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玉城Sounds to the world~建光ドラムの挑戦~

まず、この記事を書くにあたって初めて取材を試みたのは2022年の8月。

本来、僕はホットなネタをいち早く誰かに伝えたくてオトナミエに寄稿させていただく場合が多いのですが、こうして記事を書くにあたり秋の頭に1度書いてみて、コレは違う。少し考え直し、秋の終わりに2度目を書いても、違う。伝えたい内容とは遠い。そしていつしか師走。3度目の正直を有言実行すべく、近鉄難波行きの特急の中、斎宮駅を過ぎた頃からこの文章を書き直しています。

本日の車窓。いい天気だ〜

それくらい、この人物、このパッション、そしてこの音は、言葉にするのが僕にとって難しい対象なのだと気づき、なんで取材したいとか言ってしまったんだろうなんて後悔することになるなんて思いもしなかったです。

さて。記事を起こすたびに何度か同じような触れ込みをしてますが、僕は三重県の伊勢という町に住みながら、のんびりと好きな仕事をして、音楽や芸術と向き合いながら愛する仲間たちと、事あるごとに何やかんや創りながら生きてます。特段音楽に関しては、小学生の頃から楽器屋さんやギターショップに入り浸り、エレキギターやドラム、音響機材などを触り、触らせてもらえないような高嶺の花は指を咥えて眺めながら目を輝かせていたら、いつのまにか30代も後半戦がキックオフされてました。いわゆる絵に描いたようなギターキッズ、バンド小僧の人生ど真ん中です。

なので、僕は楽器が好きです。弾くのが一番好きですが、どこかで脇道へ迷い込んでしまった為か、若干機材マニアの癖を自覚していて、楽器の制作や歴史、材質などにもロマンを感じてしまいます。ちなみに日本においては、ギターやベース、ドラムなど、いわゆる軽音楽に使われる木工楽器の大部分が、良質な木材の流通が盛んな、岐阜県や長野県を中心に、愛知県や静岡県ほどの周辺エリアで生産されているケースが多いです。僕自身も、コロナ禍前は信州にあるギターファクトリーまで工場見学に行ってしまったりしてました。

そんな日本の木工楽器制作=信州中心説を持っていた折、2年ほど前でしょうか。玉城町の町議員さんがドラムを作っているという、まことしやかな噂が僕の耳に入りました。玉城町は以前から紆余曲折あってお世話になっている自治体なので、ある程度は町の事を知っている自信があったので、またそんなご冗談をと、勝田あたりで狐にでもつままれたのだろうと思っていたのですが、多気町のまごのみせがマルシェグランマとしてリニューアルした際のイベントに出演させて頂いた際に、1人の男性が僕に声を掛けてくださいました。その方の名刺には、『建光ドラム 福田やすお』の文字が。

福田さんの事務所前。…化かされている…のか?

…どうやら、勝田でキツネにつままれたわけでもなく、佐田でたぬきに化かされたわけでもなさそうだぞ。噂は本当だったのか…

…いや待て。噂のご本人は目の前にいらっしゃる。だがしかし。僕はまだその太鼓現物を目にした訳では無い。しかも今対峙しているお相手は玉城町の町議員さんだ。実際は趣味がてらちょっとリペアしてるほどの事を豪語しているだけで、実際大したことない話だったなんてザラにある。油断するな。そもそもこの目の前にいらっしゃる福田さんと名乗る人物も、もしかしたら人間じゃないかもしれない。白昼堂々、やはり僕は多気町で化かされているのかもしれない。

