移り変わり。

桑名市の駅前に 1973年にオープンした駅ビル桑栄メイト。

2020年月7月31日をもって47年の歴史に幕を下ろす。

残しておきたい町の風景のひとつとして、昨年11月頃からOTONAMIEが取材を行ってきました。

そして桑栄メイトのオープンから共に歴史を積み重ねてきた、十一万石のご主人 石田有己生(ゆきお)さんにお話を伺いました。

■桑榮メイトオープン当時の事覚えてますか?

桑榮メイトができる前、ここは商店街だったそう。食堂・菓子屋・青果・魚屋・洋服・化粧品・時計・カメラ・せともの・バー・映画館などなど。地図を見ただけで、ところ狭しと色んなお店が賑っていた様子が想像できる。

古き良き昭和の時代がここにあったんでしょうね。

そして駅前再開発がスタートし、商店街にあったお店も、そうでないお店も桑榮メイトの中に入っていく。十一万石さんもこのタイミングで、先代の念願でもあった駅前に出店する事になった。ご主人がまだ23歳の時の事。

2F味の街 その下、JRの文字の奥にはうっすら国鉄の文字が・・

2F 味の街というだけあって、2階に入る飲食店は物販だけでは入れないとういう規定が。そこで製造・販売のみを行う本店とはスタイルを変えて販売・飲食をメインとしたメイト店独自の歴史をスタートさせる。ぜんざいやあんみつ、かき氷もこちらのお店では出すことに。

店舗前には気軽なおやつに田舎まんじゅうなども並べられていた。

商店街のように1箇所に色んなお店が集まることで人の流れも変わるし、横の“店舗”というより、“お隣さん”というくらい距離が近いことで、異業種の繋がりができ、色んな意見が聞けたことがとてもよかったという。メイトの中で開催される夏祭りや季節のイベントが、その距離を縮めてくれたのだろう。

ご近所の”たがわ”さんご夫婦と。

■十一万石さんのおすすめのお菓子はなんですか?

「白魚乃里」という桑名の名産はまぐりの形をしたクッキー。

ころんとした形もかわいい。

松尾芭蕉の有名な句「あけぼのや 白魚白き こと一寸」にもある春を告げる魚、白魚。その名前をつけたこちらのお菓子はよく取材もされたそうですし、伊勢神宮にも奉納された事があるそう。国産バター、玉子を主原料とし一口かじるとサクっとした食感に、ふわっとバターの良い香りが広がります。甘すぎず、お茶にもコーヒーにも合いそうです。

他にも栗羊羹やわらび餅、カステラやおまんじゅう、見た目にも涼やかで可愛い季節の生菓子などたくさんの種類のお菓子が並びます。

青梅や紫陽花、金魚など見た目にも涼やかなものばかり。

この季節のお菓子をつくるのが和菓子を作り醍醐味だとご主人は語ります。カレンダーを見ながら、立春や夏至や冬至・・その季節にぴったりのお菓子を考え、わくわくするそうです。

自家製小豆のたくさんのったういろうもいただきました。こちらもあっさりとした甘さと、しっかりと大きな小豆の風味が豊かでとても美味しい!もちもち食感もういろうの外せないところ。

”映え”より本当に好きなものを選んでしまいすみません。

小豆は自家製で北海道産の契約栽培の十勝小豆や大納言小豆を使用。赤飯や、ういろう、あんこなど用途によりに使いわけているそうです。

ご主人は毎日朝3時に起床。本店で毎日お菓子を作り、9時頃奥様と共にメイト店にお菓子を納品。自分はそのまま本店に戻り、店番と製造の続きをしながら16時頃また奥様を迎えにメイト店に帰ってくる。

大変な毎日ですね!と言うと「慣れてしまえば、どんな職業も一緒。あんたらも、仕事大変やろ?」と、温かい笑顔で私たちのことも気遣ってくださいました。

■桑名の歴史とお菓子

江戸時代になるきっともう少し前、桑名にはお城がたくさんあったという(一説によると40以上もあったとされる時期も!)

そして江戸時代には桑名藩11万石の城下町および東海道五十三次で知られる東海道42番目の宿駅・桑名宿として、この街はきっと、モノ・ヒト・コトが自然と集まっていたのだろう。お城に献上する品として、また茶の湯文化も栄えたことから、菓子職人がたくさん育つ地となりお菓子屋さんも増えていった。

十一万石さんの創業は明治時代、ひいおじいさんが始められご主人は4代目だそう。

■そんな桑名の地で商売をされてきて、菓子文化に変化はありましたか?

桑名では婚礼や家の新築など、お祝い事の時に重箱のような大きな折箱に色んな饅頭や菓子をいっぱい詰め、餅まきのようにみんなにお菓子をまいたり、お嫁さんを迎えた家が羊羹や、ねりきり、羽二重餅などを5段もある折箱いっぱいにつめてご近所や親戚に配る独特の文化があったそうなのです。

桑名の街の人々にとって、お祝い事とお菓子は切っても切れない程身近にあったものなんでしょうね。時代の流れとともにだんだんと風化していき、今ではその光景もほぼ見られないといいます。

店内には綺麗な箱に詰められた贈答用菓子もたくさん。

また、新型コロナウイルスの影響で人と人が会う機会が少なくなり贈答用手土産を買っていく人の数が激減。ここまでひどく影響があったのは、やはり今回が1番だそう。人の流れどころか、生活様式まで一変しましたもんね。

このまま桑榮メイトがなくなると駅前での待ち合わせや、喫茶店でくつろぐ時間など人と人が会う場所が減ってしまう。それにより年配層の方々が出歩かなくなるのでは・・と危機感を覚えていました。

電車待ち、待ち合わせ、きっとみんな色んな時間をすごした場所。

■ご主人にとってメイトはどういう場所でしたか?

「一言でいうなら、やっぱり、楽しかったよぅ。電車やバスで来られる方もたくさんいて、人間交差点みたいな場所やった。印象深い出来事や出逢いはたくさんあったから、今だに色んな方が声をかけてくれるのがたくさんいるのも嬉しいね。」

取材も終盤、リラックスしたいい表情でお話聞かせてくれました。

メイトの閉鎖のち本店での製造・販売営業は続ける予定。その他にも色んなところからお誘いはあるのものの、問題は年齢やね・・と。まだ決めかねているようです。

■最後に、ご主人の思う和菓子の粋なつかい方あれば教えてください。

「和菓子はやっぱり女性を美しく魅せてくれる。着物姿で風呂敷でつつまれた和菓子を片手で抱きかかえるようにもっている姿は、なんとも言えず色気があり、和文化の美しいところだと思う。ぜひやってみてください。」と。

