…我ながら語呂の悪いタイトルをつけたと思っていますが、今の僕にはこのセンスと語彙力が限界の様です。それでも20年前のあの日々を考えたら少しは成長できているのかな。あれから7300日。伊勢の風向きが変わってきました。答え合わせの時が来たようです。
2025年6月。空気は確実に湿り東海地方も梅雨を迎えようとしている今、僕は38歳です。20年前は18歳。大学へ進学し、花の都大阪へ旅立った直後。20年後は万博が開催されるなんて当時は知る由もないthe・おのぼりさん。初々しい大学1回生@大阪という、アメリカ村のジャンクさと御堂筋線の構内で入り混じる香水、天王寺駅裏に漂うソースと、大国町あたりから舞ってくる醤油豚骨の香りが入り混じった街でそれは楽しい時間を過ごしていた筈なのですが…おかしいことにそんな都会ならではな思い出話がほとんどありません。当時、世を席捲しはじめたmixiに綴っていた日記を見ると、4月から夏の終わりまでの間ほぼ毎週の様に伊勢に戻っていたと綴っていた18歳の僕。…なんでや。なんでわざわざ大阪にいるのにそんなにせっせと帰省していたんや。舞台の勉強がしたくて大阪に行った(というより伊勢から出たかっただけ)はずなのに、大学生という人生一番謳歌できそうな時間をなんでわざわz…
それもそのはず。そのころ伊勢は第62回式年遷宮のお木曳行事が丁度始まった丁度その時でした。

式年遷宮とは、僕が住む伊勢のシンボルでもある伊勢神宮の社殿や御装束、神宝などを20年に一度新しくし、ご神体を移す伝統行事の事で、常に若々しく美しさを保つ”常若”という概念のもと、1300年以上も続く一連の行事を指します。その中で民間が関わる2大行事の1つ、新しい御宮などを建設するのに必要な木材を伊勢市民を中心とした民間参加者で運ぶ「お木曳」と、お宮が完成した後に白い玉砂利を運び込む「御白石持ち」を、伊勢市の各町で結成された団を中心として遂行する、伊勢に長年住んでいると避けては通れない行事であり、当時の僕もそのビッグウェーブの真正面にいる状態でした。

とはいえ。もう20年前の記憶なので、うる覚えな記憶をほじくり返してこの記事を書いています。金曜日の授業が終わった足で伊勢に戻り、土日はお木曳に参加したりスタッフをしたり。場合によっては月曜もお木曳のお手伝いをした足で昼から大阪へ戻り午後の授業を受けていた記憶があるので、大学デビュー直後の初々しい時代の記憶は梅田でデートだの難波でコンパだのではなくて、ひたすら快速急行で伊勢と大阪を往復する日々で埋め尽くされています。
その後、大阪で社会人となり、御白石奉献がまもなく開始というタイミングで父からそろそろ帰ってこいという声もかかり、伊勢に戻って一連の行事を終えた後、うねうねとした有機的な紆余曲折があって、ヘンテコな進化を遂げまくった結果に今の僕があるわけなのですが、こうして振り返ってみたら僕の青春と呼ばれるページの片隅には、お木曳しかり13年前のお白石しかり、いつだって伊勢や遷宮というキーワードがくっついて回っていたよう感じます。それだけの影響を知らない間に受け続けて、この町で育ってきたという事なのでしょうか。
でも。総じてとても楽しい思い出なんです。外界から見たら宗教行事というイメージかもしれませんが、個人的な気持ちとして、伊勢志摩に長年住み、外宮も内宮を含めた伊勢志摩鳥羽の環境にも十分すぎるほどの恩恵を受けている感覚もあるので、純粋に恩返ししときたい、みたいな感覚があるのと、もともと集団で創り上げる舞台の世界で育ちメシを食べてきた肌感として、地域に住む人間が一丸となって同じ方向を向いて行事に向き合うことの面白さと大変さ、苦労、そして彼らが織りなす色彩豊かなハイボルテージが共存する数年間というのは、まるで伊勢という町が、まるまる1つの大きな劇団になって舞台の本番を迎える様な、その中の役者の一人になったような気持ちになります。

あれから20年。あの時プレイヤーの一人だった僕はまだまだ現役ですが、それなりに歳もとったので、ディレクションも行う側にも回りました。前回同様、僕の住む伊勢市河崎の旭通りという町で、来年の今頃、来る本曳初年度の時を町民の皆さんと一緒に日々色んな準備をしながら待っています。

河崎旭通り奉曳団は、河崎3町の1つとして今回もお木曳に参加します。決して大きな団ではなく、高齢化、人口減少の波に抗う事もなく、年々家や軒数が順調に減っているエリアなので、いつまで存続できるのだろうか?という不安と並走しながら、今回のお木曳は同じく河崎3町の1つ、人口減少に悩む河崎南側と同じ車で出場する決断をしました。同じ河崎いえど、絶妙に違う繊細な文化や技法を長年受け継ぎ今に至る2町なので、「合同で行こう!」というのは簡単ですが、内容はそうシンプルにはいきません。一生懸命すり合わせをしながら、お互いが歩みやすい道を一緒に作っている感覚です。
20年前のお木曳も、13年前のお白石も、単なるプレイヤーの一人でしたが今回は運営をする側でもあるので、実際こうして運営の内側を覗いてみれば、あの時体感した唯一無二のプレイヤーズハイは、沢山の町民や運営陣が苦悩を重ねた計り知れない段取りと労力があったから体感できたんだなと、つくづく実感しています。
今は月に数回、金曜日の夜、公会堂に集合して先輩木遣リストに混ざって子供たちに木遣り歌を教えています。シャイな幼稚園児から、もう少しシャイになれと思うわんぱく満点な小学生まで、次の世代を担う旭通りの子供たちは個性豊かです。
20年前、僕は高校生だったので子供たちの姿に自分を投影する事はできませんが、あの時僕に沢山の知識や楽しみ方を教えてくれた大人たちの姿は、僕の父を含めて、今はっきり自分とリンクしています。こんな気持ちで準備をしてたんだなあ。しみじみだぜ。

伊勢に戻って13年。お白石持を経て来年から始まる63回式年遷宮が来るまでの間、どんなキャラクターとして立ち回っていこうかと考え動いてきた結果は、大なり小なりogurockを演じてきた13年間で出会えた大好きな人たちが想像以上に沢山いるので、多分間違ってなかったはず…と自分に言い聞かせながら、ここ河崎を、そして伊勢を守る人間の一人として、7300日ぶりの答え合わせをするのが楽しみです。
ちなみに、今回の遷宮に参加されている沢山の奉曳団さんの元へ記事の取材に行きたいなあと考えています。取材にご協力いただける奉曳団さん、よろしければogurockまでDMをください!
ogurock
【X】https://x.com/ogurockofficial
【Instagram】https://www.instagram.com/ogurock.ig/

ogurock(おぐろっく)OTONAMIE公式記者。
伊勢市河崎在住のしがない路上アーティスト。普段はごく普通のサラリーマンだって言ってるのに誰も信じてくれないんです。
日中は伊勢の河崎にあるお塩屋さんの下っぱしてて、同じく実家の鰹節屋、小久保商店も切盛りしてます(鰹節は削れません)
ギターはちょっとだけ弾けます。趣味はリサイクルショップ巡りと一人旅。2018年からツアーミュージシャンしてます。
みなさま何卒。なかよくしてね。
この記者が登場する映像