三重県を拠点に活動する総合型スポーツクラブ「ヴィアティン三重」。
2026年5月29日、女子バレーボールチームの2026-27シーズン新キャプテンに、津市出身の岩田恵麻選手が就任することが発表されました。
地元・津市で育ち、一志中学校、三重高校、国士舘大学を経て再び三重へ。2023年の入団以来、持ち前のスピードを生かしたプレーでチームを支えています。
今回は練習後の岩田選手にインタビュー!
新キャプテンとして迎えるシーズンへの思いや、バレーボール人生、子どもたちへのメッセージ、そして地元・三重でプレーする魅力について話を聞きました。
インタビュアー:OTONAMIE記者 キャスターマミ
――バレーボールを始めたのは10歳とのことですが、どんなきっかけだったんですか?
岩田選手「特別なエピソードがあるわけではないんですけど、本当にたまたまなんです。父が“ぎゅーとら”に貼ってあったスポーツ少年団のバレーボールチームのチラシを見つけてきて、『バレーボールどうや?』って声を掛けてくれたのがきっかけでした。それまで特にスポーツもしてこなかったので、何か始めてみようと思って。友達を誘って一緒に入りました」
――バレーボールが初めての本格的なスポーツだったんですね。
岩田選手「そうです。母が中学校で少しやっていたくらいで、家族に経験者がいたわけでもなかったので、本当に“ぎゅーとらのチラシ”がきっかけです。今思えば、見つけてくれた父に感謝しています」
――そこから人生が変わったんですね。初めてバレーボールをやった時は、どんな印象でしたか?
岩田選手「小学生の頃は、周りの子より身長が高かったんです。ボールを触った時に、『意外とできるかも』って思いました。指導者の方が『センスあるよ』って褒めてくださって。ボールを叩けた感触がすごく楽しかったんですよね。先輩たちがジャンプしてネット越しに打っている姿を見て、『私もやってみたい』と思いました」
――中学校ではバレー部に所属さられたんですね。
岩田選手「中学校の部活では小学校と違って先輩・後輩の関係もあって、最初は先輩を差し置いて試合に出ることに緊張もありました。でも中学で身長もぐっと伸びて、ジャンプ力もついてきて。最初は高さが出ないとか、パワーが足りないとか悩みもあったんですけど、だんだん叩き込めるようになっていきました」
――成長を実感した時期だったんですね。
岩田選手「特に中学3年の時はすごく覚えています。津市のヤングクラブチームにも参加させてもらっていて、他の学校の子たちとも交流がありました。ミドルなどのポジションも経験して、いろいろな技術を覚えられたと思います」
――その頃にJOCの三重県選抜にも選ばれたそうですね。
岩田選手「はい。中学校自体は県大会や地区大会で終わるようなチームだったので、県選抜に選ばれるのは強豪校の選手だけというイメージがありました。だから選んでいただけた時は本当にうれしかったです。そこで人生が変わりました」
――そこが転機だったんですね。
岩田選手「中学3年でJOCに選んでいただいて、その流れで三重高校に進学することを決めました。もしあの時選ばれていなかったら、たぶん中学校でバレーボールを辞めていたと思います」
――三重高校のバレー部はいかがでしたか?
岩田選手「正直、先生も怖いし、先輩も怖いし……。バレーの空気感が今までとはまるで違って、1年生の時の記憶は、あまりないくらいです(笑)」
――かなり厳しい環境だったんですね。
岩田選手「中学校のJOCでも厳しかったんですけど、高校では放課後にまず1〜2時間体を鍛えるトレーニングがあって、その後にボール練習という流れだったので、体力的にも本当にきつかったです。
でも、バレーだけじゃなくて、準備や片付けなどの仕事面もすごく大事にしているチームで。今までそんな大人数のチームにいたことがなかったので、ちゃんと決まりごとがあって、伝統あるチームなんだなと感じました。まずはそこについていくのに必死でした」
――当時、部員数はどれくらいいたんですか?
