飯高駅から徒歩5分の場所にある「宿泊・食事・喫茶 奥松阪」。「何気ない日常に幸せを」をコンセプトに、築120年の古民家をリノベーションしてつくられました。
ここでは地域の食材を使用した週替わりランチ、自家焙煎のコーヒーやスイーツを味わうことができます。店から徒歩5分ほどの場所には一棟貸しの宿泊施設「Stay奥松阪」があり、まさに食べて、泊まってまちの魅力を体感することができる場所なんです。
この場所を運営する「株式会社高杉アトリエ」の高杉亮さんは、もとは名古屋を拠点とするデザイナー。しかし2020年に飯高に移住し、地域おこし協力隊として従事。奥松阪をつくることになりました。そこにはどのような想いがあったのでしょうか。
2軒の空き家をきっかけに移住
名古屋の食品会社で、インハウスデザイナーとして活躍していた高杉さん。東日本大震災をきっかけに、「限りある時間を大切にしよう」という思いに至り、独立して自身のデザイン事務所を設立。名古屋を拠点に、広告制作やチラシ、新聞広告などの紙媒体のグラフィックデザインやwebデザイン、さらに写真撮影からフードデザインまで多岐に渡る仕事を行ってきました。
転機が訪れたのは10年ほど前。飲食店のクライアントと一緒に嬉野町の農家を訪問したとき、穏やかな景色に惹かれ、空き家を購入することに。
「両親が以前から『田舎暮らしをしたい』と言っていたので、農家さんに紹介してもらった空き家をリノベーションすることにしました。ところが、前の家を壊してソーラーパネルを設置するという話が出たんです。
せっかくの景観が損なわれてしまうので、前の家の大家さんに『どうにかならないか』と相談に行ったら…『あなたに安く売るからうまく使ってくれないか』と言われ、その家も購入することにしました」
なんと立て続けに2軒も空き家を購入することになった高杉さん。購入した家をリノベーションしていく過程をSNSにアップしていたところ、市役所から「地域おこし協力隊としてまちを盛り上げてくれないか」という打診を受けました。
「提案してくれた市役所の方が自分の時間を削ってでも地域のために動く人で、その熱意に押されて協力隊として移住を決意しました。家も2軒あるし、妻も松阪の出身だったので…
それと年を重ねてからも都会でデザイナーとして第一線を走り続けることの難しさも感じていました。だから10年ぐらいしたら移住しようとは考えていたんですが、声をかけてもらったなら、今のタイミングなんだろうなって」
「奥松阪」名前に込めた想い
地域おこし協力隊(以下、協力隊)として移住し、飯南、飯高町に関わることになった高杉さん。協力隊の一員として活動する中で、「地域の人にとって必要なもの」を模索する日々。
「これまでも関わりはあったけども、地域の中に踏み込む難しさを感じていました。でも協力隊として行事などに参加するとまちの人と話す機会も増えて、顔も覚えてもらえる。地域に入るきっかけとして、協力隊の制度はすごくいいなと思いましたね」
地域活動を続ける中、めぐり逢ったのが奥松阪の物件でした。
「物件を見たとき、ここが飲食店になったら面白いなと思って、まちの人に頼んで大家さんを紹介してもらいました。当初は売る気がないと聞いていたんですが、『この場所に飲食店をつくることでまちをよりよくしたい』と奥松阪の構想と予算をプレゼンしたら、『地域のためになるんだったら応援する』と言って売ってくれることになったんです」
物件のリノベーションを経て、2023年1月に「宿泊・食事・喫茶 奥松阪」がオープン。「奥松阪」という名前はこの地域の呼称ではなく、高杉さんが特別な想いを持って名付けた名前です。
「この地域の人は大抵、市街地に行くときに『松阪に行く』っていうんですよ。飯高、飯南も今は合併されて松阪市ですが、20年ほど前は独自の地域だったんです。今は両町とも名前が残っていますが、今後さらに合併が進んだとき…どちらも尊重しながらも、街の松阪と分断されず地域が一つになれる名前が必要なんじゃないかと思ったんです」
これまでの地域の歩み、そして未来を見据えてつけた『奥松阪』という名前。この場所に根を下ろし、真摯に地域と向き合おうとする高杉さんの想いが感じられます。
