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移住体験談@三重県南伊勢町

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「新卒漁師 大志抱いて船出」

2018年4月。ぼくは神奈川県から三重県南伊勢町へ移住し、漁師になった。伊勢新聞、中日新聞、そして朝日新聞に取材され、不格好な漁師姿で船に乗るぼくの写真が紙面に載った。来て早々、想像以上に注目を浴びて戸惑った顔をしている。

「食べ物の生産現場に興味があったんです」

漁師になった理由を聞かれるたび、ぼくは綺麗事を言った。都会で生まれ育った自分には、自然が身近ではなかったこと。だからこそ、海の上で働く漁師の仕事、自然との関わりをダイレクトに感じられる生活がしたいと願った。

でもこれは表面的な理由で、ぼくが南伊勢町に来ることになったのは、実はもっとネガティブな感情がベースにある。それは、社会に対する強烈な不信感だ。

当時のぼくには、この社会で生きていくことを肯定できなかった。

資本主義原理のもと、経済発展を余儀なくされる社会。競争が目的化して、発展する意味を見失う人々。それでも社会を維持するために、必要以上のモノを生産し、大量に消費する現代のライフスタイル。

新幹線がいくら早くなっても、ちっとも生活は豊かにならないと思った。

「自分は何のために働けばいいのだろう」

大学生だったぼくは、周りの友達と同じように就職活動ができなかった。この社会で働くことの意味すら掴めていなかったからだ。

そんな時、たまたま田舎で見つけた働き方。

食べ物の生産現場で働いている人々は、キラキラと輝いていた。当時のぼくにとっては世の中の大半の仕事が意味のないものに見えたけれど、食べ物を作るという行為の価値は誰も否定できないと思った。それは生きることに直結した仕事だった。

汗を流して働いて、人間のお腹を満たすために食べ物を作る。複雑化した社会の中で、そんなわかりやすい方程式で働くことに意味を感じた。

大学生のうちに全国の生産現場を巡り、その中でご縁のあった南伊勢町へ来て、漁師として働くことを決めた。

生きていく自信がついた

生産現場で働くようになって、ぼくの生活は豊かになった。

食べ物の背景を深く知ることの意義は計り知れない。日々の食卓を前にして、それらがどのように作られているかを想像できるからだ。寿司や刺身を食べるときにも、名前を聞いただけで魚の姿や味をイメージすることができる。

スーパーで買い物をするときも、美味しい食材を選んで買うことができる。できるだけ身近な地域やこだわりのある食材を見つけて、カゴに入れる。

そしてこのことは、安心に繋がった。

自分は着る服も、住む家も、食べる物も作れない。衣食住という、人間が生きることの根幹を知らない状態が不安だった。それは生きている実感が乏しくて、どちらかいうと生かされているような気がした。

自分が生きるために必要な食べ物を自分で作る経験。漁師として働く時間を通して、自分の胸にポッカリと空いた穴は自然と塞がっていった。

自分が仕掛けた網にも、魚がかかった。

自分もこの社会で生きていけるかもしれないと思った。

 


もう一つぼくの穴を埋めてくれたのは、物々交換のしきたりだ。

食べきれない量のマイワシをお裾分けしたら、トマトが返ってきた。ブリをお裾分けしたら、パンが3つ返ってきた。ネギは松坂牛になった。

生きていくハードルが下がって、フッと肩の荷が降りた。

おびただしい人に囲まれて孤独を感じていたぼくは、この町に来て、人との繋がりを強く感じた。この社会は一人で生きていくにはとても厳しいけれど、助け合うことができるなら、何とかやっていけそうだと思った。

 

一人ひとりに役割がある

この町に住んでいる人には、役割がある。人が少ないからこそ、誰しも頼りにされる。そして、互いに持ちつ持たれつの関係を築いている。

ぼくは大学を卒業してすぐ、この町にやってきた。スキルも取り立ててないにもかかわらず、応援してくれる人がいた。カメラを持って祭りや行事へ行くと、暖かく迎えてもらえた。写真を文章に添えて公開すると、喜んでもらえた。

それがぼくの「役割」になった。

町内にある三つの小学校と、一つの中学校で授業をした。老人会や青少年育成町民会議などに登壇した。「自分がなぜ南伊勢町に来たのか」という話が、町民が自分たちの住む町の魅力を再認識する機会になった。

それもぼくの「役割」になった。

何よりも、海の上の仕事ができるようになった。物覚えの悪いぼくは、先輩方を怒らせて、悩ませたけれど、辛抱強く教えていただいたおかげで、一つずつできることが増えていった。現場の仕事は、自分の成長をわかりやすく実感できた。船の運転、フォークリフト 、活魚運搬車の運転、魚捌き、ロープ結び……。

それがぼくの自信となった。

ぼくは自分が何もできないと思っていた。都会の消費的な暮らしに辟易としていて、だからこそ自分の手で生み出す生産現場の仕事に憧れた。

自分は何もできないわけじゃないんだと、自分を褒めてあげられるようになった。この町では「役割」が与えられて、一人ひとりが活躍することができる

 

生きる。精一杯。

この町に来たときは、将来どうなるかなんて分からなかった。それは実際にこの町で暮らしてみて、将来の自分が決めてくれるだろうと思っていた。

2年半が経った。2020年9月。

ぼくは漁師をやめて、この町を離れることにした。

ぼくはようやく「就職活動」をする決心がついた。この社会を受け入れ、自分自身を認めることができたから。自分がやりたいことを考えられるようになったから。

この社会は実際に働いてみると、机の上で勉強してきたものより人間味があって、生きがいがあった。この社会の中で、ぼくは自分にも果たせる役割を見つけていけると思う。

自分なりにもがき苦しんだ2年半。もしかしたらぼくは、この町へ逃げてきただけかもしれない。綺麗事を言って、その事実を包み隠して。

でも、良い場所に逃げてこれた。この町で得た「優しくて辛い経験」があれば、ぼくはどこでだって生きていける気がする。

「また戻ってくれば良いよ」って、言ってくれる人がいるから。

 

三重県南伊勢町。

 

38の農山漁村が紡ぐ海沿いの町に、ちょびっと移住した若者の話。

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