僕が死んだら、SNSのアカウントってどうなるんだろう?
FacebookにTwitter、Instagram…古くはamebloにmixi、gmailもそうか。
普段何気なくアクセスし、何気なく使っているSNSは今や生活の中にある普通のものになっています。
パソコンやスマートフォン、そしてSNSに囲まれた日常生活の中で、ふとした疑問。
「明日僕が死んでしまったら、このアカウントどうなるんだろ?」
幸いにも匿名で変な事書いてたりしてないし、家族に見られたくないような内容の投稿はしていない。
とはいえ、やっぱり、なんとなく嫌かもしれない。
逆に、自分がどう生きどう考えてきたのか、生きた証を残そうと書いてきたものが…、死ぬことで全部消えてしまうのも残念に思える。
ネット社会の現代、さまざまな情報がネット上やパソコンの中に入っていて、死んだ後に家族に個人のパソコンを見られること自体、なんだか恥ずかしいような気がするのです。
普段あまり会わないけどSNSでつながっている友達には、生前の感謝の言葉を伝えたいな。
若気の至りで書き連ねたブログは、ちょっと恥ずかしいから内緒にしときたいな。
取引先の顧客からも連絡の入るmailは、会社の誰かに引き継がないといけないな…。
などなど、考えれば考えるほどに様々な問題が出てきます。
一部のSNSでは亡くなった後の設定が可能なものもあるようですが、SNSに限らず、パソコンやスマートフォンそのものをどうしたいのか…は非常に、とても、気になるのです。
スマートフォンの通信アプリ、見られても大丈夫なんですよ、ほんとに。それでもやっぱり。
そんなことを考え始めてしまうと、パソコン以外にも…いろいろと気になるものがあることに気づくのです。
家族の誰かが明日死んだら、どうして欲しいんだろう?
「もしも」を考えたとき、僕がこうしたい、こうして欲しい…は伝えておけばいいし、「死んだらみてね」、の手紙を書いておけばいいかもしれない。妻や親父やおふくろは?
「もしも」親父が明日急に亡くなったら?
親父のスマートフォンをのぞいたらびっくりするようなSNSの書き込みやメッセージがあったら…?パソコンの検索履歴に驚くようなことがあれば…いや、たぶん。本人は嫌だろうな。
妻の携帯なんて、ちょっと怖くて見たくないかもしれないし、見せたくもないのかも。
せめて、あれは嫌、これはお願いくらいのことは聞いておいたほうがいいのかも知れない。
「もしも」は、いつか必ず起こる。
そう考えると、あまりに無防備に暮らしていることに改めて気づいたのです。
てことで、親父に聞いてみました。
考えてしまうと、気になって仕方ない。同じ男として、死んでしまった後に恥ずかしい思いはして欲しくない!そう考え、父親に訪ねてみました。
(私) 「親父、SNSってやってる?」
(親父)「やってない。」
(私) 「おふくろにバレたらあかん事とか、見られたくないもんある?」
(親父)「ない。」
…話は終わってしまった。
自分の親父ながら、その潔い生き方に感動を覚える。
(親父) 「なんの話をしてるんや?」
もしも、もしもの話。
ここ数日の私の憂いや悩みを親父に伝えると、想像もつかない回答が返ってきた。
(親父) 「そんなしょーもない事考えてないで、もっとまともな心配しろよ。俺死んだら、お母さんどうするん?お前が見てくれるん?この家もどうするん?そもそも葬式出すんお前になるけど、うちがお願いするお寺さん知ってるか?パソコンやなんや考える前に、もっと考えなあかん事いっぱいあるやろ。」
ごもっとです。本当にごもっともです。
恥ずかしながらも長男な私には、ほかにたくさんの「もしも」の時のことを考えなければいけなかったのです。
家の事、家族の事、葬式の事に墓の事。仏壇も…そうですね。いつか、おそらく私が引き継ぐであろうそういった問題についても、知っておく必要、考えておく必要があるんだ。
平成24年度司法統計によると、遺言状の作成件数は自筆証書で15,113件、公正証書で88,156件となっており、同年の死亡人口が1,256,254人となっていることから、おおよそ8%程度(生きている間に作成するので実数とは異なる)の方が、生前、もしくは臨終の間近に「どうしたいのか、どうして欲しいのか」を伝えていることに。
生前に遺言状を作成できる、または臨終の間近まで自分の意思を伝えることができるのであれば、自分の人生の最後を自分で決めることができた方の数はもう少し多いのだと思います。
