どうやらこの世界には自分が無能になるシステムがあるらしい。広瀬隆(ひろせたかし)さんを取材した際、辿りいた真実だ。
行方不明者発見
東海地区に住む人なら一度は彼の声を耳にした事はある。「広瀬隆」。彼は地上波ラジオで名の知れたパーソナリティだ。またバンドマンである。突然ラジオ界から姿を消した。FMミエで放送されていた「広瀬たかしのラジオ魂」は私もリスナーの一人だった。ラジオから姿を消し2年が経つが、彼はどこで何をしているのだろう。
以前、記事にしようと話していた事を思い出し連絡をとった。久しぶりに聞く彼の声は元気だ。そして、彼の話を直接聞きたいと時間を作ってもらった。
生存確認に来ました。
名古屋で会う予定が、近鉄津駅で待ち合わせることになった。彼がパーソナリテーをしていた頃、スタジオに呼んでもらった以来の再会だ。彼は気さくなままで、サングラス姿も変わっていない。
彼の運転する車に乗ってゆっくり話し込むことができる。聞く所によると、名古屋市中川区にある株式会社中部太一と言う食肉降ろしの会社に勤務していると言う。そして自身のバント、「めるへん堂」も変わらず活発に活動をしていた。
車内では、音楽もラジオもつけず二人の声が響く。会話の合間に、聞き馴染みのある「ラジオ魂!」、と言うような番組タイトルが響いてきそうな空間だ。このリアル感はとても贅沢な時間だと感じた。車内の会話を録音するなら、番組でも作れそうだと錯覚し、笑いが出る。
ラジオ魂の魂って何?
広瀬さんに質問する。すると、かつて番組のタイトル等はディレクターが用意し、自分で決めた事がないと言う。それで「ラジオ魂」と言うタイトルが付いたのも、本人は「ふ〜ん、そうなんだ」と感じたと言う。私はこの記事の切り口に「魂」を軸にし、男らしい記事を書く想定をしていたが、早くも散った。
車内で音楽やラジオをかけていない事が気になる。すると「音は無音のままがいいんだ」と返ってくる。「時々ラジオや音楽は聴くが、それはどんな仕事をしてるいのか」など、自分の研究用と捉えていると話す。
彼の行きつけの寿司店「竹寿司」でランチをとる事になった。とてもリーズナブルで質のいいランチに満足する。この竹寿司は、かつてKIRIN HIRO’S BARと言う番組でよくお世話になり、常連となっている。そしてここで自身のバンド「めるへん堂」が結成40年を迎え、新しい楽曲を作ったとの事で音源を頂いた。
結成40年とは凄い。かつてザ・ベストテンと言うテレビ番組があったが、その昭和の時代の話だ。今で言うJポップ全盛期に、メルヘン堂はメジャーデビューをし上京している。年数で言うと、伊勢のまんぷく食堂のような老舗の歴史ある存在となってくる。
そして広瀬隆として東海圏のラジオで番組を持ち、パーソナリティーとして30年ほど活躍し、最近その全ての番組から姿を消した。今回、彼のとった行動の謎の答えを得る事、それが最大のミッションだ。
スタジオ拝見
めるへん堂のスタジオに向かって車は走る。ふと気がつくと自分が質問され喋らされてた。これが彼のテクニックだ。さすがのキャリアから出てくる語彙力と流暢に切り出される言葉の返しが、私を心地よくさせ、余計な事まで喋らせるのだ。そして奥村自動車と書かれた大きな看板の下に来た。この一室にバンドメンバーが集まる場所がある。
記事を書くネタとして、彼のサングラスを外した所をスクープできないかと密かに狙う。
記事を書くネタとして、彼のサングラスを外した所をスクープできないかと密かに狙う。なかなかスキを見せない広瀬さんだ。「そのサングラスは外したことはないんですか?」と柔らかに攻めた。するとテレビ局仕事のオファーが来た時の事を話してくれた。
東京でのインタビュー案件ですごく喜んだが成立しなかった。ただ条件が一つあった。それは「サングラスを外す事だった」と。この話を聞き、サングラス企画も自分の中で潰れた。
攻め手を無くす自分は、月並みに音楽の事を聞くしかなかった。そこで改めて知った広瀬さんの作り出した作品の数に恐縮する。なんと楽譜なしで歌える自身の曲が500作品はあると言う。凄い。とにかくプロミュージシャンとして40年の経験を持った人とは稀有だ。
