日本サーフィン連盟三重支部長 「夢を語る」
2016年9月、日本サーフィン連盟(NSA)三重支部長、浜村昭雄さんに会いに行った。三重のサーフィン文化の未来を彼と話し合いたかった。
彼は志摩市阿児町国府で、自動車修理工場を営みながら、サーフィン文化発展のため尽力されている。そんな彼と、国府ノ浜のテトラポッドを退かす事が出来ないものかと話が弾み、実際テトラポッドに登ってみることになった。
幻のグーフィーと呼ばる波が来た。
グーフィー波とは、岸から海を見て右に崩れていく波のことを言う。テトラポッドが敷設されるまでの国府ノ浜は、今日のポイントより波が立ちやすい地形だった。テトラポッドは波を遮断し、海底の砂の流れを不自然にした。その影響で海岸の砂は減り、テトラ沖に砂がたまり、サーフィンに適した波質が変わってしまった。また大ハマグリが以前は沢山とれたと言うが、今では生息しているのがテトラより沖になり、岸から捕れなくなったという。
テトラは明らかに美観や生態系に悪影響を与えている。浜は以前の海岸より小さくなり、肝心の侵食を止める事も出来ていない。津波などの防災効果も見込めないと浜村氏と話が一致した。そもそも国府の浜になぜ、テトラポッドが敷設されたのか。
過去にいろいろな噂を聞いた事はあるが、それを知る事ができる論文を手に入れた。記事はその論文の引用を使い書いていきます。
国府ノ浜の自治会とサーフ文化
テトラポッドには当時、地域住民の「サーファーを追い出したい」意図があった。「サーフィンブーム」の影響でサーファーの数が激増し、路線バスが通れないほどの迷惑駐車や、民家から水や食料の窃盗、大量のゴミの放置などの問題が多発した。
自治体にサーファーを受け入れる体制(駐車場やシャワー・トイレ・食堂などの設備)が整っていないのにもかかわらず、サーファーが急増したため問題がおきたのだ。
地元住民とサーファーの関係は劣悪なものとなり、サーフショップ「ジャンクション」には開店直後から石を投げ込まれるなどの悪質ないやがらせが続いたと言う。
サーファー用の駐車場開業時には周辺住民と駐車場の主が揉めたりする事があり、さらに自治会では「サーファー対策会義」なるものも開催されていたと言う。
極論、波を無くしてしまえば、
サーファーは減るだろう。
この意図の元、テトラポッド敷設が計画された。このことをサーファーには全く知らされず進められたのだ。
1977年に住民側から高波対策・海岸侵食対策として嘆願書が提出され(行政は1973年から調査を始めていた)、国の許可がおり、1978年に離岸堤の設置事業が施工された。
1992年には人工リーフの設置が始まり、2001年に全ての工事が完了した。北側の離岸堤は、かなり岸の近くに設置され約20億円の資金を使った事業となった。
テトラポッド反対運動
強引にテトラポッド敷設へと動いていた計画を止めようと、ローカルサーファーたちは反対運動をおこなった。その反対組織として三重サーフィン連盟が設立され、それが日本サーフィン連盟(NSA)三重支部となった。
国府ノ浜で初めてサーフィンがおこなわれたのは1970年代初期だ。大阪の少人数のサーファーが国府ノ浜の波を発見しサーフィンをはじめた。そして県外のトリップサーファーが国府ノ浜に住み着き、サーフショップを開業していった。これが、国府ノ浜のサーフ文化の始まりである。
その後1970年代初期~中期にかけて、大阪、京都、奈良、滋賀、神戸のサーファーが国府ノ浜でサーフィンをするようにり、それを見た地元の若者がサーフィンを始めていった。
『マンタ』こと浜口誠、
元プロサーファーを見かけた。
日頃から波が小さくても、国府ノ浜メインと言われるポイントに彼がいる。地元サーフィン文化の過去を知る貴重な一人だが、彼はどんな地形になろうとも、メインポイントの波を乗り続けてきている。その姿を見ると彼のサーフィンに対する貫いた生き様が見える。
彼のサーフスタイルは、波にしがみつくような乗り方が印象的だ。それを人生の生き方と例えると胸にくるものがある。彼は同じ場所でずっと大切なものを、待ち続けているのだ。
1970年代中期に「第1次サーフィンブーム」、1980年代前期には「第2次サーフィンブーム」が到来する。一世を風靡し、メディア、ファッション、音楽などあらゆる媒体がサーフィンを露出しだし、社会現象になった。ヒッピー風の若者、また当時「不良」とよばれる輩がサーフィンを取り入れていった。
今日では、2015グランドチャンピオンになった仲村 拓久未プロなどの活躍で、現代のサーファーたちは良い印象を得ている。この度オリンピック種目にもなった健全な競技スポーツとして、地元関係者は大きな期待をするようになっている。
第2テトラを排除すると何が起こるのか
過去に水難事故もあった第2、第3テトラを退かす事が出来たら、どんな経済効果が生まれるだろうか。
まず陸にウエーブプールを作るより、予算は少なく済みそうだ。そして海と自然に優しい環境作りともなる。そもそも恵まれた自然環境を、本来あった姿に戻すという復興作業になり、取り組む姿勢が健全である。本気で行うなら、メディアに未来あるニュースを提供でき、新たな段階へ進め、地域全体が国府ノ浜の環境への愛を、次世代にバトンとして繋げていける。
実際今では、伊勢志摩のサーフィンの現在と未来を想い、定期的にビーチを清掃するサーファーたちの姿がある。彼らは目の前にある問題に集まり合い、自分たちが自慢できる海を取り戻そうと努力している。
現実問題、国府ノ浜に集まるサーファーだけの力で、テトラを退かす事は出来ないかもしれないが、小さなゴミ拾いのように、ひとつひとつ出来ること行っている。何かをつかみとる事とは、例えば波が見えるまで、ずっとしがみつく事なのかもしれない。
『夢』
当初テトラ敷設は住民の怒りの象徴だった。だが今は、「テトラ撤去がみんなの夢」だと言える。もうお互いを傷つけ合うことはない、少しずつだがサーファーはオトナに成長してきている。だからこそ大切な場所、そして大切な人との繋がりを遮る障害を、まず自分から退かしたい。
サーフィン文化の恩恵を受けた個人や団体も多くなった。人それぞれ立場が違って、いろいろな考え方もある。でもこうした私たちの世代をターニングポイントにできないだろうかと、この日NSA三重支部長、浜村昭雄氏と語った。
今回テトラポッド敷設に関した論文には、もっと詳細な事が記されていた。この研究熱心な方は京都に住みながら、当時伊勢に通う大学生サーファーだった。地元サーファー以上に、国府への愛を感じた方との出会いに感動した。また、この想いが少しでも届き、何の妨げもない水平線が、現実となればいいのにと思うのです。
感謝!
ISE LOCAL LOCATION vo5
Special Thanks
日本サーフィン連盟(NSA)三重支部長 浜村昭雄
論文提供 西岡孝哲 (京都府在住)
写真提供 Sea Side Surf Shop http://otonamie.jp/?p=9984
おまけの動画
サーフボードシェイプと共通点がある◯◯!さて◯◯とは? Ustreet
yoshitugu imura。Otona記者。サーファーからフォトグラファーに、海に持っていったギターでミュージシャン活動もする(波音&Ustreet )ドブロギター奏者。 伊勢市在住。この記者が登場する映像