ホーム 01【食べに行く】 首都圏と三重を繋ぐ新しい試み「ローカル記事アクション」で揺さぶられた、所有するという概念って何だ? in 金川珈琲【連載・後編】

首都圏と三重を繋ぐ新しい試み「ローカル記事アクション」で揺さぶられた、所有するという概念って何だ? in 金川珈琲【連載・後編】

※本記事は、ぜひ!前編(12/4公開)・中編(12/7公開)も合わせてご覧ください。

前編中編に続く後編でも、iPadを持ってZoomで首都圏に暮らす移住希望の参加者と繋ぎながら、連載最終話のオンライン取材へ。

 

–縄文時代から、水銀で栄えていた映える町並みの丹生。

東京で3代続く人気珈琲店、金川珈琲が多気町の丹生地区の古民家に移転し話題となっている。

店に立つのは金川幸雄さん。

祖父・英一さんが昭和26年に喫茶キンレイを開店し、父・正道さんは本場ブラジルに渡り日本人初のブラジル「コーヒー鑑別人」の資格を取得するなどまさに珈琲一家で育った金川さん。子どものころから店の手伝いをしていたので、後を継ぐことに抵抗はなかったという。しかし都会に育った金川さんは、幼いときから田舎があるというのが羨ましく感じていて、いつかは田舎暮らしがしてみたいという想いがあった。そして辿り着いたのが丹生だった。

金川さん:最初見せていただいたとき、立派な古民家だなと思いました。その時はまさか譲り受けることができるなんて思ってもなかったです。

金川珈琲の古民家は、元は呉服屋の商家だった。敷地面積約340坪、建物面積約150坪で梁には立派な欅(けやき)が使われている。しばらく空き家になっていたが、地域からは文化財的な位置づけにあった。

空き家の管理のために遠方から通っていた所有者の川口夫婦と知り合うことができ、その後は一緒に食事をしたり、家に招いてもらうなど家族のような付き合いが始まった。それでも金川さんは譲ってもらえるとは思っていなかったという。しかし川口夫婦の金川さんへの理解が深まり、価格の話に。

金川さん:こちらも予算に限度があるので、家族のように接してくれる川口さんとお金の話をするのは、私もそして相手も辛かったと思います。おたがいにそんな苦しい状況を乗り越えて、使わせていただけることになり「あとは金川さんの好きに使ってもらっていいからね」とあたたかく言葉をかけていただいたときは、本当に嬉しかったです。

その後、地域の協力もあって古民家の改修が進み、いよいよオープンが迫っていた。そんな折、世話になった川口夫妻の旦那さんが他界したと知らされた。

金川さん:お二人を喜ばせることを目的にがんばってきたのに。悔しくて、モチベーションをどこに持っていけばいいのかわからなくなりました。

店でオープンの準備を進めていた冬のとある昼さがり。

金川さん:冬なのにやけに暖かいなと思ったんです。なんとなく視線を感じるというか。

そこで、こんな考えが巡ったという。

金川さん:もしかして、川口さんが近くで見ていてくれているのかも知れない。そう思うと、沈んでいる場合じゃないって思えたんです。

日本の古い家屋は影があることで、そこに暮らす人の創造力が膨らむと聞いたことがある。直射日光を一度、障子や格子でフィルターをかけることで、陰影を作ったり柔らかくぼんやりとした光に変換し、室内は人が落ち着ける状態の空間になる。そして木の国日本といわれるだけあり、古くなるほど、そこに人が暮らし続けるほどに味わい深くなるよう施された木材からは安らぎを感じる。そんな空間にいると、思い出話しとともにそこで過ごした人の人柄も、うっすらと感じ取れるから不思議だ。

 

–土に還る古民家は生き物。

金川珈琲を手掛けたのは、山路工務店の一級建築士で古民家鑑定士一級の小林健一さん。実は山路工務店は小林さんが以前勤めていた住宅メーカーの取引先でした。そんな小林さんに古民家へ魅せられていった理由を伺った。

小林さん:前職のときに古民家を壊して新築を建てるという仕事があったんです。そのとき取り壊される梁を見て施主のお母さんが泣いてたんです。こんなにも大切な家を、本当に壊していいのかと思いました。それが前職での最後の仕事です。

