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全ページ袋とじの本「Inside Out」。最後に顔が見える不思議なアートブック。

坊主頭にヒゲづら。
オーバーサイズのシャツとパンツ。
金のネックレス。

こわそう、と思う。これは日本だけでなく世界の多くで共通の認識なのだそう。何十年か前に、体格の良い日本代表の高校球児たちが坊主頭に学ランで米国に遠征したとき、現地の人が怖がったという笑い話もある。

恐怖や危険を感じる先入観は、ときに身を守るために必要だと思う。しかし見た目による先入観にとらわれ過ぎることは、人の内面を知る際にじゃまになることもある。言葉では言い表しにくいそんなニュアンスを、爽快に表現したアートブックをご紹介します。

 

Inside Out

この本には30の国と地域から59人が掲載されている。

全ページ袋とじの仕様になっていて、折り目を切り開くまで掲載されている人の顔は見えない。

登場するすべての人に同じ質問を投げかけていて、それぞれの思い出や考え、想いなどが綴られている。
それらを読み切ったところで、折り目を開き顔を確認する。
はじめに想いに出会う、というコンセプトの本。

質問は
1 今まで一番辛かったことは?
2 どうやってそれを乗り越えましたか?
3 今一番欲しいものは?
4 それはなぜですか?
5 最近一番感情が動いた出来事は何?
6 あなたにとって何が幸せですか?
7 明日の予定は?
8 10年後、どこでなにをしていますか?
9 今の日時を教えてください。
10 これを読んでいる人に何か一言お願いします。
という項目。
本の最後には自分で書き込む袋とじページが用意されている。

いくつかのページの質問と回答を読み、実際に折り目を開いて顔写真を見た。

年配の人と思って開いたら意外と若かったり、その逆だったり。
質問の答えがネガティブなのでどんな人かと折り目を開けば、明るく元気そうな人もいた。

inside outを制作したのは三重県出身在住の葛西博実さん。
中学校の美術科教員、グラフィックデザイナーなどの仕事をしている。
本についてうかがうと「そもそも私自身、見た目に自信がないです」とはにかみながら話す。

この本に登場する国内外の人々は、葛西さんがデンマークに留学していた時に出会ったり、その友人に紹介してもらった人も多い。
そして葛西さんは留学先で感じたことがあったという。

葛西さん:どこの国の人だから友だちになるとか、外国人を紹介して、といわれたときに違和感を覚えました。そういうハードルはいったんフラットにして、気持ち良くお話ができればいいのにと思っていました。

海外ではアジア人への偏見も感じつつ、多国籍の環境で暮らしていると思うことがあった。

葛西さん:国や人種が違っても、好きなこと、興味のあることはあまり変わらないんだなと。人間、そんなに違わないものだと思いました。

本を半分ほど読み進めた当たりで、それぞれの答えが似ていることに私も気がついた。特に最初「今までで一番辛かったことは?」という質問に対して、大切な人との別れ、勉強や仕事での失敗などを挙げる人が多かった。そして「それをどう乗り越えたのか?」という質問にも、家族の励ましや時間の経過などの答えが多かった。人間、そんなに違わない。

本を読み終えるころ、全59名の人生の一部垣間見ていると、なぜだか少し元気が出てきた。
いわゆるメディアに掲載されている何か特別なことをやり遂げた人のインタビューでもなければ、歴史上の偉人の話でもない。語弊を恐れずに書くと世界の各地で、普通の暮らしを営む人たち。

葛西さん:誰だって苦しいことを乗り越えてきて、それが考えや哲学になっています。その言葉が人を感動させる。読んだ人に前向きな気持ちになって欲しくて、最後に自分のためのページをつくったんです。

60人目のページに、自分で自分をインタビューしてみる。
はずかしくて、ここには書けないが・・、えぇ。
人間、そんなに変わらないものです。

 


 

※本は一冊ずつ作者による手作りです。

詳しくはお問い合わせください。

 

地元食材にシェフが魔法をかける。物語を紡ぐ場所。ギャラリー&オステリア 絲とmichi

 津市にあったオステリア・ミチが伊賀市に移転、ギャラリー&オステリア、『絲とmichi』として、2021年にオープンしました。築60年の一軒家をみずからリノベーションしたお店は、元の家のよさを生かした素敵なつくりでした。しあわせな家の記憶のおしゃべりが、どこからか聞こえてきそうな暖かい雰囲気です。住宅街にこっそり現れる、おとなの童話のおうちみたい。

 

<11月のある日のメニュー>

soup ふき

物語のイントロダクションのようなワクワクするスープ。

里芋とゴルゴンゾーラ

デザートと見まごうようなタルトの上に里芋とゴルゴンゾーラという初めての組み合わせ。

zuiun椎茸の包み

地元伊賀市の瑞雲ファームの椎茸を使った一品。そば粉のクレープに包まれた肉厚でしっかりとした椎茸に柚子の香りがほんのり。

蛸の煮込み

まるでおでんのふりをした蛸。紫キャベツのザワークラウトとパセリソースでイタリアン。

燻製鰯とフェンネルのスパゲティーニ

とよさ豚のロースト セージのクリームソース

完全自社配合した飼料で育てられた伊賀市のブランドポーク、とよさ豚のロースト。とよさ豚は「ひとと同じご飯を食べている」そう。庭のセージを使ったソースが甘みのあるお肉にぴったり。

自家製パン

竹炭入りのパンは庭の大きな石をモチーフにしている。パンにも物語が宿っている。

ティラミス

珈琲or紅茶

茶菓子

 素敵な器で提供されるのは、自家製の野菜や地元の素材を生かし、アイデアと、不思議な魔法がかかったような料理の数々でした。

 ていねいに編まれた物語を読むような時間を過ごすことができる、そんなお店です。

絲とmichi

住所:〒518-0836伊賀市緑ヶ丘本町1709-2
TEL:059-223-1168

※予約制のため、お店にお問い合わせください。

<7月のある日のメニュー>

とうもろこしのスープ/ファーマーズキタガワのエコスイート/ファームの景色’茄子と無花果/ボンジョルノのフレッシュトマトスパゲティーニ/とよさ豚のロースト シェリービネガーと珈琲スパイス/ナッツとドライフルーツのカッサータ/酒粕とパイナップル/珈琲or紅茶/茶菓子

これからの尾鷲について、世古米穀店と一緒に考えてみた。

高齢化は日本全国ですすんでいるけれど、特に一次産業が盛んな街や田舎の方はそれが顕著に表れている気がする。

昭和29年に北牟婁郡尾鷲町、須賀利村、九鬼村、南牟婁郡北輪内村、南輪内村が合併し「尾鷲市」が誕生した。その時の人口は約3万3000人。

平成24年に約2万人だった人口はこの10年間で約3000人減少し、尾鷲市の現在の人口は約1万7000人。

このスピードはこれからも早くなっていくだろう。

尾鷲のシンボルともいえる、火力発電所の大きな鉄塔も昨年から徐々に解体がすすみ、今まで尾鷲が終点だった高速道路も、熊野まで一直線でつながった。

 

この街はこれからどうなっていくのだろうか?

外から見ているとどう考えても厳しい気がするけれど、ここで暮らしを営んでいる人はどう思っているのだろう。

最近ちょくちょく尾鷲に足を運ぶ機会があり、今まで尾鷲、熊野、紀北の順番すらわからなかった私が、そんなことを考え始めた。

そのタイミングで尾鷲市にある「世古米穀店」がSNSで「玄米とカレーの動画に出てくれる人いないかなー」と、募集していた。

玄米好きな私と、カレーは飲み物というogurock。2人で顔を見合わせ「出たいです!」とメールを同時に送ったのだ。

つぶやきの当の本人はこちらの奥さま。

お話を聞いた世古米穀店の三代目、世古大介さん・ミサキさんご夫婦。

世古米穀店は大介さんのおじいさんが昭和33年ごろに創業。

現在は二代目の世古博道さんと、大介さんが中心となりお店を盛り上げている。

お店に入ってすぐ、自社で精米したお米がずらり並び、その奥にはオリジナルのお米ギフトも。

日本酒やビールなどのアルコール類、調味料もたくさんあり、レジ前には子どもたちがワクワクする駄菓子のコーナーも。

まずはお店こだわり、あれこれ聞いてみました。

 

・「自家精米」とは?

世古米穀店は日本各地から玄米の状態でお米を入荷し、自家製米している。

玄米から胚芽やぬか層を取り除き、見慣れた白米にするこの工程、自分たちでコイン精米機にかけるのと、なにが違うのだろう。

 

世古米穀店では精米をする前に、機械を使い玄米にまぎれている小石などの異物や、未成熟米を除去している。そうすることで精米した後のお米の粒が揃い、炊き上がりがふっくらするのだそう。

白米になってからのお米は酸化のスピードも早いので、いつ精米・パッケージングされたかわかる安心感が嬉しいですね。

また玄米と白米の間「分づき米」も選べますし、少量から量り売りにも対応してくれます。気になる品種を食べ比べ!も楽しそうですね。

 

・世古米穀店は市内唯一の「お米マイスター」がいるお店。

お米マイスターとは、いわばお米の博士号とも言える資格。

ひと口にお米といっても、その品質や特徴は千差万別。

お米マイスターに聞けば、冷めても美味しいお米や歯ごたえのあるお米、玄米のおいしい炊き方など「ごはん」がもっとおいしく食べられる!

世古さんにお米マイスターになって良かったことを聞くと、知識が増えたこともひとつですが、意外にも「生産者の方と、同業者の方と繋がりができたこと」だそう。

土地柄的にも、なかなか生産者や同業者の方と繋がる機会がなかったそう。お米マイスターになったとこで、仕入れることができるようになった品種も増えたり、仕事の相談ができる仲間が増えたのだとか。

以前に、なんと北海道からお米の生産者さんがお店を訪ねて来てくれたそう。

わざわざ三重県のこんな端っこまで・・

でも、そんな行動力を持った人が作っているお米ってどんな味なんだろう。作ってる人の顔や性格がチラリと見えると、何も知らなかった時に比べ興味が倍増します。

(その話を聞いてこのお米を買って帰ったことは内緒。)

 

・オリジナルブレンド米『魚に合う米』って?

こちらは色んな品種のお米の味や食感を知っている大介さんが、季節により常時2~3種類の品種をブレンド、精米したオリジナルのブレント米。

コロナ禍になって、活気が少なくなってきた地元の街を見ていて「ウチができる最大限ってなんだろう?」と、考え、地元の美味しいもの=魚をもっと食べてもらいたい!というコンセプトで創り始めたそう。

確かに先日このお米を購入し、「いざ!」と意気込んでお刺身にしらす、鰤のカマをおかずに実食した我が家。

尾鷲産のお魚だったか定かではないにせよ、まんまと大介さんの目論見どうりの行動をしていたわけです。笑

ogurock渾身の魚料理!

 

・林業と魚の街、尾鷲にある米屋を継いで行こうと思った理由

小さい頃から、このお店を守っていく!という心構えだったのですか?と聞くと、実はそうでもなかったらしい。

大介さんの記憶に残るのは、小さい頃、年末になるとおじいさんの運転する車に乗りながら配達を手伝っていた光景。

その頃から、おじいさんやお父さんは『地元の人の足になれ』とよく言っていた。

就職し尾鷲を離れていた大介さん、その時の幸せな記憶が、尾鷲へと帰る理由のひとつとなったそう。

 

小さな店員さんも忙しそうにしてました。

「お米」は主食と言いながら、おかずを引き立たせ、サポートする食材。

お肉、お魚・・何にでも合うし、一緒に食べるとよりおかずがすすむ。(確かに焼肉とか、回鍋肉とか特に・・!)

そんなお米を売ることは地元の人をサポートすること。

その言葉の通り地元の人が喜ぶもの、あったら便利だと思うものを揃えていった結果が、お米以外のお酒、調味料、東紀州のうまいもん、ゴミ袋にティッシュ、駄菓子などたくさんの品揃えに繋がっていったのだろう。

 

そんなお米のように役割を持ち、一緒に色んなことができるような人になりたいと大介さんは言う。

いるだけで安心感があって、周りの人がいつの間にか笑顔になっている。ぐいぐい引っ張っていくタイプではないけど、いてくれるとその場に調和が生まれる。

地元の人に愛されるお米屋さんの三代目は、

地元の以外の人もわざわざ会いにいきたくなる人でした。

・10年後の尾鷲、どうなっててほしい?

最後に聞いたこの質問、少し考えてから

「若い人が自由にチャレンジできる街」と。

「子供も少なくなり、学校もどんどん統合されていくけれど、その子達が大きくなって『地元になにもない』と思うのではなく、『地元ならなんでも挑戦できる』と思えるような街になっていてほしい。

もちろん、僕はそれを後押しできるような人になってたいです。」と、話してくれました。

 

あの方のサインをはじめ、店内はリスナー仲間が置いていったものがたくさん。

ちなみに大介さん、実はFM三重のヘビーリスナー。

私もラジオをよく聞くが、ラジオネームを聞かない日はないほど。笑

そしてYoutubeでお米について発信する動画は奥様、ミサキさん担当。

今回私たち夫婦が出演させていただいたYoutubeも、撮影から編集まで1人でテキパキこなす、すごい人。

玄米を始めてみたい人への入門編動画と、記事内でも紹介した「魚に合う米」を実食した動画はこちらからご覧いただけますよ。

この画像気に入りすぎて、使わせていただきました。笑

 

 

 

海も山も近くて自然がいっぱい。

おいしいお魚もたくさん。

ご飯を食べにだけ来るのは少し遠いけれど、

こんなに面白い人たちに、また会いにきたいな。

美味しいご飯を食べて、ゆっくり温泉につかり、小旅行気分でなら

少し遠いと感じていた道のりも、楽しみなドライブウェイへと変わる。

さあ、あなたも今の尾鷲を見に行きませんか。

 

 

photo by ogurock

世古米穀店

三重県尾鷲市中央町5−15

TEL:0597-22-1317

ホームページはこちら

instagram:@seko_kome

ローカルスーパーが楽しい!サンバードコトブキの鮮魚売場にワクワク

旅行などで海外に行ったとき、その地のスーパーに立ち寄るのが楽しみだったりします。その土地の生活を感じられる品揃え、見たことのないフルーツに驚いたり、日本製インスタントラーメンのパッケージデザインの微妙な違いなど、何かと発見があります。

私が暮らす三重県にも様々なスーパーがあり、ローカルに行けば行くほど、どこか懐かしい雰囲気を醸すローカルスーパー。今回は、三重県度会郡南伊勢町(旧南島町)にあるローカルスーパーをご紹介。

津市を出発して高速道路で尾鷲方面に向かい、牛乳で有名な大内山ICを下り、海沿いの道を志摩方面に走ります。

危ない!クルマがああー!というトリッキーな店構えの鈑金屋カトウボデー。

店主に理由を聞いたところ「車の修理をする鈑金屋であることを、分かりやすく伝えるために考えたらこうなった」とのこと。なんともパンチが効いた表現なのです。

ここは南伊勢町村山という地区です。
ちなみに私の名字も村山なのですが、そんなどうでもいいことは置いといて、村山の言われが書いてあるので読んでみました。

とのこと。村山村・・。
「上から読んでも山本山。下から読んでも山本山」でお馴染み「山本山」系です。さて、この看板から少し行ったところに、ローカルスーパー、サンバードコトブキがあります。

またまたどうでもいい話なのですが、私の家業は印刷屋で屋号は「寿印刷工業」といいます。村山にあるコトブキ・・。ワタクシ的には、偶然出会った人が同じ誕生日だったくらいに、勝手に親近感です。

では、三重県で一番の漁獲量を誇る南伊勢町のローカルスーパーを探訪!

入り口には南島産の炭が売っています。黒潮に沿った温暖な地域である九州、四国、和歌山、そして三重のリアス海岸沿いには原料となる木が自生するため炭の文化があり、数年前に南伊勢を舞台に映画にもなりました。

多肉植物も販売中。

店内に入ると野菜コーナーには地元のものも多く陳列。その先の鮮魚売場へ。さすが港町だけあり、販売面積がほぼ一匹丸ごとの魚。

しかも地元産でめちゃくちゃ安い。

お店の人に聞いたところ、店の近隣にある方座浦、奈屋浦、贄浦などの港に直接入札に行っていて鮮度も良いとのこと。

ソマと書かれた魚はソウダカツオ。この地域ではソマカツオを呼ばれています。安い!

赤ヤガラも売っていました。津市民的には阿漕平治のお話に出てくる魚です。安い!

タチウオも一匹丸ごと販売。ちなみに高級魚ですが、やっぱり安い!

イガミ。始めて見ました。調べたところイガミ=ブダイで、和歌山南紀ではは祝魚としてお祭りやお正月に欠かせない食材とのこと。英名はパロットフィッシュ(かっこいい)。

きつねがつお(腹)。以前、漁を取材したときにいただきました。カツオですが身はキレイなピンク色で脂乗りが良く、味はマグロの中トロとカツオの間のような美味しさでした。(腹)と部位まで表示してあるところに港町の食文化を感じます。そして安い!

惣菜コーナーも充実していました。

お惣菜やお弁当は、ここのキッチンで手作り。美味しそうな香りが店内に広がります。

伊勢志摩の郷土料理てこね。美味しそうです!

そして印刷屋的に気になるのがチラシ。

レトロな金赤1色刷りのチラシや、手書きの感じ(右上のサンマのイラスト最高!)がいいです!

最後にお店の人にお話を聞いたところ、サンバードコトブキは先代のおばあちゃんが畳一畳から始めたお店。お弁当の仕出しなど、高齢化が進む地域の需要にも応えているとのことでした。

旅行や仕事で伊勢志摩を訪れたら、少し足を伸ばしてローカルスーパー探訪を楽しみませんか。

 


 

サンバードコトブキ(吉津店)
度会郡南伊勢町村山1119-2
0596-76-1309

 

三重県伊賀市に「みんなの居場所」を作りたい!倉庫をレッスンスタジオに改築中

「コロナに背中を押されました。学校の体育館や公民館も使えない。活動場所がどんどんなくなっていく中で、自らスタジオをつくるしかない!って」

稲垣智子さん。伊賀市内で経営するバー「クアトロNo.4」でお話を伺いました。

そう話すのは三重県伊賀市でダンス指導などを行っている稲垣智子さん。3児の母であり、夫とともにバーを経営しながら、自身はダンス&ダブルダッチのサークルを主催し、フィットネスのインストラクターや、伊賀市の介護予防運動リーダー養成講座の講師も務めるパワフルウーマンです。

愛知県名古屋市出身。10代のとき「夜のクラブ活動」でダンスに出会い、「24時間踊っていたかった」というほど夢中になり、ほぼ独学でストリートダンスのキャリアを重ね、コンテストでも多数の受賞歴を持つ稲垣さん。25年以上ダンスを続けてきた理由は「好きだから!」と笑顔できっぱり。

伊賀鉄道「上野市駅」前広場。手前に俳聖・松尾芭蕉像、奥に上野城が見えます。

夫の実家がある三重県伊賀市に移り住んだのは10年程前のこと。

「私はどこでも生きていける人間なので、いいんじゃない?って感じで」伊賀での暮らしをスタート。夫婦でバーの経営をはじめた一方で、伊賀でもダンス活動を続けてきました。

現在は、主催するサークル「FiveDance&DoubleDutch」の週3回の活動に加え、週5日はフィットネスのインストラクター、その隙間で伊賀市の介護予防運動リーダーの養成を行っています。「下は4才から上は90才くらいの方まで、幅広い年齢の方に関わらせてもらってます」。

2021年11月にサークル活動のなかで開催した「芋掘り」の様子(提供写真)

稲垣さんはサークル活動をするときに大切にしていることがあります。「ダンスやダブルダッチの技術的なことはもちろん大事ですが、『人として成長できる場所』でありたい。子供たちには心身ともに元気でいて欲しい。だから春は田植え、夏は合宿、秋は稲刈りや芋掘りなど、自然とふれあえる体験や、異年齢交流を積極的に取り入れています」。

挨拶をする、靴を揃える、荷物の整理整頓、思いやりを持って人に接するなど「サークルの仲間とのやりとり、活動のなかで、当たり前のことを当たり前にできる関係を築いて、何かに熱中する楽しさ、好きなものに出会える経験をたくさんして欲しい」そんな想いで活動を続けてきました。

■コロナ禍で環境が激変

小学校の体育館を借りての練習風景(提供写真)

しかしそんな活動にもコロナが大きく影を落とします。「長年、学校の体育館や公民館をお借りしてサークル活動を続けてきましたが、コロナの影響でどんどん使えなくなり、この2年間は練習したくてもできない日々が続いています。青空の下で練習することもありましたが、冬は寒いし、夏は暑い・・・。大会に向けて頑張る子たちが練習する場所がなくて・・・」。多いときは50名いたサークルのメンバーも今は30名程に減りました。

FiveDance&DoubleDutchのメンバーで出演したステージの様子(提供写真)

「めちゃくちゃ悩みました。いつかは持ちたいと考えていた自分のスタジオがあれば、子供たちの練習場所を確保できる・・・けど、コロナで収入が激減している今、正直、キツイ・・・」

そんな稲垣さんのところには、同じようにコロナの影響を受けている幅広い世代からいろんな声が届きました。運動する機会が減った、サークル活動ができない、仲間と集えない、楽器の練習を思う存分する場所がない・・・などなど。

そんなとき、偶然、イメージに近い物件に出会い、予算交渉の末「なんとかなりそう」な額まで折り合いが付きました。「もうやるしかない!」と腹をくくり、改築のための金策に動き出します。「融資も受けますが、クラウドファンディングにも挑戦中です。あきらめないで、今できることをやってみようと思いました。わがままなお願いだと思いますが、皆様の支援で、私の背中を押して欲しい。伊賀に、いくつになっても自分らしくいられる場所、『好き』『楽しい』に出会い繋がれる場所をつくりたいです」と、熱い思いを語ります。

三重県伊賀市緑ヶ丘本町にある物件。この倉庫を改築しスタジオとして今年5月オープンを目指します。

改築予定の物件は2階建ての倉庫。まずは1階をダンススタジオとして改築し、予算に余裕があれば2階を完全防音の音楽スタジオにする構想です。主催する「FiveDance&DoubleDutch」の活動拠点としてだけでなく、子供から高齢者まで幅広い世代に利用してもらえるような場所であり、さまざまな文化にふれあえる楽しい基地のような拠点にしたいという思いを込めて「Culture Base Five」と名付け、2022年5月のオープンを目指して奮闘しています。

サークル活動用のTシャツはメンバーの子供たちがデザインを考えて選んだもの。このTシャツの黒バージョンはクラウドファンディングのリターンにもなっています(提供写真)

「生きにくい世の中で、なかなか自分らしくいられず小さく目立たなくしようとしている子どもたちにたくさん出会ってきました。ダンスやダブルダッチを通じて自分が解放できたり、自分らしく生きるっていいじゃん!って感じてもらえたら嬉しい。学校や家庭以外での「居場所」となるような環境をつくりたい。「Culture Base Five」がジャンルや目的、年齢層もバラバラな点と点を結ぶ場所になれたらいいなと思っています」


Culture Base Five(ダンススタジオ・音楽スタジオ)

三重県伊賀市緑ヶ丘本町1703-2

2022年5月OPEN予定

\3月末締切/改築のためのクラウドファンディング

Five Dance&DoubleDutch Facebook


 

目的地は「非日常」!松阪市飯南地区で心を潤すショートトリップ

香肌峡が有名な松阪市飯南地区。自然豊かな山間の町にいわゆる「映えスポット」がたくさんあると聞いてびっくり。飯南と言えば、広大な自然を堪能する場所だと思っていました。
お話を聞くと、歴史あるお寺や道の駅、巨大なアートにおしゃれなカフェなど、日常を少し離れてリフレッシュできそうなフレーズばかり。
退屈な日常にちょっとアクセントがほしい、そんな時にぴったりのショートトリップです。

思いついたらすぐ行ける、近場で楽しむ「非日常」をご紹介します。

 

夫婦の滝に癒される「大石不動院」展望台もおすすめ

まず最初に訪れたのは、「大石不動院」。国道166号線沿いに建つ、歴史あるお寺です。

建立は弘仁3年(西暦812年)、なんと1210年も前だそう。

今回、普段は入ることができない本堂の中を特別に見せて頂きました。

奥に祀られているのが、不動明王。

弘法大師がこの地を訪れた際に造ったと言われる石仏です。

普段は本堂の外側から参拝できるそうです。
ちらりとみえる不動さん。よく目を凝らして見てくださいね。


年次行事の際に使われる護摩行のお道具も見せていただきました。


お行儀よく並んだ小さな器の中に、護摩行で使う、胡麻やお米などの供物が入っています。

「お料理みたいですね」と思わず小学生のようなことを口走ってしまったのですが、住職さんは「そうですねぇ」とおだやかな笑顔を向けてくださいました。やさしい。

 

国道から見える県内唯一の滝「不動滝」

本堂を出ると、水音が。

本堂の次に案内して頂いたのは「不動滝」通称「夫婦滝」と呼ばれる二股に分かれる滝。元々は一本の滝だった不動滝。420年前に本堂を建立した際に当時の人々の手によって、二本に分けられたのだとか。

国道から見える滝は県内ではここだけ。写真を撮りに来られる方も多いいわゆる「映えスポット」です。

こちらは滝のそばにあるむくの木。

昔、顔にこぶができてしまった人が、この木に「コブが取れるように」とお祈りしたところコブが取れたという言い伝えが。そんなご利益にあやかりに訪れる人もいるそうです。

その他にも、滝に打たれて頑固な蓄膿が治った人がいたりと、滝にまつわる言い伝えがたくさん。

なんだかお話を聞くほどパワーを頂けそうな気持になりました。
申し込みをすれば滝修行もさせていただけるそうなので、ここぞというときには打たれに来たいと思います。あやかりたい。

夏場は子どもたちが水遊びに来ることも多いそうです。
滝のそばには小さな東屋もあるので、涼を楽しんでひと休みなんて休日もいいですね。

 

絶景に臨む展望台

夫婦滝を堪能した後は、展望台があるということで、石段をてくてくと。

上りきると弘法大師坐像と薬師如来坐像をお祀りした大師堂が。展望台の前にご挨拶に立ち寄ります。

天保四年(1833年)建立の大師堂

敷地がとても広いので、春や秋は散策も気持ちよさそうです。
敷地内には他にも太宰府天満宮のご神体の一部を拝領した天満宮など、お社がいくつか点在しています。
自然を満喫しながら参拝をして、ぶらぶらと頂上を目指します。


見事な景色!勾配が思ったよりきつく、少し息が上がりましたがこの景色に疲れを忘れました。
香肌峡が見下ろせる大絶景。

ベンチに座ってちょっと休憩。
なんだかとっても遠い所へ来たような、非日常のひとときでした。

 

お茶うどんを召し上がれ!道の駅「茶倉駅」

お昼は道の駅「茶倉駅」で頂きました。

大石不動院を出て、さらに飯南方面へ車で5分ほどで到着です。

オリジナルメニューがたくさん並ぶ中、お茶が練り込まれているという、お茶うどんを頂きました。

飯南は県内でも有数のお茶の産地。周辺には茶畑が多く見られます。

お茶うどん

お得な「お茶うどんセット」これだけついて、850円です。みんなが大好きな天ぷらもついています。

つるんとしたのど越しで、コシのある美味しいおうどんでした。甘く煮しめた椎茸が肉厚でいいアクセントに。
後味にこうばしいお茶の香りがとってもさわやか。

その他にも、しし煮込みうどんや、味噌カツ丼など、ボリュームあるメニューがたくさん。

しし煮込みうどん
しし煮込みうどん850円

平日限定10食というしし煮込みうどん。地元の猟師さんが獲ったいのしし肉が使われることが多いのだとか。
飯南町の老舗旅館「待月」さんとのコラボレーションメニューとあって、スタッフ自慢のメニューのひとつ。

味噌カツ丼
味噌カツ丼 800円

こちらは味噌カツ丼。ボリューム自慢の800円!お得!
こちらも「待月」さんのお味噌を使用しています。

他にも、ちょっとしたお土産や、地元で採れたお野菜の販売もあるので、ふらりと立ち寄ってみてくださいね。

地域の食べ物は見ているだけでわくわくします。旅の醍醐味です。

 

手作り感あふれる巨大モニュメント!渾身の稲わらアート

飯南下仁柿地区、道の駅「茶倉駅」から美杉方面へ10分ほど車を走らせると、のどかな山間の田園風景の中に突如現れる巨大ななにか。


なにかがこちらを見て微笑んでる。

なんなの。


思ったよりめっちゃ笑ってる。


とっても朗らかなお顔!

 

見上げるほどの大きな体で満面の笑みを浮かべるのは、地域の方が造った「稲わらの巨大モニュメント」。平成28年から始まった「稲わらアート」は毎年1月頃に出現し、5月頃まで飾られているのだとか。

例年モチーフを変えて制作される「稲わらの巨大モニュメント」の令和4年のモチーフは「布袋尊」。

高さ6m、胴回りはまさかの11mというから驚き。

稲刈り後の稲を乾燥させて、手作業で大量に編み込んでいます。


せっかく無病息災の立て札もあるので、新型ウィルスが撲滅されるようにお祈りさせていただきました。布袋さん、よろしくね。

空気が澄んだ里山のど真ん中で異彩を放つ、巨大オブジェはなかなか見ごたえがありました。

稲わらの巨大モニュメントの手前には、趣深い看板が。黄色に大きな赤色の文字。視認性がとても高いですね。

 

豊かな香りの本格派コーヒーが愉しめる「みなまた珈琲」

美味しいコーヒーを頂けるとのことで「稲わらの巨大モニュメント」をさらに美杉方面へ車で6分ほど。

こんな山奥に、ほんとうにあるの?と思うような細い道を登っていくと、ぽつんと現れる一軒のお店。

旅の最後に訪れたのは「みなまた珈琲」。本格的なコーヒーが楽しめるとあり、口コミで人気が広がっています。

小さなお店ですが、店内には焙煎機もある超本格派。
オーナーが海外のコーヒー豆の産地でコーヒー産業に関わっていたとあって、豆の知識はとっても豊富です。

おススメの珈琲を訊ねると、その日とっておきの一杯を入れてくださいました。

毎日、豆の状態を産地ごとに把握した上でお湯の温度も調節しているのだとか。

自家製のパウンドケーキと一緒に頂きました。

すっきりとした飲み心地の、透明感のあるコーヒーです。まるでアロマを楽しむような豊かな香りにうっとり。
軽い口当たりのパウンドケーキがさらりとしたコーヒーにとてもよく合います。

店名の由来は「みんなまた来てね」という店主の思いから。

店舗の前にはドッグランがあり、また、近隣の遊歩道の整備などもコツコツと進めているそう。珈琲だけではなく、いろんな楽しみを見つけられそうです。

珈琲を心から楽しむ店主親子の様子に元気をたくさんいただき、素敵な旅の締めくくりになりました。

 

いつもの生活を少し離れて「非日常」を

松阪市街地から車で40分ほどで行くことができる飯南地区。自然豊かでアウトドアでは有名ですが、こんなふうにちょっとしたスポットを巡る旅も、とても充実しているなと感じました。

生活圏を少し離れたところに目的地を決めて、ワクワクしながらドライブする時間も素敵です。県外の往来が難しい昨今、近場に目線をぐっと近づけて非日常へのショートトリップを楽しんでみて下さいね。

 


 

大石不動院
住所:松阪市大石町4番地
TEL:0598-34-0180
HP:http://www.mctv.ne.jp/~hudouinn/index.html

道の駅「茶倉駅」
住所:松阪市飯南町粥見452-1
TEL:0598-32-2555
HP:https://chakra-village.jp/

仁柿巨大稲わらのモニュメント
住所:三重県松阪市飯南町下仁柿樋山口バス停横
TEL: 0598-32-2511

みなまた珈琲
住所:松阪市飯南町上仁柿3046

ALOHA(愛)が溢れる空間で癒しのロミロミ〜ハレミノアカ 真凪さんの想い〜

お給料よりもロミロミが勝った時、「仕事を辞めていいんだな」と思ったんです。

今回ご紹介するのは、ゆったりとしたハワイの優しい色の中に佇む、不思議な魅力漂う女性、ハワイアンロミロミサロン【Hale Mino’Aka|ハレミノアカ】の南条真凪さんです。

【Hale Mino’Aka|ハレミノアカ】完全予約制、女性限定のハワイアンロミロミサロンです。

皆さんはロミロミってお聞きになった事はありますか?

私は聞いたことはあったのですが、実はハワイのダンスか何かだと思っていました笑

ロミ「Lomi」とはハワイ語で揉むという意味があるそうです。真凪さんはそのロミロミを「手から伝わる愛」と表現しました。

私はその言葉に真凪さんの優しさが詰まっているように感じました。

癒しの空間でこころと身体のメンテナンス

 

大学生の頃からハワイが大好きだったという真凪さんは、10年勤めた会社を辞め、自宅でハワイアンロミロミのサロンを開きました。昔からの夢というわけでもないのに、何故安定した会社勤めから一転、サロンを開く決断をしたのでしょうか?

