桑名の宝・名刀「村正」
昨年の10月22日、国内外に天皇陛下の御即位を宣言される「即位礼正殿の儀」が行われ、全国各地で奉祝行事が行われました。
桑名市にある桑名宗社(春日神社)では、「御大典記念事業『村正』特別公開」として、御神宝である「村正」と「正重」が特別公開されることは、以前にOTONAMIEでお伝えしました。
「村正」と「正重」の各2振は、戦争により刀の正常な管理が不可になることを見越して、先々代の宮司さんによって75年前に漆黒の漆が塗られ、サビ防止のため空気に触れないようにされていました。
それがなぜ修繕をされたのか、そしてどのような姿だったのかを深掘りしていきます。
「村正」修繕プロジェクト、そして特別公開へ
きっかけは、3年前に桑名市博物館で開催された「村正展」を見学された方から、神社に届いた一通のメールでした。
昨日桑名市博物館で、村正展を見させていただきました。大変面白く拝見させていただきましたが、唯一残念なのは、貴神社所有の刀剣が漆塗りされたままだったことです。 戦時中に疎開のために漆を塗ったと説明されていましたが、もはや戦後何年たつのでしょう。当時は手入もできにくいために、漆を塗り保護したことはいい判断だったと思います。 しかし、戦後これだけ時間もたてば、本来の姿に復元すべきではないでしょうか。刀はきちんと磨いて手入れをしてこそ、価値があると思います。三重県の文化財にも指定されたとのことですので、ぜひ元の姿に戻されますことを期待します。 【神社のWebページより抜粋し一部加工】
このメールを不破義人宮司がご覧になった時、
漆で塗られた刀が「最善の状態か」と考えたとき
そうではないはず
神様は「村正」「正重」が真の姿の方が
喜んでくれるであろう
そう思われたそうです。
そして、「村正」と「正重」を本来の姿に戻そうと決意されました。
そして1年半前に熱田神宮の文化研究員兼宝物館学芸員である福井款彦さんと出会ったことで、「村正」の修繕プロジェクトは大きく動き出します。
福井さんは、研師の松村壮太郎さんと、刀匠の上畠宗泰さんを宮司にご紹介されました。
お二人共まだ40代前半とお若い方ですが、これには福井さんの
研いだ後が大切であり、まだ若い2人なら
御神宝のこれからを長く守ってくれるはず
という先を見据えたお考えがあったからだそうです。
4名で何度か話し合いを行って、福井氏のご指導により順調に作業は進みました。
そうして10月15日、無事に修繕の終わった「村正」と「正重」をご神前に供え、地域の方々と共に神様にご報告する報告祭が執り行われました。
(参考)桑名宗社 » 御大典記念「村正」特別公開の御礼
http://www.kuwanasousha.org/archives/2224
10月20日から3日間に渡って行われた「御大典記念事業『村正』特別公開」。
どのような様子だったでしょうか?
初日、そして研師・松村壮太郎氏の記念講演と解説
「村正」特別公開の初日、この日はとてもいいお天気で、9時からの開始でしたが、私が伺った9時半頃にはすでに入場制限が行われるほど並んでいました。
この日、入場制限は会館の入口から楼門前まで伸びて、
出口で限定ご朱印を求める人も多数みえました。
20日は研師・松村さんの記念講演が10時から行われました。
松村さんは静岡県島田市の研師のお家に生まれ、平成11年に千葉県佐倉市の栁川清次さんのもとで修行され、10年後の平成21年に独立された方です。
ただ、あまりにも盛況すぎて、本来1回のみのご講演が来場者を入れ替えて3回も行われました。
空襲を避けて疎開させると十分な手入れが出来なくなるのを見越して、空気に触れないようにするために漆を塗った先々代の宮司さん。
今回の特別公開では、平成30年12月に拝殿下の木箱に入った「焼け身刀身」が折り曲げられた状態で発見され、計31振が同時に展示されていました。
戦火に長時間かけられたことによる酸化膜と、その後について赤錆がついていて、もし「村正」も疎開させていなければ同じ運命を辿っていたかもしれません。
松村さんはこの事にも触れ、
本来刀は研いだ状態で保管しておくべきもの。
先々代の宮司さんは断腸の思いで漆を塗られた。
漆を乾かすのはとても時間がかかることだが、
時間をかけてでも守りたかった。
そして「平和な世の中なったら、また元の姿を
見てもらえるように」と願っただろう。
そう仰っていました。
時が経って先々代の宮司さんが願われた平和な世の中になった今、
令和の時代に研師として「村正」に携われたことは
刀剣界の人間の一人として大変に光栄なこと
こうも仰っています。
