「サッカーで町を元気に」
Jリーグチームが地域に根差し、地域活動を行い、町が元気づいていく。
三重県には、Jリーグに所属するチームがまだない。しかし、Jリーグ加盟を目指し、JFLで健闘を続けるチームが2チームある。
そのうちの1チーム「鈴鹿ポイントゲッターズ」は、鈴鹿市を拠点とし、斬新なチーム名の改名やファンサービス、日本初の女性監督の登用など、話題を提供しながら、昨シーズンはJ3昇格まであと1歩と迫る5位という結果を残した。
そんな「鈴鹿ポイントゲッターズ」に所属し、主力として活躍しながら、プロサッカー選手と並行してYouTubeを活用した発信活動や複数の事業を同時に行う選手がいる。
佐藤和馬選手ー。
2019年に鈴鹿に加入した同選手は、積極的にサポーターのための活動を行いながら、自身の活動を積極的に自分から発信している。
彼はなぜ、情報発信を行い、サポーター、そして鈴鹿を元気にしようとがんばれるのだろうか。
オフシーズンのある日、「鈴鹿ポイントゲッターズ」の事務所で、インタビューを行うことができた。
―オフシーズンのお忙しいなかで、インタビューに応じていただき、ありがとうございます。私が、佐藤選手を認識したのは、YouTubeの動画を見たことがきっかけでした。まず、情報発信を始めた理由を教えてください。
佐藤選手:YouTubeに関してお話をすると、友人から話を聞いたことがきっかけでした。僕は2年前に「サッカーで町を元気に」という活動を続けていました。そのとき、友人がパーソナルトレーナーとして、YouTubeのチャンネル登録者数が10万人ぐらいいるんですが、彼から無料でスポンサー営業をするには、YouTubeを上手く活用した方が良いと教えてもらったんです。
当時、僕も鈴鹿に移籍して1、2か月でした。編集を外注するほどのお金もなかったので、地道に更新頻度は遅めながらも始めてみました。今は、僕1人だけでなく、編集チームと協力して行っています。
―「サッカーで町を元気に」という言葉にも表れているのかもしれませんが、発信の原動力や意義はどういったところにあるのでしょうか。
佐藤選手:2018年に、前所属先の奈良クラブを契約満了になりました。当時もTwitterなどで発信自体は行っていたんです。当時、奈良クラブには現在VONDS市原FCの監督である岡山一成さんが、よく僕のことを可愛がってくれていたんですね。
彼を見て、サポーターこそがクラブの象徴だと思ったことが大きいです。僕たち選手は、入れ替わっていきますが、サポーターの方々は、おじいちゃんやお母さん、子どもなど、性別、年齢問わず、応援してくれる可能性のある人たちです。
僕自身も彼らを大事にしようと発信はしていたんですが、実際、契約満了を言い渡されたときに「自分は役に立っていなかったんや、人生0円や」と思ったんです。
ちゃんと自分が町に対して価値を提供できていたら、「せめてフロントに残ってくれ」という話もあったかもしれない。でも、「引退した後帰ってきてくれ」という話もなかったということは、貢献したつもりになっていたのは自分だけで、価値は提供できていなかったんだと。そこで「人生0円なんだ」と思ったんですよね。
―発信自体はしながらも、契約満了をきっかけに考え方が変わったんですね。
佐藤選手:家族も子どももいましたので、引退する決断もできました。でも、ここから逃げたら、次のセカンドキャリアでも逃げてしまう。価値を提供できる選手になりたい、そう思ったときに、いろんなチームに練習参加に行って、プレゼンをさせてもらいました。
普通、練習参加は、文字通り、練習に参加するだけなんですが、もし自分がチームに加入したら、サポーターの方とボーリングをしたり、イベントを行ったりできますよと。どのクラブでも観客動員数は気にしていると思うので、クラブとファンとの距離を近づけられる存在になれるとプレゼンをしながら回っていったんです。
―そのなかで、鈴鹿に決まった背景はどんなものだったのでしょうか。
佐藤選手:鈴鹿に関しては、サッカーをミラ監督に見てもらって、認めてもらえたので、加入できました。ただ、それ以外で、鈴鹿各地のお昼ご飯巡りをして、写真を撮り、サポーターにどこがおススメですかと情報をもらいながら、当時のチーム名から「アンリミテッド散歩」という企画をしたんです。
そのときにクラブの方に見てもらって、フロントとして入らないかという声をいただけたんですね。そういった挑戦をサポートしてくれたクラブには感謝しています。
―三重という土地には縁もないなかで、鈴鹿に加入して2年が経った。2019年に描いた未来図と今立っている現在地に違いはあるのでしょうか。
