2020年7月。
三重県桑名市駅前の象徴である桑栄メイトが閉じる。
ひとつの時代が今終わる。
「昭和の高度成長期の繁栄がずっと続くと思っていた」そう店の方々は言う。そしてこのビルは閉じる。新しいビルがあるわけではない。
決断の年に受けた新型コロナウィルスによる影響は思いの外大きい。お客様が激減したことで差し迫った現実があったという声も聞いた。先代たちも想像できなかったであろう。
開業当時、路面に並んでいた店舗には人の行き来があった。それを縦に集結させたビルとなり、47年間、昭和・平成・令和と桑名駅前の象徴として繁栄した。
商いを続けるという選択、商いを閉じるという選択。まだ決めかねているという方もいる。桑栄メイトを舞台に育まれた半世紀の物語。そして各々にある歴史の幕の下ろし方。
決断には祈りのように強い想いがあり、先代から受け取った遺産の継続でもある。時代が変わる象徴を次世代が感じ取り、時に自分を動かす座右の銘を刻む。時と共に忘れ去られるかもしれない桑栄メイトを記録としてここに残す。
■桑栄メイトのあの頃…
桑栄メイト協同組合・桑栄ビル管理組合法人の代表理事で、メイト開業時から入居している「山榮堂」の水谷有志さんに桑栄メイトが完成した当初の話を伺った。
1972年。国の市街地再開発竣工第1号の桑名駅前再開発事業として、桑名駅東口にジャスコを核店舗に90の専門店で構成された商業ビル「桑名ショッピングシティ・パル」が完成。
翌年1973年。パルの向かいに建設された複合用途ビルが「桑栄メイト」だ。
テナント権利は分譲マンションのような仕組みで、駅周辺に構えていた路面店が集結。営業時間は原則9時から19時まで。自由度は高く各店ばらつきはあったそう。
真横にはバス停、目の前にはバスターミナル。活気があったあの頃。
当時小学五年生だった有志さん。あの頃の様子はどうだったのだろう。
有志さん:ドヤ街だった路面店が桑栄メイトに集結していく様子を鮮明に覚えています。あの街並みがこういう風になったかってね。
――外観もかなり特徴的ですよね。
有志さん:特徴的か。逆にこれしか見慣れていないから当たり前と思っちゃうんだよね。
要所要所の看板もクラシック。
つい二度見してしまうコインロッカー。理由は定かではないが、他県で起きた悲痛な事件の予防として施したのではという噂。
もはやレトロという言葉ではごまかせない誘導看板。
――看板は直さないのですか?
有志さん:直し直しで最近まで光っていた気がするけどな。
――諦めたんですね。
有志さん:多分ね。これもね。
うーん、緩さが堪らない。この流れでメイトツアーへ。
■未踏の地な人が多い地下フロア
まず必要なのは少しの勇気。
気になる貼り紙。厳禁!禁!厳守!
掲げざるを得なかった薄暗さ。
初潜入の中央監視室。
ボイラーや水漏れ、冷凍機の操作などを24時間体制で行うビルの要。シャワー室完備。
最近まで現役だった放送機がそそる。
地下を大きく占めるのはゲームセンター跡。
当初は「くさりや」という魚卸が営む和食屋が入っていた。その後ゲームセンター「ダイエー」が入り、高校生の溜まり場になっていたそう。
ダイエー後にも違うゲームセンターが入居したが、夜逃げで飛んだとか。
以降借りたい声はあったものの、退去時に条件どおりのスケルトンにしたことで、逆に配管事情がわからなくなり初期コストが換算不可状態に。
結果、メイトの清掃の拠点となった。
■ファッションならお任せ1階フロア
ブティックや呉服屋が並ぶ1階。
看板にも表れるハイカラさ。
開業時は駅改札との高架接続がされておらず、1階フロアの人通りは多かったそう。
JRに上書きされた国鉄文字に時代を感じる。
■昭和レトロカラーの4・5階フロア
雨漏りすら楽しんで見える窓際からの眺め。
居住スペースになんだかグッとくる。
昔は夜店や現金つかみ取りなどのイベントもあり盛況だったという桑栄メイト。
――桑栄メイトの思い出を聞かせていただきたいです。
