若者の地域流出、少子高齢化、後継者不足
全国の地域に待っている未来は決して明るいものではない。
そんなニュースを耳にしたとして、あなたはどう思いますか?
認めたくないが頷かざるをえない部分もあるような…
でもそれって裏を返せば、地域の資源を活かす可能性はまだまだある!
ノビシロですね!とも言えませんか?
わくわくする話やオモロイ話ならなんぼあっても、ええじゃないか!
東海ミライプロジェクト!byわくわくスイッチ @shigotravel
中村さんはわくわくスイッチさんでどういった活動をされているんですか?
人の可能性が爆発するわくわくスイッチを様々な組織や地域に仕掛けています。何かを成し遂げたくてモヤモヤしている学生達たちと、新たなプロジェクトに挑戦したいけど様々な事情で踏み出せない企業をマッチングしてみんなでプロジェクトを作っていく「実践型インターンシップ事業」を三重県で初めて導入して今年で11年目を迎えます。
停滞する組織の中には人のわくわくを奪うことを喜びとする”わくわくバイキンマン”、わくわくを奪う仕組みをつくる”わくわく破壊神”がいるんですね。わくわくスイッチは、人にわくわくを提供できる”わくわくアンパンマン”や、わくわくが生まれる仕組みづくりをする”わくわく創造神”と協力して、バイキンマン達をやっつける!
わくわくを司る神々の最終戦争を日々繰り広げているイメージです。2050年までにわくわくする夢や目標が8989個生まれるWDGsの達成を目指しています。
WDGs(わくでぃーじーず)ってなんですか?
WDGsは、Wakuwaku Developmet Goals (わくわく開発目標)の略称です。皆さんご存知のSDGsは、国連で決まった2030年までに達成するべき17個の開発目標です。SDGsは社会課題をどのように解決していくか?という考え方を重視しています。
WDGsが重視している考え方はWOAです。WOAとは(Wakuwaku Oriented Approach) 、平たくいえば課題解決よりもわくわくを大切にしようという考え方です。課題解決ばかり考えていては息が詰まってみんな疲れてしまいますからね。
2050年には、今の20代の子達が50代。社会の中心を担う存在になっているはずです。彼らがわくわくする夢を持って生きれるかどうかは日本の将来そのものだと思います。東海学生AWARDでは毎年20個ずつ夢が生まれます。みんなでわくわくする夢を作っていくって素敵だと思いませんか!?
なぜ、こういった取組を始められたんですか?
僕は最初から教育業界にいたわけではありません。新卒では大阪で飲食のベンチャー企業に就職しました。面接へ行ったはずなのに、社長から「とにかく夢を持て!」となぜか2時間くらい説教されたのが衝撃で入社を決めました。
飲食未経験から店長になり飲食店の立ち上げまで経験させてもらいましたが、社員なのにバイトよりも使えない社員でしたね。特に難しかったのは、自分で考えて動け!と言われること。学校では問題が与えられてそれに答える練習をするけど、社会に出たら自分で問題を設定してそれに対する答えを探さなきゃいけない。
でも、そんな大事なことを学校では誰も教えてくれませんでした。せっかく社長の熱い思いに惹かれて入社したのに、同期の9名のうち、2年後も残っていたのは僕だけでした。これまでの学校教育って一体何だったのか?というモヤモヤもありつつ、その後僕も転職して違う別のお店の立ち上げもやらせてもらいましたが、業績不振などもありリストラに遭ってしまいました。
まさかのリストラ…その後どうされたんですか?
