ホーム 02【遊びに行く】 02イベントレポート 愛着のある街の住み慣れた家で、最期まで暮らし続ける。

愛着のある街の住み慣れた家で、最期まで暮らし続ける。

おばあちゃんとおじいちゃんの話。

4年前、私の祖母は胃がんを患い、他界した。

破天荒で、自由奔放で、ド派手で、気丈な女性だった。

絵本を読む代わりに外国の話をしてくれ、
オムライスやハンバーグではなく、見た事のないような横文字の料理を作ってくれ、
おもちゃではなく、芸術品の価値を、
遊園地ではなく、人生を楽しむ豊さを教えてくれる、
そんなおばあちゃんだった。

地域活動にも積極的に参加しており、
自分の暮らす街が大好きだった。

それを理解していた祖父とオバは、
闘病中、介護や医療機関と連携し、
在宅にて献身的なサポートを行った。

愛着のある土地に暮らし続け、
最期は自宅で息を引き取った。

他界する前夜。
祖母は祖父に手を差し出し、
二人は手を繋いで眠ったのだそう。

看取った後に祖父は言った。

いい女だった。本当に楽しい人生を送らせてもらった」と。

祖母は幸せな人生だっただろうな。
そう思った。

 

いつか必ずくる最期の選択肢。

体調が悪くなったら病院へ行き、
万全な医療を受けられるよう入院する。

今までそれが当たり前と思っていた。

しかし、祖母の最期をみてから、
それが絶対ではないことを知った。

孫として、
逞しかった祖母の生き様と死に様から
受け取ったものが確かにあった。

考えてみると、
三世代世帯が多かった時代は、
暮らしの中でいのちに寄り添い、
自宅で看取るというのが普通だったわけだ。

愛着のある街の暮らし慣れた家から、
家族に見守られて旅立つ。

命のバトンタッチ。

それが看取りの文化。

 

軸は看取り文化の再興。

看取り文化の再興。

この目的に共感しあったのが、
三重県桑名市にある浄土真宗本願寺派 善西寺と、
「市谷のマザーテレサ」との異名を持つ訪問看護師 秋山正子先生。

善西寺では4年前から、看取り文化の再興を軸に、
命の現場にて実践する先生方を招くスタイルで、
エンディングセミナーを開催している。

企画における住職の想いについては、以前紹介したとおり(下記参考)

住職にお焼香のあれこれを聞きに行ったら、いつのまにか深~いところへ。

エンディングセミナーだけでなく、
街づくり、チャイルドファーストの視点で、
キッズサンガ、てら勉、こども食堂、里親啓発、地域包括ケア、グリーフサポート等々、
多面的な取り組みを行う善西寺。

掲げているのは、
かつて街の機能の中心であったお寺を、
再生・解放しながら、寺本来の姿を今に伝えるというりてらプロジェクト

 

「どんな時でも命は輝く」〜最期まで暮らし続けられる地域を目指して〜

りてらプロジェクトにて、
1年以上の準備を経て実現したのが、
今回の秋山正子先生の講演会。

NHK”プロフェッショナル仕事の流儀”などでも注目を集め、「日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2017」にも選ばれた方である。

暮らし慣れたところで暮らし続けられ
その地域の方に見送られる文化を取り戻したい

そう仰る秋山先生。

私は専門的なことまではわからないが、
祖母が過ごした終末期を知ったことで、
それがいかに想い出と命の尊さと感謝に心満たされる時間だったかを理解した。

また感銘を受けるのは、
秋山先生が、医療の場で問題になってきたことに、
多くの人を巻き込みながら現場で対応し続けていること。

そして壁に遭遇する度に、
自らの行動で突破し着実に前進していること。

それはどんな取り組みにも通じるものがある。

 

現場で対応し続ける秋山先生のターニングポイント。

命の輝きを次世代へ語り継ぐ仕組みを…
と精力的な活動をされている秋山先生。

がんを患い在宅療養していたお姉様を看取った際に、
かけがえのない時間を経験したことにより、
病院勤務から暮らしの中に看護を届ける訪問看護へ移行されたという。

しかし在宅医療は、
病院医療と比較して普及していないのが現状。

ハードルも多い。

先生がすごいのは、
壁に遭遇するたびに、
自らのターニングポイントにしているところ。

◇病院看護から訪問看護へ
姉を看取った経験から
いのちに寄り添うケアを
生活の場に届ける訪問看護へと方向転換。

◇がん末期患者からあらゆる病気の方々へ
がん末期患者を中心とした在宅ケアから
あらゆる病気や障害を持つ方々へと拡大。

◇起業・独立へ
母体となる医療法人が解散。
活動を続けられる方法を模索した結果、独立。

◇ボランティアの育成へ
介護保険改正により生活援助が縮小。
ボランティア育成の会を設立。

◇在宅ケアの普及活動へ
在宅ケアの認知度を高めるべく
経験者の公開講座を開始。
その後、NHK番組に出演し注目を集めた。

◇医療からもっと手前の予防へ
予防的な相談の場の必要性を感じ
「暮らしの保健室」を開設。

◇病院・在宅だけでなくショートステイへ
ショートステイの機能を持った
「坂町ミモザの家」を開設。

◇がん患者が自分の力を取り戻すサポートへ
外来中心では
医療者とゆっくり相談ができないという実情から
がん患者とその家族が予約なしに無料で
相談に立ち寄れる「マギーズ東京」を設立。