有志さん:うーん、思い出と言われるとピンとこない。まだ日常だからかな。ここで育って、小さい頃からずっと賑やかだから、寂しいと言えば寂しいし。とにかく楽しかったかな。
有志さんの店は移転が決まっており、現在は新店舗に向けた準備中。ここまでご案内ありがとうございました。
お別れして味の街と名乗る2階フロアへ。
■ソウルフード集結!味の街2階フロア
駅直結のため、通勤通学など一番利用者が多いであろう2階。
このフロアで47年前の開業時から入居しているのは、パーラー花・十一万石・桔梗屋・一力亭・ドムドムバーガー・喫茶ルール・新味覚・ぱいいち。
ソウルフードとして愛される味も多く、行列風景デフォルトな名店揃い。
時折、店同士のご近所付き合いがみえるのもまたいいのだ。
最近発見したのは、天井のところどころに置き去さられたリボン。
友人は「わー生きてる!!放置されてもう自ら生命力を持とうとした意思を感じる」と感動していた。バリエーション豊かなのでぜひ探してみてください。
新たな発見に尽きないポテンシャル溢れる桑栄メイト。
■メイトの存在が日常だった想い出
駅前で生まれ育った40代男性のお話をうかがった。
「今はない横井電気のプラモデルにガンプラを買いに行ったり、長谷川酒店でアイスクリームを買ったり、天津甘栗買ったりね。当時、地下はくさりやさんっていう、魚卸の方がやってる魚民みたいな?所に家族のイベント時に連れてってもらいました。2階はサーティーワンアイスクリームも実はあったんですよ。ドムドムも早かったし、ミスタードーナツも桑名は入ってくるのが早かった。今のたがわさんの前にホーロンって中華屋さんがあって、そこのB定食(酢豚、八宝菜、シュウマイ、ライス、スープ)は美味しかったなぁ。3階もNECの9000シリーズやったかな、小学校の時だからパソコンの走りね。無料体験が出来てテキスト通りに打てば、画面に模様が描かれるという、ただそれだけでも良い遊び場でした。4Fはお医者さんね。5Fは中学校の時に英語教室があって、友達としゃべってばかりでした。洗濯物を干す場所があるんだけど、そこでキャッチボールをして球が外に落下しちゃったりして、下に止まってる車にボコンと当たったりとか…思い出はいっぱい詰まったビルでした」
フロアインタビューを続ける。みなさん想い出が溢れる。
「桑名駅前と言ったらここ」
「数十年ぶりに地元に帰ってまだあったから驚愕でした」
「昔から通路。目的はないけどここにしかない店がある」
「当たり前に在る場所だから寂しい」
年と共に移り変わる”メイトの愉しみ”を教えてくださった方も。
「昔からここは年季が入っていた。古くさいなぁと思いながら、桑名に娯楽がなかっただけに、パルと共によく通った。中学生の頃は3階にあった理容店で髪を切ってもらい、帰りにドムドム行くのが楽しみだった。気になる子をドムドムに誘ったこともあったな(笑)。大人になってからは新味覚にはまって、更にぱいいちで飲んで…と歳を重ねるごとに違う楽しみを教えてくれたビルでした」
私の知らない時代のメイト。想像が昭和の香りを醸す。そういうのがいい。
■実は半年前から取材を進めていた
街の文化遺産として、桑栄メイト各店の取材を始めたのは2019年秋。
駅前が変わるなか、この場に建ち続けたビルがどのような存在だったのかを知り、手紙のように後世に残して綴じたいと思った。
半世紀もの歴史あるビルに対して、ありんこにもならない新参者なわけだが、自分が桑名駅に初めて降りた時に受けた強烈なインパクトと、徐々に知ることとなった物語にシンパシーを感じ、動かないといけない気に勝手になった。
ただ各店にインタビューをさせてもらったものの方向性未定の状態が多く、お言葉はあまり頂けなかった。
それがコロナ禍によって急変。皆さん”終わり方”への何らかの答えを持ち、覚悟を決めた姿勢がお言葉にも表れてきたように思える。
実はこの取材を私自身もコロナで一旦諦めた。でも張り出される閉店のお知らせが増える度に動揺し、再度火が付いたのは、閉店まで1ヵ月と迫る2020年6月末だった。
■店舗の方々に聞いてみた「メイトはどういう場所でしたか」