しかしながら、「もしも」は突然に訪れ、もしかしたら自分の想いを伝える前に話せない、伝えられなくなることも容易に想像できるのです。
そう考えると、意外と身近な年齢になってる。
私は今年、43歳。親父もおふくろも70歳を過ぎ、まだまだ元気とはいえ…。
自分自身も年を取り、当然ながら家族も同じように年を取った今、これって身近な話になってきている。自分の最後の想いが伝えられない、または家族の想いをしらないまま、その時を迎えるなんて、ちょっと寂しく、かなり悩ましい事なのだと改めて気づく。
どう死にたいか?ではなく、最後までどう生きたいのか。
SNSのプライベート満載の投稿をきっかけに、深い深い思考の闇へと入り込んでしまった私は、この大きな、それでいて身近な問題の答えを探すべく、さまざまな方にお話を聞いてみることにしました。
当然、「死んだ経験のある人」に聞くのが一番正確で、正しい情報なのですが、それにはいろいろと手続きが面倒なので、イメージとして…なんとなく、「死んだ後のコト」のプロ、お寺のお坊さんにお話を伺ってみることにしました。
よく考えるとどこのお寺に行けばいいのかわからないじゃないか。
いざお寺で住職にお話を…と考えたとき、どこのお寺に行けばいいのか…わからない。
そもそも自分の家の宗派とかすら…知らない。
お寺はけっこうたくさんあるのに、そう考えてみると”あえてお寺に行く理由”がこれまでなかった。
いきなり知らないお寺に飛び込んで…はハードルが高く感じられ、結局SNSと知人からの情報収集。
三重県桑名市の善西寺さんで、おてらこども食堂なるイベントを開催していることを知り、イベントに参加する感じでお坊さんとのファーストコンタクトをとってみることに。
5月某日、17時頃に桑名市の善西寺に到着。
境内には人がパラパラ、子供が走ってる。
改めて考えてみると、お寺の中に入るのって久しぶり。
受付を済ませて中を覗いてみると…めっちゃ人がいる。
こども食堂というだけあって、子供がたくさん。食事が終わった子供から走り出してる。
とにかくにぎやか…あれ?お寺ってこんな感じだたっけ?
バタバタと準備に忙しそうなここのお寺の矢田俊量住職にお話を伺った。
(私) 「すいません、…かくかくしかじかで…考えだしたらものすごく難しくって…。」
疑問をどんどん追及してゆくと、”亡くなった後どうするか”ではなく、”亡くなるまでどう生きるか”に辿り着く。
存命の間に最後までどう生きたいかを伝える事。
これは終末医療でいうところの”看取り”などに当たるモノなのかもしれない。
看取り…ってことは、”亡くなる人”のじゃなくて、”亡くなる人のそばにいる人”もしくは”亡くなる人を看取る人”って事?
確かに、私がこうしたい…の想いは”看取ってくれる人”に伝わらないとどうしようもないことなのかも。
そもそも、私が亡くなった後の私のSNSやパソコンの処理をどうしようか…は、私が一人で考えていても仕方がないんだ。
妻や家族に「伝える事」が大事で、看取る側がどう受け止めてくれるのかが大事なわけなんだ。
さらに深い思考の渦の中に落ちこんでいく。
(住職)「もし、看取りや終末医療に向き合っている方から直接お話を伺ってみたいのなら、医療関係の方をご紹介しますよ。そういった現場で仕事をされている方からお話を伺うのが一番かと思います。」
結局、矢田住職にご紹介を頂くこととなり、医療の現場のお話を伺わせていただくことにし、おてらこども食堂の食事を頂きました。
ボランティアの方が忙しく働き、お母さんたちが賑やかに世間話に花を咲かせ、子供たちが銘々に遊んでいる。
お寺は亡くなった人の、お墓に入るための場所じゃなく、生きてる人の為にある場所なんだ…。
「ごちそうさま、また来るね」と、本堂の中で手を合わせる小さな背中を眺めながら。
タイアップ
善西寺では定期的に、おてらこども食堂を開催しています。
善西寺おてらこども食堂
場所:善西寺 門徒会館
住所:三重県桑名市西矢田27-2
電話:0594-22-3372
料金:大人300円 子供無料
日 :毎月第4水曜日
(今後変更の可能性もあり)
時間:17:00~19:00
※大人のみでの参加は不可(今回は取材の為、事前申請)
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