日本三大渓谷の一つ、大杉谷。
伊勢を流れる宮川の上流、そこを辿れば三重県最高峰の日出ヶ岳がある大台ケ原だ。
私の仕事はもっぱらスチールカメラでの撮影だが、時折とある映像製作会社さんにいろいろな仕事現場を見せていただいている。今回この三重の最高峰に繋がる険しい崖道にテレビ取材が入るということで、2つのルートからの撮影に誘っていただいた。それは奈良県から車で大台ケ原に入るルートと、大杉谷から徒歩で宮川の沢伝いに登っていくルートだ。
奈良ルートは車で回りこむため、同じ県内とは思えないくらいアクセスに時間がかかる。でも山頂につけばそんな事はスカッと忘れさせてくれる素晴らしい景色が待っている。
この記事もそういった絶景とか自然をとり上げた記事にしようと思っていたが、宮川から登る大杉谷ルートの取材で、その思惑はぶっ飛んでしまった。
そこで見たものは、峻険な自然の現場と、仙人と呼ばれていた山岳ガイドの姿だった。彼は本当に仙人だった!私のカメラは自然の絶景より彼を追いかけてしまった。
【 谷に住み続ける仙人 】
AM8:00
撮影クルーのチーフが「仙人と話があるので待っていてください」と言って車を降りた。山岳ガイドさんだと言うことは雰囲気で分かった。
登山道入り口には『この山道はハイキングコースではありません。登山用の装備をして入山してください。』といった旨の警告が書かれている。ましてこの日は天気予報で雨が降るときていた。
渓谷の絶景を映像に収めようとすると、それなりの機材が必要である。今回は4人がかりでカメラや機材を持ち込み、細い登山道を歩いていく。実際に撮影しながらの登山となると、どれほど過酷になるのか想像できよう。
とはいえ、高所恐怖症の私がこの後とんでもない恐怖のルツボに落とされるとはつゆ知らず、笑顔でやる気満々で登山に臨もうとする自分がいた。
【 大杉谷登山道 】
「宮川の上流は日本一の水質なんだよ。綺麗でしょ!」と、登山道に入る前に語り出した仙人(巽さん67歳)。彼は大杉谷山荘の館長さんだ。今回彼の先導で登山道に入っていく。
ーえっ!これってー
入り口から言葉が出ずに、その場にたたずむ。
命綱代わりの鎖が繋がれた登山道が現れた。岩をダイナマイトを使って付けたというが崖下30〜40mはある。こういう場面では自分の感覚が皮肉にも研ぎ澄まされていく、それは恐怖だ。圧巻というより命の危険をすぐ感じた。もう足元しか見ることができない。道幅30㎝で鎖すらない道もいきなり出てきた・・それもかなりの高所。
【 あっ、これは確かに・・】
下がるに下がれない。鎖をつかみカニ歩きをするが、今までの笑顔がぶっ飛んで青ざめた顔になっていた。仙人がすぐに私の変化に気がつき、「なかなかのへっぴり腰だね!」と言う。「いや、これは誰でもそうなるでしょう!」っと思わず言い返したが、仙人は「井村くんを撮影したほうが面白い絵が撮れるよ。」とクルーに親切なアドバイスをしていた。
この山に5回入っている撮影チーフが言うには、仙人が進むスピードには誰も追いつけないそうだ。そんな歩く姿を見ていると、なぜこの大杉谷に住み続け、山岳ガイドをしているのかと疑問が出てきた。それに対して仙人はこのように答えてくれた。
彼は40歳頃まで松阪で百貨店の営業をし、仕事中心の生活をするのが当たり前のように生きてきた。でも大人と言われる齢になって、自分のしたいことが何もできていない事に気がついた。そこで地元の大台町に戻り、好きだった自然の中で山荘を経営することになったと言う。
私にも共感できる話だ。
でも、夢とかやりたいことを実現するにも収入がなければ成り立たない。この率直な疑問に対しても、仙人はまた快く説明してくれた。
彼は主にガイドの仕事で生計を立てている。町役場や奥伊勢フォレストピアからの依頼を受け、冬前に閉山するまで悪天候の時以外は山に入るらしい。どうやらとても忙しい日々を過ごしているようだ。40歳で脱サラして、山荘経営と山岳ガイドを生業としていることが解った。
そして最大の謎、なぜ仙人と呼ばれるようになったのか。それは彼の生活している場所を見れば、聞かずとも納得する所だが。
