令和5年に伊勢志摩は観光庁から「地方における高付加価値なインバウンド観光地づくり」のモデル観光地の11地域のうちの1つに選定された。
▼昨年の連載:伊勢志摩インバウンド
伊勢志摩から始めよう!知的好奇心をくすぐる新しいインバウンド戦略
今から始める伊勢志摩インバウンド。人口減少社会を生き抜く、グローバルな地域づくりへ。
伊勢志摩インバウンドは未来へ飛び込む。専門家が見た伊勢志摩の可能性。

昨年度、伊勢志摩観光コンベンション機構(以下:コンベンション)でインバウンド観光地づくりの情報発信を担当していた加藤さんから、本年度は三橋さんにバトンタッチ。志摩市に生まれ育った三橋さん。志摩市役所から以前は中部運輸局に出向し、中部地域の観光に関する取り組みに携わり、今年からコンベンションへ配属。
三橋さん:昨年度、伊勢志摩のインバウンドは「観光地のまちづくり」であると教わりました。一時の流行ではなく、未来に向けたまちづくりを続けていくなかで、オーバーツーリズムも懸念しながら、まずは高付加価値なインバウンドを受け入れる地域を目指すという趣旨は理解しています。
そのために、コンベンションがまず果たすべき役割について聞いてみた。

三橋さん:前職でも観光に関わってきましたが、主に書類のやり取りでした。正直、現場はほとんど知りません。人と人がつながっていって、まちがつくられていく。上司から「人と人をつなぐこと」をミッションとして与えられました。
もっともな答えだが、どこか不安そうな表情の三橋さん。人と人をつなぐとは、現場に出向き、相手の懐に飛び込み、初めて何か手がかりが掴めるのだと思う。視察というスタンスでは相手は動いてくれない。
三橋さん:地域を動かすプレイヤーの方々が、どんな想いや考えを持っているのか。とにかくお会いしてお話を聞きたいと思っています。
まずは世界を旅した漁師に会いに、南伊勢町の漁村・阿曽浦に向かった。
漁師の消えることのない、海の宝物
“漁師体感をしたインバウンドの反応?そんなん日本人と一緒さ。子どもも大人もみんな一緒。うゎー魚がいっぱいいる!って楽しそうな感じです”

阿曽浦に到着して漁船に乗り込み、真鯛の養殖筏に向かう道中、漁師はそう話す。橋本純さん(50歳)。阿曽浦の漁師の家系に生まれ育ち、若い頃はヨーロッパやアフリカを旅した。行き着いたハワイで銅版アーティストに師事し、イルカによるセラピーの仕事を手伝いながら暮らしていた。ハワイでできた彼女との結婚を両親にほのめかすために一時的に帰省。そこで鯛養殖を営む家業の異変に気がついた。このままでは、廃業してしまう。
橋本さん:帰るところがあるから旅人です。それがなかったら放浪者。ハワイにもどったけど、楽しむことができませんでした。
家業を建て直すため、2001年に帰国して漁師になった橋本さん。しかしほとんどの若者は漁村から離れて暮らし、家業だけでなく漁村も衰退に向かっていた。またバブルの時代から「養殖魚は天然物より不味い」という世間の誤った認識もそのまま。取り組む課題はたくさんあったが、橋本さんはひとつの自信があった。

橋本さん:若い頃、ここよりもっと田舎を探しに世界を歩きました。でも阿曽浦は世界でもトップクラスの田舎(笑)。世界を見て、リアス海岸の自然に恵まれ、日本の田舎の原風景が残る阿曽浦には、逆にポテンシャルがあると知っていたんです。
まずはエサなど養殖技術の発展により、自分たちが育てる真鯛が美味しいことを伝えるため、北陸や関東の魚屋や料理人のもとへ、活魚トラックを走らせ自ら営業。漁村にもどると漁師の仕事の傍ら、自分の仕事をそのままコンテンツ化した「漁師体験プログラム」を開始。その後、真鯛のエサやりに加え、海に仕掛けた小さなツボ網を揚げる体験も追加し、獲れた魚の解説も行った。

2017年には「漁師のいるゲストハウスまるきんまる」を開業。英語が話せる漁師として外国人観光客にも話題となり口コミでインバウンドも増えていった。
最近好評なのは、真鯛の養殖筏のなかを泳ぐ「鯛になる体験」。
橋本さん:ここは伊勢志摩国立公園。外国人からすると、アフリカの国立公園のサバンナで草食動物を追い回している感覚に近いんです。

恐るおそる海に潜っていた三橋さんも、気づけば魚を捕まえるのに必死。
橋本さん:狩猟民族の血がさわいでいる(笑)。外国人でも日本人でも一緒です。危険と隣り合わせの海、そして魚という命と触れ合う。心から笑い、心から恐れる。その体験が最高の思い出になります。