司馬遼太郎の人間観察力
車の中の会話で、小説家司馬遼太郎の名前が出ていた。広瀬さんのお気に入りの作家だと言う。言葉の選択や話す筋の文脈などにきっと影響を受けていると仮定し調べた。
司馬遼太郎の人間観察力で言葉の方言を解くと、大阪弁は潤滑油の方言であり感情のみだ。それは哲学的思考がない方言である。また接触的な事柄を曖昧に「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな〜」と正体をくらますには最高だ。と例える。また長州弁は「〇〇であります」などと横から横へ手渡しにはもってこいだ。だから国会での討議では明治維新の影響で長州弁がよく使われているのに納得する。
有名な著書「竜馬がゆく」では、「このままではいかんぜよ」と土佐弁は劇的に聞こえ、人の心を揺さぶった。まるでしないで叩き合うような響きが司馬遼太郎は抜群だと説く。
広瀬さんの叩き上げで培った世界観、音楽を通じて磨かれた感性も加わり人を捉える。彼の言葉の選択には、この司馬遼太郎の人間観察に似た、内面の深さを感じるのだ。
ROCK!と言う理念
働くことの興奮が持てるなら、どんな仕事であろうと関係はない。だが自分の取り組んだ仕事に泣くほどの働きができなかった。
彼は仕事中毒者ではない。ただ社会の歪みに疑問を持ち続けていたロックミュージシャンだ。「果たして、今やっている事は人に必要なのか」、「この仕事は誰本意なのか」と、真剣に考え続けた。
理念は内奥の深さだ。正しい理念が無ければ人間社会で生きていけない。そんな力強い言葉が背中から聞こえて来る。
居酒屋 HIRO’S BAR的な話
さて早い時間から居酒屋に入った。ビールといえばキリン。キリンといえばHIRO’S BAR。飲み屋カウンターでのこぼれ話番組だ。この「や台ずし」と言う居酒屋で、さながら番組のような話が始まる。
2人が揃うと共通の知人や楽曲の事から始まる。またミュージシャンのプロデュースや、育成プロセスで盛り上がる。時々撮影するが、話が面白くて仕事にならない。
時々我に返り「この話題をどう記事にするか」、「どう書けば、彼をcoolに書けるだろう」と考えている。すると。
「おーーい!よっちゃん!」と彼が呼ぶ。どうやら自分が、動かなくなっているらしい。「あっ、今、記事をどう書くかを考えてました!」と反応する。いい酒の場だ。
思考を活字へ
取材から帰り、居酒屋で考えていた事を活字へ変換する。だが言葉を探し当てるのに困難する。話題になった階層社会。偶然ここに法則がある事を見つけた。広瀬さん、居酒屋で言葉に出来なかった事が解ったので、ここに書いておきます。
例えば、無能な人間を「波に乗らないサーファー、書かない作家、撮らない写真家」と自分を例にしてみる。
誰でも無能の自分の領域がある。それは今まで出来ていた自分から、出来なくなった自分へ移行する時がくる。これを社会のヒエラルキーピラミッドで階層組織を昇進して行く人事とするなら、仕事が出来ない無能者となって行った上司にはいったい何が起こったのか。どうやら階層社会での多くは、それぞれの能力レベルに達し有能者になる。そして出世する。特徴として、生産責任を果す能力のある地位から昇格し、管理者に昇格する。その流れの最後は、いずれできなくなる地位に昇進させられていく構造となっている。つまり階層社会の最終的出世は、無能な自分が待っている事になるのだ。
人事での法則でよくあるのが、上司に対し逆らう事をしない部下が昇進する。すると彼は、ただのイエスマンに成り下がった上司になってしまう。それは命令をただ伝達するだけの上司、その部下の現場は混乱する。よく聞く話だ。
また技術の叩き上げで昇進をした上司が、自分の好きな事は部下に任せず、余計に人の技術仕事まで自分でやってしまう事になる。この場合結局部下が育たず、仕事がたまりクレームになる。叩き上げで技術があっても、部下を育てる能力の乏しい職場の典型だ。見せかけの例外の昇進。それは仕事ができる出来ないに関係なく、人事の邪魔的存在が別の非生産的な場所への移動がされる事だ。人によっては自分は昇進したと喜ぶが、それはただの平行移動だ。階層社会は今までの人事を正当化をし、長い肩書きを与える事でモチベイションをあげる技を使う。