ちょうど30歳になる手前のタイミングだったので、これからどんな人生を送りたいか真剣に考えました。といっても最初の数ヶ月は、ハローワークに行った後、BOOKOFFで漫画を読んで、TSUTAYAでビデオを借りて帰る繰り返しでした。あの頃、TSUTAYAの棚にあるビデオをほぼ見尽くしましたね。
これまでの自分の想いをノートへひたすら書き出していく中で出てきたキーワードが教育でした。ただ、教育の仕事をやりたいとハローワークのお姉様に伝えても、「若いのに偉いな~!でもまあ、この辺の仕事にしとき」と全然違う職種の紹介ばかりでした。
当時はインターネットも普及したばかりで、自分で情報を集める手段が限られていました。パソコンも持っていなかったんですが、ハローワークのはじっこに1日30分だけ使えるパソコンがあったんです。教育に関する情報を30分集めて、いつものお姉様に肩を叩かれて終了。翌日もその次の日もその繰り返しでした。
NPO法人ETICのホームページを見て、自分のやりたいイメージに近いなと思いました。ただ、横文字が苦手だったので高速道路みたいな団体名に少しとまどいました。そこには、大阪でインターンシップコーディネート団体の紹介もあったので、これや!と思いメールに自分の想いの綴り応募しました。
あとで聞いたら、文章の貼り付けがうまく出来ていなくて呪いの文章みたいな形式で届いていたらしいですが、やる気を買ってもらい28歳のインターンシップ生が誕生しました。だがなんと、力及ばず2年後には2度目のリストラに遭いました。
まさかまさかの2度目のリストラですか…
自分のやりたいことを見つけて全力で取り組んでいたので、あの時はさすがに落ち込みました。どうしようかと悩んでいた時に、新潟のコーディネート団体の方から声がかかりました。僕を勇気づけるための書籍がその方から何冊も段ボールで送られてきて、その一冊一冊がまた心に沁みるわけです。三顧の礼以上の猛アプローチもあり、新潟へ行くことを決めました。
新潟時代は、インターンシップの全国大会で優勝することもできて、大阪時代の上司にも認めてもらえたのは嬉しかったな。新潟の気候に慣れなかったのもありますが、仕事へのプレッシャーから体調を崩すこともありました。
その頃から食生活だけでなく、自分の考え方なども変えました。失敗したときに自分を責める考え方をなくして、仕方ないかと受け止める、いい意味で諦めることも出来るようになりました。
本棚に残っていた、心に残る書籍。右側は新潟からの三顧の礼で届いた実際の書籍の一部
そこからなぜ三重県へ?
その後、新潟から仙台へ移りました。仙台では人材を通じた東日本大震災の復旧復興支援に関わる仕事に携わりました。復興フェーズが少し落ち着いた頃、40歳手前でした。新潟でも仙台でも、ナンバー2というポジションで仕事をやらせてもらえたので、人生で一度くらい起業してもいいかなと思うようになりました。
新たな拠点を探す上で、新潟も仙台も寒いから、とにかく暖かい所へ行きたかったんです。東北は優しい人が多いけど、ボケてもなかなかツッコんでくれないから。ツッコミが恋しくなって、西の方の拠点を探しました。
近隣の大阪・京都・名古屋に比べたら三重県は圧倒的に学生数も少ないし、誰も知り合いがいない。どうせ起業するなら、自分にとって逆境だらけの環境でゼロから立ち上げる方がオモロイし自分の成長になるかなと思って三重を選びました。
三重を創業の地に選んだのも、わくわくが原動力ということですね。
近年は企業や自治体向けの研修事業、人事コンサルティングにも力を入れています。せっかく三重県内で学生が育っても、三重県内に魅力的な会社と出会えないと学生は県外へ出ていってしまうんです。今後は、社員にも、顧客にも、社会にもわくわくを提供出来る「わくわくカンパニー」を世の中に増やしていきます。
現在は三重県内で様々な事業を磨いていますが、決して県内だけの展開にこだわっているわけではありません。三重県が抱える課題は全国の地域が抱える課題ですし、全国各地どこへでもわくわくスイッチを仕掛けに行く勢いです!
8月29日(金)~30日(土) に伊勢市の神宮会館で開催される2050 未来デザインサミットⅡ in 伊勢 も是非ご注目下さい!
インタビューを経て、わくわくという言葉のイメージが少し変わりました。
わくわくという言葉には、みんなで一緒に
メッセージも含まれているんですね。
1人のわくわくから誰かの共感が生まれ、
プロジェクトが動き出す。
そのプロジェクトが誰かの人生を変えるかもしれない。
今後もわくわくすることをotonamieで発信していこう!と思います。
Snowmanのふっかやしょっぴーと同年代です。大学卒業後沖縄県で観光ガイドとして3年半、結婚を機に三重県へ移住して会計事務所職員として5年働いています。「この人、おもろいな~」と思った人の魅力が伝わるインタビュー記事や、三重県での暮らしがわくわくする情報をotonamieで発信したいです。