「今まで地域を守ってきた人たちがいて、僕らは今この場所にお店を構えられています。いきなり外からやってきて、自分たちの利益だけ追求すればいいという考えでは長く続きません。地域の人たちと対話し、何を大切にしているのかを考えて、僕らができることを取り組みたいんです」
高杉さんは協力隊として活動し始めた時から、地域に投資することを重視してきました。
「建物をつくってくれる大工さん、食材を仕入れる農家さんなど、なるべく地域の人たちと関わりを持つようにしていて。『あの人がつくってくれている』と顔が思い浮かぶものを使いたいし、自分たちが事業をすることで地域が少しでも潤うことが大事だと思っています」
自分たちが住み続けたいまちに
奥松阪オープン時から取り組んでいるのは、学生の受け入れ。取材したその日も、カフェの厨房には学生の姿がありました。
「今度、高校生が地元の果物で作ったケーキを販売する催しがあって、ケーキの作り方をうちのスタッフが教えているんです。奥松阪のオープン前に店舗を高校生たちに貸して、1日カフェ経営を体験してもらったこともあります。僕がアドバイスしながら、メニュー開発から原価計算、価格まで考えてもらいました」
学生たちにこうした機会を与えることは、将来的に地域にとってプラスになると高杉さんは言います。
「カフェを体験した子が卒業後、別のところで就職したんですがやっぱり奥松阪で働きたいと連絡をくれました。奥松阪で働いてもらうこともできるんですが、自分に合う仕事を見つけてほしいという想いもあって、『松阪市香肌地域づくり協同組合』に所属する登録人材という形で働いてもらうことにしました」
現在、『松阪市香肌地域づくり協同組合』の理事長としても活躍している高杉さん。三重県で2例目となる「特定地域づくり事業」という地域産業の担い手を確保するためにマルチワーカー(季節毎の労働需要等に応じて複数の事業者の事業に従事する人)を派遣する仕組みづくりに取り組んでいます。
「現在、奥松阪を含め地域の14の事業者に参画いただき、登録した人はその中から2ヶ所以上の事業所で働いてもらいます。色々な仕事を体験しながら自分に合った就職先を探すこともできるし、協同組合で採用という形になっているので社会保険にも加入できる。また、農業や林業など1次産業の事業者は、繁忙期に人手を確保できるというメリットもあります」
さらに空き家バンクの管理も行い、地域で仕事、住まいを確保できる仕組みを整えました。協力隊の任期を終えた後は、松阪市の「地域プロジェクトマネージャー」に就任。道の駅の活性化など、地域資源を活かしたまちの魅力づくりを行っています。
※地域プロジェクトマネージャー…自治体が重要プロジェクトを実施する際に、地域や行政、民間、外部の関係者をつなぎ、調整や橋渡しをしながらプロジェクトをマネジメントする人材
「ちゃんと働く場所、住む場所、遊べる場所を整えれば、人は自然に集まってくる。当然、移住したいなと思う人も増えてくると思うんです。でも一番は、自分たちが住み続けたい場所にすること。“やってあげる”という気持ちで地域と関わると、そのまちに必要なことが見えてこない。住人にとって住みやすいまちづくりを続けていけば、きっとおじいちゃんになってもこのまちを楽しめると思うんですよね」
数年後には、パティスリーを併設したビールの醸造所をつくる予定。まちの人が守ってきた自然や歴史を大切にしながらも、新たな風を巻き起こしている高杉さん。これから、どんどん面白いまちに変化していきそうですね。
宿泊・食事・喫茶 奥松阪
Instagram:https://www.instagram.com/okumatsusaka/
Stay奥松阪:https://www.airbnb.jp/rooms/1189239379816276289?source_impression_id=p3_1726884034_P3a_1dVVLDVUu1f-
株式会社高杉アトリエ:https://www.takasugi-atelier.com/
OTONAMIE×OSAKA記者。三重県津市(山の方)出身のフリーライター。18歳で三重を飛び出し、名古屋で12年美容師として働く。さらに新しい可能性を探して関西へ移住。現在は京都暮らし。様々な土地に住んだことで、昔は当たり前に感じていた三重の美しい自然豊かな景色をいとおしく感じるように。今の私にとってかけがえのない癒し。