それは、真凪さん自身が体調を壊し、若い頃には感じなかった身体の不調を抱えながら、ハワイを訪れた時のことでした。

古来から伝承されてきたハワイアンロミロミに癒され、そこで「セラピストになるための話」を聞いたことがきっかけとなりました。

帰国後、色々と調べた真凪さんは会社員を続けながら一年間学んでいたのですが、無職になる不安も同時に彼女を襲っていました。しかし、「お給料よりもロミロミが勝った時」、彼女の中で起業の覚悟が出来たのです。

そこからハワイでホームステイしながら、直々に本場の師匠からロミロミの勉強をした後、この隠れ家的プライベートサロンをオープンさせました。

サロンには真凪さんが実際にハワイで購入した小物などがあり、よりリラックス出来る空間になっている

インタビューの後、私は初のロミロミ体験をさせていただくことになりました。

真凪さんの施術を求めて来られる方は、ストレスが多かったり、疲れていたり、寝ても疲れが取れない、というような方が多いのだそうです。私も当てはまるなぁ。

そして、正直、二時間があっという間でした・・・夢のような・・・

まずは丁寧にカウンセリングを受けた後で、凝りに向かってダイレクトにで押していきます。そこからは真凪さんの手の感覚でその人の滞っている箇所を、手の指ではなく、体重を乗せてで押していきます。

ハワイに伝わる自然の神様のパワーを頂きながら、触れる手の感覚で施術を行ないます。実際に施術をしてもらった方からは、「寝付きが良くなった」「体がポカポカする」という感想も多いようです。

真凪さんこだわりの「ホットストーン」は温めた石で身体の芯から温めてくれます。美肌にもいいそうです♡

体が温まることで代謝も良くなり、免疫アップも望めるとなれば、ちょうどこの大変な時代に疲れてしまった女性たちへの癒しのタイミングにもなっているのに違いありません。

真凪さんが大切に育てている植物たち

でも、そんなに長い時間施術をしたら、真凪さん自身が疲れてしまいませんか?とお聞きしたところ、

手から伝わってくるもので、エネルギーの交換をしているような感覚なんです。私も二時間楽しくて、元気になるんです。

と笑顔で答えてくれました。

サロンを始めた当初は、お客さんは来ず、なかなかガツガツと行けない性格から営業も出来ず、見えない不安と闘い苦しんだという真凪さん。

SNSも苦手でした。しかし、ホットペッパーやホームページの予約システムに取り組み始めました。

そして、身近に感じてもらいたい、どんな人なのかを知ってもらいたい、という想いから、なんとInstagramやブログ(『Hale Mino’Aka』☆笑顔日記☆)は毎日更新しています。

日常のこと、ロミロミの情報、素敵な写真や健康についての情報など、真凪さんの優しい文章は、彼女の人となりを伝えてくれます。

これからも多くの人にロミロミや真凪さんの魅力を知ってもらいたいと思い、私もこの記事を書いています。読んでくださった方、宜しければシェアしてくださいね。

 

真凪さんが身体の不調をロミロミで癒してもらった経験から、仕事や家事で疲れていたり、病気で体を壊してしまった女性たちを、元気に、笑顔にしたい、という気持ちで、不安の中でも始めたサロン。

今では、最初はロミロミを知らずにやってきた方や、噂を聞いて遠方から来てくれる方など多くの常連さんが真凪さんに会いにやってきます。

来る前よりも元気になって帰っていく人どんどん調子が良くなったと喜んでくれる人、そんな女性たちの顔を見て、真凪さんは「寄り添っていきたい」と思うそうです。

自分の体を自分以上に良く知っていてくれる人がいる、そんな安心がここにはあるのかもしれません。

ここがあるから頑張れる

あそこに行けたら元気になれる

サロンの名前はハワイ語で、「ハレ」=家、地域  「ミノアカ」=笑顔

生まれ育ったこの地の人たちに笑顔になって欲しい、そんな真凪さんの想いなのです。

 

ハワイアンロミロミサロン【Hale Mino’Aka|ハレミノアカ】

OPEN
月曜‐金曜:10時~20時 (最終受付18時)
土曜:10時~18時 (最終受付16時)
日曜:お問い合わせください

CLOSE 不定休

ご予約、お問合せはこちら下

HP:https://hale-minoaka.com/

Instagram:https://www.instagram.com/haleminoaka.lomilomi/

三重の老舗のゲレンデと言えば藤原岳みたいなので滑ってきた!

 スノボを滑るのが楽しくなって近くのゲレンデを色々まわって滑ってきたけど、だいたい行き尽くしてきたので他に楽しいゲレンデがないかなーとお友だちに聞いてみたら藤原岳にいいゲレンデがあるよと。

藤原スキー場

 

645あったそうです。。日曜日は多いときで1,000人ほどで賑わってたとか。

昭和初期にそんなに賑わっているスキー場を1人で貸しきりでスノボできるなんてなんて贅沢な遊びなんだと思って滑ってきました!

登り

昔の人と同じで板を担いで登山道を出発。4合目までは雪が無く、それ以降はチェーンスパイクをはめて登る。今の人はここまでしないと滑れないスキー場に行く人はいないから、昔の人はそこまでして滑りたいって情熱があって凄い!

朝日

日の出前から出発してので朝日に照らされて景色が綺麗。鈴鹿の山は雪山登山が大人気で、日の出前に行かないと駐車場に止めれない事態になっている過熱ぶり。

景色 景色

眼下に広がるいなべ、そして多度山と桑名方面を雪山から見下ろす。

山頂 山頂 山頂

樹氷を見ながらいよいよビークに。

 

山頂

無事山頂到着!

さてこれから滑るぞ!

ってココまでで結構エネルギー消費。

誰も滑っていないので非常に滑りやすい。目の前には桑名の町が広がっている方向目がけて滑るなんて凄くローカルな楽しみなんだろう!

4本ほど滑って下山の体力も残しておかないといけないので終了することに。

藤原スキー場で滑るのは昔の人の大変さを噛み締められる素晴らしいゲレンデですのでお勧めです。皆さんも板を持って藤原岳に登ろう!

自己責任で滑る場所ですので怪我にはお気を付け下さい。

 

神パワーを感じる松阪の御朱印巡り!レトロかわいいお守りに気分は上々!

沢山の物や情報に囲まれ、物質的な豊かさに恵まれている現代。
その反面、心の充実を感じたくなる時があります。
想像以上に長引くコロナ禍ではなおさら。

そんなとき、個人的に御朱印巡りが好きで神社巡りをすることもあります。
今回は、松阪の神社を御朱印帳を片手に巡ります。

4つの神社で見つけた、知らなかったお話やかわいいお守りたち。
そんなご参拝ショートトリップにぜひお付き合いください。

 

見覚えのある御本殿と御神木の穴の秘密

松阪神社の入り口

松阪神社の境内へ続く階段を登ると・・・

森に囲まれ緑が心地良い空間。
この森は「四五百森(よいほのもり)」。
凛とした空気感に気分が晴れます。

宮司の波多瀬さんにお話を伺いました。

宮司の波多瀬さん。

波多瀬さん:ここ松阪神社は35柱の神様を祀る神社です。元々は「意悲(おい)神社」という神社で、お稲荷さんと八幡さんの2柱を祀っていましたが、明治41年に、政府の方針により「神社合祀令」が発令され、松阪でも市内各所17の神社がここに合併し、その際33柱が加わり、名前も松阪神社となりました。

蔵には、合併前のそれぞれの神社の扁額が納められている。

御神輿も見せて頂きました。

雨竜・八重垣の2つの御神輿。

この御神輿は、毎年7月の「松阪祇園まつり」で街に繰り出すもので、ここ松阪神社と、これから訪れる八雲神社、御厨(みくりや)神社の3つの神社から、「3社みこし」として、市中心部の商店街などを練り歩きます。

元々は、松阪市内で牛頭天王を祀る4つの神社「雨竜、八重垣、御厨、八雲」から御神輿が出ていたそうですが、「雨竜と八重垣」は、明治41年に松阪神社に合併されたため、ここには2つの御神輿があります。

続いてお守りのコーナーを見せて頂くと・・・

昨今のコロナ禍では「病気平癒祈願」のお守りが人気だそう。

他にも安産祈願や健康祈願など可愛いお守りが沢山

宮司さんが境内奥の御本殿を案内してくださいました。

丸みがあって可愛らしいフォルムの御本殿の屋根。
このカタチ、どこかで見覚えのある人もいるのではないでしょうか?
実は、この御本殿、伊勢神宮外宮の「西宝殿」からそのまま移管したものだそう。

波多瀬さん:現在の御本殿は、昭和5年、今から93年前に頂いたもの。木は1000年でも持つものですから、手入れをして直しながら大事に残しています。

境内を眺めるとどっしりとした存在感の、樹齢900年を越える楠の御神木。

御神木は、樹高25m。

楠は常に青々とした葉を繁らせることから生命力があるとされ、不老長寿や無病息災の象徴。
その根元には、大きな穴が!

この穴は松坂城天守閣近くの井戸に繋がっていて、城の城下町を造り上げた戦国大名「蒲生氏郷」が敵から逃げる際に入ったのだとか。歴史ある町のロマンを感じます。

最後に、旅の目的である御朱印を頂きました。

松阪神社を囲む四五百森と、御本殿の絵柄が入った御朱印。

更に松阪神社では、月替わりの御朱印も頂けます。

季節限定の御朱印。12〜2月はサザンカの絵柄。

3〜5月は桜、6〜8月は朝顔、9〜11月は紅葉。
お正月には、500枚限定の御朱印もあります。
季節ごとにお参りして四季を感じられるのもいいなと思いました。

 

 

全国から参拝者が訪れる学業成就の神社

続いて向かったのは、松阪神社から徒歩1分の「本居宣長ノ宮」。

本居宣長といえば江戸時代を代表する国学者で、松阪市民からは「宣長さん」と親しまれる人物。

「古事記」の注釈書である「古事記伝」を35年かけて完成させた研究熱心な姿から、本居宣長ノ宮には学業成就を祈る学生さんが訪れるそうです。

人気のお守りは、合格御守。

合格御守

宣長さんは桜が好きだったことから、桜をモチーフにしたお守りも。

桜がモチーフのお守り

こちらで頂く御朱印は、御朱印を紹介する本にも多数掲載されており、全国から御朱印が目当ての参拝者も訪れるそう。

“志きしまの やまとこころを 人とはば あさひににほふ 山さくら花”

御朱印に書かれている宣長さんの詠の意味を、宮司さんにお聞きしました。

「日本人である私の心は正直であり、朝日に照り輝く山桜の美しさに、ため息が出るほど、その麗しさに感動する、やまとこころなのです」

本居宣長が提唱した「もののあはれ」を詠っているそうです。
人が喜んだり悲しんだり、美しいと感じたりする心ですね。

絵馬には、宣長さんのイラスト。
教科書で見るよりも、可愛らしい宣長さんが描かれています。

絵馬を掛けに行くと、高校合格、大学合格、国家試験合格、資格の合格など切なる願いの数々。

合格への想いが溢れる絵馬たち。

宣長さんのパワーと、参拝者の皆さんの熱気を感じると、私自身も気持ちが高ぶるのを感じました。

本居宣長ノ宮をあとにして、徒歩5分の松坂城跡から御城番屋敷を眺めました。

城跡の麓に見える御城番屋敷。

松阪の市街地は戦時中に空襲がなかったので、今も昔の街並みが綺麗に残っています。

 

 

神様が集まっている神社でレトロかわいいお守りを発見

20分程歩くと、八雲神社に到着。

伊勢神宮外宮より遷された神馬(人形)が迎えてくれます。

八雲神社は、天照大神の弟神である須佐之男命をご祭神として祀る神社。

いくつもの神社の社名があるのは、地域で管理するのが難しくなった神社や山の神が集まり、末社の神として祀られているから。「八雲さんに持っていけば、大丈夫だろう」と地域から信頼されている神社です。

お宮さんを預かる際に、それぞれの神社の鳥居も預かるため、八雲神社の境内には各神社の鳥居や扁額があります。

そのような経緯もあり、八雲神社の御朱印は、神社内の様々な神様を月替わりでデザインしたもの。

早速、2月の御朱印を頂きました。

学問の神様である菅原道真公と神馬が2月のデザインです。

続いてお守りを見ていると、気になるものを発見!

旅行安全御守。飛行機、船、電車の刺繍と鈴のレトロ感がなんとも可愛い。

宮司さん:このデザインは古いから変えやなあかんなぁ、と話に上がっていたのですが(笑)

いや、むしろこの感じがいいです!とお伝えすると、もう一つレトロなお守りを見せてくれました。

本当に縁が結ばれそうなオーラを醸す「えんむすび」のお守り。
ほんわかした2人が微笑んでいます。

ご祭神である須佐之男命の表情がめちゃめちゃ強そうな、勝守。
これなら勝てる!!(何に?)

本殿にお詣りをすると、疫病退散と蘇民将来子孫之門のお札もいただけました。

 

 

三井グループ、あずきバーの井村屋も!?

可愛いお守りに気分が上がってきたところで、最後に訪れたのは八雲神社から歩いて12分ほどの「御厨(みくりや)神社」。

実は、この看板が近鉄山田線の車窓から見えていて気になっていたのです。

御厨とは、御(神の)厨(台所)を意味し、米や麦、魚などの食材をここに集めて、伊勢神宮に奉納されていたそうです。
そのため、食材の神様としても参拝される方もいるのだとか。

御厨神社の本殿。

さっそく御朱印をいただくと、「こちらもどうぞ」と、宮司さんが災難除御守をくださいました。

木の温かみを感じる、素敵なお守りです。

他にも学業御守などのお守りもありました。
個人的なお気に入りはこれ!

お花の模様と彩りがキレイです。

御厨神社には本殿の近くに、3つの境内社があります。
順番にご案内します。

赤い鳥居は、髙春稲荷神社。
あずきバーや肉まん・あんまんでお馴染みの井村屋製菓の守り神です。
井村屋製菓の開業は現在の松阪市中町であることから、社員さんが毎年5月の例祭にも出席されるのだとか。

そのお隣にあるのが、大山祇神社。
松阪市魚町にある旧長谷川邸長谷川治郎兵衛家の守り神です。
長谷川家は松阪を代表する豪商であり、松阪木綿で大成功をしました。
食の次は衣とは・・、ご利益ご利益・・。

赤い格子がお洒落なお社は「三圍(みめぐり)稲荷神社」です。
こちらは三井グループ、三井家祖先の祈願神社。
江戸時代、松阪に生まれた商人三井高利は店先売などの斬新な商法を用い、三井グループの基礎を築いた人物。

御厨神社はそのバイタリティと、神社へのお参りを大切にされてきた歴史文化を感じる場所です。

 

 

そっと背中を押してもらう時間

神社の凛とした空気は気持ちよく、宮司さんが書いてくれる御朱印の筆先は美しい。
今を感じるってこういうことかな。
ああだこうだと、つい先々まで考えてしまう毎日。
しかし「今ここにあるもの」に引き戻してくれる場所が神社であり、御朱印を頂く時間は今に集中する時間なのかも知れません。
とてもシンプルだけど、そういう時間を持つと気持ちはクリアになる。
停滞していた思考がリセットされ、新たに巡り出せるような気がしました。

そして、この地で偉業を成し遂げた蒲生氏郷、本居宣長、長谷川家、三井高利。
その時代を生きた人が今に残してくれたものに感謝しながら、神社の神様にそっと背中を押してもらう。

想いがこもった御朱印とお守りを見つめれば、今日も明日も気分は上々なのでした。

 


 

松阪神社
松阪市殿町1445
tel 0598‐21-3689
https://matsusakajinjya.com

本居宣長ノ宮
松阪市殿町1533番地2
tel 0598‐21-6566
http://motoorinorinaga.org/

八雲神社
松阪市日野町690
tel 0598‐21-0861
https://inory.jp/yakumo

御厨神社
松阪市日野町690
tel 0598‐21-0861
https://inory.jp/yakumo

■松阪祇園まつり
https://matsusaka-gionsan.jp

【タイアップ】
松阪市 観光交流課
松阪市殿町1340番地1
tel 0598-53-4196
松阪市hp https://www.city.matsusaka.mie.jp
松阪市観光プロモーションサイト https://www.city.matsusaka.mie.jp/site/kanko/
松阪市観光インフォメーションサイト https://matsusaka-info.jp/

 

こだわりの生地が魅力的@ナポリの台所

昨年11月1日に鈴鹿市役所近くにオープンしたナポリの台所。冷めても美味しいピザ生地が人気のテイクアウト専門店です。

食べてみたところ、もっちりピザがとても美味しかったので、スタッフさんにお話を伺ってきました。

ピザへのこだわりは?

1.生地へのこだわり。
ナポリピッツァは生地が命。外側がパリッとして中がモッチリの食感。発酵時間はその日の気温や湿度に合わせて調整し、新鮮なうちに焼き上げることで、絶妙な食感のピザが出来上がります。

(こだわりの生地ですが、発酵状態や生地を伸ばす技術をスタッフが、一定のレベルになるまでには相当苦労されたようです。)

2.チーズへのこだわり。
ナポリのチーズは、選び抜いた上質な「100%ナチュラルチーズ」。上質で旨味がたっぷりつまったナチュラルチーズ本来の香り・風味が引き立つように数種類をベストな配合でブレンドしています。チーズのコクとミルキーななめらかさを存分にお楽しみいただけます。
きれいな焼き色のついた見た目も美しいピザは、ますます食欲をそそります。

3.手作り焼きたてへのこだわり。
ナポリピザの醍醐味である生地と素材の絶妙なバランスをご堪能いただくには焼きたて一番。「ナポリの台所」はご注文をいただいてから、一枚一枚丁寧にお作りしています。

冷めても美味しい生地ですが、やはり焼き立てが一番との事です。

オススメピザとお店のPRを教えてください!

初めて購入する方は何を購入しようか迷ってしまいますので、スタッフさんおすすめのピザを聞いて来ました!

スタッフの一押しはプルコギ鈴カレーピザです。当店自慢の鈴カレーピザは、地元鈴鹿産の糖度が高いフルーツのようなトマトを使用し、カレーのスパイスとトマトの甘味がマッチして絶妙なハーモニーを奏でます。ぜひ一度、ご堪能ください。

(鈴鹿市では、毎年鈴カレーグランプリを開催しており市民にも鈴カレーは馴染みがあるんです♪)

今後の目標を教えて下さい

ナポリの台所は、ピザテイクアウト専門店の就労支援B型事業所になります。ピザ作りを通じて、障がい者の方が自立した生活に向かうことを応援するだけでなく、地域の方々からの喜びの声により、生きがいを感じて働いていただくことを目指しています。今後はこのようなお店をどんどん増やしていくことを目標としています。

全国チェーン店の『ナポリの窯』の就労支援第1号店です。私たちは、『障がいのある方に一般就労に近い就労経験をしてもらいたい』という想いで誕生いたしました。利用者さまの笑顔があふれる中、個性・能力を最大限に発揮して仕事をしています。

たくさんの想いが詰まったナポリの台所。これからも応援していきたいと思います!


ナポリの台所HP
https://www.napolinodaidokoro.com/

住所: 三重県鈴鹿市神戸1-19-25 北栄ビル1階
電話: 059-389-5320
営業時間: 月~金・祝日 11:00~15:30
◆定休日 土・日

スローライフを体験する伊賀市博要地区のフィールドワークをリポート!地域おこし協力隊募集中!

三重暮らし魅力発信サポーターズスクエア事業

以前OTONAMIEでも案内させていただいたこちらの事業「自分がミエる!三重暮らしゼミナールin伊賀市博要」。(詳細はこちら
全5回のゼミ形式の内のひとつである、フィールドワークを行いました。参加者には一泊二日で中山間部にある伊賀博要地区で現地の主要箇所を舞台に、実際に地元の方と巡りながらテーマの「暮らしと移住」について考えていただきました。また実際にひとつの空き家を見学しながら、その利活用もみんなでアイディアを出し合いました。

今回フィールドワークでは博要住民自治協議会の小竹さんと、移住者農家ご夫妻(ぐるり農園・小山高人さん/萌愛さんご夫妻)に暮らしをご案内いただきました。また空き家のフィールドワークでは空き家の利活用を行い、さかさま不動産を運営する水谷岳史さんをゲストにお迎えしました。

それでは暮らし体験をリポートいたします。

 


 

それぞれが東京や大阪などのビルが立ち並ぶ場所から、山や田んぼが広がる自然豊かな三重県の伊賀市博要地区に集まりました。

▲伊賀神戸駅にある看板。

電車で伊賀神戸駅に到着後、バスに揺られること約20分。今回フィールドワークの現地である、伊賀博要地区の博要市民センターに到着。地元の人達に歓迎していただきました。

▲伊賀博要の野菜や花で、飾り付けされた入り口。

自己紹介や事業説明を含めたオリエンテーションを終え、早速地元の方々にご案内いただきフィールドワークに向かいます。

▲みんなで記念撮影。元博要小学校で今は「博要の丘」として田舎暮らしの体験場所やスポーツチームなどのキャンプとして使われている。

まずは実際に移住してきた人などに貸し出す予定の空き家を見学。

▲大家さんからどういった空き家なのか説明。

二棟に分かれており、とても空き家とは思えない立派な木造の建物。庭も広く、盆栽や小池などもあり、こんなに立派な家に住めるなんてなかなかできない経験だと思います。

▲玄関口。
▲応接間。
▲掘りごたつがあるリビング。
▲屋根裏。
▲別館の一階。
▲別館の二階。
▲庭。
▲裏の倉庫。

次に移住者であり、夫婦でぐるり農園を経営されている小山萌愛さんのご案内のもと、地元の移住者を中心に共同で畑をされている「ふるさと農園」を見学。ここではそれぞれが好きな作物を栽培できるので、様々な種類が育てられています。

▲小山萌愛さんより畑の前で説明を受ける。

コロナ禍になる前、元々はここで観光客などに対して、植え付け・収穫体験もされていたそうで、里芋の収穫時期には芋煮を振舞ったりしていたそう。新たに自分が農業をするために土地を探すのもいいが、こういった場所があると農業などにも早く馴染め、地元の人や先に移住してきた方と話したりするいいきっかけにもなると思いました。

その後は、地元の神社やお寺など、地区の主要箇所を小竹さんのご案内のもと巡りました。

▲隣にある兼好塚とよく間違えられる石碑。
▲伊賀市指定文化財でもある、徒然草で知られる兼好法師を祀る「兼好塚」。木の隣にある小さい石が本物の兼好塚。
▲常楽寺。
▲急な階段もみんな元気に登っていく。
▲種生神社。
▲極楽寺。

それぞれが歴史ある建造物で、この地域の皆さんが守り続けてきたそうです。地元の方と話をしていると、長年続く歴史を大切にし、後世に伝え残していきたい思いが伝わってきました。

今は伝統的な祭りなども、人手不足で行えないところをなんとか残していこうとの思いで、他の地域の人達にも協力してもらいながら続けられています。

▲たまたま居合わせた青山太鼓さんのご好意により、和太鼓を体験させていただきました。
▲フィールドワーク中、民家によく大根が丸々干されている昔なつかしい光景が。

最後はオンライン参加者を交えて、本日のフィールドワークを振り返りながら、伊賀博要の暮らし(テーマ:スローライフと空き家活用)についてディスカッションが始まりました。

▲参加者と地元の方。
▲左からさかさま不動産を運営する水谷さん、博要住民自治協議会の小竹さん、ぐるり農園の小山夫妻。
▲オンライン参加者。

博要地区に昔から住んでいる方、移住に興味のある参加者、実際の移住者、ゲストやナビゲーターのそれぞれの観点や思いが混ざり合い、様々な意見が出ました。

私が印象に残ったのが、移住者を受け入れる側の姿勢。移住者は仕事、住まい、生活環境などを変える高いハードルを超えて移住をします。ただ単に移住してきて欲しい、若い人が増えてくれたらいいなではなく、この地域はどんな特徴があり、どんな人が住んでいて、ここにきたらこんなことができる、というような地域の魅力を明確にしたり、それを発信して行く必要があると感じました。

1日目の終わりには地元の方々が協力して準備してくださったご飯をみんなでいただきました。

▲学校給食を思い出す、懐かしい食器やお盆。

2日目は迎春準備作業に参加しました。

まずはしめ縄を作るために集めておいた藁を整える作業。整えた後、実際にしめ縄を作成。

▲藁を整えている様子。
▲地元の方に教えてもらいながらしめ縄をつくるお手伝い。
▲今度は教えてもらいながら、自分でチャレンジ。
▲完成したしめ縄を手に写真撮影。笑顔でみんな楽しそう。
▲庭になっている柿の収穫体験。

私事ですが海の近くで育ちました。なので米を育て、その藁を使って地元の神社のしめ縄を作るのは、新鮮でとても貴重な体験。漁村ではあまり感じることのなかった、育てたものは全て捨てる事なく循環されていることが印象的でした。

次は元旦焚火材を山からみんなで協力して車に搬入。現地に着くとすでに木は切られており、山の斜面に転がっていました。なぜそんな状況になっているのか疑問に思い訪ねてみると、木は切ったすぐは水分を多く含んでいるため燃えにくくさらに重たくなるため運びづらいそうです。したがって、一年前に切っておいてそのまま乾かす。それを地元の方を中心にば次々と山からバケツリレーの要領で運んでいく。地元行事の準備も地域の人と、ワイワイと楽しむひと時でした。

▲山師さんがチェーンソーで小さく切り分けてくれる。
▲山との間にある溝を即興で木の橋を作成して乗り切る。
▲断面からいい香りがするヒノキ。

最後に地元でカフェや卓球やイベントなど様々なことができるスペースを運営されている「パティヨ」で昼食をいただきました。

▲テントの中のコタツで食べることもできる。
▲可愛いお店の新聞。

二日間という短い期間でしたが、伊賀市博要地区に暮らす方々の人柄や地域の特徴を、フィールドワークを通して知ることができた貴重な体験でした。

▼焼き芋ならぬ焼き里芋。ねっとりホクホクで美味しい。

三重の山間部にある伊賀市博要地区は自然豊かで四季を感じることができる地域なので、また博要の皆さんに会いに、ここに遊びに来たいなと思いました。

ここには温かく優しい方々の、丁寧な暮らしを紡ぐスローライフがありました。

 


 

伊賀市博要地区では「空き家を活用したイベント開催により、来訪者や移住希望者を増やす」取り組みを行うため、地域おこし協力隊を募集しています。

詳しくはこちらをご覧ください。

 

冬の浜歩き

2月上旬。日中通してかなり寒い日が続き、厚着が必要になっている。
気温より海水温が上回っていき、海に手を入れていたほうが温かく感じる。

この時期に海水浴やサーフィン、磯遊びなどをする人はほとんど見かけない。

夏になると自然に海のイメージが湧いてくるが、普段仕事などで海に関わっている人ではない限り、冬に海を自然と想像することはあまりないだろう。

海に触れる機会が、冬にはガクッと落ちるのだ。

しかし冬の今の時期だからこその光景もある。
そんな冬の海を感じることが出来る「浜歩き」を行ってきた。

場所は南伊勢町阿曾浦にある「しじらみ浜」。

しじらみ浜は、旧南部小学校跡の後ろにある山を越え、その先に広がる浜。
辿り着くまでに山を昇り降りしなければならない結構大変な場所だ。

しじらみ浜に続く山道入口。
道は狭いが、入り口付近は舗装されている。
しばらく歩いていると岩と土の荒れた道になってくる。

石で区切られた段々の斜面は、昔の人がここを畑として使っていた跡だそう。

折り返し地点の看板。

折り返し地点からは下りになり、波の音が聞こえてくるようになる。

波の音が大きくなるにつれて浜が見えてきた。
およそ20分ほどで到着。
山と接しているしじらみ浜は、砂と砂利が混ざった浜になっている。

浜歩きはビーチコーミングと呼ばれ、冬の寒い時期や、海や水が苦手な子供でも気軽に海と触れ合い、遊ぶことができるレジャーとして親子連れにも人気だ。

浜には、海から流れてくる漂着物が沢山落ちている。
それらを観察したり、拾って集めたりして楽しむ。

同じ場所でも季節によって様々な発見があるのがこのビーチコーミングの楽しいところ。

冬のしじらみ浜はどんな様子だろうか。

しじらみ浜に到着してまず目に入るのがこの足跡。
浜を歩いた動物の足跡だ。

丸い跡とY字の形をした跡が集まっている。
鷺などの足が細い鳥類の足跡にも見える。

ここに何かあったのだろう。

遠目で見るとプラスチック製品に見える。

そんなことを考えていたら足跡のすぐ近くに魚の骨を発見!
長い背骨でおそらく鱧のような魚だったのだろう。

冬は浜に来る人は少なくなる。
この時期には山から動物がやってきて、流れ着いたご馳走を探しているのかもしれない。

石のように見えても、よく見ると貝殻だったりする。

浜には貝殻が沢山落ちている。
巻貝から二枚貝の一部、甲殻類の殻まで様々。

時間が経つにつれて貝の光沢が失われていくので、目を凝らさないと見つけにくくなっている。

そんな沢山の貝殻の中に目立つものを発見。

これはムラサキウニの死骸。
まだ小さいですが、トゲが付いている状態で流れ着いている。

まだ色が残っているので最近のようだ。

ウニのトゲと同じ様に、二枚貝も殻が分かれずにくっついている状態で残っている。

ウニの真ん中に穴が開き、付いていた口がハッキリと確認できる。

ウニの口は提灯のような形から、「アリストテレスの提灯(ランタン)」と呼ばれる。

普段は観察できない物も、海岸に打ちあがったからこそ観察できるのだ。

この日は多くのウニが打ちあがっていた。
どれも小さいサイズがほとんど。

普段見られない物を見つけられるので、子供も大人も夢中になれる。

冬は生き物が腐敗せずにそのままの姿で打ちあがっていることが多いので、海に入らなくても実際に触って観察できる良い機会になる。

浜をゆっくり歩くだけで、海と自然を感じることができた。

帰り道。山を下って行くにつれて、広い浜だったのが漁村に変わっていく。

夏は勿論、桜の咲く頃や木々が木の実をつける頃にもう一度来たら、きっと違う発見ができるだろう。

いろいろな浜で誰でも手軽に海を感じられるので、是非試して頂きたい。

気軽に1DAYキッチンやショップに挑戦できる場「toBAshare(トバシェア)」のある町を思い描いて

カフェや飲食店運営って楽しそう。でも、ものすごく大変そう。自分のお店を持ちたいなんて考えたこともあったけれど、土地に建物、機材を揃えたり…ハードルが高すぎる!素人だけど、料理はちょっと自信があるんだけどなぁ。

何か新しいことに挑戦したくてウズウズしている方に朗報です。鳥羽市の中心街に、「●●をしてみたい!」のはじめの一歩を踏み出せる場所が2022年(6月頃)に完成します。

その場所とは、地域活性型ポップアップストア toBAshare(トバシェア)です。

仕掛け人の行野慎平さんと娘さん

仕掛け人プロフィール

toBAshare(トバシェア)のオープンに向けて準備を進めているのは、場作りを専門にする行野慎平さん(以下、行野さん)です。2020年3月には、鳥羽市浦村町で漁師体験も可能な団体向け1棟貸切の宿泊施設『Anchor.漁師の貸切アジト』を鳥羽市浦村町でオープン。1次産業を感動体験の場として捉えて、漁師さんと連携して漁村アクティビティのサービスも提供しています。

はじめの一歩を踏み出せる場所「toBAshare(トバシェア)」

行野さんがtoBAshare(トバシェア)で思い描く三方良し ※.イラストも行野さん

ー行野さん「僕も宿のオープン準備期間は、バイトで生活費を稼ぎながら建物の改修をして融資も受けて…」

鳥羽市の漁師さんとの出会いをきっかけに、『Anchor.漁師の貸切アジト』をオープンするまでの準備期間を振り返る行野さん。新しい事業への挑戦は、それ相応の時間と労力がかかります。

これをやりたい!と思っていても、立ちはだかる数々の壁に地団駄を踏み、諦めてしまった経験はありませんか?大小あれど、誰もが一度は経験していることだと思います。

行野さん自身も数々の壁にぶち当たり、いつの間にかやらない理由を作ってしまうと話します。そんな壁を低くして何かに挑戦する最初の一歩を踏み出せたなら、挑戦者にとって大きなアドバンテージになるはずです。

ー行野さん「toBAshare(トバシェア)では、やりたいことに挑戦できる。低リスクな分ある意味失敗しても大丈夫。むしろその失敗を生かして、また挑戦できる。そんな場作りができたら面白いなと思って。」

自分自身も挑戦。声をもらってtoBAshare(トバシェア)を作り上げたい。

toBAshare(トバシェア)のレイアウトイメージ

toBAshare(トバシェア)は1階が地域活性型ポップアップストア「toBAshare(トバシェア)SPACE」、2階が貸切宿泊施設「toBAshare(トバシェア)HOSTEL」となっています。

2階の貸切宿泊施設「toBAshare(トバシェア)HOSTEL」は2022年1月に一足早く稼働。地域活性型ポップアップストア「toBAshare(トバシェア)SPACE」は2022年6月のオープンを目指して準備を進めています。

ー行野さん「宿の経営は経験があるので、ある程度の予測が立てられますけど…1階のポップアップストアは正直僕もどうなるか未知の領域です。」

行野さん自身もかなり実験的。地域活性型ポップアップストア「toBAshare(トバシェア)SPACE」にどんだけ需要があるのか、そもそも採算が合うのかは未知数です。

めちゃくちゃ面白いと浮かんだ、気軽に挑戦できる場作り構想を実現して事業として継続するためにはどうしたら良いかを考えた末、まずは2階の貸切宿泊施設「toBAshare(トバシェア)HOSTEL」を作り上げる結論に至りました。

toBAshare(トバシェア)HOSTEL改修の様子。

ー行野さん「やってみないことにはわかりません。もちろん、不安はあります。ただ、それよりもワクワク感の方が強いです。」

そんな行野さんの新たな場作りへの挑戦に、多方面から応援やアドバイスの声が届いています。その声を元に出店者とお客さんが交流しやすいカウンターバーを作ろうかなど、受け取った声をイメージして改修レイアウトも更新中。準備段階から、行野さんの1階「toBAshare(トバシェア)SPACE」の場づくりは始まっているようです。

都会と地方。継続的な地域との関われる場として。

2022年6月に「toBAshare(トバシェア)」がオープンした時を想像してみましょう。

都会ではなく、地方にポップアップストアやシェアレストランができる場がある。すると、都会に住みながら地方で活動ができることで、継続的な地域活動に取り組めるかもしれません。

ー行野さん「都会に住みながらお休みの日に鳥羽に来て、地域活動ができて地域との繋がりが生まれたり、逆に都会の方に出店してもらうことで地元の方にとっても新たな交流が生まれる。そんな繋がりが生まれるきっかけの場にもなればとも思ってます。」

ある時はハンバーガーショップ、またある時は立呑みコンセプトバー、またまたある時はイベントやワークショップが開催されている。そんな未来を「toBAshare(トバシェア)」が叶えてくれるかもしれません。

編集後記

南伊勢町 うみべのいえのカウンター席にて

僕にとって行野さんは、身近なパワフルチャレンジャーで目が離せない人です。クリエイティブで、「toBAshare(トバシェア)」の内装から何から、どんどん形にしていってしまうスピード感・決断力。カッコいいです。「toBAshare(トバシェア)」のお話を伺った時、僕の中で思い浮かんだのは南伊勢町の「うみべのいえキッチン」さんでした。先日、訪れた際は南伊勢町に移住されたご夫婦が美味しいベルギー料理「チリコンカルネ(写真)」を提供されていて、美味しくいただいてきました。

鳥羽に事務所のある僕は、身近にもこんな場があったらいいなぁとフワフワと想像していました。そんなお店ができてしまいそうです。「toBAshare(トバシェア)」で東京のシェフが出張で店をオープンしてくれたり、発酵と燻製の専門店「海童工房 魚寅」さんの魚醤を使った料理を食べられたり…僕の中の想像は膨らみ続けてます。「toBAshare(トバシェア)」で空想がより現実になっていく確信を持っていて、今の時点で楽しみでなりません。

行野さんは今、toBAshare(トバシェア)のクラウドファンディング「みんながやりたいことに挑戦できる!地域活性型ポップアップストアをOPENしたい!」に挑戦されています。何かに挑戦したいと考えている方、都会や全国津々浦々の飲食店やお店屋さん、行野さんの挑戦にエールを贈りたいという方…本記事では伝えきれていない部分もありますので、ぜひチェックしてみてください。

クラファンのページは、こちらから

カルバートパークに潜入!! “土木を身近に感じる”、パパママも過ごしやすい施設が愛知県蟹江町に誕生

愛知と三重をつなぐ記者、OTONAICHIのコジロウです。

三重県北部からもほど近い、愛知県海部郡蟹江町に2021/11/19に新しくオープンした施設「カルバートパーク」。

少し前になりますが、オープン初日に加藤建設 経営企画室 広報課の林さんを訪ねて取材してきました!

