ホーム 00夏 「盆踊りナイト」連載エッセイ【ハロー三重県】第37回

「盆踊りナイト」連載エッセイ【ハロー三重県】第37回

8月某日、住んでいる地区で晴れて盆踊り大会が開催された。
ほんとうに夢のように楽しい時間だった。

今年度、地区の婦人会会長をやっている。
末っ子が会長を決めるためのくじを引きたがったので、引かせてやったら見事に当たりを引き当てたのだ。小さい子どもは引きが強い。


コロナ禍以降、初めての盆踊り大会の開催の有無を巡り、あれこれと紆余曲折がありながら、どうにか盆踊りは開催の方向と相成って、台風も見事にかわして、先日、無事に行われた。私はこの日を何年も待っていた。

小さな地区の盆踊り大会とはいえ、この町の盆踊り大会は大変気風が良く、生ビール無料(お代わり自由)、かき氷無料(お代わり自由)、2度ある休憩時間には参会者全員にアイス配布(無料)など、子どもと酒飲みには真夏の大天国だ。
私は酒飲みでも子どもでもないけれど、この気前のいい雰囲気にあてられるだけで、最高に気分が良くなるのできちんと楽しい。
それに、誰も信じないけれど、私はアルコールを含んだ呼気だけでも酔えるのだ。酒飲みが隣に居たらちゃんと陽気な気持ちになれる。

*

「婦人会会長さんは浴衣を着てやぐらで踊ってもらわんとね。毎年そうやから。暑いけど頑張ってね」

私たちよりうんと年が上の方ばかりの地区なので、誰を見ても町の重鎮に見える。重鎮のひとりがそう言ったもんだから、私はすぐに実家に連絡を入れて浴衣を送ってもらった。
浴衣を着ないわけにはいかない。

なにを隠そう私は盆踊りが好きなので、「浴衣を」と言われたら張り切るし、「やぐらの上で」、と言われたら「喜んで」と思う。
そして、それが町の重鎮の言葉なら抗うわけがない。
「分かりました」と苦笑いをして、仕方なく、といった風を装いながら、内心では腕をぶん回して張り切っていた。
浴衣を着てやぐらで踊る盆踊りなんて、あまりに醍醐味だ。

出張美容師さんにお願いして、当日は自宅で着付けをお願いした。瞬く間に浴衣を着せてくれて、髪をきれいに結い上げてくれた。技術がある人って、魔法を使うみたいだな、とよく思う。
そして、その日ちょうど大阪に住んでいる友人が、職場のお休みで遊びに来ており、彼女も一緒に浴衣を着せてもらった。
魔法にかけられた我々はどこかの小娘みたいで、とてもかわいらしかった。
子どもたちにも、簡単に着せられる浴衣や甚平を用意してあったので、彼らにもそれぞれ着せてやり、夕暮れが迫る中、そぞろ歩いていざ盆踊りへ。
会場に着く前から、もうすでに楽しい。すごく楽しい。

張り切りすぎて盆踊りが始まる30分ほど前に会場に着いた我々に、試運転と称して地域のおじさんたちがかき氷を振舞ってくれた。

*

実は、盆踊り大会の前に2度、盆踊りの練習会が行われていた。

婦人会会長なので、当然そちらも参加していて、ちょうど盆踊りの前日が2回目の練習日だった。およそ1時間半、円の中心で踊る先生を囲んで、みんなで5曲ほどをひたすら練習した。

皆さん大変熱心で、「今の曲もう一回お願いします」などと積極的な声が飛び交っていた。

何度も言うけれど、私はこの地区ではとても若いほうで、私以外の皆さんはそれなりにお年を召している。

午後20時の公民館。疲れた体で踊り続けた。

盆踊りは中腰の姿勢も多く、ゆっくりとした動きばかりだ。私の腰は少しずつ不穏な軋みを見せていた。

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こうした田舎のお祭りは減っているようで、隣町の友人も「盆踊りがしたい」と、一家で遊びに来ていた。

ほんのり、「祭りによそのお友達をたくさん招き入れるのって、ちょっと節操がないだろうか。『ハネさんって仲間をあんなに連れてきて、もしかして元ヤンなんじゃないの』って噂されるかもしれない」と不安にならないでもなかったのだけど、自治会長さんに紹介すると「たくさん踊っていって」と大きな笑顔を向けていただいて安心した。

