人生には生涯を左右するブレイクスルーが存在するらしい。
ブレイクスルーを体験した者は「これだ」という瞬間があるという。
それに気が付いたとき、直後の記憶はなくなるほど興奮するみたいだ。
そんな絶頂の興奮を味わえる人生は、すばらしいと思う。
それが一体どういうことなのか、とあるサイエンティストに会いに、三重の離島坂手島に訪れた。
坂手島は鳥羽マリンターミナルから定期船で約7分。
離島とはいえ、鳥羽市の対岸から目と鼻の先だ。坂手島は江戸川乱歩の奥さんの出生地でもある。
ついついシャッターを切りたくなる魅力的な島の風景を眺めながら、坂手島の船着き場から少し歩くと、サイエンティストは研究所で出迎えてくれた。
岩尾豊紀 博士
鳥羽市水産研究所勤務
三重大学生物資源研究科卒業
三重大学大学院卒業
岩尾博士はわかめなど海藻や牡蠣などの貝類の研究者。
小さいときから生き物に興味はあったものの、中学生の時はカメラマンや映画監督に憧れていたという。
博士「大学の研修で、ダイビングをしたんです。泳げないのに(笑)。そうしたらゆらゆらと大量のわかめが揺らいでいて、うぉって。不思議な生き物だなと思ったのが原点です。」
二十歳前後のころから自然科学、特に植物に強い関心があったという博士。陸の植物ではなく、海藻との衝撃的な出会いが、博士の研究の始まりだった。
博士「学生時代、就職をするということは一切考えていませんでした。」
大学そして大学院を卒業する予定となり、今まで就職活動について何も知らなかった博士は、後輩に就活の方法を聞いたという。
一度は就職したものの、やはり研究への気持ちが高まり再度博士号を取得すべく再受験。大学院で研究の日々が再び始まった。
とある研究で、壁にあたったという。
論理的には正しいはずなのに、なぜか上手くいかない。その研究はある物質の色が変われば成功を示す。その研究が成功すれば世界初となる、人生を左右する研究だ。
来る日も来る日も実験をするが、色が変わらない。頭の中で論理を組み立て直しては実験に望む日々。泊まり込みも日常茶飯事。頭の中に疑問が浮かんでは解消されず、地道に一手一手を尽くす日々。研究室のデスクに向かっては、背後にある実験中の物質を確認するも、色が変化しない。
そんな常に頭に靄がある状態で、ふと訪れたコンビニで目にした歯みがきと牛乳寒天の製品。
あれ?これって・・・。もしや!!
そこで得たヒントを持って、研究室で再度実験。実験開始から約600日が経過していた。
ふと背後にある実験中の物質に振り返ると、色が変わっていた。そう、ついに研究に成功した瞬間だった。
「やったぞ」研究に成功した瞬間、博士は腰を抜かしイスから転げ落ちたという。
過労と実験の成功で頭が真っ白になった博士は、どうやって帰路についたのか、断片的な記憶しかないという。
博士「帰り道にブラームスの2番を聴いていたのは覚えてます。あと電車を降りて家に向かう途中、心の底から喜びが湧いてきて雄叫びを上げたことも(笑)。」
その後、検証を重ね学会で発表。
博士「実験に成功した瞬間から、ダダダーと自分がやるべきことが決まりました。それも異常な速度で。そのころの日常って、実は時間の速度が速すぎてあまり覚えていないんです。」
現在は博士は、牡蠣、海苔の種付けの為の胞子、わかめの赤ちゃんをつくる等の研究や生産をしている。
また伊勢市に暮らす博士は、地元のデザイナー中谷武司さんと一緒に利き海苔セットを作ったという。
利き海苔は商業目的ではなく、地産品である海苔を媒体に地元の素晴らしさに気が付いてもらう為のもので、アートディレクション的な役割を中谷さんが担当。海藻のプロフェッショナルである博士が海苔の違いを商品を通じて伝えることで、日本人の繊細さに気が付いてもらうという商品だ。
博士「漁師さんや漁村の風土を知ることも楽しい。そういった方と接点を持ち始めたときから、メキメキと仕事が楽しくなってきました。」
三重県にはまだまだ、博士のようなプロフェッショナルがいる。そしてそのようなプロフェッショナルの方々が、生産者の方々やアートディレクターと一緒になって地場産業を支え伝えようとしている。これからの時代、地域を創っていくのは、そういった新しい視点を持った方々だと思う。
あなたが最近食べた味噌汁に入っていたわかめは、博士が育てたわかめの赤ちゃんだったのかも知れない。
ローカルな暮らしは、どこかで何かが誰かと繋がっている。
それは、あなたの暮らしにも繋がっている。
村山祐介。OTONAMIE代表。
ソンサンと呼ばれていますが、実は外国人ではありません。仕事はグラフィックデザインやライター。趣味は散歩と自転車。昔South★Hillという全く売れないバンドをしていた。この記者が登場する記事