第一弾の前編は岡崎の魅力をお伝えするだけに終わったので・・・
今回は晝田(ヒルタ)さんの人となりを掘り下げつつ、晝田さんがどうやって周りを巻き込みながら地域に飛び出しているのかについて迫りたいと思います。
前回の岡崎市のまち歩きのあと、私たちは三重県と29市町の職員がゆるーく集う「さんまる会」が主催するイベントへと向かいました。
晝田さん:この松並木をみると、入庁当時の記憶が蘇るんですよ
――晝田さんは入庁当初から商店街の活性化や地域活動をしていたのですか?
晝田さん:月一で名古屋で開かれる勉強会には参加していましたが、最初に就職した民間企業が合わなくて、9時5時で帰られることを希望して公務員になった “いたって普通の” 公務員でしたよ。
――それがまたどうして、今のような活動をし始めたのですか?
晝田さん:ターニングポイントは2015年の8月に、長野県塩尻市役所の山田崇さんにある言葉を言われたからですね。
どうせお前達もやらないんでしょ?
塩尻市には既に商店街の空き店舗で「nanoda」の活動をしている、山田崇さんというスーパー公務員の方がみえます。
晝田さんは後に「ここやる」の副代表になる中川さんらと一緒に、少し旅行感覚で視察に行きました。
「nanoda」で夕方から夜中の2時ごろまで飲んでいた時のことです。
山田さん:みんな講演とか視察とかで、おもしろがってくれるんだよね。でも結局、やる人はいない。やろうと思えば誰でもできるのに。
山田さん:どうせお前たちもやらないんでしょ?
お酒もだいぶ入った深夜2時にそんなことを言われて、皆さんならどう思うでしょうか?
――確かに今はやる覚悟はないかも、悔しいけど・・・
きっとこう言ったところで止まると人が多いと思います。
しかしながら晝田さんらは、図星をさされて悔しいと思うだけに止まらず、
めっちゃ悔しい・・・絶対にやる!
あんなことを言わしとくわけにはいかん、俺らもやろう!
めっちゃ悔しいと思ったのは、「どうせやんないんでしょ、お前ら」の一言が図星だったから。
図星で滅茶苦茶悔しくて、むかついたので、既にべろべろに酔っ払っていたところを、中川さんとともに午前4時くらいまで、今後やるべきことを大まかに決めました。
この言葉がなければ、「山田さんっていうすごい人と会いました。いやー、プライベートでいろいろやっているってすごいなあ」で終わっていたはずと、のちに振り返っています。
最初のきっかけは地域活性化のためにとか、自分のまちを盛り上げたいとかではなく、“打倒山田崇!”でした。
「これはやるしかない、絶対にあの鼻を折ってやる」そう誓って、岡崎へと戻りました。
ちょっとしたきっかけの積み重ね
塩尻から帰ってきた晝田さんは、すぐさま職場の同僚に報告会をしました。
晝田さん:nanodaに行ってきました!飲みながら報告会します!ぜひ、ご参加ください!
その時の所属が「商工労政課」と商店街に関係のある部署でしたが、20名いる同僚のうち参加したのは・・・
5名(晝田さん、中川さんを含む)
そこで空き店舗活用を「やりたいと思ってます」ではなくて、「やります。仲間を募集してます」と宣言したところ、リノベーションまちづくりの担当だった野澤さん、小川さんが、
野澤さん&小川さん:面白いね、俺らもリノベスクールやっているし、プライベートでもやってみたいから協力するよ。
と言ってくれて、9月にスタートアップメンバーが4人揃いました。
晝田さんは商店街の空き店舗を探し始めました。
「bar megane」というバーの隣の空き店舗に目をつけ、中川さんとともに11月にそのバーに飛び込みで飲みに行ってマスターに相談しました。
晝田さん:まちに拠点を持ってまちを盛り上げる活動がしたいんです。隣の物件を借りたいのですが、何か情報ないですか?
その時、偶然にも街の重鎮の小野修平さんが来店していて、小野さんに「ここやる」の構想を説明しました。
小野さん:めっちゃおもろいやんか、オーナーと知り合いやから連絡したるわ!
小野さんはふたつ返事で知り合いの空き店舗オーナーに連絡し、アポを取ってくれました。
さらにそのアポにも同席され、
小野さん:俺はこの若いやつらを応援したい、協力してあげてくれ!
と小野さんの強力な後押しもあって、晝田さんらは12月に無事にオーナーと店舗を借りる契約を結ぶことができました。
8月に塩尻に行って、トントン拍子に進んで12月には契約を結ぶことになりましたが、どうして晝田さんらは出来たのか。
この点について晝田さんは、3点に要約しています。
①まずは、“外” に出ること。
塩尻の「nanoda」に行ったり「Bar megane」に飲みに行ったりと、とにかく行動すること。
②そして、言葉にすること。
「俺らもやる!仲間募集!」と言っているとスタートアップメンバー4人が揃い、「隣借りたい!」と言うことで思いが叶いました。
めげずに声を出して行動していくと、偶然が積み重なって本当に運を引き寄せたのです。
③最後に、仲間。
一人では円陣は組めません。
やりたい事があっても一人で出来ることは限られていますが、仲間がいればそれぞれの得意分野でお互いを助け合う事ができます。
ちょっとしたきっかけの積み重ねで物事は進みます。
何かしたいなと思う事があれば、この3点を意識するといいかもしれません。
ここやるの活動内容は?