岩田選手「30人くらいはいました。各学年10人ほどいて、マネージャーさんも含めると結構な人数でした。“強豪校には強豪校の理由がある”ということをすごく感じまて、圧倒されました。『ここが三重県1位になるチームなんや』って。でも、自分で覚悟を決めて入ったので、必死でついていこうと思っていました」
――1年生の頃から試合にも出場されていたんですね。
岩田選手「はい。結構チャンスをいただいて、試合にも出させてもらいました。すごく経験を積ませてもらったと思います。2年生からはレギュラーになって、周りに上手な先輩もたくさんいたので、頼りながら伸び伸びプレーさせてもらいました。2年生の時は楽しんだという記憶があります」
――成績面ではいかがでしたか?
岩田選手「3年間とも春高バレーには出場しました。インターハイは全部決勝で負けてしまったんですけど、2年生の時は開催地が三重県だったので、2位でも出場できたんです。その時はベスト16でした。しかも、県1位で出場したチームより自分たちの方が勝ち進めたので、すごくうれしかった思い出です」
――最も大変だったトレーニングは?
岩田選手「監督がトレーニングにすごく力を入れていて、“筋肉を大きくする”というより、“きれいにつける”ことを重視していました。呼吸の仕方から教えてもらうんですよ。インナーマッスルを整えたり、可動域を広げたり。高校生には難しい内容も多かったんですけど、今になって『あの時の意味が分かるな』って思うことがたくさんあります」
――かなり専門的ですね。
岩田選手「はい。体つきも全然変わりましたし、今でも高校に顔を出すと、先生たちはそのトレーニングを続けています。やっぱり意味があったんだなって感じます。あと、食事制限もありました」
――食事制限まで。
岩田選手「先生がいないところでは『食べてしまおう』ってなりそうなんですけど、みんなちゃんと守っていて。そういう部分も、チームとしてすごく良いところだったなと思います」
――その恩師というのが、中村純一郎監督なんですね。
岩田選手「はい。本当にめちゃくちゃ怒られました(笑)。でも、ちゃんとフィードバックをしてくださいますし、ふとした時に褒めてくださるんです。今思うと、その言葉がすごく力になっていたなと思います」
――今も交流はあるんですか?
岩田選手「あります。先生もたぶん、私たちが活躍しているのを喜んでくれていると思います。去年までいた浮ヶ谷選手も三重高校出身だったので、2人が試合に出ているところをホームゲームに見に来てくださいました。試合後には電話をくださったり、『どうなん?』って気に掛けてくださったり。本当に愛情のある先生だなって思います」
――大学は東京の国士舘大学に進学されたんですね。進学を決めた理由は?
岩田選手「国士舘大学は、中村純一郎先生の母校なんです。先生から『国士舘に行け』と言っていただき決めました」
――大学時代のバレーボールはいかがでしたか?
岩田選手「正直、あまりうまくいかなかった部分もありました。試合に出られる機会も多くはなくて、出てもピンチサーバーだったり、後衛だけだったり。レギュラーで出られたのも数回くらいでした。
『あまりうまくできていないな』って思うこともありましたし、大学は高校までと違って自由な時間も増えるので、その中で気持ちのコントロールも難しかったですね。もちろんバレーには真面目に取り組んでいましたが、『もっとできたかもしれない』という思いは今でもあります」
――苦しい時期もあったんですね。
岩田選手「はい。でも3年生の途中くらいから、『自分自身の成長のために頑張ろう』と考えられるようになりました。4年生になる頃には、『この先もバレーを続けたい』という気持ちも固まって、自分のレベルをもっと上げて卒業したいと思うようになりました」
――社会人になってもバレーボールを続けようと思ったきっかけは何だったんですか?
岩田選手「最後の大会で負けて終わった時に、『まだ自分、できるんじゃないかな』って思ったんです。まだ出せるものがあるかもしれないって。
ちょうどその頃、地元・三重にチームができたことを知りましたし、西田監督から声を掛けていただいて。中村先生からも『三重に帰っておいでよ』と言ってもらったので、『じゃあ帰ります』という感じで決めました」
――ヴィアティン三重女子バレーボールは2020年発足とのことですが、岩田選手が加入されたのは?
岩田選手「私は2024年入団です。大学卒業後に、地元にUターンして入りました」
――ヴィアティン三重での生活が始まってみて、いかがでしたか?
岩田選手「正直、仕事とバレーボールの両立が本当にきつかったです」
――やはり社会人生活との両立は大変でしたか。
岩田選手「大変でした。もともとヴィアティンの選手が勤めていた会社で、スポンサーにもなっていただいている会社なんです。監督からも『いいと思うよ』と言っていただいて、そこに決めました。
でも、仕事を始めたばかりの状態で、そこから練習もあって、シーズンも始まって……。1年目は本当に体力的にきつかったです」
――学生時代とは違いましたか?
