三重県鈴鹿市の「洋食Mogu」は、豊富なメニューと圧巻のボリュームで知られる“デカ盛りグルメ”の人気店だ。地元はもちろん、遠方からも多くの人が訪れ、平日でも開店前から行列ができるほどである。
看板メニューは、ふわとろのオムライスに揚げたてのカツを豪快にのせた総重量約1キロの「オムカツ」。見た目のインパクトもさることながら、ボリューム満点の一皿としてSNSでも話題を呼んでいる。
そんなMoguを営むのが、店主の鈴枝賢昭さん(47)。彼を知る地元の人々にとって、鈴枝さんが洋食屋を始めたのは意外だったかも知れない。なぜなら、すぐ隣にある寿司屋「寿司正」は、彼の実家であり、地元で長年親しまれてきた老舗だからだ。二代目店主である父親を含めた誰もが「いずれは、息子が三代目を継ぐだろう」と思っていた。しかし、鈴枝さんが選んだのは、寿司ではなく洋食の道だった。なぜ、家業ではなくまったく別の道へ進んだのか? そこには、「自分の本当にやりたいことを選んで生きる」という揺るぎない想いがあった。
■ 寿司屋の3代目となる家に生まれて、料理人の道へ
1977年、鈴鹿市で生まれた鈴枝さんは、地元で長年続く寿司屋の長男として育った。
「なんとなく、いつか自分が三代目を継ぐんだろうなと思っていました。でも、子供の頃は営業の邪魔になってはいけないと、店に近づくことすらしなかったんです」
地元の高校を卒業したあと、父や周囲の人たちは、鈴枝さんが当然のように寿司の道に進むものだと思っていた。しかし本人は、寿司にも料理にも強い関心があったわけではない。ただ、一度は実家を出てみたいという気持ちから、父親の勧めもあって、京都の料理学校へ進むことにしたのだという。
■ 働く楽しさを知った居酒屋のバイト。そして洋食との出会い
京都の料理学校に通いながら、鈴枝さんは居酒屋でアルバイトを始めた。人柄のいい店長に惹かれ、「この人の役に立ちたい」という思いから、次第に料理そのものに興味を持つようになる。やがてバイトが楽しくなり、料理学校にはあまり足が向かなくなっていった。
卒業後、雑誌で見かけた神戸のフランス料理店に直接電話をかけて就職を志願。採用はすぐには決まらなかったが、そこから紹介された洋食店で見習いとして働くことになった。活気ある厨房、ハンバーグやオムライスといった親しみのあるメニュー、そして笑顔で帰っていくお客さんの姿――すべてが鈴枝さんの心に響き、「いつか自分も、こんなお店を持ちたい」と強く思ったという。
洋食屋で働き始めて1年後、当初から希望していたフランス料理店で働けることになった。華やかで繊細な料理に囲まれる日々は刺激的だったが、鈴枝さんの心はどこか満たされなかった。
「自分が本当にやりたいのは、フランス料理ではないのかもしれない」という思いが、頭から離れなかった。そう感じながらも、鈴枝さんは日々、真剣に料理の腕を磨き続けていた。
■ 譲れなかったのは「自分らしく働く」という想い
鈴枝さんによれば、当時の料理人の世界は“ブラック”そのものだった。料理長の言葉は絶対で、理不尽な叱責はもちろん、手が出るといった行為も日常茶飯事で、どんなに意を唱えたくても黙って耐えるのが当たり前とされていたのだ。
「覚悟はしていましたが、実際に経験すると想像以上の厳しさでした。でも、それが料理界の常識だと思っていたんです」
そんな環境でも技術を磨き続けて3年が経った頃、料理長から「フランスへ料理修行に行ってみないか?」と告げられる。普通なら願ってもないチャンスになるのだが、鈴枝さんは「興味がありません」と迷わず断った。
鈴枝さんの心にあったのは、最初に働いた街の洋食屋だった。家族連れの笑顔と、親しみのある料理。自分が実現したいのは、あの温かい空間をつくることだと確信していた。
しかし、その選択をきっかけに職場の空気は一変。料理長との関係はぎくしゃくし、次第に冷たい言葉を浴びるようになる。限界を感じた鈴枝さんは、自ら店を去った。
逃げたつもりはなかった。だが、心の傷は残った。「本当にこの道でよかったのか」という迷いが何度も頭をよぎる。そして彼は、一度料理の世界から距離を置くことにしたのである。
心の整理をするには、まったく違う環境が必要だったのかもしれない。たどり着いたのは、群馬の山奥。知り合いもいない土地で、鈴枝さんはキャベツ農家の仕事に飛び込んだ。
外国人労働者と肩を並べて、早朝から夕方まで畑を耕す日々。厳しい労働環境だったため途中で辞めていく人も多かったが、鈴枝さんは与えられた仕事を一つひとつ丁寧にこなし続けた。
「料理の修業時代に、あれだけ厳しい環境を経験していたからこそ、踏ん張れたんだと思います」
鈴枝さんにとって、キャベツ農園での日々は、単なる“寄り道”ではなかった。料理の道にもう一度向き合うために、自分を立て直す貴重な時間だったのだ。
しかしある日、鈴枝さんが群馬で働いていることが、かつて務めていた神戸のフランス料理店の料理長に知られてしまい、「一度戻ってこい」と声がかかる。複雑な思いがあったが世話になった相手でもあり、鈴枝さんは断れず、再び神戸へ向かった。
久しぶりに神戸を訪れ、かつて働いていた店に顔を出した。懐かしい厨房の風景はそのままだったが、そこに立つ自分の姿は、もはや思い描けなかった。
「誰かの下で働くのは、もう限界だ」
そう強く感じた鈴枝さんは、自分の店を持つことを決意した。
とはいえ、すぐに独立する準備が整っていたわけではない。もっと経験を積み、技術を磨き、実力をしっかりと身につけたい。そう考えた鈴枝さんは、自分の店を持つための“修行の場”として、もう一度料理の現場に飛び込むことを決めた。
このとき25歳。鈴枝さんは、「30歳までに自分の店を持つ」と心に決め、その日からの毎日をすべて、目標に向けて積み重ねていった。
■ 夢を持つと人は強くなれる
自分の店を持つという目標が定まった鈴枝さん。まずは神戸のとある洋食の繁盛店で修行を再スタートさせた。
「忙しい店で働かないと意味がないんですよ。料理の腕を磨くのはもちろんですけど、お客さんが多いなかでの効率的な段取りの組み方や、厨房内でのスタッフ同士の連携の取り方は、実践でしか身につきませんからね」
そう考えて、昼夜を問わずガムシャラに働き続けた。自分の給料で食材を買い、店のキッチンを借りては、自分の理想とする料理を求めて何度も試作を重ねた。さらに休日を返上して魚屋でも働き、鮮魚の目利きから下処理、保存方法まで、魚の扱いも基礎から学んだ。このように鈴枝さんは、自分の店を開くという夢を実現するため、持てるすべての時間とエネルギーを注ぎ続けた。

