三重県内には歴史を感じさせる場所がいくつもありますが、その中でもディープなスポットとして熊野市にある「波田須」を紹介します。
JR紀勢本線に乗って、波田須駅で下車。
熊野灘に面するリアス式海岸の終点付近。この隣の大泊駅を越えると、七里御浜という真っ直ぐな海岸線が出現します。
四方を山海に囲まれたリアス式海岸沿いにある集落はそれぞれ独自の文化を醸成していて、歴史好きには堪らないスポットが点在しています。
波田須駅から今回目指すスポットは「徐福の宮」です。
まずは徐福という人物について紹介します。
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今から約2200年前、秦(しん)という国が中国の地を治めていました。徐福はこの秦国において、不老長寿の呪術・医薬・祈祷・占星術などに通じた方士として知られています。
紀元前219年、秦の始皇帝の命令によって徐福は不老不死の仙薬を探す航海の旅に出ました。
東方の海上に蓬莱・方丈・瀛洲という三つの神山があり、ここには仙人が住んでいます。童男童女とともに不老不死の仙薬を探しに行くことをお許しください。
司馬遷『史記』より
童男童女3000人と百工(各種技術者)、加えて五穀の種子やシルクなどを携えて、大船団で東方へ向かった徐福。
中国の歴史書には、徐福は平原広沢(日本)の王となって中国には戻らなかったと記述されています。徐福らの子孫は秦(はた)と称し、農耕などの技術を日本に伝えました。
ちなみに中国で徐福は実在した人物とされ、江蘇省の徐阜村に石碑が建てられているそうです。反対に日本で徐福は伝説の人物となっているため、歴史の教科書にも登場することはありません。
さらに北は青森、南は鹿児島に至るまで「徐福が上陸した」とされる場所が三十箇所以上あって、そのうちの一つが波田須なのです。
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波田須駅から1キロも離れていない場所に徐福の宮はあります。丸山(蓬莱山)の頂上に立つ鳥居と、その奥にひっそりと佇む徐福の墓。
看板に書かれた説明によると、徐福はこの麓にある矢賀(やいか)の磯に上陸しました。当時この土地には3軒の家しかありませんでしたが、彼らは徐福の世話をしました。
徐福はこの土地に住むことを決断し、彼らに製鉄・農耕・土木・捕鯨などの技術を伝えたそうです。秦(はた)が住(す)んだので「秦住」というのが、地名の由来だとのこと。
現在は95世帯・152人(2019.8時点)が住む農山村となっています。2005年に高齢化率50%を超え、限界集落となりました。
丸山には、不老不死の仙薬だと伝えられる天台烏薬(てんだいうやく)が自生していました。
現在でも不老不死とまでは言いませんが、腎臓・胃・リウマチの薬として知られ、体内で増えすぎた活性酵素を消す機能があるそうです。お試しされる際は、各自でちゃんと調べてください(笑)。
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余談ですが波田須駅はアニメ『凪のあすから』の舞台とされていて、作中で人魚座として登場する天女座というカフェには、世界各地からファンが聖地巡礼に訪れると言います。
海の見えるカウンターで、人魚座コーヒーを飲みながらゆったり過ごしてみるのもいいでしょう。
国道311号線沿いにある徐福茶屋は、2006年に波田須の町づくりの一環としてオープンしたお店。現在は地域おこし協力隊員によって、不定休で営業しています。
詳細はFacebookページを確認してください。2020年4月の営業日は3,10,16,23,24,30日とのことです。
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ということで今回は、徐福の伝説が根付く熊野市の集落・波田須町を紹介しました。
徐福の宮は以前にもOTONAMIEで紹介されていました。「徐福の宮」でネットサーフィン中に発見。モサモサに葉が生い茂ったクスの木は、たしかに独特な世界観がありました。
以上です。バイバイ。
シティーボーイを捨てて、神奈川県から三重県南伊勢の漁村に引っ越しました。職業は新卒漁師。