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桑栄メイトの誕生と閉館、そしてその後・・・

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OTONAMIEのライターが、7月末に閉館される桑名の駅ビル「桑栄メイト」の店舗を取材して、様々な記事を書いています。
閉館後にお店を移転せずに店を畳む飲食店には、もう食すことができなくなるからと、連日沢山の行列が並んでいます。
 
私は少し違った視点で、桑名駅前に立つ「桑栄メイト」の生い立ちと、閉館後の桑名駅前の未来図を書くことで、街の記憶遺産として残していこうと思います。

私のメイトの思い出を

私は生まれも育ちも桑名なので、「桑栄メイト」にはたくさんの思い出があります。
小学生の時は3階の床屋「プラージュ」で頭をスポーツ刈りにし、帰りに「ぱいいち」で焼き鳥か「新味覚」の餃子を母と買って帰るのが定番コースでした。
成人した時には両親から「山榮堂」で彫った実印を贈られて、大人になったのを感じました。

就職してからは、観光課で「観光案内所」の移転について管理組合さんにお願いに伺ったり、ランチで「ずいほう志ぐれ茶屋」で志ぐれ肉巻きおにぎりや、「桔梗屋」の五目中華、「ドムドム」のハンバーガーを食べにいきました。
また夜には、「新味覚」のカウンターでビールと餃子や「まさきち」のおまかせコースの串揚げを食べ、「free space M」では出来もしないのに(しかも酔っ払っているのに)カホンをしたりと・・・

桑栄メイトの誕生と桑名駅の歴史

「桑栄メイト」は駅前地区の整備改善のための「桑名駅前市街地再開発事業」によって、昭和48年(1973)に完成しました。

これは昭和44年(1969)に施行された「都市再開発法」に基づくもので、 “市街地再開発竣工第1号” として、全国各地から視察に訪れたそうです。

この再開発事業は、昭和47年(1972)に商業施設が中心の「パル」、昭和48年(1973)に商業・業務・分譲住宅複合の「桑栄メイト」、そして駅前ロータリー及びバスターミナル、国道1号線への接続道路、近鉄北勢線西桑名駅(当時)の移転などを整備し、昭和52年(1977)に終了しました。

公益社団法人 全国市街地再開発協会「都市再開発法制定50周年記念誌」より引用

桑名駅は、明治28年(1895)に関西鉄道(現JR関西線)の駅として開業されました。
当時の桑名の市街地は、江戸時代の東海道の宿場町・城下町として栄えた歴史から駅よりも1km東にあって、桑名駅は街の外れ(当時の桑名町の西隣の大山田村)に設置された田んぼの中にある駅でした。

提供 国土地理院

大正8年(1929)には養老鉄道(現養老鉄道養老線)が、昭和4年(1929)には伊勢電鉄(現近鉄名古屋線)が乗り入れ、鉄道網が発達していきます。

大正14年(1925)には、発展しつつある駅前と旧市街へ通じていた細道を一気に拡幅する道路が作られます。
この道路は道幅が八間(約14.4m)あったため、「八間通」と名づけられました。
ここには昭和2年(1927)に市街地までの約1㎞の区間を走る、 “日本一短い距離の市電(桑名電気軌道)” が走っていました。

国書刊行会「写真集明治大正昭和桑名 : ふるさとの想い出210」より引用

戦時中、市電は鉄材供出のために昭和19年(1944)に撤去されました。
そして桑名は三菱重工などの軍需産業が集中していたことから、昭和20年(1945)の7月17日と24日に、単位面積当たりの爆弾投下量が全国で一番多く(711t)投下される「桑名空襲」があり、市街地の9割以上が罹災しました。

三重県「桑名都市計画復興土地区画整理」より引用

終戦後間もなく人々は、とりあえず仮設の住宅で暮らしながら復興へと立ち上がり、文化的近代都市の建設をめざしていきます。

国書刊行会「写真集明治大正昭和桑名 : ふるさとの想い出210」より引用

国の復興計画基本方針に従って、幹線道路や公園、上水道などの面的な復興整備計画が1年のうちに練られて、昭和21年(1946)8月16日の戦災復興院告示第87号をもって、県を主体としてする「特別都市計画事業桑名復興土地区画整理事業」が決定されました。

三重県「桑名都市計画復興土地区画整理」より引用

道路は防災や美観に配慮して国道1号線を30mに拡幅し、これを基本に東西南北の幹線道路を配置し、1ヶ所しかなかった公園が12ヶ所になるなど、現在の中心市街地の姿はこの時に決まりました。
この復興事業は昭和41年(1966)に、20年の歳月をかけて完成しました。

三重県「桑名都市計画復興土地区画整理」より引用

戦災で駅舎は焼失し大きな被害を受けましたが、桑名駅周辺は復興事業の施行区域から除外されたため、戦前からの老朽木造建築物や終戦直後に建築された闇市などの粗悪な木造建築物が密集している状況でした。
また、八間通の突き当たりにある駅前広場の規模は戦前のままでとても狭く、周辺の交通量の急激な増加への対応が課題となっていました。

提供 国土地理院

そんな中、この章の冒頭の「桑名駅前市街地再開発事業」で「桑栄メイト」は誕生し、その後昭和50年(1975)に駅舎はやや南の現在の位置に “仮駅舎” として移転しました。

パルの閉鎖と、再々開発のサンファーレの開業

前の章の最後に、“仮駅舎” とさらっと書きましたが、今の桑名駅は仮の姿なのをご存知でしょうか?