■ 父親と向き合う。そして2つの店の誕生
そして30歳のとき、転機が訪れる。実家の「寿司正」が道路拡張工事のため立ち退きを迫られたのだ。幸運なことに、その跡地に建設されるマンションの1階部分に、新たな店舗スペースが用意されることになった。父親は、2区画分のスペースを借りて、鈴枝さんと一緒に寿司屋を営もうと考えていた。だが、鈴枝さんはこう伝えた。
「ごめん、俺は寿司屋はやらないよ。俺はたくさんのお客さんに、洋食でお腹いっぱいになって笑顔になってもらいたいんだ」
鈴枝さんの決意は固く、揺るぎないものだった。親子の間で何度も話し合いの場が持たれたが、最終的に、父親は息子のただならぬ情熱と覚悟を受け入れた。
そして2007年、2区画分の店舗スペースを親子で分かち合い、一方には「寿司正」、もう一方には「洋食Mogu」が並んでオープンすることとなった。
地元で長く親しまれてきた「寿司正」には、リニューアルを待ちわびた常連客が連日押しかけ、にぎわいを見せていた。しかし「洋食Mogu」には、ほとんどお客の姿がなかった。
「自分なりにしっかり準備はしてきたつもりでした。経験も積んできたし、味にも自信はあった。一度食べてもらえれば、きっとわかってもらえると思ったのですが、悔しかったです。」
空席ばかりの静まり返る店内に立ち尽くしながら、鈴枝さんは思い描いていた理想と現実とのギャップに胸が締め付けられる思いだった。戸惑いと焦りがじわじわと広がっていく。一人でもお客さんが来てくれたなら救われるような気持ちになり、「目の前のお客さんに全力を尽くす」という姿勢だけはどんな日でも変えなかった。
■ 「笑顔と元気を届けたい」その想いがすべてを動かした
お客さんの少ない日が続き、時間だけが過ぎていった。しかし、オープンから3年が過ぎた頃、ようやく長いトンネルの出口が見え始めた。地域情報誌で「リーズナブルで美味しくて、ボリューム満点の洋食屋が鈴鹿市にある」と紹介されたのをきっかけに、少しずつお客が増えていったのだ。やがて噂をききつけたテレビ局からの取材も入り、「洋食Mogu」は一躍、名前の知られる店となった。長い間、客足が伸びず苦しんでいた時期を乗り越え、ようやく努力が報われた瞬間だった。