岩田選手「全く違いました。大学の時は時間もありましたし、たくさん寝られていたので(笑)。社会人になると、1日仕事しただけでヘトヘトになってしまって。寝ても寝た気がしないような状態でした」
――かなりハードな日々だったんですね。
岩田選手「はい。そのままあっという間に10月のシーズンが始まって。しかも1年目は体調を何度も崩してしまったんです。毎月のように体調不良になってしまって、試合に行けなかったこともありました。
それがすごく悔しかったので、『次のシーズンこそは』という思いが強かったです」
――けがもあったそうですね。
岩田選手「実は足を疲労骨折していたんです。でも気付かないままプレーを続けていて、シーズンが終わって病院へ行った時に分かりました。なので昨シーズンのスタートは、チームを離れてリハビリとトレーニングをしていました」
――そこから体調管理にも取り組まれたんですね。
岩田選手「ちょうどその頃、三重短期大学食物栄養学科の学生さんと栄養士の先生にサポートしていただく機会があって。栄養面を見てもらったんです」
――変化はありましたか?
岩田選手「本当に変わりました。たぶん、体調を崩さなくなったのはそのおかげだと思っています。
毎日の食事を写真に撮って提出して、カロリー計算もしてもらっていました。途中からは学生さんがおにぎりを作ってくださって、提供していただいたりもして。本当に至れり尽くせりでした」
――かなり手厚いサポートですね。
岩田選手「そうなんです。そのおかげで、チーム全体でも栄養面が改善されて、体調を崩す選手も少なかったです。
改めて、栄養と睡眠って本当に大事なんだなって実感しました。練習や仕事で時間は限られていますけど、そこは絶対に大事にした方がいいと思いました。
私は実家暮らしなので、親がご飯を作ってくれる環境がありました。でも、一人暮らしの選手は自炊も大変だと思うので、『コンビニならこういうものを選ぶといいよ』とか、『こういう食べ方なら補えるよ』とか、そういうアドバイスがすごく助けになっていたと思います」
――生活面の積み重ねが大きいんですね。
岩田選手「はい。仕事もしながらだと、『仕方ないよね』って妥協してしまう部分もあったんです。でも、ちゃんとアスリートでいるためには、そういう部分から整えていかないと結果につながらないんだなって。
それが理由かは分からないですけど、実際に昨シーズンは結果もついてきたので、すごくうれしかったです」
――チームとしても、昨季は過去最高の6位という成績でした。振り返ってみていかがですか?
岩田選手「やっぱり、一昨年より勝ち数も増えましたし、“二桁勝利”という目標を超えられたのは本当にうれしかったです。
もちろん振り返ると、『この試合、もう一つ取れたかも』っていう試合もありました。でも、それも含めて今の自分たちの実力だったのかなと思っています」
――チームの成長も感じられましたか?
岩田選手「すごく感じました。ファンの方もどんどん増えていて。フロントの皆さんも観客を増やそうと、いろいろな取り組みをしてくださっていました。体育館に600人くらい入った時は、本当にすごいことだなって思いました」
――現在、ヴィアティン三重女子バレーボールの三重県出身選手は岩田選手だけですが、地元でプレーすることへの思いは?
岩田選手「地元でプレーできるって、なかなかないことだなって、3年目になって改めて感じています。
学生時代に使っていた体育館で、今度はヴィアティンのオレンジのユニフォームを着てプレーしているのが、すごく感慨深いんです。
それに、これまでお世話になった方たちにプレーを見てもらえる機会が増えたので、それが恩返しにもなっているのかなって思います」
――地域とのつながりも強く感じるんですね。
岩田選手「はい。会場には顔見知りの方も多いですし、バレー協会の方や審判員の方も、『小学校の時に審判してもらった人だ』って気付くこともあります。
すごくファミリー感があって、卒業して何年も経っているのに、こういう形でまた再会できるのはうれしいです」
――家族や友人からは、どんな言葉を掛けられますか?