土木を身近に感じてほしい、創業110年の地元企業が作った施設

カルバートパークは、国道1号線と県道66号線の交差点(ステーキあさくまのある交差点)から東に一つ目の芝切東交差点を南下した位置にあります。

https://goo.gl/maps/Lzcqawte2wfJGGhA7

 

ちょうど、前述の交差点のところにある「加藤建設」さんがつくった施設になります。

加藤建設さんは、資本金1億円、従業員数は300人を超え、北は北海道から南は九州まで全国に拠点を構える土木工事や建設業などの大企業ですが、実は蟹江町が加藤建設さんの創業の地でもあり、創業110年を迎えた今も本社は蟹江にあります。

「豊かな社会を築くため、人と地球に優しい環境づくり」を掲げ、地域貢献をとても大切にされています。

加藤建設 代表取締役 加藤徹 様

そんな加藤建設さんが作った「カルバートパーク」は、地域の方々が楽しみながらも、なかなか普段しっかりと見ることがない土木資材である「ボックスカルバート」を身近に感じて欲しいとの思いからできた施設です。

入場は無料で、定休日は日曜日と月曜日、祝日となります。

営業時間は9:00から16:00まで

 

迫力のカルバートが4つもある1階でパパママがくつろげる空間を

施設の1階は、何といっても「ボックスカルバート」がドドンと4つ、大迫力で迎えてくれます。

施設に入って最初に迎えてくれる一番大きなカルバートは、通常の工事では使わない、この施設用に特別に作った高さとのことで、とても高くてくぐるのが楽しいです。

ボックスカルバートは、通常は地中に埋められていたり、車に乗って通過するだけであまり手に触れる機会は少ないですが、私たちの生活インフラに直結している非常に重要な土木工事資材です。

カルバートパークのものは、特別に塗装された外観になっているのですが、コンクリートが醸し出すかっこいい雰囲気と、組み合わされている木の温もりが調和していて、施設全体が本当にとってもおしゃれで過ごしやすいです。

そんなカルバートがある1階の右手にはパン屋さんとコインランドリーがあり、左手には子ども用のエリアとして砂場と手洗い場、人工芝のゾーンが設けられています。

子どもゾーンにあるカルバートは丸いトンネルでかわいい。

中央にはテーブルと椅子もあり、フリーWiFi完備。

地域のパパママに来てもらい、子どもを遊ばせながら、パン屋さんでパンやコーヒーを買い、コインランドリーで洗濯しながら、ゆったりとした時間をパーク内で過ごせます。

実際に子育て世代が使いやすい施設になるように、蟹江町のNPO法人にこにこママネットワークさんにもアドバイスを受けて設計したそうです。

遊びとくつろぎがミックスされた地域のためのコインランドリーは東京などには存在していて注目していましたが、ついにあま地域に誕生しましたよ!

1階の奥にはデジタルサイネージがあり、子供たちがクイズ遊びができる他、加藤建設さんの創業からの歴史ムービーやYouTubeチャンネルの動画が視聴できるようになっていました。

2階への階段の奥には、トイレのほか、授乳室もありました。

 

重機模型が迎えてくれる、ワークショップエリアと見晴台の2階

これまたシャレた階段を登って2階に行くと、まず迎えてくれるのがズラッと並んだ重機の模型です。

「様々な重機の模型をたくさん揃えました!」と林さんが仰る通りに、本当になんか嬉しくなるほど重機が並んでいます。子どもたちはもちろん、大人も楽しいです。

重機模型の中には、加藤建設さんが特許を持つ技術が搭載された「パワーブレンダー工法」の重機の模型もあります。

め、めちゃくちゃかっこいい…

パワーブレンダー工法は、軟弱地盤対策に有効なものということで、地盤が弱いあま地域のニーズにがっちりフィットする素晴らしい技術なんですね。

模型展示の左手にはワークショップルームがあります。

1時間500円(税抜)で誰でも借りられ、手芸やヨガ等のワークショップ開催を想定しているとのこと。こういうので人が集うのもいいですね。

重機模型展示を右手に進むと、1階でトンネルになっていたカルバートの上に出てきて、迫力の1階ゾーンを上から見下ろせる見晴台になっています。

通常、カルバートは埋まっていることも多いですから、その上には土やアスファルトが被せられるわけですが、ここではカルバートの上にそのまま乗ることができます。

これもまた楽しいですね。構造物好きにはたまらないのではないでしょうか?

 

独立開業を支援する、チャレンジ応援のパン屋さん

さて、話題を1階の施設に戻しますが、1階のカフェスペースは「BOTTEGA DEL PANE」(ボッテガ デル パーネ)と名付けられたパン屋さん。

イタリアパンをメインにしたお店が入っていました。

このパン屋さんは、「開業したい」とチャレンジする人を応援したいという思いがあり、開業を目指す方がここで挑戦していく場所にもなっているそうです。

弥富市民のボクでもパン屋さんが多いなと思う蟹江町。

また一つ、ここで修行した方が素敵なパン屋さんを作られると嬉しいですね。

パン屋さんには、カルバートパークならではの品として”カルバート食パン”と、加藤建設のゆるキャラ「ビオトくん」を模したマリトッツォである「ビオトッツォ」もありましたよ!

オープン初日は飛ぶように売れてしまって、売り切れ続出でした。

ボクは粗挽きフランクのパンとフォカッチャ、ホットコーヒーを注文しまして、ゆっくりと座ってイートインでいただきました。素朴なフォカッチャが特に美味しかったです。

 

何度も通いたくなる、カルバートの近未来感と木の温もりで過ごす場所

カルバートパークは、やはりこの巨大なボックスカルバートたちの印象がすごくて、インスタ映えもしっかり狙える、おしゃれで近未来な場所でした。

カルバートが作る近未来な感じに、とてもさりげなく木や緑が組み合わせれており、ゆったりと落ち着いた感覚にもなれます。

パパママの新しいくつろぎ場所に。

イベント開催場所の一つとして。

ちょっとしたお茶会に。

雰囲気の良い場所でのテレワークに。

地域のために加藤建設さんが作った遊び場。

何度も通って、いろんな使い方の人たちと繋がって、ここでまた新しい地域を作っていくんだろうなと、カルバートパークのこれからが楽しみになりました。

ぜひぜひ皆さん、三重県からも遊びに行ってみてくださいね。

 

カルバートパーク基本情報

  • 名称:カルバートパーク  Web:https://culvert-park.com/
  • 住所:〒497-0044 愛知県海部郡蟹江町蟹江新田下芝切183
  • TEL:0567-55-9433  FAX:0567-55-9434
  • 営業時間:9:00~16:00
  • 休館日:日曜・月曜・祝日
  • 運営:株式会社加藤建設  Web:https://www.kato-kensetu.co.jp/

おまけ:カルバートパークができるまで(Youtube「カトケンチャンネル」)

完成するまでの工程をYoutubeで公開されています。これも面白い!!

 

移住を考えている参加者募集「東京スクエアPlusオンライン交流会」すみません!三重県外の在住者限定です

—移住を考える方のさまざま
地方移住への関心が高まっています。コロナ禍でさらに加速するといわれている移住。しかし移住希望者の関心の度合いや興味対象は様々です。家族構成、年齢、動機も異なります。

—今年度の移住への取り組み
今年度、三重暮らし魅力発信サポーターズスクエア事業「東京スクエアPlus」として移住に関する取り組みを複合的に行っています。
最初に、本事業のキックオフ会を三重テラス(東京・日本橋)でリアルとオンラインのハイブリッド開催をしました。多くの方々にご参加いただき移住への関心の高さを知る機会となりました。

オンラインツアーの様子

次に度会郡南伊勢町では「三重暮らし体験オンラインツアー」を行いました。南伊勢で活躍している農家さんや漁師さん、地域の場づくりを始めた移住者、伝統の塩作りを復活させた方、ローカルスーパーの方などをゲストに、点在する現場をつなぐツアーです。発信拠点からは南伊勢町移住コーディネーターと南伊勢町商工会青年部の前部長をお迎えし、地元メディアとしてOTONAMIE代表と副代表がファシリテーターを担当しました。オンラインの参加者には事前にゲストの漁師さんや農家さんの生産物(真鯛とミカン)や復活させた塩をお贈りし、イベント時に「みんなでいただきます」をしました。

フィールドワークの会場となった休校になった小学校

伊賀市博要地区は「三重暮らしゼミナール」と題し、全4回のゼミ形式でフィールドワークやオンラインイベントを行いました。こちらもナビゲーターとしてOTONAMIE代表と副代表が担当。コロナが落ち着いていた時に行った1泊2日の現地フィールドワークでは、地元でまちづくりに取り組む方々に地区の名所や空き家を案内していただき、その後空き家のマッチングサイト「さかさま不動産」を運営する水谷氏をゲストに迎えディスカッション。2日目は地元の神社の注連縄づくりや正月用の薪運びなどを行いました。最後の昼食で参加者のひとりが、地元の人の温かさに涙したのはとても印象的でした。
鳥羽市では「三重でワーケーション!暮らし体験モニター」を行う予定でしたが、コロナ第6波の影響で中止となり、大変残念に思っています。
そして今回、本年度の締めくくりとなる「オンライン交流会」を行います。

—取り組みを通じてわかってきたこと
様々な移住への取り組みをしてきてわかったことがあります。それは「ちょっとだけ移住に興味がある」、「本格的に移住先を探している」、「少しだけ農業のある暮らしをしてみたい」、「農業で食べていきたい」など、冒頭に書いたように移住を考えている人にも、それぞれに深度の違いがあるということです。そして一番多かったのが「移住をした人の話を聞きたい」というご意見でした。

—だからオンライン交流会を開催します!
そこで今回の「オンライン交流会」では、三重県内各地の様々な移住者にご登壇いただき、移住者のリアルを語っていただきます。また参加者の皆様からもご質問や感想などを随時受け付け、可能な限りリアルタイムで登壇者にお答えいただきます。

—登壇者は三重暮らしをたのしむ先輩移住者

今回のゲストは鳥羽市の養殖漁師・浅尾大輔さん。大阪からの移住者で鳥羽の海に魅了され養殖漁師になり、数々の先進的な取り組みを行っています。最年少で農水省の天皇杯を授与された地域プレイヤーでもあり、浅尾さんを軸に様々な移住者が集まってきていて鳥羽の漁村が活気づいています。
他にも移住後の三重暮らしを楽しむ、三重暮らし応援コンシェルジュの3名にもご登壇いただき、お話を聞かせていただきます。

—わたしたちはこんな人間です
今回もファシリテーターを務めるのはOTONAMIE代表の村山祐介(Uターン移住者)と福田ミキ(Iターン移住者)です。三重県のローカルWEBメディアOTONAMIEを運営するなかで、たくさんの移住者や地域との関わりを構築してきました。今回、そのような経験から移住を考える方々への情報をご提供できる機会だと考えています。

—ご一緒にたのしい時間を過ごしましょう!
移住は簡単に決められることではないと思います。だからこそ現地のことを知り、訪れてみるきっかけになればと思っています。そして、その出会いはできるだけたのしく!そんなオンラインイベントになるように、準備に努めます。

—オンラインイベント内容
日時:3月4日(金)18:30〜20:30
ゲスト:浅尾大輔さん
三重暮らし応援コンシェルジュ:成岡真清さん・五十嵐ちひろさん・野山直人さん
開催方法:Zoom(ご参加のエントリー後、アドレス等を共有します)
参加対象:三重県外在住で移住をお考えの方

—オンラインイベント概要
東京スクエアPlusの事業概要の説明
今年度事業全体の振り返り
三重暮らしゼミナール in 伊賀市博要の報告
移住者トークライブ&参加者とのトークセッション
三重県の取り組みの紹介

▼ご参加はこちらから▼
https://forms.gle/ej1MsVQ1dbVCmHSZ8
※すみません!ご参加は三重県外の在住者限定です。

東京スクエアPlus事業全体のホームページ
https://mie-kurashi.net/

 


 

詳しいお問い合わせ・お申込み先
三重暮らし魅力発信サポーターズスクエア事業(事務局代行:株式会社アド近鉄)
営業時間/月~金 10:00~17:00
TEL/0596-28-3457
E-mail/miegurashiアットgmail.com
※アットを@に置き換えてください。

時を忘れて、ミステリアスな森へ。

地名が「森」だなんて、ちょっと変わっているというか、ミステリアスだと以前から思っていた、松阪市飯高町にある森地区。今回はそんな私のミステリーツアー にどうかお付き合いください。

松阪市飯高町にある森地区には、奧香肌峡と呼ばれる峡谷がある。櫛田川の支流である蓮川の上流沿いに位置し、巨岩や奇岩、滝などの自然美に魅了されるハイカーや登山者が多く訪れる。奧香肌峡を代表する「宮ノ谷渓谷」のトレッキングには、何度か参加したことがある。個人で行くには危険な箇所もある為、是非とも地元のガイドさんと歩いてほしい私のお勧めの渓谷だ。

宮ノ谷渓谷

 

今回は県道569号蓮峡線の奥地まで行ってみることにした。この道の先に群生するジギタリス(別名、キツネノテブクロ)という花をカメラに収める為だった。滅多に人が通らない場所だと聞いていたが、その日は2、3人の先客がいた。


 

ジギタリスには毒があり、花言葉は「不誠実」「不真面目」。そして斑点などの集合体が苦手な方は、花の中の模様を決して覗かないで欲しい。写真に映った斑点を拡大してみると、背中のゾワゾワが止まらなくなる。西洋では暗く寂れた場所に繁茂し、不吉な植物のイメージがあるという。「魔女の指抜き」「血の付いた男の指」などと呼ばれていた地域もあるのだとか。

ジギタリスは、かなり急な斜面に群生しており、細い道を挟んだ反対側は断崖絶壁。ファインダーを覗きながらうかつに後退りしようものなら、足を滑らせて落ちてしまいそう。わざとそんな場所に群生しているのかと思わせるほど、どことなくミステリアスな有毒植物である。お出かけの際は、道が狭い為くれぐれもご注意を。さらに奥へと車を走らせると…そこはうっそうと木々が茂る、廃村だった。

 

地図に無い、失われた「蓮集落」

何軒かの廃墟が残ったまま

蓮(はちす)集落は、ダムの建設に伴い、水没地には含まれていなかったものの、全住民が離れる選択をした集落だ。その終点には森小学校蓮分校跡が残されている。過去には、蓮分校の教員が通勤途中に落石に巻き込まれ蓮川に転落、死亡する事故があった。蓮の住民は教員の遺体を引き上げ、分校の裏山に埋葬したという。その教員の事績を綴った「ともしびの碑」が分校の正門前に建立されたが、現在は森地区にある香肌小学校に移設されている。あえて淡々と書いているが、色んな感情の処理が全く追いついていない私。やっぱり、ミステリアスな森。

残された分校の記憶
分校跡と謎のいす

昭和60年頃まで集落には人々の暮らしがあり、子供たちの賑やかな声が校庭に響いていたのかと思うと、急に人里が恋しくなり、蓮分校を後にした。

 

本とジャズで繋がる、森地区のカフェへ。

ゆったりとしたジャズが流れる「いいたかBOOK JAZZカフェ」は、明治7年に建てられた元庄屋の古民家で、飯高町の硬水で淹れたコーヒーが楽しめる。(土・日・祝日の11時から18時まで営業)

メニューにあるマタギ餅は猟師の保存食をアレンジしたもの

東京で建築家として設計事務所を営むかたわら、自然が好きな店主の小島さんは、ツリーハウスを立てる活動もしていた。夜明けが来る前に、その気配を感じた鳥が鳴き始める。夜明けは先に音が来る、これがツリーハウスでの楽しみの一つなのだそう。

小島さんが建築に関わったツリーハウス

少年時代に、疎開先の里山で暮らした経験のある小島さんにとって、東京から森地区への移住はそれほど高いハードルでは無かったという。

小島さん:人生最初の記憶というのが東京大空襲なんです。空襲のサイレンが鳴ると、家族みんなで窓に黒い紙を貼り、光が漏れないようにした記憶があります。それが家族恒例のイベントのようで、全く嫌な感じがしなかったんです。その後、疎開先である山形県の里山で5年ほど過ごしました。

オーナーの小島さん

早く東京に戻りたいとは思わなかったという。疎開先の自然の中で伸びやかに暮らす少年の姿が目に浮かぶ。身近にいる戦争体験者が少なくなった今、体験談を直接聞かせてもらえる時間はとても貴重に感じた。

小島さんにお勧めの本をセレクトしてもらった。一冊100円で本の貸し出しも行っている。ミステリー好きな小島さんお勧めの「山怪」は、日本各地の猟師たちが実話を語った、山での奇妙で怖ろしい体験談を集めたもの。

スヌーピーの本は娘用に

読んでいると突然、私の祖母が狐の話をよくしてくれたことを思い出した。懐かしくなり、「狐が化けて家に来た話、ばあちゃんからよぉ聞いたよなあ」。と父と母に尋ねると、「そんな話、いっぺんも聞いたことないわ。」とまるでミステリーのような答えが返ってきたのだった。

時が止まったようなあの場所は、本当に存在しているのだっけ。今思い出してもそんな気持ちになる森へ。時間を忘れたい時に、また訪れようと思う。

三重県の山でスノボを滑ろう〜♥

今年は年末から大雪で鈴鹿の山に雪が積もったまま。去年から思いつきでスノボを始めて見たら楽しくってどっぷりはまる。若い頃にはあんまり興味が無かったのにこの年からまさかスノボを始めるとは自分でも驚く。

竜ヶ岳

近くにあるゲレンデと言えば三重県で唯一の御在所。でもそこはスキーオンリーでスノボは滑れない。近くで滑りたいなーと思ってたら竜ヶ岳で滑れるよと友だちに教えて貰ったのでゲレンデ探しの旅に出発。

宇賀渓キャンプ場に車を止めてスノボの板とスノーシューを担いで出発。ロープウエイもリフトもないのでもちろん自力で頂上を目指す。登山ブームがどうも過熱気味で、前までは冬の間は雪山は危険だというので登らない人が多かったのですが、ココの駐車場にも朝早くから、それも遠方から登山客がいっぱいで早めに車を止めないと満車になってしまう状況。

竜ヶ岳

多くの方が登るので踏み固められててスノーシューも必要なくチェーンアイゼンで登れる。道に迷うこともなく雪山は非常に安全。

 

竜ヶ岳

段々山頂が見えてくるとテンションが上がります。春になるとココでは羊さんの群れが見れるのですが、雪景色で茶色い羊さん状態でした。

ピーク

最後のピークが太陽に向かうほどの急斜面を登る。ココも踏み固められてるので案外登りやすい。

もうちょっと

そして山頂。

ランチ

竜ヶ岳は風が吹き抜ける場所ですので少し下がった場所で早めのランチ。
この後のお楽しみのボードを刺して多度山桑名方面を見ながらゆっくり休憩。

 

てな訳で山頂からスノボを楽しむ。

 

最初に登る時は辛かったけど、スノボでスイスイ滑り降りると一瞬で終わってしまうので何度も山を登って滑る。ここまで登るのは大変だけど、誰も滑っていない場所でスノボをやるのって楽しい!

スキーゲレンデは遠くて行くのも時間も掛かるので、近所の鈴鹿の山でスノボは最高ですね!

次に行くゲレンデは藤原岳にと計画中。なんせ元々スキーゲレンデで御在所より前にあったとか。昔の人をまねて藤原岳ゲレンデ一緒にみんなで行きましょう!

入社して半年で会社が倒産、立て続けに届く不採用通知。 就職氷河期の苦難や挫折が、私たちを強くした。

バブル崩壊後の就職が困難であった時期を「就職氷河期」と呼ぶ。現在の年齢が、概ね30代半ばから40代後半の方が該当するだろう。バブル崩壊後の景気の悪化により、多くの企業は新卒採用の削減や中止を行った。不況のあおりを受けて、倒産する企業も相次いだ。

今回は当時、就職活動をしていた名の方にお話を伺った。今のようにネットで就職先を探したり、Zoomで面談することなどもできない。求人雑誌の中から募集条件を調べたり、学校に来る求人票に目を通すなど、自力で就職先を探すのも一苦労した時代だ。ある人は企業から電話やメールがいつ来るかわからないので、唯一電波の入る大学の研究室にこもりきりだったそうだ。

そんな時代に希望する仕事につけず、度重なる不採用の通知に心に大きな傷を負った人もいただろう。当時がどんな様子だったのか、そして当事者である人たちは何を感じていたのか。それぞれのストーリーをぜひ、自分に置き換えて読んでみて欲しい。

前へ前へと進み続け、ものづくりの仕事へ

「ものづくりの仕事について、ようやく自分に合う仕事が見つかった気がします」。そう話してくれたのは、四日市在住のさん。現在は、半導体製造の工場で勤務している。初めての就職は、県内の大学を卒業してからヶ月後。地元・四日市にある建築系の人材派遣会社だった。

「在学中から人材派遣会社のアルバイトに夢中で、学業を疎かにしていました。卒業後もヶ月ほどアルバイトを続けていましたが、親の勧めもあって、地元で就職することにしました。その時までは就職難の渦中にいることをそこまで深刻に捉えられていなかったのかもしれません」

しかしその年後、勤めていた会社が不景気のあおりを受けて倒産。Yさんは仕事を失ってしまう。初めて本腰を入れて就職活動に挑むが、なかなか決まらない。そもそも募集している会社の数が少なく、どの会社の条件も決していいと言えるようなものではなかった。

「本当は前職のスキルを活かしたくて、建築業界を何社か受けましたが、すべて不採用。何をしたいかを考える余裕もなく、とにかく生活をするために少しでもいい条件の仕事を探すことに注力しました」

最終的に、もっとも給与が良かった介護施設の総務職に応募し、採用が決まった。ところが「初めは現場を体験してから」と言われ、意図せず介護の現場で働くことになる。

「そこから、気づけば年ほど経っていました。働きながらホームヘルパーや社会福祉士の資格を取得するなど充実した日々ではありましたが、当時は慢性的な人手不足や低賃金など、過酷な労働環境でした」

その後、転職先で介護施設の管理者に就いたが、働く環境は変わらず、さらに多忙を極める日々が続いた。新しい事業所の立ち上げに伴い、大阪で働くことになったさん。しばらくは大阪で働いていたが、結婚を機に妻のいる三重に戻ることを決意する。しかし、戻ってくるためには、今までよりも過酷な条件をのまなければならなかった。

「同じ会社の中で転籍することになり、介護職からガスの配管工の仕事に変わりました。さらに正社員から契約社員に格下げとなってしまったんです」

さんは働きながら次の転職先を探したが正社員の仕事はなかなか見つからず、ひとまずは期限つきの契約社員として大手メーカーの自動車部品製造でオペレーターとして働くことにした。

「最初は細かなルールやチームでの仕事に慣れず苦労しましたが、ものづくりの仕事は面白いし、自分の気質に合っているなと感じました」

その後は、「ものづくりの仕事に就きたい」という目標を掲げ就職活動を行った。ものづくりの分野の会社を探し、面接を受けるといくつかの会社から内定をもらうことができたそうだ。

「ようやく念願の正社員として、内定をいただくことができました。工期や納期がきっちり決まっているところも仕事がしやすく、自分の性格にもマッチしている気がしますね」

これまでの道のりは苦労の連続だったけれど、へこたれない姿勢が身についた。前へ前へと進む気持ちは、無くしてはいない。時期を見て、氷河期世代に向けた公務員採用枠にも応募する予定なのだそう。さんの挑戦は、まだまだ続く。

人生のステップアップに挑み続ける

就職活動で希望の職につけず、悔しい思いをした方もいる。現在は名古屋で働くさんだ。将来的には語学を使って、世界中の企業と関わる仕事がしたいと、東京の大学を休学しフィンランドへ。現地の日本大使館で働いた。自分の将来のためにと、あえて遠回りを選択したのだ。しかし、それが仇となってしまう。

帰国後に就職活動を再開したが、希望していた大手商社や銀行はすべて不採用。これまでの時間は何だったのだろうかと、一時は途方に暮れた。東京での就職をいったん諦め、地元の銀行に就職を決意する。

「同期には、東大、慶應、早稲田など有名大学の出身者が多くいました。どんなにいい大学をでていても、就職が難しい時代だったんです。例年は100人ほどいた新卒入社が、28人。就職できたのは良かったのですが、自分の持つ『世界中の企業と関わりたい』というモチベーションと銀行の目指すカラーが大きく違いすぎて、違和感を感じながら仕事をしていました」

年後に銀行を退社し、外資系の金融企業へ転職。しかしそこでも、2009年に起こったリーマンショックによる影響を大きく受けた。金融業界は不安定な状況に陥り、業績をあげられなかった社員が次々とリストラを言い渡される。荷物をまとめて会社を去る同期の姿をみて、「明日は我が身だ」と毎日気合を入れ直した。

「不安ではありましたが、最初の就活の時に大きな挫折を味わったことで、メンタルが鍛えられたんです。不安定な世の中の変化に対応していかないと、生きていけない。チャンスをものにして、いかに自分を売り込むかを常に考えていました」

昨年もコロナ禍に関わらず、更なるスキルアップを求めて転職。コロナが落ち着いたら、東京で仕事が始まるそうだ。これまでの道のりを振り返りながら、さんはこう話してくれた。

「学歴は20代だから通用するもの。30代40代はそれまで培った日頃の洞察力や考え方が、社会で求められるスキルだと思います。就職氷河期世代として大変な思いをしましたが、私は努力を重ねること、苦労を厭わないことをそこから学んだので、氷河期世代だからと悲観せず、チャレンジしていきたいですね」

幾度のピンチに見舞われながらも、「世界中の企業と関わりたい」という思いをもち続けたさん。これまでのピンチを糧に、さらに大きな夢をつかもうと奮闘している。

就職氷河期世代だからこそ身についた、生き抜く力

現在、行政書士事務所の顧問を務めるさんも、「就職氷河期世代だったからこそ、今があるのかもしれない」とこれまでの道のりを振り返る。

「高校卒業後にすぐ働きたかったので、選り好みをしていなかったんですが、受けた会社はすべて落ちてしまいましたね。友人の中には、社落ちた人もいました」

今のようにネットで仕事を探すこともできず、進路指導室で求人票を見て応募する形式だ。ただでさえ、学校との結びつきがある企業の情報しか回ってこない状況にも関わらず、就職氷河期に入り求人情報は激減した。

さんは運良く、担任の先生からの繋がりで地元の測量会社へ応募。とにかく就職したいという気持ちで、つ返事で就職を決めた。しかし半年もしないうちに、給料は未払いになり会社は倒産した。次は今度は潰れない会社に就職したいと、18歳だった さんは作戦を立てた。

「今度は絶対潰れないであろう、地域で一番大きい会社に就職しようと決めました。普通に行っても落とされてしまうかもしれないならガッツを見せるしかない!と思い、直接会社の総務を訪ね、履歴書を手渡しました。こんな時代だからこそ、骨のある人を求めてるんじゃないのかなと」

さんは見事、採用。待っていても何も変わらない。自力で道を開かなければ、と必死だったという。

「仕事も総務職だと聞いていましたが、出勤初日にはフォークリフトに乗って倉庫整理だと言われました。でも、そんなものかなと思って前向きに受け入れましたね。自分の可能性を自分で閉じずにいれば、道は開けると思って」

倉庫での仕事は、ブラジル人の派遣社員が多かった。さんはブラジル人をまとめる班長を任されたそうだ。そこでさんは必死にポルトガル語を覚え、彼らが楽しく仕事をできるような環境づくりを心掛けた。

そんなさんの働きぶりを見ていた同僚から、派遣会社の立ち上げに誘われた。せっかく入った大手企業をなぜ辞めることにしたのかと聞くとTさんは、「やらないで後悔することはしたくなかった」と言う。

名もなき派遣会社のゼロからスタート。さんは自ら現場に出向いて働き、その働きぶりを認めてもらうことで新しい派遣先を開拓していった。結果的に年で社の契約を取り付けたそうだ。

「短期間で、いかに認められるかが勝負です。朝一番に出社して掃除して、どうすればいい環境を作り出せるかを常に考えていましたね。企業はどのような人間を求めているのかを客観的に深く考える良い機会となりました」

その後も接客業、倉庫業、建設業、映写技師、派遣業、サービス業、イベント業など、様々な業界で経験を積んださん。そんなさんの経験や知識を生かして欲しいと、いくつもの会社からアドバイスを求められるように。2021年の夏に独立し、現在は行政書士の顧問や、会社の経営に関わる必要な申請の手続き等、あらゆる業種の困りごとの相談に乗っている。

「独立するにあたり、これまでの経験を生かせるのは行政書士だと思ったんです。これまで培った仕事に関する知識があるので、皆さんの困りごとに寄り添えるのではと。今はコロナによる影響が大きいので申請についての相談が多いですね。司法書士、労務士、弁護士などつながりのある方と、チームで困りごとを解決しています」

さんは就職氷河期に苦労したことで、人に寄り添う力が身についたと言う。

「現状を打破しよう、工夫しよう、切り抜けようと、ノウハウが蓄積されたんだと思います。もしかしたら就職氷河期でなくてストレートに就職ができていたら、今のような考え方に及ばなかったのかもわかりません。私にとっては就職氷河期が自分を成長させる良い機会でしたね」

今回お話を聞かせてくださった方は皆、「自分の話が誰かの役に立つのなら」と快く話を聞かせてくれた。

それぞれの話を聞き、聞いているこちらの方が「頑張らなくては」とパワーをいただいたように思う。お話を聞かせてくれた名の方のように、自分が進んできた道を悲観せず、明日への力に変えることで、道は開けるのかもしれない。


【タイアップ】三重県雇用経済部 雇用対策課 若者・女性雇用班

三重県では、支援を必要とする就職氷河期世代の方やそのご家族に情報を届けるため、note、Twitter、Facebookなどでマンガやエッセイ、ツイートなどによる情報発信をしています。

note/三重県就職氷河期info

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Twitter/【三重県公式】三平&お重@就職氷河期世代支援情報

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タブロイド版/三重県庁やnoteで紹介している関連施設にて配布しています。

津市広明町13番地(三重県庁)tel 059-224-2465

限界集落で出会った幸せの価値観。道行竈と竈方の塩に見る「継業」@南伊勢町竈方集落

“泉さん、何とかせなあかんと思っとたんや。役場に酒米づくりの相談していたのを亡くなってから知って、のほほんとしていられなかった。放っとくわけに、いかんやんか”

南伊勢町にある人口37名の竈方集落で、耕作放棄地についてお話を聞いていたときに感じた、地元の人の熱意ある言葉だった。竈方集落は源平合戦で敗れた平家の子孫が今も暮らしている。南伊勢町は少子高齢化や人口減少が進み、竈方集落も例外ではない。そんな竈方集落で起きている2つの話をお伝えしたい。

 

 

想いを、知る。

7つの竈方集落のひとつである道行竈(みちゆくがま)は、3年前から耕作放棄地で酒米づくりを行い、日本酒「道行竈」の販売を始め、多くのメディアでも取り上げられ話題となっている。

区長の島田正文さん(左)・西川百栄さん(右)

道行竈区長の島田正文さん、前区長で特定非営利活動法人(NPO)チーム道行竈理事長・現役米農家の島田安明さんとメンバーの西川百栄さん、地域おこし協力隊の加藤雄太郎さんにお話をうかがった。ちなみに正文さんは4人兄弟の四男で、冒頭に書いた泉さんは三男、長男は逸男さんだ。道行竈で暮らし続けている正文さんは人口が減り、耕作放棄地が増えていく地元の集落の移り変わりをどのように見てきたのだろう。

正文さん:長男の逸男は18年間区長をして建築会社も経営していました。耕作放棄地に危惧を感じていたのでしょう。逸男はまず、道行竈の山の谷間にある、米が栽培しづらい田んぼの形や水路などの構造改善をはじめました。

しかし田んぼを整備しても農家の後継者がいないため、稲穂が育つことはなかった。

正文さん:だったら自分たちの会社で農業をしよう、ということになり社内に農業班ができました。しばらくは続いたものの利益は出ず、本業も忙しかったこともあり耕作放棄地の再生が途絶えてしまいました。集落の人口が減るなか、私も正直「仕方がない」と思っていました。

小さいころから歴史が好きだった泉さんがまとめた資料。竈方の歴史を辿っていたのだろうか?インタビューを行った公民館の一室に掲示されている。

そして転機が訪れた。それは三男・泉さんの存在。

正文さん:長男のあと三男の泉が区長を継ぎました。しかししばらくして急病で亡くなってしまい、そのあと泉の大親友でもあった安明さんが区長になりました。

泉さんがお亡くなりになってから半年後。安明さんは泉さんが耕作放棄地で酒米づくりを行うことを役場に相談していたことを知ったという。

米農家でチーム道行竈理事長の島田安明さん(左)・地域おこし協力隊の加藤雄太郎さん(中)

安明さん:私自身コシヒカリは作っていたのですが、酒米づくりは初心者。最初は正直迷いましたが、正文さんと相談して耕作放棄地で酒米を作ることを決めました。

正文さん:米を作ってなんぼの村です。責任感を感じました。

取り組みを始めたことが新聞に小さな記事で報じられた。その記事を偶然見つけたのが道行竈集落のとなり、贄浦に暮らす西川さん。西川さんは南伊勢町移住定住コーディネーターとして役場と一緒に仕事をする傍ら、ライフワークとして日本酒女子普及委員会の副会長としても活動している日本酒好きだ。

西川さん:記事を見つけて「あれ?地元で日本酒づくり!」。すぐにメンバーに入れてもらいました。

西川さんは正文さんと親戚であり、また雑誌編集などのキャリアも持つ西川さんは、商品開発や情報発信も得意。区長、農家、クリエイターというコアメンバーが揃い指揮は高まった。

西川さん:作るなら本当に良い日本酒にしようと盛り上がりました。安っさん(安明さん)も最初から「地域のモデルケースになれたらええな」ってよく話してたよね?

