ホーム 00夏 「とりあえずキャンプ」連載エッセイ【ハロー三重県】第36回

「とりあえずキャンプ」連載エッセイ【ハロー三重県】第36回

世の中のキャンプブームが下火になったと言われる2023年夏。
世間の流れに逆行して、我が家はキャンプデビューを果たした。

毎年のようにキャンプに誘ってくださる夫の友人達は今年もやっぱり懲りずに我が家を誘ってくれた。
毎年断り続けることにいい加減疲れてきたし、親の気持ちはどうであれ、子どもたちはキャンプをしたいとここ1~2年言ってもいる。
私も夫も今ひとつ心が動かされないまま、夫の友人と子どもたちに少しずつ、本当に少しずつ背中を押されて、いよいよの今年、キャンプを始める運びになったというわけ。

なんせ、キャンプって買うものが多い。
最初に言っておくけれど、私はものを買うのが嫌いだし、ものが増えるのも嫌いだ。
今、十分足りた暮らしをしているのに、消費されたものを補充する以外でものを買うなんておこがましい。私は足るを知って生きている。
住宅環境だって一朝一夕に変わるものでもないのだから、いたずらにものを増やしたら単純に家が今よりも狭くなってしまう。家中を走り回る子どもが3人もいるのだから家は広いほうがいいに決まっている。

なのにだ。キャンプときたらいくらお買い物をしてもまだまだ買うものがある。イスとテーブルとテントがあればいいのね、と思ってお買い物を始めたけれど、やれタープだ、やれマットだ、やれ寝袋だ、いくら買っても終わりが見えない。
買うものを考えただけで、「またいつか」と気持ちが揺れそうになる。
心を決めるために、夫の友人に今年のキャンプに参加する旨を伝え、子どもたちにも「いよいよ今年はキャンプをする」と宣言した。そうやって自分たちを追い込まないと、この上りたくもない高い山を制覇できるはずがないのだ。
そして、私にとって唯一のモチベーションである「災害時に役に立つ」をただひとつの光として長いトンネルを走りだした。
いつかの災害時、きっと私は2023年の私に感謝する。

*

気が遠くなるほどの労力とお金をざぶざぶ使って、我が家のキャンプグッズは瞬く間に充実していった。
対象がなんであれ、夫はリサーチをするのが好きなので、立派なエクセルシートを作り、盤石に諸々を調べ上げた。また、彼は買い物が好きなので順調にキャンプグッズは揃っていった。
かくして我が家のキャンプ環境は整い、いざキャンプへ。

キャンプ場へ行く前に2度ほど自宅の庭でキャンプをした。
私はそこそこ田舎で暮らしており、自宅周辺も自然がいっぱいだ。自宅の敷地も田舎らしくとても広い。
自宅の庭でキャンプの練習ができるというのは初めてのキャンプがよりよいものへとなる布石に違いない。諸々の不安もこれで払拭できる。と思っていたのに、なんてことだろう。

感想は「ただ大変」だった。
子どもたちのはしゃぐ様子はプライスレスで、そこだけを切り取れば健やかに幸福だ。私だってお母さんだから、子どもたちが楽しければとても嬉しい。だけどやることが多すぎる。やってもやってもやることがある。

テントを建てて、マットを敷いて、敷布団代わりのエアマットを膨らませて、タープを建てて、キッチンを配置して、椅子を出して、テーブルを出して、その間にも子どもたちは手伝っていたかと思えば、はしゃいだり、騒いだり、喧嘩をしたり、棒を振り回したりして油断がならない。
うちの子どもたちはいささか元気がすぎる。

どうにか設営を終えて、夕飯を用意して、食べるころには当然暗く、肉を焼いても焼けているのかが分からず不安が募る。私は年中、肉の生焼けを恐れている。LED電球がこうこうと灯っている室内に居たって、さらにスマホのライトをあてて厳密に肉の焼け具合を確認して生きている。
なのに、薄暗いランタンの下では肉が焼けているかどうかが分からない。ランタンを肉に寄せてもランタンの奴がオレンジ色の光なばっかりに肉も暖色味を帯びて焼けているのかまったく分からない。いくら焼いても安心できない。
不安が酷くて落ち着いていられない。悪い癖が騒いで、つい、3日後くらいに子どもたちが腹痛で縮こまっているところを想像してしまう。
ああ、早く家に帰りたい。

心の中のざわざわをどうにか飼いならして、夫に何度も「大丈夫」と言ってもらって夕飯を終え、自宅で風呂を済ませ、いよいよ寝る段になった。
壁がない寝床で寝るのだ。私は寝床が変わると眠れない。例え、そこがどんなにラグジュアリーなホテルであっても、実家であっても、だ。
テントなんて成人して以降の私にとって、最も突飛な寝床であることに違いなく、横になった瞬間から「家で寝たい」と思ってしまう。

出鼻でこんなことを言いたくないのだけど、私はたぶん、キャンプに向いていない。

疲れが取れない朝を迎え、朝食をとった。
キャンプらしくホットサンドを作って、みんなで食べた。
夫は「キャンプ場だとチェックアウトの時間があるからシュミレーションをしないと」としっかりした大人みたいなことを言って、時間を計りながら片づけを始めた。

*

それからしばらくして、夫の友人たちと滋賀の方へキャンプへ行くことになるのだけど、やはりと言おうか行く前から何度も、家に居ながら「帰りたい」と泣き言を言っていた。
それでも前回と違い、友人が大勢いて、にぎやかに過ごすのは楽しかったし、子どもたちも新型ウィルス以前に会ったきりだったのでそれは大喜びだった。それなりに充実したいい時間だった。
やることは変わらずたくさんあったけれど、大人がたくさんいればそれなりの力になるもので、さらにお友達がたくさんいれば子どもたちも虫を眺めたりカードゲームをしたりと、平和に時間が流れていく。
その後味がとても素晴らしく、これは頑張ってやっていけるのかもしれない。どうにかそろえたキャンプ用品の元を取るくらいにはキャンプライフを永らえることができるかもしれない。そう思った。

我が家は夫の仕事の都合で連休が取りにくく、宿泊をするときにも極力近場を選んでいる。
幸い三重県にはキャンプ場がたくさんあるらしく、調べると充実したキャンプ場がいくらでも出てきた。
釣りと川遊びと温泉が大好きな我が家の子どもたちにとって、三重県のキャンプ場は親和性が高く、どこを見てもうちにぴったりだと思った。

夫の友人家族とキャンプをした翌週、私たちは伊賀でキャンプをしていた。
子どもたちは川で遊んで釣りをして、早起きをしてキャンプ場を散歩した。

相変わらずやることはいくらでもあって、せわしなく、肉の生焼けも当然恐ろしかった。虫が多くて食べ物に無数の虫が混入するという訳の分からない事態にも巻き込まれ、「逃げたい」と思ったりもしたけれど、終わってみればやはり楽しかった。
ただ野っ原で1泊するために、大量の寝床と炊事の道具を乗せたり降ろしたりするのは冷静になると「何をやっているんだろう」と思わなくもないのだけど、子どもたちが喜んでくれるうちは楽しかった上澄みだけを啜ってどうにかキャンプをやりたいと思う。

それが、玄関の物置を陣取るキャンプ用品と、それにかかった費用に心を痛めないための私の理性的なセルフコントロールであり、単純な母性。

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