ホーム 02【遊びに行く】 紀伊半島。まるでジブリの世界観。三重の秘境へ原始自然信仰を訪ねた。

紀伊半島。まるでジブリの世界観。三重の秘境へ原始自然信仰を訪ねた。

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パワースポットという言葉では、語りきれない場所がある。

三重県といえば伊勢神宮が有名だが、蟻の熊野詣でといわれた場所もあり、さらにそれ以前の原始自然信仰の跡も残る。

それは、世界的旅行ガイドブックであるロンリープラネットが「世界で最も旬な観光地第5位」に選んだ、紀伊半島にある。
そして熊野という土地には、日本人のルーツである自然崇拝の跡が現存している。
日本書記にも登場し、巨岩がご神体の、日本一古いといわれている花の窟神社(世界遺産)が有名だが、熊野の深い森の中、つまり秘境には、あまり知られていない巨岩や巨木を祀る神社がある。
「ここは、オバケがいるところ」
今回、子ども連れで行ったのだが、現地で4歳娘が突如そんなことを言った。
幼児の表現なので語弊はあるが、幼い子でも空気が違うと肌で感じたのだろう。
聖域には、背筋をピンとさせる何かがある。
それはパワースポットという言葉では語りきれない、人間の軸を真っ直ぐに正すような何か。
そしてそんな中にいると、忘れていた大切なことを思い出すのであった。

 

人はかつて樹だった。

まずは巨木を祀る、石神神社へ向かった。

津ICからクルマで2時間とちょっと、熊野の深い森へと進む。

クスノキの巨木(熊野市指定天然記念物)。
クスノキは千年たつと、枝が地につくようになる、と聞く。

支えられ、なおも枝を伸ばそうとする、そのチカラに圧倒される。

根に近い部分は、その重みを支えるためにチカラを入れ続けた筋肉のようだ。

また、クスノキからは別の草が生え、新たな若いいのちが育っている。
生命力を剥きだしに生きるその姿に、心が揺れた。

人はかつて樹だった(作:長田弘さん・みすず書房)。
真っ先に思い出した詩集。

類人猿である遥か前、人間は何であったのだろう。

そしてクスノキは、気の遠くなる程の時間で、何を見てきたのだろう。
木に目に心で “想”。

鳥の声、川のせせらぎが心地よいここで、そんなことを想った。

次に巨岩を祀り、原始自然信仰(磐座信仰)が今も残る、丹倉神社(あかぐら)へ向かった。

 

コダマが現れそうな空気感。

道中、美しい自然に出会った。

千と千尋の神隠しに出てきそうなトンネル。

クルマ一台、通るのがやっとの山路に入った。
もちろん民家などない。
携帯の電波は、とうの前に圏外だった。

約1時間で到着。
神社というと、社へ向かって参道を上がっていくイメージがある。

しかし、丹倉神社はその逆だ。
そして社もない。
階段を下ると、不思議な空間がある。

そこだけ木がないので、光が差し込んでいるせいか、とても神聖な雰囲気だ。

「こんな山奥になぜ突然、巨岩を祀る神社があるのか」

あなたも訪れれば、きっとそんなことを想うだろう。

この空気感。なんと伝えればいいのか・・。
もののけ姫にでてくる、コダマが現れそうな雰囲気だ。

太古の人々は、巨岩に何を想ったのだろうか。
それは自然への畏敬。そして畏怖。
それは厳しい自然環境で生き、豊かさをもたらす神への感謝、災いをもたらす神への恐れ。
自然のもの全てに神が宿るという、八百万の神という概念。
良きも悪きも、自然をあるがまま受け止めるという、島国日本の根源にある自然崇拝。

太古の人は知っていたのだ。
人間が自然に勝てないことを。

そして、とある本に書いてあったことを思い出した。
その昔、一時の熊野信仰では、熊野の深い山々に死者の魂が帰る(山上他界)と考えられていたらしい。
「ここは、オバケがいるところ」
語弊はあるが、4歳娘の言葉も強ち間違いではない。
熊野の山奥では、そんな神聖な雰囲気を肌で感じる。
それは幼児でも、大人の私でも、そして古来の人間も、きっとそうであったのだろう。

 

生きている。

帰り道にも、熊野は壮大な自然や幻想的な景色を見せてくれた。

不思議だが、熊野の山奥を巡って想ったこと。
それは “生きている” ということ。

生きて不安なときもある。
でも生きよう。それだけでいい。
あなたが生きているだけで、救われる人がいる。
それだけで、喜びを感じる人がいる。
自分の存在価値がわからなくなってきたときには、樹を観よう。
人はかつて樹だった。
人も自然から生まれた、生き物なのだから。

 


 

石神神社
三重県熊野市五郷町湯谷

 

丹倉神社(あかぐら)
熊野市育生町赤倉

yusuke.murayama

村山祐介。OTONAMIE代表。OTONA MASTER。
ソンサンと呼ばれていますが、実は外国人ではありません。仕事はグラフィックデザインやライター。趣味は散歩と自転車。昔South★Hillという全く売れないバンドをしていた。この記者が登場する記事

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