岩田選手「家族は、地元でプレーしていることをすごく喜んでくれています。たぶん、バレーを続けていること自体がうれしいんだと思います。
友達もホームゲームを見に来てくれて、『恵麻が続けるなら、ずっと応援に行くよ』って言ってくれたりします。一番最初に『一緒にバレーやろう』って誘って入った小学校時代の友達も、お母さんと一緒に試合を見に来てくれて。本当にうれしかったです。
地元にいるからこそ、昔の友達から連絡をもらうことも多くて、それがすごく支えになっています」
――岩田選手はスパイカーとして、どんなことを意識していますか。
岩田選手「スパイクではスピードを意識しています。私は身長が特別高いわけではないので、上から叩き込むというより、速さで勝負するタイプです。ブロックをかわしたり、入り方で相手を惑わせたり、細かい動きで点を取るのが好きですね。高さよりもスピードで打ち勝つ感覚です」
――バレーボールを頑張っている子どもたちに向けて、アドバイスをお願いします。
岩田選手「まずは楽しんでやることが一番だと思います。最近はバレー人口も減っていますし、細い子が多いなと感じるので、よく食べて、よく寝るという基本的なことを大事にしてほしいです。私自身、今になって改めてその大切さを実感しています。
あとは、小さい頃から軽いトレーニングで体づくりをしておくのも大切かなと思います。スパイクでもレシーブでも、何をするにも“軸”が必要なので、その土台を作っておくことが大事だと思います」
――小さい頃の自分に声を掛けるなら、どんな言葉を掛けたいですか。
岩田選手「もっと走れ、もっと体力をつけろって言いたいですね(笑)。小さい頃はメンタル面も弱かったと思うので、『終盤で決めてこそエースやぞ』って伝えたいです。もちろん、楽しくやることは大前提なんですけどね」
――オフの日は、どのようにリフレッシュしていますか。
岩田選手「おいしいものを食べに行くのが好きです。実は津市民なのに、地元のお店をあまり知らなくて、これまではチェーン店ばかり行っていました(笑)。
社会人になってから、上司の方にうなぎ屋さんや居酒屋さんへ連れて行っていただいて、『津にこんなにおいしいお店があったんや!』って感動しました。おいしいものを食べると気持ちもリフレッシュできますし、そういう時間がすごく楽しいです」
――これからの目標を教えてください。
岩田選手「今季はキャプテンを務めるので、みんなの良いところを引き出せるチームにしたいです。自分の考えや軸をしっかり持って、言葉だけじゃなく姿勢やプレーでも引っ張っていけるキャプテンになりたいと思っています。
チームとしては、昨季を超える成績を目指したいです。人数が減った分、みんなで意見を出し合える雰囲気が強くなっているので、その良さを生かしながら、まとまりのあるチームを作っていきたいです」
――岩田選手にとって、バレーボールとは何ですか。
岩田選手「人生の中心ですね。何をするにも、生活の中心にバレーボールがありました。私にとっての“軸”みたいな存在です。たぶん、何事もバレー基準で考えていると思います」
――読者に向けてメッセージをお願いします。
岩田選手「皆さんの応援にすごく力をもらっています。勝った時の感動や、負けた時の悔しさも、会場みんなで共有できるのがホームゲームの魅力です。会場の一体感を、ぜひ実際に来て体感してほしいです。きっとまた来たくなると思います」
インタビュー中は終始笑顔で、気さくに言葉を返してくれた岩田恵麻選手。
その明るく親しみやすい人柄の一方で、バレーボールへの思いや勝負へのこだわりを語る場面では、競技に向き合う強い意志も感じられました。
「バレーボールは人生の軸」という言葉からは、これまで積み重ねてきた努力や覚悟が伝わってきます。
地元・三重県でプレーできる喜びを胸に、地域とのつながりを大切にしながら歩む姿は、多くの子どもたちやファンにとって憧れの存在です。
新キャプテンとして迎える2026-27シーズン。ぜひ会場へ足を運び、ヴィアティン三重女子バレーボールと岩田選手に熱い声援を送りましょう!
ヴィアティン三重女子バレーボールオフィシャルサイト
キャスターマミ。OTONAMIE記者。松阪市出身。生まれ育った三重が大好きで、三重を盛り上げたくて地元タレントに。テレビ・ラジオ出演、祭りやイベント、ブライダルMCとして活躍中。この記者が登場する記事













