ホーム 00DayTrip 「根明な友達と潮干狩り」連載エッセイ【ハロー三重県】第34回

「根明な友達と潮干狩り」連載エッセイ【ハロー三重県】第34回

ハネサエ.

海に突き出した半島の生まれだけれど、海が好きだったことなんて一度もなかった。
海はいつも荒々しくて辛気臭かったし、きめの細かい砂は衣類の繊維に絡みついて鬱陶しかった。地元の海でしか見たことがない1ミリほどのぞわぞわした虫がウジ虫みたいに足を這いまわるのも気味が悪くて嫌だった。一体あの虫はなんだったんだろう。

*

三重県で最初に暮らした家は車で3分も走れば海に突き当たった。
防風林を抜けるとこじんまりとした小さな海岸があって、ひっそりとした佇まいがかわいいな、と思っていた。
なんだかいろんなことが不安になったとき、ひとりでふらりと訪れてぼうっと海を眺めると安心した。まだまだ土地勘が鈍く、どこへ行くのも不安だった私が自由に拝める、数少ない世界だったのだ。
地元で海を見て大きいと思ったことがなかったのに、あそこの小さな海岸へ行くといつも「ああ、大きいなあ」と思っていた。そのくらいあの頃、私の世界はうんと狭かったのかもしれない。ひとりで行ける場所と言ったら明和のイオンくらいだったから。あの頃、私は下御糸海岸を「私の海」だと思っていた。

あれから10年経って、私の海はたくさん増えた。
なんと言っても三重県は南北に長く海岸線が続いているから、東に向かって車を走らせれば大抵海にぶち当たる。
好きな海はいくつもあるけれど、ここ2年ほどは御殿場海岸が好きだ。
下御糸海岸のような奥ゆかしさはないけれど、パッと明るい感じがするのと、近くに工場らしきものが見えるのが趣があっていいなと思う。あれは日本鋼管だろうか。
御殿場海岸は海水浴の季節に行くと大変な人なので、いつも9月や10月に子どもを連れて思い出したように遊びに行く。退屈を持て余した土曜日の昼頃とか、そんなとき。
貝でも拾ってお散歩を、と思って行くのだけど、大抵気がついたら子どもたちは足を濡らしてはしゃいで、気がついたら跳ね上げた水しぶきで全身が濡れている。けれど、三重県の9月なんてまだまだ温暖だからそれもただ楽しい。
御殿場海岸は遠浅なのがいい。
潮が引いているときに行けば、随分と沖へ向かって歩いたと思ってもまだ足首までしか濡れていない。くるりと海岸を振り返れば、前も後ろも海だらけでびっくりして楽しい。

もちろん、潮が満ちていれば当然それなりに海水浴らしくもなる。
2年前の夏の終わり。夏休みの終わりで退屈した子どもたちと御殿場海岸を眺めに行った。
そこで息子が巨大な流木を発見して、転がして遊んでいるうちに、妙にその流木を気に入ってしまったのだ。
転がしたり眺めたりまたがったりするうちに、その流木に乗って泳ぎ始めた。

流木にまたがって泳ぐ息子を見て、長女や末っ子も真似して流木を探して跨った。私は砂浜に腰かけてただその様子を眺めていたんだけれど、そのうちそれを見ていたよその子どもたちが真似をし始めた。
みんながこぞって流木を引っ張って海に入っていく。
あちこちで流木に跨る子どもが浮いていて、私のすぐ隣では父親の服を引っ張って「あれはどうやってやるの」と訊いている子どももいた。
見ているほうもいい時間だった。

*

先日、その御殿場海岸に潮干狩りに行った。
御殿場海岸と言えば潮干狩り、という人もきっといるくらい、御殿場海岸は潮干狩りで有名な場所でもある。
すぐ迷子になるタイプの子どもを育てているので、極力人混みを避けて生きているのだけど、友人家族が誘ってくれたので、それでは、と勇気を出して赴いた。御殿場海岸の潮干狩りはすごい人だ、という前情報だけは持っていた。
覚悟をして行ったつもりだったけれど、予想を上回るほどの人がいた。それはほとんど、テーマパークで、それも都会のテーマパークで、5分おきくらいに迷子のアナウンスが流れるほど、ほんとうに人だらけだった。
なんせ、長女はマイペースだし、真ん中は後ろを振り返らない。末っ子に関してはなぜなのか、迷子になっても大丈夫!といつだって自信満々で、2歳ごろから迷子になった回数は数えきれない。迷子に慣れ過ぎている。
親はと言えば迷子なんて何度経験しても肝が冷える。心臓が何個あっても足りないので、ほんとにやめていただきたいし、何度もこんこんとお話をしているのだけどどうしてなかなか伝わらない。迷子から生還した成功体験を彼らは積み過ぎている。

さて、溢れる人を見た瞬間、私は貝を探すことなど真っ先に頭から消して、「とにかく子どもを見失わない」が一番の目的になってしまった。
貝なんてぎゅーとらで買えばいい。
下しか見ていない子どもを見失わないでいるほうが、貝を探す何倍も集中力を要するに決まっている。
1か所にまとまっていてくれたらいいものを、子どもたちはそうもいかない。貝を探して下ばかり見ている彼らは迂闊に分散する。
産後間もない友人に代わって連れてきたよその子どももいたので、私が見るべき子どもは全部で5人。彼らの水着の色を脳裏に焼き付けて、常に脳裏の水着と一致する子どもを視界に収め続けるよう努めていた。お察しの通り、海岸にいたほとんどの人が水着らしきものを着ていて、もちろん子どももたくさんいた。ほとんどウォーリーを探すみたいな時間をひたすら過ごした。
眼が少しよくなったかもしれない。

*

そうやって貝を探さず、ひたすらに子どもの水着を追いかけて過ごしたけれど、子どもたちがたくさん貝を獲ってくれたのでバケツの中はそこそこ盛況だった。
獲るだけ獲ったらみんなで階段に腰かけてフランクフルトとおにぎりを食べた。まだまだ貝を獲る人がたくさんあって、彼らを眺めながらお腹を満たした。
御殿場海岸はいつもどこか陽気だ。
人がいるときに行っても、いないときに行っても、いつも明るい感じがする。

私はやっぱり秋の始まりくらいの少し落ち着いた御殿場海岸が好きだから、真夏の御殿場海岸へ行くことはこの先もそうそうないだろう。でも、真夏の陽キャな御殿場海岸が秋頃にすっかり落ち着いて、楽しかった夏の残り香を漂わせているのがまたいいのだ。

御殿場海岸は根明な友達みたいだな、と思っている。

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