10月がもう下旬に差し掛かっている。今年ももうあとふた月と少し。
この時期になると、私は毎年少し勝ち誇ったような気持になる。
だって、ここは温暖な三重県なのだから。
私の生まれは北陸地方の、とある半島だ。
日本海に突き出た北風吹きすさぶ町で生まれている。
秋が深まるころから空は鉛色に表情を変え、日照時間はがくんと減る。
冷たい雨が降り、木枯らしが吹く。
早ければ11月半ばには雪がちらつくこともある。
ああこれから長い冬が始まるのだと思わずにはいられない。薄暗い空を見ては、世界が落ちてくるんじゃないかと思ったものだった。
北陸の冬は乱暴に荒れる。
風が吹き、雨がどさどさ降り、吹雪が舞い、そして大きな雷が鳴る。
その冬の入り口が、秋なのだ。
ところが、こちら三重県。
秋の穏やかなことと言ったらない。
これを書いている今日、今、南向きの窓からはぽかぽかとした温かい日差しが降り注いでいる。
窓にぴったり体を寄せれば、心まで温まるというもの。
風もなく、お日様がさんさんと降り注ぐここは、絵本の中かと思うほどのどかで幸福的だ。
おや、どこかで小鳥のさえずりが。
朝こそ少し足元が冷える感じがあるけれど、昼間はエアコンもストーブもいらないほど暖かい。
ああ、私はついに憧れの南国で暮らしているのだな、と10年以上経った今でも、毎年しみじみと思う。
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実家の家族と子どもたちの写真をたびたび共有するのだけど、秋から冬にかけて、私の優越感は果てしなく満たされる。
我が家の子どもたちが暑がりなことも手伝って、ほぼ毎年のように姉妹から、「まだ外で半袖着てる!」やら、「パジャマが薄い!」やら、驚きのコメントが届くのだ。
この優越感をお分かりいただけるだろうか。
海なし県に生まれた人が海に強い憧れを抱くのと同じように、南国生まれの人が雪に憧れるのと同じように、北国生まれの人間は温暖そのものに憧れるのだ。
秋なのに、冬の入り口なのに、半袖で外を駆け回る子どもたちを見ていると、ここが北国ではないことを再確認するようで、なんだか妙に満たされるのだった。
因みに、実家のほうではそろそろ子どもたちにキルトのパジャマを着せようか、という段にあるらしい。
「我が家の!子どもたちは!まだ!半袖です!!!!」
と太字で何度だって言いたくなるよ。
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そんなふうだから、できることならば三重県には雪が降ってほしくない。
御在所岳とかの高地はもちろん除くとして、平地ではできればご遠慮願いたい。
夫を始めとする県内生まれの人々は大抵、雪が降るととても喜ぶのだけど、私としては、ほんとうに勘弁してほしい一心。
なにが悲しくて、この温暖な楽園に雪なんて降らせるのか、もろもろが台無しではないのという気分になる。
冬の早朝なんかに雪の気配を感じると、子どもたちは大はしゃぎでパジャマのままお外に飛び出したりなんかするのだけど、私は窓からそれを静かに眺めている。
三重県の温暖さに一点の曇りも持ちたくない、と家を建てるときには北国並みの断熱材をぶっこんでもらったのだ。私は太平洋側、そう表ニッポンのしかもわりと南部で暮らしているのだもの、寒さを感じるなんて言語道断なのだ。暖かいお部屋の中から、ちらつく雪をただ見る。
心のどこかで、こんなの気のせいだとさえ思っている。
昼過ぎにはだいたい雪は溶けるので、それもまたやはり、「勝った」と思う。三重県の太陽を舐めるんじゃないよ、と。
こちらに越してくる前に5年ほど京都で暮らしていたけれど、京都もやはり寒かった。京都は底冷えがと言われるけれど、それはそれは寒い冬だった。働いていた会社にはなぜか換気が大好きな上司がいて、しょっちゅう窓が開け放たれるというおかしな事情もあって、とにかくずっと寒かった。
その頃の口癖は「南下したい」だったので、見事に南下できた自分を褒めたい。
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そんなに三重県での秋を堪能していたら、味覚狩りだなんだと行楽に出かけていそうなものだけど、そちらのほうはまったくと言っていい。
私は真正の出不精なので、お家の中でじゅうぶんに秋を堪能できるししている。10月も終わろうとしているのに、窓からさんさんと陽光が降り注いでいるという現実だけで、最高に秋を愉しめるのだし。
唯一、秋らしい楽しみがあるとすれば、夫の実家にお邪魔する際にたいてい伊勢道路(伊勢と志摩をつなぐ山道)を通るのだけど、その道中の景色が秋はとってもいい。
特にどこかで停車して写真を撮るなんてこともなく、ただ見事な紅葉を眺めながら通過するだけなんだけど、毎年きちんと感激している。
特別なことは何もしないけれど、北国の人間にとってはこの温暖な秋というのが、もう最大のトピック。
そして、さらに言うなら北国育ちからすると、気温的には年内いっぱいほとんど秋みたいなものだって言うのも大きなポイント。
8歳、6歳、4歳の3児の母です。ライターをしています。