ホーム 00DayTrip 国史跡登録!!多気町・女鬼峠を守り続ける保存会の想いとは?熊野古道に込められた祈りと未来への継承について深掘りしてみた

国史跡登録!!多気町・女鬼峠を守り続ける保存会の想いとは?熊野古道に込められた祈りと未来への継承について深掘りしてみた

【女鬼峠保存会 会長 森田 篤さん(写真右)、多気の語り部会 会長 奥村 清司さん(写真左)】

2026年2月17日、多気町の成川から相鹿瀬に繋がる熊野古道伊勢路「女鬼峠(めきとうげ)」が国の史跡に登録されました。

以前から熊野古道を歩いてみたいと思っていた私は、先日、友人家族と一緒に女鬼峠ウォーキングに参加させていただきました。

朝9時から14時半頃まで、約10km弱のコースを歩きながら、女鬼峠周辺の史跡を巡るウォーキングです。

当日は天気にも恵まれ、参加者は約30組、40名弱。保存会の方にお聞きすると、普段は20名から25名ほどの参加が多く、今回は国史跡に登録されたこともあってか、いつもより多い参加者数だったそうです。

友人の子どもも一緒に参加させていただいたのですが、最後まで元気に歩き、「また来たい」と言っていたのがとても印象に残っています。歩くだけでなく、女鬼峠保存会の女性部の方が作ってくださったスイーツもあり、子どもたちにとっても楽しい思い出になったのではないかと思います。

【女鬼峠保存会 女性部の皆様(上)、女鬼峠保存会の女性部さん手作りお菓子(下)】

以前は、ウォーキングの際にイノシシ汁を振る舞っていた時期もあったそうです。地元の猟師さんが獲ったイノシシを使い、一般的な味噌仕立てではなく、コンソメスープをベースにした珍しい料理だったとのこと。臭みがなく肉の味がしっかりしていて、とても美味しかったそうです。

最近はイノシシ肉の価格が高くなったことや、新型コロナウイルスの影響で参加人数の予測がしにくくなったこともあり、現在は形を変えながら続けられています。今回も保存会の皆さんのおもてなしを感じることができ、地域の方々がこのウォーキングを大切にされていることが伝わってきました。

今回は、女鬼峠保存会 会長の森田篤さんと、多気の語り部会 会長の奥村清司さんに、女鬼峠の歴史や保存会の活動、国史跡登録への想い、そしてこれから目指す未来についてお話を伺いました。

◎女鬼峠とはどんな場所なのか

女鬼峠は、熊野古道伊勢路の一部です。

伊勢神宮を参拝した人々が、その後、熊野三山を目指して歩いた道の一つであり、伊勢から熊野へ向かう最初の峠とも言われています。

森田会長にとって女鬼峠は、ただ外から人を呼び込むために作られた観光地ではなく、もともと地域にあり、地元を通っていく旅人が歩いた道であり、地域と深く関わってきた場所です。

地元の道を守り、盛り上げていくことは、地域を活気づけていく上でも大切なことだと話されていました。

奥村さんにとっても、女鬼峠は幼い頃から身近な場所でした。

奥村さんのお母様の実家が峠の向こう側にあり、昔は車ではなく歩いて峠を越えて行き来していたそうです。途中で栗を拾ったり、きのこを採ったりしながら歩くこともあり、当時の女鬼峠は生活の中にある道でもありました。

