かつお節屋が巡る三重県のかつお節屋さん。
かつお節屋に嫁いで9年目の私が、取材を通して三重のかつお節屋さんを繋ぐことができたら嬉しいな、と思い始めました。
ちなみに私は三重県伊勢市にあるかつお節屋、小久保商店の嫁。
伊勢の飲食店にかつお節を配達したり、かつお節の削り体験やお出汁を使った料理教室などをしています。
さて、シリーズになるかどうか定かではないまま、小久保商店夫婦で勝手に2回目の取材に行ってきました。

伊勢から三重県をどんどん南下し、走ること1時間。
高速が通ったことで、行きやすくなったな〜などなど話していたら着きました。
場所は三重県の南、東紀州エリア紀北町引本浦。
今回お邪魔したのは、昔ながらの方法でかつお節を作り続ける「カネ進商店」さん。
そして、お話を聞いたのは代表の奥村卓也さんと、息子の奥村海斗さん。

取材させていただいた日は、何もしてなくても汗が流れてくるような暑い日。工場の中はかつおを燻す香りと煙で更に熱く感じます。
ちょうど宗田節(メジカとも呼ばれる)を作っているところで、かつお節をつくる専用の炉(かまどのこと)には火が入った状態でした。
ピピピピピ・・とタイマーがなり、そのタイミングで魚の状態を確かめたり、セイロの上下を手早くひっくり返し、均一に乾燥させていく。
この方法は「手火山式」といい、職人自らの手で火加減を確かめて、せいろを山のように積みあげて位置をこまめに変えることからこう呼ばれている。
かつお節の作り方って、江戸時代から大きく変わってないんです。
すごくないですか?

かつお節屋と一言で言っても、製造する店もかつお節屋と呼べば、
かつお節を削るお店もかつお節屋さんと呼び、
私たちのように卸しや販売をするお店もかつお節屋と呼びます。
製造していない私たちからすると、製造現場で今何をしているのかは興味津々。
「これは何してるとこですか?」の質問にも、丁寧に説明してくれ、しばし作業を見学です。





カネ進商店さんの工場の中はとてもコンパクトな印象。
最初に見せてもらった鰹を燻す場所、
奥の作業場には、かつお節を作る工程のゆでる窯があり、そこで魚を捌くこともあるという。
この日は先ほどまで見学していたかつお節の細かいヒレなどを取るバリ取りの作業スペースとなっていました。
そしてかつお節削り機も2台スタンバイされていて、その前には冷凍ショーケース。そして奥の生活スペースへ続く動線が。
生活と仕事が一体になっているようにも感じられ、お店の創業を聞いてみたら、この辺の鰹節屋では一番新しく40年くらいとのこと。
元々海斗さんのおじいさん・進さんがこの仕事をしていて、独立を考え始めたころに卓也さんがちょうど高校を卒業し、一緒に仕事をしようと、この工場を建て、カネ進商店がスタートした。


進さんと卓也さんの仕事を毎日見ながら、ここで育った海斗さん。
なんと小学校6年生の時にはこの仕事を継ぐと決めていたそう!
その理由を聞くと、
「地元の小学校の社会見学で、みんながカネシン商店に見学に来るんです。
もれなく、僕も一緒に来ていて。その時の先生が父に『海斗くんに仕事継いで欲しいですか?』ってズバリ聞いたんですよ!もちろん継いでほしい、って答えるかと思ったら、その時の親父の答えはなんと『NO!』悔しくて、そこから、逆に「何くそ!」ってこの仕事やってやろうと決めて、大学は食と経営を学べるところを選びました。」
業界全体の厳しさ、仕事の過酷さや大変さを知っている卓也さんは、子どもにこの仕事を継いでほしいと言うのは難しかったと話します。
亡き小久保商店の先代(小黒パパ)も同じことを話していました。
小学校の時からやるぞ!と決めて、まっすぐに帰ってきて仕事を継ぐ。
そこには『自分がやらないと家業がなくなってしまう』という危機感があったんだと、話を聞きながら感じました。
まっすぐ帰ってきてよかったと感じてますか?と海斗さんに聞くと、
「やっぱり干物一つでも効率よく綺麗に作るにはコツを掴むまでに時間がかかる。自分でもできるけど、おじいさんがいるうちは、それをすっ飛ばして教えてくれるから早いですよね。おじいさんの体が動くうちに色々と教えて貰えたから、あのタイミングで帰ってきてよかった。」と。

