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歴史と思い出、出会いの関宿〜亀山市関町で暮らす服部吉右衛門亜樹さんとまち歩き

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-三重県の各町で暮らしている住民の方と一緒にまちを歩くと、今まで見えていなかった光景が広がっているに違いありません。

そんな企画趣旨に今回、ご協力をいただけたのは亀山市関町の服部吉右衛門亜樹さん(以下、服部さん)。服部さんは三重県を代表する銘菓「関の戸」を製造する深川屋の14代目です。

服部さんが暮らす関町は、東海道五十三次の47番目の宿場町「関宿」。三重県で唯一、伝統的建造物群保存地区としての登録を受けています。伝統的な町並みの中で生まれ育った服部さんは、「誰も知らない関宿の歩き方講座」の講師も務める、まち歩きのプロでもあります。

それでは、さっそく服部さんと亀山市関町(関宿)のまち歩きへ出かけて行きましょう。

江戸時代の旅人の気持ちになる。見どころ満載な関宿

服部「関宿に住んでる人は朝起きたら、まず山を見るんです。」

関宿の町並みが一直線に見える道から目線を上げると、山の線がくっきり見えています。

服部「山の導線が見えていると、これからも天気がいい。逆に曇っていると天気が悪くなります。」

3時間後の山の風景。服部さんの言った通り、晴れ間が広がりました。
1400年前からある関の地蔵院に立ち寄ります。屋根は特徴的な錣屋根(しころやね)。
日本最古のお地蔵さんをひと目見ようと、誰もが屋内を覗いたそうです。
その結果、江戸時代から残る格子には、指をかけた跡がくっきりと残っています。
地蔵院の目の前の通りには、江戸・明治・大正・昭和の建物が並ぶ光景が広がります。

スタート直後から驚き連続なお話に目が輝きます。ここで、服部さんから、関宿を歩く際のポイントをアドバイスいただきました。

服部「関宿には歩く時のポイントは、江戸時代の人たちの目線に合わせることなんです。」

江戸時代の頃は、関宿の道は現在より約30cm低い所にありました。さらに、江戸時代の平均身長は約150cmくらい。そう考えると・・・50cm下が江戸時代の人たちの目線になります。

こちらが江戸時代の人が見ていた光景。

また、道の両側に幅が30cmくらいの川が流れていました。地蔵院の裏山からの湧き水で、荷をひく馬や牛が水を飲んでいたそうです。今では想像ができませんよね。

関宿の建物には牛や馬をつなぐ和金具が残っています。特に牛の和金具が多いです。

嘘発見器に公募のネーミング決戦!町に潜む思い出の関宿

関宿には織田信孝の菩提寺「福蔵寺」があります。実は福蔵寺は、服部さんにとって幼少期の思い出の場所でもあります。

服部「ここには面白いものが2つあるんです。」

まずは、こちら。昔は護摩焚きをすると龍の口から煙がポッと出てきたそう。現在は消防法で焚くことは禁止されています。
そして、もう1つが・・・一体、何でしょう?

服部「これは・・関宿に残る嘘発見器なんです。」

この嘘発見器、どうやって使うのでしょうか?使い方の流れとしては、まず嘘をついているであろう子どもを嘘発見器の前に連れてきます。そこで、こう言うそうです。

服部「嘘をついてないんだな。じゃあ回してみろってね。それで輪っかを一回転させた時、後ろの石にコーンって当たると嘘つきなんです。」

子どもは人差し指で大人は小指で回すルール。実際に回してみると意外とずっしりとした重さがありました。

服部「僕はね、親父に連れてこられるのが嫌で嫌で。それで、暇があるときに練習していたことがあるんです。そうしたら・・・」

絶え間ない練習によって、嘘発見器対策はばっちりとなった服部少年。そして、その日はついにやってきました。嘘発見器の前に連れてこられた服部少年は、回してやるよと息巻きます。

服部今日は左手で回せって言われて・・・失敗。練習していたのを親父は知ってたんです。

ちなみに、この嘘発見器。実際には何かはわかっていないそうです。

さらに、服部さんにとって思い入れのある場所へご案内いただきました。その建物には2つの看板が設置されています。

  • 百六里庭(ひゃくろくりてい)
  • ちょうかんてい(眺関亭)