その後、Twitterで、お互いにちょこちょこコメントをさせていただいたりしながら、SNSの世界によくある近くもなく遠くもない距離感でやりとりをしていたのですが、2022年春に事が少しだけ動きます。コロナ禍の煽りをモロに受けてしまい、仕事がパンク状態になってしまいました。フィジカル、メンタル両面のキャパを突破した状態だった僕は、若干精神が不安定になってしまった為か、不眠症に近い症状が出てきてしまい、このままではマズいぞと感じ、解決策は自力で探そうと、今まで守ってきたコンプライアンスなるものを一旦無視してTwitterでアルバイトを募集した所、何と福田さんが手伝うよ、とのご連絡をくださり、1週間ほど僕のアシスタントをしてもらうという、望んでも無い胸熱展開が訪れました。

普段誰もいないトラックの助手席には、今までTwitterごしにしかやり取りをしたことがないにも関わらず、妙に安心感を放つ僕の興味の対象その方が座ってくれている。本来ならば業務内容をレクチャーしなければいけないのですが、結果的に1週間、朝から晩まで明けても暮れてもドラムのこと、楽器の事、材料の事、音楽のこと、そして福田さんの頭の中で妄想してる未来の事、独特な嗅覚、センス。ずーーっと僕が根掘り葉掘り、あたかも職務質問の如く、それはまるで話の続きが気になるから早くこの本の続きを読んでよと親にねだる子供の様に、今日は何の話を聞こう、明日は何の話をしてもらうと一方的な質問攻め。先週まで一人半狂乱していた車内で、福田さんは嫌な顔ひとつせず、矢継ぎ早に投げかける職務質問を予想の2倍ほどの情報量を盛り込んで、目をキラキラさせた35歳のおっさんに投げ返し続けてくれました。僕の予想を遥かにしのぐ凄まじい知識量、木材への理解。楽器への愛情。あっという間の1週間が終わった4月の末、イライラに苛まれていた僕の心はすっかり晴れて、一連のコロナ狂奏曲第一楽章は終わりを迎えました。おかげで正気を保ったまま仕事ができた。僕は化かされてなんかなかった。福田さんはタヌキでもキツネでもない。僕のカンフル剤でもあり、玉城のモンスターだ。

仕事を手伝ってくださってた時の図。

「何故玉城町で太鼓を作ってらっしゃるんですか?」随分最初の方に投げかけた質問でした。ここは信州ではない。同じ木々の沢山ある田舎とはいえ、環境は随分違う。すると、意外な答えが沢山返ってきました。元々は亀山で生まれ、飛行機の整備をする仕事をしたかったと話してくれた福田さん。しかしそれはとても狭き道。夢叶わず車の整備のお仕事を生きる道とし、鈴鹿のディーラー店で様々な業務を経験した後、学生時代から続けていたバトミントンへの情熱が冷めずに実業団入り。数年続けた後に、加齢による引退で燃え尽き症候群になる事を恐れ、バンドブームの最中に生まれ育った事も影響し、では楽器を始めようと愛知県のドラム教室に通い始めた当時の福田青年にとある転機が訪れます。ドラム教室で演奏技術を学ぶ際、技術より、太鼓の音色が気になってしまった。自分の耳には、ドラムの音がうるさく聞こえてしまう。でも、ドラムより遥かに音量のあるはずの和太鼓の音って、なぜうるさく感じないのか。むしろ何故 “心地よく” 聞こえるのか。自動車の世界で技術者として生きてきた職人の探究心に1粒の水滴が落ち、興味という波動が水面を叩いた瞬間です。その後、ご結婚を機に奥さんの地元、玉城町へ移住。偶然ご実家業として建具屋さんをされていた事が、再び水面に2滴目の波紋を広げる事になります。

「ドラムをつくってみたい。」
異なる畑で培った技術力と、持ち前の探究心がゆっくりと木工の世界へ流れ込みます。

作業場の一隅。

御義父様から木工のいろはを教わり、お仕事を掛け持ちしながら寝る間を惜しんで2台のプロトタイプを作った後、販売店との契約に成功。3台目の時点で既に建光ドラムとしてのポテンシャルは大成していました。単身でドラムを作る、決して大きなファクトリーでは無いので、生産数も限られていますが、愛知県を皮切りに大阪、東京の有名店へとグイグイ進出。”和太鼓の響きをドラムに落とし込みたい”という制作意図が、マニアックな音を探し求める、ドラムガチ勢たちの底無き沼心めがけて見事な一石を投じていきます。