ちなみに、その友人は、会場の和太鼓を見つけるやいなや生ビールを片手に「あれ叩きたい!」とまるで元ヤンなノリの良さを見せ、そしてあろうことか、その叩きっぷりは見事な太鼓の達人だった。

聞けば、伊勢に住んでいた頃に、遷宮のなにやらで太鼓を叩いていたと言う。

彼女の太鼓は本当に見事で、即興で何曲も威勢よく叩き、帰るころには「また来年も叩きに来てください!」と周囲から声をかけられていた。

元ヤンみたいなノリ、とかいって、ごめんね。

途中、休憩時間にジュースを飲んでいたら、知人の子どもの浴衣が着崩れたことに気づいたけれど、私は着付けもできないし、成すすべもなく、なんとなく胸元の掛け合わせを直してやっていたら、颯爽と高齢女性がふたりどこからともなく現れて、「あなたこれ、ここがほら」、「ああ、ほんとやね、こうせな」などと言いながら、物陰であっという間にきれいに着付け直してしまった。

着付けを終えた高齢女性たちは、私に預けていたビールを受け取ると、また人の波に紛れていった。とても眩しかった。

*

曲が変わるごとに輪に入ったりやぐらに上がったりを繰り返して、2時間、延々と踊り続けた。

私はクラブというものに行ったことがないし、あれはいったい全体なにがどう楽しいのだろうか、と若いころ思っていたけれど、今ならわかる。

あれは、つまり、きっと形を変えた盆踊りだ。

酒を飲んで、気分が良くなって曲に合わせて踊る解放感は突き抜けている。私は前述したとおり酒は飲まないけれど、ちゃんと酔っぱらっていることを忘れないでほしい。

換気扇を何年も洗っていないとか、息子の靴がすぐに雑巾のようになるとか、ベッドの下が地獄の様相であるとか、魚の目が治らないとか、そんな心にぽたぽた落とされた沁みをきれいさっぱり忘れることができる、快感にも似た時間だった。

やがて、最後の一曲がやってきて、「ああ、終わってしまう」と名残惜しさで胸の奥が狭くなる。

遊びの時間が終わる寂しさなんて、いつぶりに感じただろう。ひょっとしたら小学校以来かもしれない。

もう来年が待ち遠しい、と思いながら踊った。

*

盆踊りの後、片づけをして、役員に配られる助六寿司を頂いて、帰宅した。

自宅では大阪と、隣町の友人親子が風呂に入る子どもたちの相手をしながらまたお酒を飲んでいた。

貰ってきた助六寿司をテーブルに乗せると、あっという間になくなった。

口々に「楽しかった」、「いいお祭りだった」と言い合って、彼らはどんどんお酒を飲んで、私はお水をたくさん飲んで、夜は更けていった。

とてもいい夜だった。

*

盆踊りの余韻を残したまま、本格的なお盆に突入して、北陸の実家へ帰省したり慌ただしく暮らしていたものだから、つい見て見ぬふりをしてしまっていた。

盆踊りの前日から私の腰は慣れない動きで少しずつ、軋んでいき、なにかを持ち上げるたびに、痛みを増していった。

そのうち、毎日持っているハンドバッグさえも腰に響くようになり、子どもたちと実家のそばの博物館を訪れたときに、いよいよ限界を迎えた。

立っていることもままならない。

腰が、すごく、痛い。

博物館のロビーで椅子に腰かけて、痛みを紛らわす。

脳裏に過るのは、共にやぐらの上で踊った彼女たち。

高齢者、または後期高齢者の彼女たちの腰は今、無事なのだろうか。こんな思いをしているのはもしかして私だけなんではないだろうか。

畑で鍛えた彼女たちは今日も元気に畑に立っているのかもしれない、そう思うと、なんとも情けない気持ちになった。

来年も健やかに盆踊りを楽しみたい、そんな思いで日々筋トレに励んでいる。盆踊りが今の私の健康を下支えしていると言っていい。

いつか、無事、健康な高齢者になれた暁には、名前も知らない少女の浴衣を颯爽と直してやれる輝かしいおばあちゃんになりたい。

あの盆踊りは、間違いなく私にとって夏のハイライトだった。

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