JR東海・近鉄・養老鉄道が乗り入れる桑名駅舎に直結し、昭和から47年間愛され続け、町の象徴的存在である「桑栄メイト」
現在、東西自由通路と新駅舎の建設が進んでおり、この愛すべきビルも今年7月末に営業を終え、8月末には完全に閉鎖。早ければ今秋から解体工事に入ることになっている。
駅を降りて最初に目にするこのビルの渋さに、心ふれあうどころか、震える人も多かったであろうが、この場所に鎮座する桑栄メイトは地域のシンボルとして親しまれてきた。
時代と共に忘れ去られていくかもしれないこのシンボルを記録として遺したい。
■商売60年。93歳のママさんが営むかつらやさん
「もう私も93歳だから」
そう笑うママさんに驚いた。年齢を感じさせない透明感があるのだ。
かつらやは化粧品店。
桑名駅前の路面店や桑名駅前再開発事業として建設された商業ビル「桑名ショッピングシティ・パル」(以下パル)、銀座商店街などに店舗を移しつつ約60年商売をされてきた。
扱う商品は化粧品と雑貨。当時、資生堂を入れるには講習に通うなど大変だったそうだが、人気は高くお客さんは多かったという。
ママさん:パルの時は賑やかだったわよ。化粧品専門店は三軒も入っていたけれど活気はありましたね。
約10年前、ご縁あってここ桑栄メイトに入居した。現在はお嫁さんと共に店を切り盛りされているそう。
ママさん:今はガラガラだけど、このビルに入居した時は、隣も、隣も入っててね、賑やかだったわ。それでいてパルの時とは違って、休みや営業時間も自由にできたから、伸び伸びと仕事ができましたね。
ママさん:私ももうこの年でしょ。昔からのお客さんもあちらにいかれたりしてね。だんだん寂しくなってきたわ。
かつらやという店名の由来は、ご主人のご実家が営んでいた料理旅館の屋号。
ママさん:カツラないですか?ってお客さんにもよく言われるのよ。ふふふ。
元々商売とは無縁だったが、化粧品店をしていたご主人の知人が桑名駅前から四日市へ移転する関係で引継ぎ先を探しており、既に手付金を払っていたご主人から「おまえがやったらどうだ」とママさんに声を掛けたのがきっかけ。
私には無理よと断っていたものの、なかば強引に決まったのだそう。
ママさん:不思議なことにね、虫の知らせでしょうね。開店して一年後に伊勢湾台風が起きてね。
ママさん:その翌年に主人が心筋梗塞で亡くなったの。
少し間を置き、優しく続ける。
ママさん:当時私は33歳。おかげ様で商売させてもろてたもんで小さい子どもを2人抱えながらも、両親にみてもらいながらなんとかやってきました。お勤めだったら無理だったわ。主人に人生支えてもらいましたね。
そして気になるかつらやさんの今後。
ママさん:もうやめます。とてもね場所が大事だから。きっと主人がやめとけってゆうてくれているのかしらね。年やしね。ちょうどよかったの。
商売人生60年を貫くも、ご主人に感謝し続けるママさんの華奢な肩に感じたのは、一途で美しい夫婦愛と魂の繋がり。
ママさんお疲れ様でした。
photo / y_imura
取材日/2020.6.28
かつらや
三重県桑名市桑栄町2-17
0594-22-1734
【桑栄メイトで取材させて頂いたお店】
■桔梗屋
https://otonamie.jp/?p=66535
■喫茶ルール
https://otonamie.jp/?p=60222
■パーラーはな
https://otonamie.jp/?p=66288
■ドムドムハンバーガー
https://otonamie.jp/?p=73268
■free space M
https://otonamie.jp/?p=49364
福田ミキ。OTONAMIEアドバイザー/みえDXアドバイザーズ。東京都出身桑名市在住。仕事は社会との関係性づくりを大切にしたPR(パブリックリレーションズ)。
2014年に元夫の都合で東京から三重に移住。涙したのも束の間、新境地に疼く好奇心。外から来たからこそ感じるその土地の魅力にはまる。
都内の企業のPR業務を請け負いながら、地域こそPRの重要性を感じてローカル特化PRへとシフト。多種多様なプロジェクトを加速させている。
組織にPR視点を増やすローカルPRカレッジや、仕事好きが集まる場「ニカイ」も展開中。
桑名で部室ニカイという拠点も運営している。この記者が登場する記事