 

 

想いを、継ぐ。

安明さんは米づくりが始まれば毎日のように手入れに行くという、3年前まで耕作放棄地だった田んぼを案内してもらった。

地域おこし協力隊の加藤さんは「ここは都会での暮らしと違い、自分でいちから何かを作ることが多く、頭の使い方が全然違います。毎日楽しいです」と語る。

山の谷間にある田んぼで、ここの風景は初年度の日本酒「純米大吟醸道行竈」のラベルデザインにイラストとして使われている。

安明さん:山の上には、昔から一度も水が涸れたことがない滝「大瀧」があります。ここの田んぼには森の養分に恵まれた水が豊富に流れ、いわば掛け流しの状態。一定の冷たい温度の水で米を育てることで、美味しくなるんです。

道行竈は水に恵まれていることで昔は米づくりが盛んだった。安明さんが子どものころはもっと山の奥まで田んぼが張り巡らさせており、美しい田園風景が広がっていたという。

耕作放棄地

安明さん:重機がない時代に、竈方の先祖が開墾して代々守り続けた大切な田んぼです。耕作放棄地が増え、草が伸び放題になった風景に「集落は廃れていくのかな」と思っていました。道行竈本来の姿がなくなると。

しかし日本酒「道行竈」プロジェクトが始まると、米づくりを再開する地元の人もあらわれ始めた。その理由として、関係人口が地域の人の意識を変えたことが大きいという。ひとつは3年前に行われた東京大学が行っているフィールドスタディ。学生2名が20日間道行竈集落に泊まり込みながら、地域の課題にコミットした。

安明さん:最初は地元の人との間に距離もありました。でも彼らの地域の人に馴染もうと努力する謙虚な姿に、地元の私たちは感動。最終日は自分たちの子どもが帰っていく様な雰囲気が道行竈にありました。昨年もコロナが落ち着いている時期に来てくれて、嬉しかったです。

また皇學館大学の生徒も御田植祭や田んぼの石拾いなどで参加するなど、地域に若者が入るようになった。いざ日本酒「道行竈」が完成すると、道行竈にメディアも入るようになり、地域に活気が出てきた。

田んぼの周囲にある森には椎の実。森が豊かな証拠だ。
多様性のある木々が残る山から流れる養分豊富な水は、多くの命を育てる源。

西川さん:道行竈を出て行った人が、地元を誇れるような日本酒にしたいです。インターネットでも販売したところ、やはり道行竈を知る人からの注文が多かったです。離れて暮らすやっさん(安明さん)の息子さんも、友だちに紹介してくれたり。

今はメンバーに名古屋から移住した地域おこし協力隊も入り、一緒に田んぼの管理なども行う。そういった一連の流れを安明さんは「マッチした」と表現する。

安明さん:東京大学や皇學館大学の学生、役場のバックアップ、西川さん、加藤君、地域の方々。すべてがマッチしたんです。日本酒づくりに挑戦することで関係人口ができていきました。

平家の末裔である証拠が書かれ、先祖代々受け継がれている御証文。今も厳粛な受け渡しの儀式が神社で行われている。

西川さん:竈方の人間として、逸男さんや泉さんの想いがあって、やっさん(安明さん)や正文さんがその想いを継いで主体的に動いたからこそ集落内外の人が繋がっていき継続できています。

 

 

豊かさに、満たされる日々。

歴史ある地の想いを大切にする文化。それは同じ平家をいうルーツを持つ竈方集落に残っている。

人口24名が暮らす棚橋竈集落

以前にもOTONAMIEの記事でご紹介した竈方集落・棚橋竈で2019年から始まった塩づくりがある。移住をした平家は漁業権がないため塩づくりをして生業を立てていた。

塩づくりをする村田さん

塩づくりは約400年前に途絶えたのだが、人口減少が進む地域の新たな産業を創出することを目指し、また平家の末裔として竈方集落の歴史・文化を伝えるために竈方塩づくり振興協議会が始めた。

塩作りは同町にあるリアス海岸のミネラル豊富な海水を使い、薪で火加減を調整しながら塩釜で約6時間かけ炊き上げる。その後は天日干しをして、焼成という塩を焼く工程で味を調える。なめらかな食感、旨味や甘味があり味わいも良く、地元の人や料理人にも評判が良い。
塩を炊く小さな製塩所はとても暑く、煙も目にしみる。過酷にも感じる作業を、竈方塩づくり振興協議会の村田順一さんは楽しいという。

村田さん:苦行も楽しまないと(笑)。伝統は失ったら取り戻すことができません。ここで塩づくりを始めたことで、いろんな人が竈方に興味を持っていただき嬉しく思います。

資料館で塩の話しをする青山さん(中)

塩づくりは見学もでき、また製塩小屋のとなりにある資料館では写真の展示などで竈方の歴史について知ることができるので見学者が訪れている。

商品開発時に監修に入ったシニアソルトコーディネーターの青山さんも現地を訪れ、地元の人に竈方の塩を活かす料理のワークショップを行うなど地域内外から人が訪れ、関係人口づくりが自然なかたちで進み始めている。

 


 

ふたつの取材を終えて印象的だったことがある。それは米農家の安明さんも、塩づくりの村田さんも同じことを幸せそうに語ったことだ。

“歳を取っても、元気に明るく楽しく”

日本が経験することになる少子高齢化時代では稼ぎ手世代が減る。経済一辺倒では通用しないそんな時代に、どんな幸せの価値観が求められてくるのだろう。今回の取材で感じたいこと。それは、私たちはすでに幸せの種を手にしているのかも知れないということ。竈方集落ではもう一度地域を耕しなおし、幸せの種を育むことで、豊かさに満たされた日々の暮らしがあるように思えた。

時代はもどることができないが、米を酒に変え、また塩を生業でなはく地域の歴史・文化を伝えるために復活させるなど、時代にあった形に変えて受け継いでいる。そして地域内だけで継承するのではなく、内外の人で「継業」することで継続されている。
その中心にある大切なことは “元気に明るく楽しく” 。目を輝かせながらそう語るみなさんに、本当にその通りだと思うのでした。

 


 

特定非営利活動法人チーム道行竈
度会郡南伊勢町道行竈89−17(販売所)
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Tel 080-2655-3865(チーム道行竈】

竈方塩づくり振興協議会
度会郡南伊勢町棚橋竈76−4(製塩所・資料館)
Web
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【タイアップ】
南伊勢町役場 まちづくり推進課 政策係
三重県度会郡南伊勢町五ヶ所浦3057
tel 0599-66-1366
mail machi@town.minamiise.lg.jp
hp https://www.town.minamiise.lg.jp

南伊勢町の記事一覧

日本一の清流・宮川の上流部「宮川ダム」を見学しよう

みなさんこんにちは!キャスターマミです。

観光スポットとしても注目されているダム。ダムカードをコレクトしているという方も多くいらっしゃいますよね。

三重県にはダムが50以上あるそうです。

今回紹介する「宮川ダム」は、その中でも古いダム。

宮川の上流部、三重県大台町の最深部・大杉谷登山道へ向かう道中に見えてくる巨大なダムです。

宮川ダム」では、一般の方に向けたダム見学を行っているのをご存知でしょうか。

事前予約で、誰でも見学可能。職員さんが、宮川ダムの建設目的や役割などを詳しく説明してくれます。

ということで、所要時間約1時間の宮川ダム見学に行ってきましたので、その内容の一部を紹介します!

1.宮川ダムの概要

最初に宮川ダムのパンフレットをいただき、設置された巨大看板前で宮川ダムの概要について説明を受けます。

昭和32年5月に完成、60年以上稼働している日本でも古いダムだといいます。

重力式コンクリートという形式の構造で、堤高(ダムの高さ)は88.5m、堤頂長(ダムの幅)は231m、堤体積(ダム全体のコンクリートボリューム)は388,583㎥のダムです。

大台ケ原を含む山々の尾根を境界とした赤線の範囲内(流域面積)に降った雨が宮川ダムに集まっています。

宮川ダムパンフレットより

流域面積125.6㎢に対し湛水面積(貯水池の面積)は2㎢、約60倍の範囲から集まった雨が貯水池に貯まるため、例えば100㎖の雨が降ったとすると、6ⅿほど貯水池の水位が上がっていく計算になります。

ただし実際には、降った雨は土の中に60~70%がしみ込んで、山が飽和状態になってくると徐々に水分が出てきてダム湖に流れ込んでいきます。

総貯水量(貯めることができる水の量)は7,050万㎥、この日のダムの貯水が標高で約275ⅿ、最大283ⅿまで貯めることができます。

管理棟から見た貯水池

ダムのゲートを開けて放流するのは、制限水位を超えたとき。

現在は冬で台風が来る恐れはないため制限水位を280mと高く設定していますが、夏休み期間は大雨に備えて270ⅿまで制限水位を下げて宮川ダムを運用しているということです。

2.宮川ダムは多目的ダム

①洪水調節(治水)

100年に一度の規模を想定し、大台町から伊勢市までの下流域での水害軽減に効果を発揮

②不特定かんがい用水の供給(利水)

農業用水として、伊勢市・明和町・玉城町・多気町・大台町の約4,700ヘクタールの耕地に安定した不特定かんがい用水を供給

③発電(利水)

宮川ダムに貯留された水を宮川第一発電所・第二発電所に供給し、最大54,200kwを発電

宮川ダムで常時0.5㎥/sの放流(河川維持)を行い、直下の宮川ダム管理用水力発電設備で最大220wを発電

真下を見るとその高さに足がすくみます…

3.宮川ダム見学

いよいよ実際に、普段は行くことのできないダムの内部へ案内していただきます。

クレストゲートを巻き上げる機械はこんなに高い位置に。

大杉谷の緑とダム湖を望む景色は絶景!
クレストゲートを真上から
クレストゲート上部を真横から
放流の際にクレストゲートを巻き上げる機械
緊急時はこちらの部屋から操作することも

続いては、普段の操作を行っている管理棟の中の操作室へ移動。

質問にも随時答えてもらえます
操作室

操作室では、水量の変化を見てダムのゲートの上げ下げなどを行っています。

台風が発生した場合、沖縄あたりに来た時点で職員全員が集まり始め、何時頃に雨が降るか、いつ放流するかの計画を立てるそうです。

宮川ダムで放流した水が三瀬谷ダムに着くのは2時間後。

放流の際、宮川沿いにあるいくつもの警報所で事前にサイレンを鳴らす操作を行うのもこの部屋から。

また、平成18年4月に運用を開始した「選択取水設備」により水温や濁度を見ることができ、特に水温の差が顕著な夏場には鮎の冷水病を防ぐためにも役立っています。

3.宮川ダムの内部へ

次はダムに沿った階段を下っていき案内していただきます。

かなりの高さがあります

外階段は急なので足元には十分注意して。

ドアが現れました。いよいよ内部へ向かいます。電気がついていないと真っ暗になるそう。

ダム表面にドアが出現
細くて狭いトンネルが続きます
トンネルの先には下まで続くという長い階段が

昔はモノレールが通っていたそうですが、今は使っていません。

新しいダムだとエレベータが付いていますが、古いダムであるためずっと下まで階段が繋がっていています。この階段を使い職員は一週間に1度点検を行っています。

消灯する際には「誰かいるか~?」と必ず声をかけて、下に人がいる場合は「いるぞ~!」と大声で返事するそうです。

停電してしまったらと思うと恐々。

希望者には職員が付き添って階段を下りていくことも可能。その場合は宮川ダム見学の所要時間は1時間半~2時間程度となります。

紅葉越しの宮川ダム

駐車場前は小さな公園になっており、壮大な宮川ダムを眺めることができます。

ここには立派なモミジが植えられており、秋には紅葉とダムを同時に楽しむことも。

 

宮川ダム見学をご希望の方は、以下の問い合わせ先へお申し込みください。

三重県 松阪建設事務所 宮川ダム管理室 0598-78-3221
総務・管理・建築室 0598-50-0586

ダムカードをご希望の際も事前に要連絡。

なお見学中の写真撮影は、職員の指示に従って許可を得てから行ってください。(※動画撮影不可)

 

貴重な体験のできる宮川ダム見学。台風の心配のないこのシーズンにぜひ訪れてみてください。

 

※都合により見学希望日等の要望に添えない場合がございます。

※天候、ダムの運用等により急遽見学の中止をお願いする場合がございます。

※今後の新型コロナウイルス感染症の拡大状況によっては、ダム見学・ダムカードの配布が中止となる場合がございます。事前にお問い合わせください。

“ハレとケの隙間” 赤福ホットバターサンド!

「ハレとケ」ってどういう意味だろう。聞きなれない言葉なので調べてみた。これは日本人の伝統的な世界観のひとつだと説明されている。

ハレとは、折り目・節目を指す概念で「晴れの舞台」などの言い回しで使用されると説明されている。なので伊勢の「赤福餅」を「ハレ」の食物だと定義してもいいかも知れない。

それに対して「ケ」は「普通の、または、日常の(もの)」と説明されていた。なるほど。少し解った気がする。すると「赤福餅」を「パン」で挟むとどうなるだろうか。ハレがケの食べ物になるのかな・・。

 

とにかく食べたくなったのだ!

赤福バタートーストを千葉県在住の方がInstagramに投稿した画像を見つけた。「12個入りの赤福は一人で食べるには量が多かった!なのでバタートーストを作ってみた」と。

気になる、とても気になる投稿だ。今まで赤福は何度も食べているけど、赤福バタートーストはない。「そうだ!時々一緒に仕事をするフードコーディネーターさんに映える赤福トーストを作ってもらおう!」と、早速アポイントを取った。

 

 

伊勢おはらい町に向かう。

今回、赤福と一緒に試してみたいお餅も買いに行く。

その道中、有名なオシャレカフェを発見した。まさに黒潮に運ばれてきた洋文化。さて、これに対抗できそうなキャラクターはいないだろうか・・彼女だ。

 

おかめちゃん

おかめちゃん!「うん!いける!これだったらオシャレカフェに対抗できるかも!!」。そう思いながら彼女を見つめると、目をそらした気がした。どこ見てるんだろう・・気のせいかな・・。
とにかく岩戸屋さんできな粉餅を購入、そして赤福本店へ向かう。

 

赤福

赤福8個入り、岩戸餅8個入り、伊勢茶食パンを購入。これを持って、頼りにしている料理教室の先生の元へ向かう。果たしてどんなバタートーストが出来上がってくるだろうか。

 

 

料理教室アンソレイユ

ピンポーン♪ 目があった!
「先生よろしくお願いします〜」「は〜い!」といい返事がかえってくる。

「今回お願いしたいの例のお品がこれなんです。」と手渡す。

山本ひろみ先生。伊勢市で料理教室を運営しながら依頼があれば料理撮影のプロデュースやディレクションの仕事も受ける。時々仕事を共にする私が信頼するフードコーディネーターだ。


ふむふむ、少し考えてから「ホットサンドのバターサンドを作りましょう!」。そして調理の工程を教えてくれた。

まずバターをサイズに合わせてカットする。

パンを薄く切って

バターを置いてお餅をのせる

あんこを沢山乗せ

上にパンを置き挟む

そして、ホットサンドメーカーで焼くだけ。

 

・・・・ピンポーン 来客だ。

 

しばらくして、はい焼けた!

 

「ちなみに先生!

この作業は調理ですか?」

単純な質問した。

「はあ?」これはですね・・・

・・・・と続く。

あとは想像にお任せします。

 

「さて、あとはカットするだけ。簡単でしょ?」と説明してくれた。包丁を入れると「あっ!」と言葉が出た。大変な事態になった!「バターのとろみが見えねぇ!」。さっきの来客対応で熱が加わりすぎたようだ。

「気になるのでやり直しますね!」先生のプロ根性が出てきたのだ。「次は撮影用に少しバターを多めにし、冷凍庫で硬めてから熱を加えます」と説明してくれた。パン生地の焦げ具合とバターの溶け具合のバランスを取って、再度チャレンジする事に。果たしてどうなるだろうか。

 

 

冷凍で硬めたバターをドーン!!

熱を加える!

カットする。「よし!」

撮影用のお皿に乗っけて

少しレンジでチン。

するとバターがとろとろしている。

さて撮影だ!

 

パシャ!

拡大してみた。

 

餡子とバターがトロトロしてる〜。

餡子の上にバターが乗った方が映えますね〜。

 

 

 

試食してみよう。

ちょうど小学校から帰っきた先生の息子さん、ハル君が来た。
早速彼に試食してもらった。
どうだ!反応は!
ワクワクする〜

美味しいよ!!」

言葉を何度も繰り返す。

「美味しいよ!!」

私も実際食べてみる。手に持つと赤福餅がホットバターサンドになった感動が湧いてくる。そして口に入れると、形が変わっても赤福だと解るのだ。

少し斜め上をいく美味しさ。「カフェのメニューに行けるかも!」。もしこの記事を見た関係者様がいましたら意見として受け取ってくださいね。

形を変えても自然な味を保っているのは、良質な素材である証拠。多くの人に愛される理由のひとつだ。歴史あるお餅をバタートーストにするなら、間違いなく美味しい。SNSで沢山の方が投稿する理由もわかる。

 

 

で、きな粉餅はどうなる?

引き続き、おかめマークの岩戸餅をホットバタートーストにしてみよう。次は、きな粉餅だ。噂では、きな粉をバタートーストにたっぷり振りかけて食べると美味しい!という噂を耳にしている。

その噂を試す時が来た。

要領は同じ作業だ。

できた!
見た目からも、高カロリーなトーストが出来上がったぞ!
さすがに赤福バターサンドの後に入らない。
試食は翌日にしよう。

 

冷めた岩戸餅サンド

期待以上に美味しぞ!

誠に、美味しい!

 

これだよこれ!このきな粉が冷めてバターに浸透した旨さ。これは赤福に続き、ハマる人が出てくると予感させる。お洒落に盛り付けたら、あのカフェに対抗できる!?あくまでも個人的な意見ですが、それくらい面白い仕上がりの味だ。ただひとつ問題がある。それは、高カロリーということ。

例えば太りたい方や、育ち盛りのお子さんの3時のおやつ、カロリーがとても必要なスポーツや登山の時など。また、部活帰りの学生に食べさせるのも良いかも知れない。とにかく一度は経験すべきである。

 

 

ハレとケと、おサンジ。

お伊勢参りは「晴れ」の日。この餅文化を例えると、おかめは「ハレ」、対して「ケ」は、日常生活に溶け込んだオシャレカフェ。 和と洋の食文化が融合したひと品。そんなハレとケでサンドしたお餅こそ、御三時(おサンジ)アフタヌーンと敬意を込めて丁寧に言ってみる。そうか!おかめちゃんの目線は、そんな未来を見ていたのかも知れない。

 


 

Special Thanks

料理教室アンソレイユ

〒516-0016

三重県伊勢市神田久志本町1457-1

TEL :0596-34-0500

 

赤福餅

 

岩戸餅

 

 

鳥羽浦村の有事に機能した共同体。ちっぽけな私から視えたほんの一部を伝えたいと思った。

カキ養殖が盛んな三重県鳥羽市浦村町。

2022年1月15日に発生したトンガでの海底火山による津波の影響で、カキの養殖いかだが破損するなどの被害が出ました。

津波の影響でいかだが乗り上げている様子

――いま自分が出来ることは?!――

大変な状況下、漁業者と関係性のある県内のプレイヤーたちが動きました。きっと皆さんの周りでも色んな動きがあったと思います。

これはちっぽけな私から視えるほんの一部となりますがここに綴ります。

 

1月16日 津波注意報発令

バキッバキ….

浦村でカキ養殖業を営む「孝志丸水産」の浅尾大輔さんが消防団に向かう途中、海に浮かぶ養殖いかだから、バキバキと音が聞こえたという。

普段穏やかな海は、川のように波立っていた。

浅尾さんはスマホで海の様子を記録。水産仲間はもちろんのこと、日頃からコミュニケーションを取っている報道関係者や行政職員などに共有した。

浅尾さんから映像を送られた報道関係者は、各担当記者に即連携。ヘリを飛ばして上空から状況を報じた。

(浅尾さん撮影映像)

 

1月17日 カキ養殖筏およそ500台が被害に

最大60cmの津波を観測した三重県。
午前中には、三重県知事による被害状況視察が行われた。

県のプレスリリースによると、浦村地区で約2000台あるカキ養殖いかだの内、約500台が流されたという。

(海の流れが異常。桟橋も外れている様子)

 

浦村にカキはある!!「落ちないカキ」丘漁師組合が動く

同日。TVディレクターから私に現状共有があった。
情報を繋いだ先は、桑名市で企画会社を営む「株式会社On-Co」の水谷岳史さん。

水谷さんは、「丘漁師組合」という丘から海の課題を考え活動する人を増やす取り組みを進めている。ネーミングは水産素人を揶揄して付けたそう。

浅尾さんに電話して、状況と想いを聞き取った水谷さん。

浅尾さんとしては、メディアを通して現地の状況を報じてもらった上で、更に伝えたかったのは「浦村地区にカキがなくなったわけではない」ということ。

落ちないカキの筏。船が着けられない状態のため、ここでカキを揚げボロボロになった筏を渡りながら船に乗せる。

浅尾さん:海の恩恵を受ける商売なので、天災ともうまく付き合っていかないといけない。だからこそネガティブなことだけではく、ポジティブな発信もする必要がある。浦村にカキはある。落ちずに残ってくれたカキをこの時期やから受験に落ちない!ってのでポジティブなキャンペーンにしたいな。

水谷さんはすぐに「落ちないカキ」のキャッチ画像を作成した。そして自身のSNSにて50セット限定販売を開始。電話を切ってから1時間のスピードだった。

水谷さん:押し寄せる困難を跳ね返ししっかりとしがみつくカキを縁起物にする浅尾さんの発想は本当にさすが。自分のコミュニティ内だけでも「浦村には美味しいカキはある」ということを伝えなくてはと思った。丘にいる僕たちの意識や行動が変わることで、解決できる海の課題も沢山あるはず。実際関係性ができていたからこそ、このような事態でもすぐに動けることがあったわけですから。

 

多くの応援コメント。「落ちないカキ」を丘が盛り上げる

水谷さんの落ちないカキの投稿は、応援コメントと共に数十件のシェアがなされた。多くの注文も入った。フォームは作らずに、連絡は敢えてコメントとメッセ―ジ。配送情報を浅尾さんに託していった。

関係性のある報道関係者たちからは、メディアとして協力できることへの相談や提案も寄せられた。過程では逐一、行政職員からも正しい情報が共有されていた。

この「落ちないカキ」を記事にした、朝日新聞大瀧記者はこう添える。

大瀧記者:基本的にメディアとしては、流されたいかだの台数や、落ちたカキの量などのインパクトを追いかけがちです。ありのままを伝えることはもちろん大事。でもそれってそこに住む人にとって本当に必要なニュースなのか。被害を変にあおってないか。誰にとって幸せなニュースなのか…。
メディア側の人間ではありますが、こんなことを考えながら取材しました。浦村にカキはあります。もっとポジティブなことを「ニュース」として捉える文化が、メディアのなかでも増えて欲しいな。

(1.25追記)新聞の切り抜きを持って、浦村に「落ちないカキ」を求めて来てくださった方もいらしたそう。

 

先生たちも動く!「落ちないカキ」バスレストラン?!

天災に重なるように発令されたのが、コロナによるまん延防止等重点措置。

浅尾さん:浦村町には約60の事業者がおり、うち二十数事業者が焼きガキなどの店舗を経営してる。鳥羽のカキは仲間みんなの力。天災で仲間たちとの一体感は強まっているけれど、重ねてまん防が出たことで不安も高まった。いま浦村で出しているカキは全般が「落ちなかったカキ」。お客さんに浦村のカキは元気だよーと伝えるひとつの方法として、ポジティブな展開を仲間たちと考えていきたい。

1.22復旧作業の様子

そんな中、関係性のある大学関係者によって、三重県明和町の観光商社からバスレストランで浦村カキツアーを行うというプロジェクトが動き出した。

キッチン付きのバスで明和町から浦村まで行き、現地の話を聞いてカキを受け取る。帰りは車中で食べながら戻るという流れ。詳細は来週に決まる予定。とっても楽しそう!!

 

落ちないカキがクッキーに (1.25追記)

落ちないカキを知り動いたクリエイターがまた出現した。桑名市にあるいきものクッキー専門店のクキーアートデザイナー「kurimarocollection」の栗田こずえさんだ。

栗田さん:お世話になっている漁師さんたち。微力ながらも、桑名エリアの方にも、浦村に美味しいカキがあることを知ってもらう流れを作れたらと考えました。三重県同士のつながりを大事にしたいですよね。

そして完成した「落ちないカキ」クッキー。現地の漁師から送ってもらった「焼き牡蠣小屋マップ」を添えて、27日頃から店舗に数量限定で並ぶ。

(1.28追記)「来週牡蠣小屋予約していたけど、津波の被害を知って今年は無理かなと思っていたところ、kurimaroの落ちないカキクッキーで浦村に牡蠣があることがわかり、ツアー決行になりました」というお客さんにkurimaro店舗で出会った。
牡蠣小屋マップ見ながら「ここ行ったことある」等の話が盛り上がっている光景も出てきている様子。受験生やご家族が買う流れもあり、第一弾はもうほぼ売り切れだった。

 

海洋プラゴミアーティストが動く!災害による廃棄ロープ循環へ

イカダから吊り下げられて育つカキ。津波は海全体が動くため、吊るしたカキも波を受ける。垂下養殖は津波に弱い。海の中にヨットのような風を受ける帆をはってるイメージだと聞く。

もちろん海に落ちてしまったカキはもう拾えない。

筏の上からではわかりにくいが、下のロープは大団子状に絡まり廃棄をやむを得ない状態に。
処分代もかなりの負担だ。

そこで動いたのが、2021年に名古屋から鳥羽市に移住し海洋プラスチックゴミを資源として再生させ、家具やアート作品を手掛けている「REMARE」の間瀬雅介さん。

災害で絡まったロープを引き取って一気粉砕。ペレットか板上の海洋ゴミ素材にして販売をする流れだ。

これにより本来であればかかる産廃処理費用が圧縮されるだけでなく、埋め立てゴミとなるものが、新たな価値として生まれ変わることとなる。

間瀬さん:災害時に出るゴミの既存構造を変えて、循環させたいんです。

間瀬さんは、航海士として南極海に行った経験も持ち、海洋ゴミ問題のアート転換をするため、日頃から鳥羽浦村の漁師たちと連携を図っている。

海洋プラを使った作品

間瀬さん:(労働的にも資金的にも)地域のみんなが困っている状況下で、解決の選択肢に当たり前のように自分の存在があった。輪の中に入っているというのかな。これまでも海に関わってきたけれど、自分のアート活動が「海の誰かの助け」になって、前提の一員として進んでいたのがとても嬉しかったです。

これから間瀬さんは、漁師たちが海から揚げたロープを引き取り、材質判別を行いながら洗浄・加工作業へと入っていく。最終的にはダイニングテーブルに転換することも検討しているそう。

 

関係性の大切さ。いま自分が出来ることは?!