わ!いい事聞きました!次に手土産を持っていく機会あらば、着物姿で風呂敷包の和菓子・・チャレンジしてみようと思います。

photo / y_imura

十一万石
桑名市東伊賀町124

宇治茶真鯛を食す。これからの養殖魚の味わい方@南伊勢町

人間の身体は、食べるものによって変化します。
だから健康に良いものを選んで食べて、人は身体を気遣うものです。

食べるものによって自分の身体が変化する実感を得る機会は少なく、とりわけ若い頃は健康な身体に甘えがちです。

しかし食べたものの中から栄養を吸収して保つ生命だから、何を食べてどんな栄養を吸収するかがとてつもなく大切なのです。

それは人間に限らず、生命を宿すすべてのものに共通することです。

今回は育てる漁業養殖業)において、与えるエサを変えることで魚の身体を変化させ、味わいを変える取り組みを紹介します。

生き物を育てる仕事の基本! 栄養を計算したエサ作り。

動物を育てる一次産業(畜産・養鶏・養殖魚)においては、給餌(エサを与えること)が仕事の大半を占めることになります。

そのため、与えるエサ作りがとても重要です。

人間を含めた動植物はすべて、生命維持をしながら身体を成長させるために必要な栄養素の種類と量が決まっています。

牛・鶏・魚……。

どの動物を育てるにしろ、まずはそれらの動物が成長するために必要とする各栄養素の量を把握します。そしてそれを摂取できる食材(原材料)を集めてミックスすると、配合飼料が完成するのです。

真鯛の配合飼料。基本的に毎日エサを与えます。

目的に応じて、エサに原材料を配合。

目的に合わせて、配合する原材料を変えることも可能です。

たとえば真鯛の場合、天然のものだと水深30メートル近くの紫外線の届かない範囲で生活しています。

養殖の真鯛は作業の都合で、水深の浅い場所で育てています。そのため紫外線を浴びて日焼けをして、天然のものと比べて黒ずんでしまいます。

日焼け防止で、黒色の遮光ネットを張っています。

真鯛はめでたい祝いの席で食されることも多く、見た目が非常に重要です。

そのため綺麗な赤色をした真鯛に仕上げるため、餌に工夫が施される場合があります。具体的には、アスタキサンチンという天然色素を多く含んだエサを与えるのです。

真鯛の出荷風景。

面白いことにこれは、養鶏のエサ作りでも使われています。

スーパーで売られている卵は白と赤の二色がありますが、一般的に赤色の方が人気があります。卵を赤くするためにアスタキサンチンを多く含んだエサを鶏に与えているのです。

ーーーーー

以上、一次産業の現場において行われる給餌についてと、エサを変えることによって目的に合わせた商品を作る方法を紹介しました。

そして今回紹介したいのは、真鯛のエサに宇治茶を与えて作る宇治茶真鯛。三重県南伊勢町にある友栄水産が取り組んでいます。

そうだ!宇治で鯛を作ろう。

なぜ三重県の漁師町で宇治茶なのか。

京都府宇治市には世界遺産の平等院、宇治上神社また宇治茶をはじめ豊富な文化資源があります。しかし、これといった主菜が存在しない。

それまで宇治市で建築集団として活動してきた歴史まちづくり研究会は、地域活性のためにこの問題と向き合うことにしました。

新しい宇治固有の主菜があれば、そこに住まう人たちの楽しみが増えます。訪れる人たちの楽しみが増えます。それをもてなす人たちの楽しみが増えます。そこにある建物の使い方が増えます。

建築の職能集団としての活動と並行して、食という面からもアプローチをし新しい主菜をつくることが今まで以上に街に繋がりをつくり、地域の活性化に繋がると考え「宇治のメインディッシュを考える実行委員会」を立ち上げました。
『宇治のメインディッシュを考える実行委員会』HPより引用

注目したのは三重県で生産される、伊勢茶をエサに混ぜて育てた「伊勢まだい」というブランド真鯛でした。

食事中の真鯛。

三重県内で生産されたポリフェノール類を多く含む海藻・柑橘類・伊勢茶のミックス粉末をエサに混ぜて与えて育てていく。

「ミックス粉末を 2%添加したモイストペレットを出荷前に 14 回以上給餌すること」が伊勢まだいの基準となっています。

詳しくは、伊勢まだい養殖の概要をご覧ください。

食事中の真鯛part2

伊勢茶に含まれるカテキンの渋み成分は余分な脂を落とす効果があり、あっさりとした味わいに仕上がる。それならば、同じくカテキンを含む宇治茶でも真鯛の味を変化させることができるかもしれない

注目したのは、宇治茶の栽培方法(ほんず覆下栽培)において生まれるテアニンという成分。これが独自のうま味を醸成するのではないか。

宇治のメインディッシュを考える実行委員会は、三重県で真鯛養殖を営む漁師と一緒に、宇治茶真鯛の生産に挑戦することにしたのです。

宇治茶真鯛を生産する友栄水産。三重県南伊勢町阿曽浦。

実際に食べてみました!宇治茶真鯛。

南伊勢町阿曽浦の友栄水産を訪れた日。
たまたま宇治茶真鯛の出荷に立ち会うことに。

そして有難いことに、1匹分けていただきました!

いただいた宇治茶真鯛は内臓処理をして、冷蔵庫で熟成させます。

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3日後。

うま味が熟した頃にいただきました。

開封の儀。
大きな真鯛!
魚を捌くのも楽しみのひとつ。
メインデッシュはもちろん刺身!
通常の真鯛よりも、かなりあっさりとした爽やかな味わいです。昆布締めなどで味付けしても美味しいかもしれません。
アラ(頭や骨)は汁物に。良い出汁になります。

気になる方はポケットマルシェで、三重県南伊勢町の漁師から直接ご購入できます。ご注文される際は、ぜひ通常の真鯛との食べ比べもしてみてください。

または宇治市へ訪れる予定のある方は、異食家styleよっしゃんで「よっしゃんの宇治茶漬け~宇治茶を食べて育った真鯛のあぶり漬けしょうゆ~」を注文いただくことが可能です。

海のない街のブランド真鯛をぜひご堪能ください!

【保存版】桑栄メイトの閉じ方~桑名の遺産その記憶消えぬよう〜

2020年7月。

三重県桑名市駅前の象徴である桑栄メイトが閉じる。

ひとつの時代が今終わる。

「昭和の高度成長期の繁栄がずっと続くと思っていた」そう店の方々は言う。そしてこのビルは閉じる。新しいビルがあるわけではない。

決断の年に受けた新型コロナウィルスによる影響は思いの外大きい。お客様が激減したことで差し迫った現実があったという声も聞いた。先代たちも想像できなかったであろう。

開業当時、路面に並んでいた店舗には人の行き来があった。それを縦に集結させたビルとなり、47年間、昭和・平成・令和と桑名駅前の象徴として繁栄した。

商いを続けるという選択、商いを閉じるという選択。まだ決めかねているという方もいる。桑栄メイトを舞台に育まれた半世紀の物語。そして各々にある歴史の幕の下ろし方。

決断には祈りのように強い想いがあり、先代から受け取った遺産の継続でもある。時代が変わる象徴を次世代が感じ取り、時に自分を動かす座右の銘を刻む。時と共に忘れ去られるかもしれない桑栄メイトを記録としてここに残す。

新駅舎の建設が進む。桑栄メイトは8月末に完全閉鎖。早ければ今秋から解体工事へ

 