この階層世界でも、どうしょうもない無能な者は首になる場合がる。それをスーパー無能者と呼ぶようだ。その反対にスーパー有能者も存在する事実がある。
仕事ができる有能者が消えて行く訳
良質な仕事をする有能な者が、生産的な良い結果を出していても解雇される話は珍しくない。また会社から抜け出す人も少なくない。その理由は彼らがスーパー有能者であるからだ。この法則で行くと階層社会で排除されるべき率が最も高いのは、有能な者なのだ。
昇進社会の構造に、こうしたひとつの法則ある事がわかってきた。広瀬さんは引退した訳ではないが。彼の行動の本質はまさに、この社会のシステムから自分を解決する事であった。
意図的に無能者となる事で、自分が昇進されないようにコントロールする。一見それは群れから孤立する動きに見え、階層社会の頂点からは愚かに映るかもしれないが、結果的には自分を守る最大の術なのだ。
復帰
この生態調査で分かったことが二つある。それは今も誘って頂いている番組があると聞いた。広瀬たかし彼は現在進行形である事。いずれまた地上波に彼は戻って来る。その時私たちは、リセットされた広瀬隆を知るのだ。そして正しい理念を持つ事で働き方が面白くなる。然すればどんな仕事も面白くなると言う事だ。
広瀬さん読者の反響が大きければ、また地上波ラジオに復帰してくれるますか。
話は、ネットラジオへ続く。
広瀬隆の「終わらないラジオ」
Special Thanks
【ラジオリスナーさんの声の一部を紹介】
♦FM三重のラジオ魂ではラジオネームみきをくん、CBCでは四日市のみきをと名乗っていました。いまは違う名前で出ています。一日じゅうラジオを聞いている身としては広瀬さんがラジオから消えてつまらん。人はときどき行方不明になりたいもんだけど、あまりにそれにふれていないと、本当はあの人は実態がないホログラムとかCGだったんじゃないかと思えるときがある。毎年ポールマッカートニーの誕生日に広瀬さんのライブをやってた津の「くつろぎや」も閉店してしまったし、広瀬さんとわれわれのタッチポイントは減りつつある。ときどきどこかでライブしている話は耳にするけど、やっぱりラジオの広瀬隆でいてほしい。毎日なにを投稿しようか考えるエブリディが自分でも好きやったのよ。なんか急に「ウ二と真珠とかに玉と~♪」ってカラオケで替え歌歌いたくなった。
あたしが子供のころ深夜にラジオをふとんの中に持ち込んで「CBCトップリクエスト」を聞いてた。ラジオは背伸びしたい子供たちと情報源だったし、あたしにとって生活に欠かせないもの。その中心のほうに広瀬さんがある。そんな人と大人になっていっしょに飲んだり仕事したりっていうのは、12歳ぐらいのあたしに教えてあげたいと思った。年とるとこんなおもしろいこともあるんやでって。:みきをくん
♦vol.41 も聞いて...私が最後に広瀬さんを見たのが平成元年で,その頃の印象と比べると...オヤジの渋みは出てきたけど,サングラスの広瀬さんは変わらないよなと!
私も行方不明リスナーだったのでしょうが,いつも喜怒哀楽それぞれに口ずさんだめるへん堂の曲.
今でも現在進行系の広瀬さんってカッコいいし,いつかは「あのころはありがとうございます!」と言って酒を飲みたいです:K.K
♦ラジオでの広瀬隆しか知らない人は確かに行方不明になったと思うかもしれませんね。でも、めるへん堂というミュージシャンの広瀬隆を知っている人は決して行方不明になったとも思わないし、今も基本的には何も変わってないと思います。僕にとってはそう映っています。:Y.T
♦俺は一緒にフットサルをした時にサングラス🕶を外した広瀬の兄貴の素顔を拝見しました。兄貴‼️またラジオに戻って来て下さい‼️:S.S
yoshitugu imura。Otona記者。サーファーからフォトグラファーに、海に持っていったギターでミュージシャン活動もする(波音&Ustreet )ドブロギター奏者。 伊勢市在住。この記者が登場する映像