取材当日、工房には小口径のバップキットが。

福田さんがこだわる、材料の選定や、建光のアイコンとも呼べる紐付け方法、ボディ内部に波上に彫られた”波動彫り”という独自の加工。それらは全て、後付けの理由を作る為の手段ではなく、こんな加工を施したら、こんな音になるという、技術者ならではの計算されつくした確信を具現化した形が、後々、匠曰く「音にあたかも輝きや煌めき、暖かさや熱。時には香りまで感じられるような音を作りたい」という台詞の説得力を伴った現物へと大成しているのだなと感心しました。

波動彫りと呼ばれる独特の処理が施された太鼓の内部。

元々は亀山の地から見上げた大空に夢を馳せた少年が、紆余曲折を経まくり倒した先に生みだした、和洋折衷ど真ん中のテイストを盛り込んだ建光ドラム。
”LIKE NO OTHER”の名の如く、まさに唯一無二のビジュアルと音が、玉城から世界へ飛び立とうとしています。

決して若き頃からドラム職人を志した訳ではなく、音楽に触れた瞬間に、まるで感電するような”あの感覚”を味わってしまったが為にめくられてしまった新しいページ。人生という何章もある1冊の本に於ける、恐らく随分と長くなるであろう”転”の現在進行形のストーリーには、ドラムに使われている木の材質に対する知識や音響学が、ただアーティスティックな感覚として用いられているわけではなく、独学なりにもエンジニア目線でしっかり裏付けをされた緻密な意図と制作の青写真があるがゆえ、あの図太い一打の音に昇華されていたのかと思います。

取材時に初めてスネアの音を聞かせてもらいました。なんてズ太い音なんだと驚愕。

本当ならば、木工や音響特性に関するその具体的な知識の中身を少しでもご紹介したいですし、玉城町議員としての顔も持っておらるというこれまた驚くべき一面もあったりと、掘れば掘るだけ地下水のように溢れる情報量の多さから、インタビューは2時間近くにのぼりました。だめだ、福田さん。やはり情報量が多すぎる。数年前、僕は玉城町で音楽イベントの制作を担当していたことがあるのだけど、彼はまさにそのタイトルそのものだと思いました。彼こそが、玉城のミュージックモンスターだ。

ツアーで伊勢にきてくれた熊本のバンド、変寺の二人と。いい思い出です。

そんな熱量を玉城町より吐き出し続ける建光ドラム。「自分の目で見て確認しないと気が済まない性格。」という、ご本人のセリフそのまま地で行く、静かでウィットに富んだ思慮深さと、その一方で、時に子供のように目をキラキラさせて、まるでお祭り騒ぎのように楽しみながら僕の仕事を手伝ってくれていた姿に、ああ、僕はこんな、その一瞬の楽しさを逃さず、真正面から楽しめるような大人になりたいんだろうな。いつかなれるだろうか。と思いました。

取材時に制作していたキットが完成したので、プロドラマーの福盛進也さんにお越しいただき、うちで試奏ナイトしたのも良い思い出です。

そんな目を持つ人生の先輩がまた1人増えたなと感じました。

お仕事を手伝ってもらった最終日、浜島の漁港にて。とてもいい思い出です。

近鉄特急の車窓にこぼれる朝日を眺めながら3度目の正直で書き殴ったこの文章。結局ここに達したのは帰り道。夕陽は陰りほぼ夜の松阪駅を過ぎたころでした。
3ヶ月間冷めやらぬ静かな興奮を伴ってしまったため、普段以上に拙い文章になってしまったことをお詫び申します。それくらいカッコイイと思ったんだ。

建光ドラム 公式twitter
https://twitter.com/tatemitsu_d_f?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

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