ホーム 00秋 全貌は誰も知らない….江戸時代から続く謎行事「お月見どろぼう」がもはやロマン

全貌は誰も知らない….江戸時代から続く謎行事「お月見どろぼう」がもはやロマン

お月見泥棒って知ってますか?

桑名に移住した当初、地域の人に「お月見どろぼうで余ったから」とお菓子を頂いた。

「え?なんですかソレ」と驚くと、逆に知らないことに驚かれた。

そういえば、スーパーにも「お月見どろぼう用菓子」コーナーが。
泥棒用に菓子が売られているってどういう事?と思ったもんだ。

あれから約10年。
いつの間にか普通に受け入れていたお月見どろぼう。

「うちの子がお月見どろぼうでさ」という話を聞いても、もう驚かない。

が先日、津の人に「え?なんですかソレ」と驚かれ、逆に知らないことに驚いた。

え、桑名だけなの?

 

図らずとも、お月見泥棒調査はじまる

桑名市内の2つのお寺さんに聞いてみた。

善西寺の住職さんと教覚寺の坊守さん

お月見どろぼうとは、十五夜に子どたちが、「お月見ちょうだい」や「お月見つかせて」と言いながら地域をまわり、お菓子をもらう風習。

もともとは、お供えのお団子や里芋をスッと盗る(つく)もので、一説では子どもは月の使いとみられ、お供えがなくなると縁起が良い(豊作)と考えられていたとの話も。

三重県では、桑名・朝日町・四日市あたりの北勢エリアの一部に残っているよう。

とはいえ、それも曖昧。

 

ーー何をするんですか?

善西寺「玄関先に並べたお菓子を、子どもたちが取っていくのが定番ですね」

ーーどこの地区がやっているんですかね

教覚寺「どうかしら。なんとなく、うちの日進地区はあるということくらいしか。桑名だと福島や江場あたりもあるって聞いたことあるような」

善西寺「道路をはさんで、こっち側はなくて、あっち側はあるとかありますね」

 

ーー地区内では全ての家がやっているのですか?

教覚寺「お家によってそれぞれね。やってたり、やってなかったり」

ーー何をいくつくらい準備するのですか?

教覚寺「お家によってそれぞれね。20個だったり、50個だったり、駄菓子だったり、ジュースだったり」

娘さんが小学校時代にもらったお月見泥棒のお菓子

ーー旗ふり役というか、取りまとめがいるんですかね?

教覚寺&善西寺「誰も。どの管轄下でもないですね」

 

聞けば聞くほど、全てがふわっと。
なんとなくが脈々と続いているのが分かってきた。

そんななんとなくに、子どもたちは「あっちいってみよう、こっちいってみよう」と経験値と情報交換で探し当て、回るらしい。
まるでロールプレイングゲーム。

「おばあちゃんがお嫁に来た時に、お供え団子が知らぬ間になくなって驚いたと言ってたわ」
との証言もあったため、昭和10年頃にはあったと考えられる。

気になるではないか。

 

数珠つなぎの調査は続くも、謎深まる沼

創業約50年の和菓子屋の店主(70代)を訪ねた。

幼少期からお月見どろぼうを経験されており、今は子どもたちに、お菓子を渡しているそう。

「子どもが喜ぶのが嬉しいし、地域の文化やでな」
と笑顔で仰っていた。

その後も、役所やPTA、福祉関係者や長老など、地域の人たちがどんどん紹介して下さり、数珠繋ぎのヒアリングリレー。

「子どもの頃、色んな家に突撃ピンポンしてた」
「コロナ前までは手作り団子を用意してたよ」
「ちらし寿司出してくれるお寿司屋さんがあった」
「娘はリュックがお菓子でパンパンになるのが嬉しかったみたい」
「ありがとうがない!と怒る大人に遭遇したことがある」
「回るのは学区内だけ!と学校で注意があった」

と、幼少期にお菓子をもらっていた時の想い出、お菓子を提供してきた中での原体験、自分の子どもたちのエピソードなど様々な証言が出てきた。

しかし、全貌を把握している人はゼロ。
わかったようで、何もわからない沼。

ちょっと心折れそうになりつつも、飲食店でお月見泥棒の話をすると、大人たちが楽しそうに思い出話をしてくれる。
なんなら知らない人も話題に入って来るほど盛り上がる。

この熱量はやっぱりいいな。

 

もしかしたら歴史にヒントがある?

生き字引とも敬される桑名市博物館の元館長(現歴史専門官)大塚さんを訪ねた。

桑名市博物館元館長の大塚さん(現歴史専門官)

月見の夜に限って供え物を盗っても良いというお月見泥棒は収穫祭。全国の農村地帯に多い行事ね」

ーーなぜ収穫祭で泥棒なんですか?

大塚さん「子どもは天からの授かりもの。供えた団子や芋を、将来ある子どもたちに盗られるということは、収穫ものびて縁起が良いと考えられていたようね」

 

ーーいつからあるんですかね。

大塚さん「お月見はもともと武家や貴族階級の行事。お月見泥棒は庶民の概念なので、おそらく余裕が出てきた江戸時代中頃じゃないかしら」

ーーここまで色んな人にお話うかがったのですが、全貌を知る人がいなくて….

大塚さん「それはそうよ(笑)」

 

ーーなぜ三重県の北部は残っておる地区が多いのですかね

大塚さん「わからないけど、江戸時代の絵図をみると、羽津・桑名・朝日・川越・四日市などの一部から伝播して残っているのかも。今でこそ行政区分は色々ですが、三重県史にはどこの藩領だったという資料があって、旧桑名藩領というのが何か関係があるのかもしれないわね。基本は農業が盛んな地域に根付く文化。なので城下町はやっていないわね」

ーー地域によってやり方も全く違いますよね。

大塚さん「そうね。昔は団子や餅は記念すべき日しか食べられない貴重なものだった。それを子どもたちが奪い、その場で食べるのが規則。畑の特定1列だけの芋を盗るなど、地域によって違うようね」

 

ーーお月見ちょうだいと呼ぶ地区もあったのですが

大塚さん「近年になってからは、泥棒という言葉が相応しくないということで、行事が禁止になったという話もありますね」

 

歴史からお月見泥棒の背景が紐解かれ、誰に聞いてもわからないことが理解できてきた。

 

管轄がないからこそ

ここまででわかったのは、とにかく明確なルールはなく、誰も管轄していないということ。

そして子どもたちは、情報を言伝しあい、高学年生が低学年生の面倒をみあい、純粋に行事を愉しんでいる。

管轄なしで続いているのがすごい!と思っていたけれども、実はリスク管理で身動きできなくなる現代においては、管轄しないからこそすり抜けられ、持続可能になり、むしろ時代に合っているのかもしれない。

「子どものことやで」とお寺さんが仰っていたのが蘇る。

受け継がれてきた根底には「子どもは地域が育てるもの」という温かさ。

桑名では、今年、一部の大人たちが、お月見泥棒を復活させようと動きもある。

ただ大人が旗を振り過ぎると、大人のルールとなり、大人の事情によって絶える。
その儚さも自覚しながら、想いは「どうしたら子どもが喜ぶかな」と地域の子どもたちとの関わり方。

脈々と続いてきた文化を絶えさせないように。
子どもたちが楽しく過ごせる地域であるように。
将来この地域での思い出をいきいきと話せるように。

絶妙な距離での寄り添い方を模索する大人たち。

これから長い月日が流れたその時には、お月見泥棒はどんな文化になっているのかな。

謎行事お月見泥棒。
今年は9月17日(中秋の名月)です。

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