関係性の中で起きた連携は、それぞれが日頃から強みを活かしあい、大切にしている想いを理解し合っていたからこそ柔軟で、なにより愛があった。それも各々のフィールドで考えた小さなアクションが良い波紋を創っているところも。

現地の海側は、復旧作業が大変な中でも、迅速な情報共有や気遣いある声掛けを一貫してされていた。丘側は「いま自分が出来ること」で関われることに有難さを感じていた。

一連の流れを行政側からサポートし続けている、三重県伊勢農林水産事務所の太田所長はこう話す。

太田所長:色んなプレーヤーが繋がってるのが三重の強み。誰かが課題を投げたら、色んな人が拾って一緒に取り組んでくれる。自分がやるだけが全てではなく、皆で取り組む事で大きなうねりになると思う。

――いま自分が出来ることは?!――

私から視えている風景も、書いた内容もほんの一側面でしかない。でも地域で機能する共同体の輪郭を目の当たりにして、視える範囲でも構わないから記録したいと思った。

復旧作業は序盤。大変な状況なのは前提として、最後に伝えたい。

「浦村に美味しいカキはあります」

 

 

 

(9.28追記)今年7月。本災害がきっかけとなり、浦村地区にいる12軒のカキ漁師が連携。共同事業体として、養殖会社「浦村Sea Farm」を設立し、カキ養殖が抱える自然や労働環境への問題の解決に向けて動き始めた。メンバーにはこの数年で廃業を考えていた人もいる。浅尾さんは「力を合わせればこれまでにない力が生まれるはず」と語っている。

 

シェフ、外国人、旅人!?挑戦できる町が明るく楽しくなってきた!南伊勢の暮らし方

38の集落が点在する三重県度会郡南伊勢町は東西に長く、端から端まで車で約1.5時間。風光明媚なリアス海岸を望む主要道路は渋滞がなく、ドライブに最適だ。しかし、町内に電車は走っておらず、タクシーも限られているので夜に飲食店で酒を酌み交わすにはハンドルキーパーが必要。都会のように気分次第で酒を吞んで家に帰ることが難しい。

“集落にシェフが出向くキッチンカーをやりたいんです”

そう語るのは南伊勢町出身のシェフで、地域おこし協力隊の小嶋孝明さん。今回3名の南伊勢町地域おこし協力隊を取材。人口減少が進む日本の地方の、あたらしい歩き方をご案内します。

 

小さな漁村に
\フレンチのキッチンカー/

小嶋さんは高校卒業後、大阪の調理師専門学校に入り、その後シェフとして8年程キャリアを積んだ。東京でミシュランの星付きフレンチレストランや、同系列の他店では副料理長も務めるなど腕を磨いた。働く傍ら、有名店など様々なレストランを食べ歩き、店のシェフと話しをしてスキルアップのヒントを得る日々。

小嶋さん:当時、給料のほとんどを食べ歩きに費やしていました。

料理への熱い情熱を持つ小嶋さん。小学生になるころには将来の夢を「料理人」と決めていたという。小嶋さんのご家族は食べることが好きで家庭で料理を振る舞ったり、生まれ育った漁村・神前浦では親戚の仕出しの仕事も小さいころから手伝っていた。

小嶋さん:家族やお客さんが料理を通じて笑顔になる。幼心に魅力を感じていました。

上京後、いつかは地元に戻って暮らそうと考えていた。その考えを前倒ししたのは、新型コロナウイルス感染症の感染拡大だった。

小嶋さん:コロナの影響で店を点々とすることになり「このままだと今までと何も変わらない」と感じていました。

そんなとき、見つけたのが南伊勢町地域おこし協力隊の募集。今は協力隊として水産会社「山藤(やまとう)」で働きながら、三重県産柑橘を使った干物の開発など、新たな挑戦を進めている。

「山藤」は鮮魚や干物の製造販売を行っていて、独自開発した「骨なし串干物」は都会の百貨店やJALの新JAPAN PROJECTでも販売されている人気商品。

また旅館などに卸している干物はアジが中心で、小嶋さんは日々、1,700匹近いアジや季節の魚を捌いている。歩いて数分の市場にも直接仕入れに行き、シェフとして目利きした鮮魚などを、元同僚である東京の料理人にも販売。

小嶋さん:料理人がどんな魚を求めているかがわかります。そして産地なので、新鮮で美味しい地元の魚が食べられるフレンチやイタリアンのレストランがあれば、暮らしが楽しくなっていいなと思っています。

うみべのいえ
うみべのいえ
うみべのいえFacebookより

小嶋さんはそんな思いから、南伊勢町五ヶ所にあるシェアキッチン「うみべのいえ」で二週間に一度、フレンチなどの料理を販売。一回のイベントで100〜200食が完売する人気ぶりだ。需要はあると手応えを感じている。

小嶋さん:それぞれの集落で、地元の魚を使ったフレンチをお酒と一緒に愉しんでもらいたいです。キッチンカーで出向いて、地元の人が愉しめる場を地域に作り、そこに地域外から人が訪れる流れができたら嬉しいです。

山藤の社長・山本久美さんは「小嶋君、100点満点の働きぶり!うちにはもったいないわー。レストラン、早くやってほしいです」と嬉しそうに話す。

しかし「うみべのいえ」で人気なのは、魚以外の料理。地元の人は魚を食べ慣れている。

小嶋さん:どんなフレンチの魚料理なら地元の人は食べてくれるのか。そればかり考えながら、今日も生きています(笑)。

そう話をする小嶋さんの表情は、いきいきとして楽しそうだ。料理人としてレシピを考える口福な時間、そして都会で積み上げてきたスキルは、地域に新しい風を起こそうとしている。

 

 

南伊勢暮らしをエンジョイ!
\ジョイスさん/

「シールはがせたよ、ひとりでできたー!」。子どもたちの元気な言葉に「Good Job!」と明るい声が響く、南伊勢町保育所穂原園。

英語の授業を行うのは、アメリカ人の父と三重県松阪市出身の日本人の母を持つ、ハーモン・ジョイス・愛子さん。2020年3月から南伊勢町地域おこし協力隊として、町内の保育園や小学校で英語の先生をしている。
ジョイスさんは生まれは三重県、育ちは米国ネブラスカ州。大学では観光学を学んだ。在学中にハワイに留学しそのまま卒業。日本に移住した理由を聞いた。

ジョイスさん:故郷は海も山もない町でした。海や自然が好きで、ハワイに暮らしながら日本人中学生や高校生の修学旅行のガイドをしていました。

日本人が多いハワイで過ごすうち、母方の母国である日本に興味が湧き、いつかは暮らしてみたいと思うようになった。

ジョイスさん:日本は大都会の東京や、古都京都のイメージでした。

ジョイスさんは2019年に日本に移住し、岡山県で英語の先生をしていた。南伊勢町地域おこし協力隊の仕事を知ったのは、知り合いのSNS。応募する際Google Mapで南伊勢を検索した。

ジョイスさん:Google Mapではバスが走っていたので「この地域の人たちは、バスで買い物などに行く暮らしをしているんだな」と想像していました。でもこちらに来てみたら、あれ?店がない!

実際に赴任し、店の少なさに驚くとともに、海や自然の美しさに癒されているという。

ジョイスさん:ハワイの海もキレイだけれど、南伊勢の海もブルーやグリーンで美しいです。渋滞もなく、人もフレンドリー。ピースフルな町だと思います。あとカキフライも美味しい(笑)。

内瀬の湾の前で、内瀬みかんを地元の人にもらったジョイスさん。

ジョイスさんは母方の親戚や、日本に暮らす友人などを案内するとき、美しいリアス海岸のハートの入り江や段々畑にブランド柑橘が育つ内瀬地区、そして好物であるカキフライが美味しい食堂など、自分の好きな南伊勢を案内している。友人とはシュノーケリングも楽しむという。

ジョイスさん:母方の親戚は三重県民ですが、南伊勢に来たのは初めてでとても喜んでいました。その姿を見て、私も嬉しく思いました。

ジョイスさんは昨年、日本で出会ったブラジル人のアレックスさんと結婚。愛知県の大規模工場に勤めていたアレックスさんも、今は南伊勢の柑橘農園で働いている。

写真後にある山が二人で登った浅間山

ジョイスさん:アレックスがこちらに引越しをする前に、南伊勢の自然豊かな美しい町並みを見て欲しくて、2人で山(浅間山)をハイキング。頂上からの眺めに彼も「美しい町だ」と喜んでくれました。

すっかり南伊勢暮らしをエンジョイするジョイスさん。最後に協力隊として町に関わることで、どう変わっていくと良いかを尋ねた。

ジョイスさん:田舎ですが保育園に通う子どもたちが、私のような外国人と幼いときから触れ合うことで、グローバルな感覚を持った人に育ったらいいなと思っています。4〜5才の幼児に英語を教えたことがなく、最初は不安でした。彼らはまだ年齢的に恥ずかしがることが少なく、間違いを怖れません。そんな元気いっぱいの子どもたちに、可能性を感じています。

日本で最初に認定を受けた国立公園「伊勢志摩国立公園」の自然に恵まれた南伊勢町。また魚の水揚量も三重県で一番であり、ブランド柑橘は県内だけでなく都会の果実店でも人気。世界に誇れる自然や産業があり、グローバルな子どもが育った将来、国外に向けて魅力を発信できれば、町は大きく変わるのかも知れない。それは、南伊勢を知らなかったジョイスさんが、美しい海や自然を満喫するように。

 

 

旅人が思う
\移住で大事なこと/

波が穏やかな五ヶ所湾にある、サニーコーストカヤックスでカヤックインストラクターとして地域おこし協力隊に赴任した丸尾航平さん。南伊勢町に移住した経緯を聞くと・・

丸尾さん:ええっと、どこからお話したらいいんだろう・・。神奈川県の茅ヶ崎で生まれ育って、そのあと日本を自転車で縦断して、波照間島に暮らしていて・・。

丸尾さんの旅人的な暮らしを要約させていただく。地元茅ヶ崎市で3年ほど栄養士として勤めたあと、自転車にテントを積み込み、北海道の稚内から沖縄県の波照間島まで野宿をしながら旅をした。

丸尾さん:島に着いたその日から、地元の居酒屋さんで働くことになりました。

持ち前の明るさが気に入られ仕事も見つかり、そのまま島に移住。島でバックパーカーをしていた奥さんと出会い、その後はアメリカ大陸やヨーロッパ、最後はアジアをバッグひとつで旅をして島に戻った。

丸尾さん:島では自分の飲食店をしたいなと漠然と思っていました。妻が山好きで1シーズンだけ上高地のキャンプ場で働いたことも。妻と二人で「次どこに行く?」という暮らしで、軽バンに乗って日本の各地を転々と巡る、キャンプ暮らしもしました。

そんな旅人暮らしをするなか、知り合いづてに地域おこし協力隊の募集を知った。

丸尾さん:カヤックは単純に楽しくて、いいなと思いました。今はインストラクターとして人を海に案内するので、勉強することも多く、資格も必要です。

サニーコーストカヤックス代表の本橋洋一さんも関東からの移住者。丸尾さんがいることで、どんな変化があるのだろう。

本橋さん:丸尾君が入るまで1人で仕事を回していました。彼が手伝ってくれるおかげで「今までどうやって1人で回していたのだろう?」と不思議になるほど助かっています。そこのウッドデッキも彼が作ってくれました。あと、彼が来てから人との繋がりも増えました。この前の飲み会も楽しかったよね。

丸尾さんは友人らと、地域おこし協力隊、移住者、地元の若者などを集めて定期的に飲み会を主催するようになった。知らない土地で新しい仕事を続けて行くには、情報交換や人との繋がりが大切だという。

丸尾さん:僕は家族がいるからいいけど、一人で移住してきたり、地域おこし協力隊をやっていると、どうしても孤独になることもあるんじゃないかなって。それと、地元の人との繋がりがないと、せっかく移住してきたのに南伊勢を離れてしまうかも知れない。もったいないことだと思うんです。あと息抜きも大事ですから。

 

 

挑戦できるから
\町は面白くなる/

丸尾さんは「旅する料理教室マルコの台所」として、バックパッカー時代に知ったスパイスを使った料理教室を行ったり、シェアキッチン「うみべのいえ」でスパイスカレーなどの販売も行っている。

丸尾さん:今でも「飲食の仕事を立ち上げたい」という想いは持っているんですよ。

地域おこし協力隊になって2年が経った丸尾さん。昨年お子さんが生まれ、今後は南伊勢町に定住しようと考えている。

丸尾さん:カヤックと飲食を組み合わせて、何かできないか考えています。今まで旅人のような暮らしでしたが、定住しようと決めたことで、具体的にどんな事業を立ち上げるのか、計画するようになりました。でも、いきなり何かを始めるのはハードルが高いです。

そして、話を続けてくれた。

丸尾さん:以前は「都会で飲食をやることから逃げているだけなのかも知れない」と思うこともありました。でも自分で考えて動いて、与えられるのを待つのではなく、ここでやる意義と向き合っています。そんな毎日は、憧れの飲食への妄想は広がるばかり。いろいろと挑戦してみたいです。

南伊勢町は人口が減り続けていて、飲食の店舗を構える商圏と捉えると、新規事業として商売的に厳しいのかも知れない。しかし空き家や空き施設がありスペースはあり、何らかの形で活用することもできる。そして町には飲食店や店は少なく、それを望む声もある。

ここ数年で様々なプロジェクトが始まった南伊勢町。挑戦するから町はおもしろくなる。町がおもしろくなるから人が集まる。それはかつて、経済的な豊かさを求めて地方から都会に人が集まったのとは逆に、暮らしの豊かさを求めて都会から地方へ人が集まるように。

地方にはフィールドがある。そして人が人らしく暮らしていくために大切な自然にも恵まれている。挑戦できる町、南伊勢町。あなたならこの町で、どんな理想の暮らしを描きますか?

 


 

南伊勢町では
地域おこし協力隊を
\募集しています/

詳しくはこちら

 


 

また移住・定住のご相談や体験も可能です。
お気軽にお問い合わせください。

南伊勢町役場 まちづくり推進課 若者定住係
三重県度会郡南伊勢町五ヶ所浦3057
tel 0599-66-1366
mail teiju@town.minamiise.lg.jp
hp https://www.town.minamiise.lg.jp

南伊勢町の記事一覧

サザエ~生き抜くために~

「サザエ」と聞くとどのような姿を想像するでしょう。
渦巻きで、なんかとげとげしている貝、恐らく多くの人が上記の写真のような姿を想像すると思う。
これは殻に籠っている状態、大型スーパーの鮮魚コーナーなどで売られている時は大体この姿。
あまり食べたことがない人でも、サザエと聞いてこの姿を思い浮かべる人がいるほどサザエは有名な貝で人気の高い食材である。
そんなサザエ、ただ有名なだけではなく、生きてる時は他の貝とは結構違う生態をしている。私たち人間と同じような所も…

歩くサザエ

サザエは主に海藻を餌として食べている。しかし、その海藻もいずれは減ってしまうので餌を求める都度移動を行う。

サザエに似た形をしているホラ貝の足(腹足)の裏

貝類の多くは「腹足」と呼ばれる足を持つ。
お腹全体を地面に付け、ズルズル引きずるように歩くのだ。
アワビや陸の貝類のカタツムリも同じ腹足の仲間である。

サザエの腹足。はっきりと右、左が分かれている

サザエも同じ腹足を持つので、引きずりながら移動するが、他の貝とはかなり違う。私達と同じ様に「歩く」のだ。
腹足が左右に分かれており、これが右足、左足となって片足ずつ前に動かしながら移動する。

左足を前に
そして右足を前に

右足を移動させている時は左足は止まっている。私たちと同じように。貝とは思えない移動の仕方である。

サザエのとげ

サザエの殻にも違いがある。とげとげしてるタイプと特に何もないタイプだ。
サザエと聞き、真っ先にとげのない方を思い浮かべる人もいれば、長いとげが殻全体に生えているタイプを思う人もいる。

南伊勢町阿曾浦にある友栄水産に売っているサザエを見せていただいた。
つぼ焼きにしやすい小ぶりなサザエでも、やはりとげ有りと無しが混ざっている。

左から順にとげが伸びている

よく見ると、とげがまだ短いのもいる。
生まれつきとげの有り無しがあるのではなく、必要に応じて生えてきているのだ。

とげが必要な状況、それは転がった時。

サザエは万一転がってしまった場合、何処かに止まらないと起き上がることができない。
その時殻にとげが生えていると止まりやすくなるのだ。
潮の流れが強いところにいるサザエは転がるリスクも高いので、とげが生えやすい傾向にある。
逆に穏やかなところに生息しているサザエは転がるリスクも少ないので、とげ無しの状態で成長していく。

周囲の状態を確認しながら身体を変化させているのだ。

サザエだけでなく、名前はよく知っていても、どのようなものかは知らない水産物は多い。
生態や特徴を少しでも知ることで、次回食べる際に特別に感じるはず。
日々食材に感謝を込めて頂きたいですね。

【満席御礼!受付終了】クリエイティブワークショップ 美杉 Inaka Tourism!

満席になりましたので受付を終了します。

 

クリエイティブを
実践的に学ぶ人を
\募集中!/

伝わる文を執筆する、美しい写真を撮る、スタイリッシュな動画を作る。その道のプロからセミナーとフィールドワークで学びませんか?(受講費無料)
今回は津市美杉町で行われているInaka Tourismのウェブサイトが、ウェブメディア化するのに伴い、みんなで美杉に行き、クリエイティブを学びながら実際にInaka Tourismのウェブメディアにブログを書き、地域の魅力を伝えることが目的です。
また、それを機に地域や地域の人と繋がることで、第二の古里のような、あなたにとって「通える田舎」を作ることも目的としています。

 

ライティング担当

OTONAMIE 副代表 福田ミキ
https://otonamie.jp/?author=39
ブログタッチの軽快でテンポの良い文章にファンが多い。

 

写真担当

OTONAMIE 井村義次
https://otonamie.jp/?author=30
プロカメラマン。OTONAMIEでも自身の記事の美しい写真が好評。

 

映像担当

加藤雅之
https://masayukikato.com/
映像クリエイター。ミュージックビデオを中心に日産WEB広告などの映像も担当。

 

ディレクション

OTONAMIE 代表 村山祐介
https://yusuke-m.tumblr.com/
ライター兼デザイナー。映像なども含めた総合的なプロモーションのディレクション業務もこなす。

 

内容
2日間でセミナーとフィールドワーク(取材)を行います。参加者の皆様には最終的にそれぞれ1本のブログを書いていただきます(クオリティは問いません)。どのような視点で文章にするのか、美しい写真はどのように撮影するのか、スタイリッシュな映像の撮り方などをそれぞれの担当者と一緒に作り上げていくイメージです。できあがったブログは後日、ウェブメディアへ改修した「Inaka Tourism」のページで公開。また「Inaka Tourism」のSNSでもシェアします。
取材を通じて地域や地域の人とつながることで、より美杉が好きになると思います。ご希望される方には持続的に「Inaka Tourism」での記事を執筆できるようにInaka Tourism事務局がフォローも行います(一部有料にて取材の依頼・Inaka Tourism事務局側での審査有り)。
年齢、経験などは問いません。ご興味ある方はこの機会にぜひご参加ください。

 

日程
下記のいずれかをお選びいただけます。
第1回 2022年2月12日(土)〜13日(日)
第2回 2022年3月26日(土)〜27日(日)
満席になりましたので受付を終了します。
※両方の参加はできません。
※宿泊希望の方はInaka Tourism事務局で民泊(有料)の手配をします。

 

スケジュール(予定)
両日とも10:00〜17:00を予定
一日目:撮影、ライティング、動画のセミナー
二日目:取材とまとめ
後日:ブログの提出
※ブログに動画を使わなくてもOKです
※現地集合/現地解散

 

会場
美杉リゾート(集合・セミナー等)・美杉町

 

定員
各回ともに10名限定
※友人やご家族等とのご参加も可能です

 

受講料
無料
※交通費、宿泊費、飲食費などは参加者でご負担ください。

 

主催
Inaka Tourism推進協議会

 


 

主催者よりメッセージ
ご挨拶
美杉リゾート/Inaka Tourism推進協議会代表の中川と申します。
美杉町は、三重県指折りの過疎地です。
その人口減少の勢いは加速度的に進んでおり、私が小学生であった20数年前と現在を比べると、人口は半分以下の4000人弱まで減少しています。
しかし、室町時代には伊勢の国司であったということ、江戸時代にはお伊勢参りで伊勢本街道の美杉の宿場町が大変栄えたということ、昭和の時代には美杉の林業が栄え、その林業を題材に、後に小説化・映画化(WOOD JOB!〜神去なあなあ日常〜)されたこと、平成の時代には国定公園の一部でもあるその美しい自然から森林セラピー基地にも認定されるなど、歴史、文化、自然など多くの資源があります。
『何もない』田舎であるはずの美杉は、実は資源の宝庫なのです。
しかし、一番の資源は『人』であると確信しています。
美杉にはおもしろい人、いろいろなプロフェッショナルがたくさん存在します。
それらの資源をつないで、ツーリズムを軸に地域を盛り上げる取り組み、それが『人に出会う旅』をコンセプトとしたInaka Tourismです。

今回の事業は、Inaka Tourismのウェブサイトをウェブメディア化する取り組みの一環です。
『消えゆく文化・歴史』などの情報をウェブメディアを通して、インターネット上に蓄積していきたいと、そのように考えています。
どうぞみなさまのお力をお貸しいただきたく思っています。

長々と書きましたが、正直これまでの前段はどうでもよく、とにかく楽しいことをしたい!これが私の一番の本音です。

どうぞ我々の仲間になってください。

中川 雄貴

 


 

Inaka Tourismについて
「旅の醍醐味はその土地の人・文化に触れること」
中山間地域のありのままの暮らしをツーリズムとつなぎ、少しの学びとエンターテインメント性に富んだ体験を提供します。(Inaka Tourism HPより)

Inaka Tourism
ホームページ https://www.inaka-tourism.com
Facebook https://www.facebook.com/InakaTourism
Instagram https://www.facebook.com/InakaTourism
tumblr https://inaka-tourism.tumblr.com/

 


 

満席になりましたので受付を終了します。

ご質問等はこちらまで。
otonamieアットマークgmail.com
※アットマークを@に変えてメールを送信してください。

 

三重のディープな展望台事情。水平線に願いを込めて鐘を鳴らすツバスの鐘

仕事の帰り道、いつかの日常。

志摩の知り合いに聞いた絶景ポイント。
横山展望台や桐垣展望台など、志摩には有名なフォトスポットがある。
そして展望台はもっとある。
最近、展望台の記事ばかり書いている気がする。

どんだけあるん!伊勢志摩の展望台。
サーフスポットやメロンの生産地としても有名な志摩市浜島町南張。

磯笛岬展望台にあるツバスの鐘。

まわりには伊勢志摩の名産、カラフルなアッパ貝に願い事が書かれています。

水平線を眺めながら鐘を鳴らすと願いが叶うのだとか。
そしてツバスは出世魚ブリの稚魚。

礒笛岬には、海女と漁師の恋物語も残る、なんともおめでたい雰囲気の場所です。

海を眺めると、左は丸みのある風光明媚な英虞湾。

右は壮大な景観の太平洋。

静かな場所で、ひと休み。
深く息を吸い込めば、海と空に磨かれた新鮮な空気が、身体に満ちていく感覚になるのでした。

 


 

ツバスの鐘
志摩市浜島町南張31

 

伊賀の伝統工芸とアロマ、奇跡の融合に感動

10月13日(水)~15日(金)に東京ビッグサイトで開催された、日本最大のパーソナルギフトと生活雑貨の国際見本市「第92回東京インターナショナル・ギフト・ショー秋2021」に行って来ました。

三重県の企業様の出展も何社かありましたが、その中で、伊賀くみひもで作ったアロマペンダントの商品力に惹かれ、事前に商談のアポイントをお願いしておりました。

最初にアロマペンダントを知ったのは、耐熱ガラスメーカーのハリオがそれを世に出した時で、当時は販売ルートにもまだ乗っていなかったと記憶しています。「アロマオイルを瓶に入れて持ち歩く」こともその時初めて知りました。私の本業ではアロマ用品も取り扱っていますが、アロマペンダントは今までガラス製のものしか見たことがありません。

西ブースに行くと、株式会社森の香人(もりのこびと)、高月さんがいらっしゃいました。

挨拶もそこそこに、素敵な商品を目の前に胸が高まり、怒涛の会話が始まります。モノづくりをする人と、それを売りたい人。思いが重なると、初対面なのに不思議とそんな感じがしない。出会いと仕事に感謝する瞬間です。

くみひもは言わずと知れた伊賀の伝統工芸ですが、馴染みのある所では伊勢のおはらい町に専門店がありますね。着物を着ることのない私が選ぶのは、決まってストラップかキーホルダーくらいでしたが、こんなかたちでペンダントになるなんて、思いもしませんでした。豊富な色彩でずらりと並ぶ展示品を前にすると、つい手に取りたくなります。絹糸の光沢がキラキラして美しいこと。

商品化するまで数々の困難があったと高月さんはおっしゃいます。アロマペンダントを作ってもらえるくみひも業者探しもそのひとつ。着物など和装品のイメージがあり美しいくみひもに、アロマオイルを染み込ませるペンダント?発想が斬新ゆえに初めは疑問の声も上がります。でも、高月さんには強い信念がありました。

高月さんはご自身がアロマセラピストとして、広島県にリアル店舗「Fleur*Bleue(フルーブルー)」を持ちます。様々なシチュエーションで選ばれ、人の生活に癒しを与えるアロマの香りを常備出来るとどんなにいいだろう。そこで出会ったのが、伊賀のくみひもでした。最終的には、「新しいこともしていかないと伊賀くみひもは斜陽の一途だ」という、若い世代の声により生産の運びとなりました。まるでドラマのようなお話ですが、モノづくりの現場は「いいモノを世に出したい、作りたい」という思いが互いに交錯し、ドラマより熱いことが起こっているものです。

『くみ香(くみか)』という名のその商品は、Makuakeに掲載し、またたく間に世に広まりました。応援購入総額は目標の672%を達成、とても大きな反響です。

絹糸で作られたそれは艶があり、幾重にも重なった色が美しく、魅せるペンダントとしても最適です。ふわりと軽く掛けられるのも、首や肌に負担がなくていいですね。

 

具体的な使い方ですが、「小田巻(おだまき)」という、1本の紐を球体に巻き付けた珠の部分に、好きなアロマオイルを1滴垂らします。この時スポイトがあると便利です。

珠は上下にスライドが出来ますが、ここが『くみ香』のすごい所。香りを感じたい時には顔に近付け、食事などの時は遠ざけて使います。従来のガラス製ペンダントではそれが出来ませんし、距離が近いと意外と香りも強く感じることがあります。珠の大きさは「大=20㎜」「小=12~15㎜」とあり、小さい珠は男性でもさりげなく着けられます。水洗いが出来てお手入れも簡単。

好きなアロマオイルからイメージする色を決めて、いくつか持つのも素敵だなと思いました。2016年公開の大ヒットアニメ映画では、主人公が髪飾りとしても使っていましたね。

最近では、アロマコーナーに男性のお客様がいらっしゃることが増えました。マスク生活も影響しているのでしょうか?あるご年配のお客様で、気に入ったアロマオイルの瓶を小さな布巾着に入れて毎日持ち歩いており、その瓶が割れてしまうと相談を受けたことがあります。その方は、過去にガラス製のペンダントも試されたそうですが、首元への違和感や割れの心配から使うのをやめてしまったそうです。その時は「ネットでこんな商品がありますよ」と『くみ香』の情報だけお伝えしました。ひとつずつ丁寧に手作りしているため、納期は少々お時間を頂戴いたします。

伊賀くみひもはトップシェアを誇る伝統工芸でありながら、なかなか手に取る機会がありませんでしたが、こうして新たなライフスタイル雑貨に生まれ変わったことは、とても嬉しく誇らしいです。『くみ香』は多くの人に必要とされ、喜ばれる商品になるだろうと、私は確信しています。

 

 

Fleur*Bleue  (株)森の香人(もりのこびと)

〒730-0041 広島市中区小町8-5 エレベーター4階
Tel. 082-259-3535
Fax. 082-259-3535

【営業時間】11:00~18:00

【定休日】日曜日 ※臨時休日あり

*森の香人ネットショップ
https://morino-kobito.stores.jp/

*マクアケストア

https://www.makuake.com/project/morinokobito/shopping/

 

 

ふぐ一筋20年!でもこだわりはそこだけじゃない。潜入「ふぐ屋 心意気」

「20年ふぐ一本」

さて、本日ご案内するのは、四日市市陶栄町にあるふぐ屋心意気。

素敵な洋館で高級とらふぐが食べられて、「最高にコスパいい!」と話題の店に潜入しよう。

一見、お店には見えないおしゃれな白い一軒家は、元モデルハウスだったのだという。隠れ家にこっそり入るように、木の扉を開けるとまず玄関で靴を脱ぐ。

手指消毒と検温をしたら、ふかふかのスリッパに履き替え、店内に。

このスリッパがかわいい。

中に入った多くの人が「わぁ!」と感嘆する。

吹き抜けの店内にはわずか2つの木のテーブル8つの椅子。お昼には柔らかい日差しが店内を照らし、夜には天井から吊るされたシャンデリアの光が温かくテーブルを包んでいる。

このお店なら、ゆっくりと秘密の話も出来そう。実際、接待や小さな会合、デートなども多いのだそう。新型コロナが心配な人も、貸し切りにして、家族や友だちだけで「ふぐパーティ」が出来るのだ。めちゃくちゃ楽しそう。

きれいなシャンデリアの奥には、白いタイルの厨房が見える。

そこで包丁を握るのが、心意気の大将長谷川貴志さんである。

 

大将は東京で20年有名なふぐ専門店で働いていた。皆さん御存知の通り、ふぐを調理するには「ふぐ調理師免許」が必須だ。その免許は各都道府県知事が行う試験に合格する必要がある。

普通は5年かかると言われる試験を大将は1回で合格したエリートなのだ。それもそのはず、大将は高校を卒業後、ふぐを年間1万本さばいてきたという。

東京の過酷な職場で、20年ひたすらふぐをさばき続けるのに並行して、実は色々な料理を作り続けてきた。

ふぐは新鮮なものより2日目がより美味しいのだという。そんなこだわりがつまった「高級とらふぐコース」

そして、何の因果か、奇想天外な社長の下で、ちょうど出会った四日市のこのモデルハウスにふぐ専門店をオープンさせることになったのが2020年10月のこと。

そうまさに新型コロナ真っ盛り。

このふぐ屋心意気も、ご多分にもれず、開店からしばらくすると危機に見舞われた。しかし、もちろん手をこまねいて見ているだけでは無かった。

InstagramFacebookはもちろん、TwitterTik TokなどのSNSでファン作りを、大将を含め社員で工夫を凝らした。まだまだこれからを期待するところではあるが、特にTik Tokは、大将と仲良くなるとじわじわと面白くなってくるのでおススメ。

そして、テイクアウトデリバリーも始めたのだ。お家や職場などでもふぐ料理を楽しんでもらいたい、という心意気が嬉しい。すぐに多くの注文が入るようになり、今や大人気となっている。

ふぐと野菜の天ぷらは、少しお塩を付けて頂く

とても雰囲気の良い、高級国産とらふぐのコース料理が食べられる専門店…と聞くと身構えてしまう方もいるかもしれない。でも、大丈夫! 寡黙ながらも、話しかければ大将は優しい笑顔で答えてくれる。

しかも、大将は何でも作れるスーパー料理人なのだ。事前に頼んでおくと、ふぐに関わらずあらゆる料理を作ってくれる。ステーキ、ローストビーフ、とん平焼き、チキン南蛮…どれも美味しい。

こんな料理作って!とリクエストしてみよう。このチキン南蛮もめちゃくちゃ美味しかった。

そんな大将にこだわりを聞いてみた。

「お客様が来てくれるのがこだわり」

もちろんふぐには自信がある。でもお客様が食べてくれなきゃ意味がない。

大将が日々、新メニューを考案しているのも、きっとより多くのお客様に来てほしい気持ちの表れなのだろう。なんとこの冬には、「ふぐだしのおでん」、「大根の天婦羅」が登場するという情報をキャッチした!まだまだわくわくさせてくれる。

 

最後に私のお気に入りを紹介しよう。

ランチは「骨なしふぐの唐揚げ」を追加注文しての、「心意気御前」。

ディナーは「国産高級とらふぐ てっさ・てっちりセット」に飲み放題を付けて。おなかいっぱいなのに、何故この最後の雑炊はこんなに美味しいのか?そして、このお酒のラインナップ。実はとても珍しい貴重なお酒もある。

地元でもなかなかお目にかかれないという、珍しい霧島が飲める

まだまだ可能性に満ちた、変化し続ける「ふぐ屋 心意気」をぜひご堪能あれ。

ふぐ屋 心意気

〒510-0035 三重県四日市市陶栄町1−4

059-333-0915

ランチ   11時~14時
ディナー  17時~23時(21時ラストイン)

HP

Instagram:kai_4759

Twitter

テイクアウト

 

昔話の「おむすびコロリン」のおにぎりはまん丸かったと思う。

ここのお店のおにぎりはちょっと変わっている。

そう、まん丸い。おにぎりがまん丸いのだ。

これも丸い。

これも丸い。どれもこれもまん丸だ。

まん丸いおにぎりは、土鍋炊きの伊賀米、塩は南伊勢町の真珠塩を使用している。

そこに、鳥羽産の海苔を巻いて美味しくいただく。

パクっとひと口に頬張れば、米粒がふわっと優しくほどける。美味い。

そういえば、なぜここのおにぎりは丸いのだろう?

お店を何度も利用しているが、不思議と考えたことがなかった。

・・・

・・・

なぜ、おにぎりが丸いのか…そんな些細な疑問よりも、おにぎりを頬張って飲む温かい汁モノが何故こんなにも心を落ち着かせるのか、そのことに関して真剣に向き合うべきではないか。

そうそう、私としたことがお店の名前を伝え忘れていた。

ここは鳥羽なかまちにある、おにぎりカフェ うさぎのしっぽ。

そう、うさぎの…しっぽ。

そうか、うさぎのしっぽか。

おにぎりカフェ うさぎのしっぽ

Cafeなのでコーヒーやデザートもあるよ

公式Instagram

陸でもなく船からでもない!カヤックから眺めたリアス海岸にワクワク!

先日、インターンでサニーコーストカヤックスさんに行ってきました。オーナーの本橋さんと、地域おこし協力隊の丸尾さんがされています。
本橋さんはカヤックで独立開業するために埼玉から移住し、南伊勢町でカヤックショップを経営。
丸尾さんはカヤックをしながら、近くのうみべの家kitchenで「旅するマルコ」と称し自分が旅した色々な国の料理も提供されている。

シーカヤックって知ってますか?僕は初耳。シーカヤックはやったことがなく、聞いたこともなかったのでどこか不安。しかし、本橋さんは「自転車より簡単やよー」とおっしゃる。いやいや、絶対自転車の方が簡単でしょと半信半疑のまま出発。

海までは車輪(カヤックカート)に乗せてゴロゴロ。1人で簡単に引っ張れる。防波堤の入り口を開け、いざ、湾内へ。足だけ水に入ってみると冷たい!10月の中旬だからさすがに泳げなそう。

最初、陸上でパドルの漕ぎ方やカヤックへの乗り込み方を練習。カヤックは腕だけで力任せに漕いでも前に進まないそう。体全体を使って漕いで行く。なんだかだんだん、できそうな気がしてきた。早く実際に漕いで見たいと、ワクワクが募ってくる。

いざ出艇。簡単に浮き乗り心地もなかなか。プカプカ浮き輪に乗ってるみたい。浅瀬の川からスタートして、まっすぐ行きたいが流されて横に横に。なんとか海へ出ることが出来た。波もほとんどなく静かな海。なんだか気が抜けそう。こんなに広かったらどこに行っても大丈夫。だんだん漕ぐのにも慣れてくると景色を楽しむ余裕が出てきた。

シーカヤックは喫水が浅い(船体が低い)ので、まるでアメンボのように水面の上をスイスイ滑っているよう。これは、なかなか他の乗り物では味わえない感覚だ。最初の目的地である無人の浜に到着。座椅子でちょっと休憩。丸尾さんが用意してくれた、ドリップコーヒーをいただく。口をつけたら、少し金属の味の後にコーヒーのいい香りと苦味。

背中には木々が生い茂り、目の前には太陽でキラキラと光る海。この最高のロケーションで飲むホットコーヒーは非日常を感じつつ、いつまででも居たくなるような心地よさ。このまま眠ってしまわないように次の場所へ。

次に向かったのは、人工的な音が一切しない入江。無意識に黙り喋るのも躊躇するほど。空気は澄み渡り、入った瞬間ひんやりとし空気が変わったと分かる。そのくらい、どこか別空間に来たようだ。あまり漕がずに、ゆっくりと進む。奥に進んで行く様が、まるで探検しているようなドキドキとワクワクが映画のインディ・ジョーンズのよう。

いい時間になって帰り道、腕が疲れて漕ぐのをやめる。少し休もうと後ろに体勢を崩し、上を見上げるといろんな形の雲と、そこから覗く吸い込まれるような青い空が広がっている。漕ぐのに気がいき海ばかり見ていた。海の上から見る空はこんなにも綺麗なのか。新たな発見でした。

普段は見ている景色とは逆、海から見る南伊勢町の街並みは懐かしい温かみを感じる。おかえり〜って言ってくれてるみたい。

ずっと海の上にいたから、陸に上陸し足の裏が地面を踏んでいる感覚は、やはり安心する。体は充実感いっぱい。

本橋さんはシーカヤックはまだメジャーではないから、大体の人が構えられて、シーカヤックするぞって感じでやられる。けど、仕事の休憩の合間にちょっと漕いでくるかーくらいのラフさで楽しんでもらいたい。

確かにこんなに簡単なんだから、自転車に乗って散歩に行くくらい身近にあって楽しめたら最高。

移動手段としてシーカヤックはオススメです!