進さんと卓也さんが独立してお店を始めた当時は10件以上あったかつお節屋さんも、今ではこのエリアに2件。
少なくなっている途中が一番しんどかった。と、卓也さん。
どんどんお店を閉じる周りのかつお節屋さんから、使わなくなった道具たちを譲り受け、引き継いで使っているといい、2階にはたくさんの道具たちが片付けられていました。
そんなかつお節生産の歴史博物館のような場所から、なんと・・!
安政(1854年から1860年)と書かれたセイロが・・!
外枠はおそらく当時のまま。中は竹だったり針金が使われていて、何回も修理して使われてきたであろう痕跡が。
博物館にあってもおかしくないんじゃないですか!とテンション上がる私。
何百年もの間、何人もの人がこれを使って、そしてこれで作られた生節を何人の人が食べてたんやろう・・!と想像が膨らむ。
歴史を垣間見れるものに触れると興奮します。
他のセイロもよく見ると、釘を使わずにしっかりと組み立てられている。「今この技術で新品を作ろうと思ったら、いくらかかるか・・そもそも作れる人がおるんか?」と進さん。
セイロの横にはそれぞれ使われていたお店の屋号が書いてあり、この地域のお店の営みまるごとが、カネシン商店さんの中で息づいていました。
3代目の海斗さんが事業に携わり、変化させてきたことはありますか?と聞くと、一番変化させているのは「売り方」だそう。
やっぱり市場に卸すのと、小売販売をするのでは利益率が違う!と。
これは、私たちも、小久保商店を継ぎはじめた時に感じ小売を増やそうと模索してきたので、ぶんぶんと首を縦に振る。
お客さんの選び方も変化してきているので、インターネットを使って直接お客さんとやりとりをすること。
安く叩き売らなくても買ってくれるお客さんと繋がること。
海斗さんはSNSで直接生節が炊き上がる日を伝えて、直接注文を受けることもしている。
そうすることで、お客さんに「あれおいしかったよ〜」ってまた来てもらえたりすると、やっている歓びにも繋がる。
できたての生節は別格においしいそうで、ぜひ食べてみたい!
他に楽しいと感じる瞬間を聞くと、
「より良い製品を食べてもらうために小さなことでも改善できたときですね。その辺は、結構自由にさせてもらっているので、思い立ったらすぐ試せるのが自営業の楽しいところな気がします。」
また小売販売に力をいれたことで、意外なところにメリットがあったという。それは、かつお節を燻す時に使う「薪」。
今までも、県外のかつお節屋さんに話を聞くと口を揃えて「地元の薪を使う」と話されてたのですが、その薪を近所の人がくれることもあるんだとか!
家の庭木とか、公園の木とか、伐採せざるえなかったものを「いるかー?」って聞いて持ってきてくれるんです。と、
なんとも地元のみさなんから愛されているお店だ。
それもそのはずで、海斗さんは地元に帰ってきてから
「地域の人たちで集まれる第3の居場所を」と、eスポーツにも力を入れている。

カラオケもない、ボーリングもない。川に行ってもよその人ばかり。
地元の若い世代や子どもは何して遊ぶんや?となり、大学時代に興味を持ったeスポーツで地域の人たちと交流することを思い立ったという。
eスポーツを活用して地域振興を図る団体「EK ゲーミングクラブ」の代表として対戦ゲームの大会を主催したり、毎週ゲームミーティングとして、地元の人たち10人程度で集まる。
「タイトルを変えることにより、集まる人数や年代も様々だったりして。
そして新たな拠点を探していたら、地域の使っていない場所を貸してもらえることになり、ちょうど準備中です。
この引本地域のご厚意にめちゃくちゃ助けられてます!」と話す海斗さん。
自ら起こし始めたうねりが、新しい波として循環し始めている。
最後に、これからやりたいことを聞くと
「食品の上流からみなさんの手に届く下流までを、できるだけ自分達の手でやってみたいと思ってます。
例えば、に身近に感じてもらえる観光体験や、遠くても食べれるオンラインショップ、魚も自分達で獲れるようになればより気付きもあるんじゃないかなんて思っています。」
今自分ができることをまっすぐ取り組む姿に、周りも勇気づけられている。
そして、海斗さんの気負いすぎない自然体な笑顔に人が集まってくるのだろう。
生節·鰹節·干物 カネシン商店
三重県北牟婁郡紀北町相賀1896−6
0597320896
オンラインショップ:https://kaneshin.theshop.jp/
Instagram
三重県伊勢市にあるかつお節屋・小久保商店の嫁。かつお節というバトンをたくさんの人に繋ぐため活動中。出汁と発酵の料理教室主宰・夫婦でかつお節の削り体験をおこなったり伊勢うどんのキッチンカーも走らせている。旦那ogurock もOTONAMIE記者。
好きなこと:かつお節・発酵・コーヒー・伊勢の文化・人と人をつなぐこと。


