佐藤選手:全然違いますね。2019年の目標は、「子どもたちを笑かそう」でした。だから、「サッカーで町を元気にしよう」と思ったんですね。鈴鹿ポイントゲッターズのフットサルコートで夜にやっているイベントもそうなんですが、子どもたちにを笑わせることでスタジアムに足を運んでもらえる家族が増えるのではないかと考えて。
そこから1年が経って、2019年はサポーターの方とバーベキューやボーリングを開催できました。個人参加型のフットサル「個サル」に参加してくれる方も、僕のアパレルのTシャツを買ってくれる方がいて。町を元気にするつもりが、僕自身が元気をもらっていますね。
―ここまで話を聞いて感じたのは、佐藤選手はいったいどれだけのことを並行して行っているのかということです。発信に企画、そしてプロサッカー選手として活動するのは大変ではないですか。
佐藤選手:今取り組んでいるのは、まずクラブのお仕事が3つあります。選手、スポンサー営業、フットサルコートの運営です。それに加えて、僕自身の「zumaica」という会社が、アパレルブランドと、アルコールフリーの除菌・消臭の弱酸性次亜塩素水の「CELA水」、パーソナルトレーナーの3つを行っています。
身体のケアも含めて、一番時間がかかるのは、選手です。一昨年は、事務所を出るのが夜の12時半とかでした。今は、早く帰れるようにもなりました。それぐらいサッカーを続けるハードルはありましたが、自分で決めたことでもありましたからね。
2020年から、チームの選手兼スポンサーも行っています。鈴鹿は全選手のウェアが揃っておらず、ビブスで色分けをする現状がありました。そんなとき、4、5月にスポンサーの皆さんが、「CELA水」を買ってくださったので、そのとき頂いたお金を選手たちに還元しようと、全選手に練習着を作りました。
スポーツメーカーの「ATHLETA」さんがコラボしてくださって、僕の想いを聞いてくださって、「zumaica」の柄を袖に入れてくれて。いろんなご協力をしていただいて、完成しました。
―選手としてチーム、サポーター、スポンサーのために動く、つまり関わる人を幸せにしたいという気持ちが強いのですね。
佐藤選手:奈良時代は、クラブに甘えていたなと。雇用先も斡旋してもらえる。それは、本来自分で見つけるわけで、大変ですよね。今も、クラブからお仕事をいただいているので、甘えてはいるんですが。(笑)
―でも、そもそも佐藤選手はどうして、「町を元気にしたい」と思ったのでしょうか。
佐藤選手:価値ですね。サッカー選手は何のためにいるのか。それは子どもたちに夢を与えるためだと思います。では、サッカークラブは何のためにあるのか。それは、サポーターの方々のために存在意義があると思っています。
―その発想はいつからなのでしょう。
佐藤選手:奈良のときは「サポーターを大事に」というようなざっくりとした考えでしかなかったですが、やはり「0円提示」が大きかったです。サッカー選手の価値とは何かを考えましたから。
もともと僕は、「佐川印刷京都サッカークラブ」(現在:SP京都FC)という企業チームに在籍していたので、上を目指すクラブではなく、大人数に応援される経験はなかったですが、見に来てくれた300人を大切にする風土があって、1人1人をとても大切にするというのは、当時学びましたね。
―「サッカー×情報発信」だけでなく、何足ものわらじを履いていることがわかりました。佐藤選手が、人生の軸として大事にされているのは、どんなことがありますか。
佐藤選手:人に尽くすということですね。結局、さまざまな方法でお金儲けをしたとしても、誰と食べるバーベキューが美味しいのかという持論があるんですよ。バーべキュー理論というか。
それは、お金がないときも、集まる面子が楽しかったら、そのバーベキューもめちゃめちゃおいしく感じられるんですけど、ちゃんと心でつながっていない空間で食べるお肉は美味しくないと思うんです。
だからこそ、僕は心を尽くす。スポンサーやサポーターから受け取るのは、見返りを求めていない無償の愛です。僕たちにがんばってほしいから差し入れを入れてくれる。だから、彼らには何かを残してあげたいなと思います。やっぱり最後は人ですね。
―いろんな人から受けた愛を、さまざまな活動を通して返していきたいということなんですね。これからの活動も楽しみです。ありがとうございました!
佐藤和馬選手のインタビュー、いかがでしたでしょうか。
サッカーを軸に、さまざまなことにチャレンジし、鈴鹿という町を元気に活動される姿は、まさに私たちに勇気や元気を与えてくれるものだと思います。
佐藤和馬選手は、2021年も鈴鹿ポイントゲッターズに在籍します。開幕戦は、3月14日(日)。13時からホンダロックSCと初戦を迎えます。
ぜひ現地に応援に行って、鈴鹿のJリーグ入りのために応援しましょう!

三重県桑名市出身。愛知県名古屋市在住。