しかし、大人になってから多気町史を見た時、そこには女鬼峠の道が荒れて、どこを通っていたのか分からなくなっているという内容が書かれていたそうです。

子どもの頃に歩いた記憶のある道が、分からなくなっている。

そのことをきっかけに、奥村さんは地元の人に話を聞きながら道を探し、通れるように整備を始められました。

【国の史跡に登録された『江戸道』】

その整備を進める中で、現在副会長を務められている冨山さんのお父様と出会い、一緒に保存会を立ち上げることになったそうです。

初代会長は冨山さんのお父様。奥村さんは保存会立ち上げ当初から関わり、現在の女鬼峠保存会の活動につながっています。

◎約30年続く女鬼峠保存会の活動

女鬼峠保存会の歴史は約30年。

現在の会員は、私も含めて27名です。

森田会長は現在4代目の会長で、会長になられてから13年ほどになるそうです。

森田会長が保存会に関わるようになった背景には、先輩方が大切にしてきた道を、何とかつないでいかなければならないという想いがありました。

お話を聞いていて印象的だったのは、森田会長が女鬼峠の魅力だけを語るのではなく、「守っていく」「つないでいく」という責任感を強く持たれていることでした。

保存会では、春と秋の年2回ウォーキングイベントを開催されています。

その他にも、草刈りや清掃活動、看板の整備、小学校や中学校での地域学習、旅行会社から依頼を受けた際の案内など、活動は多岐にわたります。

【女鬼峠清掃活動の様子】

小学校では6年生、中学校では地域学習の中で女鬼峠を取り上げる機会があり、保存会の皆さんが子どもたちに女鬼峠の歴史や文化を伝えています。

森田会長は、子どもたちがその時は忘れてしまったとしても、将来、世界遺産になった時や、大人になって誰かに「多気町ってどんなところ?」と聞かれた時に、「女鬼峠を歩いたことがある」「多気町には熊野と伊勢をつなぐ歴史ある道がある」と思い出してもらえたら嬉しいと話されていました。

さらに、自分も保存していくための一員になりたいと思ってもらえればありがたいとも言われていました。

私も地元で夏祭りの復活や運営に関わっていますが、地域活動は始めることも大変ですが、続けていくことはもっと大変です。女鬼峠保存会が約30年活動を続けてこられたことは、本当に素晴らしいことだと感じました。

◎歩くだけではわからない、熊野古道の歴史

今回、私が女鬼峠ウォーキングに参加して一番良かったと思ったのは、ただ歩くだけではなく、多気語り部会の方に説明を聞きながら歩けたことです。

【多気の語り部会 奥村さんの道案内の様子】

奥村さんは、熊野古道に来る方の中には、歴史的な背景に興味を持って来る方だけでなく、「どんなところだろう」と思って歩きに来る方も多いと話されていました。

確かに、私も最初は熊野古道という名前は知っていても、昔の人たちがどんな想いでこの道を歩いたのかまでは、深く知りませんでした。

伊勢神宮を参拝した後、熊野を目指した人々は、まず山の中を歩きます。女鬼峠はその最初の峠にあたります。

東紀州まで行くと海が開け、開放感や浄土感を感じる場所になりますが、女鬼峠はまだ山の中です。そこで、なぜ昔の人がこの道を歩いたのか、伊勢参りとはまた違う熊野詣の目的を知ってもらいながら歩くことで、参加者に巡礼の気持ちに入ってもらうように案内されているそうです。

この話を聞いて、私も実際に歩きながら説明を聞く大切さを感じました。

予備知識だけで歩くのと、語り部さんの話を聞きながら歩くのでは、見える景色が全く違います。

◎伊勢参りと熊野巡礼の違い

奥村さんのお話で特に印象に残ったのは、伊勢参りと熊野巡礼は違うということです。

江戸時代後期のおかげ参りでは、半年で約400万人もの人が伊勢神宮を参拝したと言われています。当時の日本の人口が約3000万人と考えると、6人から7人に1人が伊勢を訪れた計算になります。

今の時代に置き換えて考えても、とんでもない人数ですよね。

伊勢参りはもちろん信仰の旅ですが、講を組んで村から代表者を送り出したり、道中で見たものや買ったものを持ち帰ったりする旅でもありました。旅の楽しみや、村に新しい情報を持ち帰る役割もあったそうです。

一方で、その伊勢参りの後、熊野を目指した人は年間2万人から3万人ほどいたと伝えられています。

熊野へ向かう人々は、個人や少人数で歩くことも多く、病気を治したい、現世の苦しみから救われたい、極楽往生を願いたいという、より切実な想いを持っていたのではないかというお話でした。