そういえば私が小学校の頃(25〜6年前)には、将来は四日市みたいな立体交差になると、社会科の副読本「わたしたちの桑名市」に書いてあったような気がします。

桑名駅の立体交差化は実現しませんでしたが、桑名駅にとって大きな出来事が起こります。


平成9年(1997)に再開発ビルのひとつ 「パル」が、管理会社の倒産やキーテナントの撤退などから閉鎖されるという事態が発生します。
その後「パル」は、駅前の一等地なのに落書きをされる “空きビル” として、長年放置されていました。

公益社団法人 全国市街地再開発協会「都市再開発法制定50周年記念誌」より引用

「パル」は、桑名駅と商店街を繋ぐ施設としての役割も担っていて、閉鎖によって中心市街地の求心力低下が懸念されたため、桑名市は官民共同での再生事業の実施を決定します。
平成15年(2003)に国の都市再生モデル調査地区(優良建築物等整備事業制度)となり、その前年に事業化を表明した三交不動産が事業主体となって建て替えが行われます。

施設用途は高い需要が見込まれる住宅を中心としたものに転換し、建物の低層部のみに商業・業務施設を配置しました。
駅前の再開発ビルの “日本初の再々開発事業” として、平成18年(2006)に「サンファーレ」が完成しました。
桑名駅前の開発(再開発・再々開発)が、二度も“日本初” を成し遂げたというのも驚きですね。

サンファーレWebページより引用

そして生まれ変わる、メイトと桑名駅

現在、桑名駅は今年の8月末に完成予定の「自由通路」と「橋上駅舎」が急ピッチで作られています。

桑名駅の東西を行き交う際には、駅の入場券を購入し改札内を通るか、踏切まで迂回しなければならないのと、安全の面からも大きな課題でした。
「自由通路」は駅周辺利用者等の安全で円滑な移動や公共交通間のアクセスの向上だけでなく、津波等の災害時の一時的な滞留スペースや緊急時避難経路としての活用も考えられています。

自由通路

通路と駅舎のデザインは、桑名宿の玄関口を象徴する「伊勢国一の鳥居」や、六華苑を設計したジョサイア・コンドルの建築思想「和洋折衷」、本多忠勝の兜の黒などがコンセプトです。

東側昇降部
西側昇降部

「桑名駅周辺地区整備構想」では、3.桑名駅周辺地区のまちづくりの方針に

「本物力こそ、桑名力。」 ~ 桑名をまちごと「ブランド」に ~
“本物”桑名の玄関口
市民生活と観光交流の拠点づくり

を掲げています。
桑名の玄関口としてふさわしく、安全で便利な交通結節点づくり、賑わいを生み出し、安心して暮らせる都市機能を集積した、市民生活と観光交流の拠点づくりの構築を目指しています。

桑名駅周辺地区整備構想
http://www.city.kuwana.lg.jp/index.cfm/28,64494,c,html/64494/20180827-161236.pdf
桑名駅周辺地区整備構想(概要版)
http://www.city.kuwana.lg.jp/index.cfm/28,70062,c,html/70062/20190729-173200.pdf
桑名駅自由通路整備事業資料
http://www.city.kuwana.lg.jp/index.cfm/28,70062,c,html/70062/20190729-173400.pdf


駅周辺では、交通結節機能の強化を図るとともに、都市機能を集積し再構築を図るため、公民連携手法を活用した事業方法により公募型プロポーザルを実施しました。
プロポーザル方式による公募をすることで、桑名駅前広場という市場価値の高いエリアで①民間ノウハウを活用し、市民満足度の高い②持続可能なまちづくりを目指すことに加え、③賑わい、雇用を創出して財政負担を軽減ができるためです。

そして、外部有識者による「桑名市桑名駅周辺複合施設等整備事業者選定委員会」による選定で、東口についてはナガシマスパーランドやなばなの里などを運営する「長島観光開発株式会社」が優先交渉権者となりました。
今の「桑栄メイト」の場所には11階建てのホテルが建ち、歩道橋と広場の機能を併せ持つ「ペデストリアンデッキ」、イベント広場、ロータリーや観光・物産館などが整備されます。

今年夏ごろを目途に、同社との基本協定締結に向けて協議を進めています。
公民連携の手法を活用したこの事業は、全国的なモデルとしてなるものでしょう。
屋内と屋外が一体化し、駅前が “まちの顔・憩いの場所” となる計画が、今から待ち遠しいです。

おわりに

全くの余談ですが、今の橋上通路に「日本一幅の広い自動改札機」があります。


https://twitter.com/hankyu_ex/status/1139323115547320321

理由は交通系ICカードでJR←→近鉄に乗り換える方用の改札機で、自立した機械でタッチするものは他社路線が乗り入れる駅(弥富駅や豊橋駅など)にあるものです。
ただ、ここ桑名は通路の端と端に置いてあり、両社の遊び心(!?)が好きでしたがこれも見納めになりますね・・・

 
他会社線乗換改札口のご利用|TOICA|JR東海
https://toica.jr-central.co.jp/howto/railway/transfer-yatomi.html


桑名駅は何度か危機が訪れました。
ただ、その都度全国的にも誇れる事業で、危機を脱してきました。

「桑栄メイト」がなくなるのは寂しいことかもしれません。
ただ、その先にある桑名駅前ひいては桑名市の将来像に期待しながら、残りわずかになった「桑栄メイト」のお店に行って、思い出を作ろうと思います。

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