ホーム 04【知る】 大事な人、大事にできてますか? 最愛の夫を交通事故で亡くした女性の、死と向き合い続けた18年。

大事な人、大事にできてますか? 最愛の夫を交通事故で亡くした女性の、死と向き合い続けた18年。

 

 

あなたには、自分より大事な人がいますか?

子どもや親、そして愛する人。

あなたの頭のなかには、
誰の顔が思い浮かんでいるでしょう。

そういう人の存在は、
私たちに生きるエネルギーを与えてくれるものです。

これから私があなたに尋ねるのは、
あまりにも残酷な問いかけです。

なぜなら、世界で一番悲しいことについて想像しなければならないから。

もし自分より大事な人が、突然あなたのそばからいなくなったら。

 

今から18年前の夏の日。

東名阪自動車道において、
脇見運転の15トントラックが猛スピードで渋滞列に突っ込みました。

7台の車を巻き添えにして、
一人の尊い生命が奪われました。

三重県四日市市在住
安田 宏司(こうじ)さん、享年35。

愛する妻と幼い子どもたちはその事故で、
何よりも大事な人をなくしたのです。

遺族の気持ちに触れにいく。

きっかけは私が生まれ育った実家の近く、東京都日野市にある「いのちのミュージアム」に常設される「生命のメッセージ展」に行ったことだった。

理不尽に生命を奪われた犠牲者たちの等身大のパネルと遺品の靴。一つひとつのパネルには、事件のエピソードと遺族の気持ちが綴られている。

チッチッチッチッチ。

靴の脇には秒針のみの時計があって、未来へ続いていくはずだった時間を知らせる音が部屋中で鳴り続けている。

そのなかには、宏司さんもいらっしゃった。パネルの文章をじっくりと読む。



事故の2時間前の電話で翌日の家族旅行の話になり、「明日が楽しみやな」と笑い混じりに電話を切った夫。事故前夜には息子と野球盤で遊び、「続きは明日な」と約束した。「明日」、それが私達への最期の言葉になった。生命のメッセージ展より一部抜粋

 


 

ご遺族からの言葉が忘れられず、心に残っている。

事故から18年という歳月が経過して、
残された家族は事故をどのように受けとめているのだろう。

お話を伺いに、四日市を訪れた。

取材当日。最寄駅に到着した。

 

駅からは歩いていく。

 

 

悲しみというのは、葬式で終わらない。

取材地は、ご遺族のご自宅。
ご仏前にお参りするためだ。

玄関で出迎えていただいた安田 厚子(あつこ)さんの優しい笑顔を見て安心する。

安田 厚子さん

厚子さんは18年前に事故で夫をなくしてから、
二人の子どもを育ててきた。

たくさんの苦労を重ねてこられたはずなのに、
そんな気配はまったく感じさせず、
丁寧な言葉遣いとフランクな口調で、
私の質問ひとつひとつに答えてくださった。

厚子さん曰く、
悲しみは、波はあれど消えないものだという。

悲しみのピークはお葬式っていうようなイメージありませんか。主人を失ってから、違っていたことに気がついて。

お葬式がお別れのクライマックスで、
そこから先は前を向いて生きていく……?

いや、お葬式が終わってからの毎日こそ辛い。
いないことがだんだん現実味を帯びてくる。

朝起きても主人がいないし、夜になっても帰ってこないし。
でも帰ってくる気がしてしょうがないんですよ。だって昨日まで元気で。

変わらぬ家の風景のなかに、夫の姿だけがない。
忽然と姿を消してしまった夫。

あまりにも突然のことで、
現実として受け入れたくないと思う日々が続いた。

 

夫のためにできることは、なんでもする。

こういう亡くなり方したもんだから、供養してもしてもしきれない。
だから、自分にできる最大限のことを彼のためにしたいと思って。

供養とは……(広辞苑より)
三宝(仏・法・僧)または死者の霊に供物を捧げること。

夫の宏司さんが喜ぶことがしたい。
その気持ちで厚子さんもまた、供養をする。

供養のやり方については、先代から今に至るまで、
善西寺のご住職に教えてもらいながらやってきた。

たとえば主人はお寿司や肉が大好きなんですけど、なまものを供えるのはダメですかとか。
大きいことから小さいことまで。

今日も住職を自宅に招いて、
月参りをしていただいたところだという。

来てもらうたびに、なにかを教えてもらう。

間違ったことはやっぱりしてはいけないというか。
主人は向こうの世界でお世話になっているので、
そこはふまえてやりたいもんですから。

厚子さんが作法を大切にする理由は、
夫がお世話になっている世界に失礼がないように

なるほどな、と思った。

 