【女鬼峠如意輪観音堂】

お金を持たずに旅をする人もいて、そのような人たちを泊める善根宿のような受け入れの場もあったそうです。

伊勢参りが旅の楽しみも含んだものだとすれば、熊野巡礼は、救いを求める祈りの旅だったのかもしれません。

私はこの話を聞いた時、女鬼峠の道がただの山道ではなく、多くの人たちの願いや祈りが通った道なのだと感じました。

◎熊野信仰と浄土への道

熊野信仰についても、奥村さんに分かりやすく教えていただきました。

熊野三山には、神仏習合の考え方の中で、過去・現在・未来の救済と結びつけられた信仰がありました。

【女鬼峠展望台からの景色】

熊野速玉大社、熊野那智大社、熊野本宮大社にお参りすることで、過去を救済してもらい、現世との縁を結び、来世の救済を願う。そうすることで新しい自分に生まれ変わることができるという考え方があったそうです。

また、熊野比丘尼が全国を歩き、熊野観心十界曼荼羅という絵を広げて布教していたというお話も聞きました。

その絵には、人が生まれて、年を重ね、亡くなっていく様子や、地獄、六道、悟りの世界などが描かれていたそうです。

難しい言葉だけ聞くと少し分かりにくいですが、人の一生や死後の世界を絵で示しながら、熊野信仰を伝えていたのだと思うと、昔の人にとって熊野詣がどれほど心の支えになっていたのかが少し分かる気がしました。

さらに、伊勢から熊野へ向かう道は、最初は山の中を歩き、途中から海が開けていきます。

山の中を黙々と歩いた先に、ふっと海が見える。

その時、昔の人は極楽浄土のような開放感を感じたのではないかと奥村さんは話されていました。

道の途中には、巡礼者を導く観音や、極楽浄土へ導くような意味を持つ場所もあり、熊野古道は単なる移動の道ではなく、信仰とともに人々が作り上げてきた道だったのだと感じました。

◎国史跡登録は大きな一歩

2026年2月17日、女鬼峠は国の史跡に登録されました。

【江戸道】

このことについて森田会長と奥村さんに伺うと、世界遺産追加登録へ向けた大きな一歩であり、長年続けてきた活動の成果でもあるというお話でした。

国史跡は、日本の歴史を考える上で重要な史跡として位置づけられるものです。

史跡の範囲内で何かを変更する場合には、文化庁長官の許可が必要になるほど重要なものだそうです。

【江戸道登り口】

それだけ大切なものとして認められたということは、とても大きなことです。

一方で、国史跡になったからこそ、これからどう保存していくのかが大事になります。

【江戸道】

奥村さんは、文化財をうまく活用していくことは、これからの地域にとって重要になるのではないかと話されていました。

人口減少が進み、新しい産業が簡単に生まれにくい時代だからこそ、地域にある歴史や文化を活かしていくことも大切なのだと思います。

◎なぜ世界遺産追加登録を目指すのか

女鬼峠保存会では、国史跡登録の先に、世界遺産追加登録を目指しています。

私が「なぜ世界遺産を目指すのですか」と尋ねると、返ってきたのは「残したい」という想いでした。

世界遺産になるということは、世界に対してその場所を保存することを約束するということです。

【女鬼峠切り通し】

現在の世界遺産の正式名称は「紀伊山地の霊場と参詣道」です。熊野三山、高野山、吉野・大峯と、それらを結ぶ参詣道が登録されています。

しかし、伊勢神宮自体は世界遺産ではありません。そのため、伊勢から熊野へ向かう伊勢路も、世界に保存を約束された場所ではないというお話でした。

だからこそ、伊勢路も世界に向けて保存を約束し、未来へ残していきたい。

【女鬼峠切り通し】

世界遺産を目指す理由は、単に観光地として有名になりたいからではなく、この道を後世へ残していくためなのだと感じました。

また、世界遺産になった先には、保存会として補助金だけに頼るのではなく、自分たちの活動の中から何かを生み出し、自立できるような方向も考えていきたいというお話もありました。

