「答志島に住む女性の取材に行ってみませんか?」
そう言われたのはそろそろ夏本番の空気が漂い始めた頃
ジメジメとした天気が続き、そろそろエアコンをフル稼働させないといけないかしらと思っていた頃。
どうやら島の女性に暮らしを聞ける機会をいただけるらしい。
私自身は山育ち、言うなれば山の女性。それ故、小さな頃から海の近くの暮らしというものは未知の世界だった。
山の青い匂いからはかけ離れたしっとりとして重く潮の濃い匂いがまとわりつく。
そんな自分にとっては非日常な体験をする場所、しかも離島。
未知の場所、そして島の女性。心惹かれる自分が顔を出す。
行ってみよう、答志島に。そう決意した6月の終わり。
そういえば県内の離島には行ったことがない。初めて鳥羽マリンターミナルを利用する。
郵便局のバイクが詰め込まれていたとき初めて出会う光景にその事実を改めて気づかされた。
島の暮らしはどうやら定期船の時間によって刻まれることが多いらしい。
例えば通勤時間や帰りの時間、取材日当日だって時刻表に合わせて待ち合わせを設定した。
鳥羽と島を結ぶロープのような存在、それがこの市営定期船なのである。
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波に揺られて約15分、答志島の和具地区にある定期船乗降場に降り立つと、出迎えてくださったのは鳥羽市の地域おこし協力隊、五十嵐ちひろさん。
彼女は今回出会った1人目の島の女性。
しかし実は海の無い埼玉県出身で今年答志島に来て2年目になる。
以前は東京で伝統工芸品の販売に携わっていたが、海が側にある暮らしに憧れ、距離も気候も丁度良い紀伊半島あたりで暮らせないかと考えていた。
そして東京であった鳥羽市の地域おこし協力隊の説明会に参加、「一度来てみれば?」という担当者との出会いが、今につながっている。
「ちょっと今日は風が強くて海女漁が中止になっちゃったんですよ」
鳥羽といえば海女漁が有名なのは言わずもがな。
答志島にももちろん海女さんがおり、その数は100人ほどといわれている。
今日のメインは海女をされている方とのお話だっただけに少し残念な気持ち。
ただ天気は神様からの示しもの、きっと何か意味があるのではないかと空気に身を委ね答志島めぐりに向かう。
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最初はおびただしい数のボートが目に留まり五十嵐さんに尋ねてみると
「これはワカメの養殖に使う船ですね」
と教えてくれた。
「和具はワカメとサワラが特産品なんです」
聞くところによると、今(6月下旬)は丁度5月に蒔いたワカメの種を養殖小屋で育てている時期らしい。
10月にワカメの苗を海中に戻し、2月中旬から4月末にかけて刈り取りの時期を迎える、それが1年のローテーションだという。
こういうところは山の農作物を収穫するのと似ている。
私の実家で祖母が世話を焼いていた畑は、種蒔きや苗植えからお天道様の恵みを受け、時期になるとおいしい実を授けてくれた。海の中でも同じように自然が恵みを与えてくれることに山と海の共通点を見いだす。
「ではそろそろこの島最東端に行きましょうか」
という五十嵐さんの声に促され車で5分もかからないそこに到着すると、島が浮かぶ鈍色の景色。
少し青空がちらつくものの、もっと晴天ならばどんなに気持ちがいいだろう。
「ここは伊勢湾と太平洋の海流が混じる場所、右側が太平洋、左側が伊勢湾なんです。だから栄養が豊富でたくさんの海の幸が取れるんですよ」
―――向こうの島には人は住んでいないですよね?