■桑栄メイトのあの頃…

桑栄メイト協同組合・桑栄ビル管理組合法人の代表理事で、メイト開業時から入居している「山榮堂」の水谷有志さんに桑栄メイトが完成した当初の話を伺った。

1972年。国の市街地再開発竣工第1号の桑名駅前再開発事業として、桑名駅東口にジャスコを核店舗に90の専門店で構成された商業ビル「桑名ショッピングシティ・パル」が完成。

桑名市立中央図書館「昭和の記憶」事業より

翌年1973年。パルの向かいに建設された複合用途ビルが「桑栄メイト」だ。

’83 商工名鑑 広告ページより

テナント権利は分譲マンションのような仕組みで、駅周辺に構えていた路面店が集結。営業時間は原則9時から19時まで。自由度は高く各店ばらつきはあったそう。

真横にはバス停、目の前にはバスターミナル。活気があったあの頃。

桑名市立中央図書館「昭和の記憶」事業より

当時小学五年生だった有志さん。あの頃の様子はどうだったのだろう。

有志さん:ドヤ街だった路面店が桑栄メイトに集結していく様子を鮮明に覚えています。あの街並みがこういう風になったかってね。

店同士の繋がりも濃くなる商業ビル。ロゴにも込められているのだろう。

――外観もかなり特徴的ですよね。

有志さん:特徴的か。逆にこれしか見慣れていないから当たり前と思っちゃうんだよね。

要所要所の看板もクラシック。

つい二度見してしまうコインロッカー。理由は定かではないが、他県で起きた悲痛な事件の予防として施したのではという噂。

もはやレトロという言葉ではごまかせない誘導看板。

――看板は直さないのですか?

有志さん:直し直しで最近まで光っていた気がするけどな。

――諦めたんですね。

有志さん:多分ね。これもね。

うーん、緩さが堪らない。この流れでメイトツアーへ。

 

■未踏の地な人が多い地下フロア

まず必要なのは少しの勇気。

気になる貼り紙。厳禁!禁!厳守!

掲げざるを得なかった薄暗さ。

初潜入の中央監視室。

ボイラーや水漏れ、冷凍機の操作などを24時間体制で行うビルの要。シャワー室完備。

最近まで現役だった放送機がそそる。

地下を大きく占めるのはゲームセンター跡。

当初は「くさりや」という魚卸が営む和食屋が入っていた。その後ゲームセンター「ダイエー」が入り、高校生の溜まり場になっていたそう。

ダイエー後にも違うゲームセンターが入居したが、夜逃げで飛んだとか。

以降借りたい声はあったものの、退去時に条件どおりのスケルトンにしたことで、逆に配管事情がわからなくなり初期コストが換算不可状態に。

結果、メイトの清掃の拠点となった。

 

■ファッションならお任せ1階フロア

ブティックや呉服屋が並ぶ1階。

看板にも表れるハイカラさ。

開業時は駅改札との高架接続がされておらず、1階フロアの人通りは多かったそう。

JRに上書きされた国鉄文字に時代を感じる。

 

■昭和レトロカラーの4・5階フロア

雨漏りすら楽しんで見える窓際からの眺め。

居住スペースになんだかグッとくる。

昔は夜店や現金つかみ取りなどのイベントもあり盛況だったという桑栄メイト。

リニューアルしたメイトカラーはっぴ

――桑栄メイトの思い出を聞かせていただきたいです。

有志さん:うーん、思い出と言われるとピンとこない。まだ日常だからかな。ここで育って、小さい頃からずっと賑やかだから、寂しいと言えば寂しいし。とにかく楽しかったかな。

有志さんの店は移転が決まっており、現在は新店舗に向けた準備中。ここまでご案内ありがとうございました。

お別れして味の街と名乗る2階フロアへ。

 

■ソウルフード集結!味の街2階フロア

駅直結のため、通勤通学など一番利用者が多いであろう2階。

このフロアで47年前の開業時から入居しているのは、パーラー花・十一万石・桔梗屋・一力亭・ドムドムバーガー・喫茶ルール・新味覚・ぱいいち。

ソウルフードとして愛される味も多く、行列風景デフォルトな名店揃い。

忘れられない虚無感たっぷりのキャラクター

時折、店同士のご近所付き合いがみえるのもまたいいのだ。

最近発見したのは、天井のところどころに置き去さられたリボン。

友人は「わー生きてる!!放置されてもう自ら生命力を持とうとした意思を感じる」と感動していた。バリエーション豊かなのでぜひ探してみてください。

新たな発見に尽きないポテンシャル溢れる桑栄メイト。

 

■メイトの存在が日常だった想い出

駅前で生まれ育った40代男性のお話をうかがった。

「今はない横井電気のプラモデルにガンプラを買いに行ったり、長谷川酒店でアイスクリームを買ったり、天津甘栗買ったりね。当時、地下はくさりやさんっていう、魚卸の方がやってる魚民みたいな?所に家族のイベント時に連れてってもらいました。2階はサーティーワンアイスクリームも実はあったんですよ。ドムドムも早かったし、ミスタードーナツも桑名は入ってくるのが早かった。今のたがわさんの前にホーロンって中華屋さんがあって、そこのB定食(酢豚、八宝菜、シュウマイ、ライス、スープ)は美味しかったなぁ。3階もNECの9000シリーズやったかな、小学校の時だからパソコンの走りね。無料体験が出来てテキスト通りに打てば、画面に模様が描かれるという、ただそれだけでも良い遊び場でした。4Fはお医者さんね。5Fは中学校の時に英語教室があって、友達としゃべってばかりでした。洗濯物を干す場所があるんだけど、そこでキャッチボールをして球が外に落下しちゃったりして、下に止まってる車にボコンと当たったりとか…思い出はいっぱい詰まったビルでした」

フロアインタビューを続ける。みなさん想い出が溢れる。

「桑名駅前と言ったらここ」
「数十年ぶりに地元に帰ってまだあったから驚愕でした」
「昔から通路。目的はないけどここにしかない店がある」
「当たり前に在る場所だから寂しい」

年と共に移り変わる”メイトの愉しみ”を教えてくださった方も。

「昔からここは年季が入っていた。古くさいなぁと思いながら、桑名に娯楽がなかっただけに、パルと共によく通った。中学生の頃は3階にあった理容店で髪を切ってもらい、帰りにドムドム行くのが楽しみだった。気になる子をドムドムに誘ったこともあったな(笑)。大人になってからは新味覚にはまって、更にぱいいちで飲んで…と歳を重ねるごとに違う楽しみを教えてくれたビルでした」

私の知らない時代のメイト。想像が昭和の香りを醸す。そういうのがいい。

 

■実は半年前から取材を進めていた

街の文化遺産として、桑栄メイト各店の取材を始めたのは2019年秋。

駅前が変わるなか、この場に建ち続けたビルがどのような存在だったのかを知り、手紙のように後世に残して綴じたいと思った。

半世紀もの歴史あるビルに対して、ありんこにもならない新参者なわけだが、自分が桑名駅に初めて降りた時に受けた強烈なインパクトと、徐々に知ることとなった物語にシンパシーを感じ、動かないといけない気に勝手になった。