桑栄メイトで約40年間営んだブティックノイさん。
高度成長期は服がどんどん売れ、セーターの最低価格が9万8千円という時代もあったそう。
ご主人:そういう時代を夢見ているから思い出が邪魔しているかもしれないね。次の展開?それはまだ決まっていないよ。ここで過ごしたのは人生の何%かな。とにかくよかった。楽しかった。楽しいの一言では纏められないけど思い出がしっかりあってね。心から感謝してるよ。
桑栄メイトで47年間営んだ一力亭さん。
6月28日に閉店し移転先は7月15日にOPEN。5代続く老舗で、自分たちが先代からメイトの店舗を受け取ったと同じように、のれんを継ぐ息子さんに新店舗の経営を任せると話してくれた。
女将さん:本当素晴らしいビルでしたね。
桑栄メイトで約45年間営んだ桑栄歯科さん。
亀山の分院で営業を続けられる。開業した昭和50年は歯医者が少なく、朝5時から並ぶこともあったそう。桑栄歯科も内装工事中に2,3ヵ月先の予約が埋まったという。
院長:終生仕事をやってきた中で、皆さんに愛されて本当に楽しかったね。一生懸命やった。従業員とも色んな思い出があって、ここから巣立って開業した先生が30人以上もいるんですよ。
桑栄メイトで約10年間営んだエベレストさん。
現在移転先を探していて情報募集中だそうです。
スタッフさん:メイト?うん、いいよ!!これがいいです。次は決まっていないけど場所欲しい。
桑栄メイトで10年間営んだまさきちさん。
既に移転先である新築店にて営業を開始している。自分で何でも作った方がいいという大将は、当初器から米まで手作り。今も店内で頂くお米は大将が育てているもの。
大将:当時、農業もやめて何をするか決めかねていた。たまたま桑名でふらふらしとって二階上がって行ったら空いとるなと。シャッターの向こうから風が吹いてくる感じがしてね。そこから1週間後にまだ物件空いとるんだったら…って流れで始めた。10年前はあまり駅前にご飯食べるところがなかったからね。駅前だから県外からみえる出張客が多くて色んな人と出会える場所だったかな。
桑栄メイトで約8年間営んだ旬楽さん。
現在移転先を探していらっしゃる。
大将:子どもの頃から馴染みのあるビル。ハンバーガーやラーメンを食べによく来ていました。育ったところで働かせてもらっているということですね。寂しいけど一つの時代の移り変わりかな。桑名で商売できて良かったです。これからも駅前は変わっていくやろな。
桑栄メイトで47年間営んだミュージックショップ ハマダさん。
営業は7月31日まで。現在移転先を検討している。
ご主人:青春時代やな。色々あったし多くを語ることはしないけど青春です。
桑栄メイトで約47年間営んだカトウ医院さん。
営業は7月22日まで。7月27日に有楽町へ移転が決まっている。もともとお父様が現在の場所(1階)で開院しており、先生は大学生になるまで5階に住んでいたそう。
院長:診療所も住まいもこのビルで育ちました。非常にお世話になったし愛着があります。出来た当時は近代的なビルだったけれど、いつの間にか古くなってしまってキープできなくなったのが申し訳ない。あの頃は職住近接が普通だったんです。
桑栄メイトで約20年間営んだよくなる院さん。
2019年11月にサンファーレへ移転済。これまでメイト内の3階・6階・2階を移転されている。印象的だった手書きの看板は娘さんが書いたそう。
ご主人:喜んでもらえる場所ですね。もともと鉄工所勤めで勉強してからこの院を開きました。店舗同士のご近所付き合いもあったね。向かいの桔梗屋さんが出前してくれたり。とにかくすごくよかったね。
桑栄メイトで16年間営んだたがわさん。
7月20日を目途に閉店される予定。
ご主人:フルタイムで働いている同級生はもういない。自分たちのペースでやらせてもらえるこの場所だったからこの年まで仕事をさせてもらうことができたんだと思います。本当おかげさま。桑栄メイトに感謝しています。
桑栄メイトで43年間営んだ喫茶ルールさん。