 


 

サニーコーストカヤックス
住所 三重県度会郡南伊勢町五ヶ所浦1007-17
tel  0599-66-1919
hp http://sunnycoastkayaks.s2.weblife.me/pg54.html
fb https://www.facebook.com/sunnycoastkayaks/

エジソン休憩所 〜コーヒーを五感で感じる場所〜

「吉田昌太朗さんと高橋みどりさんの結婚は衝撃的でした。それはもうガッキーと星野源が結婚した時と同じくらいの。」

 
そう語るのは亀山にあるカフェ『エジソン休憩所』のオーナー、日向野(ひがの)さん。
 
栃木県出身の日向野さんは東京の有名店『堀口珈琲』で働いた後、結婚した奥さんの実家である三重県亀山に引っ越し、カフェ『エジソン休憩所』を開店した。
 
日向野さんは学生時代に多大な影響を受けた『アンティークタミゼ』のオーナー吉田昌太朗さんと、フードスタイリストの高橋みどりさんが結婚したことに衝撃を受けるとともに、大好きだったその2人が結婚したことをとても嬉しく思ったそう。
 
吉田昌太朗さんも、高橋みどりさんも、雑誌『ku:nel』や『Arne』を読んできた世代にとっては憧れの存在で、その2人が結婚したことは確かに『その界隈』にとっては大きな祝福とともに大きな話題となった。
 
華やかなで非現実的な世界への憧れではなく、日常に根ざした仕事と生活と暮らしの中の芸術…..吉田昌太朗さんや高橋みどりさんに憧れた『その世代』は、そんな感覚と、「せっかく独立するのなら、自分の好きなことをやろう」という思いが、いつもどこかにあったように思う。
 
日向野さんが独立して開店したカフェ、『エジソン休憩所』。
 
吉田昌太朗さんや高橋みどりさんの話を聞いた後、落ち着いてカフェを眺めてみると、なるほど、日向野さんの『好きなこと』や『やりたいこと』がカフェを通してそこかしこに現れているのがよくわかる。

『エジソン休憩所』入り口。倉庫を改装したカフェ。

 

元倉庫だった名残がある天井。

亀山にある倉庫を改装した『エジソン休憩所』の不思議な雰囲気と居心地の良さは、この土地とこの建物が持つ雰囲気と、日向さんの『これまで』が、この場所で混ざり合った結果なのだと思った。

 

10月某日、『エジソン休憩所』のカフェの横のスペースにコーヒー豆の焙煎機が導入されるということを聞いて、見学を願い出た。

コーヒー豆を焙煎する現場は、友達のツテを辿ればいくらでも見学させてもらう機会はあるけれど、『焙煎機の導入の現場』はなかなか見る機会がない。
そのなかなか見ることのできない焙煎機の導入の現場を見させていただくことになった。
 
ある日の朝9時。
焙煎機が導入される日。
休業日の『エジソン休憩所』に続々と集まる人々….。
 
焙煎機のメーカーさん、煙突工事の業者さん、ガス屋さん、オーナーの友人のカメラマン、そして、僕を含めたもの好きな見学者たち。
 
まずは焙煎機の設置。
『エジソン休憩所』のカフェの横のスペースに焙煎機が運ばれていく。
焙煎機はそれ自体の自重が重いため、地面への固定作業などはなく、置くだけで設置が完了した。

 

フジローヤルの焙煎機

そして煙突の設置。
コーヒー豆の焙煎は作業の過程で多くの煙を出すため、部屋から外へと煙を出す排煙装置(=煙突)の設置が必要不可欠。

焙煎機の設置作業のほとんど時間が排煙装置の設置工事の時間だった。
煙突の設置工事

煙突の取り付け工事を見守りながら、日向野さんのちょっとしたライフヒストリーと、『コーヒーの焙煎とは何か?』という話を色々と伺った。
焙煎機の設置を見守るもの好きな人たち。焙煎機の周りでは、焙煎機と煙突の接続作業や煙突設置作業が行われている。

 

色んな角度から設置を見守る。

コーヒーの焙煎とは、そのまま、生のコーヒー豆に熱を通すだけのシンプルな作業。

焙煎機の構造もいたってシンプルで、回転するドラムにコーヒー豆を投入し、ドラム全体に熱が行き渡るように火を入れる。
 
そんなシンプルな作業なだけにその奥は深い。
 
『自分が理想とする味』をあらかじめ想像し、その味に焙煎という過程を通じてどうやってアプローチするか。
 
そのアプローチの方法には人それぞれのやり方があり、正解はない。
 
産地によって個性の違うコーヒー豆。
どの豆を、どれくらい焙煎して、どの分量でブレンドするのか….自分の理想とするコーヒーの味、そして商品として安定したクオリティのものを出せるようになるまでには、何十回も、何百回も焙煎してみないとわからない。
 
1回1回の焙煎で時間や温度などの調節を重ね、味を確かめ、細かくデータを取る。
 
商品として出せるものが出来上がるには、この後数ヶ月の調整が必要なのだそう。
 
そんな話を聞いていると、彼自身がまるで、白衣を着てグラム単位でコーヒー豆を調整し、実験を繰り返す科学者(エジソン)のように思えてきた。
 
そうこうしているうちに煙突工事も終了し、全ての設置作業が終了した。
 

その後、日向野さんは業者さんの説明を受けながら、テスト用のコーヒー豆を使って、初めて焙煎機のスイッチをONにし、初めての『火入れ』を行った。

 

業者から説明を受ける日向さん
 
焙煎機のドラムが回転し、火で温められ、しばらくすると熱気とともにコーヒーのいい香りが漂ってきた。
ほどなくして、取り付けたばかりの煙突から初めての煙が立ち上る。
 
カフェが『休憩所』なら、焙煎機のあるこの空間は『研究所』。
 
初めて研究所が始動する瞬間に立会うことができた。
 
回転するドラムに取り付けられたハンドルを抜き差しし、時々焼き上がりをチェックする(コレがやってみたかった!)
レバーを上げると、回転ドラムの中から焼きあがったばかりのコーヒー豆が。

何度も焼き上がりをチェックした後、初めてのコーヒー豆の焙煎を終えた。
 
焼きあがったコーヒー豆がドラムの中から一気に外にザーッと出される。
 
その瞬間、思わず拍手が鳴った。
 
なんとも言えない感動と喜びに包まれた。
(まるで赤ちゃんが生まれた瞬間に立ち会ったような)
 
余談だが、焙煎機の会社(フジローヤル)の方にも、色々とお話を伺った。
 
なんと、このコロナ禍でもコーヒーの焙煎機の売り上げが横ばいを維持してるそう。
(むしろ生産が追いつかないくらいだそう)
 
その一因に考えられるのがコロナ禍での『副業』にあるのではないか、ということだった。
 
コロナ禍でコーヒー豆のネット販売を行うために、新規事業のための補助金を利用して焙煎機を導入している人が多いのではないか、ということだった。
 
しかし、果たしてコーヒー豆のネット販売が、それほど上手くいくのかどうか……という話を、今度はオーナーの日向野さんに見解を聞いた。
 
「コーヒー豆のネット販売で検索をかけてみたら、星の数ほど出てくる通販サイトの中で、果たしてどうやって自分の焙煎したコーヒー豆を買ってもらうのか?」
 

という第一声。
 
確かに。
あまつさえ『コーヒー』という枠組みの中で突出した特徴を出すことができないにも関わらず、さらにネット上ではコーヒーの試飲もできない。
 
そういった中で売り上げを出していくのはかなり厳しいのではないか、ということだった。
 
僕自身もカフェをやっているのでそこはわかるつもりだが、カフェとは、それそのものが一つの『メディア』として機能していく。(していかなければならない)
 
そこで作られているものがそこで味わえる『場』、というのはとても大切で、その『場』を持たずに何かを売るのはとても難しい。
 
コーヒーがその場で味わえて、そのコーヒー豆も買って帰れる。
 
シンプルだけど、それがカフェの理想形だと思う。
 
『エジソン休憩所』では、『休憩所』の横の『研究所』に焙煎機が設置され、コーヒーを飲みながらコーヒーの焙煎機が稼働しているのが見える。
 

味だけでなく、香りや音や熱…..ネットではわからない、コーヒーを五感で感じられるカフェがそこにあった。

尽きないコーヒー談義と焙煎機設置の見学を終え、帰路に着いた。

いつかまた焙煎機が稼働しているカフェ『エジソン休憩所』を訪れて、コーヒーを五感で感じたいと思った。

.
『エジソン休憩所』
三重県亀山市亀田町469
営業時間 10:00~16:00
定休日 日曜日
instagram → https://www.instagram.com/edisonkyukeijyo/

学生派遣サービスって何?? -面白そうな三重大生を訪ねて-

ある日、自身のインスタに知らないアカウントからフォローが入った。

「学生派遣サービス 三重大学学生団体 FORTUNE」

中身を見ると、どうやら大学生をオンライン家庭教師等として派遣するビジネスを今年からスタートさせた学生団体らしい。コロナ禍で授業がオンラインになり、大学生は特に大変な思いをしているという話をよく聞く…

そんな中だからこそ、ビジネスに挑戦する三重の学生というのが凄く気になり、応援の意味も兼ねて取材させていただいた。

ビジネスのきっかけは自身の家庭教師経験

FORTUNE代表の小野さん(右)と松浦さん(左)
FORTUNE代表の小野さん(右)と松浦さん(左)

代表の小野さんは、かつては大手の家庭教師派遣サービスに登録して生徒に指導をしていたそう。ただ、大手は家庭教師に対してのサポートが手薄く、よりよい教育をより低単価で届けられるのではないかと思い、松浦さんとオンライン家庭教師のサービスを始めた。

「自分が担当した生徒で、とても活発な子がいて、ただ自分の個性を出した結果、不登校になってしまって…その子と話す中で、出る杭を打つのではなく伸ばすような、そんな教育をしたいという想いが生まれました。」

FORTUNEでは、勉強が出来ない子に対しても勉強内容を教えるだけでなく、その子の個性に合わせて、そもそもの勉強法やモチベーションの部分についてもしっかりとサポートしているとのこと。

また、家庭教師とは別に、発達障害のあるこどもに対しての教育事業も手掛けているという。
それは、「自らの個性を伸ばし、人生を切り開く」というFORTUNEのスローガンのもと、全ての子どもに対して、そのような教育を提供したいという想いが強いからだ。

発達支援の施設を大学生が訪れた際の一枚
大学生が発達支援の施設を訪れた際の一枚

更にその対象は教育を受ける小中高生だけでなく、自分たち大学生も含まれており、大学生への教育という観点でも新しいサービスも始めようとしている。

大学生が広報担当に!? ーその裏にある想いー

そのサービスが学生による企業動画作成&SNS運用代行だ。現代生活にとって切っても切れないものになりつつあるSNS、ビジネスにおいても新規顧客の拡大から人材採用まで幅広く使われている。

様々な用途で企業がSNSを活用している
様々な用途で企業がSNSを活用している(FORTUNEの営業資料より引用)

しかし、SNS運用に関する知見がなく、どのように活用すればいいかわからない企業も多い。そこで、普段からSNSを使い慣れた学生が企業に代わってSNS運用の代行をするというのが、本サービスだそうだ。

社長のインタビュー動画作成等も手掛ける
社長のインタビュー動画作成等も手掛ける

本サービスでは企業への価値貢献はもちろんのこと、大学生に対しても貴重な社会勉強の場にしてほしいと小野さんは語る。

「大学生にとっても遊びでなく、本気でビジネスと向き合うことで、自分たちの可能性や将来性を感じてほしいしんです。」

コロナ禍になり、大学と社会の繋がりは失われてしまい、キャンパスからは活気がなくなったという。

「学生はきっかけさえあれば、もっとワクワクした活動ができるはず。貴重な学生時代をつまらない日々だったと後悔するのではなく、私たちと一緒に活動して、充実した学生生活にしよう!と伝えたいです。」

医者としての将来の可能性を広げたい

そんなビジネスを手掛けるFORTUNEは現在、運営メンバーが全員医学生という(医学生以外も絶賛募集中)。特に小野さんと松浦さんは現在5年生で、医学科の実習と本活動を両立しているから驚きだ。

小野さんと松浦さんの実習中の様子
小野さんと松浦さんの実習中の様子

傍から聞くとものすごく大変そうではあるが、楽しんでやっているからこそ全然苦ではない、と松浦さんは語る。

「これまで普通に勉強をして、部活をやって、そんな学生生活だったからこそ、0から何かをつくりあげることがとにかく面白いんです。」

日本の人口は減っているのに、医者の数は変わらない。だからこそ、これまでと違うことをする力もきっと求められるだろうし、今のビジネスとは卒業後も関わっていきたいという。

学内のビジネスコンテストに採択される等、少しずつ前に進んでいるFORTUNE。彼らに幸運な未来が訪れることを切に願う。

<お問い合わせ先>

現在FORTUNEでは、家庭教師やSNS運用代行をしたい学生、家庭教師やSNS運用代行をお願いしたい家庭・法人を募集されているとのこと。興味のある方は、お気軽に下記よりご連絡を!!

一般社団法人医食同源みえ FORTUNE
TEL:059-867-2344
Email: ht.fortune21@gmail.com
WEBサイト: https://www.fortune-ht.com/
Instagram: https://www.instagram.com/fortune_ht/

あとがき

教育に対して、想いが溢れるお二人でした。ちなみに、FORTUNEという名は、小野さんがカナダ留学の際にお気に入りになったお店からきているそうです。そのお店はいつも活気ある若者で賑わっていたらしく、FORTUNEも三重の大学生にとって、未来の幸せに向かって活気ある場になってほしいとのこと。

医学部生が学業以外のビジネスをやることに賛否両論の声があるかもしれませんが、学生という立場を言い訳にせずに行動するお二人を僕は応援しています。

特集:人に会いにいく旅「異端児の定義と再定義」海洋プラゴミアーティストの鳥羽暮らしを旅する

航海士として船で南極海に行ったアーティストがいる。母艦が座礁や海の事故に遭わないように、小さな船で航路を先回りして誘導する仕事。当たり前すぎて質問するのをためらったが聞いてみた。海は怖くなかったんですか?嵐とかあるじゃないですか?

“嵐で大波がきて、もうヤバイってときこそ「生きてる!」って興奮するんです”

何ヶ月も続く海の上での暮らし。気が滅入ることはないのだろうか?

“なりますよ、ふつうに。同僚の乗組員とそんなに話すこともないし、やることがなくなるので”

命の危険を伴う数ヶ月の航海が終わると次の年までは休みになる。

“日本に帰ってきて、たった1ヶ月で給料全部パチスロで負けた同僚がいました。人間って変わってるなって”

間瀬 雅介さん(28歳)。
昨年、名古屋から鳥羽市に移住し海洋プラスチックゴミを資源として再生させ、家具やアート作品を手掛けている。そんな間瀬さんに聞きたくなった。やりたいことって何ですか?

“地球の7割を自分の遊び場にしたいです”

変わってる・・。いや、地球から視れば、日本でぬくぬくと生きてきた自分と、どっちが変わっているのだろう。

 

 

| プラスチックゴミは現代社会へのアンチテーゼ

海洋プラスチックゴミ問題は世界的な課題であり、それを資源として再生させている間瀬さんの元にはテレビや新聞など多くのメディアが取材に訪れている。業界的にいうと、格好のSDGsネタだ。

間瀬さんの作品(ランプシェード)。カラフルな部分はペットボトルのキャップを溶かして出す色。着色などは行わない。
間瀬さんの作品(時計)

間瀬さん:SDGs的な取り組みになったのは、ただの結果なんです。

なんでもかんでもSDGsに紐付けている感が否めない現代。もちろんSDGsは良いこと、未来を作る指標であることは間違いない。負の資源を再生させるなんて、本当に素晴らしいと思う。そもそもなぜ、海洋プラスチックゴミを使おうと考えたのだろう。

間瀬さん:答えが単純ではないのですが、いいですか?

そんな気がしていた。望むところ。

間瀬さん:小さいころから冒険家になりたくて。周りの人や先生に言っても、ちゃんと聞いてもらえなかったんです。本気なのに。

学生に差し出される希望の進路や職種のアンケートに、冒険家のチェックボックスはない。その他(冒険家)と記載された答案にアドバイスできる大人も少ない。

間瀬さん:プラスチックは絶対に必要です。そうじゃないと経済が回らない。当たり前のように使われ「ゴミ」とされ、忘れ去られる。

浜に打ち上げられたプラゴミ。漁具も多いという。

プラスチック側からすれば「ゴミ」になったつもりなどない。

間瀬さん:なんかプラスチックゴミと自分、似てるなって思ったんです。

スケールが大きすぎるため、認めてもらえない冒険家という夢。平均化された社会の価値観とのズレ。異端児であるが故に感じる、孤独や歯がゆさがあるのだと思った。

間瀬さん:そうだ!海洋プラスチックゴミで見返したい。私の思考性の表現は、これだとめっちゃわかりやすいと思ったんです。

不要のプラスチックを「ゴミ」とした世界に、ぐるりと時代の価値観を180度ひっくり返す。間瀬さんと話していると、社会へのアンチテーゼという言葉がピッタリだと思った。

 

 

| 現代社会の歩き方

二階への入り口

工房の二階はアジト的な空間。

この日はとあるプロジェクトで、鈴鹿墨の書道塾を営むご夫妻で書道家ユニット千華万香さんと打ち合わせ。
プラゴミに魂を吹き込む計画を練るお二人

バーカウンターやビリヤード台まである。友人たちとDIYで改装し、人が集まる場づくりを行い、地方が抱える空き家や地方創生などの課題にも、間瀬さんは可能性を模索している。

間瀬さん:ゴミから地域課題を知る。そんな人の流れを作りたいと思っています。

この空間では間瀬さんの作品を見ることで、ゴミとの接点ができる。そして間瀬さんに共鳴する若者が全国からインターンシップなどで訪れている。間瀬さんは、鳥羽からモデルケースを作りたいと語る。

水産関係で使われていた建物をリノベーション
1階の工房は新しい設備を導入するための準備中
粉砕したフラスチックを仕分ける装置
溶かしたプレスチックをプレスをして板状の素材にする

間瀬さん:都会だと若い人が表現をできる場が少ない。空き家はありがたい空間なんです。

名古屋で暮らし、一時は活動の拠点を大阪に移し、三重県内で業者にプラスチックの粉砕を依頼していたときもあった。

間瀬さん:それだととてもお金がかかるんです。お金がない、もうヤバイ死ぬって思いながら作品制作をしていました。

そう笑いながら話す間瀬さんを見ていると、使い捨てられるのはモノだけではなく、ライフにも当てはまるのかも知れないと思うとともに、日々慌ただしい時間に疲弊する自分が少し惨めに感じた。

間瀬さん:海洋プラスチックゴミは「ゴミ」じゃないですから。

時代が求める異端児は、無機質なプラスチックに自分の存在を重ね、海や地域の再生を目指す。
そろそろ異端児の再定義が必要なのかも知れない。

 


 

REMARE
鳥羽5丁目2-14
hp https://www.kasabuta.org/
in https://www.instagram.com/the_sea_is_my_life_/

 


 

おまけのお話

取材が終わりご挨拶して別れ、昼食に向かったのは前から気になっていた鳥羽駅前の「れお麺ism」。お店に入ると偶然にも間瀬さんとインターン生と遭遇。間瀬さんにおすすめを訪ねると担担麺が美味しいとのこと。

間瀬さん:めっちゃ旨いですよ!昨日も来ました。

普通の若者のようで、底知れない思考性を表現するアーティスト。
担担麺、美味しかったです!

 

ついにお墓もサブスクの時代!今にフィットするお墓、偲墓~SHIBO~について聞いてみた。

 

その日はきっと突然やってくる。

私はまだ経験したことないけど、旦那であるogurockには5年前に突然やってきた。

親しい人とのお別れ。

30歳の誕生日の翌日、お父さんが突然倒れて帰らぬ人となった。

それからの小黒家は大パニック。

家のことを主にしていたのがお父さんということもあり、印鑑の場所から、保険などの書類、月々の支払いや、鰹節屋のこと、何もわからない。

弔いに来てくれた方にビールをだそうと思っても、栓抜きのありかすらわからないというありさま。(詳しくはこちらの記事をどうぞ)

残された家族は、もっといろんなこと話しておけば良かった。と、思ったそうです。

そんないろんなことの一つ、親と話さなくちゃいけないな〜。と思いつつ、きっかけもタイミングも掴めない「終活」の話。

今回の記事を、ひとつのきっかけにしてくれたら嬉しいな、と思って書いてみます!

 

松阪駅からほど近い場所にある、仏壇仏具の専門店ぶつえいどう。

創業は明治39年、今年で115年目を迎えた。

 

 

お店に入るとふわっとお香のいい香り。

たくさんの種類のお線香や日常的に楽しむお香、ろうそくやお墓参りにかかせない道具たちもたくさん。

位牌の種類も多く取り揃えていて、最短3日で彫っていただけるそうです。

 

ずらっと並ぶ大小のお仏壇を横目に、店舗奥に進むとなんとお仏壇のショールームが。

大きさも様々、豪華絢爛なものから小さくてシンプルなものまで。今の売れ筋はリビングに置いても違和感の少ないシンプルなデザインのものらしく、ここにも時代の変化を感じます。

案内してくれたのはぶつえいどうの専務 野呂英旦さん。今回は野呂さんが中心となり新しく始めたサブスク型のお墓、偲墓(しぼ)についてお話聞きました。

 

2021年度グッドデザイン賞も受賞したサブスク型のお墓、偲墓〜SHIBO〜とは?

行く末の煩わしさをなくし、かつ伝統的な供養もしてもらえるサブスクリプション(定額制)で新しいスタイルのお墓。

生活環境や居住地が変わっても無理なく供養し続けらるように、お寺や宗派の枠に捉われない仕組みを実現。

んん?一体どういうことなのでしょう。もう少し詳しく聞いていきます。

 

偲墓の初期費用は275,000円(税込)

その中には墓石代、墓石への彫刻費、入仏法要(四十九日法要)、永代供養料が含まれます。

そして月額の利用料金は3,300円(税込)

こちらには、日々の供養代、各法要代(百か日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌の法要)、墓地管理費、システム管理費などが含まれます。

つまり、初期費用には最初と最後に必要なお金が含まれて、月額の利用料金には供養を続ける間に必要なお金が含まれる。

 

実物、見せていただきました。

 

墓石の大きさは高23cm×幅18cm×奥22cm。

重量は約15kgと女性1人で持つには重いですが、小型でかわいらしいサイズ感です。

墓石の上部が蓋のようになっているので、そこを開けると骨壷として中に遺骨を納めることができます。

墓石のデザインは四角い標準タイプか六角柱タイプの2種から選べ、表面には故人が好きだった言葉や戒名などを彫刻。お墓に置いたり、お寺の室内に設置していただきます。

大きさとか悩まなくていいんです。シンプルに二種。

 

実家に仏壇はなく、お盆やお彼岸にお墓参りに行く程度だった私。

普段、ご先祖さまを意識することもなく、お墓についてあまり考えたことがない私でも、偲墓って良いな!と思ったところは

・料金が明確でわかりやすい

・供養の期間を自分たちで決めることができる

・お寺さんとの距離が縮まる

この3つでした。

お彼岸すぎてから、年末までの加速感すごい。

 

冒頭の話に戻りますが、小黒家のお墓は遠く東北の地にあったそう。

お義父さんが亡くなったことにより、そんな遠くにお墓参りには行けないとお墓を引っ越しすることに。(改葬というらしい)

その際、なかなかの手間と費用がかかったと聞きました。

これは、お寺さんが檀家制度というものに支えられているからだそう。

檀家をやめる理由は、小黒家のようにお寺が遠くなってしまったり、お墓の後継者がいなくなってしまったり様々だそうです。

檀家制度が始まったのは江戸時代。

お寺が、今でいう市役所の戸籍科のような役割をしていたんですね。

住む場所もそう変わることない時代、地域のお寺をみんなで支えていく仕組み。

けれど時代は流れ、今や県どころか国を変えて住む場所を選べる時代。

同じ場所にあるお墓を守り続けることが難しい人も多いんじゃないかと思います。

偲墓は提携の寺院であれば、改葬の費用も明確で一緒にお引越しも可能!

また、なかなかお墓参りにいけなくても、お寺さんが清掃や管理を一手に引き受けてくれるし、生活や環境の変化でお墓を維持していくのがの難しくなった時はいつでも解約が可能。

あらかじめ期間を13年や、20年と決めておくこともでき、その後はお寺の永代供養墓にいれていただけるそうです。

なんだかお墓を持つということのハードルがぐっと下がりそう!

偲墓はこれからの自分たちのライフスタイルにマッチしやすいお墓と言えそうです。

 

ところで、お寺といえばどんなイメージを持ってますか?

お寺ってなんかお坊さんからいい話聞けそう!とか、夏に盆踊りしたとこ!とか、小さい頃境内でかくれんぼした!って人もいるかも。

私はあまりお寺が近くにある生活ではなかったから、用事もないのに行っていいのかな?と思ってしまいます。

一方野呂さんは、家の周りたくさんお寺があったから鐘の音や線香の香り、お経を読む声なども身近に感じていたし、近所のお寺に行ってぼーっとするのが小さい頃から好きだったそう。

その距離感は人それぞれ。

今、日本にはざっくりと7万件以上のお寺があるけれど、これから先の20年で2万7千件ものお寺が空き寺になるとも。

お寺を支える檀家の数も、これから人口が減る時代に増えようもないですよね。

そしてお寺の敷地内の墓地や管理している墓地には、持ち主のわからないお墓もたくさんあり、それを片付けるには、なかなか面倒で大変な手続きが必要だそうです。

一方で、お墓を持つか決められぬままに遺骨を自宅においたままにしてしまう方も、今多いそうです。

自宅の庭に遺骨を埋めるのはダメって、知ってましたか?

恥ずかしながら、私は初めて知りました。

先々の付き合いも考えていくと、新たにお寺の檀家になるという決断もなかなか難しいですよね。

お寺さんの困りごとと、私たちの困りごと。

これを檀家制度という今までの枠組みではなく、新しい方法で解決できないか。と考え、お寺や供養のスタイルのも進化が必要と考えていた、津市の浄誓寺の稲森住職と奈良県にある墓石屋さんと話す中で、偲墓というサービスにたどり着いたそう。

お寺さんも利用する人も笑顔になれる、多様な供養の方法が評価されて、偲墓は2021年度のGood Design賞も受賞されたそうです!

津市にある提携寺院 浄誓寺の稲森住職

偲墓の提携寺院は、津市にある浄誓寺を含め、今7件。

名古屋や大阪にもあり、今後ますます増えて行く予定だそうです。

(この記事を見て気になったお寺さんはぜひ問い合わせを!)

 

さ。この記事がアップされたら、実家に行こっと。

聞いておきたいこと、決めておきたいこと、親がどうしたいのかまだ笑って話せるうちに。

「おとーさん、おかーさん、お墓ってどうするの?」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

株式会社 佛英堂

三重県松阪市中町1993

0598-21-0959

偲墓 公式ホームページはこちら

 

OTONAMIE PUSH EVENT【2021.11.28update】

\こんにちは!広報担当のともーこです!/
イベント情報をご紹介していきます。
※各イベントへのお問い合わせは、各イベントのお問い合わせ先にお願いします。
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Tribute to Miyoshi 三善晃へのトリビュート

イベントのジャンル:現代音楽のライブ
日程:2021年12月10日
時間:19時
主催者:芸術文化ワークス、ひらのきかく舎
主催者からのメッセージ:世界で活躍する加藤訓子が、恩師でもある日本を代表する作曲家三善晃の作品を、心を込めてマリンバのソロ演奏でお聴きいただきます。
お問い合わせ先:080-5075-5038 芸術文化ワークス info@npo-artworks.org

イベントに関するHPやSNSなどのリンク先:https://teket.jp/314/7261

うさぎストライプ「ゴールデンバット」

主催者:三重県文化会館
主催者からのメッセージ:「ゴールデンバット」は、売れない地下アイドル・梅原純子と、路上で誰にも相手にされず歌い続ける老女・海原瑛子の二人の女性の人生が重なり合う物語です。万雷の拍手の中ステージで歌うことを夢見た彼女たち。今回は900 人近く入る三重県文化会館中ホールで、皆さんに舞台上から彼女たちの人生を追体験していただきます。三重初登場となるうさぎストライプの初ステージをご堪能ください。
ジャンル:演劇
日程:2021/12/19
時間:14:00/17:00
お問い合わせ先:三重県文化会館チケットカウンターTEL:059-233-1100
イベントに関するHPやSNSなどのリンク先:https://www.center-mie.or.jp/bunka/event/detail/36032

皆様からもイベント情報を募集しています!

お寄せいただいたすべてのイベントを掲載できる訳ではありませんが、OTONAMIEの読者の皆様が楽しめそうなイベント情報を、編集部がピックアップして掲載いたします。
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Dr.STONEの世界へ ノスタルジックな鳥羽なかまち

一瞬の出来事だった。

あたりを真っ白に包んだ閃光に、思わず目を瞑る。数秒後、徐々に収まっていく光を瞼越しに感じながら、ゆっくりと目を開いた。…すると、そこには信じられない光景が広がっていた。

ここはどこだろう?

おかしい。ここは普段、僕が過ごしている鳥羽なかまちのはず…

思わず目を閉じて、深く息を吸って、吐く。そして、もう一度目を開いた。それでも、目の前の光景は変わらない。夢ではないらしい。ここは…本当に鳥羽なかまちのようだ。

鬱蒼と生い茂った草木に覆われてしまった鳥羽なかまち。あたりを見渡しても、物音もなく人の気配も感じない。一体、どうしてこんなことになってしまっただろうか。

このままじっとしてもいられない。幸い、僕の身体は特に異常はないみたいだ。ただ棒立ちしていて固まっていた片足をあげて、おそるおそる一歩を踏み出す。沈み込む柔らかな地面の感触を確かめながら、事務所のあるクボクリらしき建物に向かった。

…ここがクボクリ?

ちょっと中に入ることを躊躇う。入りたくない。でも、行くしかない。ブチブチと植物が切りながら、何とか扉は開いた。

クボクリ1階のカフェスペースだった場所を見つめ、ただただ呆然とする。驚きを通り過ぎて、何だか美しいとも思えてくる。そして、なぜか電気はついた。

さて、これからどうしたものか。僕以外にも誰かいないだろうか。まずは、近くから探してみることにしよう。

・・・ガタガタ

カフェ奥の鳥羽ちゃんぽんの花清水さんの方で音が鳴った。誰かいるのか?

おそるおそる覗き込むように奥へと歩を進める。

「誰かいますか?清水さん?…」

!!!

そこにいたのは…

続・・・きません。完。

Photoshopの新しい機能で、実在する場所や建物をジブリっぽい写真に加工して遊んでみました。手軽に何でもありな時代になったものです。

※.ジブリっぽい緑緑したクボクリは、実在しませんのであしからず。

ちなみにクボクリカフェスペースの元画像

鳥羽なかまち公式WEB

タケル君を追いかけて

伊吹山山頂

日本100名山の伊吹山の頂上にはヤマトタケル(『日本書紀』では主に「日本武尊(やまとたけるのみこと)」、『古事記』では主に「倭建命(やまとたけるのみこと)」)の石像が祀られています。タケル君は背が高いイケメンだったみたいで気になって調べてみた。

どうも三重県とタケル君は色々つながりがあるみたい。桑名市から亀山市へと向かう道中、四日市市周辺で、『吾が足は三重の勾がりの如くして甚だ疲れたり』ってことで三重県になったとか。

てな訳でタケル君の追っかけ開始!

まずは桑名から〜!

