ホーム 00Otona Act 地域課題 voice. 廃校問題に答志島から革命を。立ち上がった島民。途絶してはならない循環の源は島の子どもたち。

voice. 廃校問題に答志島から革命を。立ち上がった島民。途絶してはならない循環の源は島の子どもたち。

島をなくしてはいけない。

三重県鳥羽市の離島答志島の海沿いを運転しながら、そうつぶやいた男がいる。彼の目の奥深くは、何かを一点に見つめているようだった。

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答志島から見える景色

私は昨年の夏ごろから答志島を取材で追っている。そして数回訪れたころ、答志中学校の廃校問題を知った。

“島をなくしてはいけない” とつぶやいたのは、答志コミュニティスクール実行委員長の濱口さんだ。答志島の少子高齢化は、まるで日本の縮図のような状態で進んでいる。このまま進むと、平成34年には島にある唯一の答志中学校が廃校となってしまうらしい。

廃校問題は答志島だけの問題ではない。
では、なぜ廃校になってはいけないのか。大変恐縮だが私の推測も交えながら考察させていただいた。

 

希望。島全体から発する、循環の源は子どもたち。

答志島に訪れたことのある方なら感じたと思うが、この島の子どもたちはとても元気だ。あたかも燦々と降り注ぐ太陽のパワーを、そのまま吸収したかのように。

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答志島の小学校にて

そして、子どもたちの元気な声は島全体を明るくしていると感じた。島の高齢者も親たちも、ニョキニョキとたくましく育つ1本の木に成った “蕾” の成長を、心のよりどころにするように、島全体で子どもを育てている。昭和の良い子育て環境が残っているのだ。

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答志中学校女子ソフトボール、ナイター練習にて。

その一例として、答志中学校女子ソフトボールチームは人数は少ないのだが県内屈指の強豪校だ。その背景には親や島全面のバックアップがある。詳しくは、三重県出身の写真家である浅田政志さんの記事をご参照いただきたい。
寝屋子の島、答志島。島全体でチームプレー!【浅田政志企画 vol.2】
(三重県:つづきは三重で)

“島の子に、プライドを持たせたいのです。”
ソフトボール部監督や濱口さんはいう。
風の吹かない丘に育った私としては、そういったオトナが地域にいることに少し羨ましさも感じた。

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答志島の風物詩、じゃこの加工の風景。

話は変わるが、答志島は三重県屈指の漁場を誇る。
木曽三川や宮川からの豊富な栄養素が流れ付き、わかめなどの海藻類、じゃこ、そしてサワラなどをはじめとする多種多様な魚介類が生産されている。

※引用:youtubeより
先日、御食国の食文化研究(鳥羽商工会議所)として、イタリア食科学大学教授のアンドレア・ピエローニ氏は答志島を視察した際に「最高品質の食材に恵まれている」と発言している。また、この映像に出てくる次の答志島の比喩的表現が印象的だ。
“世界でも有数の素晴らしい生地(食材や自然資源)で仕立てられた立派なシャツにも関わらず、まだアイロンがきちんとかけられていないような状態です。”

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答志島の港にて

世界的に恵まれている漁場はこれから発展すべき資産。このような素晴らしい漁場を持ってしても、漁師あっての漁業だ。次世代の漁師が育つ家庭環境を鑑みたとき、廃校問題もその影響はあるのではないかと思う。
少子高齢化の波は歯止めが効かない。地元経済への影響。最良の漁場の未来は・・・。
廃校問題は島民だけでなく、私たちの暮らしに繋がっている。

 

島の未来を想い、考え、行動する島民。

島民が動いた。

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鳥羽市役所市長室にて。中央は答志コミュニティ実行委員会の濱口正久さん。

答志コミュニティスクール実行委員長の濱口さんを主体として、寝屋子の島みんなの学校宣言を、鳥羽市長や鳥羽市教育長などを対象に鳥羽市役所で行った。

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鳥羽市長に手渡された、寝屋子の島みんなの学校宣言。

寝屋子の島みんなの学校宣言は、島民自らが島の未来を考えた内容になっている。主に答志中学校を存続させるために、新たな寝屋子留学、結婚促進、移住定住促進、伝統的な分け隔てなく島全体で子どもを育てるといった宣言になっている。
その中でも印象的だったのが、シングルペアレントの移住を促進し子育ての島を宣言するといった項目。確かに伝統的な子育て体制が確立されている島は受け皿ができているので、理想的な子育て環境であり、それは働きながら子育てをするシングルペアレントの方も例外ではない。

今回の宣言でもう一つ印象的だったのが、鳥羽市や教育委員会の対応である。通常このようなケースの場合、行政と民間は対立構造になりやすい。しかし今回の場合、行政も教育委員会もこの宣言を受け止め共に前に進もうとしている。

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鳥羽市長に手渡された署名。

この宣言の場にて聞いた、答志島で子どもを育てるお母さんたちのご意見。

“今までの当たり前の暮らしがなくなる。子どもを毎朝早く起こして、しけの日も船に乗せて・・・。もし本島の学校で体調を崩したとき、船に乗って返ってきなさいとは、言えない。”

“移住するときに地元の友人から、答志島って義務教育の学校あるの?って聞かれた。でもこんなに元気な子どもが多く、島全体で子どもを育てる環境はすばらしい。”

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鳥羽市教育委員長に手渡された、寝屋子の島みんなの学校宣言。

行政も教育委員会も島民も、同じ方向を向いている。
では、一体何が廃校へ導いているのか。時代だろうか。制度だろうか。それとも、もっと本質的なコトなのだろうか。

 

子どもの声があると、そこに賑やかな営みがある。

私の頭の中で何度も繰り返し再生される印象的な言葉がある。

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鳥羽磯部漁業協同組合答志支所 濱口輝満さん

“答志島から革命の年にしたいんです。”
この言葉は漁協(答志支所)の方の発言だが、とても印象的である。
答志島から・・・。

そう、廃校問題は答志島だけの問題ではない。
日本全国、少子高齢化の波が押し寄せる地域の “地域課題” だ。
答志島の隣り菅島は、小学校の廃校問題を抱えている。

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菅島小学校

鳥羽市は昨年、移住定住元年(https://www.city.toba.mie.jp/kikaku/teijuu/shoureikin.html)として答志島や他数カ所をモデル地域としてプログラムを開始した。しかし地域課題は行政だけで解決できることではないし、島民だけで解決できることでもない。

いま、島民も行政も動いた。
願わくば追い風が吹けば、と思う。

私の拙い文章で恐縮だが、過去に書いた答志島の記事を読んでいただき、少しでも島の魅力を感じていただければと思う。

また、つづきは三重で(三重県)にも答志島の記事が綴られているので、こちらも合わせて読んでいただけると、魅力がさらに伝わると思う。

 

私は本文を書き進めながら、答志島を取材した日々を想い出していた。
太陽の光が燦々と降り注ぐ答志島。

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船着き場に展示してあった、答志島の子どもが作ったガイドブックより。

 

Voice. そこにあるリアルな声を届けたい。

 

 

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