今やすっかり盆踊りが大好きな私だけれど、それもまた三重県に住むようになって開眼したもののひとつだった。
子どもが産まれて数年が経った頃、夫の実家の地区の盆踊りに誘われた。確かその頃、長女が3歳くらいで長男が1歳くらいだったと思う。幼稚園にまだ上がる前だった子どもたちは盆踊りというものを見たことも踊ったこともなかったので、これはいい機会と行くことにした。
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それまで私が知っていた盆踊りといえば儀式に近いものだった。子どもの頃に参加した盆踊り大会は商店街を小一時間ほど踊り歩き、なにやら審査の対象にもなった。小学生の頃はその盆踊りが嫌で仕方がなく、当日は憂鬱だったのを覚えている。
夫の実家は志摩のほうにあって、人々が明るくあたたかい。意地が悪い人もそれなりにいるのかもしれないが、私が出会った人たちは押しなべて朗らかだった。さすがスペイン村や地中海村を抱えているだけある。どこかラテンの陽気さを感じずにはいられない。
そんなラテンの町で参加した盆踊り大会がものの見事にめちゃくちゃ楽しかったのだ。底抜けに楽しくて、人生で経験したことのない開放感に脳が興奮した。モルディブとかああいう全方位的なリゾート地にでも行かないとこんな気持ちは味わえないと思っていた。こんな志摩市の片隅の小学校の校庭に人生の初体験が埋まっているなんて誰が思うだろう。とにかくそれは30数年の人生で私が初めて体感した強烈な解放感だった。
子どものころから楽しい盆踊り体験をしている人からすると、いったい何を言っているのか理解ができないだろう。
その日、私が見たのは老若男女問わず、みんなが楽し気に踊る輪だった。幼児もおばあちゃんも、男も女も、みんな曲がなれば輪に入って好きに踊る。飲んだり食べたりしながら気ままに踊っていた。曲を聞いて「あぁ、この曲は」と言っては輪に入っていく人々。私が知らないその曲たちは、すべて彼らの共通言語だった。
想いを通わせるように踊る人々はみな一様にただ、楽しそうで、思わず輪に入ってしまう。同じ曲を踊りながら同じ方向を見て輪を描く、その一体感に高揚した。少なくとも私が知っている儀式ではない、それはただただ楽しい祭りだった。
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以来、私の盆踊りに対する考え方はがらりと変わった。盆踊りと聞けば「それはどこで」と耳を傾けてしまう。
8年前に越してきた今の地区にも盆踊り大会があり、もちろん喜んで参加した。踊ろうとする人がやや少ないことが気になりつつも、もうかつての自分には戻れない私はやはり、思わず踊っていた。とても楽しい夜だった。
令和の疫病が影響してここ数年は盆踊りのない夏が過ぎていったが、どうやら今年は盆踊り大会があるという。そして、私は奇しくも婦人会会長を務めている。
「婦人会会長さんはやはり踊っていただかないと」
自治会のどなたかが申し訳なさそうに言ったけれど、内心は二つ返事で「喜んで」と思っていた。ただ、とんだ張り切り屋だと思われて後々大変なことになっても困るので、表向きは少し眉を下げてニコニコするに留めておいた。なんせ、私が楽しみにしているのは盆踊りだけであって、年末の会所の大掃除やらそのあたりは心底面倒くさい。むやみに頼りにされては困るのだ。
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踊ることはまったくやぶさかではないのだけど、ひとつ困ったことがある。
「踊り手さんがいないと開催ができないので、婦人会から何人踊られるのか調べてほしい」
自治会長さんから直々に頼まれてしまった。
自治会長さんが言うには加速する高齢化とここ数年のブランクで踊ってくれる人があまりいないのでは、ということだった。近隣の地区では踊り手さんが不足しているため盆踊り大会そのものを中止することが決まっているのだという。
ようやく再開しようとしている盆踊り大会の開催が私の手腕にかかっていると言っても過言ではない。
ところが乱暴な言い方をしてしまえば私はいわゆる「よそもの」で、知り合いもろくにいなければ、なんのコネクションもない。子ども会の保護者さんにお願いすることも考えたが、彼らの多くは敷地内同居をしており、つまり婦人会の登録はおばあちゃんがされているのだ。
引き継ぎ資料から過去の盆踊りの資料を引っ張り出して、踊り子さんはどのようにして集めるのか調べるもなに一つ書かれていない。顔が知れた婦人会会長ならば阿吽の呼吸で踊り子が集まるのだろうか。
一縷の望みをかけて、当時の婦人会会長の田中さん(仮)に電話をかけた。
田中さんの話によると、まずは婦人会の役員の中から踊り子さんを探すのらしい。
「連絡網があるでしょう。それを使って踊れる方を探したらいいのよ。踊れる方は連絡くださいって回せばいいのよ。重田さんや森下さんあたりは踊りがお好きだからきっと踊ってくださるんじゃないかしら」
上品な声で丁寧に教えてくれた。
「ところで田中さんは踊っていただけますか」
と尋ねると「先のことはちょっと分からない」と親切な田中さんは言った。
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田中さんに倣って連絡網を回した数日が経ち、踊ってくれると明言しているのは自治会長の奥さんのみだ。
はっきりと「踊りたくないです」、「協力はできかねます」など、お断りの連絡は3件も届いていると言うのに。
なぜみんな踊りたくないのだろう。もしかして何かとんでもない落とし穴が潜んでいるんだろうか。練習を指導してくださるという踊りの先生がものすごく怖いとかそういうことがあるんだろうか。向こう脛を扇子でぴしゃんと叩くようなスパルタ指導だったりして。でもそれはそれで、愉快じゃないの。
いろいろとお電話で助言をくださる方はあるのだけど、「では、踊っていただけますか」と尋ねると「孫の世話があって」、「膝を悪くして」、などと言葉を濁してしまう。
類は友を呼ぶのか、私の友人が目を輝かせて踊りたいと言ってくれているので、もはや彼女に全力で期待している。地区が違うとかそんなことは言わせない。だったらみんな踊ってくれたらいいのだ。
そんなふうに盆踊り開催に向けて私は今、忙しい初夏を送っている。
踊り子さんをたくさん見つけてぜひ盆踊り大会を開催する、それが私の目下の課題だ。
大きな目標を抱えてしまった。やりがいがあるったらない。
8歳、6歳、4歳の3児の母です。ライターをしています。