ただ各店にインタビューをさせてもらったものの方向性未定の状態が多く、お言葉はあまり頂けなかった。

それがコロナ禍によって急変。皆さん”終わり方”への何らかの答えを持ち、覚悟を決めた姿勢がお言葉にも表れてきたように思える。

実はこの取材を私自身もコロナで一旦諦めた。でも張り出される閉店のお知らせが増える度に動揺し、再度火が付いたのは、閉店まで1ヵ月と迫る2020年6月末だった。

 

■店舗の方々に聞いてみた「メイトはどういう場所でしたか」

桑栄メイトで約40年間営んだブティックノイさん。

高度成長期は服がどんどん売れ、セーターの最低価格が9万8千円という時代もあったそう。

ご主人:そういう時代を夢見ているから思い出が邪魔しているかもしれないね。次の展開?それはまだ決まっていないよ。ここで過ごしたのは人生の何%かな。とにかくよかった。楽しかった。楽しいの一言では纏められないけど思い出がしっかりあってね。心から感謝してるよ。

桑栄メイトで47年間営んだ一力亭さん。

6月28日に閉店し移転先は7月15日にOPEN。5代続く老舗で、自分たちが先代からメイトの店舗を受け取ったと同じように、のれんを継ぐ息子さんに新店舗の経営を任せると話してくれた。

女将さん:本当素晴らしいビルでしたね。

桑栄メイトで約45年間営んだ桑栄歯科さん。

亀山の分院で営業を続けられる。開業した昭和50年は歯医者が少なく、朝5時から並ぶこともあったそう。桑栄歯科も内装工事中に2,3ヵ月先の予約が埋まったという。

院長:終生仕事をやってきた中で、皆さんに愛されて本当に楽しかったね。一生懸命やった。従業員とも色んな思い出があって、ここから巣立って開業した先生が30人以上もいるんですよ。

桑栄メイトで約10年間営んだエベレストさん。

現在移転先を探していて情報募集中だそうです。

スタッフさん:メイト?うん、いいよ!!これがいいです。次は決まっていないけど場所欲しい。

桑栄メイトで10年間営んだまさきちさん。

既に移転先である新築店にて営業を開始している。自分で何でも作った方がいいという大将は、当初器から米まで手作り。今も店内で頂くお米は大将が育てているもの。

大将:当時、農業もやめて何をするか決めかねていた。たまたま桑名でふらふらしとって二階上がって行ったら空いとるなと。シャッターの向こうから風が吹いてくる感じがしてね。そこから1週間後にまだ物件空いとるんだったら…って流れで始めた。10年前はあまり駅前にご飯食べるところがなかったからね。駅前だから県外からみえる出張客が多くて色んな人と出会える場所だったかな。

桑栄メイトで約8年間営んだ旬楽さん。

現在移転先を探していらっしゃる。

大将:子どもの頃から馴染みのあるビル。ハンバーガーやラーメンを食べによく来ていました。育ったところで働かせてもらっているということですね。寂しいけど一つの時代の移り変わりかな。桑名で商売できて良かったです。これからも駅前は変わっていくやろな。

桑栄メイトで47年間営んだミュージックショップ ハマダさん。

営業は7月31日まで。現在移転先を検討している。

ご主人:青春時代やな。色々あったし多くを語ることはしないけど青春です。

桑栄メイトで約47年間営んだカトウ医院さん。

営業は7月22日まで。7月27日に有楽町へ移転が決まっている。もともとお父様が現在の場所(1階)で開院しており、先生は大学生になるまで5階に住んでいたそう。

院長:診療所も住まいもこのビルで育ちました。非常にお世話になったし愛着があります。出来た当時は近代的なビルだったけれど、いつの間にか古くなってしまってキープできなくなったのが申し訳ない。あの頃は職住近接が普通だったんです。

桑栄メイトで約20年間営んだよくなる院さん。

2019年11月にサンファーレへ移転済。これまでメイト内の3階・6階・2階を移転されている。印象的だった手書きの看板は娘さんが書いたそう。

ご主人:喜んでもらえる場所ですね。もともと鉄工所勤めで勉強してからこの院を開きました。店舗同士のご近所付き合いもあったね。向かいの桔梗屋さんが出前してくれたり。とにかくすごくよかったね。

桑栄メイトで16年間営んだたがわさん。

7月20日を目途に閉店される予定。

ご主人:フルタイムで働いている同級生はもういない。自分たちのペースでやらせてもらえるこの場所だったからこの年まで仕事をさせてもらうことができたんだと思います。本当おかげさま。桑栄メイトに感謝しています。

桑栄メイトで43年間営んだ喫茶ルールさん。

コロナの影響もあり5月4日に閉店された。

マスター:ここはよかったね。恵まれたよ人に。可愛がってもらった。店同士のコミュニケーションもあった。上下関係もないし年齢的にも近かったしね。続けられて楽しかったです。こういう終わりになってしまったけれど、きっと神様がもうそろそろやめなって言ってくれたんだろうな。もうゆっくりします。

桑栄メイトで10年間営んだカツラヤさん。

ご主人のすすめで商売を始め翌年にご主人が他界。以降商売人生60年。今月で閉めることになっている。

ママさん:もう私も93歳だから。おかげ様で商売させてもろてたもんで、小さい子どもを2人抱えながらもなんとかやってきました。主人に人生支えてもらいましたね。きっと主人がやめとけってゆうてくれているのかしらね。ちょうどよかったの。

桑栄メイトで約47年間営んだぱいいちさん。

7月末に閉店の予定。昼間は持ち帰り用手羽先のホットケースの奥で新聞を読んでいるご主人。いつかは暖簾の中でお酒を飲みたいと憧れる学生も多いそう。正式名称は一杯をひっくり返した「ぱい一」。媚を売る売らない姿勢に触れるとニヤッ笑い「当たり前に商売してるだけ」と仰るご主人。

ご主人:うちは酒は売っているけどサービスは売っていない。こんな偏屈な親父がやってる店なんてサービスを期待してくるお客もおらんだろう。それでも稼いだ金を使いにきてくれるわけでしょ。駅の手前に始まりから終わりまで居て、日本の情勢を俺は分かってる。学生の憧れ?そう言ってもらっただけで頑張った甲斐があったね。

桑栄メイトで約47年間営んだ十一万石さん。

本店(工房)の営業を継続しつつ、駅前で新たな移転先も検討中。

ご主人:やっぱり、楽しかったよぅ。色んな人の出会いがあるからそれも新鮮やし。ご近所だけじゃない駅ビルならではの人間交差点みたいな場所やったね。

桑栄メイトで47年間営んだアイドルさん。

店名はママさんはお好きなシルヴィ・ヴァルタンの歌から考えたそう。

ママさん:楽しかったねぇ、ふふふ。私にとって洋服は好きなこと。ずっとやりたかったことだから、好きな仕事ができてお客さんともすごく仲良くなって楽しかった場所。閉鎖の張り紙で47年間て数字を見た時、私自身が驚いちゃうくらい自然だったわ。幸せよね。それも主人がいてくれたから二人で頑張っていけたかな。一人ではこんなに楽しい想いは出来なかったと思う。