そのためには、事業としてうまく運べるようにアドバイスしてくれる人や、活動を支えてくれる人の存在も必要になってくるとのことでした。

文化財を守ることは、昔のものをそのまま残すだけではなく、今の時代にどう続けていくかを考えることでもあるのだと思います。

◎子どもたちに伝えたい女鬼峠の価値

森田会長がこれから大切にしていきたいことの一つが、若い世代や子どもたちへの継承です。

小学校や中学校で女鬼峠を学んだ子どもたちは、その時は忘れてしまうかもしれません。

【多気中学校 女鬼峠ウォーキングの様子】

しかし将来、世界遺産になった時や、ふとしたきっかけで女鬼峠を思い出した時に、「あそこを歩いたことがある」「楽しかった」「地域にこんな歴史があった」と感じてもらえたら嬉しいと話されていました。

そして、いつか自分も保存していく一員になりたいと思ってもらえたらありがたい。

この言葉を聞いて、私は地域学習の大切さを改めて感じました。

子どもの頃に聞いた話や歩いた道は、その時には深く理解できなくても、大人になってから意味を持つことがあります。

地元を離れた時に、自分の町を紹介する言葉になるかもしれません。

多気町には、伊勢と熊野をつなぐ歴史ある道がある。

そう胸を張って言える場所があることは、子どもたちにとっても大きな財産になるのではないかと思います。

◎人が作った道は、人が守らなければならない

取材の最後に、初めて女鬼峠を歩く人に何を感じてもらいたいかを伺いました。

奥村さんは、女鬼峠には今でも熊野の文化が残っていると話されていました。

【女鬼峠保存会 森田会長の道案内の様子】

峠には熊野信仰に関わる石仏も残されており、多くの人が熊野を目指して歩いた思いを感じることができる場所です。

また、熊野古道が評価されている大切な要素の一つに「文化的景観」があります。

自然だけでできた景色ではなく、人が歩き、祈り、道を整え、長い時間をかけて作り上げてきた景観です。

【女鬼峠切り通し】

そして、人が作り上げたものだからこそ、人が手を加えなければ壊れてしまう。

草を刈る人がいなければ、道は草に埋もれます。

倒木を片付ける人がいなければ、歩くことができなくなります。

歴史を伝える人がいなければ、そこを歩いた人々の思いも伝わらなくなります。

森田会長をはじめ、女鬼峠保存会の皆さんが続けてこられた約30年の活動は、その文化的景観を守り続ける活動でもあります。

今回、私も女鬼峠保存会の会員として活動に参加させていただくことになりましたが、実際に歩き、お話を聞くことで、この道を守ることの意味を深く感じました。

◎今回の取材を通して

私はこれまで熊野古道という言葉は知っていましたが、正直なところ、昔の人が歩いた歴史ある道というくらいの認識でした。

しかし今回、女鬼峠を歩き、森田会長や奥村さんのお話を聞かせていただき、その印象は大きく変わりました。

女鬼峠は、ただの山道ではありません。

そこには、伊勢から熊野を目指した人々の祈りがありました。

病気を治したい、現世の苦しみから救われたい、極楽浄土へ行きたい。

そんな切実な願いを持って歩いた人たちがいました。

そして、その道を約30年にわたり守り続けてきた保存会の皆さんがいます。

国史跡登録は大きな一歩です。

しかし、本当に大切なのはこれからです。

この道をどう残していくのか。

誰が守っていくのか。

どうやって子どもたちへ伝えていくのか。

森田会長の「次の世代へつないでいきたい」という想いと、奥村さんの「人が作ったものだから、人が手を加えないと壊れてしまう」という言葉が、今回の取材でとても心に残りました。

女鬼峠を歩く時は、ぜひ景色だけでなく、その道を歩いた先人たちの思いや、今も守り続けている人たちの活動にも触れてみてください。

きっと、歩く前とは違った景色が見えると思います。

◎女鬼峠保存会

問い合わせ先: 熊野古道女鬼峠保存会事務局(多気町役場内 商工観光課)

電話番号: 0598-38-1112(※ウォーキングイベント開催時)

◎熊野古道サポーターズクラブ

熊野古道の保全活動に興味のある方はこちら

熊野古道サポーターズクラブ公式サイト
https://www.kodo.pref.mie.lg.jp/supportersclub/

◎三重インフォmarche公式ブログでも女鬼峠の登山道について紹介しておりますhttps://home.tsuku2.jp/storeBlogDetail.php?scd=0000211301&no=39436

 

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