「今は無人島ですね。でも実は人が住んでいた形跡があって、貝塚なども見つかっています。食べるものには困らなかったというのもあると思いますが、海の交通の要所であったんじゃないかといわれています。古くから答志島全域に人が住んでいて、栄えている場所だったみたいですね」
確かに海を渡れば愛知県は目と鼻の先で、伊勢湾から外海に出る分岐点ともなればそのような場所だったという説明にも難くない。
足元のフナムシは私たちの気配を受け逃げろ逃げろと身を隠す。
周辺は相変わらずの強い潮風。
曇天の浜辺の景色はどうやら驚くほどに長い年月から成り立っているらしい。
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そろそろお昼時。
「ロンク食堂へ行ってみましょう」
という五十嵐さんの案内で細い入り組んだ海の家並みをくねくねと進んでいくと、、、
まず気になったのは墨で書かれたマル八の文字。
「これは島内の八幡神社で毎年行われるお祭りで使われる墨で書かれているんですよ。この辺りの魔除けみたいなものですね」
なるほど、だからどの家もこの印があるのか。
「この手押車は『じんじろ車』といって、主にお母さんたちが海の幸を運ぶためのものです。結構しっかりしていて、実はオーダーメイドだったり。中には市販のものを使っている人もいますが、何かしら工夫を施して自分仕様にされていますね」
確かに一台一台、よく見れば違う。
大きなものや、荷台が深いもの、海女さんが海に潜る時に使う重りをつけたものもある。
五十嵐さんと一緒じゃなければ完全に気にしていなかったな。
次に少し香ばしさが混じる匂いが鼻を通り抜けた
見ていると豆腐屋さんが。小さな看板に控えめに『とうふや』と書かれていて可愛らしい。
中に入ってみると豆腐屋のご主人と奥さんが作業中。
厚揚げやがんもどきは普段よく食べるけど、こうやって作られているのか。
揚げたてのがんもどき、買いたてて食べてみると外はサクサク中はふんわりホクホクで、ほのかに甘みがあって何もつけずとも口の中に旨味が広がる。
「ここですね、これがロンク食堂です。島外からのお客さんが来たらいつも紹介させてもらってます」
昔懐かしいというか昭和感が漂うというか、、、とにかくなんだか落ち着く雰囲気を醸し出すこちらの食堂。
オーダーしたのは日替わり定食。
島の特産品のサワラはシンプルに焼き魚に調理されている。そしてエビが入ったかき揚げはボリューム満点。
味噌汁の中には歯ごたえ抜群のワカメが入っていて、さっきの五十嵐さんのワカメ養殖の話を思い出す。
「地元の人には中華そばとかが人気やけどね」
とは厨房にいたお母さん。
じゃあ次来る時はそれにしようかな。
何気なく通り過ぎそうな島の日常や、一度来ただけでは見つけられないであろう場所。そこに住む誰かの案内で気づきが得られる。これはどこを旅してもそうだと思う。
元々島に住んでいたのかと思える程の知識を持つ五十嵐さんの言葉は、私の目に映る答志島の景色を活き活きとさせる。
海や浜辺の近くの暮らしを愛し、その土地の人々を好きになれば住んでいる年数は関係無いと実感させられる。
五十嵐さんはもう立派な島の女性だ。
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さていよいよ海女をなりわいとする方のいる場所へ。
こちらにいらっしゃるらしい。
道端にあるけれど少し小高い場所にあるそのお店『海女の店 いりど』。
昼間だから人の気配はなく、海の音だけが周りを囲んでいる。
『いりど』は答志島の言葉で『海女』の意味。ローカル感や磯を思わせる名前に期待も大きくなる。
「佳代子ねぇ~」と呼ぶ五十嵐さんに「はーい」と中から声が聞こえる。
お店に入り、いらっしゃったのはこちらの主、中村佳代子さん。
今回の旅2人目の島の女性だ。
昨年5月からお店を始められ、同時に海女業も営む。
「今日は天気が悪いから海女漁が見られなくて残念やね」
私は初めての来店にもかからわらず五十嵐さんと同様に受け入れてくれている雰囲気は、安心感が漂うとともにどこか懐かしさも感じる。
お店の2階に案内していただき、お話を伺う。
こちらの座敷では中村さんと近しい人たちが集まって夜な夜な飲み、語り明かす場所なんだそう。
早速、現役の海女で居酒屋店主の中村さんに質問してみる。
―――どうして海女になったんですか?
「潜るのが好きなんよね、子供の時から。アワビとか見つけたらもう、胸がときめいて!それがたまらなく夢中になれるんよ。イケメンを見た時みたいって言ったらわかるかな?笑」
―――大阪にいた時もあったとか?