桑栄メイトで47年間営んだドムドムバーガーさん。

6月30日をもって閉店している。

マスター:本当に一生そのもの。良い場所とハンバーガーとお客様に恵まれて、幸福な場所でしたね。一番ええ時をここで過ごしました。これがなかったら人生変わってましたね。

桑栄メイトで47年間営んだ新味覚さん。

7月29日に閉店を予定している。

大将:最高な場所だったね。駅も近くて。美味しいって言ってもらえるのは最高のほめ言葉。今後?もう72歳だからこれで花道にするよ。ありがたいね。

桑栄メイトで47年間営んだ桔梗屋さん。

7月29日に閉店を予定しているが、在庫次第では早めに閉められる可能性もあるとのこと。

大将:メイトとは最初からずっと一緒にやってるから愛着があるよね。一緒に年取ってきた感じ。そんで僕らもお客さんらも一緒に年取ってる。そういうのが楽しかった。人生を共にしている存在かな、僕にとってね。

ブティック・ノイさんの言葉が蘇る。

『人は忘れる生き物。駅前が建て直しでまたよくなるといい。でも昔桑栄メイトというビルがあった良き記憶は残ってほしいな。私はもう思い出作りは十分できましたから』

あなたにとって桑栄メイトはどんな場所でしたか。

昭和の生き様、刻まれる記憶の意味。各々が感じることを綴じる時がきた。

photo / y_imura
文/福田ミキ
取材日/2020.6.28
(一部筆者撮影)

※くわなラボと共に桑栄メイトのフリータブロイドを製作中。配布は桑栄メイトにて2020年7月2週目頃を予定

桑栄メイトとサックスと。

2020年6月28日11時。

僕の人生に於いて同じ三重県なのに何故かあまり縁が無かった街。桑名市の駅前に僕はいました。

桑名駅前ビル、桑栄メイト。

桑名の駅ビル、桑栄メイト。

このたび47年間の任期をまっとうし、7月31日に駅ビルとしての役目を終えると聞いて、今まであまりご縁もなかったけど、数年前に地下のライブハウス、Mさんの取材に寄せてもらったし、何かできることは無いかと思い、そのラストランの一部を記事に残すべく、最近記者デビューした嫁と共に取材同行して参りました。

本当は久しぶりにMさんにもご挨拶いきたかったけど、バンドさんと入り時間が被ってしまったのであえなく断念。

限られた時間で取材をする中、紛いなりにも僕がミュージシャンである事から、4階にあるミュージックショップ ハマダさんを担当。

知らなんだ。楽器屋あるって、しらなんだ。(川柳

楽器屋としては2代目となる濱田さん。

高校生の頃、吹奏楽の世界に入り、大阪の楽器商で修行をした後、地元桑名に戻り楽器屋を継ぐ。

元々は駅ビル1階でCDなどの販売もしながらの経営だったのが、CDが売れない苦難の時代を経て、楽器の販売・修理の分野一辺倒に舵を切って今に至るそう。

ご自身がアルトサックスのプレイヤーである事から、専門分野である管楽器の販売や修理をメインの生業とし、南は熊野や県を跨ぎ新宮まで足を運ぶ。

新しい道ができて些かアクセスが楽になったとはいえ、僕の住んでいる伊勢から熊野まで行くのも割と労力なのに、それが桑名から行くとなると移動だけでも丸一日仕事。

それこそ大変なはずなのに、”景色が綺麗で楽しいよ”と、奥さんと共にさらりと笑いながら、長距離移動などどこ吹く風の様に語るその守備範囲の広さに感服しました。

濱田ご夫妻。

来月、このビル営業が終了すること、そしてコロナの影響でお仕事が減り大変な時期の最中であること、更に、本取材がほぼ突撃だったこと(笑)もあってか、最初は緊張されていた様に感じましたが、こちらから「サックスを持ってる写真を撮りたい」とお願いして、ご自身のアルトサックスを手に取ったあたりから表情が温かくなった様に感じたのは僕の気のせいでしょうか。

いや、同じミュージシャンとして、そうじゃないと思いたいなあ。

ちょっと口元がほころんでますよ旦那。

2つ3つ吹いていく短めのフレーズの中に、濱田さんの丁寧で安定した熟達の演奏テクニックを感じました。

それもそのはず。山野楽器主催のコンクルールで入賞歴が。れっきとしたSAXMANです。

桑名駅前にこんなミュージシャンがいる場所があったなんてなあ。すっかりミュージシャンのお顔になってます。

すっかりJazzManの顔だ。渋いなあ。

取材をしにいった僕の方が熱く語ってしまった節もありますが、このご時世、ライブハウスや劇場、ホールなど、いわゆる「3密という要素も商売の一部になる分野」への風当たりがキツくなり、結果、音楽や芸術事業へ従事する人たちのモチベーションが全体的に低下しているのも事実。

確かに、音楽でお腹は満たされないし、音楽は服や布団の代わりにもならないし、ましてや音楽でコロナを治癒する事は今の科学の力を加味してもできません。

でも、その音楽や芸術が無いと心は豊かさを失いやすくなります。

芸術は、いわば心の豊かさを育む潤滑油みたいな役割を果たす、まさにその媒体だと思ってます。そしてミュージシャンたちは、それが出来る事を誇りにして生きてます。

だからこそ、この逆境に負けて欲しく無いし、ビルが閉まった後に移転された先でも音楽業界を担う一人として1日でも多く、現役の業界人を続けて欲しいです。

濱田さんが楽器を販売したり、修理していた高校生たちが大人になり、そして吹奏楽部の顧問となって、また濱田さんのもとを訪ねてくる。そしてまたその教え子たちが楽器を手にして、後世に音楽を残す一端を担う。

そんな話をしてくれた時、駅ビルが開業して47年間の中で構築されたであろう、数多くの人間ドラマの片鱗を、ここ駅ビル4階の一室で、ほんの少しだけ垣間見れた気がしました。

濱田さん、ご協力ありがとうございました。

新天地でもまたお邪魔させてくださいね。

この取材時ではまだ移転先が決まってなかったですが、新規移転先の情報等はまたお知らせできればと思います。どうぞ、お元気で!

PS.
余談ですが、息子さんは東京でカメラマンをされているそう。いつか会えるかな。

うん。いい写真だ。ちなみにドムドムのおじちゃんの写真もありましたよ。

photo / y_imura
取材日/2020.6.28

たがわの高山ラーメンと石焼ビビンバ。桑名の遺産「桑栄メイト」〜その記憶消えぬよう〜

JR東海・近鉄・養老鉄道が乗り入れる桑名駅舎に直結し、昭和から47年間愛され続け、町の象徴的存在である「桑栄メイト

現在、東西自由通路と新駅舎の建設が進んでおり、この愛すべきビルも今年7月末に営業を終え、8月末には完全に閉鎖。早ければ今秋から解体工事に入る。

駅を降りて最初に目にするこのビルの渋さに、心ふれあうどころか震える人も多かったであろうが、この場所に鎮座する桑栄メイトは地域のシンボルとして親しまれてきた。

時代と共に忘れ去られていくかもしれないこのシンボルを記録として遺したい。

 

■高山ラーメンと石焼きビビンバの店「たがわ」

ぺこぺこなランチタイム。

お腹と相談しながら名店揃いの味の街をウロつく。

この日は日曜日で、通常であれば休みのはずの「たがわ」さんが営業されてる!ラッキー!!

