ホーム 02【遊びに行く】 桑栄メイトとサックスと。

桑栄メイトとサックスと。

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2020年6月28日11時。

僕の人生に於いて同じ三重県なのに何故かあまり縁が無かった街。桑名市の駅前に僕はいました。

桑名駅前ビル、桑栄メイト。

桑名の駅ビル、桑栄メイト。

このたび47年間の任期をまっとうし、7月31日に駅ビルとしての役目を終えると聞いて、今まであまりご縁もなかったけど、数年前に地下のライブハウス、Mさんの取材に寄せてもらったし、何かできることは無いかと思い、そのラストランの一部を記事に残すべく、最近記者デビューした嫁と共に取材同行して参りました。

本当は久しぶりにMさんにもご挨拶いきたかったけど、バンドさんと入り時間が被ってしまったのであえなく断念。

限られた時間で取材をする中、紛いなりにも僕がミュージシャンである事から、4階にあるミュージックショップ ハマダさんを担当。

知らなんだ。楽器屋あるって、しらなんだ。(川柳

楽器屋としては2代目となる濱田さん。

高校生の頃、吹奏楽の世界に入り、大阪の楽器商で修行をした後、地元桑名に戻り楽器屋を継ぐ。

元々は駅ビル1階でCDなどの販売もしながらの経営だったのが、CDが売れない苦難の時代を経て、楽器の販売・修理の分野一辺倒に舵を切って今に至るそう。

ご自身がアルトサックスのプレイヤーである事から、専門分野である管楽器の販売や修理をメインの生業とし、南は熊野や県を跨ぎ新宮まで足を運ぶ。

新しい道ができて些かアクセスが楽になったとはいえ、僕の住んでいる伊勢から熊野まで行くのも割と労力なのに、それが桑名から行くとなると移動だけでも丸一日仕事。

それこそ大変なはずなのに、”景色が綺麗で楽しいよ”と、奥さんと共にさらりと笑いながら、長距離移動などどこ吹く風の様に語るその守備範囲の広さに感服しました。

濱田ご夫妻。

来月、このビル営業が終了すること、そしてコロナの影響でお仕事が減り大変な時期の最中であること、更に、本取材がほぼ突撃だったこと(笑)もあってか、最初は緊張されていた様に感じましたが、こちらから「サックスを持ってる写真を撮りたい」とお願いして、ご自身のアルトサックスを手に取ったあたりから表情が温かくなった様に感じたのは僕の気のせいでしょうか。

いや、同じミュージシャンとして、そうじゃないと思いたいなあ。

ちょっと口元がほころんでますよ旦那。

2つ3つ吹いていく短めのフレーズの中に、濱田さんの丁寧で安定した熟達の演奏テクニックを感じました。

それもそのはず。山野楽器主催のコンクルールで入賞歴が。れっきとしたSAXMANです。

桑名駅前にこんなミュージシャンがいる場所があったなんてなあ。すっかりミュージシャンのお顔になってます。

すっかりJazzManの顔だ。渋いなあ。

取材をしにいった僕の方が熱く語ってしまった節もありますが、このご時世、ライブハウスや劇場、ホールなど、いわゆる「3密という要素も商売の一部になる分野」への風当たりがキツくなり、結果、音楽や芸術事業へ従事する人たちのモチベーションが全体的に低下しているのも事実。

確かに、音楽でお腹は満たされないし、音楽は服や布団の代わりにもならないし、ましてや音楽でコロナを治癒する事は今の科学の力を加味してもできません。

でも、その音楽や芸術が無いと心は豊かさを失いやすくなります。

芸術は、いわば心の豊かさを育む潤滑油みたいな役割を果たす、まさにその媒体だと思ってます。そしてミュージシャンたちは、それが出来る事を誇りにして生きてます。

だからこそ、この逆境に負けて欲しく無いし、ビルが閉まった後に移転された先でも音楽業界を担う一人として1日でも多く、現役の業界人を続けて欲しいです。

濱田さんが楽器を販売したり、修理していた高校生たちが大人になり、そして吹奏楽部の顧問となって、また濱田さんのもとを訪ねてくる。そしてまたその教え子たちが楽器を手にして、後世に音楽を残す一端を担う。

そんな話をしてくれた時、駅ビルが開業して47年間の中で構築されたであろう、数多くの人間ドラマの片鱗を、ここ駅ビル4階の一室で、ほんの少しだけ垣間見れた気がしました。

濱田さん、ご協力ありがとうございました。

新天地でもまたお邪魔させてくださいね。

この取材時ではまだ移転先が決まってなかったですが、新規移転先の情報等はまたお知らせできればと思います。どうぞ、お元気で!

PS.
余談ですが、息子さんは東京でカメラマンをされているそう。いつか会えるかな。

うん。いい写真だ。ちなみにドムドムのおじちゃんの写真もありましたよ。

photo / y_imura
取材日/2020.6.28

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