「そうそう、高校卒業してすぐね。百貨店のデパートガールを3年やってたんよ。島の女の人は高校卒業したら名古屋や大阪に出て行く人が多いからね」
―――どうしてこちらに帰ってきたんですか?
「ちょっといろいろあってね、帰ってこないといけない風になっちゃって。最初は伊勢や鳥羽とか、本土の方におったけど、結婚してこっちに完全に戻って来たね」
―――戻って来てどうですか?
「戻って良かったと思ってるよ。落ち着くというか。大阪の時は色々と刺激があって楽しかったけど、やっぱりこの島が好きなんやなって思う。」
場所を問わず、自らのときめきを探し出す。どのような状況でも柔軟に受け入れてくださる中村さんの普段の姿が思い起こせる。
「実は最近いろいろ作ってて。そこの壁に飾ってある海女さんのプレートや置物もオーブン粘土で作ったやつなんやよ。浜辺でビーチグラスを拾ってアクセサリーを作ったりもしてるよ」
私自身、創作の近くに身を置くためビーチグラスはなじみのある素材。浜辺で拾えることも知っていた。でも実際にそんなにたくさん落ちている場所は知らなくて、その言葉に心が弾む。
「あとこのTシャツ、オリジナルキャラで『あまちゃん』っていうの考えて自分で作ったやつなんさ。ほんといろいろやってみたくって!」
話している中村さんは常に目がキラキラしている。『やってみたいこと』『やって楽しいこと』が島に溢れているというのが話していてよくわかる。自分のときめきを知る人は強い。私の周りの人生を楽しんでいる人はそういう人ばかりで、特に女性が多いように感じる。
ちなみにこの店もご家族の方とこんな場所があったらいいねと言い合っていたのが始まり。
「普段はお店の回転灯が点いていたら開いてるって感じ。まあでもみんな中の明かりが点いてたら入ってくるけどね。笑」
自分たちのペースは守りつつ、でも新しい風も受け入れつつ。良いバランスを持っている中村さんだからこそ、来店客の心地よさにつながっているんだなぁと思う。居心地の良い場所を提供できる女性、そんな中村さんは素敵だ。
他にも漁業権のことや答志島特有の文化で男の子が一定の年齢になると毎日集団で近所の家に泊まりに行く『寝屋子制度』のこと、お店の人気メニュー・オードブルのことなど、話し込んで時間が経つのを忘れるほど。
「みんなそう、気づいたら日付が変わりそうとか。いつもそんな感じ」
と笑う中村さん。
居心地は自分の家に帰ってきたみたい。だからいつまでも居座ってしまう、定期船の時間も忘れて。
***
「また来る時は連絡してね。そしたらお店開けるから」
と、帰り際に声を掛けてくださった中村さん。
自分たちの都合でお店を開けられるなんて、本当に昔からよく知っている近所のお姉さんに言われているような。
「おかえりー!」
今度訪れた時は中村さんや五十嵐さんになんだかそう言われそうな気がする答志島。
ゆるくて、気取らなくて、暖かい。
日々に疲れてしまったら島の女性に「おかえりなさい」と言われに行く、そんな旅があってもいいかもしれない。
それだけで荒れた心は少しずつなめらかにならされる気がする。
まるで波が砂浜を洗うかのように。
***
答志島や、県内の海の近くの地域の暮らしが垣間見える女性向けのイベント「みえ女子トークカフェ」が7月22日(日)、大阪であります。取材にご協力いただいた五十嵐さんもスピーカーとして島の暮らしのリアルを語られます。海の近くの田舎へ移住を考えている方から三重の海辺に旅をしたい方、何となく海の暮らしにときめきを感じる方まで、関西地区の女性の方は必見です!
【みえ女子トークカフェ】
https://www.city.toba.mie.jp/iju-teiju/miejyoshi-oosaka.html
hiromi。OTONAMIE公式記者。三重の結構な田舎生まれ、三重で一番都会辺りで勤務中。デンマークに滞在していた事があるため北欧情報を与えてやるとややテンションが上がり気味になる美術の先生/フリーのデザイナー。得意ジャンルは田舎・グルメ・国際交流・アート・クラフト・デザイン・教育。