ということで頼んだのは、食欲を煽りまくる「明太マヨ石焼きビビンバ」

卵を割って、

混ぜる!

ジュージューと良い音を奏でる熱々の石鍋。ビビンバは韓国語で「混ぜごはん」という意味らしい。

だからとにかく混ぜるのだ!

具材とご飯が融合して、イイ感じのおこげができたところで堪らずひと口。

うまし!!!

■なぜ石焼ビビンバと高山ラーメン??

石焼ビビンバと高山ラーメンの店たがわさん。

創業は18年で、桑栄メイトに入居したのは16年前。

前から疑問だったのだけど、なぜ石焼ビビンバと高山ラーメンだったのだろう??

ご主人:もともと石焼ビビンバと高山ラーメンの店に社員として勤めていたんです。でも倒産してね。支店長からは可愛がってもらってたから「やらないか」と誘われ、転職は厳しい年齢だったから脱サラして引き継ぎました。業者も経理もわかっていたのでスムーズでしたね。

ご主人がオーナーとなり、ご夫婦で店をスタートさせたたがわさん。

当初はマイカル桑名(現イオンモール桑名)内で営業をされていた。土日と雨の日は家族連れの買い物客などで賑わい、とにかく目の回る忙しさだったという。

奥さん:もうね、本当忙しかったの!!目の回る忙しさってこういうことかと思ったわ。

そして開業して2年が経った頃にマイカルが破綻。二度目の倒産を経験することとなる。

ご主人:当時桑栄メイトの二階に学生服屋があってね。ご縁頂いてこの場所に入居することになったんです。駐車場がないのが困ったけれど、場所的にお客さんの層も幅広くて楽しかったですね。男性客はランチメニュー、女性は石焼きビビンバを選ばれることが多いです。ありがたいことにマイカル時代のお客さんが来てくれたりね。出張客や大学生が来てくれるのも嬉しいですよ。

男性に人気のランチセット

高山ラーメンを初めて食べる人も多く、想像以上のあっさりとしたスープと縮れ麺に驚かれるよう。

 

■ご夫婦の二人三脚

昼飲みができるというのも嬉しいたがわ。お得なセットが時間帯ごとに用意されているのでぜひチェックを。

昼から飲むってものすごい贅沢感を味わえるよね。

ご主人:桑栄メイトは駐車場がないし、マイカルとお客さんの数も全然違う。売り上げは下がるけど、あの土日に忙しさのような厳しさもなく、自分たちのペースで自由にできるのはありがたいですね。

厨房はご主人、フロアは奥さんで、テンポよく回る光景が心地よい。

奥さん:夫婦で仕事するのって大変よ。やり方も全然違うからぶつかるし。でも共通の話題で愉しめるのは良いかもしれないわね。あとお向かいの十一万石さん(和菓子屋)とは、ここに入居してから子どもが同級生ということがわかってね、仲良うしてもらってありがたかったわ。

 

■桑栄メイト閉鎖にあたり今後の営業は?

ご主人:もう70過ぎなのでね、これからはゆっくりします。年齢的にもちょうどよかった。営業は7月20日で終わりを考えていますが、2日早まるかもしれないし2日伸びるかもしれない。麺次第です。

――たがわさんにとって桑栄メイトとは?

ご主人:自分みたいにフルタイムで働いている同級生はもういない。自分たちのペースでやらせてもらえるこの場所だったからこの年まで仕事をさせてもらうことができたんだと思います。マイカルでは無理でしたね。本当おかげさま。桑栄メイトに感謝しています。

結婚45年のご夫妻。最後に記念のお写真を。

お疲れ様でした。これからもお元気で。

photo / y_imura
取材日/2020.6.28


たがわ
三重県桑名市桑栄町2
0594-24-8335

【桑栄メイトで取材させて頂いたお店】

■桔梗屋
https://otonamie.jp/?p=66535

■喫茶ルール
https://otonamie.jp/?p=60222

■パーラーはな
https://otonamie.jp/?p=66288

■ドムドムハンバーガー
https://otonamie.jp/?p=73268

「自分の証 決意の証」本気の印鑑、持ってますか?

桑名市の駅前に 1973年にオープンした駅ビル桑栄メイト。

2020年月7月31日をもって47年の歴史に幕を下ろす。

残しておきたい町の風景のひとつとして、昨年11月ごろからOTONAMIEが取材を行ってきました。

中でも、思い入れのある記事を最もたくさん書いているであろう福田ミキさんにお誘いをいただき、この日初めて桑栄メイトに足を踏み入れた私。

お話を聞かせていただくのは、「小学5年の時、親がここに店を出してからメイトが遊び場だった」という水谷有志さん。

創業明治43年 の株式会社山榮堂の四代目社長さんです。

ブルーのジャケットを着こなす姿はまるでロックスター。

「え、印鑑屋さんなんて、足を踏み入れるのもほぼ初めて…」と内心焦りつつ、印鑑のことも桑榮メイトの事も教えていただくつもりでインタビュースタートとなりました。

印鑑…古くは中国から送られた金印が日本最古のものとされ、しかしその後日本独自の文化として発展してゆく。

諸外国では本人の確認の際にサイン(自署)を使うが、日本は印鑑により本人確認がなされるのが一般的。

伊藤→小黒になったら、印鑑はすぐに見つからない。

「よく考えると印鑑って不思議やない?目の前にいる、その本人の確認のために日本では印鑑が必要とされる。まるで、印鑑自体が社会の中でその人の代わりとなり本人の証明をしているようなとこがあるやん。」

開始早々、カメラマンの深〜い発言により、このインタビュー無事に記事として着地できるのか?と不安に思いつつ、まずは山榮堂さんの沿革をさくっと教えていただく。

1910年(明治43年)桑名市三崎通りで印章店山口山榮堂として創業。
1925年(昭和元年)店名を山榮堂印房とし、印章技術重視の営業形態を開始。
1961年 三代目水谷剛さんが後を継いだ後、1973年桑名駅前の再開発により桑榮メイト1階に開店。1990年(平成元年)株式会社山榮堂を設立。
2000年 四代目水谷有志さんが社長に就任される。
さくっと聞くには歴史が深すぎる会社。

落款についても教えていただきました。

――歴史ある家業を継ぐプレッシャーや迷いはなかったのですか?

有志さん:時代背景も手伝って家業は継ぐものやと思ってた。

とはいえ継ぐ以上は大きくしたいと思っていたから大学卒業後すぐに修行へ。営業も接客もできるいわば「歌って踊れるはんこ屋」になるために、何よりもしっかりとした技術を身に付けたいという決意から、周りが8年ほどかけて身につける技術を4年で身に付けたそう。

すごい!!

