三重県津市大門のフェニックス通りに一軒の本屋さんがあります。
その本屋さんの名前は、奥山銘木店。
一見、本屋さんに見えない名前ですが、ここは地元の人たちはもちろん、三重大学に通う大学生たちが、さまざまなカルチャーに触れる、いわば三重大学生の心の拠り所となっています。
店内は落ち着いた音楽が流れ、素敵な本の表紙がそれぞれ本棚に並び、穏やかな空間が広がっているのです。
この空間が、どのようにして作られてきたのか。店主の奥山健太郎さんが、インタビューに答えてくれました。
―今日はよろしくお願いします。まず本屋さんを始めたのはいつからですか。
奥山さん:2006年の9月ですね。31歳になる歳のときでした。
―開業するきっかけはどういった感じで。
奥山さん:きっかけというほどのものも、ないんですけどね。それより前から本屋さんをしたいとは考えていて。自分の動きも素早いほうではないので、のんびりそれまでの仕事もしながら。この場所は本屋さんの前は倉庫だったので、片づけながら、徐々に形にしていったんです。
―それまではどんな仕事をされていたんですか。
奥山さん:今も続けているんですが、奥山銘木店という名前で、建築資材や銘木を扱う仕事をしていたんです。最初はこの本屋さんの名前も奥山銘木店ではなくて、違う名前をつけるつもりでいました。
ただ、「○○書店」「○○ブックス」どれもしっくりこなくて。「違うなあ…」と思うなかで、名前を奥山銘木店から別の名前に変えると、仕事の電話が2本いることに気づいたんですよね。
木の仕事も本の仕事もするし、ここで奥山銘木店という名前で、60年、70年ぐらい商売しているので、このままでいいかと思い、そのままの名前にしました。
―奥山銘木店は、どの代から続いているんですか。
奥山さん:僕の祖父の代からです。若い頃は引き継ぐ気もなかったんですが、だんだんと「長男やしなあ…」みたいな感じで。それが20歳ぐらいのときでしたね。
継ぐ、継がないにせよ、木材関係の仕事に修行のような形で就きました。戻るまでは、名古屋の建築関係の会社で働いていましたね。
それで父親が奥山銘木店をやっていたときに、急に従業員が辞めるとなって。じゃあ帰ろうかと津に戻ってきて、そのまま今に到ります。
―そこから本屋さんをやる流れへいくわけですよね。本はもともとお好きだったんですか。
奥山さん:本屋を始めるつもりではあって、ゆっくり倉庫を片づけながら、並行して本の仕入れとかをやりながら学んでいきました。
「本屋をしたから本がもともと好きだったんですか?」とよく聞かれるんですが、もちろん嫌いではなく、好きじゃないとできないと思うんですけど、どれぐらいかと言われたら、よく分からないですね。(笑)
本も好きですが、子どもの頃から本屋さんが好きでした。大型の書店も個人経営の店もそうですが、何か面白いものがないかなと、宝探しの要素があるのが好きでしたね。平積みよりも棚差しの変な本が見つけられると嬉しかったんですよ。
―「奥山銘木店」には、さまざまな年齢層の方々が来られるのではないですか。
奥山さん:割と年齢は幅広く来てもらってますね。高校生、大学生の方からご年配の方まで来ていただいています。
―大学生の子たちが来て、奥山さんと話をしていかれることもありますか。
奥山さん:ええ。「建築学科です。」と言って、建築の話をしてくれることもあります。最近見ないなと思ったら、もう卒業していることもありました。
小学生のときに、親に連れてきてもらっていた子が、大きくなって1人で来ることもあります。別に話をするわけではないんですが、小さいとき来てたなあと思い返すのは楽しいですね。同時に、自分が年を取ったなとも感じます。
―「奥山銘木店」では、さまざまなジャンルの素敵な本たちが並べられていますが、選書をするときに基準はあるんでしょうか。
奥山さん:基準はけっこう日によってブレますね。仕入れをしていて、届いてから「俺この本選んだかな?」と思うときもあります。本棚に並べて、手に取ってから気づいたり、最初にはじいてたものも、後から見たらやっぱりいいなあと思ったりするときもあります。
けっこう迷いながらやっていて、一本線を引いて、自分のなかでこれは仕入れるという明確なものはないです。感覚でやっているというか、あまり理屈で考えたことはないですね。
―選書をするときに、お客さんの顔が浮かぶときはありますか。
奥山さん:お客さんの顔も見えます。「こういう本、あの人買うかな」みたいな商売っ気もあったりね。僕個人でやっていることなので、あんまり偏りすぎてもいけないからバランスは気にします。