そのときにどうすることもできなかったという経験をした小林さんは、古民家の勉強をはじめた。

小林さん:利便性の高い新興住宅地に新築の自宅を建てたんですが、5年で売りました。実際に古民家に住んだ方が勉強になるので、古民家を買いました。

小林さんは古い町並みが残る伊賀市で育った。昔から古いものに興味があった小林さんは、古民家は生き物のようだという。

金川珈琲を改修したときに、不要になった古民家の木材でつくったティースプーン。

小林さん:昔は地域の人が協力し、長い時間をかけてみんなで家を造っていました。そして壊れたら直して使い続ける。例えば土壁が崩れても、崩れた素材で直すことができます。そして伝統的な日本の古民家は壁も梁も瓦も、土に還ることができる。

金川さんと小林さんの話を聞き、不思議な感覚を覚えた。
私事で恐縮だが新興住宅地に生まれ育った。それでもたまに帰る築40数年の実家には思い入れがある。ただ地域にある他の家に思い入れというのは感じない。しかし古くから続く町や村の人にとって、祖父母や親から語り継がれてきた古民家には特別な思いがあり、その思いの集合知として古民家を大切に思っているのかも知れない。

金川さん:今でもこの古民家は自分のものとは思っていないんです。地域で大切にされてきた家を、子どもや孫の世代まで大切に引き継いでいくために大切に守っていきたいです。

 

–現代に存在している、所有するという概念って何だ。

今回、まめやからスタートした「ローカル記事アクション」のオンライン取材中に感じたことがある。それは、所有するという概念はいつから肥大化してきたのだろうということ。農村では作物を育てる過程で、大地、水、太陽という自然を共有し暮らしている。そして作物を育てる際は、出荷する以外にシェアするためのお裾分けの分が含まれている。私財を投げ打ってまで町の発展を支えた人や、それを語り継ぐ人がいる。地域の歴史文化とともにある古民家は生き物のような存在で、後世に残すことを念頭に造られ地域で大切にされてきた。
積極的移住や地域での起業などの実体験がなく、小さな印刷屋の息子として新興住宅街に育った私には、村の暮らしを語る資格などはまったくないが、最近のまちづくりという言葉に違和感を感じることがある。2004年に人口がピークに達し、この先人口減少社会が進む日本において「まち」は既に在るものだと思う。語弊を怖れずに書き足すと、こんな時代に「まちをつくる」だなんて、片手に持ったオニギリをごみ箱に捨て、ピザの宅配を注文するようなものだと思う(ちなみにピザは好きです)。長い日本の歴史を見れば、所有するという概念は、経済優先の近現代的だと感じた。時代はもどることはないけど、古き良き時代の価値観をアップデートさせることはできるし、地方創生時代に入った日本の各地で、そのような動きが出てきている。

前編「まめや」の北川さん
中編「丹生散策」の中西さん
後編「金川珈琲」の金川さん

今回訪れた丹生地区も、地元の伝統文化を大切に継承する地元の人と、移住者が新しい魅力を発見することで、水銀の産地から大商屋が繁栄して町となり、その後農村になった、さらにその先の時代を垣間見たような気がした。シェアする時代に所有することに執着したり他と比べる必要はなく、平均点も幸福度ランキングもいらない。
最後に今回参加した唯一の20代、奥田さんに若者の感想を聞いた。

奥田さん:三重出身で今は東京の新小岩というところに住んでます。下町で、常連客のおじさんが行くような小さな居酒屋に通うようになりました。喩えが悪いけど、スーツ姿のサラリーマンもいれば歯の抜け落ちたおじさんたちもいます。いわゆる雑多な感じです。20代で通っているのは僕くらいで、多様性と言うときれい過ぎますが、その雑多な感じが好きで話もおもしろい。良い大学に入って、有名な企業に就職しなければ、というレールの上で小さいときから競うように育ち、大学進学で地元を離れました。そしていざ就職するときになって、レールの上のような人生に違和感を感じていては遅いと思いました。そんなとき、小さいころ地元で過ごした思い出が甦り、涙が止まらなかった。でも当時、僕が生きていた社会では、そんなこと絶対にいえない。今は比較的自由に働ける会社に勤めながら、いつかは地元に帰ろうと思っています。今回参加して、地方での暮らしを自ら楽しめれば、やりたいことがやれる場が田舎にはあると実感しました。そして通っている居酒屋のような、と言うと語弊がありますが、地方の暮らしも雑多な感じがして楽しそうだと感じています。

