ホーム 00夏 「あこがれのイルカ島」連載エッセイ【ハロー三重県】第17回

「あこがれのイルカ島」連載エッセイ【ハロー三重県】第17回

8月のある日、鳥羽にあるイルカ島へ行ってきた。
その体験があまりにもよかったので、後世に語り継ぎたい。

三重県に移住してほどなく、私はイルカ島の存在を知った。
あれはもう10年も前のこと。
その夢とメルヘンがぱんぱんに詰まったネーミングに私の心は奪われた。
だって、イルカと島、だ。「イルカ」にも「島」にも、きっちり同じ分量でワクワクが詰まっている。
つまり、イルカがいる島なんでしょう?とリーフレットを持って夫に行きたいとせがんだ。
だけれど、夫の返事は非常に歯切れが悪く、何度せがんでも最終的には「またいつか」というふうにごまかされてしまう。
いったい何があると言うの、イルカ島。そこまでされると思いは募るいっぽうだった。

粘り続けて早10年の今年の夏、ようやく夫は「イルカ島に行ってみようか」と重い腰を上げ、思いはついに実を結んだ。憧れのイルカ島へ、いざ。

*

イルカ島はその名の通り、島なので上陸するには船に乗る必要がある。
それがもう最高。
三重に越してくるまでボート以外の船に乗ったことがなかったので、船で移動するなんてそれだけで高揚してしまう。
海の上を移動するって、発想が原始的でとてもいいよね。

子どもたちも船にはほとんど乗ったことがないので、それはもう喜んで、乗船した。しかもやってきたお船は、まさかの竜宮城を模したもの。
度肝を抜かれるってまさにこのことだ。ビビッドなカラーリングと大胆な装飾。船内では亀が小僧どもにいじめられており、船頭には浦島太郎がいた。異空間のイミテーションこそが、異空間だった。ナンセンスすぎて永遠に推せる。

鳥羽の海はとてもきれいで、あちこちに島が点在してある。それらを見ながらイルカ島まで15分ほどだったろうか。あっという間の時間だった。
ずっとカモメがエサを求めてついてきていて、愉快だった。

*

夫はあんなに言葉を濁していたのに、なんだこの集客力は、と驚いてしまう。
イルカ島に到着すると、想像以上の人だった。お盆の時期に重なったこともあったのかもしれない。
令和のウィルスの影響で、オープンエアな場所に人が集まりやすいのかもしれない。
いずれにせよ、とても賑わっていた。

ロープウェイに乗ったり、アシカショーを見たり、イルカショーの時間までを有意義に過ごす。
小さな島なので、どこにいても海が見えて、とてもきれいだった。
生憎、期待していた、イルカにお魚をあげることができる「おやつタイム」の券はあっという間に売り切れてしまったらしく、断念した。次回はもう少し早く来て、ぜひイルカにお魚をあげたい。

さあ、お時間だよ、と満を持してイルカショーの会場に向かったのだけど、私はイルカショーの常識を覆されることになる。
そこにいたのは少し、ゆとりの風を感じさせる、なんていうか、無理をしないスタイルのイルカだった。
昨今のイルカショーのクオリティはすさまじいと言っていいものばっかりだ。どこの水族館で見ても、まさか……哺乳類にこんなことが……と思わされる。いったいどんな訓練をしたらあんな立派なイルカになるんだろう、と我が身を振り返って後ろめたくすらある。賢明なイルカの姿に心を打たれ、心を洗われる、壮大なショーを何度見てきただろう。
ところが、イルカ島のイルカの、ありのままの姿。
できることしかやらないスタイル。彼らの等身大の姿を見た。

本来イルカは、自然界で空高く飛ぶ必要はないのだ。軽いジャンプをする程度でいい。イルカはざんぶらこ、だ。そう、本来のイルカの姿はこういうものだったよ、と目が覚める。
高く飛ぶ必要もないし、2匹同時に息を合わせたスピンをする必要もない。尾びれを使って、水面を器用に歩かなくたっていいのだ。
全力のイルカショーももちろん素晴らしく感動するのだけど、この、軽くしか飛ばない、派手なことをやらないイルカショーは、そうだよ生き物って本来そうあるべきだよ。と思わされた。

ちょっとみんな頑張るほうにバイアスかけすぎてるし、ストイックになりすぎているよ、いったん落ち着こうか、と声をかけられている心地だった。
そして、それを笑顔で見守るトレーナーの方たちの寛容な眼差しもとてもよかった。

*

イルカタッチといって、イルカのおでこにタッチができるというイベントもあって、おやつが叶わなかった我々は嬉々として列に並んだ。
イルカを触るなんて初めてのことだから、とってもわくわくした。
んだけど、列に並んでいると拡声器で信じられない言説が聞こえてきた。

「なるべく早く進んでください」

の後に

「イルカのやる気がありません!」

という声。

耳を疑っていると、「イルカにやる気がありません」と係員さんは再び繰り返した。
さらには「いやいやモードです!!早く進んでください!!」と声は続く。

そう、イルカだって生きているんだから、やる気がない日があるのは当たり前であり、それは尊重されるべきなのだ。
私だってやる気がない日は早く寝たいし、なんならお風呂にだって入りたくない。イルカだってそうだろう。きっと今日は何もやりたくな日なんだ。
エンタメに慣れ過ぎた私たちは、列に並べばそれ相応の対価が受けとれると信じていて、サービスはいつだって裏切らないと思い込んでいた。
エンターテイメントの上に今まで胡坐をかいて生きてきたのだと思い知らされる。

「イルカがやる気をなくしたらそこで終了となりますので、早く進んでください!」

その声を聞きながら、そうだよ。すべてはイルカ次第なんだから。我々は恩恵を受けているだけなんだから、と悟りのような安らかな気持になった。

なんとか我々はイルカのご機嫌を損ねることなく、おでこにタッチをさせてもらうことができ、イルカに感謝をしながら水槽を後にした。
イルカのおでこは思ったよりもざらっとしていて、思ったよりも乾いていた。

*

島だけあって、歩けばすぐそこにビーチもあり、遊泳こそできないけれど、ちょっとした水遊びはできる。ビーチグラスを拾ったり、水切りをしたりして、水をかけあっていたらあっという間に時間が経った。

さて、帰路ももちろん船に乗る。
船には種類があるようだったけれど、帰りもまた竜宮城に乗船した。
ありがとうイルカ島、ありがとう夢の国、そんな思いを乗せて、船はまた海の上を進んでいく。
とても暑い日だったけれど、子どもたちは終始ご機嫌でよく笑っていた。

我が家にとってはとっても充実した、いい一日だった。
竜宮城に乗ったことも愉快だったし、イルカたちはとてもかわいかった。暑い中で食べる大盛りのかき氷は飛び切り美味しかったし、今年初めての海に子どもたちは大興奮だった。

*

イルカ島は、なんだかノスタルジックで、不思議な島だった。
夫が言葉をつぐんだのはきっと、この、ある時期から時が止まったみたいな島は、直球のエンターテイメントを想定したら満足できないよ、という意味だったんだろう。
それは大いに理解できてしまうけれど、どうしてなかなか、イルカ島の魅力はそんな小さな枠には収まらない、とも思う。
こればっかりは見てみないと分からない、ナンセンスとノスタルジーと我儘なイルカの融合。つまりイルカ島にしかない魅力だった。

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