ホーム 04【知る】 04企業を知る このままでは日本でお魚が食べられなくなるかもしれない。で、東京の企業が三重県にて漁業を始めるって<前編>

このままでは日本でお魚が食べられなくなるかもしれない。で、東京の企業が三重県にて漁業を始めるって<前編>

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挑戦は二人の出会いによって始まった。

東京都墨田区に本社を置く企業(株式会社ゲイト)が
三重県尾鷲市須賀利町にて漁業参入する。

参入のきっかけは、
同社代表の五月女圭一氏と、
山梨県に生まれ、海への憧れを抱きながら育った戸田聡氏との出会い。

 

生まれも育ちも山梨県。海に憧れ続けた戸田聡氏。

戸田聡氏は、
38歳まで生まれ育った山梨県にて、
家業の設備工事業を継ぎ、経営に従事していた。

転機となったのは、商工会青年部の旅行。

行き先は那智勝浦であったが、
戸田氏は自由時間にふらっと三重県熊野市二木島を訪れた。

その美しい景色に心揺さぶられ、
海への憧れとかねてから抱いていた「山梨県に新鮮な魚を届ける仕事をしたい」という想いが蘇り、
熊野市二木島へ移住を決意。

そして小型定置網漁船の漁師へと転身した。

が、憧れていた漁業の現場は過酷だった。

味や安全性に問題ない魚が、
見た目など規格外という理由で値が付かない。

海の上は常に命の危険を伴うのに、薄利多売で経済面での生活は不安定。

疲弊する漁業従事者の実情と構造に、大きな疑問を感じた。

現に三重県では、
平成15年で12,261人であった漁業従事者数は、
平成20年には9,947人、平成25年時点では7,791人。

年間約450人の漁師が減っているということになる。
(※三重県水産業・漁村振興指針より)

改善への模索を続ける中、
地元山梨の仲間を通して縁が繋がったのが
株式会社ゲイトの代表 五月女圭一氏だった。

 

生まれも育ちも東京都。出来ないことは何もないと公言する五月女圭一氏。

五月女圭一氏は、
学生だった18歳で起業し、24歳で父親の不動産業を受け継いだ。

現在は株式会社ゲイトの代表として、
ITサービスやストアビジネスを展開するほか、
大学の非常勤講師を務めるなど教育活動にも力を入れている。

このゲイトという企業は、業態がよくわからないところが非常に面白い。

自らをアメーバに例えるほど柔軟で、
遭遇する社会課題に取り組みながら、
ビジネス構造を整えていくのがスタンス。

五月女氏がかねてから問題視していたのは、
東京に出回る食材について。

同社は居酒屋とカフェを都内で13店舗展開しているが、
仕入れ値は年間約1億円。

更に毎年10~15%上がる一方で、
工業製品化が進み、品質は下がっているという悪循環。

この現状を何とかしたい!!

と、あてなく全国飛び回っていた2015年に、
平日は東京、週末はバイクで地方、ネット環境があればどこでも仕事ができると話す友人に、地域の面白さを教えてもらった。

五月女氏は既に社内にテレワークを導入しており、
距離へのハードルは全くなかった。

仕入れ目的ではなく、
まずは一次産業の現場と地域を理解しようと、
山梨県に家を借り、畑を借り、ホームセンターで買った長靴とクワだけでガシガシ畑を耕した。

よそ者への風当たりは強かったが、とにかく畑を耕した。

東京で行われる会議に、
山梨で土をいじりながらリモート参加することも少なくなかった。

そんな生活を1年ほど続け、
耕作放棄地でじゃがいもを収穫出来たころ、地域の風向きが変わった。

一緒に何かしようという仲間も増えていた。

その仲間の一人が、戸田氏の後輩であり、戸田氏と五月女氏を繋ぐ存在であった。

 

2016年夏に二人は出会った。

漁業の現場が大変なことになっている

戸田氏が地元山梨の後輩に電話で事態を報告したところ、五月女氏へと話が回った。

すぐに三重県熊野市二木島に視察に訪れた五月女氏は
漁業の現状を目の当たりにし、多大な危機感を覚えた。

このままでは日本で魚は食べられなくなる。

五月女氏は聞いた。
『何かやれることはありますか?』

戸田氏は答えた。
『定置網やりましょう』

定置網漁というのは、
仕掛けた網に入った魚の2~3割を獲るという水産資源に優しい漁法。

日本の産業である漁業を支える仕組みを整えることを目標に、タッグを組んだ。

それは2016年夏のこと。

 

紆余曲折ありながらもとにかく前進。

さて、始めましょう。
と言ったものの何から着手していいのかわからない漁業。

船1億、網1億etc…そんな世界。

お金の話は置いといて、
定置網漁を始めるにはどうしたらいいのか、
まずは1歩ずつ手探りで謎を解いていく感覚だったという。

ただ五月女氏が感じていたのは、
農作物は人間が作ったもので、魚は海が作っているもの。
つまりは、努力の矛先が海の保全や豊かにすることだと考えると、
それこそ企業の取り組む活動だということ。

現段階でも年間1億円の仕入れをしているから、
船+網が例え2億円だとしても、仕入れ2年分くらいかという計算だったという。

また都内で展開する居酒屋での魚の仕入れは、約1300万円と少ない。

魚は他食材と比較して高い。
安定的に仕入れられるものは安いが美味しくない。

そこで以前から行っていた食材の見直しと品質の向上を加速させた。

問屋から仕入れる輸入物(調味料以外)をなくすのにトータル3年を要したそう。

そして同年の秋。

三重県熊野市にて、後継者不在で廃業予定だった水産加工場の事業継承を受け、本格的に水産加工を開始。

三重県で水揚げされた魚の干物などをメニュー化し、
東京都内で展開する飲食店舗にて提供すべく、
自社物流のテストを重ねた。

三重在住メンバーと東京在住メンバーが連携し、
紆余曲折ありながらも、試行錯誤しながらも、
「とにかく1㎜でも前進する」という熱意に触れて、
理解と協力をしてくれる仲間が増えていった。

五月女氏と戸田氏の出会いから、
約1年半が経った2017年11月。

三重県尾鷲市須賀利町にて、
定置網漁の操業が決まった。

須賀利町は、
隣接する紀北町に囲まれた尾鷲市の飛び地で
日本の原風景が残る趣深い漁村。

たった1年半??と思うけれど、
知らないからこその無邪気さで対応できた
超絶濃厚な月日だったと二人は話す。

 

後編へ続く

 

福田ミキ

フクダミキ。OTONAMIE副代表。OTONA MASTER。
仕事は東京の企業の社長秘書兼オフィスワークセンター長。数年前から社会人学生でもある。2014年に夫の都合で東京から三重県桑名市にお引越し。涙したのも束の間、新境地に疼く好奇心。外から来たからこそ感じるその土地の魅力にはまる。この記者が登場する記事
※くわブロにて情報更新中

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