 

 

日本武尊尾津前御遺跡

 

日本武尊尾津前御遺跡 日本武尊尾津前御遺跡 日本武尊尾津前御遺跡

 

アイリスパークみぞのから多度市民センターに向かう途中にあります。
おっちょこちょいのタケル君が大事な刀をココに忘れて気が付いて戻って来たらそのまま残ってたという場所。イケメンだけどあわてんぼうさんですね。

 

 

 

平群沢ため池公園

平群沢ため池公園 平群沢ため池公園 平群沢ため池公園

ココも桑名なんですが近くに住んでいるのに存在を知らなかった!
伊坂ダムに行くすぐ近くにあります。ココにはしっかりタケル君の像が格好良くでーーん!と。タケル君がココで足を洗ったと言う場所。タケル君は足を洗うだけで記念の場所になって凄い!

 

 

 

井田川駅

井田川駅

亀山にあるJR 井田川駅の駅前に新しいピカピカのタケル君の石像を発見。この場所はあまり歴史上の場所とは関係ないみたいですがタケル君のファンとしては一応訪問を。

 

 

能褒野神社

能褒野神社 能褒野神社

そしてタケル君の終焉地にして亀山にある能褒野神社。能褒野王塚古墳は宮内庁管轄のお墓ですので本物みたいです。あんなに有名なタケル君のお墓がこんなにひっそりとした感じで祀られてるのにはビックリ。

せっかくなので帰りに亀山市歴史博物館に常設の展示でタケル君についての展示していたのでお勉強を。

 

 

子どもも親も開放される場所。くわなプレーパークで遊んできました!

愛知と三重をつなぐ記者、OTONAICHIのコジロウです。

くわなプレーパーク」を以前からFacebookのタイムラインで見かけていて「いつか行きたいな」と思っていたのですが、やっと参加できました。

ふらっと遊びに行ったつもりが、想像以上に楽しかったので急遽取材申込みをしまして、主催の市民団体どんぐりの輪 プレーリーダー 水谷さんにお話を少し聞いてきました!

 

 

 

どこでやってるの?

三重県桑名市の「桑名市ほたるの里」という場所で開催されていました。

弥富市からは車で片道30分ぐらい。木曽三川を国道1号線で渡り、イオンモール桑名を過ぎたらもうすぐです。

入り口のすぐ前には、広めの駐車場があります。 (それでも満車でしたが..)

周辺は新興住宅地(陽だまりの丘)で、もともと山だったのを切り崩して作ったのがよくわかります。

このほたるの里は野山を感じられる形をうまく残しながら、道や柵、トイレなどは綺麗に整備されていました。

自然を楽しむのをメインにしつつも、使いやすい公園になっています。

ここ桑名のプレーパークは、2019年夏頃から始まり、毎月1回開催されているとのこと。

コロナ禍で開催中止をしていた時期もありましたが、これからはまた様子を見ながら感染症対策にも気をつけて、開催されていくようです。

プレーリーダー 水谷さん

どんなイベント?何をして遊ぶ?

まず最初に受付。保護者と子ども達の記帳をして、名札を書いたらスタートです。

参加費を払おうかな…って….え!なななんと、無料。

後から思っても、こんな良い場所で道具も充実していて無料って凄すぎます。

受付の机には、ここでのお約束(遊び方)が書いてあります。

くわなプレーパークの基本理念

「自分の責任で自由に遊ぶ」「ケガと弁当は自分持ち」

失敗してもいいからやってみる。ここは子どもたちの”やってみたい”を叶えるために、大人の”よかれと思って”を堪えて、みんなで見守る場所です

この考え方を冒頭のどこかでみた投稿で拝見して、とっても惹かれたんですよね。ワクワクする基本理念です。

そういう場所で、自分の子どもたちに怪我を多少しながらもチャレンジして欲しいなって、ほんと思います。

 

このような基本理念の場所なので、実際、特に細かなルールもなく、一般的な公園やイベントにありがちな”用意された遊具”というものはほとんどありません。

周りを見渡して、土、木、ロープ、坂、階段、スコップ、日曜大工工具…などを自由に使って、子ども達が自由に遊びます。

きちんと研修を受けた”プレーリーダー”も所属されています。

この日はフルメンバーに近い人数がいたとのこと。頼もしいです。

プレーパークは、「子も親も開放される場所」

そして子ども達を見守る親は、置いてあるベンチやキャンプ道具に座って、「ぼーっとゆっくりした時間を楽しむ」でいいとのこと。

そう言われても!

ついつい子どものそばにいなくてはと立ってしまい、子どもの遊びを手伝ってしまいます。

「よかれと思ってをぐっと堪えて」というテーマが頭をよぎります、ほんと難しい。

でもやっぱり子どもって大人の想像よりも何倍も逞しいですね。

遊び始めて、ものの10分ぐらい経てば、勝手に友達ができて、自分で考えて遊び始めて、うちの上の子は山の上の方に消えていきました(ドキドキした〜)。

下の子も小さいながら、普段は怖がってやらないような遊びも、手からちょっと血が出たのも我慢して、頑張ってチャレンジしていました。

いやいや、これはほんとすごい。普段の公園では、こうはならないです。

環境がそうさせるんでしょうね。

親同士もゆっくりと座っている方や井戸端会議をしている方、自分も一緒になって遊ぶ方など、様々でした。心地よいです。

過去、水谷さんが鞍が池プレーパークに参加したのち、他県でプレーリーダー研修を受けて、「プレーパークにはいいことがたくさん詰まっている」と感じて桑名でプレーパークを始めたいと思ったのがきっかけ。

プレーパークにたくさん詰まっている”いいこと”の一つが「開放」なのだそうで、このプレーパークの場所では、窮屈で忙しい毎日の子育てから開放されて、親もゆったりできる、これがあるそうです。

くわなプレーパークを始める前は、「ちゃんとプレーリーダー養成講座などを準備して、しっかりと整えてからやろうかなぁ」と思案はしたものの、「知り合いの範囲からでも、小さくでいいから始めてみよう」と考えて始まった桑名プレーパーク。

まず初めてみたら、想像よりも参加者がドドッと集まり、それ以来、「ゆるく楽しく」月一回開催しています。

学習支援をしていた水谷さんが「ゆるい学習」をしている中で「まだまだ子ども達に遊びが足りない!」という思いがベースにあるとのこと。

今ではとってもよい遊びの場になっています。

“こどものもでるはうす”が完成

この日は、リアカーに木を子供たちが乗せて、一生懸命運び、ツリーテントが出来上がりました。

中には素敵な看板で「こどものもでるはうす」と書いてありました。最高です。

頑張って運んだ木を積んだり立てたりして、ベンチや机、玄関(ゲート?)も完成。

大人は坂道だけリアカーを押してあげたり、ちょっと重いめの木を持つのを手伝ったぐらいで、ほとんど子ども達がやりたいように話し合いながらできたものです。

それから、モデルハウスの隣では、水谷さんが頑張ってハンモックを設置していました。

「ロープワークができるパパさんがいたらいいのになー」って。

どなたかいませんか?

 

「ステキ」が詰まっているゆるい空間

他にもたくさん「これ遊べそう!」というパーツが転がっていて、本当にゆるくて素敵な空間でした。

決まった遊び、用意された遊びはないのだけれど、パーツはいっぱい転がっていて、友達もたくさんいる。

さあ、なにして遊んじゃおうか。

そんな感じです。

ボクはもうこのプレーパークの虜になってしまいました。面白すぎます。

また近々、何度もお邪魔したいと思います。

「ほたるの里」の名前の通り、シーズンには蛍も見れるようです。これも気になる!!

さてさて、桑名プレーパークが気になった方、ぜひぜひ一度参加してみてください。

お会いできたときには、一緒にゆるく遊びを考えましょう!

 

くわなプレーパーク 開催情報

どんぐりの輪 WebページまたはSNSでチェックしてください!

■どんぐりの輪のページ:https://ameblo.jp/dongurinowa2019/

■どんぐりの輪Instagram:https://www.instagram.com/dongurinowa/

■どんぐりの輪Facebookページ:https://www.facebook.com/dongurinowa

 

どんぐりの輪さま、水谷さん、急遽色々とお話ししていただきありがとうございました!

三重県の仏教文化をさかのぼる(外国人からの視点)

Otonamieで記事を書くのは久しぶりです。今回はMie Muで寺院に伝わる戦国の残像という展示会を見たことをお伝えします。

上の写真は北畠政勝の肖像で、展示会の表紙にもなったものです。政勝の信仰の深さを描いた美しい絵でした。北畠氏は三重県で禅仏教を広める上で重要な役割を果たしたことで知られています。北畠氏と三重県であるの寺院の関係は、展示会で示されたいくつかの遺物で証明されました。

北畠氏は津市の美杉町多気の地に館や城を建てました。三重大学で森林学んでいた頃、美杉で演習林に実験でよく行きましたが、山頂に城があったとは聞いたことがありませんでした。制札や香炉など、保存状態の良い北畠氏が居た時代の美しい遺物が展示されていて感動しました。香炉は古くてひびが入っていますが、当時は価値が高く、おそらく中国から輸入されたものであることがわかります。

三重県の仏教文化の発展に津市域がはたした役割を紹介することも展示会の目的の一つです。津市は昔安濃津として知られる港湾都市でした。それで安濃津は経済活動だけでなく、宗教的および文化的活動でも賑やかな地域になりました。そして安濃津は信仰と文化に大きな役割を果たしました。 展示会では、森林の伐採を制限するための昔の制札を見ました。

約600年前に書かれた北畠氏時代の古い手紙を見ました。手紙は和紙を使って書かれ、よく保存されていました。私が読めなかった古い文字で書かれていました。展示会で案内して頂いた小林さんの説明では、当時は誰もが手紙を読めるわけではないとのことでした。手紙は実際には中世の日本語の文字を使用していて、漢文の文法も少し混ざっていると言われました。内容は減税といくつかの政治問題に関するものだそうです。字が読めないが、名前、宛先、内容、サインなど、手紙の構成についての説明がありました。 昔の日本人がどうやって手紙を書いたのか、その情報を教えられて非常にうれしいです。

実はこの展示会はMie Muの毎年恒例で、多くの人が楽しんでいたが新型コロナウイルスの蔓延により、訪問者は年前よりも少なくなっています。しかし、この展覧会は非常に多くの素晴らしい物も興味深いものです。


私のお気に入りの1つは、成願寺の木造阿弥陀如来倚像です。日本でいくつかの寺院の仏像を旅して訪れましたが、座っているこのような仏像を見たことがないです。 もう一つは和風の古い絵です。 仏教と日本文化がどのように混ざり合っているかを示しているので、とても美しくて面白いです。私のように仏教の知識が少ない人でも、この展示会は楽しく、とても有益だと思います。

日本でお寺や神社に行って御朱印を集めるのが好きです。御朱印始めたばかりですが、昔から仏教と日本文化が混ざり合っているのを見るのは楽しいです。日本のお寺や神社は自然の美しさも支えられているのが大好きです。

たくさん学ぶことができたので私にとってこの展示会を見ることがとてもいい経験になりました。子供をMie Muに連れて行くのが好きな人もいるようです。 展示会は子どもでも読める限り楽しめると思います。 子供たちを楽しませるために、写真スポットやクイズもあります。

英語文:

Tracing back the Buddhism in Mie Prefecture

It has been a while since the last time I wrote an article in Otonamie. This time I will write about my experience visiting an even in Mie Mu. I am so glad that I could see the exhibition.

(Pict 1)
The above picture is the cover picture of the exhibition which is the picture of Kitabatake. It was a beautiful picture showing the deviation of Kitabatake on this faith. Kitabatake was known for his important role on the spreading of Zen Buddhism in Mie Prefecture. His relationship with the temples in the area were proven with some relics that were shown in the exhibition.

Kitabatake built a huge castle in the mountain of forest Misugi. As I studied forestry in Mie University, I used to come to Misugi forest for investigation activities. I never heard that it was a castle in the top of a mountain. I was impressed by some beautiful archaeological remains from Kitabatake era that were shown in the exhibition such as 制札 and 香炉 which are well preserved. Although they are old and cracked, we can see that they were high value in the era and probably imported from China.

Another purpose of the exhibition is to introduce the role of Tsu City in the development of Buddhism culture in Mie Prefecture. Tsu City was formerly a port city, known as Anotsu. From the exhibition we can see that Tsu City religious activities together with the economic activities. And the forest of Tsu city had a big role in the faith and culture. In the exhibition, I saw a 制札telling to limit the overexploitation of the forest. Besides, there were also some proof of the relationship between Anotsu and the military activities during the Warring States period, including the old letters.

I was impressed by some old letter from the era of Kitabatake which were written about 600 years ago. The letters were written using Japanese paper and preserved well. The letters were written with old character I couldn’t read. Mr. Kohbayasi, who guided me in the exhibition, told me that not everyone could read the letters. I was told that the letters were actually using the ancient Japanese characters and a little mixture with Chinese Grammar. Mr. Kohbayashi told me that the letter’s contents were about tax reducing and some political matters. Although I could not read the letters, there were explanation about the composition of ancient letter, including the sender’s name, destination, content, and sender’s signature. I am glad to know this information and I am amazed about how old people have been so educated.

I saw many people enjoyed this exhibition which actually is annual event in Mie Mu. Due to the spreading of New Coronavirus, the visitors are fewer than years before. This exhibition is so interesting with so many amazing collections. One of my favorites is the sitting Buddha statue. I have never seen a statue like that even after I traveled and visited some temples and Buddha statues in Japan. Another one is an old drawing which is with Japanese style. It is so beautiful and interesting since it shows how Buddhism and Japanese collaborated.

I like to collect Go shuin by visiting some temples and also shrines. Although I just started this activity, I love how Buddhism and Japanese cultures have mixed since the ancient time. And I think even for people who have little knowledge about Buddhism like me, this event is enjoyable and also very informative. I see that some people like to bring their children to Mie mu. I think even children can enjoy the event as long as they can read. To entertain the children there are some photo spots.

三重県総合博物館
https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/MieMu/

OTONAMIE PUSH EVENT【2021.11.12update】

\こんにちは!広報担当のともーこです!/
イベント情報をご紹介していきます。
※各イベントへのお問い合わせは、各イベントのお問い合わせ先にお願いします。
※イベントの詳細はフライヤーまたは、各HP、主催者にご確認ください。

東紀州まちプロ

主催者:紀北地域活性化局 共催:度会県
主催者からのメッセージ:【タイトル・概要】
『東紀州まちプロ 〜令和3年度 東紀州「ごちゃまぜ」交流会〜』
“東紀州地域”で今起こっている、これから起こりつつある”まちのプロジェクト”(通称:まちプロ)に、あなたも参加してみませんか?みんなでごちゃまぜになって、あなたのアイデアでプロジェクトを盛り上げよう!

【内容・目的】
3人のプレゼンターがこれからやりたいプロジェクトを発表。参加者も巻き込んでプロジェクトを具体化するための会議を行うと同時に、これまで接点のなかった人同士の交流を創造します。

【内容詳細】
Part 1. プロジェクト発表
今、東紀州で”やりたい”&”やっている”ことで、チャレンジや応援が欲しいプロジェクトを、3人のプレゼンターが発表します。プロジェクトの目撃者になろう!
Part 2. ブレスト
自分の応援したいプロジェクトを選んでアイデアを出し合います。奇想天外、大歓迎!大人も子どもも学生も、子育ての方、お年寄りの方も、あなたが主役です。ブレスト後には、きっとミット東紀州が好きになる!
Part 3. アイデア発表
ブレストで出たアイデアをもとに、プロジェクトの今後を発表します。このプロジェクトの行方は?乞うご期待!

【会場案内】
シェアスペース土井見世
(尾鷲市朝日町14-2)
三重県尾鷲市の登録有形文化財である「見世土井家住宅」。尾鷲における新規事業の創出と、ゆるやかな関係人口づくりの拠点として再生すべく、見世土井家とNPO法人おわせ暮らしサポートセンターの協働により、シェアオフィス&コワーキングスペース「シェアスペース土井見世」としての活用が始められています。
※駐車場は念仏寺又は尾鷲商工会議所の駐車場をご利用ください。

【参加・申し込み】
ブレストに参加される方は、以下にて事前に申し込みください。(直接会場参加か、Zoomでの参加が選択できます。どちらも定員があります)
①名前 ②連絡先 ③参加方法(会場又はZoom)を事務局にお知らせ下さい。
定員:会場30名、Zoom10名
申し込み締め切り:11月15日(月)※先着順
▼申し込み・お問い合わせ先
▶︎事務局
紀北地域活性化局
地域活性化防災室 総務課
▶︎TEL 0597-23-3400
▶︎FAX 0597-23-2130
▶︎E-mail ochiiki@pref.mie.lg.jp

●インターネット配信(視聴のみ) 申込不要
イベントの様子は、Zoomウェビナーで配信しますので、ぜひご覧ください。
https://zoom.us/j/91061046813

【注意事項】
新型コロナウイルス感染拡大防止対策について
・三重県主催のイベント開催基準に則って開催します。
・当日、発熱や咳等の症状があるなど、体調がすぐれない場合はご来場をお控えください。
・マスクの着用や手指消毒等にご協力をお願いします。
・感染拡大等によりえむを得ず開催を中止する場合があります。

【主催・協力】
主催 / 紀北地域活性化局
共催 / 度会県
企画・運営協力 / NPO法人おわせ暮らしサポートセンター、ブレンドの会

ジャンル:プレゼン、ディベート、交流会

日程:2021年11月22日
時間:19:00〜21:00
お問い合わせ先:紀北地域活性化局 地域活性化防災室 総務課 0597-23-3400 ochiiki@pref.mie.lg.jp
イベントに関するHPやSNSなどのリンク先:https://www.facebook.com/events/857484091583854

うさぎストライプ「ゴールデンバット」

主催者:三重県文化会館
主催者からのメッセージ:「ゴールデンバット」は、売れない地下アイドル・梅原純子と、路上で誰にも相手にされず歌い続ける老女・海原瑛子の二人の女性の人生が重なり合う物語です。万雷の拍手の中ステージで歌うことを夢見た彼女たち。今回は900 人近く入る三重県文化会館中ホールで、皆さんに舞台上から彼女たちの人生を追体験していただきます。三重初登場となるうさぎストライプの初ステージをご堪能ください。
ジャンル:演劇
日程:2021/12/19
時間:14:00/17:00
お問い合わせ先:三重県文化会館チケットカウンターTEL:059-233-1100
イベントに関するHPやSNSなどのリンク先:https://www.center-mie.or.jp/bunka/event/detail/36032

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三重発インスタントパスタでお店応援!お湯だけでシェフレベルなil Vivo新開発パスタをみんなでいただきます!

大台町を拠点にイタリアンのキッチンカーを運営するil Vivo(イルヴィーボ)さん。

東京から移住したご家族(細川さん)でイタリアンシェフの旦那さんが作る、三重の食材を使ったパスタやピザなどが人気です。
以前取材させていただいたのは2017年。当時三重が食材の宝庫だとは知らなかった私ですが、取材時に料理を通じて学ばせていただき、その美味しさは今でも思い出せるほどです。取材って、本当に勉強させていただくことが多いです。

左上から魚介のラグーソース・ボロネーゼ・ジュノベーゼ。左下から南伊勢町の真鯛・伊勢湾のガザミ・清流宮川の鮎。

そんなil Vivoさんから、お湯で茹でるだけで簡単に地元食材、有機・無農薬の本格パスタが味わえる “Pasta Felice”(パスタ・フェリーチェ)が完成しました!とのご連絡がありました。

お湯で茹でるだけで食べられる、地産地消の本格パスタとはどんなもの?どんな味?
いろいろと気になったので、il Vivoさんに商品サンプルを送っていただき、三重県各地に暮らすOTONAMIEの方々に郵送して実食していただきました!

 

大台町のタレント・栄養士!

大台町で地域に関するお仕事やタレントをしているキャスターマミさん。栄養士の資格を持ち料理上手。ひょんなことから今回のil Vivoさんと私の接点も作ってくれた方です。
詳しくはこちら

–キャスターマミさんからの寄稿文。

私が試すのは、「Pasta Felice Genovese(ジェノベーゼ)」。奥伊勢で育てられたオーガニックバジルのil vivo自慢のジェノベーゼと有機野菜のパスタ、1.5~2人前サイズです。

今回は一人用の土鍋を使ってみました。400CCの水を入れて沸騰させ、袋から付属のオリーブオイルを出し、それ以外の材料をダダ―ッと全て入れます。既にバジルとガーリックの食欲をそそるいい香り!
軽くかき混ぜ、再沸騰後に蓋をして8分タイマーしました。たまーに蓋を開けて、パスタ同士のくっつき防止のためまぜまぜ。タイマーが鳴ったので蓋を取り、水分がお玉1/2くらいまで煮詰まったら味見。パスタの硬さアルデンテ!味、申し分なし!

ここで火を止め、付属のオリーブオイルを投入し、よ~く混ぜ合わせ乳化させます。

丸く窪んでいる可愛い形のパスタ。耳たぶのようなこのパスタは、オレッキエッテというそうです。オイルが絡んでバジルの香りが広がります。
たっぷりの野菜は、小松菜とラディッシュとかのカブかな?と予想していましたが、このほくほく感、ほんのり感じる甘味、紫色の皮…さつまいもでした!
さすが、料理人自らが開発し、手間暇かけて「美味しさ」を極めただけある。本格イタリアンを常備できるなんて嬉しい限りです。

続いては、「Pasta Felice Ayu(清流宮川の鮎)」、1人前より少し小さめサイズです。鮎のパスタ、予想もつかない!il vivo細川シェフの手でどのように作り上げられたのか楽しみにしつつ調理しました。パスタの種類はペンネリガーテ。先がペン状に尖っているパスタを「ペンネ」、さらに筋が入っているものを「リガーテ」と呼ぶそうです。

爽やかな鮎の香り、しっかりと感じます。ホロホロの身と骨が絡まり、鮎香る上品な味わい。まさに清流の町ならではのパスタ!たっぷりの野菜は、色鮮やかで甘いカボチャ、味しみしみのナス、そして肉厚な奥伊勢キノコの食感が良いアクセント。

今回試した2種類どちらも、イタリア料理il vivoだからこその美味しさで、さらに野菜がたっぷり取れて、その味も食感もさほどインスタントを感じさせないところに感動しました。
ぜひ多くの方に知っていただき、応援していただきたい!!

 

 

伊勢志摩の三重通!

濱地雄一朗さんは三重のお土産などのWEBメディアを運営されている三重通です。(ウツボを捌いて干物をつくる記事おもしろいです!)
詳しくはこちら

以下、濱地さんからの寄稿文。

調理前のPasta Feliceをお皿に移した状態

調理時間約10分で出来上がった本格パスタ「奥伊勢ジェノベーゼ」。

パスタはモチモチで、ホクホク・シャキシャキな野菜は食感も楽しめます。味わいも絶品。5分で完食。水のみで味付け不要な本格パスタが気軽に食べられてしまうなんて、感動。

仕事やプライベートで忙しい人も、手軽に本格パスタが食べられるのは魅力的です。また、軽くて持ち運びしやすいので、アウトドアでも活躍しそう。調理工程を知らずに奥伊勢ジェノベーゼを食べた方は、まさかつい数分前まで、パリパリなパスタ&野菜だったとは思わないでしょう。しかも、野菜は地元産。奥伊勢の魅力がギュッと詰め込まれたジェノベーゼです。今度は海、山、川などの大自然の中で作って味わってみたいです。

 

 

漁師町のデザイン会社経営者!

1回目の緊急事態宣言時には「OTONAMIEでテイクアウト特集をやろう!」とご提案いただいた東城さん。なんともOTONAMIE的なお店紹介の記事をご寄稿いただきました。
詳しくはこちら

以下、東さんからの寄稿文。
地元、紀北町では、本格的なイタリアンを食べれないということもあり、茹でるだけで食べられるパスタを楽しみに調理してみました。

今回食べたのは「魚介のラグーソース」。分量が1.5~2人前と書いてあったのですが、調理する前は本当にそのくらいあるのかな?という印象でしたが、出来上がってみると結構な分量。お皿2人分に盛り付けるとちょうどいい感じです。

実食した感想としては、奥伊勢野菜の濃厚な味わいが感じられ、パスタ自体もしっかりした美味しさがあるので、上手く調和しているようと感じました。
野菜は乾燥野菜だったので、あまり期待はしていなかったのですが、食べてみると野菜本来の味が損なわれるのではなく、乾燥したことにより新鮮な野菜より濃厚な味わいに感じられました。オクラの粘りも強く、野菜の美味しさが際立つパスタでした。

 

 

桑名のパワーブロガー!

突っ込み型の記事にファンも多い福田ミキさん。桑名の文化遺産的「ドムドムバーガー」の記事は、何度も読み返したくなる愛が詰まっています。
>詳しくはこちら

 

以下、福田さんからの寄稿文。
(福田さんが運営するスペース・ニカイよりリポートいただきました)

桑名のワーク拠点「ニカイ」にシャレオツなパスタが届きました。ジャジャーン!!
たまたまアウトドア好きな面々が集まっていたため、振る舞ってみることに。
最初は、ラグーソースのパスタ。
東紀州や伊勢湾などで揚がった魚介類を骨ごと圧力をかけてミンチにしたものらしい。
袋を開けたら、そのままガサっと熱湯へ投下。

燻製で地域の魅力発掘中の国交省職員のぶさん

「最高やな」

さて、お味はいかがですか??
「美味しいわー」

ヴァナゴンを乗り回している伊勢農林水産事務所の太田所長

「うん、美味しいね」

授業にアウトドアを取り入れている三重大学 生物資源学部の坂本教授

「うまいね」

皆さんの表現力ってば…。
どうやらアウトドア派の関心ポイントは「少量の水」と「湯切り不要」な部分のよう。

続いて南伊勢の真鯛パスタ。

今度はアルミクッカーとバーナーで調理

同じくガサッと熱湯に投下。
軽くかき混ぜ蓋をして、
ふわんと完成。

便利!

常に寝袋常備の株式会社On-Co水谷代表

さてこちらもお味はいかがですか?
「鯛だ。鯛がおる」

少量の水でとにかく簡単。
それでいて地物の食材を使った本格パスタは、キャンプ飯にも非常食にもとても好評でした。
そして話題は、防災へ。
美味しいパスタを通して、いざという時のための備えと心構えについて話す機会にもなりました。

 

やさしく奥深いシェフの味

最後に私は、松阪豚を使ったボロネーゼをリポートさせていただきます。
作り方は他のパスタ同様に、袋をあけて乾燥剤とオリーブ以外を鍋に入れ、10分程煮込めば完成。とても簡単です。

実家の母が作りすぎたおでんを持ってきていたので、おでん×ボロネーゼという予期せぬ組み合わせの夕食となりました。あれ?おでんにも赤ワインが合う・・。おでん=和風ポトフ?ということで。

野菜の甘味を感じるやさしい味なのですが、肉の上品な旨味がベースにあるので奥深いお店の味わい。丁寧な仕上がりだと感じました。しっかりとした肉の旨味に赤ワインが合います。子どもたち(ベビー含む)も美味しいと喜んでいました。

 

三重を語るひと皿を応援!?

実は今回、皆さまにご協力いただいた背景には、こんな事情がありました。

先日il VivoさんからOTONAMIE宛にメールが届きました。内容を要約させていただくと「コロナ禍でイベントなどに出店できない状況が続きました。そこで新商品を考案。開発には成功したのですが資金が不足して量産のための設備等も不足。現在クラウドファンディングに挑戦しています。多くの方に取り組みを知ってもらえたら」という趣旨でご連絡をいただきました。

ちょっと食べてみたくなった!
キャンプ飯や防災用に買ってみよう!

そんな方は、ぜひこちらをご覧ください。

>il Vivoさんのクラウドファンディング

食材の宝庫・三重を語るひと皿は、贈り物にも喜ばれそうです。

 


 

イタリア料理 il Vivo(イルヴィーボ)
多気郡大台町江馬148−1
hp https://ilvivocappa.stores.jp/
fb https://www.facebook.com/il.vivo
in https://www.instagram.com/il_vivo_cappa/ 

※毎週木曜日は大台町江馬銀座で店舗営業されています。

どこか懐かしさ感じる伊勢木綿

先日ご縁があり、津市にある臼井織布株式会社に行く機会があったのですが木綿というイメージが…随分変わりました。

木綿と聞くと、地味なイメージがあったのですが、全くそんな事はなく色とりどりの華やかな反物の数々に時間を忘れてしまうほど!

無知でごめんなさい…!

近くにこんな場所があるなんて全く知らず、もっと早く出会いたかったです。懐かしさの中に新鮮さを兼ね備えていました。

伊勢木綿とは?

伊勢木綿って?と思い伺ったところ、臼井さんからHPに書いてあるよと聞きHPを見てみると、

はじまりは一本の綿糸から。礎を築いた伝統の布。

「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と歌われた様に伊勢の国の中心地であった津の周辺には、絹(伊勢袖)、麻(津もじ)、木綿(伊勢木綿)の産地でした。

伊勢木綿は伊勢参宮の土産物として、津の街道で名産の一つとして売られたり、江戸から戦前まで日常着として全国の人々に愛用されるなどして、当時の伊勢商人達の経済的基盤を作りました。しかしながら戦後化学繊維の発展や、服飾文化の変化で需要は激減、伊勢木綿を生産する工場は廃業が相次ぎ、現在では臼井織布、ただ一社のみとなったため、伊勢木綿は大変貴重なものとされています。その貴重さから、伊勢木綿は三重県の伝統工芸品として認定されています。-臼井織布HPより-

とありました。という事は、今は臼井織布株式会社のみ‼︎これにはびっくり。伊勢木綿の名前は三重県に住んでいると耳にする事があるのでたくさんあるのかと。とっても貴重な場所だったんですね。

臼井さんの工場にある織り機が圧巻。みていて飽きず、ずっと見ていられます。

伊勢木綿の魅力

臼井さんに色々とお話しを聞いたところ、昔は庶民の普段着といえば木綿の着物だったとの事。何故かというと、季節を問わず着られる気軽さ。通気性や保湿性にも優れ柔らかな肌触りていう事。現代においては自宅で洗える、お手入れの簡単さも魅力の一つ。はじめの着物は木綿がオススメとお話しして下さいました。臼井さんのお話は尽きません。千草道と呼ばれる街道があった事や、昔は織物屋さんが三重県にあった事など、歴史も教えて頂きました。

現代に合うように色々な商品を作られています。カバンや財布などの小物からメーカーさんとコラボした物まで。伊勢木綿の良さを残しつつ、コラボした物の良さも引き出してくれるのも伊勢木綿の魅力の一つではないのではと感じながらお話を伺っていました。

伊勢木綿のお話や歴史を聞きつつ、伊勢木綿を感じに行ってみて下さいね!へぇーと思う事がたくさんあります。とても素敵な古民家ですが、少し入り口がわかりにくいですが、入り口に名前が出てますよ。


臼井織布株式会社
住所:津市一身田大古曽67
tel:0592322022
HP:http://isemomen.com/

ふらり伊勢街道散策・古民家をリノベした琥珀糖専門店いつきこはく

伊勢神宮がある伊勢市のとなり明和町。
伊勢街道が残り、趣きのある町並みがあります。
近鉄斎宮駅からすぐのところにある、菓子工房すみ野。

古民家をリンベーションした室内はまちかど博物館で、個展などが行われています。

訪れた令和3年の夏は、様々な楽器が展示されていました。
(開催中の展示はこちらをチェック)

ここを運営するのは音楽家の大場さん。

御自宅の一部を使った展示スペースと琥珀糖の販売コーナーがあります。

展示室で見つけたレトロなガラス瓶や製薬の道具。
大場さんのひいお爺さんはここで薬屋を営まれていたそうです。
江戸や明治期に、お伊勢参りの参拝者で賑わった伊勢街道。
そこにあった薬屋。
なんだか風情のある情景が浮かびます。

レトロで落ち着いた空間にマッチする、カラフルでお洒落な琥珀糖とパッケージ。
パッケージは、こちらも音楽家のご主人がデザイン。
今では遠方からも買いに来る客がいるという琥珀糖。
なぜ製造販売することになったのでしょうか。

ことのはじまりは、この家でホームコンサートを行っていて、沖縄の音楽家をゲストに招いたこと。
沖縄の海のイメージにあ合うお茶菓子を考えていたところ、琥珀糖が浮かんだ。
知り合いからは琥珀糖は作るのが難しいと言われていたそう。
でも実際に作ってみると「あれ・・、できた!」となったそうで、それからは着色をしたりいろんな琥珀糖づくりにハマる。
毎日のように琥珀糖づくりに没頭し、自分たちだけでは食べきれないくらいの量ができ、母の老人会仲間の皆さんに配ることもあった。
一年くらい前に「その琥珀糖はどこで売っているの?」と聞かれ、知り合いに誘われてまずは斎宮満月屋台のマルシェに出店。
「本当に売れるのだろうか?」と思っていた大場さん。
しかし結果、すべての商品が売り切れた。

▲使われているアンティークな棚は、薬屋時代に使われていたものでお洒落な雰囲気。

その後、室内に販売コーナーをつくり、琥珀糖づくりにさらに没頭。
砂糖と寒天だけでつくる琥珀糖は、外はシャリッとした食感で、中からはジュワーとさっぱりとした甘味が優しく溢れる。

琥珀糖は製品となる大きさの型に流し込んでつくるのではなく、8cm程の四角い型に流し込んだ後にひと口大にカットをする。
壊れやすい琥珀糖のカットは難しく、今でも夜な夜なカットの作業に勤しみつつ、ちょっとしたグラデーションの美しさに喜びを感じるという。
好きなことにハマったら、それが商品となり、さらにハマっていく。
そんなキラキラと輝く熱量は、美しい琥珀糖にも現れていると思った。

いつきこはくの近くには斎宮や竹神社などもあり、ふらっと日帰り散策にもおすすめです。
また、遠方から伊勢神宮をさらに愉しむために、斎宮や伊勢街道を巡った旅のお土産にも喜ばれそうです。

 


 

菓子工房すみ野
多気郡明和町斎宮118
tel 0596-52-2062
hp http://itsukikohaku.tokyo/
in https://www.instagram.com/kohaku_sumino

当たり前ではなかったこの景色。地方からワクワクを

帰ってきたらぜんぜん違う三重を感じた

つい最近大阪から三重に帰ってきました。いわゆるUターン。
食べることはもちろん、自分で作った料理を美味しいと笑顔で言われるのが嬉しく大好きで調理の学校に行くために大阪へ。その後、大阪で割烹店と営業を経験し、今はOTONAMIEでインターンとしてお世話になっています。

僕の地元は三重県の南伊勢町、海と森に囲まれた町。リアス式海岸に恵まれていることもあり、三重県内で漁獲量はNo. 1。しかし、近年地方での問題でもある高齢化、少子化の両方でもNo. 1を獲得。何かとNo. 1が多い町。

辺りを見渡せば一面の綺麗な自然だが、何があるの?と聞かれたら、山と海としか答えられない・・・。びっくりしたのが、三重県民の人に言ってもほぼ知らない。大阪で同じ三重県民となって盛り上がっても、だいたいの人が南伊勢町?どこらへんなん?ってなります。

正月にダラダラと家で過ごすために帰ってくることはあるものの、ちゃんと帰ってきたのは4年ぶり。
大げさかもしれませんが、僕が18年間過ごしてイメージしていた三重県とは全くの別物。「人もいないし、つまらなくて、何もないから何もできへんやん」ってずっと思っていました。帰ってきて正直思ったことは、三重県ってこんなとこだっけ?