社会構造や行政の動きを憂うのではなく、
地域に合った形を”わがこと”として、
継続的に取り組むことを実践でみせているのだ。

 

救急車は呼ばない。最期は自宅で迎えたい。

在宅看取りの例として、
あるひとり暮らしの男性と家族の映像が紹介された。

男性は104歳と超高齢。

数年前病院で妻を看取り、
自分は自宅で最期を迎えたいと希望し、
家族が連携してサポートにあたっていた。

医療保険と介護保険を組み合せ、
秋山先生は要所要所、しかるべきところに入り関わる。

最期まで自宅にいたいという本人の希望により、
容態の変化があっても救急車は呼ばない。

救急車で運ばれたら、
救命処置をしてほしいという意思表示になるからだ。
(※事前に在宅医療を行っている主治医との連携要)

家族との時間を充分に過ごしたのち、
最期は点滴等の医療措置なく老衰により永眠された。

映像から温かさが伝わってきた。

暮らしの中で、充分な準備をしてお別れする。
家族は現実を受け止めつつ、後悔なく見送る。

このような亡くなり方・看取り方が理想と思うからこそ、
「ほとんど在宅、たまに入院」という、
最期まで暮らし続けられる地域を創りたいと秋山先生は仰る。

「訪問看護」はケアを生活の場に届けるもの。
病院のように設備が整っているわけではない。

秋山先生は、
豊富な経験から培われた鋭い観察力と洞察力で、
会話や体調、生活の変化に気付き、先を読み対応する。

何を考え、何を求め、何を不安に思っているのかを、
感じ取り、受け入れる。

看るべきものは、病でなく、その人自身。

 

つながる地域。そして地域の厚みは増す。

そうは言っても不安の多い在宅ケア。

大抵の人は、いざという時が来てから、
初めて自分事として考える”最期”。

秋山先生が、必要性を感じたのは、
予防の視点を持つ相談支援と居場所づくりだった。

そこで東京都新宿区の超高齢化地域に、
2011年に開設されたのが「暮らしの保健室」。

誰でも予約なしに無料で利用できる場である。

看護師・介護士等の専門職と多くのボランティアが相談に応じる。

手芸や折り紙等の教室も開催されており、
地域の人が立ち寄る憩いの場でもある。

暮らしの保健室公式HPより

地域の住民が絆を深めることで、
暮らしの安心に繋がっているようだ。

また医師、ケアマネ、薬剤師、看護師等々、
専門職が繋がれる事例検証の環境を整備し、
学びある場としても進化を遂げている。

秋山先生が暮らしの保健室で大切にしているのは、
悩みを肩代わりするのではなく、
自分で考え、自分で決められる、
もともと持っている力を引き出すということ。

現場のスタッフに対しても然り。

大切なのは、
一人一人が自立して自発的に考えられること。

みなが育ちあい、育てあい、活かしあう。

この暮らしの保健室は、
地域づくりとして、
2017年度のグッドデザイン賞を受賞した。

 

モデルは温もりあるイギリスのマギーズセンター。

暮らしの保健室にはモデルがある。

イギリスにあるマギーズがんケアリングセンターだ。

ガン患者と家族のためにうまれ、
全て寄付で賄われている相談支援センターで、
オープンかつ家庭的な空間に医療スタッフなどが常駐している。

いつでも気軽に訪れることができ、
訪れた人が自分の力を取り戻し、
自ら生き方を選んでいけるようサポートする施設である。

秋山先生は「そのマギーズを日本にも!」と、
活動されていた第一人者で、
2016年にマギーズ東京を設立した。

マギーズ東京公式HPより

医療や調薬等、様変わりが激しいなか、
がんの治療は外来が多い。

病院は常に混雑し、医療者との接点も少ないため、
がん患者とその家族は大きな不安を抱えているという。

マギーズ東京では、
イギリスのマギーズセンター同様に、
予約なしで無料で常駐する医療スタッフに、
相談することができる。

陽だまりと木の温もりを感じられる、
オープンなカフェのような建築なのも特徴である。

患者ではなく人として、
悩みを気さくに話すうちに心が軽くなり、
自分自身でものを考えられる力を取り戻す。

病院でも家でもない小さな家庭的な居場所。

 

視線の先にあるもの。

秋山先生の足跡がギュっと凝縮された2時間に、
ビシビシと伝わってきた覚悟と熱意。

視線の先にあるのは、
患者とその家族のみならず、
地域、そしてチームとして関わる全ての人。

▲photo by faith

最後に聴講席から質問が出た。
「現場のチームを取り纏める為に心掛けていることは何ですか?」

秋山先生は仰った。
「纏めていないんです」と。

沢山の人を巻き込み、
目指すは最期まで生ききることが出来るよりよい社会。

今、全国で、秋山先生に感銘を受けた多くの同志が活躍をし始めている。

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講演の後、秋山先生に声をかける一人の女性がいた。

「実はもう看護師を辞めようと思っていたんです。でも今日、秋山先生のお話を聞き、もう少し頑張って続けよう、そう思いました。」

 

浄土真宗 本願寺派 善西寺
住所:三重県桑名市西矢田27-2
電話:0594-22-3372
FB  :https://www.facebook.com/zensaiji987/


 

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