昭和から46年間愛され続けた渋ビル「桑栄メイト」
JR東海・近鉄・養老鉄道が乗り入れる桑名駅舎に直結し、町の象徴的存在である「桑栄メイト」
来年8月に向けて、東西自由通路と新駅舎の建設が進んでおり、この愛すべきビルは閉鎖が囁かれている。
趣溢れるメイトがなくなってしまうなんて…
特に二階は、味の街と名乗るほどソウルフードの集合体。
またこれは個人的な思い入れだが、私自身、桑名に移住した際、駅を降り立ち一番最初に目にしたのがこのメイト。
想像以上に渋すぎた駅ビルに泣き崩れたわけだけど、今や桑名を語る上で、絶対に外せない想い入れ深い場所になっている。
時代と共に忘れ去られていくかもしれないこのシンボルを、これから記録に遺していきたいと思う。
photo / y_imura
桑名のソウルフード 桔梗屋の五目中華
今回お邪魔したのは、麺類・お食事処「桔梗屋」
1952年創業の老舗で、もともとは桑名駅前と一番街に店舗を構えていた。
「旅行帰りに恋しくなる味」
「二日酔いの臓器が癒される」
「地元に帰ったら必ず来る故郷の味」
そんな声を耳にするほど、地元の人たちが愛してやまないのはこれ。
疲れている時に食べたいのはもうこれしかないかもしれない…。
まるで処方箋。
果てしなく優しくクリアな中華そば
大将:『うちはもとはうどん屋。今もうどん屋やけど、中華そば始めたら人気出ちゃってね』
うどんや蕎麦など色々あるなか、中華そばのバリエーションが豊富な桔梗屋。
出汁は魚ベースの和風。
元気な時もお疲れな時も、スッと身体に沁み入るさっぱり優しいお味。
果てしなく優しく、果てしなくクリアなのだ。
無添加で具も手作り。なんなら離乳食でもいけるレベルと大将は仰る。
こちらは天ぷら中華。
言われてみればあまり見ない天ぷら×ラーメンという組み合わせも、あっさり出汁ゆえに成り立つメニュー。
そうそう、桔梗屋の天ぷらは、いつでもカリッと揚げ立て。
昔は揚げたての天ぷらを出す麺処は、珍しかったのだそう。
ところで大将のおすすめは??
大将:「中華そばとご飯のラーメンライスかな」
中華そばの丼に白飯を入れるのではなく、白飯に中華そばを乗せて食べるのだとか。
大将:「お客さんがやっているのを真似してみたら意外とハマってね、一時そればっかやってたよ(笑)」
麺はどれもこれも自家製
桔梗屋の麺は全て自家製。
この麺が、とにかくめちゃ美味しい。
中華麺やうどん、蕎麦、きしめん、季節の煮込み用の麺や冷麦などなど、約5種ほどを毎朝7時から仕込まれているのだ。
因みに季節メニューが出るタイミングは、大将の体感次第。
今年も夏の気配を感じた頃に、冷やし中華が始まっていた。
桔梗屋さんにとって桑栄メイトとは?そして今後は?
2020年7月3日。桑栄メイトの閉鎖が直前に迫る中、47年間ここで商売されてきた桔梗屋さんを改めて訪ねた。
大将:メイト開業当時は駅前開発によってパルビルと桑栄メイトに店舗が集結してね。通路と歩道橋が一杯になるほどお客さんがすごかったよ。
そんな大将も御年70歳。惜しむお客さんで連日行列ができている。
大将:ありがたいよね。みんな声掛けてくれるで。アルバイトで来てた子や、昔から世話になって贔屓にしてくれた方々もね。とにかくありがたい。
――桔梗屋さんにとって常連さんたちはどんな存在ですか?
大将:「なんだろうね。見てるんだよね、常連さんだと今日は誰と一緒だなとかね。例えば、小さかった子が彼女と来るようになって、結婚して子ども連れて来たり、孫と三世代で来る人もいる。親子で来ていたけど子どもさん大きなって夫婦2人に戻ったり、年配夫婦が1人で来るようになることもある。何も聞かんでも、あぁ亡くなっちゃったんだなと思う。そやで人生ずっと見守りながら、流れを一緒に過ごしてきた感じかな」
――桔梗屋さんにとって桑栄メイトとは?
大将:「なんだろうね。メイトとは最初からずっと一緒にやってるから愛着があるよね。一緒に年取ってきた感じ。そんで僕らもお客さんらも一緒に年取ってる。そういうのが楽しかった。人生を共にしている存在かな、僕にとってね」
--営業はいつまで?そして今後は?
大将:「あと10年くらい若ければ違ったかもしれないけど、もう70歳だからね。もうええ頃合いやなと思っているよ。寂しいけど、遠くからもお客さんが来てくれて声掛けてくれて、嬉しいですよ、ほんと」
ソウルフードとして愛された桔梗屋さんの味を頂けるのは7月29日までの予定。但し在庫次第では早めに閉められる可能性もあるよう。
今年は大将の冷やし中華は食べられなかったな。
桔梗屋さん、お疲れ様でした。
桔梗屋
桑名市桑栄町2 桑栄メイト2F
福田ミキ。OTONAMIEアドバイザー/みえDXアドバイザーズ。東京都出身桑名市在住。仕事は社会との関係性づくりを大切にしたPR(パブリックリレーションズ)。
2014年に元夫の都合で東京から三重に移住。涙したのも束の間、新境地に疼く好奇心。外から来たからこそ感じるその土地の魅力にはまる。
都内の企業のPR業務を請け負いながら、地域こそPRの重要性を感じてローカル特化PRへとシフト。多種多様なプロジェクトを加速させている。
組織にPR視点を増やすローカルPRカレッジや、仕事好きが集まる場「ニカイ」も展開中。
桑名で部室ニカイという拠点も運営している。この記者が登場する記事