三橋さん:人間という生き物としての感覚を取り戻していくような心地良い体験でした。橋本さんは伊勢志摩の地域性を活かしたインバウンドの可能性はどこにあると思いますか?
橋本さん:僕は特別にインバウンドを狙っているわけではないです。日本人も含めて、全世界の人間がたのしめること。歴史もあり自然と共に暮らす人々がいる伊勢志摩だからこそ、コトやトキの体験は可能性があり他にもいっぱいあると思います。
例えば真珠。製品の販売に加え養殖筏で現場を体験する。他にも国立公園の山のアクティビティ、宮大工の仕事、餅つきも体験プログラムになるという。
橋本さん:地域にあるものを活かす。そして僕の場合、自分のメモリーにあることを大事にしています。子どものころの思い出、楽しかった記憶を、阿曽浦に来た人が楽しめるように心掛けています。
三橋さん:以前から、まるきんまるの存在は資料で知っていました。でも書類だけ見ていてもわからない魅力があると実感しました。鯛になる体験の感想ですか?楽しかったです!って、子どもみたいですみません。
橋本さん:それでいいんです。子どもの楽しむ感覚が一番素直に心に残るから。
そう話す橋本さんに、漁師体験での思い出について聞いた。
橋本さん:なかには「暑いから嫌だ」といい、参加したがらない子どももいます。しかし海に出て行き、両親が鯛の養殖筏で泳ぎ出すと、子どもたちは両親を目掛けてエサを蒔き、寄ってきた鯛に慌てる大人の姿を笑いながら見ている。許されるっていうのかな?子どもだけでなくみんな、何かから解放されていく感じがします。
楽しかった思い出は、消えることのない宝物。子どものころ、海で宝物を見つけ、大人になって家業や地元が消えてしまう危機を感じ戻ってきた橋本さんのお話を聞いていると思った。「私のなかの、宝物は何だろう?」。そんなことを考えながら、次の地域プレイヤーの元へ向かった。
旅館の五代目が思う、地域の宝の磨き方。
“一生心に残る、大切な一瞬。振り返っても値段は付けられない。そんな誰かの大切な記憶があります。私たちは「名前のない時間」と呼んでいます”

鳥羽市にある老舗旅館「扇芳閣(せんぽうかく)」五代目社長の谷口優太さん(32歳)。


後継ぎとしてコロナ禍で旅館を引き継ぎ、客がいなくなった旅館で未来を考え続け、思い至った答えは「世界中の子育て家族から最も愛される旅館」になることだった。
谷口さん:小学生の登下校の時、道端にあるお店の方々から「五代目いってらっしゃい!おかえり五代目!」と声を掛けられていました。優太君ではなく、いつも五代目。でも嫌だと思うことはなかったんです。
跡を継ぐことを意識し始めたのは15歳の時。当時社長をしていた父が主張先の東京で脳幹出血で倒れたことだという。
谷口さん:父は自分の旅館経営だけでなく、旅館のコンサルもしていて全国を駆け回っていました。
その後、父は植物人間の状態が続き、母が宿を切り盛りするように。周囲の人々は声にこそ出さないが、谷口さんは跡を継ぐことへの周囲の期待を感じていたという。地元の高校を卒業し進学で東京へ。その後はヨーロッパ、アジア、アメリカで暮らしながら観光業を学び、MBAを取得。海外で暮らしていたときのこんなエピソードを教えてくれた。
谷口さん:自己紹介ではまず始めに「I’m from the Ise-Shima National Park」と話すと、外国ではみんな驚きます。サバンナ?シマウマ?ゾウと戯れる暮らし?それが海外での国立公園のイメージなんです。そこで「伊勢志摩は人の営み、文化、自然が共存している」と説明すると「めっちゃええところやん!」みたいな反応になる。人と自然が織りなす観光地。外の世界に出てみたからこそわかる、地元の魅力でした。
そう話す谷口さんに、インバウンドに向け、どのように伊勢志摩の魅力を伝えるべきかを訊ねた。
谷口さん:海女さんも伊勢志摩が誇る地域の宝ですね。ただ、海外の人に海女さんの何がすごいのかを伝えるのは意外と難しいんです。例えば海女さんは寸棒(すんぼう)という道具を持ち鮑を獲ります。伊勢志摩の場合、寸棒の長さは10.6cmと決められている。乱獲を防ぐために10.6cm以下の鮑は獲らないルールで人と自然が共存しています。そうやって海外の方にお伝えすると、自然を大切にする日本人の精神性が伝わり感動につながります。
鳥羽市のある伊勢志摩といえば2033年、伊勢神宮の「第63回神宮式年遷宮」に向け昨年から動きが始まっている。鳥羽市でもさまざまな準備が進むが、そのなかには市を挙げたまちづくりもあるそうだ。谷口さんは、旅館組合、観光協会、温泉振興会、バリアフリーツアーセンターなどの理事を務めながら、鳥羽市のまちづくり検討委員会では座長に就任。若くして駅前の再開発にも深く関わっている。