結局は、自分が気に入るかどうかになってしまうんですけど、それがあんまり見えすぎてしまうのもよくない。だから、選書も、棚づくりも迷いながらやっています。
僕は、そもそも書店に勤めたことがないので、セオリーもわかんないんですけどね。
―今も迷いながら、迷い続けられていると。
奥山さん:はい。これが完成形ですとはならないんですよね。出版はどんどんとされていきますし。「これで完璧だ」と止まりたいんですけど、同じ本が並び続けても良くないので、変わっていきます。
選書していると、棚の回転はどうしても悪くなりがちで、いつ来ても同じ本があるやんとなりますが、それはしゃあないなとも思っています。
―ずっと残り続けている本や愛着が湧いてしまって、売れないでいてほしいという本などもあるのでしょうか。
奥山さん:売れないでいてほしいとまでは思わないんですが、長いこと置いていたら絶版になっていた本はありますね。売れずにいて、でもいい本やからと置いていたらサクッと売れて、次に補充しようと思ったら、もうないとなったときには、複雑な気持ちを感じます。
それは銘木、木の方の仕事でも感じることで、売れてしまうともうなくなっちゃったなと感じるときがあります。もちろん売り惜しみはしないんですが、とうとう出たかと愛着を感じる瞬間はあります。嬉しいんですけどね。
―今回、私は「OTONAMIE」の取材で来たわけですが、奥山さんは「オトナ」とはどんなものだと思われますか。
奥山さん:やっぱりかっこいいものじゃないでしょうか。かっこよくないとだめだなと思っています。
かっこいい本というか、電車でスマホを見ている風景と本を読んでいる風景だったら、本を読んでいる風景の方がかっこいいと思うんですよね。うちの息子にも、「こっちのがモテるで」と言うんですが。(笑)
今の子たちには、本の出会いがないだけで、他のものの刺激が強いと思うんですよね。ゲームにしても、YouTubeにしても面白いのは分かる。ただ、うちの子は環境もあってか、わりと本を読むんです。だから、出会えば読むんだろうなと思いますね。
―「奥山銘木店」さんは、恩着せがましくない空間というか、来た人を穏やかに包み込んでくれる雰囲気を感じます。何か意図されるところはありますか。
奥山さん:押し売りはしたくなくて、ポップもつけないんですよ。商売的には、ポップもつけて、売り込んだ方がいいんでしょうけど、「この本を買え」みたいなのは、僕が好きじゃなくて、自分で選んでほしいというところはあるんですよね。
よく「おススメはありますか?」「これ系でいい本はないですか?」とか「ざっくりでいいんで小説を一冊お願いします」と聞かれることがあるんです。もちろん、聞かれればおススメはするんですけど、本のソムリエ的なのは苦手なんですよね。わかんないんですよ。(笑)
正直、僕が面白いものをおススメして、おもしろいのかなって、すごく不安になって、ドキドキしてしまうんですよね。
「結婚記念日に奥さんに一冊」ってなぜ僕が選ばないといけないのかと。(笑)本当はサクッとそういったものもおススメできるとオトナなんでしょうけどねえ。「どうっすかね~」といいながらやっています。
―ありがとうございます。最後に今後の目標などはありますか。
奥山さん:あと少しで本屋をオープンして15年、今年僕も46歳になります。目標はいつ辞めるかですよ、ずっと思ってます。そんなに羽振りの良い業界でもないのでね。
僕も本屋さんをやる前の感覚で本屋さんに行きたいんです。今は、どうしても違う目線で本屋さんを見てしまって、絶対、出版社や何年に発行かを見てしまうんです。
お店としての目標はそもそもなくて、「続けられたらな~」とも思っているし、「いつ辞めようかな~」とも思っている感じですね。
―なるほど。少しでも長く「奥山銘木店」が続いていくことを願っています。今日はありがとうございました!
今回取材に行った私にとって、「奥山銘木店」という場所は、とても大切な場所でした。
三重大学に通っていた大学生のとき、自転車に乗って「奥山銘木店」に行って、限られたお金でどの本を買おうか立ち読みを繰り返した日々を思い出します。
それは私に限ったことではなく、多くの大学生、そして地域の方々が、立ち止まって、想いを巡らせる場所として「奥山銘木店」があり続けてきました。
この日も四日市から辞書を買い求めに来られるお客さんがいました。きっと「奥山銘木店」は、さまざまな人たちの知の集積所となっているのでしょう。
もし「奥山銘木店」を今回の記事で初めて知った方はぜひ立ち寄ってみてください。久しぶりの方ももちろんです。あの日と変わらずに穏やかな空間があなたを迎え入れてくれるはずです。
三重県桑名市出身。愛知県名古屋市在住。