ずらりと並んだ賞状は努力と技術の証。

印鑑の素材は象牙、水牛、チタン、水晶、メノウ、ローズクオーツ、珍しいものでは鯨の歯などなど。

しかし、素材の優等生はやはり象牙。

とる箇所によってピンからキリまであるけれど、印鑑になってからも虫食いやヒビ割れが少なく、とにかく丈夫。

使う程に白からアイボリーのような深みのある色味になってゆくのが象牙の特徴だそう。

おじいさんの代から使用しているというこちら。いい色です。

象牙の中心の部分を使用したものは、とれる数が少なくとても貴重。高価なものは、その分の理由があることを教えていただきました。

1度作ったらずっと使える印鑑は、是非いい素材のものを選んでほしい。と有志さんは語る。

象牙のランクについてもわかりやすく説明してくれます。

更にいくつか質問を重ねてゆく。

――この仕事をしていて、嬉しかった事や印象的な出来事はありますか?

有志さん:やはり印鑑を作りにくる方は、人生の中の大切な場面に立っている時が多い。例えば、起業する時に社印をつくりにきた方。そんなお客様が10年後に「ここで印鑑作ってもらったから成功したわ!」と、お礼を言いに来られると、やはり嬉しい。印鑑を作ったから成功したんじゃなくて、やるぞ!という決意を持ってその印を押す、お客さんの熱い気持ちがあるからやと思うけどね。

と、はにかんだ笑顔で話してくれた。

やはり印鑑は不思議。気持ちをのせたり、背中をおしてくれる側面もあるのか…。

話はそのまま、メイトで過ごした時間と山榮堂の今後について進む。

――メイトがなくなる事は寂しいですか?

有志さん:店舗がなくなる訳ではないから、メイトがなくなる事はあまり寂しくないよ。学校から帰ると店舗にカバンを置き、隣にあった駅ビル「パル」に遊びに行っていた。

(この時「パルぶら」なんて言葉もあったそう。銀ぶらならぬ、パルぶら・・・!)

「ちょっとパルぶらしてくるわ!」

メイトが生活の一部で、メイトでたくさん過ごしたから、メイトがすごく盛り上がっていた時代も知っているし、ご高齢で後継がいない中頑張っている他のテナントさんのことも知っているからこそ、メイトが閉めるとなっても「まあ、仕方ないな」という気持ちだったそう。

メイトでやり残したことが何もないからこそ、すっきりと次の展開へ踏み出せるのではないかと感じました。

桑栄メイトでイベントの時などに使われてたはっぴ。

今は自宅に併設の新店舗を建築中。

ドアを開けたら、ピコピコとチャイムがなり奥から「はーい!」と声が聞こえる。そんな、昭和のようなお店に戻すつもり。

営業時間も短くし、日曜は予約で・・と、新店舗ではハンコ屋さんの働き方改革を実行するつもりだそうです。素敵。

外から見えるこの景色も、あと少し。

色んなお話を聞く中でこれだけは聞きたい!ということがでてきたので、最後に質問してみる。

――印鑑から離れている世代も増えている中で、これだけは持ってた方がいい!と思う印鑑はありますか?

うーん…と少し考えながらお答えくださった。

有志さん:実印を押す場面は人生の名でも大切な場面が多いから、思いを込めて作ってほしい。そして、最初にちゃんとしたものを作っておけばずっと使える。いい大人になってから作る方もいるけど、それだと僕はそれまでの使ってない時間がもったいないと思う。

・・・・・ぐさっーーー!!!

はい。まさに私に向けて言われたような言葉でした。

20歳頃、ふと自分の印鑑を作ろうと思い、どうせなら名字が変わっても使えるよう名前の印鑑を、とりあえずネットでポチッとした私。人生の節目ともいえる婚姻届に印を押す時も、そのとりあえずの印鑑で押した私。

確かに決意は込めて押したけど…ちゃんとした印鑑で押せたらもっとカッコよかった気がする!

子どもが生まれて印鑑を作りにくる方は、自分が親に作ってもらっていた方が多いそう。その時は何も思わなかったけど、大人になってから役に立ったから。

親に作ってもらった印鑑。それを押す時…初めての学校、初めての履歴書、車、就職、結婚。

きっと気持ちを込めて押せたから、自分の子どもにも作ってあげようと思い、それが代々繋がってゆくのかも。

有志さんにお話聞けて、印鑑の世界がぐっと身近になりました。

ちなみに今、女性が印鑑を作る時は99%名前だそうです。そして子どもの印鑑を作る時は男女どちらも名前をすすめるそう。せっかく画数やら読み方やら、キラキラネームというくらいこだわって考えてあげた名前、ぜひ使ってあげたらいいじゃない。と。

話を聞けば聞くほど、ちゃんとした印鑑、ほしくなってきました。

タイトルにもお借りした、このキャッチコピーが秀逸。

印鑑は不思議。

押せればなんでもいいと、思う人もいるかもしれないけど、決意をのせて作られた印鑑は、きっと自分の背中を押してくれる。

あたたかい思いをのせて作られた印鑑は、大事な場面で勇気をくれる。

そんな魂こもった印鑑を彫る人に、自分のちゃんとした1本を頼みたいと想うのです。

 

photo / y_imura
取材日/2020.6.28

株式会社山榮堂
https://www.saneidou.jp

元インスタグラマーが桑名駅周辺をマニアックに撮りまくってみた

かつて、インスタグラム公式からお勧めインスタグラマーとしてピックアップして頂いていた事がある。
8年ほど前になるだろうか。

数年後、インスタ映えという言葉が流行り、「こうすれば映える写真が撮れますとよ」いう本やブログが流行に。

同じようなスポットで撮った同じような写真が溢れ出したインスタに飽きて、インスタの更新をストップすると同時に、プロとして活動する事を決意した。

プロカメラマンになって、友達や周囲の人から受ける2大質問が、
「どのカメラを買えば良いか?」という質問と
「どうすれば写真が上手くなるか?」ということ。

カメラに関しては、正直、今どきのカメラならどれも優秀である。
どんな写真をメインで撮りたいのかカメラ屋さんに伝えれば、色々勧めてくれるだろう。

困るのが、どうすれば写真が上手くなるか?という質問である。
趣味で撮る写真に上手いも下手もないと思っている。
あるのは、好きか嫌いか。

でも、「好きな写真を撮れば良いと思う!」
では答えにならないので、お勧めしているのがストリートスナップ写真を沢山撮ることだ。

元々、綺麗なもの、かっこいいものは、誰がどう撮っても、それなりに画になる。
それよりも、街を歩き、いいなと思った瞬間にシャッターを切る。
そうすることで、いい被写体を見つける目が養える。
いい構図やアングルを見つける目が養える。
そこで、身に着けたセンスは、何を撮る時にも活かすことができる。

