※本記事については、ぜひ前編・後編(12/9公開予定)も合わせてご覧ください。
–縄文時代から水銀で栄えていた映える町並みの丹生。
前編に続く中編は、iPadを持ってZoomで首都圏に暮らす移住希望の参加者と繋ぎながら、丹生をぶらりと散策。
ご案内いただいたのは、多気町勢和語り部の会から、生まれも育ちも丹生の中西正勝さん。
丹生のシンボル、神宮寺(丹生大師)の立派な山門からスタートし、伊勢参宮の道として多くの旅人が利用した和歌山別街道を歩く。
歴史を感じる町並みにはところどころに古民家が残り、道幅が広くないので散策をしても建物との距離感が近く趣を感じられる。参加者にも町並みの感想を聞いてみた。
多地さん(参加者):農村の古民家というより、古民家がオシャレな町の印象ですね。
以前に丹生は水銀で栄え、その基盤を元に大商屋なども発展し、いまは農村になっていると聞いたことがある。残っている古民家のなかには元商屋が多く、立派な古民家が多い。そのあたりを歩きながら中西さん尋ねることにした。
中西さん:丹生は縄文時代から水銀の採掘が盛んに行われていました。東大寺の大仏などに、金を定着させるために丹生の水銀も使われていたそうです。
丹生から櫛田川でつながるおとなりの松阪市の射和という地区があり、室町時代から戦国時代にかけて丹生の水銀を使って白粉(おしろい)を作っていた。その製造所は83ヶ所もあり、町は栄えていたそうだ。白粉は「伊勢白粉」として全国に流通し、背景には伊勢恩師の存在があった。伊勢恩師は全国を回り、神宮の御札と一緒に伊勢暦や伊勢白粉も配っていたそうだ。
こちらの碑でも丹生の繁栄について教えてもらった。
三井グループや三越などで有名な三井家の発祥地は、現在の松阪市中心市街地にある本町。江戸で越後家呉服店を創業し三井財閥の礎を築いた三井高利の母・殊法は丹生の大商屋永井氏の娘。つまり丹生はそのような大商屋が存在した町だった。
–首都圏の参加者は云う「LOVEがないと根付かない」。
趣を感じる町並みには、古代からの繁栄の影響があるのだと知ると、また見え方も違ってくるからおもしろい。
そして今はのどかな農村で、時間はゆったりと流れている。
軒先で収穫した黒豆の仕分け作業をしている、中西さんの知り合いに出会った。「いい天気ですね」など、たわいもない会話。
中西さん:ここの黒豆は美味しいんですよ。
話を聞いて、やわらかい笑顔が印象的なおばあさんから「これ、もってき」と、たくさんの黒豆をいただいた。前編でも書いたが、お裾分けでいただく食材の量の多さに驚くと同時に、少しだけ申し訳ない気持ちになる。あの、本当にいただいていいんですか?
おばあさん:ええんですよ。もっていってあげて。
丹生の人からすれば些細なことかもしれないが、暮らしのなかで知らない人からのやさしさに触れることがあるのとないのでは、日々の心の温度が違う気がした。
多地さん(参加者):人と助け合ったり、モノを交換したりする昔からある暮らし方。仕事をしているだけというギスギスした感覚になることもあるなか、何のためにお金を稼ぎ、何が大事なのだろうと、思うときもあります。
散策の終着地ふるさと屋は、丹生を農村として発展させた西村彦左衛門の生家であり、商屋造りの立派な古民家。西村彦左衛門についてお話を聞かせていただいた。
江戸時代になると丹生では水銀が採れなくなった。この周辺にある農地は水源である櫛田川より高いところにあり、昔の人は水が引けないため米が育たず、村人たちの暮らしは苦しかった。そこで代々の酒蔵を営んでいた西村彦左衛門が私財を投げ打ち、15年かけて約30kmの立梅用水を完成させたことで農村として栄えていったという。
前編に登場したボート下りに使われているのは、江戸時代に築かれた70メートルの素掘り(手掘り)トンネルの用水路。
また西村彦左衛門という人は、生活に困っている村民がいると知れば、ひそかに窓の下から米や銭を投げ入れていたという逸話も残っている。それは穏やかな農村に暮らす人の気質なのだろうか。なんとなくだが、北川さん(前編)や中西さんのように、個人的な利益の追求ではなく、地域のために活動している人と彦左衛門さんは少し似ているなと思った。
散策を終えたころには夕暮れ時が近づき、歴史ある町並みに哀愁を感じた。それはきっと、町の成り立ちや魅力を教えてもらったり、この地に暮らす人のあたたかさを知ったから、余計にそう感じたのかも知れない。
ところで最近増えている移住者について、中西さんはどう思っているのだろう。
中西さん:丹生全体ではどうかわからんけど、少なくとも我々はウェルカムですわ。移住者の人たちには、感謝しかないんです。
外から目線を持った移住者は、地元で生まれ育った人では気付きにくい村の魅力を発見し、地元の人がその魅力に目を向けるようになる。丹生に暮らす大人たちがそのように変化することで、子どもたちや若い世代も村の文化に誇りを持つようになる。
そんな魅力に気がついた一人であり、生粋の地元民の中西さん。最後に改めて丹生の魅力について聞いた。
中西さん:気候も人も温暖で、良く言えば穏やかです。まぁ、ぼーっとしてますわな。ははは。
そう謙遜して笑い話しにする中西さんと短時間だか一緒に過ごし、生まれ育った地元に誇りを持っている姿に羨ましさを感じた。
近藤さん(参加者):最後の中西さんの言葉を聞いて、これこれ!これが三重っぽいと思いました。三重県出身者として東京で暮らしていると、このリズム、空気感がなつかしくて魅力的なんです。東京での生活は長くて、今住んでいる地域のことをいろいとやってきたのですが、なかなか自分の中で根付ていかない。中西さんのお話を聞いていると、LOVEがないと根付かないんだなと。頭で好きになろうとしても、なかなかできない。そしてワイワイと楽しんだり、苦労もしながら生きてきた場所というのは、すごい財産なんだと思いました。昔からの文化の継承に前向きで、なおかつ移住者に “ありがたい” とまで言ってくれる人がいる丹生は、これから生きて思い出を蓄積しながら愛していける場所なのかも知れないですね。北川さん(前編まめや)や中西さんのようなお二人がいる地域で子育てをしたら、楽しそうだなと思いました。
次はいよいよ最終話の後編。
丹生にあるとある古民家に魅せられた移住者と、古民家を想うお二人のお話です。
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村山祐介。OTONAMIE代表。
ソンサンと呼ばれていますが、実は外国人ではありません。仕事はグラフィックデザインやライター。趣味は散歩と自転車。昔South★Hillという全く売れないバンドをしていた。この記者が登場する記事