関宿にある道路元標から日本橋にある道路元標までの距離(106里)にちなんだ公園「百六里庭」と関を眺める建物「眺関亭」。どちらもステキなお名前です。

ちなみに、こちらが関宿の道路元標です。

百六里庭と眺関亭は関宿の人たちが作った公園と建物で、元々この場所は火事を抑える役割を担った敷地だったそうです。

服部「公園を作る時に名前が公募されて、最終的には百六里庭と眺関庭が残りました。それで、どっちも捨てがたいと決戦投票になって、百六里庭が勝ったんです。」

熾烈な戦いに勝利した百六里庭、苦渋を飲んだ眺関庭。その後、建物の名前には、「庭」の文字を「亭」に変えた眺関亭と名付けられました。

服部「どっちも無記名投票だったんだけどね、実は百六里庭の命名者は僕なんです。ちなみに眺関庭は親父。」

江戸時代には見られなかった関宿を望める代表的な公園。その誕生の裏エピソードに、服部さんたち親子の対決が行われていました。

新店舗と老舗にお邪魔します。まち歩き出会いの関宿

服部「ここは新しいお店ですよ。」

お立ち寄りしたお店の名前はアンティークを扱う明治屋さん。もともと米問屋だった建物をリフォームされた関宿の新しいお店です。

中に入ると、天井の高い趣ある空間が広がっていました。
壁には江戸時代の浮世絵が飾られています。
店主の山田譲二さん(以下、山田さん)。

山田さんは、関宿で骨董品を扱う「江戸屋」や津駅で「ジョーズ バー/Jo’s Bar 」を経営されています。

山田「本命は絵描きです。全部自作で作ってます。かっこいでしょう、ここ?」

建物内の扉を開くと、また別世界が広がっていました。

服部「山田さんはとっても多趣味なんだけど、関宿らしさをとても大切にしてくれています。」

捨てられそうだった自転車も山田さんの手にかかわれば、この通り。

明治屋さんを後にして、次にお邪魔させていただいたのは創業1882年のお店です。

ガラス越しに、黙々と仕事をする職人さんの姿。

こちらが桶職人 桶重(おけじゅう)の服部健さん(以下、服部(桶重)さん)。

服部(桶重)「ちょっと見にくいけれど、カンナだけでペーパー(紙やすり)は何も使ってないんや。でも、光沢が違うやろう。」

桶づくりには欠かせない竹を一本一本丁寧に削っていく作業。繊細な作業を進めながら気軽にお話してくれる服部(桶重)さんの職人技に目が釘付けになります。

削られた竹をサザラと呼ばれる竹ぼうきで磨くと、さらに輝きが増します。触り心地もなめらかです。

服部(桶重)「竹にも裏表がある。竹の場所に関係なく円になるように削っていく。薄い皮はとらなあかん。そうしやんと、弾くんでな。」

竹一本で組んだ桶、竹2本で組んだ桶と種類によって使い分けられます。職人の技術と木と竹で出来上がる桶のお話。すべての工程一つ一つに技があり!ということを、服部(桶重)さんに教わりました。

服部「作っているところも旅人に見せてくれる。桶重さんは、関宿には欠かせないお店なんです。」

服部さんとの関宿まち歩きを終えて

服部さんとの濃厚すぎる約2時間半のまち歩きには、歴史や思い出、そして出会いで溢れていました。

京都や江戸を目指した旅人たちの目に映った光景を、現代に生きる自分の目に映せる稀有な「関宿」は、三重県が誇るとても特別な場所です。

最後に紹介できなかった関宿で撮影したスポットを、写真ダイジェストでお送りします。ぜひ、実際に訪れて記事や写真の場所を探してみてください。

豪商 橋爪家のむくり屋根
橋爪家にあるのぞき穴。参勤交代の時などに覗いたそうです。
関宿高札場
江戸時代の目線で見る関宿高札場。設計やサイズは当時のままです。
旅籠玉屋の火炎宝珠。火は忌み嫌うものでも、火炎宝珠だけは縁起がいいもの。
関宿では屋根にも注目 寅に
龍に
恵比寿さん
川北本陣跡
伊藤本陣跡
江戸方面に向かう深川屋さんの庵(いおり)看板。
京都方面に向かう深川屋さんの庵(いおり)看板。
家康ゆかりの瑞光寺権現柿は、秋になると実をつけます。
関の町を作った関氏の家紋「アゲハチョウ」が刻まれた瓦。

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