三重県の各町で実際に暮らす住民と一緒に「まち歩き」。
今回、ご協力いただいたのは、鳥羽市の中之郷の濱口和美さん。町で育ち、今を暮らす濱口さんはどんな風景を見ていたのでしょうか。
実際に一緒に町を歩いてみると、数歩進むたびに、歴史や驚きが隠れていました。
鳥羽市中之郷でのまち歩きへ出発
中之郷は鳥羽市鳥羽3丁目にある地域で、江戸時代〜大正時代の建造物も多い歴史あるまち。では、さっそく鳥羽市中之郷のまち歩きへ濱口さんと出かけましょう。
ぞろぞろ井戸端会議 中之郷とお隣の藤之郷の町境
出発点のクボクリを出て、まずは藤之郷方面へと歩いていきました。
濱口「町と町って大体、川や水路が境目になってるの。確かここだったと思うんだけど・・・。」
すると、近くの建物にそそくさと入っていく濱口さん。幼馴染を引き連れ外へ出て、さらにたまたま居合わせたお向かいの酒屋さんも合流。
ここらへんだったよね。
そうそう。
そこの石から斜めに流れとった。
祭りの時はな、よくここで揉めたんさ。
とまたたく間に井戸端会議がはじまりました。
ぴっちりつまった壁に二度見
お二人とわかれ、少し右に逸れながらもと来た道を引き返していきます。
ふと、民家の前で立ち止まりました。
濱口「後ろは山、すぐそこが海で土地がちょっとしかないでしょう。当時の土地の活用ね。あとね、当時は間口が広いと税金が多くかかったから狭くて奥行きがある建物が多いのよ。」
子どもの頃の近道を覗き見
4軒連続屋根のお家の裏側に歩いていきます。
濱口「こっちは子どもの頃の抜け道だったの。」
大正の火事の痕跡 道幅に秘密あり
出発地点あたりまで戻ってきました。
濱口「ここから道幅が変わっているでしょう。実は大正の火事で、焼けてしまった境目がここなの。だから、私の家の糀屋も大正の建物なのね。」
一家にひとつ蔵がある 商売の町の証
濱口「そこにも、そこにもあるのが蔵。中之郷は商売屋さんが多かったから、蔵を持っているところが多いのよ。」
中之郷には玉屋河岸、稲葉屋河岸(船着き場)、中之郷が鳥羽の台所といわれるだけあって様々なものが運び込まれる場所でもありました。
-あの建物は蔵・・・ではないですよね?
山中にポツンと建った小屋を指差して、濱口さんに尋ねます。
濱口「何だと思う?・・・わかんないよね。あそこはお茶屋さんだったの。」
小屋の正体は、茶葉を量り売り販売をしていた元お茶屋さんでした。
生まれ育った糀屋さんにある レトロな階段棚
濱口さんが生まれ育ち、現在も暮らしている老舗のお豆腐屋 糀屋さんにっ立ち寄ります。糀屋さんの昔ながらの製法にこだわった限定豆腐は、販売日にすぐに完売になります。
濱口「その棚も小さい頃から本当に変わってないのよね。隣にあるのは階段棚で、うちにもあるけどお隣さんから譲り受けたものなの。」
濱口「隙間をうまく使う知恵よね。ちなみにここは私のおもちゃ入れだったのよ。今は違うけど。」
当時の遊び場 慈眼山 金胎寺(じがんざん こんたいじ)
糀屋さんを後にして、中之郷のお隣の錦町の境目を山側に登っていきます。二手道に差し掛かり、右側の道を見つめる濱口さん。
濱口「こっちは鳥羽城があったころの旧道で、昔映画館があってね。小さい頃は商売屋の家だから親が忙しくて、子どもひとりで映画館に放り込まれて一日中映画をみてた。市川右太衛門とか。市川右太衛門ってわかる?北大路欣也のお父さん。」
階段を登り、慈眼山 金胎寺(じがんざん こんたいじ)に辿りつきました。子どもの頃の濱口さんにとって金胎寺は自宅の真裏にある、思い出深い遊び場でした。
濱口「ここでね、よく小さい頃に糀屋の従業員さんとバドミントンをして遊んだのよ。親は仕事で忙しかったから。糀屋の裏庭から斜面を駆け上がって金胎寺に行ったりして・・・何か懐かしいね。」
金胎寺の境内から鳥羽の町並みや島々も望むことができます。濱口さんは、子どもの頃から何度も見てきた風景。
濱口「昔も今も、ここからの鳥羽の風景が好き。海も見えて、いいと思わない?」
私たちが希望を持てる鳥羽なかまちに
濱口さんは実は鳥羽の町づくりを推進する重要人物で、合同会社なかまちのメンバーでもあります。
中之郷や藤之郷、赤崎など、町の住人が一体となり「鳥羽なかまち」と呼んで、これまでに町づくり活動を進めてきました。
例えば、町全体で取り組むイベント「鳥羽なかまちマーケット」の開催やコワーキングカフェスペース「クボクリ」を運営・管理しています。
濱口「今度ね、9月末頃に空き家を活用できることになって、シェアハウスにできないかとみんなで話し合っているの。鳥羽の町に興味を持ってもらえたら気軽に来られる、キーになるような場にしたいなって。」
鳥羽なかまちには、一人暮らしで90歳近い方がたくさんいます。濱口さんも仲間も、危機感は常に抱かれています。
濱口「みんな仕事もあるし、お金もかかってくるし、とっても大変よ。それでも、新たな人が住んでくれて、また鳥羽の町を賑やかにしてくれる。そんな希望を私たちは持ちたいの。」
濱口さんとの鳥羽市中之郷のまち歩きを終えて
金胎寺で「懐かしいね。」とふと呟いて微笑む濱口さん。
そして、鳥羽の町のこれからを見据え、仲間と新たな取り組みを進める濱口さん。
まち歩きで巡った鳥羽市中之郷と濱口さんの過去の記憶は、現在から、そして、新たな未来へと続いていきます。
今回歩いた鳥羽市中之郷まち歩きのルートとポイントのご紹介
濱地雄一朗。南伊勢生まれの伊勢育ち。三重県といっても東西南北、文化や自然・食と魅力で溢れていることに気づき、仕事もプライベートも探求する日々を過ごす。探求を続けると生まれた疑問、それが「何で◯◯が知られていないんだ」ということ。それなら、自分でも伝えていくことだと記者活動を開始。専門は物産と観光、アクティビティ体験系も好物。自身で三重県お土産観光ナビも運営中。