移住したい人にとって魅力的な農村も漁村も、三重にはいろいろある。いや三重という枠組みを外してもいいと思う。島国日本には、いくらでもアップデートして暮らしを楽しめ、誇るべき歴史文化が在るのだから。

 


 

おまけの話「連載を終えて」
担当者の方から、連載の締めの部分に「暮らしの在り方などを書いて欲しい」とリクエストがありました。しかしそんな壮大なことを書ける身分ではなく、人生において大した経験もないので「ローカル記事アクション」に参加して感じたことを書きたいと思います(担当者様ごめんなさい)。
移住ってハードルが高いなと常々思っています。わたしは子どもが3人いて普段の生活はバタバタ。古民家は大好きなのですが、移住を現実的に考えるどころではなかったりします。仕事も何とかやっていけるレベル。家のローン、仕事、以上!おやすみなさい!みたいな暮らしっぷりなわけです。
でもコロナで今の暮らしを考え直したのも事実です。食べていけるだけのお仕事があるのは、人のご縁に本当に恵まれていると思います(皆さまいつもありがとうございます)。しかしながらこのままのペースで70歳くらいまで仕事漬けでいいのかな、根底からもう一度見つめ直したいなと、コロナ禍で思いはじめました。仕事も打撃を受け余裕は以前にも増してなくなっているのですが、それでもこのままでいいのか、と自問することがあります。
とくに今回のオンライン取材を通じて、やっぱり田舎に流れるゆったりとした暮らしやあたたかい人の空気感に触れると、表現は難しいのですが、直感的に私のこころは「いいなぁ!」と言っているようです。
そして移住して地方の暮らしをたのしんでいる人を取材すると、いわゆる移住という感じではなく、それは仕事を持ったまま、または仕事の一部を変更しながら、引っ越しただけなのでは、と思えてきます。移住者に移住した理由を聞いても即答する人は少なく「この地域のおもしろい人と仕事をすることになったから」「なんとなく通っていたら役場の仕事をすることになったから」と、なんとなくの感想が多い印象です(それを記事にするのは結構大変・・)。
そして皆さん、羨ましいくらいに楽しそうです。もちろん苦しいこともあるとは思うのですが、気持ちが前向きで何か魅力を発見して喜んでいる様子が印象的です。
だからこそ、地方で暮らしたいと考えている方はいろんな地域と接点を持ち、とりあえず地域や地域の人と繋がることで、ひょんなことから移住する理由が生まれる可能性はあると思っています。今回の「三重暮らし魅力発見サポーターズスクエア事業(長い!)」も、きっとそのような繋がりづくりには、とてもいい機会だと思います。それは移住希望者の方も、地域に暮らす町を元気にしたい方にとっても、たのしいことが始まるきっかけになるのかも知れません。
あとオンラインイベントなどでも話すことがあるのですが、私は10数年前に家を新築で買ってしまいました(ローンたっぷり・・)。知らなかったんです。こんなにいい古民家が、県内各地にあるだなんて・・。当時の自分に「ちょっと待った!」コールを掛けてあげたいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!私もいつか古民家で、囲炉裏を囲んでみそ田楽を食べたり、小豆が獲れたらぜんざいを作ったり、そんな暮らしとローン完済を夢見て・・。

 


 

【タイアップ】
2020三重県暮らし魅力発信サポーターズスクエア事業
(主催 三重県/事務局 アド近鉄)

詳しいお問い合わせは、三重暮らし魅力発信サポーターズスクエア事業
(事務局代行 : 株式会社アド近鉄)まで
e-mail mie.kurashi@gmail.com

三重県への移住は、三重県移住・交流ポータルサイト「ええとこやんか三重」をチェック!https://www.ijyu.pref.mie.lg.jp/

 

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