子どもたちを連れて、四国遍路へ。

厚子さんは夫の死から2年ほど経った頃、
四国遍路をまわることを決意する。

四国遍路とは、
四国にある弘法大師(空海)ゆかりの88ヶ寺を巡拝すること。

もちろん、大変な労力がかかる。

供養になることならなんだってしようって気持ちで数年間きたんですけど、
どれだけ手を合わせても、しきれない。
なんにもできていないんじゃないかって気持ちがあって。

子どもたちと一緒に、
自分の身体を全部使って供養がしたい。

本当は子どもたちを引っ張ってでも、
歩き通したいと思っていた。

でもそんなことをしたら……。

厚子さん自身が書いた、四国遍路巡礼の旅の記録。

主人はものすごく子煩悩だったので、まだ幼い子どもたち苦しめてまで四国遍路行くなって言ってるような気はずっとしてたんです。

夫へ心配をかけないように、
長距離移動はバスや電車を使う。

道中の観光地にはできるだけ寄って、
子どもたちを楽しませてあげる。

四国遍路のなかで気づいた大切なこと。

供養も大事だけれど、まず家族が元気になって、笑顔を取り戻すことを主人は望んでいるんだなって。

四国遍路を回りきることを結願といい、
その証である掛軸が部屋に飾られていた。

掛軸を見ると思い出すという。

自分の力だけでは成し遂げられなかったこと。
巡礼中お接待というカタチで、通りすがりの人々に助けられたこと。

厚子さんの著書にある一節がよぎった。

”「自力」で生きようなどと意地を張らず、「他力」によって生かされている感謝を忘れずに、笑顔で生きて行く。
四国遍路は、私達が笑顔を取り戻し、周囲に感謝をしながら生きていけるよう、夫が用意してくれた必然の旅だったのかもしれない。”
お父さんと一緒に四国遍路 より

 

お遍路の際の、納経帳を見せていただいた。

子どもたちは、お父さんと一緒に育った。

10年以上前に出版された本で描かれていた小さな子どもたちは、
二人とも成人している。

どんな大人になったのだろう。

子どもたちの現在の写真を見たいとお願いしたところ、
嬉しそうな表情で快諾いただいた。

男の子って親に写真送りたがらないもんですか?
息子が収まってる写真は珍しいんですよ(笑)。

今年の1月にあった成人式。
そこには晴れ姿に身を包んだ娘さんの姿があった。

とてもきれいな方だ。

あった!これが息子。面影があるでしょ。

ポテッとした顔。主人にも似て。

子どもたちには、
お父さんのことをたくさん聞かせてきた。

ご飯を食べる時、先にお父さんのところに持っていかせた。
お菓子も買ってくると、子どもたちにあげる前にお仏前に供える。

学校から帰ってきた子どもたちは、
お父さんからお菓子をもらってくる。

主人の話をタブーにするのは、私は嫌だったんです。
主人のことを切り離しては生きていけなかったので。

お父さんを一家の真ん中に、私がしたかったのかな。

冷静な厚子さんの言葉に、感情がこもった。

 

遺族として活動をする意味

取材の途中で、
宏司さんのお墓参りに同行させていただいた。

厚子さんにもう一つ、聞いてみたいことがあった。

宏司さんの命を奪った運転手のことをいま、
どのように思っているのだろう。

許していないのは変わりません。
でもとても憎むっていうのは、消耗するんですよ。

償ってほしいと言っても、生命は償いようがない。
だから厚子さんは、恨むエネルギーを事故をなくす活動に向けた。

三重県交通遺児を励ます会でも、活動に参画する。

生命のメッセージ展に参加しているのも、その一環だ。

今も交通事故は後を絶たなくて、亡くなってしまう人っていうのが主人の後にもいて。こんな思いをするのはもう私たちだけでたくさんなのに。

誰かにとって大切な人の、平和な明日が守られるように。

同じことを繰り返さないようにすることが、
夫の犠牲をいかすことに繋がる。

厚子さんはそう考えている。

前述の善西寺の住職、矢田さんも安田さんのご縁で「生命のメッセージ展」に出遇い、
賛同し活動を共にしてきた。

彼は言う
「被害者遺族の気持ちを私たちがわかるわけがない。しかし、その心情に触れ、心動かされ、理解したいと思うならば、共に歩む以外に方法はない」

そして矢田さんは2006年、子どもたちに「いのちの尊さとかけがえのなさ」を伝えるために、「生命のメッセージ展」初の小学校開催を成功させた。

あれから14年、生命のメッセージ展の仲間として、住職として、矢田さんは厚子さんの変化を端で見守りつづけている。そこで強く感じるのは、ご家族にとって変わることのない宏司さんの『存在』の大きさだそうだ。

「死んで終わりのいのちではない」

「苦しみの中で始めた四国遍路で『生かされてきた』と厚子さんに気づかせた『存在』が、
終わることのない「いのち」として、今尚そこにはたらいているのを彼女の中にみる」と
矢田さんは語った。

大事な人を、大事にすること。

事故から18年が経った。

こちらの世界に宏司さんはいないけれど、
私も彼はずっと厚子さんのそばにいるのだと思う。

本に書いてあった。

”私より2歳年上の夫は永久に35歳のままで、私は超えるはずのなかった夫の年を超えた。そして今後も、もっと夫と釣り合わなくなるほど加齢が進んでいくのだ。
容姿はともかく、せめて健康と若さをできるだけ保ちたい。きっと私は、80歳のバアサンになっても、35歳の夫を想い続けるだろうから。”
お父さんと一緒に四国遍路 より

自分より大事な人っていうのは、
みんないると思うんです。

厚子さんのその言葉が、心に残っている。

自分より、大事な人。

玄関に飾られている家族の写真。
主人の母と、子どもたち。

つい自分のことばかり考えてしまうけれど、
もっと大切にしなきゃいけない人はきっといる。

ポケットからスマホを取り出した。

帰りの電車。

連絡したい人が、たくさんいた。

photo / y_imura

 

 


 

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