三重県のちょうどまんなかあたりに住んでいるのだけど、なぜか北部の輪郭がもうひとつ判然としない。
南部には親戚が多いので、なにかと足を運ぶことが多く、地理にも比較的明るい。また、仕事でも南部へ行く機会を多くいただいているので和歌山との県境あたりでさえ、少しは把握している。
ところが、北部、つまり桑名や四日市のあたりがどうにもずっとイメージがぼんやりとしている。
温泉があったり、遊園地があったり充実しているらしいことは耳にするのだけど、なぜだか足が向かない。行きたくないと思っているわけではないし、行きたいと思う場所もいくらかある。なのに、なぜだろう。ずっとモヤがかかったように、頭に「桑名」、「四日市」と浮かべようとするとぼんやりとした「都会」というイメージに着地してそれ以上考えるのをやめてしまう。
「都会」というのは、四日市や桑名は名古屋のベッドタウンとして栄えている、というのを耳にしたからだろう。
実際、四日市や桑名が都会なのか、私は知らない。なんせ、足を運んだことがほとんどないのだ。都会で働く人々が住んでいる、アクティブで先進的な町、というイメージだけが先行しているのかもしれない。
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そんなふうに、北部にモヤがかかった私にとって、「亀山」はまさにある日突然、降ってわいたような存在だった。
亀山がどこにあるのか、まったくなんのイメージも持ったことがない私のもとに突然、現れた「亀山」。
あの日、一生懸命ひり出して、やっと出てきたのはローソクと亀山モデルだけだった。三重県にもう10年以上住んでいるのに。
ところが今、私にとって亀山ははっきりと「ホルモンみそ焼きうどん」だ。
今年の春ごろ、奈良県宇陀市へ遊びに行った帰りに亀山を経由しており、なにか夕飯をとりたいという話になった。亀山周辺にまったく明るくない私たちはファミレスしかあてがなく、漫然と市街地を目指して走っていた。
ただ、春の陽気のせいだろうか、なんだか少しワクワクしたい気持ちが騒いで、休日が終わろうとするほどに、だんだん刺激がほしくなってくる。もっと、こう、新たな扉を開いて、子どもみたいに驚いたりはしゃいだりしたい、そんな我儘から「亀山 グルメ」と検索すると「ホルモンみそ焼きうどん」がヒットした。
三重県に伊勢うどん以外のうどんが存在したのか。
私それ、一度も聞いたこともないし、もちろん食べたこともない。これが食べたい。絶対に。
夫を説得して、目的地を「ホルモンみそ焼きうどん」と看板メニューに掲げるお店に変更した。子どもたちがもっと小さいころだったらそんなこときっと思わなかっただろう。安心安全なお食事とはファミレスでしかなかったあの頃。私たちはドリンクバーとキッズメニューと、おまけについてくるコインだけが支えだった。どこへ行ったって、あの薄い汁に浸かったうどんを求め彷徨っていた。
彼らが小学生になった今、どこへ行っても「なにかしら食べるものがある」というのは大変頼もしい。
スマホの画面にはチリトリのようなアルミのトレイに乗った茶色いうどんが映っている。
新しい扉を開けたい今の気分にあまりにぴったりだ。
早く、これが食べたい。
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目当ての店は昼のうちにすべてホルモンが品切れになってしまったらしく、店主が申し訳なさそうに暖簾を下げた入口から「ごめんなさいね」と顔を出した。
2軒目に入ったお店はアットホームな雰囲気の大衆食堂で、我々が入店してすぐに、お店はいっぱいになり、ホルモンみそ焼きうどんの根強い人気をひしひしと感じた。期待がますます高まる。
私のあずかり知らぬところで、多くの人を熱狂させている食べ物、それが「ホルモンみそ焼きうどん」。
お店が満席になってもお客は絶えることがなく、店内では注文が飛び交い、お店のおばちゃんは延々返事をし続け、そしてドアがまた開き、あちこちで手が上がり、「手伝いましょうか」と言いたくなるほどだった。
とんだ繁盛店に入ってしまったらしい。店名を覚えていないのが悔やまれる。
周囲を見渡すと、大きなチリトリ(のようなトレイ)に入ったおうどんを頂いている人がたくさんいる。
なんておいしそう。白いご飯がセットでついており、「ああ、最後はあのタレと白ごはんでいただくのだな」期待は高まるばかりだ。
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運ばれたきたそれは、いままで食べてきたどのうどんとも違う、まったくあたらしいうどんだった。
初めて見るチリトリのようなトレイに胸が高鳴る。子どものときに近所の喫茶店で食べたお子様ランチはドラえもんの形をしたプレートに入っていた。私はそれがとても好きで、行くと必ず頼んでいたのだけど、なにが入っていたかはまるで覚えていない。ドラえもんの手の部分がコップを置けるようになっていて、そこにオレンジジュースが置かれていたことだけ、覚えている。
つまりなにが言いたいのかというと、容れものってすごく大事ってこと。
あの喫茶店の楽しかった記憶のほとんどを背負っていたのはドラえもんのトレイだった。
チリトリのようなトレイはそれだけで楽しく、思わず「わあ」と声が出る。
そうしていただいた「ホルモンみそ焼きうどん」ははっきりと美味しく、春の浮かれた気分にきっちり寄り添ってくれて、大きな満足感を与えてくれた。ああ、旅をしたんだな、という充実感が心を満たしてくれる。
そうか、これが旅をするということなのか、と思った。
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以降、私は「その土地のものを食べるということが旅なのだ」と夫にもっともらしく説くようになり、家族で岐阜へ赴いて五平餅を食べたり、名古屋へ行って味噌煮込みうどんを食べたりしている。
新しい食欲の扉が開かれたらしい。
実は、宇陀市へ行った日、出発が遅くなり、なにかと不完全燃焼な感じが否めなかったのだけど、岐路で「ホルモンみそ焼きうどん」を食べてすべてが帳消しになってしまった。
はっきりと、「いい旅をしたな」と脳がすべてを上書きしてくれた。
「旅とはその土地のものを食べることだ」
名言みたいに言ってるけれど、ものすごく普遍的なことを言っているのでどうか騙されないで。でもほんとにそう。すごくそう。
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先日、津新町の商店街で「津しんまちほこてん」というお祭りが開催されており、家族で出向いた。
いろんな出店が並ぶ中、キッチンカーのブースがあって小腹を満たしたい私たちは回転の速そうなお店に並んでいて、飛び込んできたのは「亀山みそ焼きうどん」の文字。
もちろん、そちらを購入して子どもたちと分け合って食べた。
以前ならば焦点も合わなかった文字列にピントが合って、美味しいものを頂けるというのは、嬉しいことだなと思った。
食べながらあの日を思ったり、亀山という町を思ったりする。
そうして、少しずついろんなピースが集まって、知らない町の輪郭がすこしずつはっきりとしてくるのかもしれない。
靄がかった四日市や桑名にもきっと私がしらない美味しいものがたくさんあるんだろう。
美味しいものを頂いて、いつか知ったような気持になって、知ったようなことをえらそうに言うえらそうなばばぁになりたい。
8歳、6歳、4歳の3児の母です。ライターをしています。