ホーム 02【遊びに行く】 「ここに家がほしい」連載エッセイ【ハロー三重県】第29回

「ここに家がほしい」連載エッセイ【ハロー三重県】第29回

子どもたちはそのお宿のことを「森のホテル」と呼んで、たいそう気に入って、また泊まりに行きたいと何度でも言っている。

*

去年の夏、私たち一家は私の念願を叶えるべく松阪市嬉野のとあるお宿にお泊りをした。
嬉野へのたぎる思いはこちらに。

嬉野に憧れて、憧れて、いつかここでたっぷりと時間を過ごしたいと思っていた10年間がようやく叶ったのだ。
世の中に未知のウィルスが溢れて、県外の帰省を自粛するようになって久しい。以前は、もう何年も子どもの夏休みや冬休みには遠方の実家へ帰省していたものだから、帰省を自粛した令和3年の夏休みはとても長い空白に思えた。そんなわけで思い切ってどこかで宿泊を、そんな気持ちがむくむくと沸いたのだった。
この禍のおかげといってはなんだけれど、では近場でなにか豊かなことをしましょうかという気持ちになれたのはせめてものご褒美だと思いたい。

さて、どこでお泊りをしようか。
その時に私の脳裏にはっと浮かんだのは嬉野上小川でいつか見た、小さな一軒家だった。
憧れ続けたその場所を私はこっそりスマートフォンでたびたび拝見していて、もともとは古民家を改装したレストランだったのが、いつしか貸別荘になっていることを知っていた。

そして、運が味方したらしく、子どもたちは夏休みに出会った、とある絵本に執心していた。
それは、森の中の小さなホテルのお話。これはもう、タイミングがよすぎる。機が熟している。時が来たのだ。

「ねえ、ママね、ここにお泊りしたいんだけど。森の中にあるんだよ」

スマートフォンでくだんのお宿のホームページを映し出す。

子どもたちは画面に絵本の世界をシンクロさせて、目を輝かせた。

「お泊りしたあああああい!!!!」

とてもよい滑り出し。さあ、子どもたちを味方につけて、次は夫を口説く。

「ねえ、ここに泊まりたいの」

夫は、付近になにがあるわけでもない、温泉もない宿になぜ、と不思議そうな顔をしたのだけど、すっかり仕上がった子どもたちの興奮を見て、「いいんじゃないの」と首を縦に振った。

子どもたちは口々に「だって森のホテルだよ!!!」とたいそう喜んでいた。

*

夫が想像したとおり、上小川には何もない。
ほんとうに、なにもない。
温泉もないし、遊びの施設もない。テーマパークなんてあるはずもない。あるのは小川と森といくつかの民家。
何が目的でここに来たのかと訊ねられたら、ただ、「上小川に滞在したかった」ただそれだけ。

けれど、子どもたちは到着するやいなや、大はしゃぎだった。
古い建物を改装したお宿の中をスタッフの方に案内してもらいながら、ずっときゃあきゃあと歓声をあげていた。特に、古風なものが好きな長女はときめきが止まらない。

「ここの水はすべて水質検査をクリアした井戸水です。とても水質がいいので安心してお飲みくださいね」

スタッフさんのこの言葉に長女のテンションは最高潮を迎えた。
その夏、彼女の流行語はなぜか、「湧き水」だった。
一体全体なぜなのか分からないけれど、なにかにつけ「湧き水」と言いたがっていた。

「井戸水ってことは湧き水??!!!」

「うーん。まあ、地下から湧いてるし……??湧き?水?かな???」

そこから長女は執拗に水を飲み、お風呂を沸かす段になっても、普通のユニットバスに給湯器で沸かしたお風呂にもかかわらず、やはりそちらも「湧き水のお風呂!!!」と大喜びだった。

*

上小川には名前の通り、川が流れていて、ずいぶんと上流のほうなため、水がとてもきれい。
お宿のチェックインをすませた後に目の前の小川で遊んで、地区を散策した。ヒグラシの音と、近隣の方の草刈り機の音が遠くで響いていた。
川で遊んで、地区を散策して、上小川全体が大きな遊び場のようだった。

人家もまばらで車もほとんど通らない静かな場所で、蝉の声の向こうから絶え間ない水の音。ずっと水の音を聞きながら暮らすのはいったいどんな気分だろう、と思った。
一棟貸しのお宿だったので、子どもたちが騒ぐとか、走るとかそういったことに気を揉まなくていいのも心労がなくてとてもありがたくて、あんなに何にも思いわずらわない時間っていったいいつぶりだっただろう。

夕飯に宿のお庭でバーベキューをした後も、また川で遊んだ。
夕焼けがとてもきれいで、あたりがオレンジ色に染まって、子どもたちの顔がオレンジ色をしていた。
川で遊ぶ子どもたちを眺めながら、私も川に足を突っ込んで、得体のしれない気持ちになった。なんだか途方もなくて、圧倒的で、頭の中がしんと静まり返る。日々があまりに怒涛だから、なんだか天上世界に来たみたい。
あまりの静けさに幸福な眩暈がした。

「ああ、私はずっとここに来たかった」

そう思うえば思うほど、ますます幸せな旅だった。

夕焼け

*

翌日もチェックアウトの後はライフジャケットとマリンシューズを装備して川に入った。昨日の水遊びとは趣を変えて、その日はざぶざぶと歩いて川を下った。
水かさが増す場所があったり、流れが急な場所があったり、ただ下るだけで立派に大冒険で刺激的だった。途中、小さな滝を見つけて秘境にやってきた探検隊のような気持にもなった。
川を下ったあと、また地域を散策した。

川で冷えた体に真夏の太陽が照り付けて、心地いい。
集落の中には暮らしがたくさんある。どの家にも家の庭に川からの水が引かれていて、水と暮らす営みがあった。
豊かさって水があるってことなのかもしれない。いつでも手が洗えて、いつでも畑に水をやれて、いつでも火照った体を冷やすことができる。その安心感ってあまりに偉大だ。

*

集落で暮らす人と少し話をしたり、ただ歩いたり、また水を触ったりしているうちに昼になり、いよいよ上小川を出る時刻になった。
こんなに名残惜しい旅をしたのは初めてだった。
私は自宅が大好きだし、極力家から出たくないと思って生きている。どこへ行ってもすぐ「早く家に帰りたい」と思うような軟弱さが骨の髄まで浸透している。
なのに、帰るのがさみしくて、まだまだここにいたくて駄々をこねたかった。自分の家も好きだけれど、この場所もうんと好きになってしまった。

「夫、私ここに住みたいからここに家を買いたいと思う」

駄々をこねた。

「いいんじゃない」

投げやりに出なんでもなく、夫がそういった。
夫もすっかり上小川にやられていたらしい。
会社までの出勤経路、最寄りの小学校へのアクセス、冬場の降雪量の推察、今の持ち家も手放さずにいかにして、資金は……云々。
信じられないことに、帰り道の話題はそんな話で持ちきりだった。

1泊2日の滞在で心が満たされて帰宅すると思っていたのに、募る思いはどこまでも駆け上がって、ごく普通の中流家庭に家をもう一軒買わせようとしている。
上小川恐ろしい子だった。

上小川

*

これだけ延々と書き連ねても、するするとこぼれ落ちるものがたくさんある。表現なんてしょせん代替え品だし。
ぜひ、上小川を訪れてみてほしい。指先まで満たされるようなあの真っ白な時間をお届けしたい。

我が家はあの夏から間もなく一年が経つけれど、全員が口をそろえて「またお泊りしたい」と言っている。

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