まず周囲に民家がまったくなくテレビも映らない、発電所が歩いて5分の所にあるので、採れたての電気だけはある。時々猿が遊びに来て、鹿も現れる。水道という便利なものはないが、宮川の天然水が目の前にある。携帯は繋がらないので、町に出かけた時に携帯の着信履歴を確認してはかけなおしてくれる。基本的に連絡を付けたければ直接山荘に伺うのが一番いいらしいが、だがほとんど山にいるので留守が多い。どう考えても不思議なおじさまだ。
10年前の台風で、山道に土砂が崩れて大杉谷が入山禁止になったことについても、「もちろんあの被害で山荘経営はできなくなったよ。でもそこに住み続けているんだ。」と話す。入山できるようになったのは去年の事だが、それまでずっとこの山に住み続けているとは、まさに仙人と呼ばれるにふさわしい筋金を感じた。
とにかく彼のしたかった事は、山の自然の中で暮らすことが夢だった言う。「井村君は好きな事ができているかい」と逆に質問されたが、共感できると伝えると、どうやら私のことを気に入ってくれたようだ。あとでいい場所教えてあげるよと約束してくれた。どうやら写真で絵になるところがあるらしい。そして仙人のトークは面白く初めてこの山に入った高校2年生の夏休み事を話してくれた。
【 仙人が初めて大台ケ原山系に入った時 】
一人で山に入るのは危険だと知っていたので、同級生数人と学校の先生を巻き込んで山に入った。その頃の山道はまだ整備されておらず、足場がいつ崩れてもおかしくない状態だったらしい。案内板もなかったから、案の定、道に迷って帰れなくなったという。何か見えないかと高い木に登ってみると「向こうで人が歩いてる!これで道がわかった!」と手がかりを発見。行ってみたら、それはなんとクマだったとか。そうしたトラブルがあっても、どうにか一週間かけて無事下山できたんだと楽しそうに話してくれた。
「この山の自然は世界に誇れるものなんだ。」と彼は力強く話す。そのことを下流の伊勢の方々に是非とも知っていただきたいとも言う。仙人の生活ぶりにもっと興味が出てきたので、チャンスがあれば山荘の中にもお邪魔したいと思うところだ。
それにしても大台ケ原の大自然は素晴らしいの一言!仙人がここを愛してやまない気持ちもわかる。日出ヶ岳の山頂といい、大杉谷の絶景といい三重県にこんな大自然があるのだと思うと誇らしくなる。
AM 11:30
仙人のガイドにより無事目的地の千尋滝についた。でも、まだ油断はできない。下山まで危険な登山道はつづく。
PM 15:00
そして予定の行程を進み、クルーは無事下山することができた。仙人が約束の場所に行こうと誘ってくれた。オススメの撮影ポイントとは、六十尋滝だ。
雨が激しく降る中、「この角度がいいんだよ」などとビュースポットを教えてくれる。なぜかその先では仙人がポーズをとっているのだ。どうやら撮られるのが好きなようだ。
【大杉谷も大台ケ原も今年は閉山】
この絶景も来年の3月まで見ることができなくなるが、またこの山に入って写真を撮ってみたい、また仙人に会いたい、という気持ちになる。
最後に、仙人は登山者に対して安全に歩けるように、時折「ここは滑りやすいから」「鎖のある所は事故があった所だよ」などとアドバイスをくれる。登山者には慎重に慎重が加わるアドバイスをしているのだ。意識を足元に集中させ、安全第一で確実に歩かせるという。当然危険な場所になると仙人は守るように登山者をガイドする。そんな時は特に心強く感じるものだ。そして彼を見て思うのは、生きる力は夢を持ち続ける事だという事。仙人は「今日は井村君のおかげでゆっくり景色が見れてよかったよ」と言うので、「感謝いただき光栄です」と答えるのがやっとの状態だったが、どうやら彼の今日の仕事は楽しかったようだ。
大杉谷山荘 http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/matikado/da/detail?kan_id=835470
大杉谷登山センター http://oosugidani.jp
yoshitugu imura。Otona記者。サーファーからフォトグラファーに、海に持っていったギターでミュージシャン活動もする(波音&Ustreet )ドブロギター奏者。 伊勢市在住。この記者が登場する映像