谷口さん:そんな大仕事を30代に任せる鳥羽市の懐の深さは魅力です。遷宮までに駅前は劇的に変わる予定です。と同時に、内心は実はハラハラ。鳥羽市の人口減少の推移は昨年8月の段階で一昨年より400人減の予測でした。これは、今後も継続する予定で、2040年には1万人を切る見通しです。また、2026年には、老齢人口が、生産人口を上回る現実に直面しています。これは鳥羽の未来図として、きれいな絵を描いている場合ではないなと。
そして谷口さんはオランダで過ごしたときに知った出来事を、鳥羽の未来に重ねて話してくれた。
谷口さん:第二次世界大戦でドイツ軍によりロッテルダムというまちは空襲で壊滅させられました。しかしその後、W.M.ドゥドックなどモダニズムの建築家がまちの再建を行い、機能的で効率的な都市になり、今ではオランダ第二の都市です。空襲には抗えなかった。鳥羽の人口減少や駅前の衰退も抗えない事実です。逆に抗えない何かがあるから新しい発想が生まれ、ロッテルダムのように変化が起きることもあります。
しかし抗えない何かを変えていくとき、そこには参考にできる具体的な事例はない。人口減少社会の到来は歴史上、日本が未だ経験をしたことがない急激な変化でもある。
谷口さん:様々な団体の理事、まちづくり検討委員会でいろんな立場の方々に会い、お話をします。観光業者、飲食店、漁協や漁師など、皆さん違う角度ですが鳥羽を愛しています。しかし時代も立場も違う。今までの再開発のように、誰かがマスタープランを描いて成功することはないと思います。マスタープランという地図より、まずコンパスが必要なんです。責任世代である以上、自分たちの子どもが暮らす鳥羽が将来、目指すべきところを考える必要があります。そこへいろんな方々の想いも含めて歩みを進めるとき、必要となるコンパスの役割が、私たちの世代だと考えています。
三橋さん:前職で中部地域の事例について、各地域のまちづくりの取り組み内容などは書面や視察では知っていました。そこには未来への希望や展望などキラキラとした世界が見えていました。谷口さんのお話を聞き、逆境からのまちづくりはとてもリアルで、人間らしい苦労を垣間見ました。
谷口さん:ぜんぜんキラキラしてないですよ(笑)。でも鳥羽には漁業などの一次産業があり、その恩恵を受ける観光業もある。生産地であり観光地です。私たちはそんな環境で育ちました。だから時代のニーズに合わせ、環境を活かした新しい発想で前に進むことができます。
谷口さんのたくましい言葉の背景には父の存在がある。谷口さんが社長に就任した直後、植物状態のままご逝去され、周囲の人からは「五代目が継いでくれて安心したのだろう」と諭された。
谷口さん:小さいときの記憶なのですが、父や旅館を営む同業の方々は一緒にお金を出し合って花火を打ち上げていました。観光客を喜ばせようとする想いは、みなさん一緒なんです。息子としてそんな父の姿を見て育ちました。地域のみんなが協力して観光地はできていることを知っています。だから将来に向け、鳥羽にある地域の宝はみんなで大切に磨かなくてはと思うんです。
谷口さんが子どものころに授かった宝。それは幼き頃に父の姿から感じた、地域の大人の熱量なのだろう。これからの困難な時代を乗り越えるためのコンパスは、そんな宝の輝きが進む方向を照らすのだと思った。
取材を終えて印象的だったのは、ふたりが大切にしているそれぞれの宝、そして地域の宝を知っていることだった。宝はいつも自分のなかにあり、地域のなかにある。そんな宝を探してみませんか?

宝を授かったいつかの少年は、大人になってもキラキラと目を輝かせていたのでした。
地域との繋がりを創出する「脳動ゼミナール」伊勢志摩
伊勢志摩観光コンベンション機構では、今回取材をした橋本純さん、谷口優太さんをゲストにお迎えする、地域との繋がりを創出する「脳動ゼミナール」伊勢志摩を11月7日(金)に開催します。
▼詳細や参加申込みはこちらから。
https://on-co.jp/news/%E8%84%B3%E5%8B%95/
伊勢志摩観光コンベンション機構はインバウンドに興味のある人と人をつなげる取り組みを行っています。ご興味のある方はお気軽にご連絡ください。
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村山祐介。OTONAMIE代表。
ソンサンと呼ばれていますが、実は外国人ではありません。仕事はグラフィックデザインやライター。趣味は散歩と自転車。昔South★Hillという全く売れないバンドをしていた。この記者が登場する記事