今でこそ多くの人に親しまれ、忙しい日々を送っている鈴枝さんだが、「開店当初の試練の3年間を忘れることはできない。あの頃に戻らないように努力を続けている」という。その苦しかった経験から、鈴枝さんは店を続けていくうえで大切にしている信念についてこう語る。
「一番大切にしているのは、毎日、自分自身が元気に過ごすということです。せっかくお客さんが足を運んでくれるのに、自分が前向きで元気でなければ申し訳ないですからね」
そのために、体調管理はもちろん、店内に飾る植物の世話まで、自分を整えるルーティンとして大切にしているのだという。
「お客さんに笑顔と元気を届けたい。その気持ちだけで、ここまでやってこられました」
真っ直ぐな瞳で力強く語る鈴枝さん。その言葉の通り、Moguにはいつも前向きなエネルギーが流れている。


オープンから18年の歳月が流れ、Moguの隣で寿司屋を営む父親もすっかり高齢となった。今では自分の店が手隙になると隣のMoguに顔を出し、レジ会計を手伝う姿が日常の光景となっている。


■ 自分の道は自分で決めていい。「正解」にするのは、自分自身
最後に、鈴枝さんにこれからの夢を聞いた。
「夢というものは特にないですね。店舗を増やすつもりもないですし。目の前のお客さんを大切にするという、今のスタイルを続けていけたらそれで十分です」
その控えめな言葉の奥には、自分の選んだ道への揺るぎない覚悟と、料理人としての真っ直ぐな誠実さがにじんでいた。鈴枝さんは自信満々にこう語る。
「自分の道は、自分で決めていいんじゃないですか」
誰かの期待に応えるためではなく、自分の気持ちに正直でいること。そして、その選択を「正解」にしていく努力を重ねること。鈴枝さんの人生は、まさにその大切さを教えてくれる。
洋食Mogu
住所/三重県鈴鹿市神戸2丁目10‐1
電話番号/059-383-5196
営業時間/11:00~15:00、17:30~22:00
定休日/月曜日
Instagram/https://www.instagram.com/mogu_youshoku?igsh=MTNyeHJ4YnZ3MjVmZQ==

三重県から「フォトグラファー・取材ライター・映像クリエーター」として人と地域の魅力を発信しています。