松村さんは、漆を剥がしてみるまでは中の状態が分からないので、錆が進行しているかもしれず、最初は不安だったそうです。
優しく研ぐため、一番荒い砥石から3番目の「改正砥(かいせいど)」で漆を落とし始めた時に、致命的な錆がなかったので安心されました。
その後、松村さんの技を最大限出して「細名倉砥(こまなぐらど)」でさらに磨いて、「内曇砥(うちぐもりど)」で仕上げると、漆の下の「村正」は ”綺麗な地金と美しい刃文” が出てきました。
ここで「なぜ神社への奉納されるものが刀だったんでしょう?」という問いが、松村さんから投げかけられました。
日本刀は武器として作られ、武器として使われましたが、この「村正・正重」のように信仰の対象にもなれば、富や権力の象徴ともされています。
奉納された理由について、
圧倒的に美しいもの、
圧倒的に生命力にあふれるものを傍に置いて
自分を重ね、力をもらいたいからではないか。
と仰っています。
人々は次の日も生きるために、神社にお参りをして神社の御神宝から元気をもらって帰ります。
刀に限らず美しいものは、人にそういった力を与えてくれます。
また、「村正」について、刀は室町時代のものですが、拵(こしらえ)は幕末のもので神社の神事で使っていたものだろうと解説されました。
「村正」の地金の綺麗さは宇宙空間のようで、平面なのに奥行きがあります。
いい地金はいい刃文が出てくるので「いい刀」だと言え、そういった点でこの「村正」は、鉄の最高級品を使っていることがわかりました。
漆を塗った状態で三重県の文化財ということは、研いだものは美術品として国の重要文化財に匹敵する美しい刀でした。
その後、参加者からの質疑応答の時間になり、今回の作業についてお伺いできました。
神社から「村正・正重」を春に預かって、研ぐので約1ヶ月半。
その後、朴の木で白鞘(しろさや:保管用の鞘)や、鎺(はばき:刀身の腰もとにつけ、鞘から刀が不用意に抜けないようにしている金具)を新調して、10月14日に納められました。
最終日、刀匠・上畠宗泰氏の記念講演と解説
天皇陛下の即位礼正殿の儀が行われる22日、この日の空は曇りがかっていました。
10時開場のところ、テレビやSNSでの拡散などがあって9時頃には開場。
9時半の時点で入場制限が行われるほどでした。
不思議な事に、空模様は途中からは青空が見えるようになりました。
来場者がとても多かったため、並び順を拝殿を通る時計回りに変え、
限定ご朱印の部屋に入れないほど。
22日は刀匠・上畠さんの記念講演が10時から行われました。
上畠さんは広島県のご出身で、立教大学をご卒業後、平成15年に千葉県の松田次泰師に入門。
平成20年8月に文化庁より作刀承認を受けられました。
今回も本来1回のみのご講演でしたが、来場者を入れ替えて3回行われました。
桑名宗社(春日神社)は、「桑名神社」と「中臣神社」の2つのお社から出来ています。
2つの神社に「村正」と「正重」がそれぞれ奉納されていて、御神宝は合計4振あります。
それぞれ1振ずつ漆を取ことに対しては、2振あるうちのどちらを研ぐかについて上畠さんは、
【村正】漆の上から刀身をよく見て、錆が進んでいる方を研いだ。
【正重】一度も研がれていない「出来たままの刀」の方を残した。
のですが、慎重に議論して決めていったとの解説がありました。
今回研がなかった「正重」は切付銘で、「春日大明神」の銘をタガネで打ち込み、「タガネ枕」という文字の周りの盛り上がりが残ったままでした。
これはこの「正重」が打ってから一度も研がれずに奉納されたということを意味しています。
研いでいない刀は貴重な資料として、今回は残すことされました。
「村正」が貴重である点について、上畠さんから
・太刀であること
・長銘年紀作であること
の2点を挙げられました
この刀が作成された時代は、馬上での合戦から徒歩で足軽が戦うものに変わっていて、刀も「太刀」ではなく「打刀(うちがたな)」の時代になっていました。
「打刀」の時代にあえて「太刀」を作ったのは。
神社に奉納するため、あえて太刀を作ったのだろう
「村正」は二字銘が多いのですが、この「益田庄」という居住地や作刀した年月(年紀)が入った長銘のものは御神宝の二振が唯一とのことです。
茎の形の違いから、現存最古の文亀元年の村正と有名な妙法村正(永正十年)は同じ作者と考えられているので、御神宝の天文十二年は代が替わりっているとのことです。
桑名宗社の近くにある神館神社(こうだてじんじゃ)に奉納されている刀がそうだから、刀文は直線的な「直刃(すぐは)」ではないかという予想があったそうです。
村正の作例のほとんどが「乱刃(みだれば)」で直刃は珍しいのですが、
神様に対してまっすぐな気持ちを表すため