地元南伊勢で進行中の「うみべのいえプロジェクト」。自分の家のように誰もが気軽に過ごせる街づくりなど、とても楽しそう。

自分が知らなかっただけで、こんなにも夢中になれる景色や、話しているだけでワクワクする人がいるなんて。

鳥羽市のREMAREでは、海洋プロスチックを使い陸と対極な海で生まれた思考を表現。地球の7割を遊び場に。

 

まるでアジトのような楽しい大人の秘密基地。

 

少ししたら大阪に帰ろう、と思っていたが・・。

知らなかったのではなく、近くにあったり日常的すぎて知ろうともしてなかったのかもしれないです。そんな考えになるきっかけをくれたのも、南伊勢町で住むには致命的な車を持っていない僕。
家には車が3台もあるのに・・・(保険対象外なので乗らしてもらえない)。唯一の移動手段であるリトルカブで空いた時間に、特に行き先も決めずに走っていた時でした。

ちょうど日が暮れる時間、だんだん暗くなってきたなぁと思い、ふと海の方を見たらめちゃめちゃ綺麗な景色が目に入りました。普段は車で通り過ぎるような場所でしたが、あまりの綺麗さに脇道に停車。写真はだいたい美味しそうなものしか撮らないんですが、思わず何十枚も撮っていました。

南伊勢町の下津浦の入り口。

南伊勢町に住んでいましたが、下津浦は初めて。生まれ育った町でも自分の知らないものは、まだまだたくさんありそう。

元々は完全にこっちに帰ってくるつもりはなく、少ししたら大阪に帰ろうとしていました。しかし、この景色がきっかけでもっと地元を知りどんな人がいるのか、どんなことをしているのか知りたくなりました。

こんな風に思えたのも、大阪という1人知らない土地に行き、都会に行っていろんなことを経験したから。地元を離れるのがダメ、都会では何もできなかったではなく、帰ってきたからこそ気づけることや地方だから出来ることがあると思う。

何もないからこそ、何でも出来る。

何かを作り出してもいいし、気の合う仲間ができていくなんて最高で可能性しかないです。地方は本当に自由だと思った。これから、三重県の面白いモノや人、こんなのここでしかできないと思う、ワクワクすることをいっぱい発信していきます。

空き家の中で見つけた、懐かしいシール跡。

これから暮らすかもしれない、空き家巡りで見つけた1枚。

みんな集まる面白い場所に、リノベーションしまくるぞー!

熱烈大歓迎!三重の暮らし体験型移住系イベント参加者募集中!

三重暮らし魅力発信サポーターズスクエア事業

いささか長めの事業名(以下スクエア事業)ですが目的を簡単に書くと、三重県での暮らしに興味がある人に地域の魅力を知ってもらうこと。(詳細はこちら)。そして三重県各地の地域や人、同じように移住を考えている人などと繋がりをつくること。
事業内容は、地域フィールドワーク、ワーケーション、オンラインツアー、交流会、SNSキャンペーンと大きく5つ。全イベントのナビゲーターとして、三重に暮らす・旅するWEBマガジンより代表の私(村山祐介)と副代表の福田ミキがご案内します。
それでは全イベントのポイントをお伝えします。
ちなみに全て参加費や滞在費無料です(おすすめ!)。
※現地への交通費等は一部ご負担あり。詳細はこちら

 

Aコース
自分がミエる!三重暮らしゼミナールin伊賀市博要
11月スタート

全5回のゼミナール形式で行い、東京で集まったり、現地でフィールドワークをしながら地域の課題や暮らしに触れ、参加者の理想の移住のかたちや、地域課題に対する解決方法をみんなで考えます。

リノベーションした快適な校舎で食事や懇親会
新しく作った五右衛門風呂!
こちらも新しく作ったおくどさん!夕飯は地元のお母ちゃんたちと作ろう!

舞台は山間部にある伊賀市博要地区。
知って驚いたのですが、約300名が暮らす地区に、なんと20名以上の移住者が暮らしています。博要地区では30年以上前から地域づくりを行っていて、テーマは「スローライフ」。地域産品をブランド化したり地場産業を強化したりと、地域づくりにはいろんな形がありますが、博要は「ライフ」。つまり「暮らし」に重きを置いて展開しています。

ぐるり農園さんのお洒落なポストカード
毎週水曜日にぐるり農園さんも出店している近所のマルシェ

今回ゲストにお迎えし、フィールドワークで暮らしをご案内いただくのは移住者農家ご夫妻(ぐるり農園・小山高人さん/萌愛さんご夫妻)。大阪に生まれ育った小山萌愛さんにお話を聞いていた時でした。「いつまで消費し続ける暮らしをするのだろう」。小山さんはそんな想いを持ち、タイの農園を訪ねたり、農業の勉強をはじめて行き着いたのが博要地区。こちらでご主人と出会い結婚。立派な古民家に暮らしています。

ぐるり農園
https://gururi-iga.com/

 

舞台となる空き家。こちらも立派な古民家です!
レトロなガラス戸
家の裏にアトリエにできそうな倉庫や、敷地内にもう一つ離れがあります。

古民家といえば、林業が基幹産業だった博要地区には立派な家が多い印象です。そして全国の地方と同じく、空き家の問題もあります。今回のフィールドワークでは実際にひとつの空き家を見学し、利活用方法なども皆さまと考え、アイデア出しをします。フィールドとなる空き家ですが、本宅、離れ、物置、庭ととても広く、丁寧に使われてきたことがわかるステキな家です。ご期待ください!
空き家についてはフィールドワークの当日、さかさま不動産という仕組みをつくり、全国から注目が集まるOn-co代表の水谷岳史さんをゲストにお迎えします。

水谷岳史さん

さかさま不動産
https://sakasama-fudosan.com/

株式会社On-co
https://sakasama-fudosan.com/wp-content/uploads/2020/09/%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BEOn-Co-%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E6%A6%82%E8%A6%81.pdf

1泊2日のフィールドワークを経て、その後東京で企画検討会。再度現地で発表会を行い、最後は東京で交流会を行います。いろんな出会い、気付き、仲間ができる楽しいイベントです。

▼詳細と申込みはこちら
https://mie-kurashi.net/#sem

 

 

Bコース
三重でワーケーション!暮らし体験モニター in 鳥羽市
1月開催

舞台は鳥羽水族館やミキモト真珠島がある鳥羽市。むかし、鳥羽の台所といわれ栄えていた鳥羽なかまち。しかしながら店は閉まり閑散としていました。最近、そんな鳥羽なかまちに活気が!
空き家をリノベーションして店がオープンしたり、コワーキングスペースやシェアオフィスができるなど、盛り上がりを見せています。ワーケーション期間内に行われる「暮らし体験モニター in 鳥羽市」にご参加いただき、鳥羽なかまちの新しい「暮らし」が体験できます。また鳥羽市浦村町という漁村で、漁業体験なども実施。

鳥羽なかまちの記事
https://wataraiken.com/project/pretobaproject/

▼詳細と申込みはこちら
https://mie-kurashi.net/#kurashi

 

 

Cコース
暮らしがミエる!三重暮らし体験オンラインツアーin南伊勢町
11月開催

三重県No1の漁獲量を誇る南伊勢町は漁業だけでなく、ブランド柑橘などの農業が盛んな地域。養殖筏の上から、はたまたみかん畑やローカルスーパーなどをZoomで繋ぎながら「暮らしを味わう」オンラインツアーです。
参加者には事前に伊勢真鯛の刺身用切り身、内瀬の柑橘、竈方の塩などを郵送。イベント当日、みんなで「いただきます!」をしましょう!

▼詳細と申込みはこちら
https://mie-kurashi.net/#bus

 

 

東京スクエアplus
キックオフ会&交流会in東京

三重という地域の最前線の情報をお届けします!
三重での暮らしについて、東京で語り合いましょう!
同じ感覚を持つ仲間が、きっと見付かるイベントを企画中。
11/12 キックオフ会
3/4 交流会

▼詳細と申込みはこちら
https://mie-kurashi.net/#sq

 

 

\宿泊券が当たる/
#みえでワーケーション
写真投稿キャンペーン

素敵な投稿をしてくれた方の中から、計5名様に三重県内の豊かな自然が満喫できる宿泊施設の宿泊券(ペア1泊分)をプレゼント!

▼詳細と申込みはこちら
https://mie-kurashi.net/#sns

 


 

正直、移住って、ハードルが高いと思う。
だからこそ、地域の人と繋がったり、暮らしを知ることからはじめませんか?

皆さまのご参加をこころよりお待ちしています!

 


 

OTONAMIE代表 村山祐介
三重県津市出身在住。上京するも東京に負けUターン。家業の印刷業の傍ら三重のディープな魅力を発信する、WEBマガジンOTONAMIEを2015年に立ち上げ。以後、三重のローカルな魅力(特に農村や漁村)の魅力にハマる。職業はライター、グラフィックデザイナー、プロモーションディレクターなど。こよなくお酒と漁村を愛する42歳。

 

OTONAMIE副代表 福田ミキ

東京都出身。元夫の都合で三重県桑名市に移住。
都内の中小企業の秘書やPRを請け負う環境を整備し、場所に捉われない働き方の可能性を拡大。同時に三重県のローカルメディアの運営などに参画。地域こそPRの重要性を感じてローカル特化PRへとシフト。2020年にフリーランスから株式会社On-Coに所属を移し、多種多様なプロジェクトを加速させるリレーションシップを図っている。
仕事好きが集まる場「ニカイ」も運営中。


 

三重暮らし魅力発信サポーターズスクエア事業
ホームページ/https://mie-kurashi.net

 


 

ざっくり!三重はこんなところ。

三重県は名古屋がある愛知県の南に位置し、東は日本最大湾である伊勢湾があり、南部は太平洋の熊野灘という二つの海があります。西側一帯は山脈が連なり、南部には紀伊半島の森とリアス海岸が続きます。山に降った雨は森の養分を含み野に流れ、海に流れ着き、農作物や魚介類をはじめ多くの命を育んでいます。そんな自然の循環に恵まれた三重には伊勢神宮があり「日本人の心のふるさと」ともいわる歴史深い地域でもあります。

 

詳しいお問い合わせ
三重暮らし魅力発信サポーターズスクエア事業
(主催:三重県/事務局:株式会社アド近鉄)

営業時間/月~金 10:00~17:00
TEL/0596-28-3457
E-mail/miegurashiアットgmail.com
※アットを@に置き換えてください。

 


 

三重県への移住の相談
ええとこやんか三重移住相談センター
東京都千代田区有楽町2-10-1
東京交通会館8F 認定NPO法人ふるさと回帰支援センター内
営業時間/火~日 10:00~18:00
定休日/月・祝日
ホームページ/https://www.ijyu.pref.mie.lg.jp/
Facebook/https://www.facebook.com/ijyu.pref.mie
Twitter/https://twitter.com/chiiki64969680

 

OTONAMIE PUSH EVENT【2021.10.27update】

\こんにちは!広報担当のともーこです!/
イベント情報をご紹介していきます。
※各イベントへのお問い合わせは、各イベントのお問い合わせ先にお願いします。
※イベントの詳細はフライヤーまたは、各HP、主催者にご確認ください。

みえDX未来ワークショップ

主催者:三重県
主催者からのメッセージ:三重県では、今年4月にデジタル社会推進局を設置し、DX(デジタル・トランスフォーメーション)を推進するため、今後の三重県のデジタル社会を見据えた未来像を検討しています。
三重県の未来像を検討するにあたっては、県民の皆さまや三重県ゆかりの皆さまのご意見が重要だと考えています。このワークショップを通じて、2050年の未来では、三重県ではどんなことが実現しているうれしい、どんな課題が解決していてほしい、などの三重県が目指すべき未来の姿についてのアイデアや意見等を、県民の皆さまと一緒に考えていきたいと思っています。
最終的に、ワークショップで出てきたアイデアや意見を、三重県が目指すべき未来の姿に関する県民の皆さまの声として取りまとめる予定です。
ご参加にあたってデジタルに関する知識は特に必須ではなく、30年後、三重県がどうなっているとみなさんが幸せになれるのか、どんな未来が来てほしいかを、一緒に考えていきたいと考えています!
ジャンル:県民参加型ワークショップ
日程:2021/11/3、6、10
時間:2021/11/3・6:13時~16時、11/10:18時~21時
お問い合わせ先:事務局:NTTデータ経営研究所  info_mieDXws@nttdata-strategy.com(メールのみ)
三重県:デジタル戦略企画課 武田、長井(059-224-3086)
イベントに関するHPやSNSなどのリンク先:https://peatix.com/group/11591635

うさぎストライプ「ゴールデンバット」

主催者:三重県文化会館
主催者からのメッセージ:「ゴールデンバット」は、売れない地下アイドル・梅原純子と、路上で誰にも相手にされず歌い続ける老女・海原瑛子の二人の女性の人生が重なり合う物語です。万雷の拍手の中ステージで歌うことを夢見た彼女たち。今回は900 人近く入る三重県文化会館中ホールで、皆さんに舞台上から彼女たちの人生を追体験していただきます。三重初登場となるうさぎストライプの初ステージをご堪能ください。
ジャンル:演劇
日程:2021/12/19
時間:14:00/17:00
お問い合わせ先:三重県文化会館チケットカウンターTEL:059-233-1100
イベントに関するHPやSNSなどのリンク先:https://www.center-mie.or.jp/bunka/event/detail/36032

皆様からもイベント情報を募集しています!

お寄せいただいたすべてのイベントを掲載できる訳ではありませんが、OTONAMIEの読者の皆様が楽しめそうなイベント情報を、編集部がピックアップして掲載いたします。
お気軽に下記フォームからイベント情報をお寄せください。

掲載申込みフォーム

三重のディープな展望台事情。ちょっとよく見て!南海展望公園のオブジェすごいからさぁ。

南海展望台公園からの眺め

風光明媚なリアス海岸を望む南伊勢町には、たくさん展望台があります。4年くらい前に、別件で南海展望公園を訪れたときから気になっているオブジェがあります。

今回、記事化しようとしていろいろとネットで調べてみましたが・・、ない。南伊勢の展望台で検索すると観光地となっているハートの入江が出てくるので、南海展望公園で調べると観光協会などのホームページがヒットするのですが、気になるオブジェの詳細な情報はなく、あるのは水兵さんらしいくらい。基本的にネットでもスルーなのです、このオブジェ。

南海展望台公園からの眺め

展望台からの眺めは、いつまでも観ていたくなるほどとてもきれいです。伊勢志摩や東紀州のリアス海岸には、本当に癒されるといつも思います。でも仮に誰かとここにきたとして、
「海がきれいですね!」
「そうですね!いつまでも観てられる」
「なんかオブジェがありますね」
「そうですね、なんかありますね」
「帰ろうか」
「うん」

ってなる!?
わたしが過敏なだけかも知れませんが、オブジェはものすごい丸みのあるフォルムと、印象的なポーズを決めています。

ということで、もっと詳しく観察してみましょう!(オブジェを)

まず足元がキュートです。コンクリート造りならでは自由なバランス設計がうかがえます。

そして、一般的な発想を飛び越えた、ヒップのふくらみ具合からはモダンアートを感じます。

おなかもポッコリ。

遠目に眺めると、どこか寂しげで哀愁。

腰の傾斜角度と海を眺めるポーズから、遠くの海を眺めているように見えます。

顔!

お顔ー!!!

ちなみに南海展望台公園までは長い階段を歩きます。
でも、広がる海は一見の価値ありです。

#南海展望公園 #水兵さん #映える

 


 

南海展望公園
度会郡南伊勢町礫浦

 

孤高のミュージシャン、キャプテンブルースのお話。

気分転換に新しい事を始めようと、今年の春に買ったカメラを持って訪れた津市。23号線をいつもよりちょっとだけ北上しながら夏が一段落したこの日の白塚漁港は、僕が常日頃からイメージしているそのまんまの色をしていました。

水面に漂う千切れた魚と、普段からそれを食べていて、特に不自由もしてなさそうな野良猫と、その猫が残した小魚の頭部をくすねにくる鳥の類。だいたいカモメ、カラス。そんな小動物たちに見向きもせず、釣り糸を垂らす猫背の人間たちが交差する、どんよりとした灰色の昼下がり。ちょっと雨が降ってきた。

そんな混沌とした景色の片隅、この濁色の漁師町で生まれ育った1人のミュージシャンがいました。

キャプテンブルース。
出会ってかれこれ5年くらい経つのだけれど、のんびり気質のミュージシャンが多いこの三重県において、珍しく尖った気質の、ギラついた目を持つミュージシャン。見た目はぶっきらぼうだけど、中身もしっかりぶっきらぼう。なんとなく周りに誰も寄せ付けない雰囲気は曰く「俺の身体から何か変なやつが出てんねん」だそうで。その何か変なやつの分泌を止める気はあまりないんだろうなと思ってしまうあたり、今この瞬間にもしっかり分泌されてるからなんだろうな。

だから、素直に言うと、絡みにくいミュージシャンです。
あんまり笑わないし進んで交流を深めようとしてくるタイプでもない。1人舞台に立って、自分の生き様を吐き捨て、そこにある空気をブン殴るかの様に表現するスタイルは、まさに孤高。

だから、素直に言うと、僕は彼の音楽が好きです。ここ三重県で一人、闘う音楽を紡いでいるミュージシャンだと思う。

多分、3年ほど前だったか。鳥羽で開催したイベントに出ていた際、ステージ袖から観ていた彼のステージが忘れられないんです。最近ぽい言い方をすると”ゾーンに入っている”状態のパフォーマンスでした。ギター片手にラップ調の攻め気味な楽曲で客席を煽り倒し、客席を確かに踊らせる。牧歌的なレパートリーを持つ演者が多かった中だったからこそ、そのGrooveが余計に際立つ。役目が一段落し昼から夕方へ行こうとしている西に傾いた太陽が、キャプテンブルースのポテンシャルをまじまじと叩きつけられ、より一層、落日へ向かう焦燥感を増したように思いました。その時もやっぱり無口で絡み辛かったけど。

そんなキャプテンから、去年の12月、アルバム作りの依頼を貰いました。お互いコロナ禍でライブも減り、僕は僕でステージが無い分、今までしてこなかった新しい事をしてみようと、録音の勉強を始めた折でした。まだ修行の身ですが、自身の練習を兼ねて依頼を受けました。

2021年、元日。13時すぎ。正月の昼下がり、僕とキャプテンブルース。おっさん2人の二人三脚がとても静かにスタートしました。

毎月1、2回のペースでうちに来てもらい毎回1曲ずつ録って行く作業を繰り返す事10数回。気がつけば、お盆が過ぎていました。

不思議なもんで、体内から何かを分泌してくるらしい、あれだけ絡みづらいと思っていたおっさんと淡々と作業をしていくのが、なんだか心地よくなっている自分がいました。録音は慣れない作業だったので、時にミスをして謝ることもあったし、良いマイキングで良いテイクが録れたら一緒に喜んだりしました。

無口なミュージシャンは、だんだんよく喋るようになってきました。時に一人でウケて笑ってる時もありました。僕は僕で、その孤高のプレイヤーが、どんな音を録りたいのか、作りたいのかを引き出す事に注力し続けました。今思えば、それが勉強したかった事だったんだと思います。

作業をしている中で、いろんな事を聞きました。キャプテンの家族の話や昔話、苦労した話。実力を確かめるべく家を売り払ったお金で単身東京へ勝負に出て腕を磨く折、とあるミュージシャンのパフォーマンスに打ちのめされ、再び三重に戻った話。しかし三重に戻ってからも仕事帰りにホームセンターの駐車場の片隅に車を止めて、車内で黙々とギターの練習をしていた話。ボクシングが好きで練習してたら膝を痛めた話。お互い痔になった話。いろんな話を聞いて、いろんな話をしました。

それはきっと。やっぱり夢が諦められなかった、どうしようもないくらい泥臭い、一人の男の話でした。

僕にとって、この時間は音楽を作るにあたって、とてつもなく大事な時間でした。苦労人として生きてきた彼の昔話は、歌詞を増幅させて、楽曲の持つそれぞれの世界感に確かなコントラストを与えてくれました。キャプテンが吐き出す、世の中に対するフックの効いた問いかけでもあり、愚直な自分自身への懺悔の様な楽曲を只管ノートに書き留め続けたのであろう、その写実的な言葉をギターにのせて静かに吐き出す咆哮を黙々と受け止め続けた2021年の前半戦。

9月に一連の作業が終了した時、僕の前にいた男からは、”何か変なやつ”は一切出ていませんでした。人を寄せ付けず、絡みにくいミュージシャンではなく、ただ単純に、1本のギターと、書きなぐった歌詞と、音楽に向き合い続けた結果、なんとなく人との距離感の取り方がわからなくなって本当はみんなと仲良くしたいんだけど、どことなく小っ恥ずかしさが先行して周囲と馴染めず今まできてしまった一人のシャイな中年ミュージシャンが全力で投げる熱量満点の球を黙々と捕球するキャッチャーの役割をしていた僕。

多分、本当に多分だけど、いい歳こいたおっさん2人の”バッテリー”が出来上がってました。

むしろ、そうなれていたと思いたい。


孤高のミュージシャン、キャプテンブルース。僕が思うに、彼は音楽が好きで好きでしょうがなかった、永遠のギター少年。

津にこんな人がいるのかという事実を、よろしければ是非知って欲しくて今回、またしてもオチの無い稚拙な乱文を書き殴ってやろうと思った次第です。コロナコロナと耳にタコができるほど、この呪文にすっかり滅入るさこん、もう暫くの我慢である事を祈りつつ、また皆さんが心置きなく生の音楽を楽しめる時がもうすぐ戻ってくるはずです。その際はぜひ、特に、津近郊にお住まいの方はキャプテンブルースという名を覚えておいてください。津の人じゃなくても勿論。北勢の人も南勢の人も伊賀の人も県外の人も。そして、どこかのお店でライブをすると聞きつけた際には、一度そのパフォーマンスを確かめにいってみてください。僕は、オススメいたします。
その際は、今年一緒に作ったキャプテンブルースのアルバム、ぜひご試聴ください!

そして、この半年間、うちのスタジオでしか顔を合わさなかったけれど、今度会う時はライブハウスの舞台袖で会いましょう。その時はライバルだ。

◆キャプテンブルース◆
《instagram》
https://www.instagram.com/bluuues/

【参考動画】

「confusion」

「40歳の愛してる」

「水を求めて」連載エッセイ【ハロー三重県】第28回

三重県にやってきてから、子どもが産まれるまでの2年間。
私が足しげく通っていた場所がある。

スーパーへ買い物に行ったはずがついつい足が向いてしまう。そんな魅力的な場所。今でもちょっと心や体が疲れると、ああ、あそこへ行きたい、と心がむずむずしてしまう。あそこへさえ行けば、すべてすっきりさっぱりと生まれ変わったみたいな気持ちになれるのに、と。
特に新緑の季節はうっかりするとアクセルを踏めばハンドルをそちらへきってしまいそうになる。
柔らかな草の匂いと足の裏に響くような水音が恋しくなる。

*

松阪市嬉野。ああ、文字を見るだけで心がふわっと潤うような心地。

私は、嬉野が大好きだ。

嬉野をずっとずっと山に向かって車を走らせると、永遠に続くみたいな緑と緑にいつも心が躍ってしまう。
そして、水。正確には川なのだけど、嬉野に関してはなぜか私はいつも、「水!!!!」と全身で思う。
嬉野の山を登る道すがら、たびたび川に遭遇する。窓を少し開けていれば、ざぶざぶと水音がにぎやかだ。
ここには水がうんと豊富にあふれているんだな、という事実にいつも無性に感動する。どこまで山を登っても、登っても、澄んだ水がたんとあって、ここにいたらなんでもできるじゃないか、という少し大げさな気持ちになる。
水ってもしかすると心を強くするんだろうか。

川のそばの集落を見つけては、つい車を停めて、もしもここで暮らしたら、と考えてしまう。そしてやはり、なんでもできるな、と思うのだった。

例えば、なにかの事情で水道が止まってもこんなにきれいなお水があればお腹がたぷんたぷんになるまでお水が飲めるし、とても暑い夏の日に「暑いなあ」と思ったそばから水浴びができる。
そのお水が、ずっとずっと上のほうから、延々と流れてきているという希望にいつも満たされてしまう。

*

山を登っても登っても、どこまで登っても川があって、嬉野にはまるで毛細血管みたいに隅の隅までお水が流れているのかもしれない。
運転があまり得意ではないくせに、お水を追いかけて、細く曲がりくねった山道をつい上へ上へと走ってしまう。そして、どこまで登ってもふわっと現れる人家を見てはまた心が躍る。ああここで、たくさんのお水と一緒に暮らしを営んでいる人たちがいるのだな、と思うと夢みたいな気持ちになる。誰かの日常をそんなふうに言うのはもしかすると下世話なのかもしれないのだけど、たくさんのお水を浴びたり飲んだりできるところで暮らすというのを想像すると、どうしても胸の奥に幸せな気持ちがあふれてくる。

産まれてこのかた、蛇口を捻って、お金を払ってでしか水と暮らしたことがない身としては、やはりそれはどうしたって希望的でどこか夢見心地。

*

あるとき、嬉野の入り口で、この道はどこまで続くのか、そして、このお水はいったいどこからやってきたのか知りたくなった。運転が不得手なくせに思い切った大冒険に繰り出した。
途中、携帯電波がなくなって、途中、ぎょっとするほど道が細くなって、なにかあったらどうしましょうという気持ちに何度もなったのだけど、好奇心が勝ってしまった。今思うと若葉マークの分際でよくもまあ、と思う。
走っても走っても、道はあって、いよいよここで行き止まりかしら、と思ってもやはり道はあって、もちろん川もあって、そして、やはり誰かしらが暮らしている様子があって、そのたび胸の奥が熱くなった。
どこかしらの隣県につながるのかと思われた山道は、ついに行き止まりに到達した。ナビには松阪市嬉野上小川町と表示されてあった。
嬉野はとても広いのらしい。
上小川はとても小さな集落で、いくらかの人家と、小さな神社と、小さな墓地があった。小さなお寺もあったような気がする。そして、私がずっと追いかけた川の始まりが確かにあった。小さな小さな立て札に「源流」と書かれてあった。その日、私は生まれて初めて川の始まりを見た。
家を出てから2時間以上が経っていた。
私は運転が下手だし、土地勘もないので、もしかするともう二度とここには来られないかもしれない、と思ったので、上小川でたくさん川や木の写真を撮って、川の水を気のすむまで触って、帰った。

*

あれから10年が経って、私は今もずっと嬉野に焦がれている。
あのざぶざぶ流れる水をいつだって見たい。
子育てに追われていると私の一存でできないことが増えていき、行きたい場所もなかなかかなわない。自由に使える時間のなんと少ないこと。
遠距離恋愛をいうのをやったことがないけれど、遠距離恋愛ってもしかするとこんなかしら、と思う。
届かない間にも枯れそうにない気持ちがあって、届かない間にも思いはつのる。

そんなふうに何年も、最後に見たたくさんの水を思いながら暮らしていた。
ほんとうに何年も。
いつかもっと素敵な景色をたくさん見たら、嬉野へのたぎる気持ちもしゅうと跡形もなくなくなるのかもしれない。そう思っていた。
思っていたんだけど、けっきょく私はどれだけ嬉野に届かなくても、ずっとやっぱり嬉野に焦がれ続けていたんだった。

*

さて、2000文字も使って壮大な前書きをしてしまった。
私は今年、いよいよ嬉野の、しかも上小川へまた行くことができたのだ。
しかもお泊りだった。「ここで暮らしたら」と夢想した時間をほんのひと時手に入れた。
前書きだけでうんと長くなってしまったので、ことの顛末はまた次回に持ち越すことに。とにかく最高を煮詰めた飴があったらきっとこんなふだろう、と思うような幸福な時間だったということだけ書いておく。

向かえ、千代崎海岸へ。

三重県に帰ってきた。

高校卒業の18歳で上京し、それ以降、主に東京で暮らしてきた僕だが、今年9月、四日市で家業を営む実家を継ぐべく12年ぶりに三重県に帰ってきた。

自分で望んだ実家への帰還とは言い難い。本音を言えばもっと東京で自由にしていたい、遊んでいたい。東京にいる友達や様々な娯楽・誘惑と離れたくないのが本音だ。

思えば小中高と12年間、遥かなる東京をずっと夢見て過ごしてきた。どこかファッショナブルでイケてる響きを持つ、憧れの『トウキョウ』。上京したてで大学一年生の僕は髪を染め、ピアスを何個も開け、渋谷はセンター街でバイトし、絵に描いたようなお上りさん大学生を地でいっていた。

新卒での就職も勿論憧れのトウキョウだった。四日市を離れ、日本の中枢でバリバリ働くことが何よりもかっこいいことと信じて疑わなかった。

先輩『出身どこ~?』

僕『三重の四日市です。』

先輩『あ…あの公害の…』

何百回と繰り返される上記やりとりに辟易し、大学生活で得た我ながら流暢な標準語で三重県民であることを一切感じさせないスキルだけが身についていた。


 

齢30にして、12年ぶりに三重県民になる。実家を継いでからは引き継ぎの事務処理や引っ越し等でまともに休みもとれなかったが、一か月ぶりに一日何も無い休日を得た。家に引き籠るのもアレなのでとりあえずバイクを引っ張り出してきて一日ツーリングに出かけた。

目的地は三重県が誇る観光地、伊勢神宮である。家のある四日市からフラワーロードを経由して亀山へ抜け、そこからは三重県民御用達R23で伊勢を目指す。久しぶりの伊勢神宮を参拝し、ソウルフード伊勢うどんを食し、帰路につく。

帰路、津を過ぎたあたりで、なんとなしに千代崎が近いことを思い出した。遥か昔、幼少期に父親に連れて行ってもらった千代崎海岸はR23からすぐである。親の車がないと何処にも行けなかった当時とは違い、今僕はバイクに乗っている。海岸線なんかすぐだ。

十年以上ぶりの千代崎海岸。秋晴れの鱗雲の下、平日の昼間から海釣りを楽しむ人々・学校帰りの高校生カップル・ダンスの練習をする大学生達。

良いじゃん、千代崎海岸。

センチメンタルな状態の人間が往々にして海を目指すのはある種合理的な行動なのだろう。『自然の雄大さ』『自分の矮小さ』を海を見ることによって再認識し、明日への糧とする。古来より使い古された陳腐な表現だが、人間そういうタイミングは必要なんだろうと思う。

僕自身、ここまで散々御託を並べ立てて来たものの、『千代崎海岸に行く』、と津辺りでふと決めてからの自分浸りセッティングは準備万端である。ヘルメットの中で流しながら歌ってる音楽はエレカシ、バイクでR23を走りながら僕の気分はもう高校当時のエモキッズだ。

三重を抜け出し、トウキョウでイケイケな気でいたけれども、それは僕の一人相撲であって、そんな気負わなくて良いんだよ、僕が一人で意固地になっていただけなんだよと、頭では理解していても何かアクションを起こさないと踏ん切りがつかない。わざわざ一日潰してバイクで三重中を走り回り、エモチューンを歌いながら夕方に千代崎海岸に着かないと踏ん切りがつなかなかった。

つまるところ僕が言いたいのは、三重県好きだよ。今まで散々けなしてきてごめんね。


 

今、三重にいて鬱屈としてるキッズ達、エモいバイクに乗って珠玉のエモチューンを歌いながら向かえ、千代崎海岸へ。その一歩が腹を括る第一歩となるかもしれない。僕はそうだ。

(スーパーカブがエモいバイクかは読者諸氏の感性に委ねる。少なくとも僕にはエモバイクだ。)


千代崎海岸を出発し、四日市に向けてR23を北上していると、見慣れた赤白の煙突が視界に入ってくる。

そういえば車でもJRでも、小さい時から家に帰ってくる時はいつもこの煙突が『そろそろお家』の目印だった。

ただいま!