という事で、写真を生業にさせて頂いている僕が、仕事で撮る写真とは違う、好きの詰まった写真を撮ってみました。
撮影日はコロナが本格化する前の3月某日。

スポットとして選んだのは、桑名駅周辺。
建て替えがある前に、今を残しておこう!
なーんて、殊勝な考えではなく、ただ、その後に桑名で友達と呑む約束があったので…。

前置きが長くなりましたが、アルコールを注入する前の1時間程で撮った写真を、何に心を動かされたかの、簡単なコメントを添えて、さくさくとご紹介させて頂きます。
順番は歩いた順です笑
写真をクリック(orタップ)していただくと拡大してご覧いただけます。

まずは、桑栄メイトへ潜入。

「渋い! ええ雰囲気や~♡」

「パーラーって! いまどき聞かない♡」

「フォント萌え♡」

「あれ? 桑名の新味覚さん、空いてるなー! 食べたいけど我慢我慢…」

「外観も撮っとこっと」

「正面の方が画になるなー」

「影に萌え♡」

「黄緑の差し色が美しい~♡」

「桑名の人はいっぱい思い出があるんやろなぁ♡」  ・・・僕は四日市市民ですが…

「わー、しぶっ♡ 高松塚古墳の壁画超えてるなー!」

「パスタ屋さんに、提灯って! かわいいやん♡」

「右のシャッターは起きとるけど、左のやつ、お休みしとるねー♡」

「へ~、桑名の一番街って、こんな感じの商店街なんやー!」

「ここもええ雰囲気やん! だいたいこういう店が美味いんさなぁ♡」

「美しい配置やなぁ♡」

「光のさし加減、パレットの若干歪んだ積み方、ガラスに反射する黄色い車! 完璧やん♡」

「何屋さんやろ?」

「タイルの色使いがなんともええ味出しとる♡」

「壁を撮るの・・・好きなんです♡ 特にメーターとか」

「銀座街!!!!!」

「わー! わー! めっちゃ茂っとる♡ 絡まったガムテとプチプチもいい感じー」

「捕まった! 助けてーー!」

「青のグラデーション♡」

「ここだけ、なんでセンターラインがあんの? どっち歩くのが正解??」

「レンガの積み方と鉢植えの背が微妙に揃っとる♡」

「無題」 ・・・なんか好きって感じでパチリ♡

「格子のグラデーション、黄色の箱の傾き加減、ホウキの柄♡」

「おしゃれ~! 後で聞いたら、まぁまぁ有名なスポットらしい。」

「光と影のコントラストが美しい♡」 ・・・ここが何処だか分かった貴方は相当な桑名ツウ

「誰や、こんなところに石を乗せてったんは? いただき♡」

またまた戻ってきました。
「縦ライン大盛り♡」

「顔と歩行者とチャリの人♡」」・・・3分粘りました

再び桑栄メイトへ。
「地下。寂しい…」

「ちーちゃん。寂しい…」

「直すつもりは、ありません⤵的な」

いかがでしたでしょうか?
望遠レンズでぼかしたり、明るくふんわりさせることも封印して、懐かしい雰囲気で撮ってみました。
小一時間ほど歩いただけですが、桑名駅周辺はアートに溢れてました。
ストリートスナップ、楽しいですよー!
みなさんもぜひ地元の街で♡

駅は建て替えになりますが、商店街などの趣のある雰囲気は残るといいのになぁとか考えながら、居酒屋さんへの道を急ぐのでありました。

 – 完 –

商売60年。93歳のママさんが営むかつらやさん。桑名の遺産「桑栄メイト」〜その記憶消えぬよう〜

JR東海・近鉄・養老鉄道が乗り入れる桑名駅舎に直結し、昭和から47年間愛され続け、町の象徴的存在である「桑栄メイト

現在、東西自由通路と新駅舎の建設が進んでおり、この愛すべきビルも今年7月末に営業を終え、8月末には完全に閉鎖。早ければ今秋から解体工事に入ることになっている。

駅を降りて最初に目にするこのビルの渋さに、心ふれあうどころか、震える人も多かったであろうが、この場所に鎮座する桑栄メイトは地域のシンボルとして親しまれてきた。

時代と共に忘れ去られていくかもしれないこのシンボルを記録として遺したい。


■商売60年。93歳のママさんが営むかつらやさん

もう私も93歳だから
そう笑うママさんに驚いた。年齢を感じさせない透明感があるのだ。

ご近所さんが届けてくれたという野菜。「かつらやのかあちゃんへ」というメモがあったかい

かつらやは化粧品店。

桑名駅前の路面店や桑名駅前再開発事業として建設された商業ビル「桑名ショッピングシティ・パル」(以下パル)、銀座商店街などに店舗を移しつつ約60年商売をされてきた。

扱う商品は化粧品と雑貨。当時、資生堂を入れるには講習に通うなど大変だったそうだが、人気は高くお客さんは多かったという。

ママさんパルの時は賑やかだったわよ。化粧品専門店は三軒も入っていたけれど活気はありましたね。

約10年前、ご縁あってここ桑栄メイトに入居した。現在はお嫁さんと共に店を切り盛りされているそう。

ママさん今はガラガラだけど、このビルに入居した時は、隣も、隣も入っててね、賑やかだったわ。それでいてパルの時とは違って、休みや営業時間も自由にできたから、伸び伸びと仕事ができましたね。

ママさん私ももうこの年でしょ。昔からのお客さんもあちらにいかれたりしてね。だんだん寂しくなってきたわ。

かつらやという店名の由来は、ご主人のご実家が営んでいた料理旅館の屋号。

ママさんカツラないですか?ってお客さんにもよく言われるのよ。ふふふ。

平日価格の割引って初めて見た!

元々商売とは無縁だったが、化粧品店をしていたご主人の知人が桑名駅前から四日市へ移転する関係で引継ぎ先を探しており、既に手付金を払っていたご主人から「おまえがやったらどうだ」とママさんに声を掛けたのがきっかけ。

私には無理よと断っていたものの、なかば強引に決まったのだそう。

ママさん不思議なことにね、虫の知らせでしょうね。開店して一年後に伊勢湾台風が起きてね。

桑名市立中央図書館「昭和の記憶」事業より

ママさん:その翌年に主人が心筋梗塞で亡くなったの。

少し間を置き、優しく続ける。

ママさん当時私は33歳。おかげ様で商売させてもろてたもんで小さい子どもを2人抱えながらも、両親にみてもらいながらなんとかやってきました。お勤めだったら無理だったわ。主人に人生支えてもらいましたね。

そして気になるかつらやさんの今後。

ママさんもうやめます。とてもね場所が大事だから。きっと主人がやめとけってゆうてくれているのかしらね。年やしね。ちょうどよかったの。

商売人生60年を貫くも、ご主人に感謝し続けるママさんの華奢な肩に感じたのは、一途で美しい夫婦愛と魂の繋がり。

ママさんお疲れ様でした。

photo / y_imura
取材日/2020.6.28


かつらや
三重県桑名市桑栄町2-17
0594-22-1734

【桑栄メイトで取材させて頂いたお店】

■桔梗屋
https://otonamie.jp/?p=66535

■喫茶ルール
https://otonamie.jp/?p=60222

■パーラーはな
https://otonamie.jp/?p=66288

■ドムドムハンバーガー
https://otonamie.jp/?p=73268

■free space M
https://otonamie.jp/?p=49364