コロナの影響もあり5月4日に閉店された。
マスター:ここはよかったね。恵まれたよ人に。可愛がってもらった。店同士のコミュニケーションもあった。上下関係もないし年齢的にも近かったしね。続けられて楽しかったです。こういう終わりになってしまったけれど、きっと神様がもうそろそろやめなって言ってくれたんだろうな。もうゆっくりします。
桑栄メイトで10年間営んだカツラヤさん。
ご主人のすすめで商売を始め翌年にご主人が他界。以降商売人生60年。今月で閉めることになっている。
ママさん:もう私も93歳だから。おかげ様で商売させてもろてたもんで、小さい子どもを2人抱えながらもなんとかやってきました。主人に人生支えてもらいましたね。きっと主人がやめとけってゆうてくれているのかしらね。ちょうどよかったの。
桑栄メイトで約47年間営んだぱいいちさん。
ご主人:うちは酒は売っているけどサービスは売っていない。こんな偏屈な親父がやってる店なんてサービスを期待してくるお客もおらんだろう。それでも稼いだ金を使いにきてくれるわけでしょ。駅の手前に始まりから終わりまで居て、日本の情勢を俺は分かってる。学生の憧れ?そう言ってもらっただけで頑張った甲斐があったね。
桑栄メイトで約47年間営んだ十一万石さん。
本店(工房)の営業を継続しつつ、駅前で新たな移転先も検討中。
ご主人:やっぱり、楽しかったよぅ。色んな人の出会いがあるからそれも新鮮やし。ご近所だけじゃない駅ビルならではの人間交差点みたいな場所やったね。
桑栄メイトで47年間営んだアイドルさん。
店名はママさんはお好きなシルヴィ・ヴァルタンの歌から考えたそう。
ママさん:楽しかったねぇ、ふふふ。私にとって洋服は好きなこと。ずっとやりたかったことだから、好きな仕事ができてお客さんともすごく仲良くなって楽しかった場所。閉鎖の張り紙で47年間て数字を見た時、私自身が驚いちゃうくらい自然だったわ。幸せよね。それも主人がいてくれたから二人で頑張っていけたかな。一人ではこんなに楽しい想いは出来なかったと思う。
桑栄メイトで47年間営んだドムドムバーガーさん。
6月30日をもって閉店している。
マスター:本当に一生そのもの。良い場所とハンバーガーとお客様に恵まれて、幸福な場所でしたね。一番ええ時をここで過ごしました。これがなかったら人生変わってましたね。
桑栄メイトで47年間営んだ新味覚さん。
7月29日に閉店を予定している。
大将:最高な場所だったね。駅も近くて。美味しいって言ってもらえるのは最高のほめ言葉。今後?もう72歳だからこれで花道にするよ。ありがたいね。
桑栄メイトで47年間営んだ桔梗屋さん。
7月29日に閉店を予定しているが、在庫次第では早めに閉められる可能性もあるとのこと。
大将:メイトとは最初からずっと一緒にやってるから愛着があるよね。一緒に年取ってきた感じ。そんで僕らもお客さんらも一緒に年取ってる。そういうのが楽しかった。人生を共にしている存在かな、僕にとってね。
ブティック・ノイさんの言葉が蘇る。
『人は忘れる生き物。駅前が建て直しでまたよくなるといい。でも昔桑栄メイトというビルがあった良き記憶は残ってほしいな。私はもう思い出作りは十分できましたから』
あなたにとって桑栄メイトはどんな場所でしたか。
昭和の生き様、刻まれる記憶の意味。各々が感じることを綴じる時がきた。
photo / y_imura
文/福田ミキ
取材日/2020.6.28
(一部筆者撮影)
※くわなラボと共に桑栄メイトのフリータブロイドを製作中。配布は桑栄メイトにて2020年7月2週目頃を予定
福田ミキ。OTONAMIEアドバイザー/みえDXアドバイザーズ。東京都出身桑名市在住。仕事は社会との関係性づくりを大切にしたPR(パブリックリレーションズ)。
2014年に元夫の都合で東京から三重に移住。涙したのも束の間、新境地に疼く好奇心。外から来たからこそ感じるその土地の魅力にはまる。
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