三重県に帰ってきた。
高校卒業の18歳で上京し、それ以降、主に東京で暮らしてきた僕だが、今年9月、四日市で家業を営む実家を継ぐべく12年ぶりに三重県に帰ってきた。
自分で望んだ実家への帰還とは言い難い。本音を言えばもっと東京で自由にしていたい、遊んでいたい。東京にいる友達や様々な娯楽・誘惑と離れたくないのが本音だ。
思えば小中高と12年間、遥かなる東京をずっと夢見て過ごしてきた。どこかファッショナブルでイケてる響きを持つ、憧れの『トウキョウ』。上京したてで大学一年生の僕は髪を染め、ピアスを何個も開け、渋谷はセンター街でバイトし、絵に描いたようなお上りさん大学生を地でいっていた。
新卒での就職も勿論憧れのトウキョウだった。四日市を離れ、日本の中枢でバリバリ働くことが何よりもかっこいいことと信じて疑わなかった。
先輩『出身どこ~?』
僕『三重の四日市です。』
先輩『あ…あの公害の…』
何百回と繰り返される上記やりとりに辟易し、大学生活で得た我ながら流暢な標準語で三重県民であることを一切感じさせないスキルだけが身についていた。
齢30にして、12年ぶりに三重県民になる。実家を継いでからは引き継ぎの事務処理や引っ越し等でまともに休みもとれなかったが、一か月ぶりに一日何も無い休日を得た。家に引き籠るのもアレなのでとりあえずバイクを引っ張り出してきて一日ツーリングに出かけた。
目的地は三重県が誇る観光地、伊勢神宮である。家のある四日市からフラワーロードを経由して亀山へ抜け、そこからは三重県民御用達R23で伊勢を目指す。久しぶりの伊勢神宮を参拝し、ソウルフード伊勢うどんを食し、帰路につく。
帰路、津を過ぎたあたりで、なんとなしに千代崎が近いことを思い出した。遥か昔、幼少期に父親に連れて行ってもらった千代崎海岸はR23からすぐである。親の車がないと何処にも行けなかった当時とは違い、今僕はバイクに乗っている。海岸線なんかすぐだ。
十年以上ぶりの千代崎海岸。秋晴れの鱗雲の下、平日の昼間から海釣りを楽しむ人々・学校帰りの高校生カップル・ダンスの練習をする大学生達。
良いじゃん、千代崎海岸。
センチメンタルな状態の人間が往々にして海を目指すのはある種合理的な行動なのだろう。『自然の雄大さ』『自分の矮小さ』を海を見ることによって再認識し、明日への糧とする。古来より使い古された陳腐な表現だが、人間そういうタイミングは必要なんだろうと思う。
僕自身、ここまで散々御託を並べ立てて来たものの、『千代崎海岸に行く』、と津辺りでふと決めてからの自分浸りセッティングは準備万端である。ヘルメットの中で流しながら歌ってる音楽はエレカシ、バイクでR23を走りながら僕の気分はもう高校当時のエモキッズだ。
三重を抜け出し、トウキョウでイケイケな気でいたけれども、それは僕の一人相撲であって、そんな気負わなくて良いんだよ、僕が一人で意固地になっていただけなんだよと、頭では理解していても何かアクションを起こさないと踏ん切りがつかない。わざわざ一日潰してバイクで三重中を走り回り、エモチューンを歌いながら夕方に千代崎海岸に着かないと踏ん切りがつなかなかった。
つまるところ僕が言いたいのは、三重県好きだよ。今まで散々けなしてきてごめんね。
今、三重にいて鬱屈としてるキッズ達、エモいバイクに乗って珠玉のエモチューンを歌いながら向かえ、千代崎海岸へ。その一歩が腹を括る第一歩となるかもしれない。僕はそうだ。
(スーパーカブがエモいバイクかは読者諸氏の感性に委ねる。少なくとも僕にはエモバイクだ。)
千代崎海岸を出発し、四日市に向けてR23を北上していると、見慣れた赤白の煙突が視界に入ってくる。
そういえば車でもJRでも、小さい時から家に帰ってくる時はいつもこの煙突が『そろそろお家』の目印だった。
ただいま!
四日市市の常徳寺住職。東京での航空商社マンを経て十二年ぶりに三重県民。休日はバイクで三重の良さを再発見ツーリング中。得意ジャンル:バイク・ピアノ・仏教