とすれば、それも可能性としてはありえました。
実際に研いでみたら、「村正」の特徴である表裏の刀文が揃ったとても華やかな「箱乱れ刃」でした。
精良で良いものを地金に使い、奉納刀を直刃ではなく村正の典型といえる作風にしたのは、村正自身が、
自分らしさを表現した自信作を奉納したかったから。
神社に奉納するということでよい材料を
心を込めて鍛えた結果なのではないか。
と仰っていました。
特別公開をした現宮司の思い
刀に漆が塗られたのは75年前の宮司さんの祖父の代です。
宮司さんが生まれた頃には故人だったので、
祖父から直接何かを聞いたという事はありません。
しかし、漆を塗ったという意志はしっかり引き継いで
私のほうで感じています。
こう仰っていました。
また、無料公開した理由について
・「村正=桑名」という考えを定着させ、地域の誇りとなること
・「村正=妖刀」ではないということを知ってほしい
の2つを挙げられました。
「村正」が桑名で作られていたことは、実は桑名にいてもあまり知られていません。
御神宝の「村正」と「正重」を長く守っていくために、まず地域の方々に見て知ってもらう。
そして、小さな子供まで気軽に足を運べるようにと、無料にされました。
また、「村正」の「妖刀伝説」は、「根拠のない俗説」であると一刀両断されています。
これについて、
家康公や尾張徳川家も「村正」を所有しています。
桑名宗社には家康公の孫である千姫によって
「桑名東照宮」が境内に建てられています。
忌み嫌う「妖刀」が奉納されている神社に
家康公を祀るはずがありません。
村正がいい材料を使って “村正らしい” 圧倒的に美しい刀を奉納した事については、
奉納者である村正が丹精込めた技術の結晶を
神様に奉納するということは、
刀匠としての自身の誇りなんです。
綺麗な刀を見て「妖刀」と言う方はいない。
奉納した職人・村正の気持ちを思うと、
その思いを傷つけてはなりません。
と、徳川家と「村正」や桑名宗社との関係や、奉納した村正の思いについて仰られました。
また、宮司さんは
日本の文化には“写し”と言う文化があります。
村正の写しをつくり、いつでも、桑名に来て
春日神社に行けばいつでも見られる状態にする事が
桑名の文化を、基礎を固める一つだと思っています。
と仰ってました。
日本刀は「レプリカ」ではなく「写し」と言うことを初めて知りました。
「村正」のクラウドファンディング
漆を脱いだ(?)「村正」の地刃は、村正の一作風を示した見事な一口でした。
村正の代表作ともいえるものですが、文化財管理の点から現物の展示が困難なため「写し」を製作して、桑名宗社の施設内で常設展示をおこなうというクラウドファンディングが進行中です。
7日の金曜日に始まったばかりですが、目標金額400万円のところ・・・
開始から4時間弱で目標金額を達成しました!!
→https://camp-fire.jp/projects/view/226472
また、「宝刀村正写し」の作刀に際して、各種行事やテレビ放映が行われます。
①宝刀村正特別公開 展 示 品 宝刀村正 2振、宝刀正重 2振 短刀村正 2振、その他検討中 開催期間 令和2年3月28日(土)~4月4日(土) 開催時間 9時~16時30分 まで 入 場 料 無料 ②宝刀村正写し鍛錬打ち始め式 上畠宗泰刀匠たちによる鍛錬が境内で行われます。 クラウドファンディングの協賛者も刀匠指導の下、小槌を持って熱せられた鋼を打つ体験ができ、ご自身が打った鋼より宝刀村正写しが作刀されます。 開催日時 令和2年3月29日(日) 午前10時ごろ予定 ③宝刀村正修繕についてのテレビ放送 今回の村正修繕はNHKの密着取材を受けていました。 放送は3月ごろ、放送エリアは東海地方と北陸地方(愛知・岐阜・三重・静岡・富山・石川・福井)の予定です。
②の鍛錬打ち始め式はクラウドファンディングの協賛者のみですが、再び「村正」と「正重」の特別公開がされるのですね!
前回行けなかった方だけでなく、もう一度見てみたいという方、要チェックです!!
クラウドファンディングはまだ始まったばかりです。
目標金額以上の支援は、展示の際の展示ケースやパネル、部屋の改修などに活用されるとのことです。
「村正」の写しが制作され、桑名宗社に来たらいつでも「村正」を見ることができること。
「村正=桑名」になる
大切な一歩ですね。
この令和の時代が、平和で豊かな、共存共栄の社会になることを願って、私も支援いたします!
桑名生まれ桑名育ち。大学で県外に出て改めて地元の良さを知りました。桑名の良いところを発信します!
得意ジャンル
観光・イベント・歴史・文化・グルメ