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アッパッパ貝って!? 食材の宝庫・南伊勢町で愛される味の物語。

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私はライフストーリーが好きだ。

取材などで人のお話を聞かせていただくときは、
必ずその方の生い立ちから聞かせていただくことにしている。

いま、生きているということ。

その背景にはたくさんの物語が潜んでいる。

今回取材させていただいたのは、
三重県南伊勢町にあるアッパッパ屋の濱地夫婦だ。

アッパッパ貝とは、
知る人ぞ知る南伊勢の三大名物のひとつ。

その独特な味と綺麗な姿形から人気を集めている。

片貝を剥いて、開いた状態。

いまの生活が一番ええ。いまし生きとるのが一番ええの。

そういう気持ちですんさ。

今回の取材先・アッパッパ屋の濱地武さん。

いまを一番楽しく、おもしろく。

濱地夫妻の「優しい」生き方は、
笑いの絶えない取材からみてとれた。

濱地武さんと妻の三保子さん。それに、アッパッパ貝。
夫婦の仕事風景を追った。

都会にいたら出会えない「アッパッパ」という貝

神奈川で生まれ育った私は、
三重に来て初めてアッパッパ貝を目にした。

海から運んできたアッパッパ貝。

ホタテとよく間違われるが、
まったくの別物である。

この貝は非常に特徴的な性質をもっている。

生きているアッパッパ貝を触るときは、
決して油断することなかれ。

二枚貝に指を挟まれるかもしれないし、
勢いのいい水鉄砲で攻撃を食らうこともある。

もちろんたいしたことはないが、
動作が急だからビックリする。

口を開けたり閉めたりするから、アッパッパ。
同じ理由で“パク貝”と呼ぶ地域もある。

もうひとつの特徴が、色だ。

これは比較的珍しい色。

多種多様な色がある。

アッパッパ屋のある南伊勢町では、
方言で虹色のことを「アズキ色」と言う。

よってアズキ貝、
または単にアカ貝と呼ばれる。

もし図鑑で調べたいと思ったら、
緋扇貝(ヒオウギガイ)で検索するといい。

緋色で扇形の貝ということだ。

どうして呼び名がこんなにあるの?

アッパッパ屋ではこの貝の加工販売をしているが、
お客さんには必ず説明が必要だという。

というのも、
よその土地では知名度がない。

呼び名がバラバラなのも
広く流通していないことが原因で、

そもそも南伊勢町でアッパッパといえば、
地元の人が食べるだけのものだった。

 

アッパッパ屋さんにあらためて聞かせていただく。

「アッパッパ貝ってどんな貝ですか?」

私の質問には、妻の三保子さんが答えてくれた。

ホタテは寒いところで育つから貝殻は色白だけど、

この貝はあったかい地方でしか育たないから、

味が濃くて個性的なんです。

活動的で情熱のある三保子さん。やりたいことをたくさん話してくれました。

アッパッパ貝は、料理人泣かせの食材らしい。

もともとの味が個性的で、
そのまま食べるのが一番美味しいからだ。

 

味が濃くて、個性的。

 

三保子さんの冗談曰く、
それは南伊勢の人間と一緒らしい。

私の名前は「三つ保つ」で、三保子。
何を保っているかわかりますか?

「美とか……健康ですか?」

バカ・アホ・マヌケ。アッハッハ!