外に出る。
「ここやる」の正式名称は「岡崎市空き店舗撲滅運動 ここdeやるZone」。
ここやるを始めた時、
の4段階を設定しました。
晝田さんらは2016年1月10日に「ここやる」を立ち上げ、「年齢」「地域」「職業」が混じり合うように、商店街の空き店舗を仲間とともに借り、地元の人と一緒にご飯を食べ、イベントを実施して、誰もが「一歩を踏み出せる」ための活動に取り組んでいます。
約半分のイベントは晝田さんら市職員が主催しますが、残り半分はまちの人たち主導によるものです。
・毎月第4水曜日の「たべおか!」という晩ご飯会では、自分たちが食べたいものを作ったり、周りのお店から買ってきてみんなで集まってご飯を食べる
・他自治体の職員を招いて、その地域の紹介(20自治体超)
・まちの人の話を聴く会という、商店主のおじいちゃんをゲストとして招いて、まちの思い出や、歴史を知るイベント
それ以外にも、サンマを食べたいとかミニ四駆をしたいとか恵方巻きをしたいとか、とにかく「ここやる」は「やりたい!」を何でもやれる場。
そして、大学生から80歳近いまちの方まで幅広い人が集まれる場なのです。
言葉にする。
毎月の賃料や光熱水費は、役所の先輩に「漢気(おとこぎ)でお願いします!」と口説いてカンパを募り、その賃料を賄うというのも面白い点。
「今後、こういう活動をやります」と、仲の良い先輩方や外部の人に言いまくって、「応援するわ」と言ってもらうと、後に会った時に「言いましたね?」と念押しして、漢気(カンパ)をもらっています。
お金を出してくれた先輩には「応援してくれる人は他にいませんか?」と聞いて、さらに応援の輪を広げている。
この事について晝田さんは、嬉しかったのは「何やるかわからんけど、晝田だから応援するわ」と言ってくれる先輩がいたことと振り返っています。
「まちを何とかしたい」という想いで役所に入ったけど、結局何もできないままこの年齢になってしまったので「自分の想いを託したい」という方の応援など、今では岡崎市役所職員を中心に40人くらいの方が「漢気」として協力しています。
出る杭は打たれるが・・・
公務員というのは、特に「出る杭は打たれる」もの。
市役所はブレーキを踏める人は沢山いますが、晝田さんは常にアクセルを踏み続けています。
「ここやる」を始めた頃にまちづくりを行う市民グループから、
公務員のお前らに何ができるんだ!
俺らが真剣にまちづくりをやってんのに、遊び感覚でやってもらっちゃ困る!
と言われたそうです。
これには「一緒にまちづくりをしていきたい」と丁寧に説明して、理解を得ていきました。
まちの方々がやる餅つき大会とかのイベントごとには必ず参加して、顔を覚えてもらいました。
顔なじみになれば、応援もしてもらえる。
まちの方々から嫌われたら即終了なので、会ったら必ず挨拶することや、何かしてもらったら丁寧に御礼を言うとか、人として当たり前のことをしっかりやって信頼関係を築くいていきました。
また、役所の中ではすごく評価する人もいれば、直接的にではなく「生意気」「態度が大きい」と周りから伝え聞くことも。
遊んでる暇があったら仕事をしろ!
そんなリスキーなことやってどうするんだ!
と指弾する声もあがりました。
四面楚歌に思える状況でも、山田崇さんに「どうせやらないんでしょ?」って言われたときと一緒で、「負けるもんか!」と思って活動の原動力にするのが晝田さん。
そう言う人を「見返してやる」という思いで突き進みます。
敵ばかりでなく、仲間も多く現れました。
まず最初に、市長や副市長などに根回しをしてくれた課長の存在。
「ここやる」を始めるときに、プレスリリースを配信すると課長に報告した際、すぐ「わかった」と言ってくれた方です。
翌日くらいに市長や副市長に会う機会をつくっていただいた際に「何をやるか、お前らがしゃべれ」と言われ、直接市長、副市長から「おもしろいやんか、がんばれ」とエールをいただきました。
それだけではなく、その後すぐに人事や秘書課の役職者に対しても「若手でこんなことをやっているやつらがいるからよろしく」みたいなことを言って、部下がこれから行おうとする事を後押ししてくださいました。
他にも、空きスペースの賃料をカンパしてくれる先輩や同僚たちなど、晝田さんの周りにはいつも支援者の姿がありました。
出る杭で打たれるということもあるけれど、本当に応援してくれる人もどこかから現れてくる。
そうして活動していった晝田さんら「ここやる」のスタートアップメンバーの4人は、庁内の「部課長会頑張る職員 金賞」を獲得しました。
この賞は部長や課長が公費からでなく、自分のポケットマネーからお金を積立てて、頑張っている職員を表彰するものですが、これには副市長の強い推薦があったそうです。
その結果、2016年からの3年間で、
という実績を残しています。
さらに、「ここやる」に参加するメンバーが自主的に車を借りて、災害ボランティアチームとして何度も被災地を訪れるなど、参加者が同士で何かを創っていくなど、進化し続けています。
桑名生まれ桑名育ち。大学で県外に出て改めて地元の良さを知りました。桑名の良いところを発信します!
得意ジャンル
観光・イベント・歴史・文化・グルメ