うちの8歳の長女でさえ「わぁ、懐かしい」なんていうんだから、懐かしいって感情はきっとそんなに複雑じゃない。
ノスタルジーは誰にだってさみしさと心地よさを連れてくる。そして、それは少しだけ、快感でもある。
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私にとっての「懐かしい」が、誰かにとっての懐かしいと重なるだなんて、まったくちっとも思わないのだけど、ときどきうっかり勘違いをしてしまう。
だって、例えば、「懐かしい喫茶店」、「懐かしいジャズ」、「懐かしい昭和の云々」。自分が目撃したわけでもない、どこかのいつかを「懐かしいあれそれ」として差し出されることが度々あって、そして、それはだいたいそんなに的外れでもない。つまり、「懐かしい」はときどき普遍性も連れてくる。
懐かしい喫茶店では髭のよく似合うマスターが美味しい珈琲を洒落たカップで淹れてくれるだろうし、懐かしいジャズはしっとりと聴かせてくれるだろう。懐かしい昭和の風景と言われた日には、私が生まれたのは昭和も後半だというのに、物心がついたのなんてもはや平成だというのに、オート三輪が眼前に浮かぶんだから、なんだかもはや恐ろしい。
個人的なのに、普遍性も醸す、この不思議な単語について私がどうしてこんなにぶつぶつ言っているのかといえば、話は半年ほど前にさかのぼる。
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とある平日のある日、仕事が休みだった夫と、どこかでランチでもしようかという話になった。
行きついたのは古民家を改装した、隠れ家的なイタリアンレストラン。落ち着いた雰囲気に、いいね、いいね、と小声ではしゃぎながら着席して、メニューに目を落とす。
夫がリゾットを選んだので私はパスタにしましょうね、とパスタを選んでいたら、書いてあった。
「懐かしのナポリタンスパゲティ」
ああ、つまりあれ。ケチャップがたっぷり絡まった、存在感のある玉ねぎやピーマンが入った、あれ。
ペペロンチーノもいいけれど、たまにはこういうのもいいかもしれない、と思った。余談だけれど、今は亡き、私の父の好物はナポリタンスパゲティだった。洋食屋さんに行くと、父はたいてい、ビーフカレーとナポリタンを注文していて、ビーフカレーは父がひとりで、スパゲティは家族みんなでシェアして食べた。スパゲティはテーブルの真ん中にどかんと置かれて、父と母がその大半を食べて、小食だった私たち姉妹はそのおこぼれをもらった。テーブルの真ん中に堂々と鎮座した、湯気が立ちのぼる、赤くつやつやとしたナポリタンスパゲティの存在感は圧倒的で、お子様ランチですぐにお腹がいっぱいになってしまう私にとって、なんだかとっても眩しかった。自分の口にはほとんど入らないとわかっていても、とても魅惑的だった。
大人になってからというもの、お店でケチャップ味のスパゲティを食べることって、なぜだかとんとなくなってしまって、私にとってもナポリタンスパゲティといえば、やっぱり文字通り「懐かしい」のだった。
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そんな郷愁を胸にほんの少しだけかざしながら運ばれてきたお皿を見て、私は「懐かしい」という言葉について、ぐるんぐるんと思いを巡らせることになる。
赤々としたケチャップをまとったスパゲティの下には、黄色い薄焼き卵が敷かれてあった。メニューにはそんなことはひと言も書いていなくて、ただ、「懐かしいナポリタンスパゲティ」とだけあったのだ。
つまり、これは、説明不要で「懐かしい」が内包する卵ということなんだ、と深く感心してしまう。
愛知県や三重県の一部ではナポリタンスパゲティがこのようなスタイルだということは、とっくのとうに合点していたはずだったのに、「懐かしい」が私を惑わせた。ナポリタンスパゲティに関しては、私の「懐かしい」と、彼らの「懐かしい」が交差しないということをまざまざと見せつけられた。
だって、私にとって、これはちっとも懐かしくないし、なんならいっそ「新しい」、のだもの。
私にとっての新しくて、少し斬新なそのスパゲティはとてもおいしかった。卵とケチャップが合うことはオムライスやスクランブルエッグが証明済みなのだから、その組み合わせに違和感だって全然ない。
ただ、懐かしいかどうかと言われたら、懐かしくない。ただそれだけが小さな小さな、痛くも痒くもないしこりのように、私の中に残った。
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食事のあと、店を出てから夫に「卵が敷いてあるナポリタンは懐かしい味?」と尋ねると、「もちろん。伊勢の三大B級グルメだからね」と返ってきた。
夫は学生時代、伊勢市の高校に通っていたのだ。
三大グルメの、ひとつは キッチンクックの「ドライ(カツ)カレー」、もうひとつは、まんぷく亭の「からあげ丼」。そして、最後のひとつが、喫茶モリの「モリ特製 イタリアンスパゲッティ」、だと言う。
喫茶モリのそのイタリアンスパゲッティこそが、つまり先に述べた卵が敷かれたケチャップソースのスパゲティなのだ。
ちなみに、当時付き合っていた彼女と行った、とも言っていた。そりゃ懐かしいだろう。そんな青春の一ページを飾ってたら懐かしい以外ないだろう。
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とは言え、私だってもう三重県に移住して10年と少しが経っているのだ。
こちらに越してきて、最初の頃にこの卵敷きのスパゲティを食べたことだってある。だけれど、久しぶりに食べたこの日に感じたのは、「懐かしい」よりもやっぱり「新しい」だったんだから懐かしいってなんだか難しい。
多分、卵敷きのナポリタンスパゲティは私の人生の中でこの先何十年もずっと「新しい」んだろう。
だって、卵敷きのナポリタンスパゲティよりはるか後ろに、卵と無縁のナポリタンスパゲッティを何度も食べてしまっているんだし。
だけれど、我が家の子どもたち、彼らがいつか巣立ったそのとき、懐かしいのはあの黄色と赤のスパゲティだったりするのかしら、と思う。
都会の片隅で、バイト帰り友達と喫茶店に入って、空っぽのお腹を満たそうとメニューを見て、ふと、「ああ、この町ではナポリタンスパゲッティに卵が敷いてないんだなぁ。あの味が懐かしい…」と思ったりするのかもしれない。
そんな、この先存在するのかしないのかも不明な妄想をしながら、私と君たちはやっぱり別々の生き物で、そして故郷も違えば懐かしさも違うのね、と思うなど。
8歳、6歳、4歳の3児の母です。ライターをしています。