……たしかに、個性的だ。

作業中に聞いた“金の卵“”のはなし。

一連の作業工程を見学させていただく。
まずは仕入れてきた貝の殻を磨くところから。

貝磨きの様子。

僕は金の卵やったんやで。

アッパッパ屋の雰囲気は、
黙々と作業というよりは和気あいあいといった感じだ。

取材中も常におしゃべりが楽しかった。
ここは少し、武さんの言う“金の卵”とやらに耳を傾けたい。

人手が必要だった戦後の高度経済成長期。
田舎から都市部へ集団で上京した若者たちが“金の卵”ともてはやされた。

中学を卒業してすぐ、
神奈川県の自動車工場へ就職した武さんもそのうちの一人だった。

インターネットもない時代だ。
遠い土地に行くことへの不安もあったことだろう。

不安? 全然ないさ。楽しいことばっかやんか。

そのために行くんやんな。

なにが楽しかったのだろう。

何が楽しいって楽しいことだらけやったで。

はよ仕事終わりたくて。

ダンスホールとかカクテルバーがよう流行りおったわ。

真面目な青年(私)は、
陽気な武さんにぐうの音も出ない。

作業、時々休憩タイム。

おっちゃんらは大人の遊びはしなかった。

子どもらでじゃれてる遊びばっかしよった。

若い子らとみんなでイチャイチャしながらって感じやな。

 

仕事はどうやって決めたのだろう。
やっぱり、車が好きで?

いや、なんになろうとかいう気持ちはなしに行った。

たまたま自動車へ行っただけでさ。面白かったけどな。

武さんは東京・神奈川で遊びつくしたあと、
27の時に地元・南伊勢へ帰ってきた。

そして60歳になるまで農協を勤めあげ、
その翌年から夫婦でアッパッパ屋を始めた。

悔いっちゅうのは全然ないで。

武さんは自分の生きてきた道を振り返ってこう言う。

こんなことしてたらとか、

若かったらこんなことしたいなって気持ちもない。

いまの生活が一番ええ。いまし生きとるのが一番良いの。

なるほど。

武さんの哲学が心に響いた。

アッパッパ屋の商品が完成するまで

話しているうちに、
あっという間に貝は綺麗になった。

綺麗にした貝は、再び海へ持っていく。
真水ではなく、海水で洗うためだ。

仕事場から海までは軽トラで五分かからない。
パシャパシャと何度か浸けて洗う。

そしてまた仕事場へ戻り、
次は二枚貝の片方だけを取り除く。

剥いてみると、想像以上に身が大きい。
牡蠣ナイフよりも柔らかくて、クニャクニャする。

最後に肝を切り取ってから、
袋詰めすればすべての工程が終了する。

肝を取るかどうかは、お客さんの注文次第だ。

 

アッパッパ屋を始めるきっかけは、
どんなことだったのだろう。

三保子さんはこう言う。

アッパッパ貝ってすごくおいしいのに、地元でしか食べてないからみんなに発信したいなと思って。

それで始めたんです。

取材でいただいた、アッパッパの刺身。

茶碗蒸しに入れて食べるなど、
子どもの頃は近所の漁師からおすそ分けでよく食べていた。

おいしいと知っているからこそのアイデアだった。

アッパッパの唐揚げ。つまるところ、何をしてもおいしい。

ネックは日持ちがしないこと。
そして貝殻のままだと調理しにくい。

それなら料理しやすいように片貝外して、真空パックにして冷凍したら、冷凍庫に入れておいて好きな時に食べられるでしょ。

アッパッパ屋の商品は、
このようにして誕生した。

次は、アッパッパのたこ焼きを開発したい

私は貝殻だけでも事業化できると思うの。

そう言って見せていただいたのは、
アッパッパの貝殻を利用したキャンドル。

そして綺麗な貝殻を選んでパック詰めした、
その名も貝空物語。

姿形がここまで特徴的なら、
きっとなにかに活かすことができる。

これはゴミじゃない。

アッパッパのたこ焼きもやりたいの。

たこ焼き器もすでに用意してある。
近々イベントで販売してみる予定だそうだ。

ほかにもアッパッパ屋は民泊も開始した。
土日だけの営業だが、Airbnbを通して海外からもお客さんが来る。

 

これだけたくさんのことに挑戦するのは、
アッパッパ貝に強く可能性を感じているからだ。

武さん:後継ぎたいって人がおったら、継いでもらうとええんやけどな。なかなか事業化は厳しいと思うで。

三保子さん:武ちゃんのやり方だったらダメ。武ちゃんみたいに消極的だったらダメなの。

武さん:あちゃー!

夫婦のコンビネーションも最高だ。

三重県南伊勢町から全国へ。
これはアッパッパの魅力を伝える夫婦のお話。

冗談の飛び交う楽しい取材、ありがとうございました!

 

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