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気分はインディジョーンズ。 多気町・丹生の水銀坑跡を探ってみた。

鉱山跡とか炭鉱跡や坑道跡と聞くと、わくわくと心が躍るのは自分だけだろうか。

まるで地球の迷宮に入る様な、インディジョーンズの世界を想像してしまう。そして、そんな場所が自分の住む近くにあると知ったら…。

2020年の年末に、そんな冒険心がくすぐられる一日を過ごす機会があったので、OTONAMIEの読者にお伝えする。

出会いときっかけは、OTONAMIEの記事でも紹介した、三重暮らし魅力発信事業の『ローカル記事アクション』だった。(『ローカル記事アクション』で執筆いただいた、OTONAMIE代表・村山氏の渾身の記事はコチラから)

オンライン取材の舞台となった多気町の丹生地区を案内していただくことになり、多気町役場の方にご紹介いただいたのが、勢和の語り部会の中西さんだった。

勢和の語り部会・中西さん

地域の語り部さんと言うと“小難しくて”といったイメージがあった(筆者の勝手な偏見です。すみません)のだが、中西さんは全く違っていて、田舎の優しいおじいちゃんといった感じで、初めてお会いして数分後には、まるで、昔からの知り合いのように馴染んでしまった。私が勝手に懐いてしまったと表現した方が的確かとも思う。

その中西さんに取材中に教えていただいたのが、多気町の丹生地区にある水銀坑道の話だった。

水銀坑道って、何?

丹生地区の水銀抗跡

“丹”という文字がつく地名は全国にも多々あるが、そういった名称の地域は、昔に水銀が取れた場所が地名の由来となっていることが多い。

多気町の丹生地区も、その名の通り太古の時代(縄文時代)から水銀の発掘が盛んに行われていたらしく、その水銀は奈良東大寺の大仏に活用され、室町戦国時代には白粉(おしろい)の原材料としても珍重された。丹生の地理が、都から伊勢や熊野までの街道の拠点であったことも相まって、当時は大変栄えたとのこと。

今も当時の面影が残る丹生の集落。立派なお屋敷が多く残る

そんな丹生の集落の周辺の里山には、今もなお、水銀抗跡が無数に残っているとのことだった。以前より中西さんをはじめとする三重県や多気町の教育委員会、勢和語り部会の方々は、丹生の水銀抗跡について入念に調査してきたと教えていただいた。

取り纏めた資料を見せていただくと、その数は約500か所。縄文時代のものから昭和の初期に閉抗されるまで、大小様々な、水銀抗跡があるとのことだった。

地図に記された坑道跡の印

丹生地域周辺の、この一見何気ない里山のあちこちに水銀抗跡が残るという

ついに、未公開の水銀抗跡を辿ってみる。

中西さんに案内していただき、いよいよ水銀抗跡を見せていただくことになった。この日、案内していただいたのは、地域でもおそらく最大級のものだと想定される古代に採掘された水銀抗跡。

当然、道標もない水銀抗跡なので、私のような一般人が探そうと思っても立ち入れる場所ではない。それに、私有地も含まれているので、勝手に入ってよい場所でもない。先導する中西さんについて、里山の中を分け入り、進んでいった。

どんどんと藪の中を進んでいく中西さん足取りの速い中西さんに必死でついていくこと15分から20分。

「ほらほら、ここだ。ここだ。」と、洞窟の入り口まで導いていただいた。

何の変哲もない雑木林の里山の奥にその洞窟の入り口はあった。

想像していたよりかなり大きく、高さは4,5メートル程、横幅も優に2メートルはある。

で、肝心の中の写真は…というと。

こんな感じ…洞窟が深すぎて真っ暗。(私のカメラでは奥まで写せませんでした)

因みに、洞窟の中から外を撮影してみるとこんな感じ。

実は、この日は水銀抗跡の本当の奥までは進むことが出来ず敗退した。水銀抗跡の奥は、膝ぐらいまでの湧き水で満たされており、奥の奥まで進むにはロープや照明、それ相応の探索ギアの必要性を感じ、引き返したのだった。

残念だ…。インディジョーンズの様にはいかないのだ。

そんな丹生の水銀抗跡だが一部は整備され、一般にも公開されている水銀抗跡もある。

日の谷の水銀鉱坑道跡。昭和に再開発された水銀抗跡だ。

坑道内図も示され、入り口も整備されている。

洞窟の中の様子。封鎖されているので奥までは入れないけど、なかなかに広い空間だ。

荒々しく削られた跡が残る。

中西さんに見せていただいた水銀が混じった石。赤い部分が水銀の混じっている証らしい。

 

先人の足跡と現代の暮らしとが繋がる瞬間。

縄文の時代から昭和まで、長きにわたってこの地域で水銀が採掘されていたかと思うと、その地域に歴史とロマンを感じる。

水銀抗跡を通して、縄文の人たちが暮らす風景、平安の人たちが暮らす風景、そして、現代に暮らす人たちの風景が重なり、丹生という地域の何気ない里山の風景が、わくわくと心躍る風景へと変わっていく。先人たちの行いが、今の私たちの暮らしに続いているのだ。

案外と自分たちの住んでいる身近な地域にも、インディジョーンズの映画のような場所がひそんでいるのだ。

多気町・丹生の水銀抗跡に興味がある方、もっと知りたい方は中西さんまで連絡くださいとのこと。

連絡先:090-7914-5996(勢和語り部会・中西さん)

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